PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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青い海も青い魚も みんな昔手にしたもの 今は私のこの掌の中を 冷たい風だけが通り抜けてゆく
公衆トイレの掃除人、平山。
こざっぱりした部屋には、たった一竿の箪笥と、本棚いっぱいの本と、たくさん揃えたカセットテープと、テーブルに並んだ豆鉢。
朝は、落ち葉を掃く箒の音で起きる。
豆鉢の植物に水をやる。
歯を磨き、髭を整える。
整然と玄関に揃えた小物をポケットにしまう。
外に出ると毎日空を見上げる。
自販機でコーヒーを買う。
仕事車のカーステで、カセットテープをかける。
昼飯は、いつもの神社の境内で食う。
新芽を見つければ持ち帰り、新しい鉢に植え替える。
仕事を終えた夕方、まだ陽の高いうちから銭湯の一番風呂に入る。
浅草駅地下の居酒屋で野球を見ながら酎ハイを飲む。
夜、寝る前に本を読む。
休みの日にはコインランドリー。
古いカメラに収まっていたフィルムを現像に出し、出していた写真を受け取る。
写真は気に入ったものだけ残す。あとは破って捨てる。・・・そんな、ただ繰り返される毎日。(どこを切り抜いても、このままBOSSのCMに使えそうだ)
長逗留している木賃宿のようなミニマムな生活。無用なものを削るソリッドな暮らし。まるで、働きながら人生の旅をしているって感じ。
でもなぜ、淡々としたその姿を見ているだけで、涙が誘われるのだろうか。
劇中歌が懐かしい、古き良き時代のアメリカの曲だからか。アメリカばかりじゃない。金延幸子の「青い魚」は抜群に良かった。居酒屋のママ役の石川さゆりが、常連客役あがた森魚の伴奏で歌う「朝日があたる家」は艶やかだった。垣間見える彼女の人生は、味わいが深そうだった。
本だって、幸田文「木」も、パトリックハイスミス「十一の物語」もどこか示唆的。古本屋の店番オバサンの書評もだ。
姪のニコの存在も、平山の生活の風景にちょっとした風を吹かせてくれた。
神社の参道を、真ん中を避けて歩くことができる彼が疎遠になった家族の物語は、おそらくもう修復はできないのだろう。木漏れ日は、同じようでありながら常に変化していて、その瞬間はもう二度とない。人生もそうだといっているようだった。
そんないくつものシンパシーが、僕を幸せな気持ちにさせる。あ、これ最近どこかで?と思い出してみた。そうだ、終わったばかりのTVドラマ『セクシー田中さん』だ。「小さな喜びをたくさん集めるとそれで人は幸せになれるのかも」と言う言葉に勇気づけられた女性が、前向きに生きる力をもらっていたが、まさにその気分だ。平山の仕事ぶりをみながら思い出す、「箱根山、駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋 を作る人、捨てた草鞋を拾う人」という格言。そうだ、世界はこうしてたくさんの人の営みで成り立っているのだ、と思い知らされる。世の中のひとびとは同じ世界で生きているようでいて、たしかに別の世界で生きている。ただ、空間を共有しているだけに過ぎない。
ニーナ・シモンの「feeling good」がかかり、平山のアップが続く。次第に変わっていく平山の表情をどう捉えるべきか。"気分がいい"って曲名のわりには、とてもザワザワする曲だ。この先の平山の人生だけじゃなく、これまで生きてきた平山の人生はけして彼の望んでいた人生ではなかったろう。完全な人生、そんなものだったのではなく、そんなものはそう手にできるものではないと、むしろそうこの映画は言っているようだった。
自由と平凡で平和な日々
いつもトイレを綺麗にしていただいて
ありがとうございます。と…映像を観ながら
感謝の気持ちで一杯になりました。
毎日、決まったルーティーン
ミニマリストの様な
自分の「好き」に囲まれて過ごす
目覚まし時計は無く、境内を掃く音で目覚め
仕事へ。
役所さんがイライラする場面もあるけど
それは仕事を一生懸命している証。
休日は洗濯と撮り溜めたフィルムの現像へ
開店前の行きつけの店で
抱き合う2人が…気まずい為
コンビニで買った酒を外で独りで飲んでいると
さっきの男性(三浦友和さん)が近寄る
独り言?聞いてないのに
自分が余命幾ばくもないと告白。
平和な1日だけど生きていると
同じ日は無く、何かしら起こってしまう。
人は1人で生きてないけど…
家族や親友はいなくても
それなりに穏やかな日々
贅沢しなくても満ち足りた人生って感じでした
映画館で観てください。
何かしら響く映画でした。
日常生活が続く、 あらすじ
役所広司
トイレ清掃 離婚した。娘が家出してくるが 元の嫁に返す。
思いを寄せるスナックの女が 他の男と懇ろだとしり
ヤケ酒。しかし それは 余命宣告を受けた元夫が
最後に会いに来ただけで、元嫁をヨロシクと 託される。
その後は どうなったかは描かれていない。
朝起きて 仕事して 居酒屋 読書 就寝、
週末はコインランドリー スナック、
日常生活は続く。
絵に描いたような
絵に描いたようなストーリーで、展開が予想できてしまった。こうなるだろうな、という期待を裏切らないので、思わず、笑ってしまった。
わざとベタな話にしたのかどうかわからないが、もう少し、どうにかならないものかと思った。意図してそうしたのであれば、逆効果だろう。
主人公は無口だけど、身の回りにおこる出来事に対する反応があまりにストレートすぎて、素直さを通り越して精神年齢低いんじゃないかと思うくらいで、興覚めする。三浦友和と影ふみする場面は、重要な場面のつもりなのだろうが、うそくさくて目をそむけた。
前半で出てくるいい加減な相棒は根性据わってる感じがして、すごくよかった。
でも、公衆便所がみんなきれいすぎることからして、わざわざトイレの清掃場面をメインにする必要があるのか?そこまで清掃場面にこだわるのならば、作業着も汚れるはずなのに、洗う場面もないのは不思議。作業着のままで昼ごはん食べるのはまだしも、家に帰って部屋まではいったりするか?ローアングルはトイレの清掃場面には都合よいので、その点は納得。
おかえり
行こうとしていた劇場が激混みだったので、急遽違う映画館での鑑賞。なんとか左右誰もいないとこを確保してリラックスしながらの鑑賞でした。
恥ずかしながらヴィム・ヴェンダース監督作品初鑑賞です。遅れてやってきた映画ファンならではの楽しみ方をしています。
役所広司萌え映画でした。役所さんはイカつい役で多く観てきましたが、こんなにおっとりした役所さんを観るのが新鮮で新鮮で…!どのシーンを切り取ってもニヤけてしまうくらいに最高でした。
トイレ清掃で生計を立てている平山という男の日常をそのまま映していて、その中で起こる静かな波を強く描いていました。
全くと言っていいくらい同じ日々を過ごす流れは、どこか退屈だとコンテンツ溢れる現代に生きる自分は思ってしまうんですが、その繰り返しでさえも楽しんでいる平山の姿は本当に愛おしかったです。
その日常がたまたま出会った赤の他人との何気ない会話や様子見で彩られたり、姪が来てから日々のスピード感が加速したり、少し変わった生活でさえも楽しんでしまうと、素敵と大好きがたくさん詰め込まれていました。
古き良きが多く詰め込まれていて、カセットテープならではの音楽の良さだったり、ボロアパートの佇まいだったり、1発勝負のカメラだったり、まさにな見た目な銭湯だったり、おかえり〜と言ってくれる居酒屋の店主だったりと日本ならではを体験していない世代の自分にとってはどれも新鮮で、どれも愛おしく思えました。
見知らぬ人との○×ゲームだったり、おっさん同士の影踏みとか、なんだかキュートでした。
石川さゆりさんが演じるママなんてそりゃもう美声轟かせるでしょーと思って観ていたら、本当に感じの良いママで、話す会話も軽くも重くもない絶妙なバランスで素晴らしく、ポテトサラダこそ至高!と言わんばかりに盛り盛りのポテサラにワクワクさせられました。
東京の公共トイレはオシャレなものが多いというのは噂で聞いていましたが、本当に個性的な外見をしており、ドアの開閉でスケスケな扉がバンっと全部隠してくれたりと、進化してるんだなーと東京の街の凄さを日本人ながら改めて体感することができました。
映画内で流れる楽曲も本当に心地の良いものが多く、邦ロックをメインに聴く人間なので、こういった優しい音楽も良いなと思えました。
役者陣はもう最高すぎました。役所さんの表情がどれも微笑ましくて、ボソッと呟くセリフはどれもどこかに刺さるものばかり。監督がこれでもかと魅力を引き出していて、監督の力すげ〜と痛感させられました。
何気ない日常、どこか退屈に思える繰り返しの生活の中で生まれる変化の葛藤や幸せをスクリーンいっぱいに堪能できます。
色々抱えながら生きている現代人にそっと寄り添ってくれてほっこりしました。
今年の映画納めにもピッタリだと思います。どうぞ劇場で。
鑑賞日 12/26
鑑賞時間 16:55〜19:10
座席 B-9
おひとり様天国
生きてく上で、必要なものを教えてくれる。
信念を持てる仕事と趣味と恋心と。
多少の諦めもあるのかもしれない。
全ての事が1人で完結してて…人は死んでいく時は1人だもんなぁと。それなのに右向け右でコミュニティを拡げる事にやっきにならんでもいいよなぁと、そんな事を思う。
作品を観ながら思うのは「退屈な日常だなぁ」って事だった。そして、その退屈がもたらす弊害を考える。
ああ、そうか、と。
平穏と変化は裏表で、変化を求めれば対価を支払わなければならない。時間だったり、プライドだったり、金銭だったり。
その変化こそを生きる命題にしてる現代では、ある種「世捨て人」のようにも映るのだろう。
だけど、彼の日常は「完璧な日々」なのだ。
完璧だからこそ変化を求めない。
言い訳だと切り捨てる人はいるとは思う。
けれども、そういう生き方や価値観はあっていい。
そして、幸も不幸も人が運んでくる。
それは変化ではなく起伏であり、退屈な日常に見えても平坦なわけではない。
彼は人が嫌いなわけではない。彼の世界から他の世界への干渉の仕方が臆病なだけなのだろう。
適切な距離で、人と関わる。
踊るホームレスは自分よりも完璧な日々を送っているのかもしれない。リスペクトが見える。
家にも時間にも縛られない。自分の人生のみを謳歌してるようにも映るのだろうか?
自分はそこまで欲を捨てきれないとでも言わんばかりだ。
と、ここまで主人公にフォーカスして書いてはみたが、ラストカットは街並みの俯瞰で朝日が昇る。
新しい1日が始まる。
そこで、ふと思う。
完璧な日々は、全ての人に訪れる。
考え方や、視点を変えればそういう環境も訪れるという事なのかもなんて事を思う。
びっくりする程、台詞がないのは、そんな視点を提示しているのだろうと思う。
そして、その沈黙を埋めてしまえる役所さんは、やはり名優なのだろうと思う。
卑下するなと言う事かもしれない。
多様性が叫ばれる以前の社会は、提唱される幸せの形はほぼ一種類だけだった。
結婚して子供を持ち、家と車があって、多忙な仕事を抱えながらも家庭に帰れば一息つける、みたいな。
でも、現実はそんな事ないよねー。
理想だけを押し付けられても苦しいだけじゃない?
自分の手に届かないものを人生かけて追い求めるよりも、自分の手の届く範囲を少しづつ広げていく方が幸せじゃないのかな?
「夢」とかがあると別の話だけれど。
本作の主人公は、その拡げる手に満足したのだと思う。
だからこその「完璧な日々」なのだろう。
それは勿論、彼にとっての、である。あんな人ばっかりだったら人類は死滅する。
きっと「欲」を整理すればいいのだろうと思う。
影
こんなにも飽きずに一人の人物を観ていられる映画あったかな
なんてことない日常を
観ているだけなのに
やはり役所さんというのも
あるんだけど
監督の力かもしれないけど
そしてこれが日本人が撮っていないということが悔しい
ヒラヤマという
男の生活の映画
カセット、本
アナログな人間を漂わせて
Spotifyをお店だと勘違いする
終始、愛らしく無口な男を演じている
良い人さが滲み出ている
朝起きて、空を見上げて、笑顔になれる生活
そんな
現代人いるかな
羨ましい
そんな心で生きたいと思う
過去に色々家族感で、なにかあり
この清掃業をしているヒラヤマ
恐らく最低限のお金しか使ってない
多分低収入
ママ役の石川さゆりさんはめっちゃハマり役
あがた森魚さんのギターで
朝日楼は痺れた!!
そんなお店あるんなら行きたい笑
ママに恋心があったヒラヤマのヤケ酒とタバコが面白い
ママの元旦那、三浦さんとの影踏み楽しかった笑
下北沢のカセット屋さんが松居大悟監督でびっくり笑
キャスト豪華だったなぁ
最期のシーン
あんな表情出来るの
役所さんしかいないじゃん
あの表情でカンヌの方々が虜になったんじゃないかな
寂しさ、悲しみ、優しさ、愛らしい、孤独なんか全部感じた
もう一回映画館で観たい🎥✨
パンフはこれから読みます✨
浅草のミニマリストかと思いきや
毎日決まった時間に起きて、歯磨きをして、髭整えて、霧吹きをして、着替えて、缶コーヒー買って、仕事に行って、神社で昼飯、終わったら銭湯、居酒屋に行く。
朝起きてすぐ動けるの偉すぎる。
銭湯で顔半分まで浸かってしまうおじさん。
休みの日はコインランドリー、フィルムカメラの現像、古本屋で100円の本を買って、ご飯を食べに行く。
無口でも仕事は丁寧に。雨と木漏れ日と影。
部屋には布団とカセットと本と植物だけ、、、
かと思いきや1階はものが沢山あった。
迷子の子供を助けても親にはばい菌扱いされる。
同僚の若造には大事なカセットを売られそうになる。
それでも悪い顔をしない。
無口だけど、優しい顔を持っている。
感情が読めない。
流石に若造がとんだ時は怒っていたけど。そりゃ当然だ。
姪とはいい関係。
妹とは違う世界を持っている。
みんな違う世界を生きている。
妹とも絶妙な距離感。何があったかは描かれていない。
それでも何かがありそうだった。
木造風呂無しアパートと運転手付き高級車に至るまで。
無邪気に影踏みをするおじさんたち。
繰り返しの毎日でも乱されることもある。
東京の公衆トイレは綺麗だった。
妹に怒鳴られたり、最後死んだりしなくてよかった。
役所広司、渋い。
笑顔が素敵すぎる。可愛すぎる。
自分も繰り返しの毎日でも笑えたらいいな。
妙に共感してしまった 60代です
生きていくのに少しの笑みがあればそれはそれで幸せなのかもしれない、特別な何かは必要ない。他人とも少しの関わりでよく、だからといって拒否してるわけでもない。
最後のシーンで、色々な感情が浮かんで来て泣いてるような笑っているような、さすがは役所広司さんだと感心しました。
追加で書きたいことが、一階で寝てる時、周りの荷物に大きなカバンがあったような、海外に留学とか仕事で行っていたのかな、だからトイレの使い方を英語で聞かれてもすぐに答えていたのかな、それからあの部屋で布団を毎日畳む様子を見ると、なにか罪を犯して刑務所に入ってたと思いました、そう考えると実家にも帰れず、妹にも迷惑かけていて申し訳ない気持ちもあってハグしたのも何となくわかります。
それから掃除をするとき、手袋をつけたり外したりすると手間なので、トイレ周りのゴミを素手で拾ったりするのはリアルだなとも思いました。
大都会での田舎暮らし的美しさ
大都会東京って、案外自然が豊か〜❤️🩹
で、必要なものだけでの生き方に興味❤️🩹
パーフェクトデイズというタイトルで、完全な日々って?と思いながら鑑賞
必要な音楽・ものだけに囲まれ、思いのままに行動できて、スカイツリーをいつでも見れて、そして何より完璧を超えた木漏れ日、自然があって
そりゃー、ニヤニヤだよ〜❤️🩹
絵になる役所広司と存在感が凄いトイレたち
役所さんは朝起きて毎日ルーティンを淡々とこなし、仕事に行って帰って来たらまたルーティンをこなして寝るだけ。なのにずっと観ていられます。
恐らく様々な挫折を繰り返した末に、あるいは深く傷ついて全てを捨ててトイレ清掃員になった平山。俗世間のしがらみとは一線を画す生き方は格好よく見えます。
余計なものは持たず、他人とも必要以上に関わらずに暮らしていても、さざ波のようにちょっとした変化は起こります。それを静かに傍観する平山。でも世間を完全に見捨てたわけではない彼の眼差しは温かいです。
監督は以前日本に滞在した事があるのでしょうか。居酒屋や銭湯の雰囲気がとても良かったです。ただ多分想像で作り上げたであろう部分はちょっと違うかなとも思いました。平山のような人物、というか年配の男がハグとか影踏みとか「今はいまー」「今度はこんどー」とかやらないですから。
あと、欧米ではホワイトカラーは決して清掃員などやらないのでしょうが、日本では、リタイアした人がやるのは珍しくないので、そこはもしかしたら誤解があるのかも、と思いました。
青緑の世界
冒頭から感じるのは撮影や色が素晴らしいということ。実際そうではないだろうけど、なんだか全体的に青緑色のフィルターが掛かっている様に感じた。
几帳面で無口な平山が淡々と朝のルーティンをこなす姿がとても自然で良い。トイレ清掃の動きもかなりの手際の良さを見ることができて、平山の人物像の描写にリアリティを感じられる。
音楽を聴いて、写真を撮って、少しのお酒を飲んで、読書をする。という日常の繰り返しはインパクトは無いものの映像の美しさと自然な所作が良くて、見ることができる。
そんな淡々と繰り返す日常に小さな出来事が彼の日常を彩る。そのどれもが、嬉しいことでもあれば辛いことでもある。
迷子の子供を助けるが、母親に無碍にされる。でも子供が手を振ってくれた。
無責任な同僚に振り回されて、泣く泣くカセットを売ることになるが、美女からキスされる。
その同僚にも彼を慕う友人との素晴らしい関係性があった。
家出した姪っ子がやってきて、慕ってくれるが母親(妹)からは暗に軽蔑されている。(家族関係が気になる。あの涙はなんだ。)
同僚が辞めてシフトが自分に降り掛かったが、新しくきた人は真面目そうだ。
好意を寄せていたスナックのママに実は恋人がいた。と思ったが、別れた元夫だった。でもその人は病に犯されていた。。
ルーティンの中で、見ている側もだんだん退屈になってきたな。というところで、これらが差し込まれるのと、冒頭のように美しい景色が入るので、脱落せずに見れた。
また、個人的に好きだったのは、昼休憩の時に隣のベンチに座っているOLや公園のホームレスなど、何度か顔を合わせただけで、会釈するだけの、とても薄くだけど関係性が築かれていくところ。なんだかとても嬉しくなった。
あと、ニコ(姪)との生活のシーンもとても良かった。彼女が登場したお陰で、ルーティンが華やかになって、平山が無口で生真面目な性格というだけでない人間的な魅力を見ることができた。
このシークエンスによってラストの友山(三浦氏)との重なった影論争でも違和感無く、平山の言葉が響くのである。「何にも変わらないなんて、そんなわけない」だったか。またいつものルーティンに戻る生活だが、そんな人生だって必ず何かが変わっているはずである。
気になった点は、1日が終わる毎に挟まる夢?の情景がしつこいと感じてしまったこと。毎回10秒程度、不穏なよく分からない映像を見せられ、しんどかった。別に主人公が夢に何か影響を受けているわけでもなく、毎度見せられる意味が分からなかった。
明らかにママの歌が上手すぎる。当然本気は出してない感じだし、あくまで歌の上手い女性を演じているのは分かるが、表現力といいプロが溢れ出ている。
上映時間が120分あるが、作風と繰り返す日常に、さらに長さを感じる。
上映が終わって、客が席を立ってゾロゾロと出て行く時、自分も含め、自然と譲り合いが起きたように思えたのがなんだか良かった。
脱目的の自由な時間が流れる
<ただその日を過ごす>
ただその日を過ごす、という生き方に憧れます。
それは、未来でも、過去でもなく、現在を生きるということなのでしょう。
未来に目標や目的を定めて時間を使うのに慣れてしまっている私には難しいことですが、そこに生き方のヒントが隠されていると感じます。
そこでは、どのように時間が使われているのか想像できません。
受動的で変化が少ない日常なのか。そこに喜びはあるのか。
そもそも変化は訪れるのか。そこで生きている実感は得られるのか。。
<時間は使わない、時間が流れる>
PERFECT DAYSは、そんな生き方を描いています。
トイレ清掃員の平山は、神社の杜の掃き掃除の音で目覚め、歯を磨き、缶コーヒーを買い、仕事に行き、薄い布団のなかで文庫本を閉じて眠りに落ちる、といった決まったルーティーンの日常を過ごしています。
しかし、判を押したような決まった日常かというと、そうではありません。
そこには微かな変化がみられます。
仕事の同僚の彼女が尋ねてきたり、同僚が辞めたり、突然姪が尋ねてきて同居生活が始まったり、行きつけスナックのママの元旦那と出会ったり。
変化は、必ず自分をとりまく周り(他人)からもたらされます。
もし周りから影響されなければ、平山は変わらない日常を過ごし続けるでしょう。
自らが自分の時間の使い方を変えることはありません。
しかし、変化は次々ともたらされます。そして平山はその変化をそのまま受け入れていきます。
そこでは、平山が能動的に時間を使うというより、揺れ動く時間が平山の身体に流れている、といった表現の方が当てはまりがよいでしょう。
流れる時間をそのまま受け入れる。そのことで、かえって過去の縛りや未来の目的から解放されて自由になる。そして、生きている実感が得られる。
現在を生きるとは、そんな時間のあり方なのだと感じさせてくれます。
<別設定で観てみたい>
ところで、この映画をまったく別の設定で観たかった、と密かに思うのは私だけでしょうか。
一つは、トイレです。
平山がトイレ掃除の仕事に出かけるのは、THE TOKYO TOILET プロジェクトで著名な建築家やクリエイターが改修した渋谷区内にある新しくクールな公共トイレです。もしこれが、まだ各所に残る汚い不潔な公共便所だったら、我々はこの映画をどのように見るのでしょうか。
同じことは、役者・役所広司にもいえます。
流れる時間をただただ受け入れる平山役にしては、役所広司は生きる力が外向きに溢れすぎているように思えます。(さらに同じことは田中泯にも。)
もし廃人を演じられるような役者、あるいは役者以外の人物が平山を演じたとしたら、この映画はどんな印象になるのでしょうか。
ひとことReview!
変わらない日常が、人によっては劇的に変化しているように見える。見方次第で良くも悪くもなるのかな。普通に生きているだけでも「パーフェクト・デイ」になるのか。そんな平山の生き方に、特にキツい過去を経験した人にとっては、本当に救われる。物凄く余韻が残る大傑作。本編に出てきた「サントリー角ハイボール」を、「響」や「山崎」などの高級品をストレートでじっくり味わうくらいな感じかな。
さすが役所広司さん
人にはそれぞれ自分の世界があり、どんな人でもそれは一瞬で一期一会で、大切なもの。
物語に大きなできごとがある訳ではないのですが、トイレ掃除を仕事とする人の暮らしと日々の機微を綴った作品。
なのですが、さすが役所広司さんです。全く飽きさせることもなくストーリーは過ぎていきます。
三浦友和さんとの影踏み、良かったです。
あとは、さすが!の方のもう1人…田中泯さんの存在感がすごいなぁと思いました。
それから、家出してた姪っ子ちゃんが連れ戻される時の、HUGのシーンはうるっときました。
年末にいい映画を観せてもらいました。
完璧過ぎ!!!もしも”役所広司”が、トイレ清掃員だったら?
auマンデー『PERFECT DAYS』
日本俳優界の至宝・役所広司さんが、カンヌ国際映画祭で、最優秀男優賞受賞って事で注目の作品!
事前情報で、シネコンの一番大きいシアターよりミニシアター系の作風ってのは分かってましたし・・・
本来なら1時間くらいが適度な尺じゃないの!?退屈で寝落ちするかもって不安もありながら鑑賞
マーベルのWhat If...?じゃないですが、もしも”役所広司”が、トイレ清掃員だったら?
役所さんの所作だけで、画面から言葉が伝わって来る凄さに脱帽です!!!
雰囲気や情景は数年前の『すばらしき世界』と似た感じですが、2023年ながら平山の日常は敢えて昭和で止まってる。。。
無口なトイレ清掃員・平山の朝起きて仕事して休憩しながら趣味楽しんで、また仕事して風呂入って飯食って寝る繰り返し・・・
スカイツリーのすぐ近くに、まだあんな場所あるんですね。
家賃や駐車場代ナンボなんやろ!?鍵閉めな行く大丈夫なのか!?元は御曹司か!?と気になる気になるww
で、出勤時に車で聴くカセットテープから流れる曲のチョイスが最高♫
姪っ子とのエピソードも良かったですが、石川さゆりをあの役で起用するのは反則!!
外国人監督ですよねこの作品の監督さん@@!
他にも台詞もなく、画面に小さくしか映らない有名人を見つけるのも面白いかも^^!
ただ日本のトイレが諸外国より綺麗って言っても、もう少し汚れているのを綺麗にする描写があって良かったかも・・・
どのトイレも有名百貨店のトイレレベルで、綺麗なところを更に綺麗にするって感じが、リアルなのかと言われればリアルじゃない気はした。
いやいやそんな事気にせず、俳優・役所広司を観る作品って事でオススメです!
で、平山の愛車がダイハツ・・・今回のダイハツ社のやらかした事の残念さに拍車がかかる。
スカイツリーがみえる老朽アパートで独り暮らす初老の平山(役所広司)...
スカイツリーがみえる老朽アパートで独り暮らす初老の平山(役所広司)。
早朝に起床し、若いころから好きな音楽のテープを聴きながら軽自動車で渋谷区内の公衆トイレの清掃に向かう。
時折相棒になる若いタカシ(柄本時生)は軽佻な雰囲気。
清掃もおざなりで平山としては「いまどきの若い者は・・・」といった気持ちがないわけではないが、割り切っているのかそれほど気にもならない。
仕事が終われば、自転車に乗り換えて銭湯の一番風呂に入り、浅草の古い地下街のなじみの一杯飲み屋で酎ハイと一品で食事を済ます。
判で押したような毎日・・・
といったところからはじまる物語で、平山の暮らす老朽アパートのつくりが面白い。
メゾネット式で、入口を入って左に台所、階段下に物置代わりの小部屋、二階に四畳半と六畳。
四畳半のちゃぶ台の上には、いくつもの小さな鉢が並び、若木が育っている。
六畳間には、ちょっとした引き出し箪笥と、窓際にカセットテープがビッシリ並んだ低い棚とその横に古本が詰まった書棚がある限り。
生活臭さがないのだが、銭湯のため風呂なし、コインランドリー利用で洗濯機なし、すべて外食なので冷蔵庫も調理器具もなし、かろうじて湯沸かし用の茶瓶がある限り。
そぎ落とした生活で、一見、禅的生活にも見えるのだが、日々ではなく、もう少し期間を広げて見てみると、そうでないこともわかる。
昼の休憩は木々が茂る神社のベンチで牛乳とパンを食べ、頭上の木漏れ日をオートフォーカスの安手のフィルムカメラに収める。
1日に3枚ほど撮って、1週間経てば24枚撮りのフィルムは終わり、なじみのカメラ屋で現像を依頼し、新しいフィルムに交換、前に現像依頼した写真を受け取る。
出来上がった写真はモノクロ。
選別して、出来の悪い写真は破って捨て、気に入ったものは海苔か煎餅が入っていたブリキ缶にフィルムと一緒に収め、ひと月経てばブリキ缶を四畳半の押し入れに仕舞い込む。
週末もうひとつの行動は、自転車で浅草まで行き、なじみの古書店で1冊100円の本を買う。
今週買ったのは幸田文『木』。
その足でなじみの女将のいる小料理屋に行く。
日々の一杯飲み屋に比べると相当な贅沢。
コインランドリーで洗濯して日ごろの垢を落とすのだけれど、選別したとはいえプリントした写真やフィルムは溜まる。
読み終えた本も溜まる。
溜まった本は、本棚からはみ出し、平積み状態になっている。
そう、モノは知らぬ間に増えている。
削いでも削いでも増えていく。
人は、どうだ。
かつての平山は、かなりの資産家の息子だったことが中盤わかる。
父親と反りがあわなく、出奔したのだろう。
人との付き合いは絶つように生きてきた。
銭湯での常連との会釈、一杯飲み屋の大将との無言の挨拶(なにせ、何も言わずとも、決まった酒と一皿が出てくる)、神社の住職への会釈。
ま、そんなところだ。
だが、絶ったようにみえて絶えているわけない。
実家の事業を引き継いだ(と思しき)妹の娘、つまり姪が家出して平山を頼って来る。
頼るといっても、ちょっとした、はじめての家出。
少しばかりの非日常。
平山にとっても姪との短い暮らしは非日常。
日々に埋もれていた(気づかなかった、気づこうとしなかった)日常の中の変化。
時折の相棒タカシは急に去っていった。
タカシの担当分も清掃をして、へとへとになった平山に一時的とはいえ新しいパートナーが来る。
なじみの小料理屋の女将の素性も偶然知った。
行き場がなくなって親水公園、橋の下で辞めていたタバコを久しぶりに吸っていたときに、女将の別れた元夫(三浦友和)と偶然一緒になり、教えてくれたのだ。
そのとき元夫が言う、「彼女をよろしくお願いします」と。
そんな気など毛頭ないが、「よろしくお願いします」と言われるのはまんざら悪い気もしない。
姪も頼って来てくれたのだ。
仕事の一時的相棒も、よろしくしますと言ったような。
これまでと同じように清掃に向かう平山の車中、「Perfect day, Perfect Life...」とカセットテープから歌が流れる・・・
足るを知って、余計なものはそぎ落としたつもりだったが、まだ足らないと思っている心がどこかにある。
それを、カセットや文庫本や写真のフィルムが象徴している。
これで十分と感じた人との繋がりは、自分が思っていたものよりも太かった。
日々は変化し、変化に気づいているようで気づいていない。
変化に気づけるくらいが、程よい暮らしということだな。
気づいているか、オレ?
<追記>
反復と往復で描かれる、ヴィム・ヴェンダース監督お得意のロードムービー。
これぐらい、ささやかなロードムービーがいいです。
小津安二郎作品より山田洋次作品に近い
平山の名はヴェンダース監督の敬愛する小津安二郎監督作品の笠智衆氏の役名に由来しているという情報は事前に得ていた。ただし、当然のことながら、小津監督作品とはテンポが異なるように思われた。
柄本時生氏演じるタカシとアオイヤマダ氏演じるアヤと一緒に車に乗って移動するようになったところは、山田洋次監督作品の『幸せの黄色いハンカチ』を思い出したが、そう長くは続かなかった。
次に、中野有紗氏演じる姪のニコが家出してきて転がり込み、麻生祐未氏演じる妹との久し振りの再会を懐かしむようになり、そういう展開も、何かありがちに感じた。
石川さゆり氏演じるスナックのママが歌ってくれるのは良かった。三浦友和氏演じる元夫との関係や遊びも面白い。
そうした身内や女性との関係の面白さは、「フーテンの寅さん」シリーズにもありがちで、やはり山田洋次監督の世界に近いのではないかと思った。
最初の方は、車に乗せてもらって仕事に行っているのかと思ったら、自分で運転してアパートから出かけていた。行きつけの飲み屋に行くときには自転車で行っていたけれど、それも飲酒運転だから止めてほしいものだ。
カセットテープも、曲によっては高額買取の対象になるものがあることがわかった。
エンドロールの最後に木洩れ日の映像と説明がある。
幸せとは何かを問いかける、アートのような映画
決してセリフが多いわけではない中、日常に溢れる幸せを研ぎ澄まして、感じさせてくれる映画。
役所さんが出てるから見ようと思ったが、役所さんだからこそ完成した映画でもあったと思う。
何も喋らずとも、主人公の感情がわかる。何故か貧相な暮らしをしてるように見えない不思議。日々の暮らしが乱れることが不満。そして、何よりイケおじ。お金がなくても幸せ。
こんな生活を憧れてしまう。
東京というギラついた街の中で、質素な生活を噛み締めている描写をみて、こんな暮らし方もありだよなと新しい発見。
結論ありきでなく、謎を残すような感じも良かった。
また、みたくなる作品。
・なぜ、あの家での一人暮らしが始まったのか?
・妹に言われた言葉の意味は?どういう家族だったのか。
・あのスナックに通うようになった理由
・若者はテープの音楽に何故憧れるのか。軽トラのエンジンを切るときの「ピピピィ」という音が何故心地いいのか(現代へのメッセージ)
spotifyをお店?と聞く言葉からさえも、音楽の価値だったり、メッセージ性を感じる。
映画のもう終わりか、という感情は否定的なものでなく、この心地よい生活をまだ見ていたいという肯定的な感情だった。でもそれは、自分自身の生活から見出すものなのかも。
思わず、帰りにはハイボールを買ってしまった。
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