PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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良く言えば静かな映画
特に事件が起きるわけでも、何かが解決するわけでも、だれかが成長するわけでも、伏線が回収されるわけでもない。
厳密にいえば事件が起きたり何かが解決したりだれかが成長しているのかもしれないが、観ている人間の想像力に委ねられる部分が大きい。
ここから何かが始まるのかな? と思わせておいて特に何も始まらなかったり、あとあと関係してくる人間かと思いきやその場限りの人物だったり、ルーティーン動画とか「かもめ食堂」を観たあとのような気分になった。
役所さんの演技をじっくり堪能したい人には良いかもしれない。
個人的な感想では役所さんはスマートでナイスダンディすぎるので、もっと苦み走った芝居のできる醜男で不器用そうな俳優ならもっとハマった気もする。
昭和の雰囲気がする主人公の住居や、淡々と過ぎていくささやかな日常を眺めるのは好きだが、映画館で観るほどではないかなと思ってしまった。
でも自宅のテレビで、大きなイベントのない映画を集中してみるのは難しい気もする。
日常が永遠に続く訳ではない⁈
驚くような事件は何も起こらないのだが、とても心に沁みる作品。やっぱりコロナ禍を経験した後だからこそか? (作品の企画、キッカケは2018年だったようですが…)
役所さんが演じる、淡々とルーチンな日々を送る公衆トイレ清掃員の平山。朝イチの缶コーヒーとカーステのカセットで流すお気に入りの音楽で一日のスイッチを入れ、黙々と清掃作業をこなし、ランチ休憩の境内で木漏れ日を写真に収め、銭湯の一番風呂に感謝し、その後に寄る安居酒屋での一杯に至福の表情を滲ませる。そして、アパートで好きな本を読みながら、せんべい布団で寝落ちする毎日。
そんな日々の中の些細な幸せ。偶然発見したまるバツゲームにちゃめっ気を出し、ホームレスのダンスに感嘆し、木の芽を見つけて大事に持ち帰り慈しむ。
この毎日こそが、パーフェクトデイズだった⁈
ところが、小波のように、同僚の若者が絡んだ小さないざこざがあったり、裕福な実妹の娘が家出して安アパートに訪ねてきたり、休日(休日だけ、腕時計する)のルーチンではあるが平山にはハレの空間の小料理屋の女将と元夫の再会に出くわす、なんて事が起きて…
それらが、平山の日常、そして感情を大きく揺さぶった事を、ラストに役所さんの素晴らしい表情の変化だけで描く。本当に見事なシーンでした。
でも、平山はその後またパーフェクトデイズに帰って行くのでしょう。
女将が常連客のギターに合わせて歌う曲、運転中や休日のアパートでカセットから流れる楽曲がどれも素晴らしかった! あと、浅草やきそば福ちゃん、久々に行きたくなりました!
新年早々に良い作品に出会えて感謝です。
とても味わい深いが、強烈な3D酔いが襲って来た。
iTunesかSpotifyでlou reed の"perfect day"を聴いてみて、好きだったら観ても良いですが、今一つなら観ない方が良いです。
あの曲を映像化したと言っても良い。淡々と始まり抑揚もなく、淡々と終わる。その世界観にしばし意識を浸せるかどうか。
被害者多数の様子でした(笑)。観客のお一人は「役所広司やからもっと面白いと思ったのに」と文句を言ってましたが、役所広司の動の演技を期待してたんでしょう。
敢えて言うと洋楽聴かない人(英語が堪能な人を除く)は楽しめないと思います。歌詞の意味のよく理解できない音楽を楽しめるか、雰囲気を楽しめるかなのかなと。
僕はと言えば楽しめました。この手の山もなければオチも無い映画はそういう楽しみがあるのは分かりますし、功成り名を遂げた巨匠の最新作(最近この手のマスターベーションにうんざりしてるもので…)ですが、映画としてとても丁寧に作られてるのがよく分かる。
個人的にはperfect dayよりもpale blue eyesがグッと来ましたが…。
が、後30分長ければ劇場を出てました。
あの揺らぎを表現した映像は「所謂3D酔い」を引き起こします。半分を過ぎた辺りから気持ち悪くなり出して、前半の単調な展開(後半も大差ないですけど」と相まって一時は限界寸前まで追い込まれました。その意味でも酔いに弱い人は避けた方が良いかなという感想でした。元々の評価は星4ですが、あの拷問のような綺麗な映像で星一つマイナスです(これは僕の完全な体質の話ですけど)。
それと、平山の生活は不可能でしょ…と日本居住者として思いました。あの立地で駐車場代幾らするのよと。実はあの付近の土地は平山の物だったりして…なんて変なことを考えてしまった。ファンタジーなのに、野暮な話ごめんなさい(笑)。
役所広司で成り立っている映画
映画をエンタメとして楽しみたいのであればこの作品はお勧めできない。アートっぽい作品とか好きな人はいいかもね。もう冒頭喋り出すまでが長すぎる。テンポも悪い。
結局なんなのかわからないオチ。そもそもオチもついてない。姪関連のシーンは良かったけど、最後のスナックの元旦那も出す必要あった??どうせだったらもっとあの人の過去とか家族関係をクローズアップして取り扱った方が面白かった。匂わすだけ匂わしといて出さないんかい父親。
役者たちの芝居は流石素晴らしかった。
演出も良かったけど、やはり脚本が私は気に入りませんでした。流石に過大評価かなー
不思議と眠たくならない
ただ淡々と…
平山(役所広司 )のなんの変哲もなく
過ぎ行く1日1日を
見て、感じて、溶け込み同化する感覚
流れる洋楽
mama(石川さゆり )の哀愁漂う歌
ラスト、平山の表情に物語の全てが
込められているようでグッと惹き込まれます。
冒頭2箇所めのトイレがとても印象的
聖地巡礼したくなります🚽🧻
缶コーヒーはBOSS
ネットどころかテレビもラジオも持たず裸電球と電気スタンド、タンスと布団と本とカセットテープ(70〜80年代の主に洋楽)、趣味のモミジの鉢植えくらいしか部屋にないミニマリストな主人公。外の箒の音で目覚め歯磨きと髭剃りをして専用車で仕事に行き林のある神社でコンビニのサンドイッチと牛乳の昼食、仕事が終わったら銭湯と行きつけの居酒屋に行き1日の終わりは読書。休日は濡らしてちぎった新聞紙(新聞を取っているようでもなかったが)を畳に撒いて箒で掃除しコインランドリーと古本屋とフィルムの現像を頼んでお気に入りの小料理屋に行く。我々の多くはこの真反対の生活をしていると思うが日本人は静謐な暮らしを送っているイメージなのかなと思いつつ。
頭の悪い同僚の若者に振り回されて金を貸すハメになったり、長年会っていなかった妹の娘が突然訪ねてきてしばらく同居したり、小料理屋のママが男性(元夫)と抱き合っているのを見てショックを受けたりといったハプニングがあるし、渋谷区内の公衆便所の清掃とは大変な仕事だと思うが、彼の平和な生活は続いていく。
姪とは明るく会話しているものの若者が片思いしている女の子とは殆ど口をきかないくらい無口。娘を引き取りに来た妹は運転手付きの生活をしている金持ちのようだし、彼自身知的なタイプだし、姪がいる時に寝ていた使っていない台所?のダンボールも過去に何かあったのだということを示しているが何かは明かされぬまま。
古いアパートで暮らすトイレ掃除の1人の生活は不幸せか幸せか、人が決めることではない。主人公は幸せそうだが、ラストの泣き笑いは、心のどこかに孤独を感じていたのではないか。
彼の慎ましい生活には、ルーティーンになっている自販機の缶コーヒー、コンビニのサンドイッチといった、別に彼のためにあるわけではないものにもよっている。いくらでも代わりはありそうな平凡なものでも、無くなってしまうと彼の幸せは狂ってくるかもしれないと思うと、こんなつましい生活からビジネス上の理由だけで彼のルーティーンを奪わないで欲しいものだと思った。
色んな役者が出てきたが、古本屋の犬山イヌコが良かったな。
それにしてもどの公衆便所もオシャレ。大昔に『東京トイレガイド』みたいな本がロッキンオンあたりから出版されていたのを思い出した。またクレジットでShibuya city となっており、23区はcity扱いなのだな。
初老の男性の生活を神話的な構造で描く
これはよかった。
初老の男の平凡な日常を神話的な構造で描くというアイデアに驚いた。
内容としては主人公の平山が公共トイレの掃除という仕事に従事する日々を淡々と描く。それだけだと退屈になりそうだが、本作ではジョゼフ・キャンベルの英雄譚のプロットをそのまま使っている。
朝、老婆が竹ぼうきで掃除をする音で平山は目覚める。これは冒険譚において主人公がミッションを命じられる過程にあたる。
身支度をととのえて、車で出発する。
日中はトイレ掃除をする。これがミッションに該当する。
一日働くと、帰宅して、浴場にいき、飲み屋で一杯やって帰る。ここはミッションを達成して報酬を獲得するパートになる。
本を読んで寝る。
寝た後に夢を見る。これはその日の出来事が反映された、あいまいなものが多い。走馬灯のような夢だ。
翌朝、竹ぼうきの音で目覚める。
基本的にはこの生活が繰り返される。
おもしろいのは、平山の動作が細かく描写されるのに、アパートの鍵はかけないところだ。車の鍵などはちゃんとかけるので、意図的に演出しているのだろう。
平山が住んでいるアパートは現実の場所ではなくて、抽象的な母胎に近い場なのではないか。そう考えると、鍵をかける必要はなくなってくる。
平山の動作についてつけくわえると、なにかを見上げるという動作が頻繁に出てくる。これは彼が底にいる人間だから見上げるのだろう。見上げるのはスカイツリーであったり、木であったりする。
本作は植物がよく出てくる。生命の象徴として扱われているだと思う。スカイツリーもその名の通り、ツリーとして扱われているのだろう。特にスカイツリーは世界の中心のような扱いで、平山の生活圏のどこからでも見える。
公共トイレが舞台になるのは、本作がユニクロの取締役が発案した「THE TOKYO TOILET」プロジェクトが発端となってできた映画だからだ。なぜ公共トイレを発案したかというと、トイレは誰もが使う場所であり、多様性にも通じるからだ。
トイレ掃除をしている時の平山は黒子に徹している。利用者が入ってくることもあるが、平山はほとんど存在しないものとして扱われる。多様性を維持するために身をささげる、というのが平山のミッションだともいえる。
そして、トイレ掃除といえば禅的な行為でもあり、彼の質素な生活を印象づける効果もある。
おもしろいのは、平山の生活というか動作のひとつひとつが細かく描写されるのに、彼はトイレにいかないのだ。排泄をしないわけはないので、彼が奉仕をする立場に徹しているという演出意図なのだろう。
本作はポール・オースターの小説「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」すなわち映画「スモーク」で、ハーヴェイ・カイテルが毎朝同じ時間に同じ場所で撮り続けた写真をアルバムにして、「同じ写真に見えるが、一枚一枚全然違うんだ」と語るエピソードを思い出させる。
人生は同じことの繰り返しのように見えるが、実際には日々違うのだ、というのが本作にも共通するメッセージだと思う。
製作費は不明。興行収入は2023年11月29日の段階で2億8千万円。あまり売れているとは言えないが、言うまでもなく批評家受けは良い。なにも考えずに楽しめる娯楽映画もよいが、本作のようなさまざまな解釈が成り立つ作品が作り続けられることを願っている。
何とも切ない映画
主人公の平山だけでなく登場人物全員やるせない気持ちを抱えながら生きている様子が伝わってくるが、あまり多くは語られない。各々それを噛み締めながら生きていて、それこそが人生なのだと痛感させられた。
質素な初老の男の日常映像に惹かれるのは、現代でありながら彼だけ過去に生きているかのような演出だからかも。4:3という珍しいアナログテレビ時代の画面比率、音楽もカセットで聞いているし、昔ながらの銭湯通いは何とも昭和的。
ラストシーン、平山は全然「feeling good」ではないと思う。ただ、そう自分に言い聞かせながら苦痛のなかを生きているだけなのではないだろうか…
一見、毎日穏やかに過ごしていて、そんなパーフェクトデイズな生き方に憧れるなぁ〜っと見せかけて、実は自身の罪を清算する刑務所の規則正しい生活のなか、小さな幸せを見出す囚人の映画のようでもあるなと感じた。
生活と労働、そして音楽は生きる悦び。
「何を幸せと感じるか?それはとても個人的なこと」そうヴェンダース監督、そして平山さんから教えられたような気持ちです。
主人公の平山さんは、親が期待したエリートの道から外れたようだ。道を外れた平山さんは、ひとつひとつ自分の胸に確かめながら、生活と労働を形づくってきた。仕事に欠かせないのは、現場への行き帰り、車の中で好きな音楽を聴くこと。 複雑な組織の人間関係から離れ、ひとり黙々と打ち込める仕事は、平山さんに合っている。汚れたトイレがきれいになれば、達成感もきっとある。嫌なことがあっても、木漏れ陽を見上げれば気持ちが晴れることにも、平山さんは気づいた。
生活の場は下町にある古い風呂なしアパート。家賃、4万ほどだろうか? 夜明けとともに目覚め、身支度し、自販機で飲み物を買って仕事へ出かける。仕事の帰りに銭湯で汗を流し、居酒屋で一杯かたむけながら、お腹を満たす。趣味は、自然に芽吹いた木の苗を持ち帰り、育てること。ぐっときた瞬間の写真を撮り、紙焼きした写真をストックすること。憧れのママがいるスナックでときどきお酒を飲み、ママの歌に触れること。古本屋で買った本を、寝る前に読むこと。
そんな繰り返しの日々を泡立たせるのは、いつも人間。木漏れ陽がそうであるように、毎日も二度とない瞬間の連続。過去を悔いたり、未来を憂うことなく、平山さんは、今ここにある瞬間を味わっている。時には動揺することもあるけれど、いつだって音楽が救ってくれる。
胸に迫るラストシーン。ニーナ・シモンの歌を聴きながら運転する平山さんは、何を見ていただろう? 家族の期待に応えられなかった過去だろうか。蘇った記憶に揺さぶられながらも、心の底から「これでいい」と、平山さんは感じているようだった。
映画館で席に座る前、まわりを見渡したら、初老の方が多かった。わたし自身も、その部類に入る。わたしは主婦で、パートで介護の仕事をしている。このところお金や時間、昔はあった体力さへも減ったと感じる。仕事も生活も「これでいいのか?」と思うことがある。知人の立派な仕事や生活、贅沢な趣味を垣間見ると、落ち込んでしまうこともある。お世辞にも、人間関係の舵取りが上手とは言えない。それなのに、増えすぎたモノや人間関係に、手を焼いている。
けれどこの映画を見て、平山さんに通じる幸せの片鱗が、わたしの暮らしにも散りばめられていることに気づいた。微笑みたくなるような気持ちは感じていたけれど、それが幸せそのものとは認められなかった。
早朝、仕事現場へ自転車で向かい、途中の神社で青空や木々を見上げ、澄んだ水に触れること。高齢の利用者さんと、他愛もないお喋りをしながら笑うこと。若い利用者さんと一緒に童謡を歌う楽しみ。便秘気味の利用者さんが、しっかりウンチしてくれた時の安堵感。
キッチンで音楽を流しながら食器を洗ったり、ベランダの植物を世話すること。洗濯物がパリパリに乾いた時の、お日様の匂い。ごはんや煮物が冬の日差しを浴びて、白い湯気を立ち昇らせている風景。
映画は、平山さんの幸せな日常を映すけれど、平山さん自身は幸せを語らない。人にわかってもらおうとしない。「それでいいの?」と問われても、口ごもるばかり。自分の胸が正直に、それを幸せと感じていればいいのだ。自分なりの労働や生活の幸せの片鱗を、平山さんはこつこつ拾い集めた。そして心から満たされている。
2024年の始まりは、痛ましい災害のニュースに溢れた。沈んだ気持ちの時、この映画に出会い、自然と心が開いた。この映画に対する批判もあるようだ。それもわかる。社会が混乱に陥った時、犠牲を強いられるのは、人々の日常だ。平山さんのささやかな幸せは、いとも簡単にかき消されてしまうだろう。だからこそ、守らなくてはならない。人々の生活に影響を与える立場の人こそ見てほしい。壊さないでほしい。
平山さんという存在が、わたしの心に刻まれたこと。素晴らしい贈り物です。
汚れてないトイレを掃除する世界
個人的には完全に夢物語のような感覚で観ておりました。映画自体は皆様が言う通り、退屈などない映画でした。
汚れてないトイレを高速を使って移動しながら何のトラブルもなく、掃除する仕事。あんなボロアパートながら静寂が保てる環境。ミニマリスト風なのに自転車は2台ある生活。昔の物なのに音が劣化しないテープ。多分老いもこれ以上進行しない腰痛も無い世界。
鑑賞後に、そもそも広告用短編映画だったと言う事を知って納得しました。こういう日々ならパーフェクトで、トイレもキレイに使ってもらえる世界なんですね。これはこれでありなのかもしれないですね。映画ですから!
日々の繰り返しとは何か
平山の1日が始まる、箒をはく音と目覚めのシーンの2回目以降から、日々の繰り返しとは喜びも悲しみも全てそのままに、何事も無かったように引き受けていくことだと感じた。言葉にすると当然のことではある。
その象徴がラストの平山の長いアップの表情だと思う。
あのシーンはこれまでの車内で音楽を聴くのと違い、唯一無二の音楽体験をしたという、この映画のテーマを表現しているが、私には実際の表情というより、象徴的に作られた表現に見えた。踊りと同じような。
人は他人に窺い知れない喜びや悲しみを心に秘めて日々の生活を送っている。
この映画はハリウッドの三幕構成ではなく、独立したエピソードの連作のようになっていて、エピソードごとの感情が、平山の夢のようなモノクロモンタージュや目覚めのシーンで一旦リセットされているように見える。その積み重ねが実際の日々の繰り返しを強く感じさせる。
日々の繰り返しは「儀式」だ。
仕事に向かう、飲み屋に向かう。そのため布団を上げ、身支度する。自販機で飲み物を調達する。
私と世界の意味を形として表している儀式なのだ。
この儀式は生活者として粛々と行われなければならない。
心の込められた儀式を通して私たちは奇跡を見ることができる。もし世界に意味が無いのなら、奇跡も無い。
木漏れ日に決して同じ形の無いことに感動することはないだろう。全ては虚無、偶然の産物だ。
生活の喜びや悲しみも無く、耐えられずに狂って死んでしまうか、あるいは大きな悲しみに遭った時、受け入れられず、立ち直れないだろう。
平山は彼の儀式を通して、奇跡を見ていたのだ。
それが監督の言う、商品ではないプロセス、経験なのかもしれない。
このような面白い映画を身近な浅草でとってもらえたことがとても嬉しい。
トイレ清掃の綺麗な面だけしか描かれていないという指摘があるが、私はそうは思わない。
同僚のセリフや周囲からの扱いの描かれ方だけで充分に思われる。そして、このストーリーをよく企画者が了承したと思う。この映画は偏見や差別も否定していない。
仮にそうした描写が無くても、私たちはトイレ清掃の大変さについて容易に想像がつくのではないか。
そうでなければ、どうして平山の苦しみに感情移入できるのだろう、あるいは彼の修行者のような笑みに感心できるだろう。
彼は言わば出家したシッダールタなのであって、ワーキングプアや独身を肯定するものではない。
コピーのこのように生きれたらという意味はこのように生きれないことを言っている。
ただ、ある一瞬とか、心持ちとしてそうあろうとすることは可能なのではないか。そういう道を示している。
もしこの映画に反物質主義の非現実的な欺瞞とかもやもやを感じるなら、それが私たちが精神と物質のある娑婆世界に生きている証なのだ。
そのような矛盾の中で目に見えない大切なものを求めて生きるのがこの世に生まれた修行なのである。
下町ジモティーの喜び
公開初日の鑑賞から既に二週間近く。年末年始に数本映画を観たけど、やはり本作の余韻が大きいので、あらためてレビューを書きます。
鑑賞前に見た予告編で「桜橋」やスカイツリーが出てくるので、渋谷のトイレプロジェクト絡みの話なのに何故?という疑問は映像を観始めて直ぐに氷解しました。常識的には毎日の首都高使っての車通勤は考えられないけど、ヴェンダース監督は下町と渋谷の対比で現代の東京を表現したかったのだね。
スカイツリーとの距離感や行きつけの銭湯「電気湯」が登場することから、平山さんの住所は墨田区押上3丁目近辺かと推測します(因みに私は2丁目)。帰宅後のルーティンとして電気湯の一番風呂に浸かり、桜橋を自転車で渡り、メトロ銀座線浅草駅改札横の焼きそば屋
でチューハイを嗜む日々。半径700㍍くらいの行動圏。休日のささやかな愉しみと云えば、古本屋での文庫本の仕込み(購入した本への女店主のひと言が至高)と裏観音辺りと思しきスナックでの一杯。さゆりママがリクエストで歌声を披露なんて・・そんな贅沢な店があったら誰でも行くわなぁ。ママに淡い恋心を抱く平山さんの前に元亭主(三浦友和)が突然現れ心ざわつくも、余命幾ばくも無い彼から「ママをよろしくお願いします」と云われ困惑。無心に二人で影踏みをするシーンには涙が出ました。
押上・向島・浅草界隈が随所に登場するので、錦糸町のシネコンでは終映後、ジモティー達は嬉しくなって拍手喝采でした。同じ下町周辺を山田洋次が『こんにちは、母さん』で撮っていたけど、余りに定型的で面白くなく、個人的にはドイツ人監督の感性の方がしっくり。
鑑賞した翌日だったか、NHK・BSで小津安二郎監督の遺作『秋刀魚の味』を偶然見たけど、ヴェンダース監督の行間ならぬ映像間を味わう楽しみとは、このことかと再認識しました。
評価は分かれるのでは。
平山のトイレ清掃の日常をただただ描くだけで、劇的な話はない。
それをつまらないと評価する人もいるだろうし、
ホントに言葉の少ない平山の表情を読み取りながら、裕福な家庭→父親の確執から一人で生きていくということを問う、という深い内容だと評価する人もいるだろう。
ただ、自分にはあまり響かなかったかな。
疑問点。
・父親との確執とはどんなものだったのか。トイレ掃除に至る大切なところだが描かれていない。
・途中何回も回想シーンのようなものがあったがそれは父親を思い出しているのか。
・影が濃くなるというのは何を意味しているのか。人生の深さ・重さなのか。
いろいろなことがある、それがパーフェクトデイズ。
日々挟まれる夢が、詩のような印象。
主人公がとて無口で日常においてほとんど語らないせいでもあるが、その夢は、同じような繰り返しに思える1日1日でも決して同じ一日はないということを思い出させる現実的な句点の役割も果たしていた。
公衆トイレ掃除が決して簡単なものではないだろうけれどそこは多くは語らず。
木漏れ日を見上げ、モミジの稚樹を、きちんと折りたたんで作った新聞の小箱に土ごと入れ(それも自分で購読しているのでなく、掃除に使う事務所の備品だろう)アパートの部屋に並べてきちんと水を吹きかける。仕事ぶりも仲間からそこまでしなくてもと言われるほど律儀で丁寧。ただ、仕事以外の生活の中では、強く大きな音を伴う、少し投げやりにも感じる動作ひとつひとつに、かつて持っていた力と失ったものの大きさを感じた。それにしても運転手付きの妹、健在な頃には会えなかったお父様。去る車を見送ることもできずうつむき慟哭する彼に、何があったのだろう。
繰り出される音楽と小説も平山のバックグラウンドを想像させる素敵なカードになっていた。
がんの転移によって自分の未来を諦めた三浦友和が、日常生活のいろいろを諦めたような男に、小さな責任を頼む。かげふみで寄り添おうとする平山。重なる影が濃くならないはずはない、というセリフは、さもない毎日を積み重ねている自分への言葉のよう。最後の長いクローズアップは、涙を流すようなこらえるような、悲しみと希望がせめぎ合うような。その場に居合わせた全ての観客は目を離せなかったはずだ。
無常の人生と不変の人間の本性、性格
カンヌ映画祭で役所広司が主演男優賞を受賞した作品なので2024年映画鑑賞初めとして鑑賞した。トイレ清掃員としてルーティン化された清貧生活を送る主人公の姿を通して、人生の無常と人間の不変性を浮き彫りにした秀作だった。
台詞を極力減らすことで、ドキュメンタリーのような、主人公の日常を切り取った雰囲気を出している。台詞の密度が高く意味深で人生訓のように心に響く。
本作の主人公は平山(役所広司)。彼は、東京でトイレ清掃員として寡黙で規則正しい毎日を過ごしていた。通勤時に車の中でお気に入りの音楽を聴き、常時携帯しているカメラで木漏れ日を取り、休日に買った古本を読み、馴染みのスナックでママ(石川さゆり)と何気ない会話を交わし、彼の毎日は小さな喜びに満たされていた・・・。
平山は過去を捨てて清貧生活を始めた。彼の過去は謎だが、姪と、母親=平山の妹の登場&台詞で、かなり裕福な環境にいたこと、父親と確執があったことが推察できる。経済的環境の激変は精神的にかなり厳しい。しかし、冒頭から平山の表情に気負い悲壮感はない。自然体であり開放感がある。父親との確執の壮絶さを物語っている。
故に彼は父親の件を踏まえ、濃密な人間関係を避け寡黙になる。最小限の人間と最小限の会話を交わし最小限の人間関係を作り人間関係の長所を捨て短所を消そうとする。暫くの間、この彼の思惑は成功し細やかながら満たされていく。
しかし、親族の登場で小波が起こる。そして、相棒の若手社員(柄本時生)の突然退社、スナックのママの元夫・友山(三浦友和)の登場で、平山の思惑、頑なに守ってきたルーティンは崩れる。
“結局、変わんないですよね”という友山の台詞が心に強く残る。人生は無常だが、人間の本性、性格は変わらない。人間は無常の人生を変わらぬ性格で生きていく。その辛さをラストシーンで役所広司が泣き笑いだけで表現している。
本作はフィクションだが、平山の人生の好転を祈らずにはいられない名演技だった。
PERFECT DAYS感想文
主人公平山のいち日を何度も繰り返し繰り返し観る映画。
休日以外は毎日同じ繰り返し、休日も毎回同じ繰り返し。
でもおもしろい。
平山の過去は父親と何かあったんだろうと匂わせるくらいでそれ以上は語られないけどそこがいい。
役所広司すごく良いけどイケオジだから不自然。
平山と同じ境遇でもあれなら彼女2〜3人くらいいるだろ。
あと、「こんなふうに生きていけたなら」ってキャッチコピーはクソセンスないね。
まぁとにかくおもしろかった。
でもこれをサブスクで観たいとは思わないなぁ。
映画館で観ないと意味ないでしょ。
2023年最後の映画館での映画鑑賞。
2023年最後の映画館での映画鑑賞。渋谷区在住だし、17あるデザイントイレの2つにはお世話になったこともあるし、家内も観たいと言っていたので2人で行ってみた。ヴェンダースは40年前僕が大学生だった頃既に大物監督と言われていたのでまだ現役だったことに驚いた。映像は彼の作品らしさを感じることができた。台詞とかエピソードはあまりに日本的なのでとてもヴェンダースの考えとは思えず、恐らくは共同で脚本を書いた日本人によりものなのだろう。役所広司の演技は流石だし(姪役の女の子も良かった)、良い映画だとは思うが、絶賛されるほどか?とも思う。主人公が今のような状態になるまでどういう人生を送ってきたのか、親との関係はどうなのか?自分の家族を持ったことはないのか?色々疑問に思うが全て観る人のイマジネーションに委ねるというのは少し無責任と思うのだが?今まで以上に公衆トイレを綺麗に使おう、と思った。
カンヌ映画祭の男優賞受賞作品です。(((o(*゚▽゚*)o)))♡。
本日TOHOシネマズシャンテにつ鑑賞しました。
カンヌ映画際の男優賞を役所広司が受賞したので楽しみにしてました。
ここからネタバレをします。
前半は、淡々と東京の渋谷のトイレ🚽
掃除🧹🧼のシーンがありますが、
これはこれでお尻洗いのノズル洗うシーンなんか感心しました。
テーマは、木漏れ日でした。
姪っ子、仕事仲間、音楽、古本、カセットテープ、フィルムカメラ、写真、植物🪴、
飲み屋、etcを通して、
人生は、溢れ日のように揺れながら時間が過ぎて行きます。
正直わからないところもありました。
(>_<)🥹🥲😆。
新聞紙を濡らして畳の上にまき
掃除するシーン。
カセットテープ。
陰ふみ、マルバツゲームなど懐かしいシーンが良かったです。
音楽に関しては、、、ごめんなさい🙏🙇♀️
でした。
今回は、なんと言っても
三浦友和、など出演者が素晴らしい方
ばかりで感心してしまいました。
٩(^‿^)۶。
この映画の関係者の皆様お疲れ様です!!
ありがとございます。
(((o(*゚▽゚*)o)))♡🤗。
言わずもがながまかり通る
朝、道を掃く篲の音で目が覚める。起き上がり準備をして仕事に出る。寝る前に読む古書と、カセットテープから流れる音楽に心をみたし、木漏れ日のような陰影と微睡みを浮かべて眠りにつく。当然同じじゃない毎日を同じように生活する無口な主人公、その想いは見る人によって言わずもがな。。。
ここ最近みた物の中にはあえて視聴者に問いかけるような、想像におまかせします的な省き方(省いてるように感じる)が見られて逆に入れなかったが、今作品は何も言わなくてもただじんわり入り込んでくる。語彙力がないのでこれ以上表現出来ないが、これが監督の違いなのか、国の違いなのか分からないが、非常に良かった。
ただ賛否別れるかな?
自分は凄く面白かったです。
役所広司凄い‼️
ありふれた日常の中から、美しさや些細な幸せを見出だして、PERFECTな一日一日を
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さて、2024年一本目。
本当は昨年中に観ようと思っていたのですが、仕事や休みは年末年始の雑務などで都合が付かず。正月休みにゆっくり観ようかと。
元日劇場は久しぶり。小さい頃は元日劇場は毎年恒例でした。(平成ゴジラvsシリーズなんかを)
昨夜は紅白などを見て(ポケビ&ブラピが良かった!)少し夜更かししましたが、頑張って早起きして正月の気分を感じつつ、隣町の映画館まで行ってきました。
静かながらもしみじみ染み入る“日本映画”の作風が正月にぴったりでした。
日本人が撮ってこその日本映画。それは勿論。
しかし時に、外国人が撮って改めて知る日本もある。例えば、リドリー・スコットが『ブラック・レイン』で撮った大阪のネオンギラギラのインパクトなんて、日本人だったら普通撮らないだろう。
本作は外国人から見た異色の日本ではなく、日本のありふれた光景や日常を美しく浮かび上がらせる。まるで小津安二郎監督のように。
それもその筈。本作の監督は、ヴィム・ヴェンダース。
言わずと知れたドイツの名匠。日本映画に造詣が深く、殊に小津敬愛者。
そんなドイツ人監督が描く、日本。
これが何の違和感もないほどの日本映画になっている。周りの日本人スタッフのバックアップもあっただろうが。
異国の街の片隅の、一人の男の日々の営みを見事描いている。
独り身の中年男性、平山。
朝早く起床。綺麗に布団を畳む。
歯磨き、髭剃り。植物に水をやる。
出勤の準備。着替え、用具、決められた所に置いた鍵や小銭を持って。
二階建ての古いアパート。目の前の自動販売機から缶コーヒーを一本買って飲んでから、車を走らす。
車内では必ずカセットで主に洋楽の懐メロを流す。
仕事はトイレ清掃員。東京都内の公衆トイレを幾つか周り、綺麗にする。
仕事ぶりは言わずもがな。実直、真面目、几帳面。便座の裏とか縁の陰とかウォシュレットのノズルとか、そんな所まで!?…って所まで丁寧に磨く。
黙々と。一切無駄がない。
仕事ぶりから分かるように、寡黙。無口。
でも、頑固で気難しい性格ではないようだ。
トイレに一人でいた子供に声を掛ける。ちなみに平山の第一声はこのシーン。その優しさにじんわりした。
トイレの使い方が分からない外国人に仕草で教える。
一方的に喋る若い後輩とも全く会話はないが、慕われてはいるようだ。柄本時生が演じるこのいい加減な青年が絶妙なウザさ。
昼休憩。コンビニで主にサンドイッチ。
仕事は夕方前には終わり、家に帰ると今度は自転車で近くの銭湯へ。
その帰り。駅地下商店街の古びた居酒屋でいつもの。
夜。就寝前に読書。
こうして一日が終わり、また一日が始まる。巻き戻したような同じ一日が。
端から見れば、何と特色も楽しみも面白味もない平淡過ぎる毎日。
休みの日も決まっている。行く所は、写真屋~古本屋~コインランドリー~行きつけの飲み屋。美人ママが“平等に”相手してくれる。
でも私、この平山さんの日常が分かる気がする。
自分の決めた日々のルーティンを崩したくない。違う事すると、何かちょっと調子が狂う…。
私もほぼ決まったルーティン。日々の仕事、休みの日の過ごし方(映画鑑賞)。たまの発散も時にはあるけど、基本変わらない。
平山さんも趣味はある。読書。カセット。カメラ。昼休憩の時、よく木々を撮る。苗木なんかを持ち帰り、育てる。
外国のありふれた日常がどんなものか分からないが(それともあまり変わりはない…?)、日本や日本人の…と言うより、誰の身にも置き換えられる人一人の何気ない日常。
その決め細やかさが秀逸。
それを体現したのは、言うまでもない。日本が世界に誇る名優。
本当に役所広司には、いつもいつも驚かされる。一体、幾つ引き出しを持っているのか。
数々の名作での名演。シリアスや自然体含め。
三谷作品なんかでは真面目そうな雰囲気が生み出す抜群のユーモア。
ダークな役だって。『孤狼の血』での荒々しさ、激しさ。
個人的近年ベストは『すばらしき世界』。
アニメ映画の声優も上手く、昨年は話題になったTVドラマ『VIVANT』で圧倒的存在感。
しかしそこにもう一つ、代表作と名演が加わった。
まるで役所広司に当て書きされたような平山という男。
本当に人柄や性格が滲み出る。と言うかこれは、役所広司のドキュメンタリーを見ているのか…?
本作での役所広司の台詞量はどれくらいだったろう。だが演技は、台詞を覚えて喋るより仕草一つ表情一つの表現の方が難しいと聞く。
あのラストシーンを始め、役所広司は本作で、演技をすると言うより、人一人を生きるという事を魅せてくれた。
トイレ清掃員という仕事への着眼点。
何でもヴェンダースが日本に来て、日本のトイレの素晴らしさ、心を込めて綺麗にする清掃員に感嘆したとか。
日々、当たり前のように使う日本人の我々こそ気付くべき。
印象的なシーンも。トイレに一人でいた子供とのエピソード。すぐ母親が来て、“トイレ清掃員”と握っていた子供の手を拭き、礼も言わない。トイレ清掃員って、こんなにも“汚い”と思われているのか…?
そんな私はどうだ? トイレのみならず清掃員やバキュームカーとか。職業差別ではないが、ハッとさせられる描写だった。
でも、親切にされた子供は忘れない。手を振る。優しきその人も笑みを浮かべて手を振り返す。
にしても、東京の公衆トイレには驚き!
お洒落な内装。極め付けは、普段はスケルトンだが入ってドアを閉めて鍵を掛けると中が見えなくなるあのトイレ…! 本当にあるんですか…?
トイレだけじゃない。我々が気付かぬ日本、東京という街の美しさ。
そびえ立つスカイツリー、橋やマンション街、その夜景。
その一方、住宅街や路地裏。昔から変わらぬ風景が今も残っている。
そんな大都会にもある自然。
すぐ身近に、こんなにも美しい風景がある。
やっぱり日本人の我々が気付かないだけで、外国人から見たら日本って美しいんだなぁ…。
気付かせてくれて、ありがとうございます、ヴェンダース監督!
私も住んでる周りから見つけてみよう。
美しいのは風景だけじゃない。
美徳。心。
平山さんの人となり。
ウザい後輩だが、知能障害の幼馴染みへのナチュラルな接し。
平山さんの微笑みが語っている。案外いい奴じゃないか。
その後輩がモーション掛けている若い女性。見た目は今時ながら、カセットからの音楽を気に入る。ちゃんと平山に返す。
馴染みの店、顔馴染みの人たちとの何気ない交流。
ある時姪っ子が転がり込んでくる。何か訳あり…。やがておじと過ごす内に…。
○✕ゲーム。
終盤、ある人物と影踏み。中年男二人で子供のように。
それら一つ一つが静かに心に響く。
まるで平淡な日常から些細な幸せを見出だすかのように、私もこの作品から些細ながらも温かい幸せを見出だしていた。
本当に人生はそうだ。
私にだって欲はある。宝くじが当たって、いい家に引っ越して、豪華な旅行して、美味しいものを食べて、悠々自適に暮らしたい…。
その一方、今のこの平淡な日常から些細な幸せを感じる時も。
それが感じられた時、しみじみと充実や満足が心や身体を包み込む。
人間って不思議。両極端の望みや幸せがあるのに…。
どちらが本当に幸せか…? それはその人だけの感じ方。
見てて、『男はつらいよ』の中からのある台詞が自然と浮かんだ。
ああ、生きてて良かったなぁ…と思う事何べんもあるだろ。その為に生きてるんじゃないか。
平山さんにだって不満や悲しみや切なさある筈だ。
私にだって。皆さんにだって。
こんな日の当たらない陰みたいな人生…。
本作、陰/影が印象的な描写を残す。
平山さんはトイレの“陰”まで綺麗に清掃する。
小説の中の“陰”という言葉。
よく夢で見る幻影。
影踏み。
陰が薄いとか、存在感がないなんて言葉がある。
断じてそんな事はない。
私たちは一人一人、存在している。生きている。光と陰を持って。
変わらぬ毎日…? いや少なからず、毎日何かが違う。
だから毎日毎日が美しい。
その一つ一つ、一コマ一コマ。
一瞬一瞬の美しさ。木漏れ日のように。
新年一発目、いい映画を見た。これも幸せ。
是非とも、米アカデミー賞(国際長編映画賞や願わくば役所広司の主演男優賞)にノミネートされて欲しい。
私や皆々様にとって、2024年が一日一日、“PERFECT DAYS”になりますよう。“PERFECT YEAR”になりますよう。
追記。
…と思っていたら、新年早々大地震が…。
東日本大震災以来の地震、津波、惨状に衝撃…。
命だけ充分守って下さい!
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