PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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素晴らしきルーティン
ここまで感情移入出来た映画は久しぶりでした。
まず音楽趣味が合いすぎる、それだけで私はこの2時間が
至福でした。ロードムービーを若い頃カッコ付けで見ていました、分かったようなことを語ってました、そしてロードムービー程退屈な物はないと言ってた時もあります。
でも今またこの映画が刺さってしまいました。
私自身が職種は違えど似たようなルーティンの深夜勤をしているからでしょう。ただ私は1人ではなく家族がいます。家族が居るとここまで好きには出来ません、少し憧れながらも実際にはきつそうだし、色んな感情が揺れ動き、正に最後の主人公の表情をなぞるように見ました。
主人公の過去等がほぼわからないのがいいです。勝手に想像出来る余白がたっぷりあるので。
心静かに過ごせる場所や時間を手に入れるにはそれ相当の犠牲が必要なのだ。
路地を履き清める箒の音に目覚め布団を畳む。歯を磨き顔を洗う。そして夜明け前の空気を吸いこむ。まるで産まれたての赤ん坊のようの笑みが浮かぶ。しかし初老の域を歩きはじめたばかりの男。さあ、映画を始めるぞ!そんなことを言いたげな眼差しは晩秋の風の匂いのように少し悲しげだ。スカイツリーを間近で見上げることが出来るのは押上かな?イマジネーションが亀よりは優れた僕にもわかった。場所がらにこれ程似合うアパートはないだろうと思わせるところ憎い。どぶさらいのあとの消毒液が臭ってきそうだった。こんな風にこの映画は始まりそして静かに終わる。日々のやるべき事が決まっている暮らしには穏やかな空気が流れ誰も近づけない。好きなものは一体何か、好きな場所はどこなのか、好きな人は誰なのか、しかもどれもコレも必要で最小限。多くを抱えたりしない。そんな心情がどれほどの豊かさを人に与えてくれるかを教えてくれた。そんな暮らしを手に入れるためにどれほど辛酸をなめたのかはわからない。そんな謎を解き明かさないまま映画は終わる。中途半端さが許されるのは役者のせいなんだろう。
巨匠復活
帰る日常のある人の強さ、靭さ
主演・役所広司。
監督は『ベルリン・天使の詩』のヴィム・ヴェンダース。
【ストーリー】
東京の下町に独り住む、無口で実直な初老男の平山。
公衆トイレの清掃人の彼は、毎日変わり映えのしない仕事を、道具を自作するなどして、熱心に取り組んでいる。
一見変哲のない日々には、だけどさざ波のように心震わせる出来事が起きていて、小さく、ときに大きく、平山の日常を動揺させる。
音楽は平山が自分の車でかけるテープ、居酒屋でママの歌う演歌といった、生活に密着した自然なものだけ。
起伏のないストーリーですが、カット割りのリズムがよいので退屈はしません。
音も都会の自然音を多用して、シーンの味わいを強めてくれます。
音楽のセレクトもセンスいいですね。
シャレてて滋味のある、古いロックやポップス。
平山の歩んできた道のりを、わずかずつ見せてくれる感じで。
役所広司の笑顔も、純粋でいい。
この歳でこんな笑い顔ができる俳優という存在の、偉大さに心が震えます。
わき役で好きなのは、本屋のおばさんかなあ。
幸田文とパトリシア・ハイスミスを、一言でピュッと評するあの語り口がいい。
解決しようのない人生のさざ波が、くり返し平山を動揺させ、そしてそれをただ日常をすごすことで受容れる。
完璧ではない一日また一日を、完璧にするための平坦な作業。
ルーティーンを黙々とこなす人の、これが強さなのだなと教えてくれます。
とても美しい映画です。
きれいで退屈な映画
この映画から何かを感じ取れるほどの賢さや感受性?みたいなものを自分は持ち合わせてなかった。
植物を愛し、読書を欠かさない実直で育ちの良いおじさんが、トイレ掃除に勤しむ日常。
こういう職業を描く時に、元はエリートだった事を匂わせるのって、ステレオタイプと言えるのではないか。
それはいいとして
いくら良い人でも、挨拶しない人は好きじゃないな。(出来ない人ではなく、しない人、する時はする)
役所広司は素敵だし、映像もきれいだけど
出てくるトイレは今時の東京のオシャレなトイレで
汚れも、落ちてるゴミも、掃除するのに躊躇しないレベルのもの。
自分が接客業時代に経験した、ぶちまけられたゲロや大便、脱ぎ捨てられたパンツはもとより、「便所の落書き」すら出てこない。
ロマンチック?な〇×ゲームが始まる始末。
きれいな人が、きれいな人向けに作った映画であって、自分のような汚れてしまった人にはおすすめできない。
生き様を感じさせる映画
⭐︎3.6 / 5.0
退屈
美しい、なぜか涙
役所広司はエグいです。妹との抱擁シーンは、背景が何もわからないけど涙が溢れ出た。何もわからないけど、分かる。過去の生活から逃れた今の生活が、たまらなく幸せな日々なのだろう。最低賃金で働いてても、毎日の緑、コーヒー、公園の日を浴びる浮浪者、銭湯、飲み屋、本、ママ、写真、そんな誰もが手に入る日常が、彼にとってかけがえのない幸せなのだろう。そしてたまにある非日常。どうしようもない若者とセンスのある彼女、まるばつゲーム、姪っ子、ママの元夫。それも含めて、幸せの種。最後の運転のシーン、笑うように涙目になっているのは、そんな幸せを噛み締めている毎朝の表情ではないのか。毎朝の顔を最後に持ってきた。素晴らしい。まさにパーフェクトデイズ。私は少なくともこの主人公よりは経済的に豊かな生活ができているが、こんな風に感じることができるだろうか。当たり前のことを一つ一つ感じ取ってみよう。そう思える作品だった。
寡黙な男に魅せられる映画
東京下町の渋いアパート。メゾネット。
役所広司さん演じる主人公平山の日常をただただ丁寧に綴った作品。
一見、同じように見える毎日が決して単調ではなく、観ていて飽きることがありません。無駄のないルーティンは小気味よく、美しく描かれています。そして、自分がこんなに大切に時間を過ごせていないことにハッとさせられます。
こういう、言葉少なで実直な人には本当に弱い…。
「発信」が重要視される時代において、不言実行を貫く人は心から尊敬します。
平山の日常を彩るディテールが印象的でした。
• 部屋の緑を愛で、水をあげる姿
• 古本屋好き、並べられたたくさんの本
• 仕事道具のツナギ
• 玄関にまとめられた小物たち
• そこかしこに几帳面さが
軽自動車で仕事現場の渋谷へ向かい、流れるのはカセットテープのBGM。どれもレコード屋で高値がつく名曲ばかりで、実際に音楽の選曲が絶妙。
渋谷の公衆トイレを丁寧に磨き上げる姿や、休憩中に木漏れ日を写真に収めるシーンの静けさ。彼の行きつけの場所たちも魅力的でした。
• 浅草駅地下の焼きそば屋
• 銭湯
• 小料理屋(女将役が石川さゆりさん!)
• コインランドリー
• 写真屋さん
緑を愛でる姿は、研究者だったのでは?と思わせるほど。ただ者ではない。実家が裕福だったことや親との確執を感じさせるシーンも見られました。
部屋の掃除の仕方もグッときて。
濡らした新聞紙を撒いて箒で掃く、このアイディアは役所さんの提案とのこと。彼のおばあさまがしていた方法だそうです。実は私もこの方法をよくしているので、ニヤニヤしてしまいました。
ビム・ヴェンダース監督の目線がとても日本的です。
主人公と子供が手を繋いで現れたときの親の嫌悪の表情や、「◯×」のくだりなど、「お約束」とも言えるシーンも、違和感がなく馴染んでいました。
映画を観ながら、思い出が次々と走馬灯のように蘇ってきました。平山の姿に、かつてお世話になった人生の先輩が重なったからです。
• 古本好きでいつも片手に本を持っていた
• ボタンダウンのサーマルシャツが似合う
• 下町をホームにして几帳面で優しい
• 怒る時は怒る
浅草や隅田川の界隈、銭湯、焼きそば屋にも一緒に行きましたし、カラオケでは石川さゆりさんをリクエストしてくれました。
20年前、下北沢によく通っていた頃も思い出しました。同僚が下北沢のレコード屋で働いていて、厳しい店長のもと泣きながら店番をしていたという話がよぎりました。
また、錦糸町に住む親友とスカイツリーの成長を見に夜の街を自転車で走ったこともありました。
「THE TOKYO TOILET」プロジェクトには伊東豊雄さんや隈研吾さんといった名だたる建築士たちが関わっているとのこと。美大を休学していることを思い出し、少しプレッシャー。。
映画を観終わったあと、思わず先輩に電話をしてしまいました。
先輩は体調が優れない中でも、優しく、楽しそうに話を聞いてくれました。次に会えるときはあるのでしょうか…。
気丈で、自分の弱った姿を見せず、情に厚く多くのことを教えてくれた先輩。
役所さんの笑顔と泣き顔が入り混じった表情が脳裏に浮かび、自分の無力さを感じて涙が出そう。
映画とは不思議なものです。なぜか今の自分にぴったりの作品に出会うことが多い。そして、映画館で観る作品は特にそう感じます。
今回も突発的に観に行きましたが、本当に良い時間を過ごせました。
皆さんのレビューで言うことなし
いつもと変わらぬ何気ない日常。その中にふと身を潜める楽しみ、幸福。...
パーフェクトな生活に思えてくる不思議
主人公は、都内の公衆トイレ清楚人の中年男性。アパートで一人暮らし。毎日の食事は、昼に公園で食べるサンドイッチと晩御飯は焼きそばとビール。仕事終わりの午後の早い時間に銭湯に行く。週末には、小料理屋に行く。趣味は、読書とフィルム写真による風景撮影。この彼の日常生活がずっと繰り返されていく映画。
こう文字にしてみると、この映画の何が面白いのかまったくわからなくなる。でも、2時間以上の短くない上映時間の間、飽きることがない。そしてラストには、この主人公の社会からドロップアウトしたような日常生活が、羨ましくも思えて、たしかにパーフェクトデイズだよなぁ、という想いが心に満ちる。
ヴィム・ヴェンダースのマジックみたいな映画。
斬新な表現
これがドイツ人監督の作品だと知って驚いた。
相変わらず自分の無知さに笑ってしまう。
その独特の表現方法には、普遍的な人間の感情と変化というものが描き出されている。
ただ、
数々の物語はあるものの、それらの一瞬を切り抜いたに過ぎず、主役の平山の物語でさえも、その一部分が切り取られているに過ぎない。
人との出会いは、インパクトがあればそれだけ記憶に残りやすいが、それがその瞬間だけということもある。
強烈な出会いによってある程度の期間一緒に過ごすことになっても、死ぬときは一人になるし、事情があって別れてしまうことは、この世の常だ。
この世界は同じに見えて絶えず変化しているのだというのが、この作品のテーマなのかもしれない。
平山が休日に飲みに行く先の女将と元夫
余命宣告と、どうしてももう一度だけ会っておきたかった元妻への思いは、彼にしかわからない。
しかし、
そんなことのいくつかが、自分の人生にもあるということは誰にでもあることで、その感覚を共有した時に、平山のように人は気づきを得て優しくなるのかもしれない。
さて、
妹の娘ニコは、なぜ平山を訪ねてきたのだろう?
彼女は平山の事情を知っていると思われる。
彼女の住む世界
少なくとも裕福で、恵まれているはずだ。
それでも家出をしたのには、家の事情があり、その事情故に家を出た平山の気持ちがニコにはわかる気がしたのだろう。
その貧乏で清掃員という仕事に身を置くことで、ニコは今後の自分の人生をシミュレーションしてみたのかもしれない。
ニコは昔平山からもらったバカちょんカメラを持って家出をした。
それは、当時の平山と今の平山は同じなのかそれとも違ってしまったのかというのを確かめたかったのだろう。
良かったのか、後悔しているのか? ここが彼女の視点だったように思う。
今でもバカちょんカメラで木を撮っているおじさんを見て、カメラをくれたときのシチュエーションを憶えているはずがないと言ったのは、あの時とちっとも変っていないおじさんを、とても信じられなかったからだろうか?
そもそも彼女を憶えているはずがないと考えたはずで、カメラを見せれば思い出すかもしれないと考えて持ってきたと思われる。
平山が何も変わっていなかったことは、ニコにとっての安心感と同時に、ひどく怖くなったのではないだろうか?
妹が訪ねてきた際、平山と父と確執があることがわかるが、その確執さえも変えられないおじさんに対し、ニコは彼女なりに思うことがあったのだろう。
だから素直に荷物を取って車に乗ったのだ。
このことについて古本屋の店主は「恐怖と不安は別物」と言ったのだろう。
おそらく不安が最初に起きることで、それが余計な憶測を交えたときに恐怖になるのだろう。
監督はこのパトリシアの本を読めと言っているのだ。
そしてニコはこの不安と恐怖が一緒になってしまった状態を迎えることになるが、それは誰にでも起きることで、これが彼女の成長点、つまり人生の伏線になっていくのだろう。
その本を読もうとする平山は、ようやくその事に気づき始めたということだ。
それが三浦友和さん演じた元夫の影の話と重なる。
平山は、清掃員の仕事を始めてから、ほぼほぼ毎日変わらないローテーションで生きている。
その世界は一般人とはまた少し違う世界だが、一般人から弾かれた人々とは微妙に接点があるのだ。
毎日たった一人公園でお昼を食べる女性
てぐちゃん
アヤ
特にアヤはいわゆる一般からはみ出しそうになっている女性で、だから彼女の世界にはないカセットテープのような年代物に憧れを抱くのかもしれない。
アヤはギャルというのか、今どきの格好をしているが、おそらく孤独だ。
他人からはレッテル眼鏡で見られ、同世代とは感覚が合わない。
カセットの曲がどれだけ彼女を慰めたのかはわからないが、1970年代ごろに触れたことで、彼女は少し勇気づけられたのだろう。
そして紙に書いた〇×ゲームも、誰かとの接点
平山の就寝と重なるモノクロ映像は、今日一日の出来事などが夢となって表れているようだ。
今日一日
また今日一日
そのローテーションは変わらないが、同じ出来事などない。
平山自身も、一瞬たりとも立ち止まってなどいない。
それはまるで「木」と同じなのだろう。
毎日が同じ中でも毎日違う。
「何も変わらないなんて、そんな馬鹿なことないですよ」
平山は自分の言った言葉に自分自身が驚きと気づきを得たのだ。
それが最後の映像へとつながっていく。
気づきの喜びの笑み
それが次第に涙に変化する。
カセットから聞こえるのは、New me/New day/New world/bad world…
平山の涙は、自分の人生は決して間違ってなどいなかったという感じだろうか。
木と自分と元夫の男、そして出会った人々とが重なり合い、影が濃くなっていく。
自分も一つの影であり、一つの濃さを作り出している。
平山はきっとそう思って涙を流したのだろう。
表現方法が独特なので解釈も難しいが、人生の一瞬一瞬の貴重さと、人の表面上の認識、そして背後に広がっている実際の奥深さと重なりに気づけと、監督は言いたいのだろう。
中々考えさせられる作品だった。
なんにも変わんないなんて、そんなバカな話無いですよ
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