PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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UNIQLOをオシャレに着こなす役所さんは10のうち10。もう一展開ほしい
役所さんは西川美和監督の映画の役とダブりました。
こういうの完璧にやれるのは彼以外いないですね。
本作、娘(と私は思う)はあのあとどうなっちゃうの?
神社のOLや浮浪者の田中泯さんは?いずこ?
観客に委ねすぎの部分が多くて、見終わった周りの人もなんだかなぁ‥という表情の人が多かったです。
特に泯さんの佇まいは昨年みた「こんにちは母さん」やん。とツッコミたくなりました。
新幹線のお掃除を思い出しながら、日本人の勤勉さ、清潔感などに思いを馳せました。
UNIQLOの柳内さんの息子さんが関わってるだけあって、平山の実はおしゃれな服に憎いくらい目がいったのがオマケ。
人は何のために生きているのか?を問う前に
めちゃくちゃ良かった。日常の変わらないところ、変わるところ、ちょっ...
スタイルに殉じる男の話
とても上質な映画。
映像の肌ざわりと息づかいを愛でながら、主人公の沈黙に思いを馳せる。
ひたすらに淡々と隅田川まわりの情景を映してるように見えて、実はとてもファンタジックな瞬間を切り取って撮影している。作品を見終わって映画館を出たあとに見る景色が、まるで映画の延長線上にあるように感じられ、映画の続きの世界を体験しているようにすら思える。
で。そうした情景描写の中でほんのかすかにだけ主人公の過去らしきものが描かれるが、その生い立ちを想像していくと、仔細は不明なものの、「今の境遇を自ら選んで孤独な生活を送っている」ということが見えてくる。
おそらく主人公は「誰にも知られることなく自分のスタイルと心中する」という生き方もできたはずが、「社会の中で自分のスタイルを律して生きていく」という生き方を選んだ。それが彼なりの戦いなのか、安住の地なのか、諦めの境地なのか、無邪気さなのか、あるいはその全部か。そうした、あらゆる感情がまざりきった顔をながめては、思いをはせるのがとても楽しい。
映画という表現の良いところを集めたような作品です。
あと、めちゃめちゃ大事な話ですが、主人公の仕事はトイレ掃除ですが、汚いトイレが出てこない。ここにこの映画のスタンスが集約されてると思いますです。
主人公は仏のよう。嫌味ではないよ
ヴェンダース監督が、日本の俳優さん使って日本で映画をって、本当に?って役者じゃなくても思います。
小津安二郎監督を敬愛してる、っていうのは有名で
私の中では今でも「ベルリン・天使の詩」がベスト1にくるくらい好き。
で、この映画。渋谷のオシャレなトイレだなぁとみていたら、やはりはじめはそちらを撮ろうとしてたとのこと。
正直、日本に来たくなる観光ムービーみたいにも思えます。いや、最近、日本って、思ってるほど良くないから!みたいなことを伝えたいのかと思える映画も多いので。まあ、それも現実かもですが。
それはさておき、ああ、ヴェンダース好きだわー、ってやっぱ思いながら観てた。
だって日々が本当に愛おしくて人間として生きてるっていろんなことあるけど素敵だなって思えるから。
役所さんもそこを心得てるのか、楽しそうに日々生きてる姿を、演じてる感なく演られていて。素晴らしいですね。
歳を重ねるといろんな残像を抱えながら日々みんな生きてる。すごく共感する。この世界は夢が現実か…影は重なって濃くなるのか変わらないのかも人それぞれ。
自分の人生、どう生きるか…金でも権威でもない、人から見た価値なんて神様から見たらどうなのか。
けっこう仏教的な映画だな、主人公は仏のようだなって思いました。仏は身近なものですしね。
日本に来たくなる映画でしょう。ウェルカムです。
あと、曲がたくさん出てきて、懐かしい洋楽が多くてそれも嬉しくなりました。
部屋のカーテンは開いていた
スイスの友人から届いたgreeting card に、この映画を見たことが記されていた。彼が日本で製作された映画を見たのは「東京ソナタ」以来であったと思う。それ位、ヨーロッパでも注目されるイヴェントとなっているのだ。彼が言った通り、素晴らしかった。
前半、平山(役所広司)のルーティンが繰り返し描かれる。古いテラスハウスの一室で目ざめて外に出て空を見上げ、自動販売機で缶コーヒーを買って、軽のバンに乗り込む。軽が走り始めると、カセットデッキのボタンを押す。流れ始めたのは、アニマルズの「The House of the Rising Sun(1964年)(朝日のあたる家)」。車外の情景は、私の好きな「ロスト・イン・トランスレーション」を思わせた。外国人から見た日本の姿。
平山は、渋谷の改修された公共トイレの清掃員をしている。ただ、部屋のカーテンは夜も開いたままになっていた。春から夏、朝4時に起きる養蜂家は、カーテンを持たないと聞いたことがある。夜明けが近づくと目を覚まし、道を掃く婦人の竹箒の音に合わせて起き出すのだろう。しかし、夜明けの時間は毎日少しずつ変わってゆく。昼は公園で「ともだちの木」と呼ばれる木に陽が当たっているところを、アナログカメラで撮る。この木に陽が射すゆらめきを、毎晩のようにモノクロで夢に見る。この情景だって、毎日少しずつではあるが、変わるだろう。映画の最後に、ベンダースの解説がある。
こうした平山の日常に変化が訪れる。姪の「ニコ」が転がり込んで来たのだ。やがてニコの母である妹が訪ねて来るに及んで、平山の過去が見えてくる。おそらく資産家一族の一員、何らかの理由で仕事をやめて裕福な暮らしを切り上げ、下町の古びたアパートで一人暮らしを始めたのだろう。
平日は、仕事のあと銭湯で一番風呂に入り、お酒を飲むだけだが、休日になると、なじみの居酒屋にゆく。ママに扮する石川さゆりが、常連客のあがた森魚のギターに合わせて「朝日のあたる家」に浅川マキが作詩した「朝日楼(1971年)」を歌う。音楽を楽しむことは誰にでもできるが、音楽を作ったり、演奏したりするには才能が必要だ。浅川マキは早く亡くなったが、そうした才能を持って生まれた一族の一人だ。
平山がいつものように軽を運転していると、ニーナ・シモンの「feeling good(1965年)」が流れる。It’s a new dawn, it’s a new day(夜が明けて、新しい一日が始まる)。CDよりも高周波域を含むと言われるカセットの音を反映しているのか、一際豊かな音響。しかも、それまでスタンダードだった画面サイズが、奥行きを持って広がり、私を魅了した。
この映画では、役所広司は、シナリオに沿ってルーティンを演ずることからスタートしたのかも知れない。しかし、外界の微妙な変化を感知してか、いわば平山という人間のドキュメンタリーを撮っているようだった。最後に、ベンダースの選曲に違いない「feeling good」で話は閉じた。
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この映画が、第96回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされたことが伝えられた。日本で封切られる前から、日本映画の代表として推薦を受けたことは正しかったことが証明されて、大変嬉しい。是非、一人でも多くの皆さんにこの映画を楽しんでほしい。役所広司さんのことを、誇らしく思えるはずだ。(2024.01.23)
当たり前の日常が、当たり前ではないことを教えてくれる
下町でひっそりと生きる平山を通して、街や人や人生や。
音も光も影も、そこにあるすべてがこんなふうに描かれると、なんとも愛おしく感じる。
東京という街への愛や、日本の文化に対するリスペクトや、なんてことないものが、素晴らしく思える。
残念だったのは、過去に自分が処分したテープやレコードがあったことを思い出したこと(笑)
あ〜捨てなきゃよかった!
好きだったものは、ずっと人生をともにしなきゃ。
古くなったからとか、機械が変わったからとかじゃなくて。
「テープの音、好き」
そうなんだよ、雑音も味だよ。
あ〜Queenも、キャロルも、ガロも捨てなきゃよかった!!
気づかせてくれたけど、後悔が鳴りやまない〜〜(泣)
選曲が渋すぎる!
役所広司なくしては、あり得ない映画かも。やっぱり凄い。
トイレだからベンダースじゃないよね
以前から、カンヌの賞からみの作品とはどうも相性が悪いなと思っていたが、本作もその例外ではなかった。 映像は見事だし、役所広司の演技も素晴らしいんだけど、この脚本で映画化する必然性あるのとか思ってしまう。無名の監督、無名の主演俳優のインディペンデント映画だったら、人知れず消えていくレベルの内容じゃないかな。
たとえば、日々の繰り返しのくらしを淡々の描写していく作品だと「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」は好きなんだけど、本作は飲み込めなかった。
渋谷区の公衆トイレプロジェクトに絡んだ企画が端緒の映画だそうだが、企画会議で
「で、監督はだれに依頼しますかね?」
「トイレだけに、やっぱりベンダースじゃないの。ガハハ」
みたいな会話はなかったと信じよう。
お後がよろしいようで。
日常タンタン
「日常」ってなに?
トイレの清掃員が主人公の人間ドラマ…なんて聞くと、それだけで「汚いシーン」「虐げられた生活」「世間からの偏見」を想像してしまうし、観ている間ずっと「何かが起こるぞ」「ひどいことになるぞ」と思い続けている自分がいる。
が、これはそういう映画ではない。
逆にこうして、私こそがひどい偏見を持っていることに気付く。
(トイレ清掃に従事されている皆さん、すいません)
それどころか、都心の公衆トイレのデザイン性や機能、そして綺麗に維持してもらっている様子を楽しみにさえ見てしまう。
いつも通り(に見える)変わらない日常を暮らす主人公。でも、彼は人一倍「その一瞬」や「変化」に執着している。
ファインダーを覗かないで撮る写真や、○✕ゲームに応じる姿なんかはその象徴的なものだろう。
「日常」とは、繰り返される何事もない日々のことではなく、人が「今」に誠実に向き合って生活を送った結果としてそこにあるものなのかも知れない。
思えば、我々にとっての「日常」って、まさにそういうものだから。
上映時間の2時間強の間、誰も死なないどころかケガさえしない。
怒りに任せて怒鳴る人もいない。
泣きわめく人も突然走り出す人も誰かを憎む人もいない。
でも、飽きずに見守っていられるのは、やはり監督の腕ってことなんだろう。そもそも、こんな日本人の庶民の生活を、ちゃんと共感できるレベルで外国人監督が撮るってすごいことだと思う。
セリフ自体が非常に少ないのに、画面に情報がてんこ盛り。
そのすべてに対して何らかの説明があったり、物語に絡んだり、回収されていくワケでもないんだけど、それは「日常」ゆえ。
役所広司の演技は言うまでもなく、登場する人たちの「そこにいる」感、そして東京の街、スカイツリーをバックに流れる6、70年代の渋い選曲に石川さゆりの歌のパワーも。
日常や人間の生活を描く作品って、すごく苦々しいシーンや、ぶつけようのない憤りを描くものが多いけど、本作は全くそういう映画ではない。
多くの皆さんに観てもらいたいとは思う。ただ、エンタメとしては物足りないと感じちゃう人もいるのかな。
でも、これだけ多くの人が好評価してるって、ある意味健全なことだと思う。
あふれる日本愛
規則正しくて、つましい生き方だと思うけど、さみしくないのかな?
私だったら、とても淋しくて堪えられないと思う。まず、無口なこと。いろいろな思いを内に秘めて、つらくないのかなぁ? どんどん膨らんでいって破裂しちゃわないのかな? 「王子さまの耳はロバの耳」ではないが、穴を掘ってその穴の中にすべてぶちまけるとかしないとおかしくなってしまいそうだ。次に、情報がないこと。新聞を読んでいなかったし、部屋にテレビもなかった。今身の回りで起きていることを全然知らなくて、不安じゃないのかな? 現在は情報過多で、誤った情報も流れてくるけど、取り残される気がしないのかな。それから、友だちや家族がいないこと。知合いはいても、友だちらしき人はいなかった。家族とは絶縁状態。人って、人と交わっていかないと生きていけないんじゃないかな。いろいろ考えていって、それらが欠けている平山の生き方は私にはできない、到底無理。監督のインタビューなどを読むと、平山の名前の由来が「東京物語」から取っているとか、僧をイメージしているとか答えている。私はリアリティに欠けていると思ったが、もしかしたら、現実では絶対無理だから、理想の生き方として描いたのかな? だんだんそう思えてきた。ラストシーンの平山の泣いているような、微笑んでいるような表情はどういう意味だったのだろうか? 木漏れ日という言葉は、英語では一言では言えないそうで、日本人として響きもすてきだし、誇りに思えた。
変化のないように見える日常だか、そこには楽しみを見出せる。
毎日決まったような日常が繰り返される。人は年齢を重ねると若い時のような新しさや、驚くなような出来事が少なくなる。はたからみると変化がないように見えるが、本人にとっては自分の好きなことをしつつも仕事をしっかりとこなして生きてる。
ちょっとした些細な変化があったりする中にさまざまな人の人間模様が見える。
人間交差点という漫画を思い起こさせてくれた。
そして渋谷区の公衆トイレがオシャレすぎることに感動した。
濁りなき生命
何かあると思えばあるが、何もないと切り捨てることも可能
それっぽい感想をこしらえようと思えばいくらでも語ることはできそうな内容だが、なんだこの映画、何もねーなぁと思ってしまうことも可能ではある。
几帳面な性格と興味のあることは突き詰める性分からして、頭も良く、きっといい大学も出ていることでしょう。また、妹の身なりや車からして、いい家柄であることもうかがえる。望みさえすればいくらでも裕福な生活を手にする機会が得られるであろう恵まれた環境にありながら、そういったシガラミから全部解放される生活を敢えて選択したということなのでしょう。
シガラミから解放されたいと思うことは、特に研究者気質の人間には往々にしてあることだが、好きな人ができ、家族ができ、それに伴って自分一人で自由に生きるという選択肢は除外され、それなりの生活を送るという選択をするというのが一般的でしょう。
自分以外の人のために生きるという選択の可能性がスナックのママぐらいしかなかったのか、とても気になるところでした。
何か素敵なものに触れた
寡黙なトイレ清掃員のおじさん「平山さん」の日常を描く作品です。
彼の日常はささやかで、けれども退屈にならず、ずっと観ていられます。
役者さんの非常によいお仕事を観られた気がします。
平山さん(役所広司)は夜明けに目覚めるとせんべい布団を畳み、手際よく身支度を整える。
小さな古めかしいアパートから外に出ると、空を見上げてにっこりと微笑む。
トイレ掃除に向かう車中のBGMは、お気に入りのカセットテープから選ぶ。
仕事が終わったら銭湯へ行ってサッパリし、駅改札前の居酒屋で一杯飲む。
今日は何かあったような無かったような、それでも眠りにつくときには印象的な出来事が思い起こされる。
毎日同じことの繰り返しのようだけれど、まったく同じ日はなく、平山さんはその日その日を大事に愛おしく生きています。
作品は多くを説明しませんが、平山さんはきっと過去に、ここで根を生やしこの暮らしをすると覚悟を決めたことがあったのでしょう。
寡黙な平山さんの言葉はやさしく相手に寄り添い、同時に自分に言い聞かせるようです。
さびしそうに、誇らしそうに、不安そうに、清々しそうに、ちぐはぐなものを抱えながらも平山さんはにっこり微笑むのです。
木漏れ日
「えっ、ヴィム・ヴェンダースってまだ生きてたの?」
高校生の頃、当時地元では上映していなかった、いわゆる単館上映映画にあこがれていました。
その後、上京した時に超ロングランしていたヴィム・ヴェンダース監督の「ベルリン天使の詩」を観たのが私の単館上映映画の初体験でした。
正直、内容はよくわからないけど美しい映像が印象に残りました。
この「PERFECT DAYS」を知った時に「えっ、ヴィム・ヴェンダースってまだ生きてたの?」っと驚きました。
「ベルリン天使の詩」の時、パルムドールも金獅子賞もすでに取っている巨匠だったので、勝手に高齢なのだろうと思っていたのです。
前置きが長くなってしまいましたが「PERFECT DAYS」感想ですが、トイレ掃除を仕事にしている訳ではありませんが、未だ独身一人暮らしの自分には重なる部分もあり、感じるところが多い映画でした。
10代の時にはよく解らなかったヴィム・ヴェンダース映画ですが、30年以上たった今は自分が成長したのか、またヴィム・ヴェンダース監督の変化か、その両方か、とにかく10代の頃とは違って自分の中にすっと入ってきました。
当時とは全く違った印象のヴィム・ヴェンダース映画でしたが、夜の高架道路を走るシーンの時、昔の映像がよみがえるようでハッとしました。
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