PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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東京はどうしようもなく美しい
異邦人から見た東京はどうしようもなく美しい。
スカイツリーは電波塔である以上に圧倒的なオブジェとして、首都高は都心の大動脈である以上に無数のネオンが流れるサイバーパンクな大河として映る。無知な異邦人だからこそ、それらを生活の範疇を逸脱した無邪気な絶景として消費することができる。
東京を訪れたヴェルナー・ヘルツォークは「ここには撮るべきものは何もない」と言ってすぐさま帰国したそうだが、彼のそういう精神はとても健全だと思う。東京への憧憬というのは上述の通り、歴史的ないし政治的無責任からくるものなのだから。
他方、本作の監督であるヴィム・ヴェンダースは東京への無責任な思慕を表明して憚らない。小津安二郎の描いた「日本」の足跡を追ったドキュメンタリー映画『東京画』では、小津的なモチーフを現代日本の中に探していく中で食品サンプル工場やパチンコ屋のようなキッチュな(少なくとも小津的とは言い難い)要素に耽溺していた。
後年の「パチンコは禅だ」といった発言からもわかる通り、ヴィム・ヴェンダースが日本、ひいては東京に注ぐ眼差しはその土地に堆積する歴史や政治といったものを度外視している。パチンコが禅なわけないだろ、頭おかしいんじゃないのか。
さて、それでは本作の中ではどのような歴史や政治が無視されているのか。まずは言わずもがな、役所広司演じる平山のような男は少なくとも一般的な低賃金労働者とはいえないという点。大企業ご贔屓の現代建築家が設計した変な形のトイレをニコニコ顔で磨き続けるような男が本当に「一般的」なら日本はとっくに経済不況を脱しているはずだ。平山を通じて低賃金労働者を描くことは、現実に存在している彼らを透明化することに繋がりうる。
次いで撮影の舞台。亀戸付近に居を構えている平山は毎朝首都高を使って渋谷へ向かうわけだが、どう考えたって経費の無駄だ。渋谷で人手が要るなら幡ヶ谷や笹塚あたりから調達すればいい。あと、平山が毎日同じ持ち場で働いているというのも不思議だ。清掃業という人手不足の業界で、平山だけが異動を命じられることなく一律のルーティンを遂行できているというのはリアリティに欠ける。
墨田区近辺でも特にこれといった特徴のない電気湯に平山が足繁く通っているというのも正直よくわからないし、浅草地下街に人情味のある居酒屋が存在しているのも不可解だ(あそこは変な店しかないので)。
といった具合に、「現実の東京」を比較対象として本作を論じようとすると無数の粗が出てくる。
しかしそれ以上に俺は「異邦人から見た東京のどうしようもない美しさ」を容赦なく活写してみせたヴェンダースの身勝手さを評価したい。
俺は東京を愛好するあまり23区をほとんどくまなく自転車で走破しているため、おそらく並大抵の地方出身者よりは東京に詳しい。もちろん東京出身者よりは絶対に詳しい。東京が地元の人間はそもそも東京に憧憬とかないから。
その上で断言するが、23区は台東区、墨田区、江東区あたりの下町エリアが一番美しい。新宿区、渋谷区、港区といった、ザ・現代東京っぽいエリアも嫌いじゃないけど、総合的な美しさでいえば前者のほうがよっぽど優れている。東京タワーは絶対にスカイツリーには勝てない。
まあ、とにかく川なのだ。川がないと話にならない。神田川は河道掘削工事によって今や淫乱戦争もままならぬほど川底が深くなってしまったし、「春の小川」の渋谷川は暗渠と化して裏原キッズに踏んづけられている。川のどこがそんなにいいんだよ、という方は休日に自転車でも転がして荒川か多摩川の河川敷に躍り出てみたらいい。
次いで首都高も重要といえる。ビルの谷間を縫い、青空を駆ける光の川。異邦人にとってやはり首都高は特別な意味を持つ。俺ももちろん大好きだし、アンドレイ・タルコフスキーは『惑星ソラリス』の序盤で数分にもわたって首都高の映像を垂れ流している。
川と首都高。その両方を備えている墨田区近辺はパーフェクトな土地と言わざるを得ないだろう。
というわけで平山の生活圏を墨田区近辺に設定したヴェンダースは異邦人として非常に正しく東京を眼差せているといえる。平山が幾度となく通過する桜橋の美しさに敵う何かが新宿に、渋谷に、麻布十番に存在するというのなら、リバーサイドを走る首都高とスカイツリーよりも絵になる背景があるなら教えてくれ。
さて、本作は「THE TOKYO TOILET」という名前からして胡散臭いプロジェクトの映像制作事業の一環としてスタートし、UNIQLOやら電通といったさらに胡散臭い大企業が関わった結果として産み落とされた。
しかしヴェンダースの視線はそうした資本主義的論理の埒外にある。渋谷は本作の制作背景上最も主要な場所であるにもかかわらず、シーンの紙幅の大部分は墨田区近辺での平山の暮らしに割かれていることからもそれは明らかだ。
思えば、平山の居住地と仕事場の不可解な距離とは、諸企業の思惑とヴェンダースの作家性の間に生じた違和そのものなのではないか。「マジで自由に撮っていいよ」と言われたならば、本作の舞台は23区東部のみに限定されていたに違いない。とはいえ貰えるだけ貰っておいて東京への身勝手な、であるがゆえに正しく異邦人的な思慕を表明したヴェンダース御大に万雷の拍手を送りたい。
「本当の東京」などというものは東京人が描いていればいい。俺たちはどうあがいてもヨソ者であり、外郭を窺う以上に関わる術を知らない。であれば徹底的に外側から見たままを活写し続けるまでだ。ヴィム・ヴェンダースはそれに徹した。なぜなら彼はドイツ人だから。
仲間に入れてもらえないものに固執し続ける意味なんかあるの?と思う者もあるだろう。だからもう一度言おう。
異邦人から見た東京は、どうしようもなく美しいのだ。
近年では稀な、「著名失敗作」と感じてしまった…
世評も高かったので昨日、期待してWOWOWで初めて観た。
だが、「あまり代わり映えのしない、主人公の日常を描く」という、創り手の意図はあったにせよ、作品全体、とりわけ前半部においては、類似したシーンの、退屈にして冗長な反復が、これでもかと行われており、この点だけを取り上げても、既に私の内面においては、「構造的に失敗作」という見方が、ほぼ確定してしまった。
また、この映画、やはり基本的には、「日本が大好きな外国人監督が撮った、ノスタルジックな一本」なのだと思う。
ちなみに、役所広司が演じる男のライフスタイルは、実のところこの国では、ごく一部を除いて、遅くとも20年ほど前までには、ほぼ消滅してしまった類いの代物であり、もはや2020年代に突入して久しい時代を生きる、多くの人々に当てはまるような行き方ではない。
よっておそらく、本作を絶賛している人々の多くは、「独身の壮年男性、トイレ清掃員にしてアパート暮らし」という、主人公の実体に、かなり強く共鳴できるのか、さもなくば単に、ヴィム・ヴェンダースという監督の固定ファン、短絡ファンなのではないだろうか?
しかし、そのいずれにも該当しない、私のような人間は、作品に甘い評価を下すことは、極めて難しくなってしまうのが、偽らざる現実である。
何気ない所作の積み重ねが人生
生活は淡々と流れる(経過する)。本人が意識をしていると、いないとにかかわらず。
その流れを切り取り、見事に活写した一本。
同監督の手になる『パリ、テキサス』『ベルリン、天使の詩』などと同様に、ヴィム・ヴェンダース監督の現実からエッセンスのみを切り取って活写する手腕を、改めてまざまざと見せつけられた思いがします。
言ってみれば「日常」の何気ない所作を丹念に描くことで、その「日常」を鮮やかに描き出す―とでも形容すべきなのでしょうか。
例えば、平山は、毎朝、出勤の前に自販機で缶コーヒーを買う習慣があるのですけれども。
その缶コーヒーを買うショットを、いろいろな角度から、毎回アングルを変えて撮影するなど、彼の「日常」こ切り取り方がとても上手なのが、この監督の手腕なのだだろうと思います。
本作は「公共のトイレをアートに」という東京都の活動に賛同したヴェンダース監督が手を上げて作品化したと聞きます。
それだけに、入室してロック(施錠)するとガラスが不透明に変わるという(確か渋谷区の公園にあるという)トイレも見ることができました。
(東京を猛暑が襲った夏は、異変で、ガラスが不透明にならなくなったとも聞き及びますけれども・笑)
本作も、十二分に佳作の域に達している一本だったと思います。
(追記)
人の役に立つ仕事ということで、この仕事に彼は誇りを持って働いていたのだと思います。本作の平山は。
(反面、その対比が、いわば「やっつけ仕事」感覚でこの仕事をこなしていたタカシだったのでしょう。)
評論子も大学生の頃、清掃の仕事のアルバイトをしたことがあります。
ビルの汚水槽の清掃です。
東京の会社なのですけれども。
主として東北からの出稼ぎの農家の方々が作業員として働いている会社でした。
だから、農繁期の春から秋までは「開店休業」の状態なのですけれども。
しかし、冬になると、にわかに営業(業務)を再開することになり、毎年、その時期に汚水槽の清掃の頃合いになる得意先から仕事を請け負っていたようです。
人柄が温かい方々ばかりの会社だったので、まだまだ社会経験の乏しい学生(大学生)だった評論子も働きやすかったのですけれども。
そこの社長さんが、常々「清掃って、いい仕事でしょ。汚れていたところが、みるみるうちに、きれいになっていく。」とおっしゃっていたことを、今でもよく覚えています。
本作の平山も、きっと同じ気持ち(心がけ)であったことは、疑いがないことと思いました。
(追記)
平山は、自分の生活への他者からの介入を頑なに拒んでいたフシがありはしないかと、評論子は感じました。
その、柔和な表情とは裏腹に。
一日のルーティンをきっちりと決め、あたかも自らに「課する」かのように、少しの齟齬(そご)もなくそれを実践する―。
まるで、他者に付け入る隙を与えないようにするかのように。
それは、父親との確執(それは本作が詳らかに描くところではなかったと思いますけれども)から、でしょうか。
経済的には富裕であったはずの生活を捨てて、経済的にはあまり潤沢とはいえなさそうな今の生活を選び取った平山の「確固たる意思」みたいなものの一端か垣間見えたと思ったのは、果たして評論子独りだけだったでしょうか。
映画とは⁉️
すご~~~~~~~くよかった。これぞ映画って感じだ。外国人なのにどうしてこんなにヴィム・ベンダース、日本を熟知してるんだろう?。音楽も最高。金延幸子、こんな素晴らしいミュージシャン、今まで一度も出会わなかったなんて世界はマジ広い・・・何気ないところに何気ない俳優が配置されていて人生の彩が見事に表現されていた。あっという間の2時間。未見の方には見ないと損な映画のひとつと断言できよう。
仕事も私生活もどこ行っても世の中はノイズだらけだ。 どうやったって...
仕事も私生活もどこ行っても世の中はノイズだらけだ。
どうやったって世の中は変わって行ってしまうんだなあ。儚いなあ。
でも一人の人生の間だけでいいから変わらないものがあってもいいじゃないか
なんか凄いいい現実逃避と提案。
古き良きを美化してる感はある。戸開けっ放しで蛾とか虫とか入ってこないのかな。とか思ってしまうけどそんなこまけーことはどうでもよくなってしまうくらいこの映画は良かった。
何が平山をこんな人間にしたのか
過去に何かあったのか
誰にでも影はある。重なると濃くなるかは知らないが
まあでも色々あったけど、今は今、今度は今度、かあ。
ひたすら美しい。良すぎる。よくわからない何かがある。けどこういうのでいいんだよね、、、
良い映画を見たなと しみじみ思えた映画
劇的な何かが起こるわけではない。街とともに日々自分を生きる人々の物語。
妹との再会のシーンはとりわけ深い。主人公が そこに至るまでの困難な道のりのなかで、自分を見失うことなく、自分の心に従って生きてきたんだということが伝わってくる。妹はそんな兄に対して、思春期の頃から嫉妬と羨望を感じていたのかもしれない。
そうした作中には描かれない、主人公のこれまでの人生に説得力をもたせる役所広司の凄さ。ここに至るまでの一つ一つの演技、銭湯で見せる少したるんだ体等、全てで語っている。
最後、「変わらないなんて事があってたまるか」という一言。単調な日常を大切に積み重ねながら、その中にある細やかな変化や偶然を大事にする主人公の、人生に対する意地のようなものに強く胸を打たれた。
【慎ましやかな子守唄】
前々から見たいと思っていたので、やっと鑑賞できた事だけでも喜ばしいのですが、蓋を開けて見ると、想像以上の御馳走が飛び出してきました。
生きるのに疑問を抱いている方への、一か八かの治療薬のような映画に感じましたね。
今作は“何も起こらない”と言えば、“何も起こらない”です。映画で良くある、鑑賞者の情緒を揺さぶる劇的なシーンも無ければ、直接的で解り易いメッセージも無い。
良くも悪くも、人間の“日常”です。
これは賛否が分かれそうですね。ノスタルジックで、少しペシミズムさえ、捻くれた僕は感じてしまいました。
個人的な意見としては、ラストシーンなんか丸ごと悲観主義にも感じましたね。「変わらない日常が素晴らしい」、まさに PERFECT DAYS みたいな意味合いかと思っていましたが、何か違う。「抜け出せない不安」みたいなものも孕んでいるのではないか、と感じました。
前に建っていた建物が思い出せないシーンなんかは、変わらない日常を愛していたのに、変わったら気付けない。それは本当に愛していたのか。変化しない事に不安を覚えるから、なんとか不変を愛そうと、自分を納得させているのでは無いか。そんな風に僕は捉えました。
それに、主人公『平山』さんは元々いい所の出だったのでしょうか?妹(姉?)さんがニコを迎えに来たシーンは、運転手のような人が付き添っていたり、高級そうな車に乗っていました。
そして、「本当にトイレ掃除してんの?」という台詞。元々は高貴な立場だったのに、オンボロアパートに住み、トイレ掃除をしているなんて可笑しい。みたいな意味合いの台詞にも、僕には取れました。
『平山』さんは父親との諍いの末、お金を捨て、孤独を買ったのでしょうか。興味深いです。
そして、物語が“悪意”から始まるのは良いですね。
清掃中でもお構い無しに使用してくる利用者だったり、子供を引き取ったお礼も言えない母親だったり。
そういう日常に潜んだ“無意識の悪意”と言うものを序盤に持ってきて、『平山』さんは、意にも介して居ないような様子。が、物語終編、しっかり人間関係や日常に潜む「無意識の悪意」に『平山』さんが苦しんでいる。かのような表現は、『平山』さんという人間を深く表していると思います。
今作の主人公である『平山』さんの情緒が理解できるか、又は理解した気になれるかが、この映画の評価の決定的な分岐点でしょうね。
僕自身、読書や映画鑑賞等が好きで、孤独を楽しもうとする節があり、孤独に耐え兼ねそうな今、この映画を見た事によって、人生への向き合い方が変わりそうです。
[人生を変える映画]とまでは行かなくても、[人生を見つめるきっかけ]を授けてくれるような、『平山』さんのように優しい映画だと、僕は思いました。
少し分かるようになりました。
Perfect daysというのは完璧な日々というのではなく、寸分違わぬ日々という意味合いに近いのでしょうか。自分自身はそうしていても、外的な要因で同じ毎日は無い。世界は自分を基準に回っているわけではないから当たり前。だから良いのか悪いのか。
二十代の頃、背伸びしてベルリン・天使の詩を観た時は正直良さがよく分からなかった。でもその時のお陰で、今回、説明も結論も無いなと心構えが出来たので、雰囲気に浸る事に没頭出来、それで少しこの人の作品の良さが、分かるようになりました。浅草も渋谷も慣れ親しんだ場所ばかりだったので、懐かしかった。
変な嫌味がない作品
彼の日常がただ流れていくだけだから、“こういう映画です!”みたいな押し付けがましさは全く感じない。それでも最後まで飽きなかったのは、彼の生活のどこかしらに、美しさを感じたからだと思う。
そしてこの作品の肝だと思うのは、ほどよくキラキラしてるんだけど、全然自分と遠い世界の話には感じないこと。
彼みたいな生き方、やろうとすれば自分にも、割と誰にもできるんじゃないかな、と思わせてくれるところがあった。
若い人や現代的な生活を送っている人には、特に有意義な何かを得られる作品なんじゃないかと思います。(若い現代っ子の感想なので間違いないです!)
家の鍵かけないのが、気になった。
ヴィムヴェンダースの作品自体初めて見たので、なんとも言えないが、正直あんまし面白くなかった。淡々と清掃員の日常を描く、という意図は感じられたが映画としての「物語性」が乏しく、登場人物それぞれに感情移入できないまま、エンディングを迎えた感が強かった。
料理屋のママが歌うシーンは良かった。
心地よい孤独。
観賞後は気持ちがスッと爽やかになるような、素敵な作品だった。
人生のどこかの折に、また繰り返して見たい作品のひとつ。
序盤から、役所広司演じる平山というトイレ清掃員の日々のルーティンが淡々と丁寧に描かれて行くが、
自分以外の人の生活を覗き見るというのは
案外興味深く楽しいものだ。
朝起きてまず始めにすること、部屋の中に何を揃えているか、どこで何を食べて、1日の終わりの楽しみは何なのか、その人物の取捨選択を、具に観察していく。
この平山という男は、もしかすると一言も言葉を発さない日があるかもしれないほど口数少なく、
作中その背景や感情が言葉で語られることは全くない。
そのため、観賞者は登場人物の表情を注意深く観察し、
語り口に耳を傾け続けるわけだが、
一般に負け組とも揶揄されそうな生活環境に身を置く平山に、不思議と悲壮感はない。
丁寧に日々を捉えていくその生き方は、ある意味で人生をささやかに肯定していて、心にじんわり染み渡る。
変わり映えのないように見えて、毎日少しずつ何かは起こっている。
「全く同じなんてそんなバカなことあるわけない!」と、劇中1番のデカボイスで言い切る平山のその言葉は、人に寄り添い励ましながら、自分に言い聞かせているようでもある。
時折街の人々に向けるあたたかな目線、丁寧な仕事ぶり、姪との関係や、
陽の光や木々のざわめきに心地よさを感じ、
決して突き放すわけでなく距離を置くわけでなく、孤独に自由に生きるこの男を、
観終わった頃には、わたしは好ましく思っていた。
これまでの人生を思い、ふと寂しさや孤独を感じ何故か涙が出そうになる時に、煎茶を飲むとスッと落ち着くような、そんな(どんな)不思議な清涼感のある作品。
ルーティーンのなかで見出される、一筋の光明。
朝、目を開けて歯を磨き、コーヒーを買ってから車に乗ってトイレに向かう。仕事が終われば、銭湯で体を流し、自転車を漕いで酒場に行く。
変わらない日常を描きながら、その中に存在する一瞬の美しさを切り取っていく。
役所とヴェンダースの凄さ
淡々としてる作品を少し寝不足で観に行くのは少し心配でしたが、全然大丈夫でした。
最初はすこし眠いと思いながら観てはいましたが、もう五分もすると役所広司の演技、表情、所作から目が離せませんでした。
昔はこういう映画はヨーロッパとかを舞台に描かれていたのではと思いつつ、東京を舞台に描くのはヴィム・ヴェンダースが日本好きだからか、日本の文化が世界的に認知されたのかとも思って観てました。
この作品も役所広司ありきの作品だと思いました。
その極みなのではないでしょうか。
画もとても美しいというのとは違う、凄みある画でした。
あのアスペクト比もなかなかもって、イカすエモい良い演出でした。
トイレツアーは行ってみたいです。
自分の人生を豊かなものにできるかどうかは本人次第なんだと強く教えら...
自分の人生を豊かなものにできるかどうかは本人次第なんだと強く教えられました。
同じ生活をしても最悪な人生だ、ついてないと悲観する人もいるはず。
他人から見たら決して幸せに思えなかったとしても自分自身がその生活を楽しみ、素晴らしいものと思えるならきっとその人生はステキに輝いている。
そう教えてもらいました。
ただ寝ているときの映像と音はちょっと怖かったしよくわからなかった。
あと、とりあえず柄本時生さん演じる同僚は一回殴らせてほしい。
退屈と出るか?感銘受けるか?
退屈と出た〜。やっぱ配信まちで良かったか〜。
追記、世間で評判なのに自分には響かなかった要因があるとしたら…
禅寺修行体験したからかな〜?映画以上にシンプルかつ規則正しく、社会との接点も薄い。(先輩僧や高僧との人間関係は存在するが)
映画のレビューでは「何も起こらない」とあったが、それなりに飽きさせないような展開だったし淡い喜怒哀楽もあったし。
「こんな生活が実は幸せなのかも」って体験をすでにしてしまっていたからかな?
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