PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
一人でも映画を観に行きたいと思うことはほとんどないが、この映画には呼ばれた。まあ、刺さること刺さること。が、この映画の身もふたもない要約をするとなれば、「役所広司がひたすら便所掃除する話」となる。役所扮する「平山さん」の生活は実に単調だ。近所のばばあの掃き掃除の音で目を覚まし、歯を磨き、オンボロ自動販売機でBOSS買って車に乗り込んで出勤する。最近のアニメやゲームに慣れた身からは「あれ、これタイムリープもの?」と訝しむくらい、「ループ感」は強調されている。平山さんの住まいもたいそう古く、昭和が舞台の話だっけと一瞬思うが、通勤経路で毎朝目にするスカイツリーの存在で、現在のストーリーだとようやく確信できるという有様だ。しかしもう、この通勤経路の描写だけでなんか涙が出そうになるんだよな。昭和の面影濃厚な下町から、アーバンな美的センスが張り巡らされる首都高まで、人の暮らしの生々しい香りにむせかえるし、自分のあれこれの記憶も刺激されまくる。
あまりにシンプルな生活に、「この人はこれを体が動かなくなるまで本気で続けるつもりなのだろうか」と心配になるが、自分の暮らしとその違いはいかばかりなのかという疑いも徐々に浮上してきた。組織の中で「やらされ感」のある毎日を送っていると、平山さんの生活はある意味ひじょうに美しく映る。トイレの清掃に実直に取り組む平山さんを、仕事のパートナーであるクズ男・タカシは「どうせ汚れるんですよ」と揶揄する(柄本時生の演じる「足りないけど憎めないクズ」は素晴らしい)。
しかしながら平山さんは幸せそうだ。節目節目でハンドルを握る平山さんの顔面が大写しになるが、私はほぼそこに多幸感を読み取った。彼は間違いなくperfect daysを過ごしている。平山さんは決して変化のなさに安住しているわけではない。むしろ彼は、「全く同じ日が巡ってくるはずはない」という意味のことを作中で何度も口にしており、「ループ」を拒絶している。平山さんの暮らしぶりには富の蓄積の兆しは全く見えない。なのになぜ、この男はこんなに美しく微笑めるのか。
一つにそれは、こんな平山さんでも「与える」ことができていることだろう。クズ男・タカシに女と遊ぶ金を貸してやる。家出してきた姪っ子に豊かな時間といちご牛乳と本を提供してやる。交わることのない異世界に住まう妹を抱きすくめる。末期がんの男に、缶のハイボールを分け、影踏みを提案してやる。決して「持てる者」でないのに、なんと確かな恵みを与えていることか。
もう一つは、彼が音楽を愛し、読書に耽る人間だからなのだろう。彼が車のカセットデッキで聴く音楽も、寝る前に開く本も、トイレ清掃員という仕事の割に異様なハイセンスが覗く。部屋の本棚・カセット棚のラインナップは、それぞれの筋の人が見れば「ほほう」と唸るものだろう。突然変異的なインテリ労働者というのは現実世界にもそれなりに観測されるものだが、こんな平山さんの属性の所以は、ストーリー後半でほんのり説明される。
「人生を豊かにするのは金ではないですよ」とストレートにいってしまえば実につまらないところ、こうして具体的な人間の姿を通してメッセージできることが映像(:広義の文学)の強みということなのでしょう。
あと石川さゆりと田中泯の使い方がずるい。アヤちゃんもニコちゃんも可愛い。
綺麗なだけでもない
すごく面白い訳ではない淡々とした描写なのに最後まで飽きずに見られました。
あの叙情的な写し方と、平山の生活だけをただただ追うスタイルがドキュメンタリーとファンタジーの間の様で何とも言えない雰囲気で見えるのが海外からの視点ならではなのかなと。
生活をあれだけ丁寧に書き写しているのに、出退勤のシーンがなかったり同僚の姿があまりないせいか仕事というより日々のお役目をひたすらこなす仙人の様な世捨て人的生活に見えて、清貧な生活の空気を感じます。
でもベルリン天使の詩を書いた監督がただこれだけとは思えない。この毎日がパーフェクトって意味がもっとあるのでは?
TTTって渋谷区のプロジェクトで、一般の企業のものじゃないはずなのにあんな1日拘束されて走り回って人にも嫌がられる仕事をあんな低賃金でさせているのかしら?あのトイレの建築としての美しさはあの清潔さと合わせてこそで地域の治安維持にも一役かっているはず。だのにそれを下で支えるために雇用した人たちに風呂洗濯機無しのアパートにしか住めない生活をさせてる様に見える事に雇い主側は怒らなかったんだろうか?
ファンタジーだし、小津安二郎リスペクトだから良いよってこと?それとも疑問さえもっていない?
人は足りない。社員教育もなく掃除の仕方は個人の工夫に任せている。町の人達に仕事の重要性も理解されていない。うんよく見る光景。
主人公が清貧な生活を望んでいて実はお金貯めてるのかとも思ったけど、ガソリン切れても入れる金が無いから大事にしてるテープを売りに行ったっぽいのでやっぱカツカツギリギリで、ほとんど善意で維持されている仕事の様に見える。東京のキレイな街並みも日本人の美徳で維持されているだけで、それが無くなってしまったらどうなるんだろう。
1人だけで何も事件が起こらず繰り返すだけなら完璧な1日を積み上げて行けるけれど、そこに他人が関わる事で崩れてしまうくらいの生活基盤。こりゃパーフェクトデイズから外れちゃいけない。気になる女性ともよろしくされても一緒になれないし、子供だって持てない。良くも悪くも変わらない事を期待するしかないけど変わらないものなんてない。ふ、不安だ。えぐってくる。
台詞も凄く刺さってくる。恐怖と不安は違うもの。影は重なったら濃くならないわけないって笑顔で言うの割とホラーに感じました。日々の温かい善意の木漏れ日も不安の影が重なれば日本人の善性も着々と濃い影に変化していくでしょうよ。
もうなんだか日本の人権意識が小津安二郎の時代から変わってないぞと国の外側から言われてるみたいで恥ずかしい。見た目は近代化した東京も意識の近代化はせず古いままだねと指摘されてる様に思えてならず。
アートや文化的な側面以上に日本について監督は勉強してるから出来た食い込み方だと思います。この映画が実現したのって凄い事だと思います。
もうちょっと素直に見ても良いんだけど、最後の平山の表情を見たら考えちゃって。私も泣き笑いの木漏れ日な毎日を生きてくしかないわ。
平山さんのまなざし
平山さんは、ほころぶような眼差しでその時々の木漏れ日をみつめる。
そしておなじ眼差しで向き合う人の後ろにある景色を感じ〝おもんぱかる〟。
報われなさや理不尽さにでくわしても、ゆるやかに舵を切り自分を整えていくことができる彼の言動をみるにつけ、さらりとおとしこまれたその様子はこの言葉がぴったりだと思った。
そんな平山さんが大切にしてるルーティンがまわらぬ程の限界に来たとき、初めて怒りの感情をみせたので少し驚いた。
でもそれは必要な対処を求めるためのものだとすぐわかったし、みえた一面の人間らしさに妙に安心もした。
それに、きっと彼は個人を怨んだりせず、尾をひいたりもしないと信じることができた。
どうしてもしまえない尾がただひとつゆらゆらと惑わすことがあったのを知るまでは。
いつの間にか建物がとり壊されていた町の一角。
そこを通る老人のある言葉を耳にした平山さんの一瞬の表情の変化を思い出す。
あの時の平山さんは、人はいつか忘れていくことで終われることがあると感じたのではないだろうか。
その一方で、我が身の老いも感じつつ、まだ暫くの間はそこまで辿りつけずに付き合っていく時間のことも。
彼にとって、更地をぴんぴんに覆う新しいブルーシートの冷たい硬さは、二度と港に戻らないと決めた小舟が漂う海原の孤独の厳しさに似ていたかもしれない。
そして、姪っ子との会話にある軽さの分だけ裏側に潜む重み。実父について語る妹を別れ際にあんなふうに抱きしめた意味。迎えの車内で姪っ子が感じとったはずのその夜の闇より深いもの。
再びで最後になろう決意が伝わり、みえてきた翳りで不安が増すと淡々と繰り返す実直な日常に身近な喜びを見出せる彼の暮らしぶりとは真逆の内なるものが、大小の波に打ち寄せられ辿り着く流木のようにあらわれた。
まばゆい朝焼けを真正面から浴びる運転席でのシーンだ。
余程の悲哀を味わいつくし余程の精神で越えてきたであろう姿がまだその最中(さなか)をたったひとりのまま生きようとしていた。
描かれてこなかった人生やまつわる覚悟、なぜ平山さんがそうあるのかが手にしたカードが埋めていくように私を捕えていく。
そして、真逆の内なるものも平山さんのまさに一部であることを痛感し、〝おもんぱかる〟あのまなざしを思い出した。
思えば誰しもが違う立場でなにかを抱えていた。
無常のなかを揺れ動く人の心でもがきながら生きていた。
平山さんはきっと今夜も読書をしながらうとうとと残像に追われ浅い眠りにつき、箒が道を擦る音で目覚める明日のはじまりにも空を見上げ柔らかに微笑んで一歩を踏み出す。
それから玄関で握りしめた小銭で買う缶コーヒーを啜り、お気に入りのカセットテープの粗くあたたかい音を味わいながら、スマートにそびえる無機質なスカイツリーを右横に流して朝一の持ち場へと向かう。
いつかその時がくるまで彼らしいそんなPERFECTDAYSを重ね続けるのだろう。
物質的なものでは決して満たされないことを嫌というほど知っている彼が折り合うと決めた生き様が映るまなざし。
それが、羨望と敬意が混在する小さな染みをはっきりとこの胸にのこしていった理由をみつめている。
修正.追加済み
日常を見る
やっと見る事ができました。役所さん含め全ての登場人物の過去や理由を語られる事なく、ただ、日常を切取り、良いこともあれば、悪いこともあり、時々ドラマティックな日常を丁寧に描かれていた。不思議と2時間飽きずに見れた。最後の涙の意味は僕にはわからないが、芝居に釣られ感動させられる。
良くできた日常映像化作品とは思うが…。
人生の広大な山や深い谷、豊穣の地も荒れ野も歩いてきた(っぽい)静かに前向きな男の、平坦かつ深イイ毎日をほぼそのまま(と言うか監督の見せたい部分の繰り返しとその僅かな変調幅)映し出した定点ロードムービー‥
あれ?俺凄いな、高遠な映像詩作品を説明し切ってしまったぞ。でも決して単純とか浅いと言いたいわけでなく、本作は極めて静かながら均整の取れた映像進行と物語進行が美しく?、昨夜寝不足にも関わらず見ていて全然眠くなりませんでした。役所さんの演技所作は(台詞あんまり無い中で)自然で、助演の皆さんも上手いです。さゆりちゃん(子供の頃ファンだったので、すみません)が出てきて歌い出したのにはビックリしましたが、上手くまとめてました。
でも、よく知る東京の市井の風景と入ったこともある公衆トイレをかのWim Wenders監督が話の舞台として撮ったのだから、芸術的な特別感と親しみとが混じって映画を超楽しめるかと期待していましたが、やはりそうでもなかった。新しいと古いが混在の東京風景にしろ時代最新のトイレや面白いがフツーの日本人たちの詩的映像にしろ、監督の狙い通りに楽しめるのは、専ら日本(人・文化)をちょっと〜かなり知っている知的外国人さん達であり、本作品はそんな方達(だけ)向けの「平凡だが美しく深い日常描写映画」ではないでしょうか。私などには日常過ぎ・普通過ぎ・深すぎであまり味わえませんでした。
きっと、場所に特異的な映画はそういったものなのでしょう。私は昔、Sofia Coppola監督の「Lost in Translation」を観て退屈かつなんか東京が馬鹿にされてるだけの映画のように感じ極低評価でした。
今改めて考えると、そんな私が本作監督の「Paris,Texas」をなんか良く分からないが高評価していたのは私が日本人であり、東京は物珍しくなくとも米国テキサス州の未知の風景は新奇で楽しめたという部分が大半(あとは主演女優の美しさ→好みの違い)だったのかな〜
などと本作と全く関係ない思索をしてしまった次第です。
まあそんな訳?で本作は良く出来てはいるので、芸術的感受性や哲人度が高い方(皮肉ではありません自虐です)、海外または日本国内でも東京を異境の地と感じている方には良作たり得ると思います。些か支離滅裂失礼しました。
良い視点
東京のトイレに注目することと、
光と影の影のほうに注目することが
印象的だった。
最初はわかりやすいはなしだなって
あまり響かなかったけど、
姪との再会とか、
癌の男などのシーンで、
すごく涙溢れてしまった。
平凡な日々でも、
1人でも愉しくても、やはり感情を揺さぶらしてくれるのは、
人と人との関わり、繋がり、コミュニケーションなのではないか。
としみじみと。
ルーリードの"パーフェクトデイ"の曲が流れたタイミングが、女の子にチュウされたあとだったところも、すきだったな。浮き足立ってる主人公を彷彿させた。
この映画に感動するのって、つまりは禅とかBuddhaの精神が自分に流れてるからかなと思う。
美しすぎて胸いっぱい
観たい気持ち半分、観て悲しい気持ちになったら嫌だなぁと避ける気持ち半分で、遅れて今頃観た。後悔しかない。もっと早く観ればよかった!
映画は木漏れ日を愛する男、ヒラヤマの部屋の朝から始まる。
修行僧の部屋か、監獄か、と思うほど禁欲的な何もない部屋。手狭な和室にあるのは必要最低限の家具と本とカセットテープレコーダーだけ。
暗い中、ボロボロのアパートで黙々と仕事の準備をするヒラヤマ。トイレ掃除の道具を満載した軽自動車に乗り込み、カセットテープ(!)をかけ100円の缶コーヒーを飲む。でも不思議と悲壮感がない。
彼は黙々とトイレを掃除する、一生懸命に。やけでもなく、逃げ込む風でもなく、絶望感もなく。
日々巡りあう人々や出来事、天気、空、緑、風を味わい、心から幸せを感じる。彼の周りには不思議な空気が漂う。
個性的な人々が現れ、何か展開するのか?と思うとそうでもない。彼がこの仕事についた経緯も明かされるのかと思いきや、触れられない。伏線のようで伏線でもない。彼の生活の様々なシーンが、カレイドスコープのように散りばめられている。
同僚の彼女は、行きがかりでヒラヤマの車に乗り、彼の音楽テープを気に入り盗んでしまう。そして返しにきたという名目で車に乗り込み、頬にキスして去る。せつない。。
音楽の趣味は、意外に人の本質や心のひだまで写したりする。あの見た目、仕事、車、なのにあのテープ!惚れる気持ちもわかる。
そういえば学生時代、男子が好きな曲を集めたテープを渡してくれたりすると、告白されたくらいの起爆力があった(趣味があった時限定)
突然訪ねてきた年頃の姪に、ヒラヤマは、
「家出するなら叔父さんちって決めていた」と言われる。
大人として最高の賛辞ではないか。
ヒラヤマの周りにはいい女が集まってくる。いい香りの花に集まる蝶のように。
繊細でピュアな精神を持つ彼女たちは、もがきながら物質的な世界に生きている。
そんな苦悩はとっくに超越したヒラヤマの潔さ、繊細さ、慈愛の心に女達は打たれる。
地味で、オシャレの片鱗もなく、いわゆる負け組的仕事・住まい、ややコミュ障?
そんな世間のカテゴリーも評価も知りながら、ヒラヤマはその中に生きない、絶望していない。
ヒラヤマは、木漏れ日をモノクロのフィルムカメラでファインダーも覗かず撮るのが趣味。現像後出来を確かめ、NGと思えば破って捨てる。その日の光と風と葉とシャッターの気まぐれによる一期一会。モダンアート⁈ただものではない感が滲み出る。
ヒラヤマのポケットにはいつも古本の文庫本が入っている。TVのない部屋には本がぎっしり。彼の精神性、哲学は静かなあの部屋で本達と培われたのかもしれない。
感情をみせないヒラヤマが、ただ一度あつくなったことがある。姪を迎えに妹が来た時だ。
センスのない社長車の後部座席に座り乗り付ける妹、ヒラヤマの感性と違いすぎる。支配階級の家の出だとわかる。ヒラヤマと父との確執もチラリ。別れの時、ヒラヤマは万感の思いで妹をハグをする。愛していたけど、自ら家族から距離をおいたのだろう。
圧巻は、石川さゆり扮するスナックのママの元旦那(ガンで余命わずか)との川辺のシーン。
「影って重なると濃くなるんですかね」「何もかもわからないまま終わっていくんだなぁ」「あいつをよろしく(×2)」
のしんみりセリフからの、
二人で体の影を重ねてみたり、影ふみしたりのクレイジーなおじさん二人に、涙腺崩壊。
夜明けに仕事に向かうヒラヤマは、いつものようにテープをかけ車を走らせる。
世界を肯定するように一人笑顔をつくる。その目には、おさえてもおさえても涙が溢れる。目だけで語れる役所こうじ、さすが。
静かな映像、ストーリーなのになぜこんなに力強いのか。心を別次元に連れて行かれた。日々溜まっていたモヤモヤやストレスもどこかに吹き飛んでしまった。
2023年の映画のマイベストです!
平山さんに会いに行く
自分でもバカかと思うくらいひとりで号泣する事があるが平山の涙は何の涙だったんだろう。
寂しいでもない、悲しいでもない、うれしいや楽しいでもない、だとしたら何か。
寝て目が覚めたらそれはnew day。同じようでも同じ日は一日もないのだな。
淡々とした日常を見ているだけでこんなに心が揺さぶれるなんて。
【考察】彼が追い求めていたものとは???
まず、二種類の「ツリー」が対比になっている。
スカイツリーと公園の木々だ。
スカイツリーは人工的で何度見てもその姿は変わらないが、木々の揺らめき、木漏れ日は常に変化しており、同じ姿を写真におさめることはできない。
スカイツリーは「日常の変化しない部分=仕事」のメタファーであり、ひと息つくときに見上げる木漏れ日は「些細な日常の変化=安らぎ、楽しさ」のメタファーである。
つまり彼はルーティン化した日常の中に起こる些細な変化を記憶にとどめ(もしくは写真におさめ)、それらが木漏れ日のように再現性のないものであると噛みしめることに人生の喜びを感じている。
彼は朝、家を出た後必ず一度空を見上げて安らぎを得、その後車内からスカイツリーを黙視したあと音楽をかけている。心のスイッチを切り替えていると思われる。
ただ、一日の中に変わった出会いがあればにこやかにその余韻をしばらく感じている。同じ人ともよく出会うが、出会い方はいつも違う(座ってるベンチや場所が違うなど)。それも彼の中では再現性のない、日常を彩る変化なのだ。
そして毎晩白黒の夢を見る(彼にとって日常的に撮る白黒写真が思い出の媒体だから)。
【時計が出てこない】
彼は基本的に時計に頼らず生きている。朝も目覚まし時計を使わず目覚めており、玄関においてある腕時計も休日にしか使わない(コインランドリーの時間を図るためか?)
殆どの時間の流れは肌で感じたい、騒がしい消費社会から降りた彼の郷愁のような波動をそこにも感じられる
【父親とめっちゃ仲悪い】
過去に父親から虐待を受けていた? もしくは巨大な確執があると思わせる会話シーンがある。彼が独身で今の生活を送るに至った理由もそこにあると想像させる演出だが、深くは描写していない。「過去から解放されて今の生活をしている」のか「過去のせいで今こんな生活になっている」のかは謎だ。ただ彼は現状の生活に納得いっていない可能性が高い。理由は妹からまだその仕事しているのかと尋ねられた時の表情、認知症になった父に会ってあげてと言われても頑なに拒否していた様子から。
彼が望んでああいう生き方を選んだわけではないと仮定した場合、不自然なスナック通いも説明がつく。日常の些細な変化を噛み締めるのが生きがいだと考察していたが、もしかしたら彼は大小にかかわらず人との出会いを切望しており、さらにいえば深層心理では現状からの脱出を望んでいるのではないか。実際、家出少女にせよ後輩の自動車乗り込みにせよ他者の干渉をすぐ許す(まあ姪っ子の件は夜だったからしかないにせよ)。
【最後の表情の意味とは?】
ガンにかかった男と影踏みをした翌朝の彼の表情から読み取れるのは、拭えない未来への漠然とした不安、どこかで大きな転機を望んでいながら、一方でこの日々を崩したくないとも感じている自己矛盾の入り乱れか。
いい映画でした。
【不満点】
家に転がり込むのはせめて少年にして欲しい。物語が始まらないのがこの映画(彼の人生)の醍醐味なので、少女が寝泊まりし始めたところから急にファンタジーになって微妙に冷める。それとここだけ「彼が正しい判断をするかどうか」をヒヤヒヤしながら見守るシークエンスに変貌している。
あと個人的に彼は無口キャラという感じがしない。父親との確執でガードが固くなったのかは定かではないが、喋るとなんかめちゃくちゃ普段から喋ってる感じがするので、急に返事をしなくなると「あれ?」ってなる。無口というか意図的に黙ってる感じか。なので後輩が彼を「無口キャラ」と紹介する場面はあとあと微妙な違和感となって付いてまわる。
幸せの教科書。最高の映画
今まで観てきた映画の中で一番心に響いた。幸せの教科書だと思う。こんなに恵まれた現代社会において自分の心が満たされてない人は多いと思う。自分自身もこんなに簡単に人と繋がれる時代において、孤独を感じることがある。幸せを常に追い求めるが何か心が満たされない。それは求めすぎなんだろうと頭では分かっていても実際行動に移せていない自分がいる。
そんな時、この映画を観て、こうすればいいのか!と腑に落ちた。よくある幸せとは何かという問いに答えを出すとしたら、この映画の平山のように生きることなのかもしれない。
平山の生き方は一見するとしんどそうだ。トイレ掃除の仕事(公共のトイレを一日中掃除する。大変そう。)、おそらく風呂無し、洗濯機なし?の古い家。中年おじさんの一人暮らし。これだけの情報だとさぞしんどい生活に見えるが、平山は笑顔の絶えない日々を送っている。
そう考えると、自分が多くを求めすぎなことに気付かされる。多くの人がやりたがらないキツい仕事だってやりがいもあるし、真剣に取り組む姿はかっこいい。風呂がなくたって銭湯がある。洗濯機が無くたってコインランドリーがある。中年おじさん一人暮らしだって一歩外に出れば常連の店などの居場所がある。個人的には平山の生活には少し孤独を感じるがそれも工夫次第でどうにかなるのかもしれない。
自分は幸せという視点からレビューをしてみたが、他の視点からこの映画を考えてみるのも面白そうだ。例えば木漏れ日など。
いろんな角度から思考ができ、いつまでも余韻に浸れる最高の映画だった。まだ観てない人は絶対観た方がいいと強くお勧めできる最高の映画だった。
まだ24歳の自分はまだまだ多くのものを求めているし、挑戦し続ける人生にしたいと考えているが、失敗して何もかも失って、なんだ幸せはこんな身近にあるし、考え方次第で誰でも手にできるものだと強く勇気づけられた。
他人は違う世界の住人
平日、休日問わず、ルーティン通りの生活を送る主人公。傍から見ると単調な生活に見えるものの、主人公は生活の中の何気ない変化に気づき、それを楽しむようにして生きている。
作中前半はこのことを説明するためか展開に大きな変化はない。作中後半に、主人公を取り巻く人物達にそれぞれ変化が起こり、主人公のルーティンもその影響を受けていく。
作中のセリフにあるように、本作は、人はそれぞれ違う世界に住んでいる前提でつくられている。影を重なると重なった部分が濃くなるように、それぞれの世界が交錯することによって互いに影響を与えていく。また、木漏日が同じ模様にならないように、交錯する世界の組み合わせや比率も常に変化する。
主人公は一見すると自分の世界を確立して揺るがないように見える。しかし、終盤の車を運転する主人公の表情が長時間写し出されるシーンでは、主人公も他の世界から影響を受けていることが描かれているように感じた。
平山の寡黙
平山が意識的にコミュニケーションを拒絶しているわけではないでしょう。
トイレの中で迷子の子供を見つけた時に、「どうした?」と声をかけます。手を引いて出ると子供の母親は清掃員の姿に子供が繋いでいた手を拭き、一言の礼も言わずに立ち去ります。コミュニケーションを拒絶しているのは平山ではなく、明らかに清掃員を見下した母親の方です。子供は平山に手を振り、平山も子供に手を振ります。二人の間には言葉を交さなくてもコミュニケーションが成立しています。
無駄口を叩いて仕事がおろそかなタカシに対して質問には答えませんが、仕事をしている時は「やれば出来るじやないか」と平山から声をかけます。
サンドウィッチを食べる時、隣で食べているOLに対して平山の眼は笑っています。OLから挨拶されれば、平山は返すと思います。拒絶する目つきではありません。お互いに恥ずかしいので言葉は交わしませんが、拒絶している訳ではありません。
宮司に対しても眼で断ってから新芽を持ち帰ります。暗黙の了解があります。
平山が言葉を発していなくても、コミュニケーションを拒絶している訳ではありません。
あくまで私の考えで、映画を観て感じる事はそれぞれなので自由ですけど。
カミさんが「PERFECT DAYS」を観たいと言うので一緒に日比谷シヤンテへ。私は暮れに観ているので2回目。
❢2回目で気付いた事❢
◯隣の部屋の植物育成用のランプは夜中も仕事で出かける時も点けたまま。
◯アパートの前の自販機は100円自販機。平山はコイン1枚しか入れない。
◯自販機は上段がペプシやCCレモンで、下段がBOSS。一番左がコーヒーで次がカフェオレ(缶の色)。ダイハツの運転席のカップホルダーに入れる時に見える缶の色がカフェオレの色。いつもカフェオレ買っている(ように見える)。平山の生活パターンからもいつも同じ缶。
◯猫を抱いている研ナオコの出番は1秒弱!?
◯姪のニコが乗っている自転車はどうした?
(TVでスカイツリー周辺には自転車のレンタル店が多いと言う情報有り。借りたか)
◯いつも缶を1つしか買わない平山が、思い直したように2つ目を買う。代わりにシフトに入った佐藤(安藤玉恵)に渡すためか?(渡すカットは無いが、自分で飲むカットもない)
◯銭湯が3時に開場なら平山は銭湯に1時間以上いる。相撲を観ている(取組は阿武咲)。
◯平山が酒とピースを買うのはLAWSON。
◯平山の見るモノクロの夢(?)はその日の出来事。
❢気付いた訳ではなく、1回目の後で知った事❢
◯パトリシア・ハイスミス「11の物語」ビクターは母親を殺す。(ニコのセリフに「私、このままじやビクターになっちゃうよ」)
◯パトリシア・ハイスミスは「太陽がいっぱい」の原作者。
◯平山が乗っているダイハツ・ハイゼットカーゴは2004年まで純正オーディオにカセットデッキ搭載。
彼が毎日買う缶コーヒーは微糖なのか無糖なのか?
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ヴェンダースが日本映画として残したかった世界は、木造アパート 布団と畳 箒の音 カセットテープ 文庫本 写真フイルム 缶コーヒー 銭湯 ガード下の飲み屋などアナログなアイテムに囲まれて毎日を繰り返す…昭和を生きた僕らには懐かしくも楽しい世界
でも彼の前の未来は閉ざされているし人生は繰り返さない
ラスト近くの長いアップが苦めのヴェンダース作品
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個人的には三浦友和がよかったです
結局わからないまま終わるんだよなという彼のつぶやきが一番の名場面かも
タイトル通り、完璧な日々を描いた映画
正方形に切り取られた美しい東京の風景。
カセットテープから流れる選りすぐりの音楽。
規則正しく繰り返され、
ささやかなようで、金銭的な価値を越えた、ある種の贅沢な楽しみで満たされた生活。
主人公によって見い出され、毎日磨き上げられた選りすぐりの大切な宝物たちを見せてもらうだけでも、価値のある映画だと思う。
主人公の楽しみのひとつ、自分で撮ったフィルムカメラから定期的に現像される写真の紙焼き。
全部を残すのかと思ったら、
気に入ったものは残し、気に入らないものは破っていた。
一見穏やかそうな主人公だが、気に入らない写真は破り捨ててしまうように、厳しい審美眼で、自分にとっての必要なものを選びとってきていることを垣間見て、
自分が心地よく生きていくには、自分にとっての本当に必要なものを選んで、そうでないものは捨てる覚悟がいるのだと言われている気がした。
映画のラスト、朝の出勤中の車中で流した音楽に涙する主人公。休みの日でもない、帰りの夕暮れ時でもない、いまから仕事に向かっている最中に涙を流す感受性を持ち合わせている。彼にとって仕事はその程度のものである。
その領域に達している主人公は神々しいほどに完璧である。
いまはいま
人生に達成すべきゴールや意味を見い出そうとしなくても、毎日少しずつ違う日常を実直に生き、新しい朝を迎えることを喜ぶ。そんな主人公の姿を輝かしく描いている。
主人公の日々と同様に、映画自体もエピソードを反復し重ね合わせながら、そのずれを「こもれび」と形容する。大きな山や谷はなくても、小さな起伏がストーリーになっている(できれば冬の日も見たかった)。
音楽と共に流れるように東京を切り取る車のシーン、躍動する自転車のシーンの繰り返しが、ストイックな仕事ぶりとの対比で心地よく感じた。あと銭湯!
役所広司は本当に実在感がすごい。カンヌでもっと世界に知られていほしい。
丁寧な暮らしがステキ、だけで良いのか。
カンヌ最優秀男優賞受賞という事で、軽い気持ちで観に来た。
生真面目な男の、孤独で清貧な仙人のような日常がステキ、という映画なのかと思っていた。
古いものを大切にする丁寧な暮らしは、美しくて憧れる。けれど平山を観ていると、なんだか苦しくなってしまった。姪から見た逃げ場所を提供してくれる優しい伯父さんは、妹から見れば父親の介護にも関わらない無責任な兄だ。
パンフレットに掲載されていた、川上未映子さんの対談がいちばん腑に落ちた。曰く、平山はリアクションが子ども。なるほど。平山を見ていてなんとなく違和感があったのは、年寄りなのに子供っぽいからか。
ほっぺにキスでのけぞったり、姪が着替えを始めたのを見て滑稽なほど動揺したり、気になる飲み屋のママが男といるのを見て、逃げ出した挙句缶チューハイを3本も買って、普段吸わないタバコにむせるなんて、確かに子供っぽい。急に「影踏みやりましょう」とか言い出した時は、ちょっと引いた。
父親との確執とか、子供っぽさとか、70近い役所さんじゃなく、もう少し若い俳優さんなら、個人的にしっくりきたかな。役所さんくらいの年齢なら、もっと頑固で偏屈な態度を取りそうな気がするので、柔柔な平山の感情が出てくるたびに、違和感があった。
木漏れ日の情景を多く使っているのは、すごく気に入った。
木の葉がざわめき、光がチラチラと踊る様子は、一瞬一瞬の時間の経過を感じる。砂時計の中にいるように、ものすごい速さで、今この時が過ぎていく感。最後の平山の表情も、木漏れ日のように目まぐるしく変化していく。笑ってる。いや、泣いてる。やっぱり笑ってる?
人は結構、瞬間を感じるより、思考の海を揺蕩っている事が多いんじゃないだろうか。昨日の失敗、明日の心配、好きな人の事、家族の事、勉強の事、仕事の事、お金の事。考える事はいっぱいある。
でもひとまず、今日、今、この瞬間を自分がどう感じているのか、それをしっかり味わいたいと思った。
PERFECT DAYS
これぞ映画。これこそ映画。
もはや感動でこの後の人生ずっとこの映画が記憶に残るだろう。
自分が東京にきてそろそろ一年が経つが、この雑踏の中で感じた全てが映画に凝縮されていた。初期衝動を思い起こさせる映画の中ではピカイチ。
他のどの作品も超えられないものがこの映画にはある。
何より良かったのは構成。そしてキャラクター同士の化学反応。全て回収しない清々しさ「わからないことだらけ」なのに、綺麗な朝日は差し、次の1日が始まる。
いいことも悪いことも、全てひっくるめて「完璧な日々」そう思えることこそ、人生を楽しむ唯一の方法なのである。金が幸せの人間、人とのつながりが幸せの人間、色んな幸せの形があり、世界がある。どの世界で生きなければいけないわけではなく、どの世界も同じだけ美しく、完璧(PERFECT )である。
①「生の感情」はあったか
あった。例えば、柄本さんがカセットテープを売ろうとするシーン。柄本さんが売りたいと思う気持ちに、ぞくっとした。人間の怖さ。さらに、そこでお金を渡してしまう役所さん。ゾクゾクする。これぞ人間。これぞ人間の生の感情。爆発するだけが感情じゃあない。
自分は今まで生の感情は爆発だと、感情の露呈だと思っていた。そうじゃなく、感情が静かに漏れ出す形でも生の感情の表現はできるのだと、そう感じた、、この映画には、感情を描く術として「景色」と「表情」を活用していた。誇大広告のように大きな声で感情を露わにするより、それらは大きく客の胸に刺さる。
②緊張感はあったか
ここが気になるところ。この映画はこれで完成系で、別になんの文句もないのだが、私が監督する、もしくは脚本を書くのであれば、多少なりとも緊張感のある「サスペンス」は盛り込むと思う。しかし、この雰囲気を壊してしまう可能性もあるので、考えもの。
離婚した妻の娘が訪ねてくるところあたりは、もっと緊張感があってもいいように感じた。普段と違う日常なのに、役所はんの慣れてる感がすごい。役者さんが邪魔に感じてしまうとか、妻のことを思い出してしまうとか。
③「謎」はあったか
この映画の良いところは、この「謎」を散りばめているところである。しかもその謎一つ一つが、役者さんが完璧な日々だと考える要因になっていっているのがすごい。
さらに、問題が解決する前に問題を作っていくことで物語がズンズン前に進んでいく。当たり前のことなのだが、こう言う日常を描くタイプの映画には珍しいのではないか。だからこそ、ダラダラしていないし、ずっと見れてしまう。
あまりにも良くてびっくりしてしまった。最初の方はただの日本の文化の紹介映像って感じだったが、だんだんと加速度的に面白くなっていった。
この映画は何度も観ることをおすすめする。観るたびに初期衝動を揺さぶられ、アイデアが浮かび、創作意欲につながるだろう。
プリズムの揺らぎ
Perfect Days
彼には世界が美しく見えている。そして誰かの日常と合わさることで、それは更に輝きを増してうつる。
(社交的とは言えなくても)生き方に感銘を受けて、近づく人がいる。
過去にあったことの仔細は不明だが、何か理由があるはず。しかしそれ以上に、皆が生きている世界は、実は繋がっていないという。多様性を認めながらも、自身は習慣に回帰する。
だから人の無関心は敵ではない。それでも居なくなるときには、少しだけ世界に痕跡を残したいと迷う
孤独だけど豊かな生活
孤独な男の日々。
都会の喧騒の中で平穏で緩やかな日々の生活を描く。
起伏にとんだ内容ではないのだけど、観てるこっちが彼の生活に安らぎとほっこりした温もりを感じさせてくれた。
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