劇場公開日 2024年2月16日

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「マザコン映画監督の憂鬱」ボーはおそれている かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5マザコン映画監督の憂鬱

2024年9月30日
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アリ・アスターへのインタビューによると、はじめ本作のタイトルを『絶望大通り』にする予定だったそうだ。プールに浮かんだ死体、実家の豪勢な螺線階段、母親の息子ボーに対する過干渉などは、ビリー・ワイルダー監督の傑作スリラー『サンセット大通り』へのリファレンスと見て間違いないだろう。サイレントからトーキーへ時代の流れに取り残された大御所映画女優の(ツバメをコントロールする)狂気を描いた、いわば業界ネタ作品である。

本作には、メインストーリーにはほとんど関係のない、監督曰く“間奏”のようなパートが登場する。ボヘミアンたちが森の中の劇場で一夜限りの演劇を披露するのだが、(おそらく権力者である母親の差し金と思われる)そのストーリーがボー(ホアキン・フェニックス)のこれまでの生き様とこれからの将来を占っているかのような、自伝的内容なのである。このアリ・アスターという人、自分の暗い過去には口を閉ざしていて一切語ろうとしないのだが、子供時代母親に相当ひどいことをされたらしく処女作『ヘレディタリー』にもそれが反映されているそうなのだ。

「観客と舞台の垣根を取っ払いたいんだ」なんていうブレヒト的な台詞が劇中あったかに記憶しているのだが、監督ー映画ー観客の間に横たわる見えない壁を、観客の心の中にも必ずや潜んでいるであろう“家族に関するトラウマ”をネタに、取っ払おうとした映画のように思えるのだ。ラストシーン、観客が大勢見ている映画館のような空間で、弁護士の男に“母親を愛していること”を証明できなかったボーの乗ったボートが転覆、観客にも見捨てられそのまま放置されてしまう。映画愛を示し損ねた映画監督のように、生まれてこなければよかった子供は母の子宮内に沈められてしまうのだ。

まるで『トゥルーマン・ショー』のジム・キャリーのごとく、一挙手一投足のすべてを大金持ちである母親にこっそり見張られていたボーは、母親の過干渉がいまだトラウマになっているアリ・アスターの分身であり、予算・日程・キャスティングの全てを製作会社にガチガチに管理されている映画監督という職業そのものと≒とはいえないだろうか。『サンセット大通り』に出てきたフリッツ・ラング似の召使のような、ボーのカウンセリングを担当する医師が本作にも登場するのだが、母親=プロデューサーとつるんでいるスパイだったことが判明する。

本作の配給元であるA24はハリウッドからほっぽりだされた映画監督を拾い上げ再生することに定評のあるスタジオらしいが、いつなんどきハリウッドのビッグスタジオのように口やかましく横槍をはさんでくるようにならないとも限らないのである。アリ・アスターの言う“ANXIETY”とは、将来自分の撮りたい映画が自由に撮れなくなる、その一点につきるのではないだろうか。ビッグペ◯ス父さん?が屋根裏部屋に閉じこめられたように、それは映画業界から永久にパージされることへの“不安”に相違ない。

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かなり悪いオヤジ