ボーはおそれているのレビュー・感想・評価
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尽きることのない悪夢的イマジネーションの連鎖に心酔
生きることは悩ましくおそろしい。どうやって生まれたのか、いかに毎日を生きるか、家族の問題にどう向き合うか。そんなことを考えだすともう頭がおかしくなりそうだ。過去のアスター作品からやや趣向を変え(でもやっぱり”家族”が関係するのだが)、本作はホアキン扮する中年男が抱える”おそれ”をじっくり我々に突きつける。ある意味、カフカ的でもあるし、フロイト的、ギリシア悲劇的とも言いうるだろう。序盤のアパート生活のカオスな日常描写には勢いがあり、声を上げて笑ってしまうシュールさに溢れ、目が離せなくなる。そこからいざ帰郷というモチーフが起動するも、案の定、不条理の鎖が足に絡まりボーはなかなか帰れない。この一連の物語をどう解釈すべきか。私は途中から意味に囚われすぎるのをやめた。水辺の小舟に揺られ、アスター流の”おそれ”巡礼を体験するかのように、悪夢的ながら美しさに満ちたイマジネーションの連鎖を心から楽しんだ。
ずっと浸っていたい、妙に笑える悪夢のような旅
アリ・アスター監督作品については、長編第1作「ヘレディタリー 継承」の独創的な世界観とホラー描写に震撼し驚喜したが、カルト教団の閉鎖的コミュニティーを訪れた若者たちを描く2作目「ミッドサマー」はストーリーの独創性という点でやや期待外れだった。そんな経緯もありこの3作目は期待と懐疑が相半ばする気持ちで臨んだが、結論から言えば「ヘレディタリー」を超える一番のお気に入りになった。 不安症の主人公ボー(Beauの発音は「ボウ」と表記するのが正確で、字幕もそうなっているのになぜタイトルと不一致なのだろう?)に次から次へと災難が降りかかり、母親の葬儀に出るための旅もトラブル続きでなかなか目的地にたどりつけないのだが、展開が予想外すぎて笑えてしまう(特にバスタブと屋根裏の両シーンで爆笑した)。「ミッドサマー」にもユーモア要素はあったが、本作は格段にいい。ホアキン・フェニックスによる不安と困惑と恐怖と苦痛の演技が絶品で、アスター監督の演出との相乗効果もあり、地獄めぐりでありながらドタバタ喜劇のようにずっと楽しめる、飽きることのない2時間59分。監督の次回作「Eddington」にもホアキンの出演が決まっているようで、今から楽しみでならない。
恐れていた事が起こった。
訳分からなくて置いてかれたまま3時間はキツいなぁと 恐れていたら、 まさにそれが起こった。 アリ・アスター監督との相性がどうも悪い。 不安症が行きすぎてファンタジーの中の虚言の中で 生きてるだけの話かと思ってたら、 現実とファンタジーの間を生きて自分を必死に守ってる 男の話と解釈して良いのだろうか? 訳分からないのだけど、 誰にだって不安はあるし、 その場から動けなくなる感じは分かるし、 母親への強烈過ぎるこれはなんと言うのだろう 愛情、尊敬だけではない物凄く大きな存在と 自分がやりたい事は母親への裏切りになるのではないか? と言う感情は小さい頃にはあった気がする。 ほとんどの人はそこを母親なんて大した事ねぇやとか、 その時の欲が勝ったりして忘れて行くのだけど、 ボーみたいにそれが決まり事のようになって 自分を縛ってしまったら こうなっても仕方ないのかなと同情しました。 子どもがいるので、ある程度自分で決めさせなければと 思いました。 いつまでも甘えさせたらダメだなど。
寧ろよくこんな映画でオーケーが出たなぁ。
学の無い自分にはわかりませーん。 いったい何を観させられているんだろう、が3時間続く困った映画。 もはやワンシーン、ワンシーンがひたすらに意味不明。 否定派の中でも前半は好評のようだが、個人的にはそれすら退屈だった。 「ミッドサマー」は傑作だったがこれはついていけない。 それにしても本作と言い「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」といい、ホアキン・フェニックスは裁判劇に縁がある。
ここまでくると笑えてくる😅
面白い邦題だなと思いつつ鑑賞。 冴えないオジサンが紆余曲折ありながら母親の葬儀に参加するために移動する道中が大半の映画。見る前にその情報がわかっていたのでなんだそれは?って感じで見てみたら、とんでもない道中を過ごすことになる主人公に哀れみを覚えました笑。 映画だから、なんでもありはありなんだけど、すごいすごい!え?はい?なにぃ?のオンパレード。終盤で◯◯コの怪獣?みたいなのが出てきた時には違う意味で笑えた😅 母親の毒親を突き抜けた感にもここまでくると笑うしかないなってのが正直なところ。どんなことでも突き抜けてしまうとすごいって思えてしまう。 いろんな意味で面白い映画でした。B級感ハンパない!
人々を混乱の中に叩き落とす怪作なんだろうな…
これ時計仕掛けのオレンジで目を閉じないようにまぶた固定されながら無理やり見せられ続けた拷問タイプの映画なのでは………という感想を持ってしまった…。混乱極まった…。 完全に序盤で置いて行かれてしまったので、本当にすごく悲しい…。3時間長かった…。 「芸術的価値の高いものは自分には理解できないから」という理由でアクションや恋愛の映画しか見ない人は世の中にけっこういる。 私はそういう人たちに対して「『高尚で理解できない』という言い訳で思考を放棄するのはどうなんだろうか」などと偉そうなことを思っていたが、この映画を見た結果完全に彼らと同じ感想を抱いてしまい「芸術、理解できないかも…」と思考放棄に走ってしまった。数時間前までの驕り高ぶった考えの自分が恥ずかしい。 他の方のレビューがとても参考になるので、よく勉強して深みのある人間になりたいという気持ちを持ちました。 でも監督としては多くの人をこの映画で混乱させて、そのままそれをニヤニヤ見てたいのかもしれないので、私の感想もこの混乱も一種狙い通りなのかもしれない。
遍在する父のような母/爆誕失敗の巻
『ボーちゃん、心理的爆誕に失敗』の巻である。/快楽と主体性を持つことは罪である、というか自分の存在自体が破壊的で誰かを傷つけるものである、という“思い込み”に端を発する神経症的不安が次々に映像化される様は面白かった。お父さんが肉棒なのはユングの夢っぽいが、片や地下で台座に載せられ、片や屋根裏に幽閉されているというのが父親イメージの違いとして面白い。殺す前に父を失ったボーがエディプスになりきれない所以である。/最後の水の揺らめきを見てると、そこからヌラヌラした何かが生まれ出るような気もして、「今度こそ頑張れ!」と声をかけたくなる。“思い込み”の源は自分にはなく、自分の人生を歩むためには、ボーの能動性・主体性は一旦は徹底的に破壊されねばならないのである。
罪
ボーが罪を受け、溺れ死にそうなのに、帰り出す観客たち。 人間の本性、利己的で自己中心、 他人なんてどうなったっていいって事の表現のような気がしてならない。 結局、ボー自身も利己的な罪で罰せられている。 途中まで訳のわからん、映画だと思っていたが、ラストは色々考えさせられる作品。
❇️『私もおそれました❗️』 ★彡どっぷり疲労感😮💨
ボーはおそれている ❇️『私もおそれました❗️』 ★彡悪夢なの?現実なの?世界観がエゲツない。解釈は己で考えろ‼️ 🇺🇸 劣悪環境の街に住む、強迫観念でなどに悩みカウンセリングを受けているマザコン感あるおじさん(ホワキンさん)が主人公。 徐々に何かに恐れるボーさんは不思議世界に移転していく! 難解3時間コメディーホラーの世界へようこそ🙇🏻♂️ ◉61B点。 ★彡物凄い難解で3時間映画。 四部構成で揺さぶられ、退屈はしませんでしたが物凄い疲労感でした。 🟢ここが凄い所‼️ 1️⃣主人公の主観で人には見えない何かに追い込まれる様か面白い。 2️⃣こちらがこんな物語なんだなぁ〜など思うと全く違うストーリーやテイストでこちらの思考を狂わしていく全く読めない。わかりそうで分からない。 3️⃣世界観が4部構成で変わり飽きさせない! ★彡それでもわからない事が多くて長く感じた。 🥺🤔🫣🫨😧🥱🤕👩🦰🧔🏼♂️👨🏼⚖️👗🚤🏟️🏕️🕋💻🔦🚬🛏️🔑🆘🆒
母親の支配と継承
「キャラクターがなにもできず、どのボタンも機能しないビデオゲームのような映画を撮りたかった」アリ・アスター監督はこう語っている。 本作は、まさに観客を戸惑わせ、右に左に振り回す映画だ。 不安症の主人公ボーに次から次へと災難が降りかかり、母親の葬儀に出るための旅もトラブル続きでなかなか目的地にたどりつけないという展開が予想外過ぎて笑えてしまう。 ボーは少年時代から、一挙手一投足に至るまで、母親の強い影響下にあり、彼女が投げかけた言葉や考え方に支配されている。そのため、ボーは、積極的に何かに取り組み、自分の意志で困難を打開するといった能力に欠けている。 未観だが、1作目の「ヘディタリー/継承」は、アリ・アスター自身が「自分の家族にある不幸が起こり、その経験を踏まえて映画の構想を練りはじめた」と語っているだけあって、かなりヘビーな家族崩壊映画として作られていて、2作目の「ミッドサマー」は、一家心中というトラウマを抱えた主人公が、見知らぬ土地の人々に新しい家族を見出すまでの物語だそうだ。どちらもホラー映画として分類されているが、本作はホラーなのか、コメディなのか、理解しづらい。 この3作に共通しているテーマは、家族の中にある母の支配と継承であるという。 本作の物語が、ボーの混乱した精神世界だとすれば、母親から高圧的に人格を矯正された彼が、人生で経験するすべて、世界そのものが母親の影響下にあるという妄想の中にあったとしてもおかしくはないだろう。ボーが生きている限り、母親の人格もまた彼の中で生き続けていて、それはボーの自立心や選択を罰し続ける。 気が弱かったり、自信がなくなったり、自己肯定感を持てない性格になってしまう原因に、成長過程での親との関係に問題があることがあるということが明らかになっている。だからこそ子育てでは、暴力を振るわないことはもちろん、子供の人格を否定するような言動をしないように気をつけなければならない。
突然のセクシーシーン有。
3時間か…長いな? と思い休みの日に勇気を出してアマプラでみました。 ホラーか?と思うホラー。 コメディか?サスペンスか? グロとかはあんまりない。 何なら後半ヒーローものの怪獣みたいなのも出る。 多分、後からじわじわ系なのかもしれない。 この人の妄想なのか、現実なのか。 もうどこからどこまで? でも好き。 やばい世界をのぞく映画。 ああああ…わああああああ!? みたいな展開が何回もあるので飽きずに最後まで見れました。 突然のセクシーシーンがあるので家族の前で見ない方がいいと思います… 私は家族の横で見てしまいましたので慌てて音量0にするという荒業を。 精神病の人が見ている世界はもしかしたらこれなのかもしれない。 親にトラウマがある人は注意。 ちょっと見るのに勇気がいるシーンが多いかも。 ラストも何とも言えない気持ちになる。
「何を見せられているんだ」感
この映画は悪い映画ではないのですが、いかんせん長いです。3時間あります。 例えば同じ監督の前作「ヘレディタリー/継承」や「ミッドサマー」は長くても『この映画はホラーなんだな』『このあと主人公に怖いことが起きるんだな』と分かり映画の最後まで待つことができます。 しかし本作「ボーはおそれている」はホラーテイストではありますが、監督はコメディとうたっており、笑っていいのか怖がっていいのか戸惑います。それが本作の最大の魅力でもありますが、3時間という映画の長さでずっと観客の感情を宙吊りにします。 この映画は同じアリ・アスター監督が2011年にとった「ボー(Beau)」という短編映画が元になって作られているのですが、そちらは6分の短い作品です。短いのに本作「ボーはおそれている」より面白いです。監督の言いたいことが6分でしっかり伝わるからです。 本作「ボーはおそれている」も悪い映画ではないのですが、どうせなら母親と子供(主人公)の物語に焦点を絞ったほうが良かったと思います。 ラスト付近で語られる「実は父親がXXX」は完全に蛇足でした。あれのせいで母親と子供の物語の焦点はぼやけ結局何の映画だったのか分からなくなっています。
何を経験したらこんな映画が撮れるのか
アリ・アスターが家族に対して恐怖感を持っているとは聞いていたがここまでの作品をどうやって作ったのかが気になる。展開が読めなすぎて頭がおかしくなりそうだったが不思議と入り込めるのが監督の技量なのか、、 それぞれのシーンの絵も非常に印象的だった。 長いのが少し難点。
アリアスター版トゥルーマンショー
だいぶぶっ壊れてる作品です。 まず鑑賞時間が長い! 見るのに3日くらいかかりました笑 アリアスター独特の嫌〜になる表現の数々で登場キャラもぶっとんでます インパクトある異常者多いんよ、、、 話もなんだか脈絡がないようでうまーく続いていて結末はハッピーエンドではないけど不思議と見れてしまった 色々解釈はあるだろうが、そんな考えずに見てもそれなりに楽しめると思う
ボーの悪夢を一緒に観ている感じです
夢を映像化すると、きっとこんな感じになると思います。 支離滅裂で、たまに現実で見聞きしたことが出てきたりして。 どちらかというと負が強い内容を、長々と3時間近くの作品に作り上げたのがスゴイです。 私はボーと母親との関係は、毒母が息子を支配していると言うよりは、どちらかというと発達障害(?)、不安症の息子と母親との共依存のように感じました。
アリ地獄みたい
二転三転、終わらない悪夢。 見てる方としてもアリ地獄みたいな作品で、 ようやくとっかかりが出来たと思ったら崩れ 手がかかったと思ったら崩れの繰り返し。 不条理とすら呼べないほどの混沌の中で輝いていたのはひとつの舞台。 すごくよく出来た作品だとは思うけど、もう二度と見たくない 笑
マザコン映画監督の憂鬱
アリ・アスターへのインタビューによると、はじめ本作のタイトルを『絶望大通り』にする予定だったそうだ。プールに浮かんだ死体、実家の豪勢な螺線階段、母親の息子ボーに対する過干渉などは、ビリー・ワイルダー監督の傑作スリラー『サンセット大通り』へのリファレンスと見て間違いないだろう。サイレントからトーキーへ時代の流れに取り残された大御所映画女優の(ツバメをコントロールする)狂気を描いた、いわば業界ネタ作品である。 本作には、メインストーリーにはほとんど関係のない、監督曰く“間奏”のようなパートが登場する。ボヘミアンたちが森の中の劇場で一夜限りの演劇を披露するのだが、(おそらく権力者である母親の差し金と思われる)そのストーリーがボー(ホアキン・フェニックス)のこれまでの生き様とこれからの将来を占っているかのような、自伝的内容なのである。このアリ・アスターという人、自分の暗い過去には口を閉ざしていて一切語ろうとしないのだが、子供時代母親に相当ひどいことをされたらしく処女作『ヘレディタリー』にもそれが反映されているそうなのだ。 「観客と舞台の垣根を取っ払いたいんだ」なんていうブレヒト的な台詞が劇中あったかに記憶しているのだが、監督ー映画ー観客の間に横たわる見えない壁を、観客の心の中にも必ずや潜んでいるであろう“家族に関するトラウマ”をネタに、取っ払おうとした映画のように思えるのだ。ラストシーン、観客が大勢見ている映画館のような空間で、弁護士の男に“母親を愛していること”を証明できなかったボーの乗ったボートが転覆、観客にも見捨てられそのまま放置されてしまう。映画愛を示し損ねた映画監督のように、生まれてこなければよかった子供は母の子宮内に沈められてしまうのだ。 まるで『トゥルーマン・ショー』のジム・キャリーのごとく、一挙手一投足のすべてを大金持ちである母親にこっそり見張られていたボーは、母親の過干渉がいまだトラウマになっているアリ・アスターの分身であり、予算・日程・キャスティングの全てを製作会社にガチガチに管理されている映画監督という職業そのものと≒とはいえないだろうか。『サンセット大通り』に出てきたフリッツ・ラング似の召使のような、ボーのカウンセリングを担当する医師が本作にも登場するのだが、母親=プロデューサーとつるんでいるスパイだったことが判明する。 本作の配給元であるA24はハリウッドからほっぽりだされた映画監督を拾い上げ再生することに定評のあるスタジオらしいが、いつなんどきハリウッドのビッグスタジオのように口やかましく横槍をはさんでくるようにならないとも限らないのである。アリ・アスターの言う“ANXIETY”とは、将来自分の撮りたい映画が自由に撮れなくなる、その一点につきるのではないだろうか。ビッグペ◯ス父さん?が屋根裏部屋に閉じこめられたように、それは映画業界から永久にパージされることへの“不安”に相違ない。
ボーはおそれすぎた結果、、、
被害妄想の部分と現実のシーンがごっちゃになっているが、良く考えてみれば、“狂った設定ではあるが現実”のシーンと“ボーの頭の中の想像”のシーンとわけて観ることができる。 ボーは常に悲劇の主人公であるが、ひきで見ればボーも不特定多数の加害者の一員であったり、歪んだ愛情ではあるが大切にしてくれた母を悲しませてしまっていた。(というのも被害妄想が過ぎるだけなのかもしれない。) 誰かに苦しめられてつくられた弱者も誰かを苦しめている。という。普通取扱わない社会のカオスが描かれているのかなと感じ取った。 しかし、笑えてくるくらいカオスな映像によってそんな重たいテーマも軽く受け止められる。 多くを語らないカオスな映像に振り回されることを楽しめる人だけが楽しめばよい作品かなと No. 1500
いやもうお見事
直前にザ・メニューという映画を見たのです。設定の甘い支離滅裂な内容にうんざりして、そしてこちら。支離滅裂度合いはその比じゃない、なのになぜか全部腑に落ちるんです。画面に映らない全ての人物出来事にちゃんと線が引けてるんでしょうね、アリ・アスターお見事です。ミッドサマーはちょっとキャッチーと言うか、見た目の派手さに振れてしまって、さすがに売れるとこうなっちゃうかーと残念に思っていたところ、見事に戻ってきてくれました。精神的にはヘレディタリーの続編だと思いました。この人は血の濃さとか、横溝正史ばりの血脈の因縁みたいなのが似合うなー。この道を極めてほしい。
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