ボーはおそれているのレビュー・感想・評価
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めっちゃ面白かった
母親は極めて巧妙なやり方で、子どもを依存的な幼児のまま支配し、思う通りにならない時は報復として子どもに罪悪感を植え付ける。
昨今、過指示・過干渉・過保護に育ったの多くの人が大人になってもなお、脳内母親の支配に苦しんでいる。
本作は超猛毒級の毒親育ちのボーの物語。同時に、満身創痍のボーを通して現代のアメリカが表現されていて面白かった。支配者の猛毒にやられた庶民の生活は完全に破綻し、倫理も宗教もヒッピーも機能しない。企業だけが儲かる社会。狂った幼児性。
さて。
「チャンネル78を見て!」え?トゥルーマン・ショー?だけど、ボーはここではまだ自分の人生が母親にスパイされてることに気付かない。
森では、ひょっとしたら実現できていたかもしれないパラレル・ワールドを体験する。あれ?愛する三人の息子がいるのに、オレはセックスしたことないぞ?
そして、帰宅して全てを理解する。ボーの人生の関係者はみな母親の会社の社員だったこと。屋根裏部屋に閉じ込められていたのは自分の半身と男性性(父親)だったこと。
子どもの愛情は全て母親が享受すべきものだから、マーサを排除し、エレインを排除。息子に対する母親の恨み節を炸裂させる。そして、自分に愛を注いでくれなかった息子を告発し、厳粛なる裁きを陪審員に求める。
ボーの人生の関係者はみな母親の会社の社員なのだから勝ち目なし。
唯一の味方の弁護士が居なくなり、ボーの精神は崩壊した。
ところで、どんな映画もこれから始まる映画が何を語るのかはオープニングで表現される。本作は、羊水から出た直後の主観ショットだった。
母親が子どもを出産した喜びが全く伝わってこない。怒り、苛立ち、鬱屈とした思いだけ。
一人の人間として存在することを祝福されなかった男は、母親の羊水に呑み込まれておしまいということか。
喜劇キ◯◯イ物語
こりゃ凄い作品ですなあ。
狂気と悪夢の連続する物語…の様ですが、
実は仕掛けられた謎を解くミステリーでもあるような…。とにかく冒頭から車に轢かれるまでは
最狂に面白い。
何だかんだでトラウマ抱えた薬中の妄想話なんでしょうか…?
ラストの爆発には笑った笑った。
誇張しすぎ!
気になっていた作品をやっと鑑賞。
アリア・スター監督作品は確実に覗いたらダメなような感覚にさせられる。だから見たくなる作品がクセになる。
やっぱり、誇張しすぎた世界観とボーを観ているとこちら側も何故かイライラさせられ、作品もやたら長く正に修行を体験している感覚になる。
作品も4部構成になっている。
まずボーが出産するシーンから連想するに、母親がかなりのヒステリーな母親だと理解出来る。
1部は完全なるコメディーに振り切っている。ありえない世界観が何故ボーみたいな人間がそこで暮らして住んでいるのか?
2部はサイコパス的な家族に助けられ監禁?状態になっていく。えっスリラー的な展開になるの?えっここの母親は味方?敵?長女の部屋がまさにサイコだし、何でボーみたいな男性を選ぶ?
3部になると急な展開になって森に逃げ込みミュージカルの世界観にボーを投げ込む。ここの場面がまさに苦行だった。しかし、ボーの幼少期の出来事や、母親との関係性が見えてくる。
しかし、父親ってあのおじさん?
4部はファイナルで正にホラーです。ボーにとって母親が正に怪物の存在であることを証明する。
ボーは確実に発達障害がある様子?でも本当にそうなのか?母親が勝手に思い込み、自分の会社の薬を息子に飲ませて会社のPRに利用していた?
旦那は本当にセックスの最中に心臓発作で亡くなったのか?
まぁとにかく母親は成功して巨大な富があり、1部でのボーが住んでいたアパートもクスリも添加物たっぷりな冷凍食品もカウンセラーも母親が絡んでいる。2部での登場人物も母親の部下の模様。
そりゃボーはそうなるとある意味では関心までしてしまう。
終盤のチンコモンスターには笑うしかありません。
まるで舞台演劇を見ている様でラストはしっかりドン底に突き落としてくれる監督にはあっぱれです。面白かったです。
劇場だと画面にモザイクが入ってたし、笑いが許されない雰囲気
後から他の人の感想を見たら、配信とかだと股間のモザイクなかったんですね。結構大事な仕掛けだったと思うので残念。
見えてる景色こそがボーにとっての事実だ、というとことん一人称の作品で、彼の妄想と現実の境目を考察するのは野暮だとは思いますが、ストーリーについては「大半が妄想」だと解釈しています。
冒頭から交通事故まではあまりに治安が悪い自宅程度の妄想で落ち着いていたのに、お母さんの怒りと新しい薬の副作用をきっかけに状態が酷くなって措置入院になるお話。
医者のお家と脱走までは主治医や看護師さんや他の患者さんを家族に見立てた入院生活で、一度落ち着きかけたのに他の患者さんとの接触で一段と悪くなるまで。トニーが飲み込んだ挙げ句に嘔吐したやたら鮮やかなペンキはなんか薬物のオーバードーズみたいだなと感じました。
劇団森の孤児のあたりはカウンセリングや行動療法とかで見た目的には落ち着きを取り戻したと思われて、母親が見守ることができる実家に退院するまで。
自宅に帰ってからは、彼の抱えるカオスの根源であるお母さんのもとで決定的に彼が壊れてしまうまで。
本当のお母さんはそれなりにリッチで中小企業くらいは経営してるけど、あそこまで現実離れした大富豪でも権力者でもないのに、ボーの心の中で彼女の存在があまりに大きすぎて陰謀論並みにこの世の全てにお母さんを関連させてしまってるんではないかと思ってます。
あと夜にお父さんのことを言い聞かせただけであんなに性がタブーになるはずがないし、最後に原告が性的なものも含めて全ての愛はお母さんに捧げるべきだった、と主張してるのも合わせ、絶対にあの映画=ボーの意識できる範囲の世界の解釈に登場すらできない、通称チンたま父さん以上におぞましい姿のお母さん関連の性的トラウマがもう一段彼の深層心理の部分に隠れてるのでは?と思ったんですが、海外だと劇中の子どもボーの年齢でお母さんが息子を風呂に入れることはないらしいので、やっぱり監督的にもその暗示はしてると思ってます。
途中まではそれこそ「どこまで現実なの?」と思いながら見てましたが、急死したエレインで「あら?これはいわゆる空気嫁というやつで自分で致してるのでは?」と思ったのをきっかけにこういう解釈になりました。最後、やや呆けた顔でボートにゆらゆらされてるのも多分そういうシーンだと思うので、トラウマでもあり本能でもある性の衝動が最後に残った彼の自我を爆破したんだなと思うとなんだか切ない。
ここまで全て、あくまでも個人的な解釈ですが、みんながそれぞれ好きに解釈するのを許す懐の深さのある作品だと思いますし、その一方で日本語版公式サイトでこれが正解の解説です、みたいな断定的書き方をしてるのは良くなかった気がします。
あと、見終わって思ったのは、これってちょっと度が過ぎるくらいのブラックユーモア作品で、チンたま父さんとか急死エレインとか湯船で裸でグルグルするおっさん始め、あちこち笑っていいシーンだったんじゃないか?と感じたんですが、皆さん真剣に鑑賞されている風で、少なくとも私が観た上映回は笑いが許される雰囲気がなかったです。
なんじゃこりゃ?
この映画の中でおきる怪異の全てが
大金持ちの母親が金にもの言わせて計画したものだった事が分かるのだが、そんな面倒くさい事を何でやってしまうのかがいまいち説得力がなかった。
ボーに怒る怪異が、自宅の風呂にボーを監視する為だけにずっと天井に貼り付けていた男がいたり、車で轢かれたりとか死なない程度にボーを痛ぶる母親が怖い怖い。
ボーが世話になる家でペンキを飲んで絶命したり、ボーと寝た女が突然死したりと周りがどんどん不可解な死に方をする人がいたりして、最終的にスタジアムを作って大勢の観衆を集めてから過去のボーが母親にした仕打ちをスクリーンで上映したりと最恐の毒親っぷり。
これでA24スタジオでは類を見ない赤字を叩き出したそうなのだが、アリアスターには次回作が用意されているとの事です。太っ腹すぎにも程がありますね...。
散々突っ込みましたが、とっても面白い映画でした。← おい
ボーは人生に不安で畏れて困惑してる
不幸な母と息子の長い長い確執と決着を
描いてました。
ボーはいかにも被害者面をしていますが、この男の弱さは嫌らしい!!
中年過ぎなのに働かず、仕送りを受け、セラピーで薬を処方されている。
精神疾患に罹ったのも母親とのストレスだらけの
関係性のせいかもしれない。
そんなポーが何故か《帰郷すること》になる。
すると過度に緊張して、眠れなくなり、
妄想は募り、
ドアの下にはメモが差し込まれる、
「音量を下げろ!!」
ラジオもテレビも音楽も聴いていないのに、
そんなこんなで寝不足になり寝坊、
慌てて支度をして出かけると、
忘れ物を思い出し戻ると、荷物を持ち去られ、
鍵を盗まれる・・・
飛行機の時間に遅れて、途方に暮れてママに電話する。
ママは呆れ返って怒って電話を切る。
とことん反りの合わない親子。
お互いに不幸なこと・・・だ。
ボーは生まれた時から、母乳を飲まない赤ん坊だった、と
母親のモナは愚痴る。
それが母親が最初に傷付けた事。
(でももしかしたら、母乳にアレルギーがあったのかも知れない。)
そりゃあ、傷つきますよ、母親は。
私は困惑する
この長い長い【母への旅】は結局、羊水の宇宙へ帰っただけなのか?
兎にも角にも【回りくどい】映画でした。
母親がシャンデリアの下敷きになって死ぬ。
(ボーが帰郷を取りやめたと電話で話したすぐ後・・・)
そこから地球3周分くらいの回り道をして、
逃げ惑い困惑して、近付くほどに遠ざかり、
彷徨うボーの旅路(帰郷まで)
ラストの40分で、締めくくりのエンディングへ向かう。
その中間の2時間超えに母親との直接の確執は描かれない。
不思議な白日夢?
森の中のコミューンの舞台劇・・・
精神的疾患の人間の脳内構造で見る妄想(一部事実も含まれる)
ラストの2人の《本音のぶつけ合い》
屋根裏部屋の双子の兄弟や巨大な男根!!
これだってどこまでが事実か?
妄想なのか?
アリ・アスター監督は、
「みんな、どん底気分になればいいな」と、笑顔で発言。
私はどん底気分より、面白くもない身の上話を聞かされた気分。
人生には有益な回り道と無益な無駄話がある。
この映画は大いなる徒労感を感じる。
家族や人生と折り合えないボー・ワッサーマンの
冒険譚?
憤死?
羊水に還った?
ナポレオンより楽しそうに演じてましたね(笑)
月に8回ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好き。
なので専門的過ぎないライトな紹介を書いてます。
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最初っから最後まで、ま〜〜〜〜悪夢!の連続。
遠くの街に住むにお母さんから帰ってくるように電話があって
何とか飛行機のチケットを取って帰ろうとするボーなのだが、
家を出るようとすると何者かに部屋の鍵を盗まれ
出るに出られな状況になってしまう。
もとより家の外の世界は、ホームレスがまるでゾンビのように闊歩し
スキあらば何かを奪おうとするわ、部屋に入ろうとするわ
とにかく狂った世界観が、恐ろしいを通り越して
笑ってしまう悪夢的な世界。
常に何かに振り回されるボーは行く先々で
不穏で常軌を逸した物事に遭遇しさらに
憔悴してゆくのだけど〜〜〜
本当にこの先、ボーはどうなってしまうのか?
観るものの想像を遥かに超えてくる展開にあんぐりするしかありません。
ハマればめちゃくちゃ笑えるけど
乗り損なうと????の連続。
さて、あなたはどっちに転ぶでしょう〜〜〜。(笑)
でもほんと、ホアキン・フェニックスは楽しそうに演じてましたね。
ナポレオンがあんまり笑わない人キャラクターだからでしょうが
今作のボーはとんでも無い状況ながらもやってる本人は
何だか楽しそうでした。
アリアスターの魅力が満載。ストーリーを真面目に考えるのは後でいい。
ストーリーとしては分かりにくく、前作前々作と比べたら一般向けの映画からは遠ざかってしまったかも?
今作は基本的にカメラが主人公であるボーから離れず、時折一人称視点での映像が差し込まれるのでボーと一緒に冒険しているような気分を演出してくれる。(監督自身が映画を"体験"してほしいと語っている)
私達はボーと共に旅をした相棒、もしくはボー自身の立場で物語を体験することが出来るようになっており、ストーリーを深く考えるより彼のこだわりの演出や表現を探しながら観る方が私を含む大多数の人間にとっては楽しめると思う。
こういった表現はアリアスター独自のものなので、彼の持ち味を存分に発揮したこの映画を是非楽しんでほしい。
アリアスターの魅力は予想を裏切る展開と、意味不明な世界観、自分が映画を体験しているような臨場感だと思っているので、今作は今までで一番好きな作品だった。
性器の描写やカルト映画的な表現が出てくるので、カルト映画を好んで見る人なら違和感はないはず。
ストーリーに関しては視聴後にYouTubeで町山智浩先生の解説を見ることをお勧めします。
不安症がゆえの物語
不安症すぎるボーの妄想をぎゅっとした物語のように感じました。
ああなったらどうなるんだろう、こうなったらどうなるんだろうの妄想が可視化されて全体的に不愉快で、私はボーをおそれています。
お母さんが死んじゃったらどうしよう、薬局にあってる間に扉が開いたままだったらどうなるんだろう、事故に遭って運ばれた先が病院じゃなかったらどうしよう、お父さんが人間じゃなかったらどうなるんだろう、などなど、そもそも現実世界では家に出る前、お母さんの電話に出る前から何にも進んでないのではないかと思いました。
3時間にも及ぶ長尺の映画を初めて見たのが、この作品だったので、長い時間ずっと不愉快な気持ちになりました。
ホラーというより不条理コメディ
主人公ボー(ホアキン・フェニックス)が必死であればあるほど滑稽な不条理コメディ。
怪死した母のもとへ帰省しようとする男の「オデッセイ・スリラー」と題されていますが、ほとんどコメディです。
ホラーを期待して観る人はがっかりするかもしれません。この監督の過去作とは趣きが異なる作品だと思います。
章立ててシーンが大きく展開していきます。
冒頭のシーンがサイケデリックでぶっ飛んでいてめちゃくちゃ面白いです。この世界観で1本映画にしてみてほしいくらいです。
冒頭の勢いが良すぎたので中盤失速したようにも感じられました。
終盤は母子の関係に迫り、待っていましたというシーンがやってきます。ゾッとするような、心臓がギュッとなるようなスリルがあります。
冒頭から最後まで何から何までおかしいまま、納得できるような回答はない(と思う)ので、観る人は選びそうな気がします。
ボーが感じている世界、観ている世界を体感するような作品なのかなと思います。
それでいいんだよ、アリ・アスター
些細なことでも不安がる怖がりの中年男性、ボー。
彼にとって母親は特別な存在だった。
そんなある日、突然母親が怪死したという訃報を受けるボー。葬儀のためになんとか帰省しようとするのだが、様々な災難がボーを襲い……
全世界待望のアリ・アスター監督最新作。
不穏には不穏なんだけど、前2作とは明らかに毛色が違う。
母親からの圧迫、近隣住民からの嫌がらせ、薬を間違えて服用し、母親の怪死を知る。殺人鬼や謎の男に追い回され、ようやく治安の悪すぎる街を走って逃げ出したと思ったら車に轢かれる。保護されたと思ったらそこの娘にいじめられ、さらには殺人容疑でまた追われることに。森の劇団で癒され、父親らしき人物に出会ったと思ったら追手が合流し、阿鼻叫喚の地獄。現実でも夢の中でも悪夢を見続ける。
ようやく実家に着いたら葬儀は終わっており、初恋の人と再会して初めてセックスをするも彼女は腹上死、結局母親は生きており屋根裏部屋にぶち込まれる。そこには双子の兄弟と変わり果てた姿の父親が監禁されていて、脱出して母親を絞殺、逃げ出したら何故か裁判にかけられ、脱出した船は爆発し、ボーもろとも沈没して終了。
ストーリー内容文字起こしするだけで面白いし、あまりにも不憫で可哀想。
ここまで主人公いじめてる映画もあまりない。
今までのアリ・アスター映画って、鑑賞中に恐ろしさを体感して、鑑賞後の考察でさらにゾクっとするみたいな感じだったのだが、今作では本当に何もかもどうでも良くなる。
あまりにボーが可哀想なので途中までは笑っていいのか微妙だったけれど、ペニスお化けのお父さんが出てきた時点でこれは笑っていいやつだと思えた。
治安の悪すぎる街も、次々と降りかかる災難も全て心理状況が投影された幻想と思われる。
現実がとか悪夢がとかそういう話の前に、現代の寓話的な“おはなし”として観た方がいいのかもしれない。
いつもの「あの!ミッドサマーの!」の宣伝のせいでだいぶ期待外れだった人も多そう。
実際、観にきてたお客さんたちの反応が絵に描いたような苦笑いって感じで面白かった。
そりゃ爆破エンドからの静寂エンドロールは何も言えなくなるよな笑。
観客が求めるものはヘレディタリーのエグさとかミッドサマーのキモさなのかもしれないが、多分アリ・アスターがやりたいことってまさにこの映画詰まってるようなことなんじゃないだろうか。
アリ・アスターのオナニー映画。
それをお金払って観させてもらってるんだ、我々は。
実はこの脚本が10年以上前から練られていて、デビュー作の予定だったけどプロデューサーに「良いと思うけど、君は映画を作りたくないのか?」と言われて断念したってエピソード好きすぎる。
他人のオナニーなんてつまらないように、この映画の内容も正直つまらないけれど、映画ってものはやっぱり快楽物質が分泌されるわけで、この歪みまくった不条理な世界で哀れな主人公が惨めに死んでいく姿を見るだけでちょっと気持ちいいような、なんだか胸が苦しいような。
人の不幸は蜜の味。
この作品も君のことも、大好きだよ♡アリ・アスター。
やや中だるみしましたが楽しめました
めちゃくちゃ面白かった!酷評を多く見たので鑑賞を避けていたのですが、もっと早く観ればよかった。何食べてたらこんな映画作れるようになるんや、、と終始戸惑いっぱなし。母の死という、物語の中核というか大前提の部分が嘘でしたなんて、そんなのありかよ〜と思いつつ、まんまと裏切られて楽しかったです。
とにかく悲観的で自信がなく常に怯えているボウが情けない、、、誇りと責任を持って、自分で決断する人になろうと、自戒もこめて、思いました。
子どもの時よく迷子になった人は共感できると思う
ボーはやたら治安が悪い所に住んでいる。何の仕事してるんだろう?カウンセリング受けてるからお金はあるのかなあ。カウンセリングって効き目あるのかなあ。私は懐疑的だ。物語を勝手に作られてしまう気がする。記憶は記憶。特に家族に関する記憶に正しいも間違いもないと思う。整合性とか正誤なんかどうでもいいのが家族にまつわる記憶なんだと思う。自分に都合よく記憶は形成されるんだ。
迷子になると子どもは不安になるが、何度もそういう経験をすると迷子状態に慣れてくる。自分からデパートの然るべき所に行って「迷子になりました」と告げて自分の名前と年齢、母親の名前、住所などを言う。なぜ迷子になるのか?母親が子どもの手も繋がず振り向きもせず、満員のデパート地下フロアを先にどんどん歩むからだ。子どもにとって昔のデパ地下には夢のようなお菓子やディスプレイが山のようにあった。だから立ち止まりたい。そういう子どもの気持ちを母親はまるでわからず理解しようともしない。想像力の欠如。
迷子アナウンスが流れてしばらくすると鬼の形相の母親が来る。迷子になった子どもをやっと見つけて母親は嬉しい顔もしなければ心配してたんだよ、とも言わない。子どもだって母親の顔が心配とほっとした顔でなくて怒っていることは見てわかる。だから、自分も嬉しい顔もしないし泣かないしまして笑顔なんてありえない。なんで迷子になるのよ、ちゃんとついて来ないからでしょ、と言いながら母親は子どもをつねるのだ。
そんな子どもの頃の迷子話を大人になって母親にしても忘れている。か、忘れたふりをする。迷子話以外でもとにかくよくつねられた。夫や姑や舅との関係でイライラしていたんだろう。まだ20代の若い母親。かわいそうに。でも子どもの私もかわいそうだったのだ、と言いたい。
自分はこれこれのつもりなり意図をもって何か話したり行動するけれど、必ずしも親なり家族は同じように理解してくれるとは限らない。それは相手もそうだろう。自分だって親や家族や親戚のことを「正しく」理解しているとは限らない。だからボーは誤解されるのだ。誤解されるから不安でいっぱいになってしまうのだ。
不条理な不安でいっぱいのホアキンの顔、情けなくも笑うしかない。咆哮ばかりのメノーシェ、可哀想だけど笑えて仕方なかった、でもいい役だった!最後かっこいい!そしてボー " Mr. Wassermann" はその名にふさわしく水に戻った。
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