PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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何がいいのかわからない作品でした
高評価が多い理由がわかりません
起きてコーヒー買ってトイレ掃除の繰り返し
トイレはどこも最新型でもともとピカピカ
妹は金持ちだし
何がいいのか・、
あの箒の音もいつか聞こえなくなる
トイレ掃除と、カセットテープと、古本。銭湯に居酒屋。
ささやかなロマンス。
その日常も永遠じゃなくて、少しずつ形を変えていくし、消えていく。
木漏れ日は常に変わっていく、という言葉もあったが、諸行無常というか。
淡々と描かれているようでいて詩的に楽しめた。
何故トイレの清掃員になったのか?
考察してました😅
何にしても同じルーティンで生活する事がある人から見たら退屈に思えるのかもだけど、変わらぬ中での充実感。
たまにある小さなホッコリに癒される感じ。若い子にはまだわからないんじゃないかな?
三浦友和出てきておっ!ってなりましたw
元は大企業に勤めていたんだろうなぁ。。
孤独の影
ヴィム・ヴェンダース(以下WW)によれば、ポスト・コロナにおいて人は“孤独”とどうむき合っていけばよいのか、その好事例を本作で描きたかったという。日常のちょっとした変化にも喜びを感じる主人公の姿は、WWの弟分にあたるジム・ジャームッシュ(以下JJ)監督の『パターソン』に重なった方も多かったことだろう。しかしその着地のさせ方には、JJの非常にパーソナルな気づきとはまた異なる広がりというか深みを感じるのである。多分、WWが尊敬してやまない小津安二郎の“ZEN”を意識した演出のせいだろう。
竹箒で道路をはく音で目覚め、アパートの前にある自販機でミルクコーヒーを買う。車のカセットデッキで70~80年代のオールディーズを聴きながらご出勤。相棒のタカシ(柄本時生)と合流後清掃仕事を丁寧にこなし、境内に植えられた大木を眺めながらサンドイッチでランチ、いつもの銭湯で汗を流した後、いつもの一杯飲み屋でレモンハイを飲みながらナイター中継を見る。渋谷のトイレ清掃員である平山(役所広司)は、こんなほぼ変わりばえのしない生活をくりかえしている。
いかにも建築家やデザイナーが作りましたというような斬新な🚻や、天に向かってそびえ立つスカイツリーのような、物質文明のダイナミズムを目のあたりにしなくとも、境内に植えられた大木の根元に芽吹いた小さな命にも気づける心の余裕が平山にはあるのだ。世捨人といってもよいシンプルかつミニマムな平山の生活だけに、“繋がっているようで繋がっていない”もう一方の世界に氾濫している余計な情報が入り込んでこないのである。
しかし、変わらない町浅草で暮らす平山のStill Lifeにもいつの間にか“変化”の波がおとずれる。仕事を突然辞めたタカシのせいでシフトを押しつけられ大忙し、家出してきたリッチな妹(麻生祐未)の娘ニコが平山のアパートに居候、そして、ひそかに想いをよせている?スナックのママ(石川さゆり)と別れた元旦那(三浦友和)が店内で抱き合っている姿を目撃してからというもの、平山は何ともいいようのない“不安”に苛まれるのである。WW作品の原作作家としても知られているパトリシア・ハイスミスが得意としたその“不安”である。
夜毎平山が見るモノクロの夢に必ず出てくる木々の葉が作り出す“影”が意味していたものとは?三浦友和扮する元旦那が「影と影が重なると濃くなるんですかね?」と平山に質問すると、「(二人の影を重ねながら)ほらちょっと濃くなったような気がしませんか?変わらないなんてそんなバカなことがあるはずがない」孤独+孤独=孤独。孤独は自由に逃げ回れるとおどけてみせたとしても、孤独な人間には影(不安)が常につきまとうのだ。木々を友としようがそれは決して変わることのない真実なのである。生活のルーティンを乱した一連の事件が、そんな絶対的な人間の孤独を平山に再認識させたのではないだろうか。
夕日とも朝日ともとれる太陽に照らされながら、平山はその真実の前に涙を流す。が同時に、主人公はそこに希望の光を見い出だすのである。この映画エンドロールの後に、ある重要なワンシーンが盛り込まれているので、劇場が明るくなってから離席することをお勧めする。なぜなら、平山が複雑な表情を浮かべた理由の大きなヒントが、そのシーンにこめられている気がするからである。私には、影と影が重なって濃くなった分だけ、その隙間から降り注ぐ○○○○が余計に眩しく輝いているように見えたのだ。
動かないロードムービー
特に何も起こらない動かないロードムービー。
しいて言えば山田洋次の映画に近いが何も起きない。
ゴジラ-1.0の場合は俳優が全部感情をセリフで説明する幼稚な映画だけど、これはセリフは殆どない大人の映画。
朝日のあたる家
「何も変わんないなんて、そんなわけないですよ」
舞台は東京。スカイツリーを仰ぐ古びたアパートに住むトイレ清掃員・平山(演:役所広司)の1日は決まっている。夜も白んでいない朝、近所のおばちゃんが道を掃除する音で目を覚ます。布団をたたみ、歯を磨く。口髭を整えてから顎髭を剃る。観葉植物に水をやり、つなぎを着る。玄関に並べた鍵や腕時計を身につける。アパートに朝日があたり、ドアを開けて外に出たら駐車場の自販機でBOSSの缶コーヒーを買う。車に乗ったら、途上で聴くカセットテープを選ぶ。昼休み、近くの神社でサンドイッチと牛乳を飲む。境内の木々から木漏れ日がさす。平山はいつも携帯しているカメラで木漏れ日を撮る。担当エリアの公衆トイレの清掃を終えると家に戻り、自転車を漕いで銭湯に向かう。湯上がり後に駅の大衆食堂で夕飯をひとり食べる。シフトがある日は毎日この繰り返しで例外はない。大都会の真っ只中、忙しなく行き交う人々は平山の姿に目もくれない。完全にいないもの扱いだ。身内でさえ、平山がトイレ清掃員であることをあまり快く思っていないきらいがある。だが平山は別段気にする様子もない。都会に忘れ去られるほど都市に溶け込んだ男の目は、一見何も変わっていないように映る風景のほんのわずかな変化を確かに切り取っていた。公衆トイレで日々書き足される9マスの⚪︎×ゲーム、場所を移したホームレス、境内の木の根元に芽生えた新芽...そのわずかな変化に平山は生命の充足をおぼえる。
役所広司に心底惚れた。言うまでもなく、現代日本映画界を引っ張ってきた旗頭だ。その役所広司がここまでオーラを消せるのか。劇中124分、平山は必要最低限の言葉を発するのみでほぼ喋らない。喋る必要がないからごくごくわずかな表情の変化を見せるのみだ。恐らく平山は本来ならばトイレの清掃員ではなくホワイトカラーとして生きるはずだったであろう描写が繰り返し登場するが、平山の過去に何があったかはほとんど語られず、観る側としては想像するほかない。言葉に頼らずに観る側に伝えるという芝居は、ある意味映像作品の原点に立ち返ったと言っていい。そしてホームレス役の田中泯も要所要所で印象的な姿を見せる。確かな技に裏打ちされた言葉に出ない自信を垣間見た。
社会人になってから今日まで変わらずに思うことがある。社会で最も恐懼すべきは社長でも、重役でも、株主でもなく清掃員だ。お偉いさんを敵に回したところで、最悪組織を辞めればいい。だが清掃員を蔑ろにした人間に生きる場所はない。常々そう思う。このろくでもない、すばらしい世界は目に映らない誰かによって支えられている。
今日も平山のルーティンは変わらない。静かな男の眼差しには、今日も朝日があたっていた。
観客を選ぶ映画だった。高評価が多いからと観た人のなかには、がっかりした人もいるだろう。
上映初日に観たかったが仕事の都合で観れなかった。予告編を見て、素晴らしい映画だとの直感が働いたからだ。新作映画の予告編で、このような感覚を持つのは年に1本・2本あるかないかだ。
東京都内のモダンなトイレを清掃する主人公の日常生活を淡々と描いていく。同じルーティンワークをしていても、日々変化や異変が起こる。子供がトイレに隠れていたり、迷子がいる。同僚が遅刻してきたり、清掃員とのオセロゲームのやり取りを楽しむトイレ利用者がいる。公園のホームレスや公園で昼食を取るといつも同じOLが隣に昼食を食べている。この人達はどんな生活をしているだろうと想像すると楽しくなる。
この映画の監督は観客に想像力を要求していて、それがないと楽しめない。何の代わり映えもしない日々だけれど、それを受け入れ生きる糧にすれば、人生そんなに悪いものではないと訴えかけている。
タレントのせんだみつおが言う「生きているだけで丸儲け」。そんな境地に私もなりたいけれど、世俗の欲を断ち切れる状況にはない。私には死期でも迫っていないとなれないだろう。
妹は高級車レクサスを運転手付きで家出した娘(姪)を迎えに来ているから、実家はかなり裕福だと推測できる。施設に入った父親の見舞いを断ることから、父親との確執があって主人公の今の境遇が想像できる。また、妹を抱いて嗚咽する場面は感動させられる。もしかすると
母親の死が今の境遇を招いたきっかけかも?
心を寄せていた居酒屋のママ(石川さ)が知らぬ男と抱き合っているところを見て、やけ酒をあおる場面は笑わせさせる。男はママの元夫で、癌が転移し余命僅かで死ぬ前に別れた妻に謝りに来ていたのだ。こういう細かな場面を想像力を補って(癌と告白したから、謝罪したから、ママと抱擁した)楽しむことができると高評価になるだろう。
どうしても有名な映画監督がメガホンを取ったから、彼に注目が集まってしまうけれど、共同脚本を書いた高崎卓馬のアイデアもかなり採用されているのではないかと思う。
毎日のルーティンを頑張る事が幸せなのよ。
役所広司がカンヌで最優秀男優賞を受賞した映画という事で、かなりハードル高めて着席。
主人公の平山はベテランのトイレ清掃員。毎朝起きて布団を畳んで、歯を磨いて、髭切って、植物に水かけて、自販機でコーヒー買って、運転して仕事に。夜は本読んで、夢をみる。このシーン何度も何度も繰り返す。
平山は無口な性格。役所さん、ほとんどセリフ無し。こんなの初めて観た。こんなに喋らないのに、やけに優しい感じの人、周囲の誰からも嫌われてない。そんな人居る?そんな性格のせいで何か事件に巻き込まれるんじゃないかと思っていたら、ん?脇役の人達、すぐ出なくなっちゃう。平山の日常には関係ないってな。
特に研ナオコ、気付かない人、多いんじゃないかなってくらいの出演時間にビックリ。飲み屋のママの石川さゆり、唄、うますぎじゃね。
とにかく毎日事件が起こるのを待ってたので退屈しなかった。色んな事は起きるけど事件性はゼロ。それが幸せな日常なんだな。懐かしめの音楽をカセットテープで聴く。自宅のラジカセなんてモノラルだ。とても現代とは思えない楽しさ。最初から最後までラストシーンの様なお話。期待と違う展開で、結構楽しめました。
ここまで何もないとは
映画って
非日常的な世界を体験出来ることが
魅力だったりするのですが
この作品は
何も無い平坦なものでした。
普通
そうはいっても
どこがで
非日常的なストーリーが
入ったりするのですが
とことん
何もないんですよね
こういう作品って
おそらく、映画に関わる人なら1度は作ってみたいのでは
と思っても
ここまで、何もない平坦な作品を作るのは
よっぽどの勇気がいるのでは?
と感じました
また
何もない平坦な作品が、退屈せずにみれたのは
ひとえに
役所広司氏の演技力が
とても素晴らしかったではないでしょうか?
最後に
この作品は
人生の折り返し地点を過ぎて
色々な後悔や我慢を
堪えながら
日々生きていく生活が
当たり前に過ぎていくことが
幸せの形なんだよ
というメッセージに思えました。
日常
トイレの清掃員、平山の日常がただひたすらと、淡々と描かれる。本当に劇的なことは起こらないが、ちょっとした事に喜怒哀楽する平山さんに感心。まわりの人間もあったかくて、なんかいいなあ。そんな平山を役所さんが好演。ほぼ喋らない無口なのに、表情で感情が伝わるいい演技。ラストの長回しの彼の表情だけ映したシーンは圧巻です。
音楽も象徴的に扱われていて印象的ですが、映像もきれいでした。
ゆれて、重なる
とても静かで、穏やかで、笑いもあったりして
でもずっと、何か不穏なものが現れそうで もしかして既に、取り返しのつかないことが起きてしまっているのでは とスクリーンから目が離せず。
すべてを見届けた後は、名前のついたいかなる感情もわかず。
そのまま珍しく本屋に向かおうと、映画館を出て歩きだすと、ゆらりゆらり自分の中で何かが動き
どういうわけか!目から何かがこぼれた。
その時、さっきまで観ていたのは本物の映画だったのだと悟った。
そこに映っていたのは、今にも消え去りそうな、もしくはすでに失われているものばかりだ。
もし渋谷で本作を観て、帰り道に振り向いたとしてもそこには違う街があるだろう。
男たちが自分らで弦を張って、良くわからないケンカばっかりしながら鳴らした音とか
なんかもう、はかなくてせつない。
ひとがご飯を食べて、1300グラムの脳を動かして考えた物語を、ひとが演じ、ひとが撮る。そういう映画ばかりが観られるのも、実はあと10年ぐらいではと思っている。
だから本作もバービーもバビロンも、観ていてヒリヒリするし、たまらなく愛おしい。
2時間自分を預けると、ずっと残る何かがもらえる(こともある)不思議な場所だね、映画館。
人生を楽しむ極意を学ぶ
いつからか邦画NO.1男優という確信が揺るがない役所広司のカンヌで男優賞受賞作品であるので絶対観たいと思っていた。 公開初日に観賞。
【物語】
初老の男平山(役所広司)は浅草の安アパートにひとりで暮らし、公園の公衆トイレの清掃員として生計を立てている。
平山の日々の生活を描いて行く。
【感想】
平山の送る日々を淡々と映し出して行く。
特別なことは何ひとつ起きない。ストーリーは無いに等しい。
しかも台詞も極少。平山は直接仕事現場であるトイレに向かい、仕事仲間はタカシ(柄本時生)一人のみ、独り暮らし、生活範囲は限られているから接する人はごくわずか、しかも平山は超無口だから。
こう書くと「なんと退屈そうな映画」になってしまうのだが、それが全く退屈しないところが凄い!!
映像から訴えかけて来るものが十分にある。
この傑作の一番の貢献者はやはり役所広司だろう。
役所の顔をアップで映すシーンが多いのだが、台詞ではなく僅かな表情の変化で平山の感情を余すことなく表現している。観る度に役所の力量には感服してしまう。 邦画界では今現在に留まらず過去に遡ってもNO.1の役者ではないか。 今作でカンヌ最優秀男優賞を受賞し、日本だけでなく世界に冠たる役者として認められたことは凄く納得。
そして、こんな映画を作れるWim Wenders監督にも感服。欧州映画っぽい静かな作風の中で、こんなにも飽きさせない映像・演出・編集・音楽・・・、に脱帽。
まさに総合芸術作品だ。
で、何が良かったかをもう少し書いてみる。
本作はそんな作風なので、大感動があるわけでも無いし、感じ取るものは人それぞれだと思う。以下はあくまで俺が感じ取ったこと。
平山という男、経済的底辺にあり、プライベートでも家族も居ない孤独な生活。今風に言えば“負け組”の男だ。
が、傍から見れば負け組でも、本人は全然負けたとか思っていないというのが、この作品で描かれた平山だ。 その平山の生き様に俺は感銘を受け、生きる勇気を貰えた。
まず平山は自分の境遇に愚痴を言わない。「社会が悪い」とか、「会社が悪い」とか、「同僚が悪い」、あるいは「俺は運が悪い」とかも一切無い。凡人はすぐ他人の性にしたくなるのだが。 口にしないだけでなく、そういう思考は無いようだ。 それが観ていて何より気持ちが良い。
仕事に対しては決して手を抜かない。「この仕事に誇りを持っている」とも少し違うよう思う。もらった仕事は誰が見ていなくても目一杯やるという生きる上での姿勢だろうか。 さらに自分が恵まれた境遇ではないのに、他人に優しい。 すごく優しい。
そして何より良いのは、日々を楽しんでいる。もちろん、贅沢はできないが、自分の経済力の中で存分に楽しんでいる。
対比される人間として仕事仲間のタカシの存在がある。タカシは「今の世の中どうなってる」とか「金さえあれば」とかばかり言っているし、仕事なんて文句言われない程度にやっておけば良いと思っている。 この対比で平山の生き方が際立つのだけれど、程度の差はあれどタカシの方が“普通”に近いのではないかと思う。気付かないうちについついそういう思考になりがちだという意味で。 例えばお金はいくら有っても、自分よりさらに持っている人が身近にいれば、「彼ぐらいお金があれば、XXXできるのに」と羨んでしまうものだ。
平山が幸せと思っているかどうかは分からないが、生きていることを楽しんでいることは確かだ。他人と比べて悲嘆することや他人を羨むことをしないからだと思う。そうすれば、人は皆自分の境遇の中で生きる楽しみを見つけることができ、さらには他人に優しくすることも出来るのだと教えられた。
また、もう1つ本作に深みを与えているのは、全く語られない平山の過去だ。若い頃からずっとトイレ掃除をしていたようには思えない。姪・妹の登場で過去がかすかに仄めかされる。 若い頃に何かあって、今に至っているのだろうということだけ感じさせるが、それ以上描かれることなく、観客の想像に託される。
俺は、仕事も家族も思い通りに行かずに、大きな悲しみも、人知れぬ悔しさも味わって来た過去が平山にはあると想像した。平山はそれでも人を恨むことも、過去を悔み続けることなくしっかり前を向いて歩いている。
余白だらけの本作を観て感じることは人によって千差万別だと思うが、俺は平山のような心持で生きられたら、残りの人生10倍楽しめると思う。生活を楽しむ極意が平山の生き方の中にあると思うのだ。
“Perfect Days”観終わるとこのタイトルがとてもしっくり来る。
2024年俺的お気に入り作品ランキング 第2位(劇場鑑賞94作品中)
【オマケ情報】
平山の仕事現場となる公衆トイレはどれもスタイリッシュ。海外の人が観たら、「日本て、どの公衆トイレもこんなにが素敵なの?」と勘違いさせます(笑)
現代アート公衆トイレ図鑑的な楽しみも出来ます。
ヴェンダース監督や役所さんの
話を聞いてないのですが、平山をアップデートしたのか? 現代の東京に生きる平山にしたのか? が興味あります。台詞を削ったのが、カンヌ受賞には大きかった、口ひげも笠智衆そのものだったし。音楽も抑えてほぼカーステの音だったのも効果的。
ただ、どうしても外国人の見た日本人の美意識? みたいなものからは抜け出せないようでした。
ニコの佇まいがイイ、ほうきの掃く音だけでよく毎朝起きられるなぁ。
日常の可笑しさをすくう
繰り返される日常の中にある、可笑しさを優しくすくいとったような作品。
公開二日目で評価が高いから期待して観にいったら序盤、中盤とずっと退屈。
特に物語的展開もなく、繰り返される平山(役所広司)の日常がただそこにある。ちょっとした日常のくすぐりや可笑しさが描かれていて、所々劇場にくすくすと笑いが生まれるのが堪らなく良かった。
最後まで何も起きないし、何も変わらないけど、なんで最後のシーンであんなに感動が生まれるのか分からない。今まで観た映画の中で、全く知らない新しい感動が最後押し寄せてきた。
なんと形容すればいいか分からないが可笑し泣きした。
多分この映画が退屈なのも、つまらないのも自分たちの日常を振り返ると必然なのかも。
そして笑いが生まれる映画館が本当に良かった。この映画は映画館で見るべき。
パンフレット読んでも、レビュー読んでも「トイレの清掃員」であるという要素が大きく取り上げられていて、周りに少し疎まれながら丁寧に綺麗にする日本人の美徳みたいな事が書かれているし、
外国人の監督もそういうコンセプトでこの映画を撮ったのかもしれないが、映画のキャッチーな要素としては興味深いけど、
平山にとってトイレ清掃員というのは何も平山である事の重大な結果でなく、その過程に過ぎないと思う。
だからこそトイレ清掃員だからというカテゴリーで平山を見てそこに美しさを見つけるのは違和感がある。
平山の寡黙で人よりずっと物事を考えてる様に見えて実は物凄く純粋だったり、誰にでもある日常の可笑しだったりこそが、この映画の大切な部分だと思う。
木漏れ日
ヴィム・ヴェンダースによるTOKYOとTOTO(いや違うけどw)についての抒情詩。
知ってる東京だったりどこか懐かしい東京だったりの景色を、ヴェンダース選曲のBGMとともに観ているだけで泣きたいような気持ちになってくるが、平山は敢えて淡々と暮らしているように見える。
劇中で平山がいうとおり、「この世界にはいろいろな世界が含まれていて、それらが繋がっているようでいて、本当は繋がっていない」のかもしれない。
平山の世界は妹とニコの世界ともママの世界とも、タカシの世界もアヤの世界とは、繋がっているようでいて繋がっていない… でも思いも掛けないところで思いも掛けない人の世界と繋がっていたり…
最後に解説される「こもれび」のように、繋がっているようで繋がっていない世界の、重なって影が濃くなったり薄くなったりする様がこの世界なんだ、とただ淡々と繰り返されるような平山の生活が、それを物語る。
そうしたありようを描くのに、ふだん不可視化(透明人間化)されやすい清掃員というのはとても分かりやすいのかもしれない。
毎日淡々と繰り返しもうこれ以上の変化を望んですらいないような平山の感情もこの年になると分からなくはないけれど、それでもやはり心動かされることというのはあるのだな、と思う。
伝わらないかもしれないけど、褒めています。なんだかよく分からない部分に沁みてしまった…
懐かしいテイストのヨーロッパ映画のよう
こういう映画は久しぶりに観た。現在日本で上映される外国映画は、ほぼハリウッドの娯楽大作だけになってしまっているが、私の若い頃にはフランス映画やイタリア映画も普通に上映されていた。低予算で作られて、それほど大きな見せ場もないが、全編に詩情があふれ、どのシーンにも極めて繊細な注意が払われ、いつまでも心のどこかに残しておきたいような映画である。ドイツ人監督のヴィム・ヴェンダースは、「ベルリン・天使の詩」でカンヌの監督賞に輝いた名監督で、その手腕は流石という他はなかった。この映画は観る人を試すと思う。脂の乗った魚しか美味いと思えない人には、フグの美味しさが決して分からないようにである。
まず画面のアスペクト比がアナログテレビと同じ 4:3 というのに面食らった。横長の画面を見慣れた者には窮屈に感じられるのだが、監督の真意は外への広がりより中への没頭を重要視した結果であろう。台詞は極端に少なく、説明的なものはほとんどない。共演者が投げかける私的な質問もスルーするので、主人公の生い立ちや履歴を示す手がかりがないままに映画は進行する。その味わいは、まるでドキュメンタリー映画のようである。
トイレの掃除を生業とする主人公は、家にテレビもなく、スマホも持っておらず、朝は近所の老婦人が道路で箒がけする音で目覚め、布団を畳むとすぐに歯を磨き、朝食は摂らず、毎日熱心な仕事ぶりを見せ、昼はコンビニのサンドイッチを公園や神社で食べ、大木の写真を撮り、時には新芽を持ち帰り、部屋で育てている。帰宅後は銭湯で汗を流し、決まった店で安い酒で晩酌して、布団に入ってからは古書店で 100円で買った文庫本を読んで寝落ちする。ほぼ毎日同じことを繰り返して暮らしている。映画中、このルーティンを省略せずに丁寧に描くことで物凄いリアリティを生み出している。
同じことを繰り返して壮大な世界を見せるという手法は、ベートーヴェンやブルックナーの交響曲の作り方にも通じるもので、彼らの繰り返すフレーズは実は全く同じではなく、少しずつ変化している。その変化を聴き分ける能力のある者だけが、自分の呼吸を音楽のテンポに次第に同期させて曲の世界と一体感を感じることができるのだが、この映画の本質も似たようなものではないかと思う。
映画の中で、時々モノクロの映像が挟まれ、それがどうやら主人公の睡眠中に見ている夢らしいのだが、具象に乏しく、時系列も定かでない。まるで「2001 年宇宙の旅」で木星付近のモノリスを追跡したボウマン船長が見せられた幻影よりも謎なのだが、全編を見終えるとその正体が示され、彼はそれを眺めるだけで満たされた人生を送っているらしいと気付かされて、禅問答の答えが閃いたような感動が得られる。実によく出来ている。
役所広司をはじめ、俳優陣は台詞が極端に少なく、非常に抑えた演技が要求されており、大袈裟な身振りも大声も出す機会が奪われているので、所作や表情で内面を見せなくてはならない。演技の難易度は非常に高く、映画だからこそできる技で、劇場での演劇などでは不可能である。そうした監督の要求に見事に応えたからこその主演男優賞なのであろう。
音楽は主人公が勤務で使っている車の中で聴くカセットテープがほとんどであり、「朝日の当たる家」や、映画のタイトルにもなっている「Perfect Days」など、1960〜70 年代の曲ばかりである。「朝日の当たる家」など聴くのは何十年ぶりだろうという感慨に打たれた。劇中ではあの有名歌手の歌唱でも聴くことができて、望外の喜びだった。
俳優陣は馴染みの顔が多かったが、ほとんどはワンシーンのみの出演で、使い方が贅沢の極みだった。田中泯が台詞のないホームレス役だったのにも驚いたが、公園で野良猫を抱いてるだけの研ナオコ、挨拶だけの同業者が安藤玉恵で、芹澤興人に至っては、トイレに駆け込むだけの役というのには笑ってしまった。
映画で主張したいことの反対の人物も登場させる必要があるというのは映画の定石であるが、その役回りが当てられたのが三浦友和である。自殺企図のようなもっと悲痛な例を持って来なかったのも、監督の価値観なのであろう。この二人が川縁の夜景を背景に語り合うシーンは、周囲の光がピントが外れてただの丸い輝点と化し、まるでフェルメールの絵のように美しかった。
終わる寸前の役所広司の表情が全てであると思う。彼の出自や経歴は知らなくとも、映画を見ていれば人柄は分かる。その人が夕陽を見ながらほのかに涙ぐむ気持ちも、映画を見続けた人には痛いほど分かるのである。
(映像5+脚本5+役者5+音楽4+演出5)×4= 96 点。
人生の選択
自分の仕事のこと、趣味のこと、地域や行きつけのお店のこと、人生にはいろいろな選択肢があって、それをどう選択して人生を豊かにするのは自分次第であると考えさせられました。
目覚まし時計や携帯のアラームに頼らなくても、朝早い仕事にちゃんと間に合う時間に起きることが出来るのは心身ともに健康である証。
お父さんとの関係も気になりますね。
仕事を選択するうえで、家族の理解を得ることは難しかったと思いますが、トイレの清掃員の仕事に誇りを持っていたことはひしひしと感じました。
いい映画を観ることが出来て感謝しています。
役所広司のすごさ
役所広司の力量を見せつけられた。おそらく上映時間の半分以上は台詞がない。日々少しずつ変化のあるルーティンが映し出されるだけなのに、平山の一挙手一投足、表情から目が離せず飽きさせない。
なぜ平山が公衆トイレの清掃員という職業に就いたのか。なぜ1人なのか。はっきりしたバックグラウンドは最後までわからない。だけど家出してきたニコを迎えにきた平山の妹とのやりとり、ハグ、感情を抑えられず肩を震わせて平山が泣くシーン。私まで訳もわからず号泣。
説明がなくとも表情だけで心を揺さぶる説得力はラストシーンでも発揮される。
変わりないように見える毎日も、平山が愛でる木漏れ日のようにまったく同じ日はなく、些細な発見で人生って彩られていくのかもしれない。
やめたタバコをまた、、、
ヴィムベンダースの映画は何本か観てきた中で、一番好きな映画だった。俺も歳を取ったのかな?
流石のベンダース、ゴジラ-1.0のような説明セリフは一切なし。
それゆえに、観た人それぞれ経験してきた人生によって、十人十色の映画なんだろうなと思う。
平山の過去を想像してみた。
彼は、その仕草や佇まいから、とても仕事の出来る人、几帳面で、どうすれば効率よく仕事ができるかをいつも考え、実行する人。
父が興した会社をいずれは継ぐことを自分も考えていたのだろう。
だが、父とのとても大きな確執によって、修復不可能なほどの、平山自身の考え方をも変えてしまう経験をして、家を出た。
妹との束の間の抱擁は謝罪のように思えた。
好意を寄せるママさんの元夫が抱き合うところを目撃して、やけ酒とばかりに酒とタバコ、とても愛おしかった。
最後のシーン、音楽聴きながら、思わず泣いてしまいそうになる感じ、とても好きなシーンでした。
「素晴らしき世界」といい、この映画といい、役所広司の深さ、優しさ、強さを感じた、いい映画だった。
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