PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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初老の男性の生活を神話的な構造で描く
これはよかった。
初老の男の平凡な日常を神話的な構造で描くというアイデアに驚いた。
内容としては主人公の平山が公共トイレの掃除という仕事に従事する日々を淡々と描く。それだけだと退屈になりそうだが、本作ではジョゼフ・キャンベルの英雄譚のプロットをそのまま使っている。
朝、老婆が竹ぼうきで掃除をする音で平山は目覚める。これは冒険譚において主人公がミッションを命じられる過程にあたる。
身支度をととのえて、車で出発する。
日中はトイレ掃除をする。これがミッションに該当する。
一日働くと、帰宅して、浴場にいき、飲み屋で一杯やって帰る。ここはミッションを達成して報酬を獲得するパートになる。
本を読んで寝る。
寝た後に夢を見る。これはその日の出来事が反映された、あいまいなものが多い。走馬灯のような夢だ。
翌朝、竹ぼうきの音で目覚める。
基本的にはこの生活が繰り返される。
おもしろいのは、平山の動作が細かく描写されるのに、アパートの鍵はかけないところだ。車の鍵などはちゃんとかけるので、意図的に演出しているのだろう。
平山が住んでいるアパートは現実の場所ではなくて、抽象的な母胎に近い場なのではないか。そう考えると、鍵をかける必要はなくなってくる。
平山の動作についてつけくわえると、なにかを見上げるという動作が頻繁に出てくる。これは彼が底にいる人間だから見上げるのだろう。見上げるのはスカイツリーであったり、木であったりする。
本作は植物がよく出てくる。生命の象徴として扱われているだと思う。スカイツリーもその名の通り、ツリーとして扱われているのだろう。特にスカイツリーは世界の中心のような扱いで、平山の生活圏のどこからでも見える。
公共トイレが舞台になるのは、本作がユニクロの取締役が発案した「THE TOKYO TOILET」プロジェクトが発端となってできた映画だからだ。なぜ公共トイレを発案したかというと、トイレは誰もが使う場所であり、多様性にも通じるからだ。
トイレ掃除をしている時の平山は黒子に徹している。利用者が入ってくることもあるが、平山はほとんど存在しないものとして扱われる。多様性を維持するために身をささげる、というのが平山のミッションだともいえる。
そして、トイレ掃除といえば禅的な行為でもあり、彼の質素な生活を印象づける効果もある。
おもしろいのは、平山の生活というか動作のひとつひとつが細かく描写されるのに、彼はトイレにいかないのだ。排泄をしないわけはないので、彼が奉仕をする立場に徹しているという演出意図なのだろう。
本作はポール・オースターの小説「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」すなわち映画「スモーク」で、ハーヴェイ・カイテルが毎朝同じ時間に同じ場所で撮り続けた写真をアルバムにして、「同じ写真に見えるが、一枚一枚全然違うんだ」と語るエピソードを思い出させる。
人生は同じことの繰り返しのように見えるが、実際には日々違うのだ、というのが本作にも共通するメッセージだと思う。
製作費は不明。興行収入は2023年11月29日の段階で2億8千万円。あまり売れているとは言えないが、言うまでもなく批評家受けは良い。なにも考えずに楽しめる娯楽映画もよいが、本作のようなさまざまな解釈が成り立つ作品が作り続けられることを願っている。
何とも切ない映画
主人公の平山だけでなく登場人物全員やるせない気持ちを抱えながら生きている様子が伝わってくるが、あまり多くは語られない。各々それを噛み締めながら生きていて、それこそが人生なのだと痛感させられた。
質素な初老の男の日常映像に惹かれるのは、現代でありながら彼だけ過去に生きているかのような演出だからかも。4:3という珍しいアナログテレビ時代の画面比率、音楽もカセットで聞いているし、昔ながらの銭湯通いは何とも昭和的。
ラストシーン、平山は全然「feeling good」ではないと思う。ただ、そう自分に言い聞かせながら苦痛のなかを生きているだけなのではないだろうか…
一見、毎日穏やかに過ごしていて、そんなパーフェクトデイズな生き方に憧れるなぁ〜っと見せかけて、実は自身の罪を清算する刑務所の規則正しい生活のなか、小さな幸せを見出す囚人の映画のようでもあるなと感じた。
生活と労働、そして音楽は生きる悦び。
「何を幸せと感じるか?それはとても個人的なこと」そうヴェンダース監督、そして平山さんから教えられたような気持ちです。
主人公の平山さんは、親が期待したエリートの道から外れたようだ。道を外れた平山さんは、ひとつひとつ自分の胸に確かめながら、生活と労働を形づくってきた。仕事に欠かせないのは、現場への行き帰り、車の中で好きな音楽を聴くこと。 複雑な組織の人間関係から離れ、ひとり黙々と打ち込める仕事は、平山さんに合っている。汚れたトイレがきれいになれば、達成感もきっとある。嫌なことがあっても、木漏れ陽を見上げれば気持ちが晴れることにも、平山さんは気づいた。
生活の場は下町にある古い風呂なしアパート。家賃、4万ほどだろうか? 夜明けとともに目覚め、身支度し、自販機で飲み物を買って仕事へ出かける。仕事の帰りに銭湯で汗を流し、居酒屋で一杯かたむけながら、お腹を満たす。趣味は、自然に芽吹いた木の苗を持ち帰り、育てること。ぐっときた瞬間の写真を撮り、紙焼きした写真をストックすること。憧れのママがいるスナックでときどきお酒を飲み、ママの歌に触れること。古本屋で買った本を、寝る前に読むこと。
そんな繰り返しの日々を泡立たせるのは、いつも人間。木漏れ陽がそうであるように、毎日も二度とない瞬間の連続。過去を悔いたり、未来を憂うことなく、平山さんは、今ここにある瞬間を味わっている。時には動揺することもあるけれど、いつだって音楽が救ってくれる。
胸に迫るラストシーン。ニーナ・シモンの歌を聴きながら運転する平山さんは、何を見ていただろう? 家族の期待に応えられなかった過去だろうか。蘇った記憶に揺さぶられながらも、心の底から「これでいい」と、平山さんは感じているようだった。
映画館で席に座る前、まわりを見渡したら、初老の方が多かった。わたし自身も、その部類に入る。わたしは主婦で、パートで介護の仕事をしている。このところお金や時間、昔はあった体力さへも減ったと感じる。仕事も生活も「これでいいのか?」と思うことがある。知人の立派な仕事や生活、贅沢な趣味を垣間見ると、落ち込んでしまうこともある。お世辞にも、人間関係の舵取りが上手とは言えない。それなのに、増えすぎたモノや人間関係に、手を焼いている。
けれどこの映画を見て、平山さんに通じる幸せの片鱗が、わたしの暮らしにも散りばめられていることに気づいた。微笑みたくなるような気持ちは感じていたけれど、それが幸せそのものとは認められなかった。
早朝、仕事現場へ自転車で向かい、途中の神社で青空や木々を見上げ、澄んだ水に触れること。高齢の利用者さんと、他愛もないお喋りをしながら笑うこと。若い利用者さんと一緒に童謡を歌う楽しみ。便秘気味の利用者さんが、しっかりウンチしてくれた時の安堵感。
キッチンで音楽を流しながら食器を洗ったり、ベランダの植物を世話すること。洗濯物がパリパリに乾いた時の、お日様の匂い。ごはんや煮物が冬の日差しを浴びて、白い湯気を立ち昇らせている風景。
映画は、平山さんの幸せな日常を映すけれど、平山さん自身は幸せを語らない。人にわかってもらおうとしない。「それでいいの?」と問われても、口ごもるばかり。自分の胸が正直に、それを幸せと感じていればいいのだ。自分なりの労働や生活の幸せの片鱗を、平山さんはこつこつ拾い集めた。そして心から満たされている。
2024年の始まりは、痛ましい災害のニュースに溢れた。沈んだ気持ちの時、この映画に出会い、自然と心が開いた。この映画に対する批判もあるようだ。それもわかる。社会が混乱に陥った時、犠牲を強いられるのは、人々の日常だ。平山さんのささやかな幸せは、いとも簡単にかき消されてしまうだろう。だからこそ、守らなくてはならない。人々の生活に影響を与える立場の人こそ見てほしい。壊さないでほしい。
平山さんという存在が、わたしの心に刻まれたこと。素晴らしい贈り物です。
汚れてないトイレを掃除する世界
個人的には完全に夢物語のような感覚で観ておりました。映画自体は皆様が言う通り、退屈などない映画でした。
汚れてないトイレを高速を使って移動しながら何のトラブルもなく、掃除する仕事。あんなボロアパートながら静寂が保てる環境。ミニマリスト風なのに自転車は2台ある生活。昔の物なのに音が劣化しないテープ。多分老いもこれ以上進行しない腰痛も無い世界。
鑑賞後に、そもそも広告用短編映画だったと言う事を知って納得しました。こういう日々ならパーフェクトで、トイレもキレイに使ってもらえる世界なんですね。これはこれでありなのかもしれないですね。映画ですから!
日々の繰り返しとは何か
平山の1日が始まる、箒をはく音と目覚めのシーンの2回目以降から、日々の繰り返しとは喜びも悲しみも全てそのままに、何事も無かったように引き受けていくことだと感じた。言葉にすると当然のことではある。
その象徴がラストの平山の長いアップの表情だと思う。
あのシーンはこれまでの車内で音楽を聴くのと違い、唯一無二の音楽体験をしたという、この映画のテーマを表現しているが、私には実際の表情というより、象徴的に作られた表現に見えた。踊りと同じような。
人は他人に窺い知れない喜びや悲しみを心に秘めて日々の生活を送っている。
この映画はハリウッドの三幕構成ではなく、独立したエピソードの連作のようになっていて、エピソードごとの感情が、平山の夢のようなモノクロモンタージュや目覚めのシーンで一旦リセットされているように見える。その積み重ねが実際の日々の繰り返しを強く感じさせる。
日々の繰り返しは「儀式」だ。
仕事に向かう、飲み屋に向かう。そのため布団を上げ、身支度する。自販機で飲み物を調達する。
私と世界の意味を形として表している儀式なのだ。
この儀式は生活者として粛々と行われなければならない。
心の込められた儀式を通して私たちは奇跡を見ることができる。もし世界に意味が無いのなら、奇跡も無い。
木漏れ日に決して同じ形の無いことに感動することはないだろう。全ては虚無、偶然の産物だ。
生活の喜びや悲しみも無く、耐えられずに狂って死んでしまうか、あるいは大きな悲しみに遭った時、受け入れられず、立ち直れないだろう。
平山は彼の儀式を通して、奇跡を見ていたのだ。
それが監督の言う、商品ではないプロセス、経験なのかもしれない。
このような面白い映画を身近な浅草でとってもらえたことがとても嬉しい。
トイレ清掃の綺麗な面だけしか描かれていないという指摘があるが、私はそうは思わない。
同僚のセリフや周囲からの扱いの描かれ方だけで充分に思われる。そして、このストーリーをよく企画者が了承したと思う。この映画は偏見や差別も否定していない。
仮にそうした描写が無くても、私たちはトイレ清掃の大変さについて容易に想像がつくのではないか。
そうでなければ、どうして平山の苦しみに感情移入できるのだろう、あるいは彼の修行者のような笑みに感心できるだろう。
彼は言わば出家したシッダールタなのであって、ワーキングプアや独身を肯定するものではない。
コピーのこのように生きれたらという意味はこのように生きれないことを言っている。
ただ、ある一瞬とか、心持ちとしてそうあろうとすることは可能なのではないか。そういう道を示している。
もしこの映画に反物質主義の非現実的な欺瞞とかもやもやを感じるなら、それが私たちが精神と物質のある娑婆世界に生きている証なのだ。
そのような矛盾の中で目に見えない大切なものを求めて生きるのがこの世に生まれた修行なのである。
下町ジモティーの喜び
公開初日の鑑賞から既に二週間近く。年末年始に数本映画を観たけど、やはり本作の余韻が大きいので、あらためてレビューを書きます。
鑑賞前に見た予告編で「桜橋」やスカイツリーが出てくるので、渋谷のトイレプロジェクト絡みの話なのに何故?という疑問は映像を観始めて直ぐに氷解しました。常識的には毎日の首都高使っての車通勤は考えられないけど、ヴェンダース監督は下町と渋谷の対比で現代の東京を表現したかったのだね。
スカイツリーとの距離感や行きつけの銭湯「電気湯」が登場することから、平山さんの住所は墨田区押上3丁目近辺かと推測します(因みに私は2丁目)。帰宅後のルーティンとして電気湯の一番風呂に浸かり、桜橋を自転車で渡り、メトロ銀座線浅草駅改札横の焼きそば屋
でチューハイを嗜む日々。半径700㍍くらいの行動圏。休日のささやかな愉しみと云えば、古本屋での文庫本の仕込み(購入した本への女店主のひと言が至高)と裏観音辺りと思しきスナックでの一杯。さゆりママがリクエストで歌声を披露なんて・・そんな贅沢な店があったら誰でも行くわなぁ。ママに淡い恋心を抱く平山さんの前に元亭主(三浦友和)が突然現れ心ざわつくも、余命幾ばくも無い彼から「ママをよろしくお願いします」と云われ困惑。無心に二人で影踏みをするシーンには涙が出ました。
押上・向島・浅草界隈が随所に登場するので、錦糸町のシネコンでは終映後、ジモティー達は嬉しくなって拍手喝采でした。同じ下町周辺を山田洋次が『こんにちは、母さん』で撮っていたけど、余りに定型的で面白くなく、個人的にはドイツ人監督の感性の方がしっくり。
鑑賞した翌日だったか、NHK・BSで小津安二郎監督の遺作『秋刀魚の味』を偶然見たけど、ヴェンダース監督の行間ならぬ映像間を味わう楽しみとは、このことかと再認識しました。
評価は分かれるのでは。
平山のトイレ清掃の日常をただただ描くだけで、劇的な話はない。
それをつまらないと評価する人もいるだろうし、
ホントに言葉の少ない平山の表情を読み取りながら、裕福な家庭→父親の確執から一人で生きていくということを問う、という深い内容だと評価する人もいるだろう。
ただ、自分にはあまり響かなかったかな。
疑問点。
・父親との確執とはどんなものだったのか。トイレ掃除に至る大切なところだが描かれていない。
・途中何回も回想シーンのようなものがあったがそれは父親を思い出しているのか。
・影が濃くなるというのは何を意味しているのか。人生の深さ・重さなのか。
いろいろなことがある、それがパーフェクトデイズ。
日々挟まれる夢が、詩のような印象。
主人公がとて無口で日常においてほとんど語らないせいでもあるが、その夢は、同じような繰り返しに思える1日1日でも決して同じ一日はないということを思い出させる現実的な句点の役割も果たしていた。
公衆トイレ掃除が決して簡単なものではないだろうけれどそこは多くは語らず。
木漏れ日を見上げ、モミジの稚樹を、きちんと折りたたんで作った新聞の小箱に土ごと入れ(それも自分で購読しているのでなく、掃除に使う事務所の備品だろう)アパートの部屋に並べてきちんと水を吹きかける。仕事ぶりも仲間からそこまでしなくてもと言われるほど律儀で丁寧。ただ、仕事以外の生活の中では、強く大きな音を伴う、少し投げやりにも感じる動作ひとつひとつに、かつて持っていた力と失ったものの大きさを感じた。それにしても運転手付きの妹、健在な頃には会えなかったお父様。去る車を見送ることもできずうつむき慟哭する彼に、何があったのだろう。
繰り出される音楽と小説も平山のバックグラウンドを想像させる素敵なカードになっていた。
がんの転移によって自分の未来を諦めた三浦友和が、日常生活のいろいろを諦めたような男に、小さな責任を頼む。かげふみで寄り添おうとする平山。重なる影が濃くならないはずはない、というセリフは、さもない毎日を積み重ねている自分への言葉のよう。最後の長いクローズアップは、涙を流すようなこらえるような、悲しみと希望がせめぎ合うような。その場に居合わせた全ての観客は目を離せなかったはずだ。
無常の人生と不変の人間の本性、性格
カンヌ映画祭で役所広司が主演男優賞を受賞した作品なので2024年映画鑑賞初めとして鑑賞した。トイレ清掃員としてルーティン化された清貧生活を送る主人公の姿を通して、人生の無常と人間の不変性を浮き彫りにした秀作だった。
台詞を極力減らすことで、ドキュメンタリーのような、主人公の日常を切り取った雰囲気を出している。台詞の密度が高く意味深で人生訓のように心に響く。
本作の主人公は平山(役所広司)。彼は、東京でトイレ清掃員として寡黙で規則正しい毎日を過ごしていた。通勤時に車の中でお気に入りの音楽を聴き、常時携帯しているカメラで木漏れ日を取り、休日に買った古本を読み、馴染みのスナックでママ(石川さゆり)と何気ない会話を交わし、彼の毎日は小さな喜びに満たされていた・・・。
平山は過去を捨てて清貧生活を始めた。彼の過去は謎だが、姪と、母親=平山の妹の登場&台詞で、かなり裕福な環境にいたこと、父親と確執があったことが推察できる。経済的環境の激変は精神的にかなり厳しい。しかし、冒頭から平山の表情に気負い悲壮感はない。自然体であり開放感がある。父親との確執の壮絶さを物語っている。
故に彼は父親の件を踏まえ、濃密な人間関係を避け寡黙になる。最小限の人間と最小限の会話を交わし最小限の人間関係を作り人間関係の長所を捨て短所を消そうとする。暫くの間、この彼の思惑は成功し細やかながら満たされていく。
しかし、親族の登場で小波が起こる。そして、相棒の若手社員(柄本時生)の突然退社、スナックのママの元夫・友山(三浦友和)の登場で、平山の思惑、頑なに守ってきたルーティンは崩れる。
“結局、変わんないですよね”という友山の台詞が心に強く残る。人生は無常だが、人間の本性、性格は変わらない。人間は無常の人生を変わらぬ性格で生きていく。その辛さをラストシーンで役所広司が泣き笑いだけで表現している。
本作はフィクションだが、平山の人生の好転を祈らずにはいられない名演技だった。
PERFECT DAYS感想文
主人公平山のいち日を何度も繰り返し繰り返し観る映画。
休日以外は毎日同じ繰り返し、休日も毎回同じ繰り返し。
でもおもしろい。
平山の過去は父親と何かあったんだろうと匂わせるくらいでそれ以上は語られないけどそこがいい。
役所広司すごく良いけどイケオジだから不自然。
平山と同じ境遇でもあれなら彼女2〜3人くらいいるだろ。
あと、「こんなふうに生きていけたなら」ってキャッチコピーはクソセンスないね。
まぁとにかくおもしろかった。
でもこれをサブスクで観たいとは思わないなぁ。
映画館で観ないと意味ないでしょ。
2023年最後の映画館での映画鑑賞。
2023年最後の映画館での映画鑑賞。渋谷区在住だし、17あるデザイントイレの2つにはお世話になったこともあるし、家内も観たいと言っていたので2人で行ってみた。ヴェンダースは40年前僕が大学生だった頃既に大物監督と言われていたのでまだ現役だったことに驚いた。映像は彼の作品らしさを感じることができた。台詞とかエピソードはあまりに日本的なのでとてもヴェンダースの考えとは思えず、恐らくは共同で脚本を書いた日本人によりものなのだろう。役所広司の演技は流石だし(姪役の女の子も良かった)、良い映画だとは思うが、絶賛されるほどか?とも思う。主人公が今のような状態になるまでどういう人生を送ってきたのか、親との関係はどうなのか?自分の家族を持ったことはないのか?色々疑問に思うが全て観る人のイマジネーションに委ねるというのは少し無責任と思うのだが?今まで以上に公衆トイレを綺麗に使おう、と思った。
カンヌ映画祭の男優賞受賞作品です。(((o(*゚▽゚*)o)))♡。
本日TOHOシネマズシャンテにつ鑑賞しました。
カンヌ映画際の男優賞を役所広司が受賞したので楽しみにしてました。
ここからネタバレをします。
前半は、淡々と東京の渋谷のトイレ🚽
掃除🧹🧼のシーンがありますが、
これはこれでお尻洗いのノズル洗うシーンなんか感心しました。
テーマは、木漏れ日でした。
姪っ子、仕事仲間、音楽、古本、カセットテープ、フィルムカメラ、写真、植物🪴、
飲み屋、etcを通して、
人生は、溢れ日のように揺れながら時間が過ぎて行きます。
正直わからないところもありました。
(>_<)🥹🥲😆。
新聞紙を濡らして畳の上にまき
掃除するシーン。
カセットテープ。
陰ふみ、マルバツゲームなど懐かしいシーンが良かったです。
音楽に関しては、、、ごめんなさい🙏🙇♀️
でした。
今回は、なんと言っても
三浦友和、など出演者が素晴らしい方
ばかりで感心してしまいました。
٩(^‿^)۶。
この映画の関係者の皆様お疲れ様です!!
ありがとございます。
(((o(*゚▽゚*)o)))♡🤗。
言わずもがながまかり通る
朝、道を掃く篲の音で目が覚める。起き上がり準備をして仕事に出る。寝る前に読む古書と、カセットテープから流れる音楽に心をみたし、木漏れ日のような陰影と微睡みを浮かべて眠りにつく。当然同じじゃない毎日を同じように生活する無口な主人公、その想いは見る人によって言わずもがな。。。
ここ最近みた物の中にはあえて視聴者に問いかけるような、想像におまかせします的な省き方(省いてるように感じる)が見られて逆に入れなかったが、今作品は何も言わなくてもただじんわり入り込んでくる。語彙力がないのでこれ以上表現出来ないが、これが監督の違いなのか、国の違いなのか分からないが、非常に良かった。
ただ賛否別れるかな?
自分は凄く面白かったです。
役所広司凄い‼️
ありふれた日常の中から、美しさや些細な幸せを見出だして、PERFECTな一日一日を
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さて、2024年一本目。
本当は昨年中に観ようと思っていたのですが、仕事や休みは年末年始の雑務などで都合が付かず。正月休みにゆっくり観ようかと。
元日劇場は久しぶり。小さい頃は元日劇場は毎年恒例でした。(平成ゴジラvsシリーズなんかを)
昨夜は紅白などを見て(ポケビ&ブラピが良かった!)少し夜更かししましたが、頑張って早起きして正月の気分を感じつつ、隣町の映画館まで行ってきました。
静かながらもしみじみ染み入る“日本映画”の作風が正月にぴったりでした。
日本人が撮ってこその日本映画。それは勿論。
しかし時に、外国人が撮って改めて知る日本もある。例えば、リドリー・スコットが『ブラック・レイン』で撮った大阪のネオンギラギラのインパクトなんて、日本人だったら普通撮らないだろう。
本作は外国人から見た異色の日本ではなく、日本のありふれた光景や日常を美しく浮かび上がらせる。まるで小津安二郎監督のように。
それもその筈。本作の監督は、ヴィム・ヴェンダース。
言わずと知れたドイツの名匠。日本映画に造詣が深く、殊に小津敬愛者。
そんなドイツ人監督が描く、日本。
これが何の違和感もないほどの日本映画になっている。周りの日本人スタッフのバックアップもあっただろうが。
異国の街の片隅の、一人の男の日々の営みを見事描いている。
独り身の中年男性、平山。
朝早く起床。綺麗に布団を畳む。
歯磨き、髭剃り。植物に水をやる。
出勤の準備。着替え、用具、決められた所に置いた鍵や小銭を持って。
二階建ての古いアパート。目の前の自動販売機から缶コーヒーを一本買って飲んでから、車を走らす。
車内では必ずカセットで主に洋楽の懐メロを流す。
仕事はトイレ清掃員。東京都内の公衆トイレを幾つか周り、綺麗にする。
仕事ぶりは言わずもがな。実直、真面目、几帳面。便座の裏とか縁の陰とかウォシュレットのノズルとか、そんな所まで!?…って所まで丁寧に磨く。
黙々と。一切無駄がない。
仕事ぶりから分かるように、寡黙。無口。
でも、頑固で気難しい性格ではないようだ。
トイレに一人でいた子供に声を掛ける。ちなみに平山の第一声はこのシーン。その優しさにじんわりした。
トイレの使い方が分からない外国人に仕草で教える。
一方的に喋る若い後輩とも全く会話はないが、慕われてはいるようだ。柄本時生が演じるこのいい加減な青年が絶妙なウザさ。
昼休憩。コンビニで主にサンドイッチ。
仕事は夕方前には終わり、家に帰ると今度は自転車で近くの銭湯へ。
その帰り。駅地下商店街の古びた居酒屋でいつもの。
夜。就寝前に読書。
こうして一日が終わり、また一日が始まる。巻き戻したような同じ一日が。
端から見れば、何と特色も楽しみも面白味もない平淡過ぎる毎日。
休みの日も決まっている。行く所は、写真屋~古本屋~コインランドリー~行きつけの飲み屋。美人ママが“平等に”相手してくれる。
でも私、この平山さんの日常が分かる気がする。
自分の決めた日々のルーティンを崩したくない。違う事すると、何かちょっと調子が狂う…。
私もほぼ決まったルーティン。日々の仕事、休みの日の過ごし方(映画鑑賞)。たまの発散も時にはあるけど、基本変わらない。
平山さんも趣味はある。読書。カセット。カメラ。昼休憩の時、よく木々を撮る。苗木なんかを持ち帰り、育てる。
外国のありふれた日常がどんなものか分からないが(それともあまり変わりはない…?)、日本や日本人の…と言うより、誰の身にも置き換えられる人一人の何気ない日常。
その決め細やかさが秀逸。
それを体現したのは、言うまでもない。日本が世界に誇る名優。
本当に役所広司には、いつもいつも驚かされる。一体、幾つ引き出しを持っているのか。
数々の名作での名演。シリアスや自然体含め。
三谷作品なんかでは真面目そうな雰囲気が生み出す抜群のユーモア。
ダークな役だって。『孤狼の血』での荒々しさ、激しさ。
個人的近年ベストは『すばらしき世界』。
アニメ映画の声優も上手く、昨年は話題になったTVドラマ『VIVANT』で圧倒的存在感。
しかしそこにもう一つ、代表作と名演が加わった。
まるで役所広司に当て書きされたような平山という男。
本当に人柄や性格が滲み出る。と言うかこれは、役所広司のドキュメンタリーを見ているのか…?
本作での役所広司の台詞量はどれくらいだったろう。だが演技は、台詞を覚えて喋るより仕草一つ表情一つの表現の方が難しいと聞く。
あのラストシーンを始め、役所広司は本作で、演技をすると言うより、人一人を生きるという事を魅せてくれた。
トイレ清掃員という仕事への着眼点。
何でもヴェンダースが日本に来て、日本のトイレの素晴らしさ、心を込めて綺麗にする清掃員に感嘆したとか。
日々、当たり前のように使う日本人の我々こそ気付くべき。
印象的なシーンも。トイレに一人でいた子供とのエピソード。すぐ母親が来て、“トイレ清掃員”と握っていた子供の手を拭き、礼も言わない。トイレ清掃員って、こんなにも“汚い”と思われているのか…?
そんな私はどうだ? トイレのみならず清掃員やバキュームカーとか。職業差別ではないが、ハッとさせられる描写だった。
でも、親切にされた子供は忘れない。手を振る。優しきその人も笑みを浮かべて手を振り返す。
にしても、東京の公衆トイレには驚き!
お洒落な内装。極め付けは、普段はスケルトンだが入ってドアを閉めて鍵を掛けると中が見えなくなるあのトイレ…! 本当にあるんですか…?
トイレだけじゃない。我々が気付かぬ日本、東京という街の美しさ。
そびえ立つスカイツリー、橋やマンション街、その夜景。
その一方、住宅街や路地裏。昔から変わらぬ風景が今も残っている。
そんな大都会にもある自然。
すぐ身近に、こんなにも美しい風景がある。
やっぱり日本人の我々が気付かないだけで、外国人から見たら日本って美しいんだなぁ…。
気付かせてくれて、ありがとうございます、ヴェンダース監督!
私も住んでる周りから見つけてみよう。
美しいのは風景だけじゃない。
美徳。心。
平山さんの人となり。
ウザい後輩だが、知能障害の幼馴染みへのナチュラルな接し。
平山さんの微笑みが語っている。案外いい奴じゃないか。
その後輩がモーション掛けている若い女性。見た目は今時ながら、カセットからの音楽を気に入る。ちゃんと平山に返す。
馴染みの店、顔馴染みの人たちとの何気ない交流。
ある時姪っ子が転がり込んでくる。何か訳あり…。やがておじと過ごす内に…。
○✕ゲーム。
終盤、ある人物と影踏み。中年男二人で子供のように。
それら一つ一つが静かに心に響く。
まるで平淡な日常から些細な幸せを見出だすかのように、私もこの作品から些細ながらも温かい幸せを見出だしていた。
本当に人生はそうだ。
私にだって欲はある。宝くじが当たって、いい家に引っ越して、豪華な旅行して、美味しいものを食べて、悠々自適に暮らしたい…。
その一方、今のこの平淡な日常から些細な幸せを感じる時も。
それが感じられた時、しみじみと充実や満足が心や身体を包み込む。
人間って不思議。両極端の望みや幸せがあるのに…。
どちらが本当に幸せか…? それはその人だけの感じ方。
見てて、『男はつらいよ』の中からのある台詞が自然と浮かんだ。
ああ、生きてて良かったなぁ…と思う事何べんもあるだろ。その為に生きてるんじゃないか。
平山さんにだって不満や悲しみや切なさある筈だ。
私にだって。皆さんにだって。
こんな日の当たらない陰みたいな人生…。
本作、陰/影が印象的な描写を残す。
平山さんはトイレの“陰”まで綺麗に清掃する。
小説の中の“陰”という言葉。
よく夢で見る幻影。
影踏み。
陰が薄いとか、存在感がないなんて言葉がある。
断じてそんな事はない。
私たちは一人一人、存在している。生きている。光と陰を持って。
変わらぬ毎日…? いや少なからず、毎日何かが違う。
だから毎日毎日が美しい。
その一つ一つ、一コマ一コマ。
一瞬一瞬の美しさ。木漏れ日のように。
新年一発目、いい映画を見た。これも幸せ。
是非とも、米アカデミー賞(国際長編映画賞や願わくば役所広司の主演男優賞)にノミネートされて欲しい。
私や皆々様にとって、2024年が一日一日、“PERFECT DAYS”になりますよう。“PERFECT YEAR”になりますよう。
追記。
…と思っていたら、新年早々大地震が…。
東日本大震災以来の地震、津波、惨状に衝撃…。
命だけ充分守って下さい!
本当に難しい映画
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トイレを掃除して回る仕事をしてる役所。
その周囲で色んな出来事が起こる。
それをダラダラと映すだけの映画?
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評価が高かったので見に行ったが、今ひとつ分からなかった。
特に最初の30分なんて、役所の日々の生活を映すのみ。
読書して寝て起きて歯磨きして着替えてトイレ掃除・・・
帰りに一杯飲んでアパートに帰る・・・だけ。
無口過ぎて、口をきけない人の役なのかと本気で思ってた。
開始30分くらいでようやく、話せるって知ったからなw
それ以降も同じ感じで、小さなエピソードが起こるだけ。
・よく面倒見てた後輩が退職、その彼女に急にキスされる
・トイレに置かれた紙で見知らぬ人と○×ゲームをする
・姪っ子が家出して来て、なつかれるが、親に連れ戻される
・飲み屋の女将の元旦那がガンになり、女将を託される
地味ながら真面目に生きてる役所に共感はできたんで、
見てて退屈ってことは無かった。最初の30分以外はw
ただ何を伝えたい映画なのか最後までよく分からず。
何故こんな仕事を一生懸命するのか後輩が不思議がってたが、
最後までその理由が明かされることも無かったし、
勤続年数や前職など、どんな生き方をして来たのかも不明。
映画って難しいなと思わされる作品。
静かに語りかける、最高でした!
クラシカルでマインドフルネスに通ずるものを感じた。
役所演じる平山の生活は必要最小限のシンプルライフ。
物も必要最小限で携帯もガラケーでスマホを持たない。
「住んでいる国が違うんだよ」というセリフの通り、現世に多いスタイルとは一線を画す生活だ。
それでも平山は単調な日々に感じる感情の流れを素直に楽しんでいる。
「今度は今度、今は今」のセリフにもあるように今ここに集中して時間軸や概念にとらわれていない。
今あるものにフォーカスしつつ、自然体であるがままを受け入れている。素晴らしい。
そしてこの平山の魅力が劇中周りの人たちを巻き込んでいく。
洗礼されたシンプルの美しさについても最高のカメラワーク、展開で表現されており
開始20分間のほぼ平山の所作だけで作られている構成は圧巻でした。
情報過多でノイズの多い現代において取り入れるべき部分が多い。
タイトルであるPERFECTDAYSの解釈はひとそれぞれであるがこの映画で描かれる平山のクラシカルなそれは広告、スクリーンタイムの多さによって刺激される令和時代においてかなり価値のあるものだと思う。
木漏れ日の刹那を大事にしていきたい。
また脇役らの演技も最高で映画を邪魔することなくうまく調和していた。
劇中にでていた歌や小説らを聞いて見てからもう一回見たいと思う。
うーん、いまひとつスッキリしない。
ヴィム・ベンダースが描く外国のシーンはなんかオシャレで好きです。
が、日本人なので今回の作品はいまひとつスッキリしませんでした。
作品の合間に定期的に流れる夢なのか木漏れ日なのかよく分からない映像。
神社から持ち帰った苗に毎朝水をかけてるけど、苗がそんなに成長してないリアリティの無さ。
缶コーヒーのプルタブを開けるのが早すぎるとこ。
三浦友和が河川敷に突然現れて「私は癌です」と告白した後、平山と影踏み遊びをする不自然さ。
ニコを迎えに来た妹を平山が唐突に抱きしめるシーンはそこはあえて抱きしめない方がよりリアリティがあったのではなかろうか?
と、つらつら細かいことを挙げて批判してきましたが、全体としては良作だと思います。
飲み屋の大将の仕草や古本屋の女性店主のコメントは思わずほっこりさせられました。
音楽と東京の風景も良かったです。
あと、最後に一言だけ。
トイレ掃除する時、マスク着用は必須ではなかろうか?
え?「お前はいろいろうるさい」って😆
光と影にこだわったカメラワークと何気ない日常を映画として描く監督の力量
トイレ清掃員の日常という、一見地味なテーマも、監督の力量でこんな素晴らしい作品になるんだなーというのが率直な感想。
まず、光や影、日常の何気ない風景の中のきらめきというか、美しい瞬間を、役者の演技とともに切り取るカメラワークが素晴らしい。
何気ないけど、相当考えて撮ってるんだろうなと思わせられる。ヴィム・ヴェンダースが東京を撮ると、こうなるんだ、という目線で見るのも面白かった(余談ですが、首都高の走行シーンって、海外の監督は好きですよね‥)
ただカメラワークだけじゃなく、ストーリーも良かった。
近所のおばちゃんの竹ぼうきの音で毎朝目を覚まし、トイレ清掃の仕事をしながら、趣味の読書や写真、そして音楽、銭湯、行きつけの飲み屋に通う日々。
孤独だけど、ちゃんと生きる楽しみを持っている主人公と、それに関わる人達。トイレ清掃の仕事の後輩、姪っ子
、そして妹との関わり。
なぜ今のトイレ清掃の仕事に行き着いたのか、その根本に、父との確執があった事を匂わせるシーンがあって、涙が‥
ほとんどセリフの無い役所さんの演技が素晴らしい。
誰が相手か最後までわからないけど、トイレの鏡の隙間に挟まれた紙の上で日々、○×の陣取りゲーム?が繰り広げられていくという、サイドストーリー的な要素も良かったし、
それと飲み屋のママ役が石川さゆりと、豪華!ママの生歌が聞けるなら、そりゃ通っちゃうよね〜。
見ていて暖かい気持ちになれる良い映画でした。
生きること自体アナログだ
仕事納めの日にTOHOで
終業と同時に年末最後の挨拶もそこそこに
18:05開始の回に滑り込み
鑑賞ポイントが6個たまってロハが嬉しい
ヴィムベンダース監督の作品は
大昔に観た夢の涯てまでも以来
人が寝ている時に視る夢を映像にするといった話
東京国際映画祭に絡んでいて
当時ノリノリだった監督で期待されたものの
酷評されて興行的にも大コケしたような記憶
で本作は結論としては今年観た中では上位に入る良作
アナログ男の真骨頂
序盤に繰り返される男の日常
(平日)
・外の道路を掃くほうきの音で目を覚ます
・歯を磨く
・髭を剃り整える
・霧吹きで盆栽に水をやる
・仕事着に着替える
・玄関でカギと小銭を持って外に出る
・空を見上げる
・自販機で缶コーヒーを買う
・車に乗り込む前に蓋を開けて乗ったらグビリ
・車でカセットを聞く
・仕事のトイレ掃除を真面目にやる
・昼休みに神社のベンチでサンドイッチと牛乳
・木漏れ日をオリンパスのフイルムカメラで撮る
・ときどき新芽を盆栽用に持ち帰る
・銭湯に行く
・駅地下の一杯飲み屋で酎ハイとつまみ
・床に着いて文庫本を読みふけって眠る
(休日)
・作業着をコインランドリーで洗う
・古本屋で1冊100円の文庫本を買う
・DPE店で写真を受け取りフイルムを出し
代わりのフイルムを1本買いカメラに装填する
・出来上がった写真を観て気に入ったものだけ缶に入れて
残りは破り捨てる
・小料理屋で女将と話しながら一杯飲る
こういうのが幸せだよなぁとしみじみ共感
そういうルーティンが乱れる
・同僚に金を貸す
・姪が家出してきて自分のアパートに泊まる
・同僚が突然辞める
・同僚の後任が来る
・麻生祐未とか三浦友和
それによって生じる心の揺らぎも拒否しない
全編に流れるアナログ愛
スクリーン画面の縦横比が3:4のブラウン管仕様だし
カセットテープとかフイルムカメラとか
いまの世の中でアナログでいることは実は結構贅沢で金もかかる
DPE店で2~3千円くらい出していた
主人公が就いた仕事がトイレ清掃であることもアナログだ
デジタルだなんだといってもものを食べて排泄する行為はなくならない
生きること自体アナログだ
普通はトイレ清掃人に浴びせられる心無い言動や蔑視を殊更クローズアップして
怒りや憐みを喚起する表現をしそうなものだがそうならない
主人公は穏やかに微笑む
主人公が目覚める前に視る夢のような映像は
不穏なようで実はそうでもないような
夢の涯てへのセルフオマージュのような気がした
実は名家の跡取りでオヤジと仲違いして家を出たような過去を示唆
結婚しているのか 子どもはいるのか
最後の涙の意味もよく分からなかった
分からなさ加減も気にならない 色んな人の解釈を聞いてみたい
エンドロールの最後に木漏れ日についての説明が出てくる
二度と同じものは見れないと あぁなるほど
余白が多いいい映画だ これから気づくことがまだあるかもしれない
(ここから映画と無関係の記録)
終了後はドンキで第③ビール2本を買い込み駅のベンチでグビリ
屋根があり風がしのげて大層気分よし
家に戻って風呂に入って2次会 仕事納めはいい日になった
布団を畳む所作だけで心に刺さる映画
東京の公園のトイレ清掃業務を生業とする男の毎日を描く。
朝目覚めからの一連のルーティーンだけで心に刺さるものがあるのは
この映画がはじめて。
布団を畳む所作が美しい。いや、彼のすべての所作が美しい。
住んでいるアパートもはっきり言ってボロだが、
部屋は整然としている。
彼の毎日を淡々と描きながらも、
少しだけいつもの違う、心がゆれる出来事が起きるのだが、
最後は穏やかな形で終わる。
同僚の男にお金を貸したことと、その彼が別の少年に好かれていること。
カセットテープを盗まれながら、返してもらい最後はキス。
突然の姪との同居と、妹との再会。
同僚の突然の退職による多忙なシフトと、翌日のヘルプの女性。
居酒屋女将の元夫の出現と、彼との影踏み。
1つ1つのエピソードが優しい形で終わる。
そして、映画を観て、優しい気持ちになれた。
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