PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
全223件中、121~140件目を表示
孤独だけど豊かな生活
孤独な男の日々。
都会の喧騒の中で平穏で緩やかな日々の生活を描く。
起伏にとんだ内容ではないのだけど、観てるこっちが彼の生活に安らぎとほっこりした温もりを感じさせてくれた。
映画の魔法
はじめから見始めたものが積み重なっていって、
最後の役所広司の表情にやはりやられてしまった。
観る人それぞれが自分だけの思いを巡らす、自分だけの思いを爆発させることが出来る。
こんなことは映画にしか出来ない。
加瀬亮は映画による魔法に魅せられて、この一部になりたいなんて言ってた気がする。
はじめから終わりまで、まさに魔法だ。
人として生きて来れて良かったかなって思えた。
音楽を聴くように映画を感性で見つめて楽しむ映像随筆
小津映画を信奉するドイツの巨匠ヴィム・ヴェンダース監督が、東京に住むある一人の中年男性の日常を終始静謐なタッチで綴った映像随筆。その主人公平山さんを演じたのが、今の日本映画界では名実共に最高の名優である役所広司です。この小津タッチのドイツ人監督と役者役所広司の貴重な出会いが、これまでの日本映画にない独特な感性によって、観る者に想像力を掻き立てさせ、“観て感じる”映画の本質を味わわせる逸品を作り上げました。
(と言いながら、ヴェンダース作品を真面に鑑賞するのは今回が初めて、それに役所広司の演技も映画では初期の「タンポポ」「Shall we ダンス?」そして「それでもボクはやってない」でしか観ていない)
何故このふたりのめぐり合わせが出来たのかと調べると、[THE TOKYO TOILET]プロジェクトという渋谷区の公共トイレの刷新と宣伝を兼ねた短編映画制作が切っ掛けという意外なものでした。しかも、それをヴェンダース監督に依頼したことが驚きであるし、快く引き受けたことにも更にビックリと、題材を想うと言わざるを得ません。偏に小津監督と日本的情緒を愛する故のヴェンダース監督の日本愛と思います。更に「Shall we ダンス?」の演技を高く評価していたヴェンダース監督が役所広司を信頼し、この映画の演出をしたことは、作品を観れば分かります。特にラストカットを平山さんの表情だけで捉えたエンディングの演出です。役所広司の素晴らしい演技で締めくくったヴェンダース監督の、平山さんと言う日本人への敬愛の念があって生まれたラストシーンでした。
しかし、この映画は平山さんの過去について何も説明がありません。トイレの清掃作業員の仕事を丁寧に黙々とこなす現在の僅か数日のルーティンが描かれているだけで、幾人かの登場人物が絡んできても平山さんの過去は深掘りされません。僅かに田舎から姪が家出して来て質素なアパートに転がり込んで日常が変化しても、謎は深まるだけです。母親が運転手付きの高級車で迎えに現れて、平山さんとはかけ離れた裕福な生活をしていることが分かる程度の説明シーンでした。確かに生活に困って今の仕事をしているようには見えないし、暗い過去を抱えている様にも見えない。毎日が単純かも知れないが、自分にとって最小限必要なもの、好きで愛しているものに囲まれて、充実した日常に満足している。それが洋楽を昔のカセットテープで聴くこと、安い文庫本で小説を読むこと、小さな木を愛でること、仕事が終わった後の銭湯と独り居酒屋で飲むお酒を楽しみに生きている。まるで俗世間から逃避したようでいて、仕事は多くの人が出入りするトイレ掃除という公共の場所で、人と関わることが嫌ではないが、余計なことは言いたくない。ただ誰からも仕事を褒められることが無くても、完璧に奇麗にすることに誇りと自信をもって取り組んでいる。こんな平山さんが東京にいるだろう。
ヴェンダース監督のこの視点は、今多くの外国人が東京を訪れて感じるカルチャーショックと同じです。それは日本人の誠実さと街の奇麗さにあります。誠実さは、他人との距離を保ちつつ迷惑を掛けずお互いに尊重すること。街の綺麗さは、ゴミ箱がないのにゴミが落ちていないことと、公共トイレまで綺麗なトイレが無料で利用できること。そして日本語の難しさと美しさ。この映画で扱われる(木漏れ日)という言葉を外国語に訳すと単語が幾つも必要となり、その表現の言葉の多様性に驚くといいます。そして、この木漏れ日と枝葉の影を昔のフィルムカメラでファインダーを覗かずシャッターを切る平山さん唯一の贅沢でオタク的趣味が凄い。出来上がった写真を一瞬にして判別し、気に入らないものを即座に破り捨てる。押し入れの中には何年も撮り貯めたものが整理され保管されています。このこだわりの深さ。
この映画の楽しみ方で私が追いつけないのが、車中で流れる洋楽の選曲の意味合いでした。流石に「朝日のあたる家」は知っていても、その他が分からない。そして昔のカセットテープが高額で取引されることにも驚きました。LPレコードが蒐集家に根強く人気があることは承知していましたが、古くなれば伸びきってしまうテープが今も価値があるのかと。デジタル録音の解析度の高いクールな音とは違って、アナログ録音の温かみのある音楽はクラシック音楽に限らず良いものがあるのですね。この音楽が平山さんの心の内を反映させているのではと、聴き入り魅了されましたが、深くは理解できませんでした。
外国の監督から見えた東京の中の日本的な美しさと、余計なものを削ぎ落した平山さんという日本人の日常から想像した人生の生き甲斐を表現したユニークな映画でした。ルーティンの繰り返しのような日常にある変化を、まるで音楽の流れのように描いた映像の詩的な表現は、観る人の想像に委ねた面白さです。音楽同様、感性で観る映像詩でした。撮影フランツ・ラスティグの映像が素晴らしい。自転車の影を撮ったアングルからティルトアップしたショットがいい。
『禅』
この映画を鑑賞して真っ先に思い出したのは、禅宗のご住職から教えを受けた『感応道交』『日日是好日』でした。特に『日日是好日』はこの作品で非常に丁寧に表現されているなぁと感じました。
ご住職曰く『日日是好日』とは「人生は一期一会清濁併せ呑む気持ちで生きていかなくてはならない」というものでした。
平山も毎日同じルーティンで生活をしており非常にシンプル(後述)である。
一見すると素敵な生活にみえる。
平山の行く所は、いつも同じ場所であり、銭湯、クリーニング屋、一杯飲み屋、カメラ屋、居酒屋などである。どの店でも常連客なのだがそれぞれとの関係は希薄であるように見受けられる。
しかし快適そうに見える独り暮らしでもどこか人恋しさがあるようだ。
女の子に突然キスされて動揺したり、姪の訪問で驚きつつも受け入れたり、妹にハグしたり…
清掃員の相方が急に辞めると言い出した時もシフトがどうとかよりも、寂しさがあったのではないかなぁと思いました。ホームレスの人との関係もそう。
やはり人間は世の中から目をそむけては、生きていけないし皆それがわかっています。
今作の役所広司さんは言葉で発する台詞は少なかったものの、表情や行動で感情を表現しておられたので、とても心地よく鑑賞させていただきました。
最後に私見ですが、『シンプル』という言葉は簡易なものの積み重ねによるものではなくて、膨大な量の問題を山積みにしてそこからそぎおとして凝縮した後に生み出されるものだと思います。
劇中の平山も大きな問題から今の生活を手にしたのだと思いました。
何気ない生活って楽しいんだ
トイレ掃除を職業とする一人のおじさん、平山のなんてことのない日常を描いた作品。大きな事件に巻き込まれたり、ドラマチックな状況に平山が巻き込まれて何かをするか、というとそうではなく、ただただ生活をじっくり見るという作品だ。
そう聞くと全く面白くなさそうに聞こえるかもしれない。実際平山の生活は、毎日同じようでルーティンのように見える。それでもなんだか面白い、という感想にさせるのがこの映画だ。
注目すべき点の一つは「音」だろう。カセットテープがキーになっている(教養がなくて私はほとんど知らなかった)一方で、生活のシーンではほぼBGMがない。BGMの代わりに彩り豊かな生活音が心地よい。平山が目を覚ませる竹箒で掃く音、霧吹きで植物に水をやる音、髭剃り、ハサミ、歯磨き、自販機のコーヒーが出る音、トイレを掃除する音、カメラのフィルムを出し入れする音、やかんを置く音や救急車の音などもアクセントになっていた。
もう一つは「表情」だ。平山はほとんど声を出すことがない。その代わりに豊かな表情を見せる。いろいろな種類の笑いを見せる。困った顔や怒った顔、泣きそうな顔も見せる。(役所広司の表情を見ているとトムハンクスの表情豊かな演技を思い出した。) ニーナ・シモンのFeeling GoodがBGMに流れるラストの平山の表情は圧巻だ。
終盤に説明的に出てくる木漏れ日がこの映画の、いや私たちの生活のメタファーになっていると思う。一見いつも同じような一つのものに見えても、その一瞬一瞬で違う木漏れ日なのだ。
大人になって落ち着いた私たちの生活も、毎日同じようにみえることもある、でもそれは実は一つ一つ違っているのだ。一つ一つの人とのやりとりや、細かな変化、それは十分面白く楽しいものなのだ。
丁寧な生活
私が将来したい生活そのまんまだったな
ただこれは男がやってるから感じられる渋さであり、女(オバサン)がこれをやると哀愁漂って閉まってしょうがない。
これ最後の涙って習慣的な生活に満足だと思わせながら日々は変わりゆき人間関係においての悲しみやトイレ掃除という職業、孤独な人生が結局は本人も嫌気がさしていて爆発したってことなの?
結局人を満たせるのは他人だな
平凡な日常の繰り返しこそ美しい人生の瞬間がある
美しい。とにかく人生は、生きている事は、貴重で美しいと感じさせてくれる作品だった。
毎日の単調な生活の繰り返しは、決して単調ではなく、木漏れ日のように一つとして同じ瞬間はないのだという事。誰しもが誰かに必要とされているのだという事。優しい。とにかく優しい。
人生を生きる中で、傷ついた事、喜んだこと、全ては今を生きる上で、愛しい記憶の集積だということ。
時には深い悲しみに襲われたとしても、全ては夜明けの朝日につながっている。劇中の音楽が絶妙。
やっぱり1970年代の音楽などの全ての芸術は脈々と今につながっているんだなぁ。偉大なる70年代。
ギクシャクした現代よりはるかに視野が広いし深い。
劇場音声トラブルがあったけど
立川髙島屋シネマで鑑賞。お昼の回が機材トラブルでまさかの中止となり、時間をつぶして15:40の回を観ました。主人公の平山(役所広司)は公衆トイレの清掃を生業としています。質素なルーティンの中で、というよりこのルーティンこそが彼の最も望んだもので、時折空を、もしくは木漏れ日を見上げる眼差しは恍惚にさえ映る。同じことの繰り返しが倍音のように果てしなく広がって、観るものを引き付ける。わずかだけど確かに繋がっている人とのやり取りが、お互いを支えて、人生を豊かにする。
ただ彼は聖人ではない。途中、突然辞めた同僚の穴を埋める為、疲れ、苛立ち、怒りを吐きだしたりします。個人的には、あのエピソードに同じ肉体労働者としてグッと親近感を覚えました。また、今の格差社会の底辺で暮らすものの危うさも垣間見せている。ちょっとしたことで、今の生活が崩れ落ち『ダニエル・ブレイク』に、なるかもしれないということも感じさせてくれた気がします。
中盤から後半にかけて15分くらいだろうか、突然音が消えた。劇場の音声トラブルだったのだが、もう私たち観客は、いつもの移動中に平山のカセットから流れているであろう最高な音楽、居酒屋のおやじのセリフ等もすべて想像できるので、ほとんど違和感がなく、逆にこの方が良いのではとさえ思えた。唯一偶然の上映回を共有している観客皆と、一体感があったような気さえしたのは私だけであろうか。
ルー・リードの曲が由来であろうが、本映画の題名が「シンプル・ライフ」ではなく「パーフェクト・デイズ」という、慈しみと有限さを併せ持っているというのが何とも良くて、パーフェクトだなぁと。ふと何度も思い返す映画の一つとなりました。
裕福な人生を捨てた男の物語
感想をまとめるのが難しく、日常のささやかな積み重ねに感動したとしか言えないので、平山さんの背景について考察します。
読書好きなところや人生に対して孤独な哲学を持っているところからかなりのインテリであり、また60-70年代のロックが好みなところから若い頃はそれなりに人生を謳歌していたことことが読み取れます。
しかし、作中で平山さんの背景に迫るシーンは何といっても妹との対面のシーンでしょう。
妹が持ってきた平山さんの好物である菓子折りは手提げ袋まで専用のしっかりとしたもので、乗ってきた車を運転しているのは旦那かと思いきや運転手です。(スタッフロールにkeiko's driverとありました)
このことから、平山さんはかなりの裕福な出であることがわかります。
直前のシーンでニコに対して「世界は繋がっているようで繋がっていない世界がある」「(妹の)世界と自分の世界は違う」と言っていますが、老人ホームにいる認知症の父親に対するやり取りから見ても、裕福な世界(父親と妹の世界)を拒絶して今の暮らしをしているということです。
つまり、なるべくしてなった人生ではなく、選択した上での人生ということになります。
裕福な世界を捨てた平山さんの世界は何を大切にしているのでしょうか?
作中の最後に木漏れ日についての解説がありましたが、その解説に沿うと、平山さんはおそらく日常の中の"良い"と思える瞬間を大切にしているのでしょう。
散歩をしている人には分かると思いますが、毎日同じ道を通っていても花が咲いていたり鳥が飛んでいたり、魚が群れで泳いでいたりと、たとえ街の道でも結構違いがあるものです。
作品を見返すと木漏れ日を見て微笑むシーンや、ほぼ毎日撮っている友達の木の写真、トイレを使う人達への満足げな笑みなど、同じように見えて違う風景を平山さんは見ているのかもしれません。
そう考えると毎日を惰性で生きているのではなく、常に瞬間を捉えながら生きているとも言えるのではないかと思います。
久々に頭からジーンとなる、本当に良い作品でした。
余談ですが、おそらく平山さんの居住地は江東区の亀戸ですね。作中に箒がけされている神社で亀戸七福神という旗がありモロバレですが、スカイツリーのあの距離感は墨田区民もしくは江東区民には馴染み深い大きさでした。
平山さんの退勤後のルーティンは亀戸から近場の銭湯に向かい、桜橋を通り抜けて浅草のアーケード街で飲んで帰るというもので、自転車で20-30分くらいかければ可能です。
亀戸からなら駒形橋を使って浅草まで行けば近いような気もしますが、映画的な都合を無視すると、平山さんが桜橋からの風景が好きということでしょうか。
隅田川沿いに住んでいればお気に入りの橋は出来るものなので、自転車の行き帰りも楽しみの一部と捉えれば生活圏内といえます。
退勤後はなんだか見慣れた風景ばかりで、この銭湯、絶対に浸かったことある…!と1人感動していたのは内緒です。
10段階で言うと9(タイトルは映画の台詞からです)
タイトルは映画の台詞からです
繰り返す毎日
真面目に働き
酒にも溺れず
風呂に気持ちよく浸かる
眠る際の夢が良い
仕方がなくこの生活をしている雰囲気は無・・・悲壮感が無い
ただ、1人で生きていくのは少しだけ寂しい気持ちはありそうだ
でもこの生活でそこそこ満足している気がする
ルーチンで埋もれていく日々が朝日とともに生き生きとする表情を映す彼が限りなく羨ましい
ずっと観ていられる
毎日寝る前に観たい作品
役所広司の空気感に気持ちよく漂う作品
良いものを観ました
話す言葉数は少なかったけれど、表情はとても芳醇だった
ヴィム・ヴェンダーズ監督の作品は「パリ・テキサス」に続いて2作品目。
カンヌ金獅子賞受賞作の「パリ・テキサス」の日本公開は1985年だから、僕は19歳、予備校生の頃になる。背伸びをして見た「パリ・テキサス」は、さっぱり良さがわからなかったけれど、ほぼ40年経って見たこの映画は染み入るように伝わってくる映画だった。
役所広司は、この映画でカンヌ最優秀男優賞を受賞した。彼が演じた「平山」という男は確かに存在する、実在する人物のような存在感があった。平山の生い立ちやどうして一人暮らしをしているのか、なぜ今の仕事をしているのか、などはほとんど描かれないまま、彼の日常は存在するように感じた。
私が、平山ともしすれ違うとしたら、どんなシチュエーションなのかわからないけれど、不思議な魅力を漂わせる人物として、気づくことができる大人でありたいなあと思った。
映画は平山の日常を描く。何気ない。朝から始まるルーティーンに基づいた1日を。道を掃く音で目覚め、歯磨きし、BOSSのカフェオレを買い、50年前のロックをカセットから流しながら仕事場へ向かう。
まるで変わらないように映る日々。
もちろん、まるで変わらないわけでもなく、登場人物たちが平山の日常に、「客」として現れていく。変わらない日常のパーツの時もあれば、日常の1日1日をユニークなものとして彩る光源として登場する。
映画のエンドクレジットで紹介される言葉「木漏れ日」。この言葉が日本ならではのユニークなイメージを表現する言葉とは知らなかったが、その言葉の説明として「ほんの一瞬存在する」。一瞬一瞬の光が連なる「木漏れ日」。
平山はその一瞬一瞬の光の連なりを愛していた。
平凡な木々のゆらめきの中にその一瞬の美しさを見つけ、楽しみ、愛した。
彼は同様の美しさを彼の平凡な、変わらない、ルーティーンのような生活の中にきらめく一瞬一瞬の美しさを見つけ、楽しみ、愛しているように感じた。
平山はとても幸せそうに見えた。
持ち物は少なかったけれど、足りないものはなく。
話す言葉数は少なかったけれど、表情はとても芳醇だった。
いい映画だと思った。
40年も経つのだから。
こういった大人の映画も味わるようになったのかもしれないと思った。
さて、一人暮らしの平山の日常だが、ふと思ったことがあった。
彼は料理をしない。
朝食はBOSSのカフェオレ、昼食はサンドイッチとパック牛乳。
夕食は千ベロだろうか。つまみと酎ハイ?(泡がなかったから水割りかな?)
外食というか、自炊ではない。
上手にやりくりをしようとすれば、自炊しないのかなと思いつつ。
そういえば、カップ麺で済ました夕食があったっけ。
ヨーロッパ仕様の日本向け製品
何だろう?日本が舞台なのにフランス映画やドイツ映画みたいなのに驚く。監督ドイツ人が日本を舞台に撮ったらこうなるのかという秀逸な作品ですね。只、役所さんの主役の様に日本で日本人はなれない。そんな生活出来るかと憧れて観終わった。
日本人監督が撮ったらもっと陰湿でカセットテープに素敵な曲がないかな?もっと汚くてトイレなんか撮せないのにと思った。
Perfect days
妹とのやり取りから、ヒラヤマの複雑な家庭環境や過去のトラウマが垣間見え、また、ラストシーンの表情から、毎日単純にハッピーなのではなく、色んな感情を抱えていることが分かる。
それでも、部屋にTVさえ置かない質素な暮らしだが、その仕事ぶりや、暮しぶりから、自分の価値観をしっかり持っていて、自分がどうすれば一番幸せかを知っている。そして、自分で自分の幸せな生き方をコントロール出来ている。
また、ヒラヤマは、何処からか来て、今のアパートに独りで暮らしているが、仕事、銭湯、居酒屋、古本屋、スナックと、人との繋がりを持っていて、決して孤独ではない。
自分は、最近、老人性の鬱症状があるなぁと自覚してるが、少し生き方のヒントを見つけた様な気がする。
何よりも、毎日のルーティンの様に繰り返される生活の中で、朝、アパートのドアを出る時に、息を吸って、空を見上げる表情が好きだ。毎日に希望がある。
こんななふうに生きていけたなら…
ヴィム・ベンダース監督と言えば昔池袋にあったアムラックスシアターでトヨタとの匂いを感じるロードムービーを数十年前に見て以来。地元での公開予定なく、大都市へ出掛けた際に鑑賞できた。
TTTの活動啓蒙のためのプロパガンダの側面を持つということで、渋谷の清掃作業員のリアルではなくあくまでもリアルっぽさを描いた、映画のキャッチコピーのような大人のファンタジーとも言えなくもないが、とにかく俳優陣、特に主演の役所広司さんが丁寧に演じる平山の表情、呼吸、感情の揺れの一つ一つに魅了された。
無口な平山だが、後輩や馴染みの小料理屋の女将、家出してきた姪など、描かれない過去から自身が選んだ最低限の人間との交わりの中で、日々変わる木漏れ日のように日常が揺らぐ。
特に姪との交流では、「家出をするならおじさんの所と決めてた」と慕われ、仕事場や銭湯に連れていくなど自分の住む世界を案内はするが、それ以上の慕情は決して受け入れない。姪の一緒に海を見に行きたいとの願いに「今度は今度」と答える平山が切ない。
平山から連絡を受け、運転手付きの高級車で姪を迎えに来た妹と対峙する場面。兄の暮らしへの心配と呵責の混ざった妹の言葉から、かつての平山の住んでいた世界が想像される。平山はここでも葛藤は見せまいとするが、笑顔で見送る涙に心が揺さぶられる。
スマホなどのテクノロジーとは無縁の暮らし。時折現れる東京スカイツリーに象徴される商業主義と対極にある銭湯やカメラ屋、居酒屋、古本屋などが平山の住む世界である。ラストシーンのなんとも言えない表情に、彼の愛する世界も併存する将来であればと思った。
2度目の鑑賞後の思い・・・あなたの生き方は?と問われれば答えは「No」
先ずは1回目の鑑賞後のレビュー
perfectDaysという映画を私なりに読み取ってみて・・・素直に感動はできなかった。
どうしてフォークナー?どうしてルーリード?どうしてアート作品然としたトイレ?
日常の一瞬に見いだせる美や人生のささやかな喜び、そのメイン素材にこれら小道具がどうにも微妙に作用している気がします。
フォークナー?京都の大学で出来の悪い英文学専攻の学生だった自分にとって、ジョイス、ナボコフ、ピンチョンとならんでunreadable(解読不能)な作家の代表だったフォークナー。「野生の棕櫚」?読みましたよ、もちろん翻訳文庫本で。(原書で読むほど頭も時間もなかったです。あ、ついでに金もね)
そういうことですか。事件らしい事件も起こらない、主人公の淡々とした日常描写が連なるこの映画、実は「野生の棕櫚」で並行して描かれた2つの物語を平山という一人の人物の物語に再構築したものなのか。
モノクロームの映像から伝わってくる不穏な感じはハリーとシャーロットの物語とリンクし、平山の凄惨な過去を想起させる。
そして、現在の平山の淡々とルーティンをこなす日々の描写。それはまさに過去を償う囚人の生活。冒頭のHouse of the Rising Sunは足にball and chainの囚人の歌であり、Lou ReedのPerfect Dayも執拗に過去の行いの清算をリフレインして終わる曲。家出した姪っ子をかくまい数日を共にして、結局母親に引き渡すエピソードは、「野生の棕櫚」のもう一人の主人公である囚人が、洪水から妊婦を助ける物語と重なり・・。テレビもスマホもない部屋は囚人が暮らす監獄の部屋のイメージ。けれど、本と音楽に守られた平山にとって、その部屋は監獄でもあるけれど唯一の安寧を得られる温室でもある。
「野生の棕櫚」の囚人が、一旦得られそうになった自由を捨て、あえて監獄に戻ったように、平山もまた壁のない監獄(温室)での生活をこれからも続けていく。平山がラストシーンで流した涙、それは凄惨な過去を「別の世界」でのことと切り離し、今の新しい世界での生活にようやく平安を見いだせた喜びから流した涙のように見えました。
・・・とまあ、フォークナーの作品やら劇中に平山がかける音楽やら、あれこれ周到に配置された仕掛けをひっくるめて、Perfect Daysという映画を読み解いてみて・・・
でもやっぱり素直に感動はできなかった。
だってね、フォークナーとルーリードで武装した役所広司の「ただものでない感」。人生のささやかな、本当の喜び、豊かさ、美しさ・・・それが、選ばれた特別な人種のものになってしまう感じ。既にピカピカに見えるトイレを更に磨き上げる平山は、引退した美学部教授が骨董の青磁を愛でているようにも見えてしまう。
現代アートのようなトイレ?60年代70年代を想起させる文学作品や音楽を取り上げるなら、まさにその時代全盛を誇った(?)落書きだらけのトイレをなぜ登場させない?人々の欲望や哀しみ、得体のしれない熱情が書きつけられたトイレの落書きがなぜ映し出されない?私の暮らす街には今だそんな落書きだらけの公衆トイレがありますよ、東京にだってまだあるんでしょ?
写真現像屋の親父・・・柴田元幸氏ですよね。東大名誉教授、米文学研究者にしてMason &Dixonなど多くの英米文学作品の翻訳家。ここで彼を写真屋の親父に起用する理由って?
フォークナーのパスティーシュとしてのサイン?
そんなこんなで、皆さんそれなりに感動できる映画にしております、でも隠し味が本当に判る人にはもっと、ね・・・
というのが鼻についてどうしても感動できなかった。何より、歴史のひずみや世の中の矛盾が多くの人々の血を流させている現代の事象を己の「関心領域」の外に置き、監獄=温室に引きこもっている主人公のその閉塞性にどうしてももどかしさを感じてしまった。
社会から孤立したうらぶれた老掃除夫が、トイレの落書きに書きなぐられた様々な言葉に自分の過去を重ねながら、それを消していく行為を通して少しずつ世の中に、未来に向きあう自分を取り戻していく、そんな物語なら感動できたかも、なんて思ってしまう自分はつくづくひねくれ者なのかな・・・
あ、平山さん、あなたにぴったりの曲、I Am A Rock なんてどう?
そして2回目の鑑賞後の今の思い・・・
もし、ヴェンダース監督が、この映画を通して私たちそれぞれに、「で、平山のperfect daysは、あなたの生き方としてあり?」と問うているなら、答えはやっぱりNoです。
「世の中には繋がっているようで繋がっていない、別の世界がある」という平山さんの言葉、それの言い換えに過ぎないのだけどやっぱり私は「世の中は繋がっていないようで繋がっている世界でできている」と、特にニコ、あなたのような若い人に言いたい。「変わらないはずがない」と平山さんが言う「変わる」とは「過去と現在の分断」ではなく「過去と現在、そして未来を繋ぐ」意味にとらえたい。テレビや新聞を通して見る世の中の様々な出来事はどうしても自分の関心領域を侵食し、それ故に心をざわつかせたりオロオロしたり・・・そのくせ、大した行動に出れるわけでもなく(せいぜいやや顔をうつむき加減にしながら、反核や反戦のデモに恐る恐る参加したり、ほんのわずかな小銭を募金箱に入れたり・・・)。選びたい候補者がいないなどと言いながら選挙会場に足を運ぶけど、それは要するに選ぶ明確なビジョンを自分自身が持ち合わせていないことに他ならないわけで・・・
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の中の一節、
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
だけを実践するような私の日々です・・・やれやれ。
そんな私には、平山さんのような生き方はできない。「今は今、今度は今度」と言い切れず、「今に引きずる過去は、そのまま未来に繋がっていく」し、木漏れ日の美しさは、スナップショットに切り取った一瞬だけでなく、むしろ時の流れの中、光や色の移ろいの中に見出したい。(まあ、さすがに部屋はもう少し整頓したいですけど・・・あ、作りかけのガンプラのパーツどこいった?)
私自身の生き方を見つめ直した上で、あえてこの映画の評価を2度目の鑑賞後は★一つに下げます。
皆さんはどうなのかしら・・・
解釈難しくても楽しい世界
安っぽく役所さんの人生を振り返らないので解釈は色々だと思います。わたしは、エンディングのアップの長回しで、笑っているようにも、泣いているようにも、疲れているようにも、充実しているようにも、明日が楽しみだと言ってるようにも、いかようにも取れる役所さんの顔がすべてのような気がしました。
少なくても平山はこれまでの人生をしっかり咀嚼して、今の今を生きていると思いました。つまりは充実しているということです。キャッチコピーの通りです。憧れます。
映画はとても面白かったです。田舎の映画館にあんなに客がいるとは思いませんでした。どうでもいいことを考えながら観ていたので備忘録としていくつか書いておきます。
同じ場面をセリフ少なくして何度も何度も繰り返す演出、かなり前ですが小林政広監督の「愛の予感」を思い出しました。
あちこちにキャスティングの面白さがありました。日本人監督ならこうはならないかなと。石川さゆりさんは驚きました。川崎ゆり子さん出てたんですね。解説読むまでわかりませんでした。イメージ変わりましたね。
浅草の地下街、桜橋、隅田川など、わたしは18から24まであの辺りに住んでいたので懐かしく、ただ実際の平山の移動にはいくらか無理あるなと思いました。
三浦友和さんでやや無理やりまとめたような気もしましたが「わからないこと、世の中にはまだまだたくさんあるよ。でも終わりだ」にはグッときました。
大都会の片隅、木漏れ日の中で織成すひと時~ 人の出会いと温もりを感じた!
監督:ヴィム・ヴェンダース作品
彼の作品は『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』『ミリオンダラー・ホテル』とかで有名なのかな。どの作品も心地よくて一度は目を閉じて寝るかも~www。
今日は「PERFECT DAYS」を観に行ったぞ。
こう言う作風は本当にいつ見ても彼らしいなぁの一言。
主人公 平山、THE TOKYO TOILETの寡黙な清掃作業員:(役:役所広司さん)。
初っ端から都会の公衆トイレ清掃ってヤツをこれでもか~って位見せてくれる。
ちょっとこのシーンは長いかなと思う。人物像を現わすには必要かもだけども。
清掃車内にかかる懐かしの洋楽がメッチャ心地いいなぁ。そう思って聴きいった方も多いだろう。車の停止やドアの開閉で突如寸断されるメロディに、もっと聴きたいなときっと思う事でしょう。
今時見かけないわ~カーステ。音楽アルバムカセット持ってるけどテープ延び延びやで。
絶対SDとかだと思うけどな、やっぱテープのアナログ音質が受けるのかな。
カメラも同じくでデジカメ多い中、銀塩写真て・・・今時現像店が分かんねぇ。
裏ブタ開けてパトロ-ネからのフィルム供給音、懐かしいナ。
音楽も写真もその時代の味ってやつがそこで現わされていると思う。
トイレ清掃中に見かけた3マス並べ?の落書きメモ回し。
相手は?良く見かけるベンチに腰掛けのOLさんなのかな。それとも女子高生?。メモのやり取りが続いていくって事や、カセット音楽を気に入ってくれた彼女や、樹木の根の元で見つけた新しい植物や、遠くで軽く挨拶してくれるお坊さんなど、木漏れ日の中で覗く彼の周囲の人々の心がほんのりと温かい。そう感じます。
叔父さんと慕い突如やってくる家出の姪。念のため妹に連絡して迎えに来させるが、相手は凄い裕福そう。この対比表現が生む見えない境目がこの作品のテーマなのかと感じます。
TT兄弟じゃないけどw(“T”多い)-THE TOKYO TOILET-この清掃作業着は誇れるものではないの?だからこの作品があるんでしょう?そう思うんだな。
誰かが汚れた後を綺麗にする、だから明日が(次が)ある!そう思うんだよネ。
残念な所を一点あげるなら、多分 平山は真面目で独身だけど、居酒屋の女将(役:石川さゆりさん)に好意があった様なんだな。最終的に勘違いだったけども抱きついてた元夫との姿を見て 急にその場から去って、あんなにタバコに酒に急に溺れるかね?あれは有り得んよと思う。
その後 気にして追いかけてきた元夫が まさかの初対面に病名告白。かつ元女房をヨロシクと言うのだ。展開流れが今まで各駅停車でのんびりと旅してた気分だったのに、最後きて急に新幹線に乗って最終目的地に着いた~って感じしたわ。それとラストカットの運転席の場面で真っ直ぐ走っている車なのにハンドルに手を掛けて回しすぎだよと思うw(細かく見ててゴメン)。そこがとっても残念!
「君の名は。」かと思うぐらいとても綺麗な都会の朝焼けシーン。その街中をゆっくりと清掃車がカセット音楽を奏でながら 今日に、明日に ほんのりと温かい心に満たされた彼が走って行く~。
興味ある方は 是非劇場へどうぞ!
成熟かおとぎ話か
『PERFECT DAYS』成熟した社会のおとぎ話でしょうか。ヴィム・ベンダースの一つの提案、年寄りはこの映画を見ると自分の今後はこれでいいやと思うのですが、若い人には物足りないでしょうね。消費は美徳という時代を経験して到達した生活ですから。
高度成長期、バブルそして崩壊
高度成長期、バブル期を通り過ぎて行き着いたところでしょうか。
主人公は、映画では50代の独身のように思われ。
東京の下町の風呂なしアパートに住み。
公園のトイレ清掃で生計を立てている。
これといってお金のかかる趣味があるわけではなく。
室内には、丁寧に育てている観葉植物。
仕事の後は、銭湯でさっぱりして、浅草あたりの安酒屋で一杯。
自宅に戻り、おもに部屋では読書。
まるで、現代の仙人の趣。
年齢からして、日本経済が、イケイケのころも知っているはず。
「24時間戦えますか」なんて時代もありましたね。
自分にとって大切なものとは
そう、この主人公にとっては。
このささやかな生活で、十分幸福なんだと。
人それぞれ器というものがあって。
この主人公は、幸福の器がこの映画の大きさなんだと。
人間ある程度年齢が行けば、ある程度見えててくるのですが。
幸福と感じる器の大きさが、そんなに大きくないほうが、人間をやれるよなと。
この映画を見てるとそう感じさせます。
ヴィム・ヴェンダースの結論でもあるかのようです。
人間一人生きてゆくのには、そんなにお金はかからない。
お金のかけ方にもよりますが。
この主人公のように、幸福感の器はそんなに大きくなく。
そして、お金がなくても創造的に生活できる工夫ができればですが。
ヴィム・ベンダースは、「お金がなくても、幸せになれるよ」と言っているかのようです。
東京の下町とトイレ掃除
ヴィム・ベンダースはこの2つを選択したようです。
東京下町の風景が、なにか刺さるものがあったのでしょうね。
ただ、これはあくまで映画でのお話。
いわゆる、下町幻想でしょうか。
実際には、下町は、首都圏以外から流入した新住民の街。
かつての人情などあるわけもなく。
意外と、殺伐としていて住みにくいところなんですが。
あと公園のトイレ掃除ですよね。
最新のオシャレな公衆トイレしか出てきませんが。
確かに、日本の公衆トイレはかなりキレイになりました。
だけど、この主人公の作業するようなキレイなところばかりでないのが現実。
特に、駅のトイレの掃除などは、かなり心が折れる場面に遭遇するのですが。
このあたりが、現代のおとぎ話でしょうか。
ほぼストレスフリーな生活
主人公のように、収入は少ないが。
人と多く交わることもなく、自分のペースで仕事ができて。
贅沢をしなければ、自らが満足できる生活を送れる。
そんな生き方を提案してるんだろうな。
まあ、それも悪くないけど。
やはり、年寄りになればそうならざる負えないと思うのです。
それでいて、昭和の活気を知っている者にとっては。
あの消費は美徳とまでは言いませんが。
あのエネルギッシュな時代が懐かしいのも事実。
さあ、あなたはどんな人生を送りますか。
すべては、アナタ次第です。
全223件中、121~140件目を表示