PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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懐かしいテイストのヨーロッパ映画のよう
こういう映画は久しぶりに観た。現在日本で上映される外国映画は、ほぼハリウッドの娯楽大作だけになってしまっているが、私の若い頃にはフランス映画やイタリア映画も普通に上映されていた。低予算で作られて、それほど大きな見せ場もないが、全編に詩情があふれ、どのシーンにも極めて繊細な注意が払われ、いつまでも心のどこかに残しておきたいような映画である。ドイツ人監督のヴィム・ヴェンダースは、「ベルリン・天使の詩」でカンヌの監督賞に輝いた名監督で、その手腕は流石という他はなかった。この映画は観る人を試すと思う。脂の乗った魚しか美味いと思えない人には、フグの美味しさが決して分からないようにである。
まず画面のアスペクト比がアナログテレビと同じ 4:3 というのに面食らった。横長の画面を見慣れた者には窮屈に感じられるのだが、監督の真意は外への広がりより中への没頭を重要視した結果であろう。台詞は極端に少なく、説明的なものはほとんどない。共演者が投げかける私的な質問もスルーするので、主人公の生い立ちや履歴を示す手がかりがないままに映画は進行する。その味わいは、まるでドキュメンタリー映画のようである。
トイレの掃除を生業とする主人公は、家にテレビもなく、スマホも持っておらず、朝は近所の老婦人が道路で箒がけする音で目覚め、布団を畳むとすぐに歯を磨き、朝食は摂らず、毎日熱心な仕事ぶりを見せ、昼はコンビニのサンドイッチを公園や神社で食べ、大木の写真を撮り、時には新芽を持ち帰り、部屋で育てている。帰宅後は銭湯で汗を流し、決まった店で安い酒で晩酌して、布団に入ってからは古書店で 100円で買った文庫本を読んで寝落ちする。ほぼ毎日同じことを繰り返して暮らしている。映画中、このルーティンを省略せずに丁寧に描くことで物凄いリアリティを生み出している。
同じことを繰り返して壮大な世界を見せるという手法は、ベートーヴェンやブルックナーの交響曲の作り方にも通じるもので、彼らの繰り返すフレーズは実は全く同じではなく、少しずつ変化している。その変化を聴き分ける能力のある者だけが、自分の呼吸を音楽のテンポに次第に同期させて曲の世界と一体感を感じることができるのだが、この映画の本質も似たようなものではないかと思う。
映画の中で、時々モノクロの映像が挟まれ、それがどうやら主人公の睡眠中に見ている夢らしいのだが、具象に乏しく、時系列も定かでない。まるで「2001 年宇宙の旅」で木星付近のモノリスを追跡したボウマン船長が見せられた幻影よりも謎なのだが、全編を見終えるとその正体が示され、彼はそれを眺めるだけで満たされた人生を送っているらしいと気付かされて、禅問答の答えが閃いたような感動が得られる。実によく出来ている。
役所広司をはじめ、俳優陣は台詞が極端に少なく、非常に抑えた演技が要求されており、大袈裟な身振りも大声も出す機会が奪われているので、所作や表情で内面を見せなくてはならない。演技の難易度は非常に高く、映画だからこそできる技で、劇場での演劇などでは不可能である。そうした監督の要求に見事に応えたからこその主演男優賞なのであろう。
音楽は主人公が勤務で使っている車の中で聴くカセットテープがほとんどであり、「朝日の当たる家」や、映画のタイトルにもなっている「Perfect Days」など、1960〜70 年代の曲ばかりである。「朝日の当たる家」など聴くのは何十年ぶりだろうという感慨に打たれた。劇中ではあの有名歌手の歌唱でも聴くことができて、望外の喜びだった。
俳優陣は馴染みの顔が多かったが、ほとんどはワンシーンのみの出演で、使い方が贅沢の極みだった。田中泯が台詞のないホームレス役だったのにも驚いたが、公園で野良猫を抱いてるだけの研ナオコ、挨拶だけの同業者が安藤玉恵で、芹澤興人に至っては、トイレに駆け込むだけの役というのには笑ってしまった。
映画で主張したいことの反対の人物も登場させる必要があるというのは映画の定石であるが、その役回りが当てられたのが三浦友和である。自殺企図のようなもっと悲痛な例を持って来なかったのも、監督の価値観なのであろう。この二人が川縁の夜景を背景に語り合うシーンは、周囲の光がピントが外れてただの丸い輝点と化し、まるでフェルメールの絵のように美しかった。
終わる寸前の役所広司の表情が全てであると思う。彼の出自や経歴は知らなくとも、映画を見ていれば人柄は分かる。その人が夕陽を見ながらほのかに涙ぐむ気持ちも、映画を見続けた人には痛いほど分かるのである。
(映像5+脚本5+役者5+音楽4+演出5)×4= 96 点。
人生の選択
役所広司のすごさ
役所広司の力量を見せつけられた。おそらく上映時間の半分以上は台詞がない。日々少しずつ変化のあるルーティンが映し出されるだけなのに、平山の一挙手一投足、表情から目が離せず飽きさせない。
なぜ平山が公衆トイレの清掃員という職業に就いたのか。なぜ1人なのか。はっきりしたバックグラウンドは最後までわからない。だけど家出してきたニコを迎えにきた平山の妹とのやりとり、ハグ、感情を抑えられず肩を震わせて平山が泣くシーン。私まで訳もわからず号泣。
説明がなくとも表情だけで心を揺さぶる説得力はラストシーンでも発揮される。
変わりないように見える毎日も、平山が愛でる木漏れ日のようにまったく同じ日はなく、些細な発見で人生って彩られていくのかもしれない。
やめたタバコをまた、、、
ヴィムベンダースの映画は何本か観てきた中で、一番好きな映画だった。俺も歳を取ったのかな?
流石のベンダース、ゴジラ-1.0のような説明セリフは一切なし。
それゆえに、観た人それぞれ経験してきた人生によって、十人十色の映画なんだろうなと思う。
平山の過去を想像してみた。
彼は、その仕草や佇まいから、とても仕事の出来る人、几帳面で、どうすれば効率よく仕事ができるかをいつも考え、実行する人。
父が興した会社をいずれは継ぐことを自分も考えていたのだろう。
だが、父とのとても大きな確執によって、修復不可能なほどの、平山自身の考え方をも変えてしまう経験をして、家を出た。
妹との束の間の抱擁は謝罪のように思えた。
好意を寄せるママさんの元夫が抱き合うところを目撃して、やけ酒とばかりに酒とタバコ、とても愛おしかった。
最後のシーン、音楽聴きながら、思わず泣いてしまいそうになる感じ、とても好きなシーンでした。
「素晴らしき世界」といい、この映画といい、役所広司の深さ、優しさ、強さを感じた、いい映画だった。
彼の人生に幸あれ
東京の一部の公衆トイレが、外観、内装、先進のシステムなどなど・・・著名なデザイナーさんが設計したものがあるという噂は存じ上げておりました。
今作はそれらを毎日綺麗に清掃する仕事をしている(役所広司さん演じる)平山の日々の平凡な仕事や生活のルーティンにフォーカスを当てた内容となっています。
無論、現代の話なのですが平山は築50年はいってそうな木造二階建て風呂無しオンボロアパートに一人暮らし。その殺風景な部屋にはたぶん冷蔵庫もTVもない代わりに無数のカセットテープとラジカセ、そして100円の古本の文庫本、そこらで取ってきた樹木の鉢植え?などなど・・・懐かしの昭和にタイムスリップした錯覚に陥ります。いや、私、昭和40年代の生まれですが、私の幼少期でさえもう少し生活感のある文化的な生活をしていた記憶がございます(笑)。
そんな中、彼が淡々とする仕事は、嫌な仕事を「しぶしぶこなす」なんてことは微塵も感じさせず、まるでそれが天職とも言うべき緻密さ丁寧さがありかつスピーディ。トイレ掃除の職人技をご覧あれっ・・・てくらい様式美さえ感じる手際の良さで、トイレと一緒に薄汚れた私の心も洗われるようでした(笑)。
また、繰り返される日々は平凡でも毎日、同じ場所で眺めフィルム写真に収める木漏れ日の様に同じものなんてひとつもなく、受け取り方によってもそれは様々に形を変えていくというのが、適切に、明確に表現されていたと思いました。
平山みたいに正しいこと、無欲な生活を繰り返したからといって必ずしも報われる訳はないし、逆に事態が悪くなることさえあるのが人生です。が、彼が時折り表情に表す微笑には強く共感し、彼の人生に幸あれと願わざるを得ません。
なかなか良い映画でした。
孤独を選んだパーフェクトデイズ
ビムベンダース監督作品
「パリ、テキサス」や「ベルリン・天使の詩」は見たはずだがストーリーを全く覚えていない。
今度見てみよう。
なんか音楽がかかるとノリノリで見てる人がいたww
きっと60代以上くらいが、どはまりする音楽なんだと思う。
でも、東京のトイレを紹介する映画です。
パターン化されたパーフェクトヒューマン?
なんかいろいろ考えちゃうね
理解するのに時間かかるかも。
趣味は何ですか?
音楽、読書、写真、酒、孤独です
繋がっているようで繋がっていない、
これから日本が抱える孤独イシュー
どんな生き方をするのか人それぞれ。
木漏れ日が好きなのは花でも日向でも光でもないからなのか。
振り返るとただのトイレ映画がジワジワくる。
退屈な映画だと思ってたけど、
退屈な清掃員と思っていたけど、
日常の些細な事やルーチンで楽しんでるようにも見える。
そんな退屈な映画をここまで感じさせてくれる役所さんの演技が素晴らしいと思います。
カンヌ映画祭男優賞おめでとうございます
この作品の監督がドイツ人だとは誰も信じないだろう。
西洋人にありがちな、おかしな日本観が一つもない。
主人公の平山は毎日毎日同じことを繰り返し、
自分が出来ることを精一杯こなし生きている。
私には平山が大谷翔平に見えた。
違うのは世界的有名人と名もなき市井の人と言うこと。
メジャーリーガーとトイレ掃除人。
社会的評価は天と地ほども違うが、
自分の仕事に真摯に取り組む姿勢は同じ。
平山の中に理想の日本人像を見たような気がします。
あえて言うなら10/10点かな
日々好日
渋谷区の公衆トイレ清掃員として働く『平山(役所広司)』の日常は
判で押したよう。
目覚まし時計に頼らず、
陽の明かりと近所の老婆の竹箒の音で目覚め
身だしなみを整えユニフォームに着替え
アパート前の自動販売機で缶コーヒーを買い車に乗り込む。
車の中ではお気に入りの曲をカセットテープで再生。
スカイツリーを眩しく見やる。
現場に着けば持ち場の掃除を卒なくこなし、
決まった神社の境内でサンドイッチと牛乳の昼食。
時としてトイレの利用者や、
同じ場所・時間で交差する人々との微かな交流はあるものの、
互いに深入りすることはない。
業務が終われば地元の銭湯でひとっ風呂。
馴染みの居酒屋で軽く呑み食いし、
就寝前には読書も欠かさない。
仕事が休みの日は溜まった洗濯でコインランドリーに。
古本屋で本を買い、撮った写真の現像にカメラ屋へ。
その日の〆は歌の巧いママが居るスナック。
五~六年も通うそこのママには
ほのかな恋心を抱いたりもする。
そしてまた明日からは仕事の日々が始まる。
『平山』は五十を過ぎ、妻も子もいない。
驚くほど寡黙で同僚とも必要な会話以外はせず、
自身の素性を語ることもなし。
仕事ぶりは至極丁寧。
清掃用具を自分で工夫し造ることも。
とは言え、若い女の子にチュッとされれば嬉しい。
その日は一日上機嫌だ。
そんなルーチンを乱す出来事が。
しかし日々の行動が変わっても
怒るよりも、どちらかと言えば楽しんでいるよう。
が、それが図らずも主人公の過去をあぶり出し、
万感のラストシーンへと繋がる。
彼の行動原理は
『宮澤賢治』の〔雨ニモマケズ〕を思わせる。
そして、下町然とした地域での人々のかかわりは、
水魚の交わりのよう。
こうした純日本らしい風俗を
外国人の『ヴィム・ヴェンダース』が描き出したことに
先ずは驚く。
取り立てての事件が起きるわけではない。
日々は淡々と過ぎて行き、
また明日も、昨日と同じような一日になるだろう。
それでも、それを善しとして、
楽しむ心構えが『平山』にはできている。
最近とみに増えて来た
ハイカラなトイレ群の背景はこうなっていたのね、との
清新な発見。
勿論、それを支えるソーシャルワーカーの人たちにも
思いは及び、
(今でもそうだが)この先は、あだやおろそかには使えない。
そうしたことに気づかせてくれた監督の視線の細やかさにも
改めて感嘆する。
ずっとこのままじゃだめなのかな 何も変わらないなんて、そんな馬鹿なことあってたまるか
映画の中で「何も起きない」ことを願うなんて、未だかつて無い体験だった。
そして、何も起きないことへの感動を味わえたことも、初めてだった。
日本は渋谷のど真ん中で粗いCGでドンパチするんじゃなくて、もっとこんな映画を作ったら良いのに。これこそ本当に日本で作る意味のある、日本らしい映画だと思った。
冒頭5分程の映像でもう良い映画だと分かった。一つひとつのカット。カメラのズーム。そして編集。その全てが洗練されていて、ドキュメンタリーのような劇映画なのではなく、本当に洗練された劇映画はドキュメンタリーになり得るのだと思えた。そしてそんな風に思わせてくれたのはやはり、カンヌで最優秀主演男優賞を取った役所広司さんの名演もあったからだろう。
「パリ、テキサス」を思わせるようなセリフの少なさで、本当にこの主人公平山は何も語らない。なのにココというタイミングで意味ありげなことを言う。それがこの映画の全てのようにも思えて、何も語らない平山という男の背負うものを考えられずにもいられなくなる。そして語らない平山の人格を、いくつのもの登場人物達があぶりだしていく。後輩のタカシや、その彼女、姪っ子、踊るホームレス(これは田中泯さんの最も正しい有効活用かもしれない笑)妹、行きつけの居酒屋のママ、ママの元夫……平山はこの人物たちと何か深く会話を交わす訳ではない。しかしその交流を見ていると、何故か平山のことを思わずにはいられなくなる。それは役所広司さんという役者の過ごさでもあるだろうし、あまりにも隙がない、無駄がないヴェンダース監督の演出によるものなのだろう。
ラストの長回し、本当に凄かった。
これが映画だよなあ…と強く思わされ、さらに何か、込み上げてくるものが確かにあって、でもそれが何か分からなかったのはまだ自分が人生経験が足りないからだろうかと思った。
いつか、こんな風に生きていけたらと思った。
「こんなふうに生きていけたら」というキャッチコピーも、この平山のように生きていけたら…という意味ではなく、平山が「こんなふうに生きていけたら」と思っているという意味なのかもしれない。それはクライマックスで流れるニーナ・シモンの歌の歌詞のような、はたまた彼が読んでいる幸田文のエッセイのような、そしてエンドロール後に現れる木漏れ日のような、そんなふうに平山は生きていきたいと思っていた。そしてそれが叶っているかどうかは観客に委ねられているのかもしれない。
手を伸ばせる範囲の中での丁寧な暮らし方
セリフもほとんどなく淡々と描かれる平山の日常を眺めながら、自分の心も次第に整っていくような気持ちがした。それは、平山が、流行り廃りとは無縁に、自分が手を伸ばせる範囲の中で、丁寧に暮らしを重ねているシンプルさへの憧れとも言える。
冒頭は、カセットテープのカーオーディオとETCのアンバランスさの違和感が拭えずにいたのだが、中盤で、平山が意図的にカセットテープを選択して生活しているのだと気付かされてから、ぐっと惹きつけられた。
全編を通して、とってつけたような説明台詞が一切なく、平山の過去も、平山の家族の状況も、あくまで想像の範囲でしか観客に提示されない。けれど、そこがいい。不必要なものには触れないというのは、まさしく平山の生き方そのものだからだ。
三浦友和演じる小料理屋のママの元夫とのやりとりの部分が出色。自分自身も人生を振り返る時期になり、2人の言葉がじーんと沁みてきた。
この映画を観た人と色々な面から語り合いたくなる一本だと思う。
深く考えないで観察する映画
傑作としか言いようがない
ヴィム・ヴェンダース監督が切り取った東京が素晴らしく魅力的
セリフが圧倒的に少なく、その分 映像が今の時代 個性的なスタンダードサイズの画角で秀逸のため、観るより”感じる”という印象が強い作品だと思いました
主役の平山を演じる役所広司さんでさえ、ほとんど喋らない不思議な魅力を放つ良作でした
が、そういう雰囲気とストーリーというストーリーが無いので、退屈に思う人も多いかもしれません
大好きな東京の風景
煌びやかな東京スカイツリーから雑多な浅草駅の地下街まで、ヴェンダース監督が美しく情緒豊かに”ニッポン”を撮ってくれていて、とても嬉しくなります
主人公 平山がトイレ清掃員として働く、渋谷にある数々の個性的な公共トイレ
平山の住むメチャクチャ味のある(ありすぎる 笑)アパートや銭湯を墨田区某所にて
そして平山が行きつけの下町情緒溢れる一杯飲み屋を浅草で
など、徹底してロケ撮影にこだわっただけあって、本当に素晴しい東京の風景が描き出されており、何度も好きで行っている東京ですが、また訪れたくなりました
ルーティーンの暮らしに生きる平山ですが、そんな中でも毎日は違いがあって、嬉しい時もあれば悲しい時、困ったと思う時、など そよ風レベルの違いを愛おしく思い、毎日を噛み締めて生きていく
そんな生活に一番の幸せを感じ生きている
という寡黙で何とも哀愁漂う男を役所広司さんが静かに力強く演じており、素晴らしかったです
日々の喧騒から開放され、全てをノイズだと思い、必要最小限の物と好きな物だけを身近に置き、生きていく事ができたらどんなに楽な生き方だろう、と考えてしまう秀作でした
トイレ文通
ひょっとしてセリフなし? ドキュメンタリー風が永遠に続くの? なんていう序盤がすぎ、アヤちゃんが出てきたあたりから俄然面白くなる。アオイヤマダの存在感がすごい。
ホームレス風パントマイマーの田中泯とか、境内での昼食タイムに毎回鉢合わせする不思議ちゃん風のOLとか、毎日夕食をする居酒屋の店主とか、平山さんの日常を追体験していくうちに、平山さんの心の内がわかってくる。
平山さんは、人とのコミニュケーションが嫌いなわけでなく、気が知れた人とボディランゲージだけで会話するのが心地よいらしい。
姪っ子が突然、平山さんの家に闖入してくるシーケンスは、やたらと感情が揺さぶられる。平山さんの過去に何があったかは、観客に委ねられるが、えーひょっとして、◯◯なの? 思ってしまう。
豪華な脇役に驚かされるが、全員下町になじんでいる。
マジックシールドがあるトイレとか、最新の公共トイレにはビックリするばかりだし、流れる曲がとてもいい。昭和世代ですが、さすがにテープは面倒なので、Apple Musicで探します。
多目的トイレは正しく使いましょうね。
素敵なクリスマスプレゼント!
「東京に空が無い、ほんとの空が見たい」と昔、智恵子さんは言ったらしいですが主人公平山(役所広司さん)が優しい表情で見上げ時折フィルムカメラに収める空にはスカイツリーも借景として実に感慨深いものになってました。
まず、このシチュエーションで、しかも台本のセリフ行数数えられるんじゃないか、と思うほど圧倒的無口な平山を主人公として素敵な作品に仕上げた監督の力量、才能に感服です。監督の目のつけどころ、日本の公衆トイレはこうして清潔さを維持しているのかと心から感心するとともに日本で生まれ育ったことに感謝感謝です。
以前は何年かに一度海外出張に出かけることがありましたが成田やセントレアに着くと、まずは空港のトイレでスッキリして日本に帰ってきたな!って実感したこと懐かしく思い出しました。映画の中の公衆トイレも結構ハイテクなものがあり、東京ならではかもしれませんがやはり日本のおもてなしの心を感じます。
またカセットテープから流れる古き良き時代のアメリカンポップスが懐かしくも心地よい響きです。今Z世代はじめ若い方々にもレトロが逆に新しいみたいで、親子や孫子で同じ曲をカセットやレコードを聴くなんて素敵なことでしょうか。
タカシ(柄本時生さん)の今どきっぽい仕事のやっつけ度合いにも怒ることもなく淡々と仕事を進める平山が、おそらくハイソサエティらしい妹(麻生祐未さん)に姪っ子のニコ(中野有紗さん)を返したあと慟哭する姿にえも言われず心を揺さぶられました。またエンディングの役所さんの顔のアップ。複雑な想いをぐるぐると巡らし、笑いそうなところから苦しそうな、泣きたいような表情の繰り返し、それだけでアカデミー主演男優賞ですね。なんて素敵な役者さんなんでしょうか。
他にも古本屋のおばちゃんのまとを得た書評、田中泯さんのパントマイム、メモ書きの手紙やり取り、石川さゆりさんの艶やかな歌声、三浦友和さんとともにやめたタバコにむせたり影踏みしたり、タカシの彼女(にしたかった女の子)のキスにあたふたしたり、始まっちゃったギターはあがた森魚さん?などなど語りたいこと満載ですが今回は余韻にひたり、割愛です。
ハリウッドであのリチャードギアを主役にリメイクされた「Shall we ダンス?」や「素晴らしき世界」など数々の名作、様々な役どころを演じ分けられる日本一の役者さんに間違いありません。
個人的には家族にちゃちゃっと『マルちゃん正麺』を作ってドヤ顔の役所さんや、古くは『ダイワマン』として唐沢寿明や黒木メイサさん(離婚しちゃいましたねー)と絡むCMの役所さんがとっても好きでした。※新しい『ダイワマン(西島秀俊さん)』はベルリンやカンヌで最近評価が高く役所広司さんからこの役を引き継いだそうです!(嘘です)
多くを語らずとも仕草や表情で演技を極める最高の役者さんが最高の監督やスタッフと出会って完成した素晴らしい作品だと思います。年の瀬にいい映画と出会えて幸せでした。
カセットテープと木漏れ日
まず今年公開された江戸時代の汚穢屋の生き方を描いた阪本順治監督の『せかいのおきく』を思い出した。
あちらは汚物そのものを取り扱う人々の物語だったが、公衆トイレの清掃員も誰かが行わなければいけない必要な仕事であるにも関わらず、あまり日の目を見ることがないのは同じだと感じた。
主人公の平山はその生真面目な性格が覗えるように、たとえすぐに汚れてしまったとしても丁寧に時間をかけて便器を磨き続ける。
それでも急いで用を足したい者からは、まるで邪魔者を見るかのように扱われてしまう。
この映画はそんな平山の判を押したような単調な生活の描写から始まる。
朝起きて身支度を整え、出掛けに缶コーヒーを一本飲み、車の中ではアナログなカセットテープをかけて音楽を聴く。
都内の様々な公衆トイレを掃除して回り、代々木八幡宮の境内でサンドイッチを食べ、趣味のカメラで木漏れ日の写真を撮る。
仕事を終えると植木の手入れをし、銭湯で汗を流した後に浅草の地下街の飲み屋へと赴く。
そして寝る前に文庫本を読んでから一日を終える。
休日は現像したフィルムを受け取り、古本屋を訪ね、行きつけの飲み屋で時間を過ごす。
単調な描写だが、観ていて飽きることはない。
平山は寡黙な男だが、決して無愛想なわけではない。
むしろ些細なことに微笑みを浮かべる彼の姿が彼の人柄の良さを語っているようで、観ているこちらも幸せな気持ちにさせられる。
平山がいつも出会う公園のホームレスも写真屋の店主も寡黙だが、それとは対照的に同僚のタカシは必要以上に喋りまくる。
何でも十段階で評価しようとするタカシはかなり軽薄な男なのだが、どこか憎めない愛嬌がある。
そして彼が想いを寄せるアヤも不思議な魅力を感じさせる。
いつもおかえりと出迎えてくれる浅草の飲み屋の店主も印象的だった。
平山の姪のニコが家出をして彼を久しぶりに訪ねてきた時から、単調な日々が変化を見せる。
ニコは平山をとても慕っているのだが、どうやら彼は家族との間に大きな確執があるらしい。
今まで穏やかな表情を崩さなかった平山だが、妹のケイコがニコを連れて帰った後に初めて泣き顔を見せる。
さらにタカシが無責任な形で仕事を辞めたことで無茶なシフトを組まれた時も彼は声を荒げる。
そして彼は行きつけの飲み屋でママが別れた夫と抱き合っている姿を見て、気まずさのあまりにその場を立ち去り、普段は吸わないタバコを吸ってむせてしまう。
前半は単調な描写ながら幸福感に包まれていたが、後半は影を感じさせる場面が多い。
ママの別れた旦那が平山に「影は重なると濃くなるんでしょうか」と聞く場面が印象的だった。
影が重なっても濃くなることはないのだが、平山は頑なに影が濃く無ったと主張する。
そして何も変わらないなんてことがあるはずはないと答える彼の言葉は、まるで自分に言い聞かせるようでもあった。
この映画を観て幸せとは何かを考えさせられた。
どうしても人は日々の生活に変化と刺激を求めてしまう。
しかし判を押したように同じ生活が続くということは本当はとても幸せなことなのかもしれない。
誰かと一緒にいなければ幸せになれないわけでもない。
と同時に、誰かと喜びや悲しみを共有出来ることが幸せなのだとも感じる。
最初は平山が幸せそうに見えたが、彼もまたどうしようもない孤独を抱えて生きていることが分かった。
悲しみや苦しみのない人生などない。
むしろ人生は悲しみや苦しみの方が多いのだと思う。
木漏れ日がとても象徴的に感じられたが、まさに影の間から時折差し込む光があるから人は前に進んで行けるのだろう。
彼が最後に見せる笑顔は流れそうになる涙を懸命に堪らえようとする笑顔だ。
それでもラストシーンに悲しさは感じなかった。
平山の持つカセットテープにセンスの良さを感じたが、アナログなのはカセットテープだけでなく棚に並ぶ映画のVHSもそうだ。
日本人ではないヴィム・ヴェンダース監督だからこそ描くことの出来る風景があるのだと感心させられた。
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