PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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ヴェンダースの青
朝、主人公が整える口髭は、中年サラリーマン役の笠智衆の口髭そのものだった。もうそこで私は笑いをこらえることができなかった!この後も沢山笑った。泣かせるより笑わせる方が難しい。これは笑わせてくれる映画でした!
小津安二郎ラブの監督だけあって、
赤を意識してるな~と楽しかった。主人公が好きなお菓子の本店は鎌倉、紙袋は赤で店の名前も!でもこの映画では赤よりも青だった。青が主人公の世界を表す色、静かで透明で光を映し出す水、空、風、青々とした木々の葉、仕事着も普段着も青。「青騎士」の作品、例えばフランツ・マルクの絵画のように心を落ち着かせてくれる色。
音楽もよかった。あまり詳しくないジャンル&時代の音楽だったけれど、最初にカセットテープから流れたのは娼館の歌だった。ドキッとした。
畳、布団、箒、縦縞の柄の湯飲みを映してワーイ!と嬉しくなっている(と勝手に自分が想像する;小津映画小僧の)監督の顔が目に浮かぶようだった。
監督はドイツ人、言語は日本語で出演者もロケ地も日本のこの映画は邦画?洋画?そんなのどっちでもいい、いろんな世界があってそれが重なると味わいが濃くなって面白くなるよ、というメッセージなのかな。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は大好き。他作品は別に~、ですが見てよかったかな。とにかく役所広司はいい顔してます!
【"木漏れ日。”東京の公園の公衆トイレ清掃を生業とする男のルーティンな日々の中、小波の様に起こる出来事を静謐なトーンで描いた作品。人生の真なる豊かさとは何であるかを考えさせられる作品でもある。】
ー 今作の主人公である男の苗字は、平山である。
この時点で、今作を製作した小津安二郎監督作品を敬愛する、ヴィム・ベンダース監督の想いが伝わって来る。
そして、今作品の魅力は、”現代の平山”を演じた役所広司さんの抑制しつつも、確かなる演技である事を再認識した作品である。-
■男(役所広司)は、仕事のある日は早朝に近所の住人が箒で道路を掃く音で目覚め、”The Tokyo Toilet”と背中にロゴが入った青いつなぎを着て、玄関脇に置いた車の鍵、小銭(何故か時計はしない。彼は仕事のある日は体内リズムで時を感じるからであろう、と鑑賞中に思う。)を手に取り玄関を出て、空を見上げてから自販機で決まった銘柄の珈琲缶を買い、一口飲んでから気分に合わせて60年代ロックのカセットテープを流しながらミニバンを仕事場に走らせるのである。
◆感想
・冒頭、上記の仕草をした男が車内で掛けたカセットテープから流れる”朝日のあたる家”を聞いた途端に”この映画は面白いぞ!。”と確信する。
・更に別の日には”The Velvet Undergroundの”PALE BLUE EYES"を流しながら、男は公衆トイレに向かうのである。
ー 無茶苦茶、センスの良い選曲である。-
・男は公衆トイレに着くと、手際よく且つ丁寧に仕事をこなして行く。
ー 使用者が来ると、さっと作業を止め、外で待つ。その間に彼は木漏れ日や公園のルンペンの初老の男(田中泯)のゆったりとした踊りを楽し気に見ているのである。-
・男の相棒の若い男(柄本時生)は、スマホで話しながら清掃をしているが、彼はその姿を見ても咎めない。
・男の昼食はほぼ決まっていて、ある神社の境内のベンチで食を摂る。サンドイッチと飲み物。そして、男は胸ポケットに入れてある小型カメラで境内の木の葉の間からの”木漏れ日”を写真に撮り、時には木の根の近くに生えて来た小さな枝を、新聞紙で作った小箱に神社の宮司とアイコンタクトで許可を貰ってから移し替え、家に戻り育てている。
・男は仕事を陽が高いうちに終え、銭湯が開いた途端に暖簾を潜り、一番湯に浸かるのである。年輩の常連客に軽く会釈をする男。そして、行きつけの酒場でレモンチューハイを飲み、家に帰りフォークナーの小説を読みながら、寝落ちしていくのである。
ー 実に、豊饒な時間を過ごす男であると思う。-
・休日には、男は、”Lou Reed"の”Perfect Day"を部屋で寛ぎながら聞き、水に濡らした千切った新聞紙を部屋に撒き、埃を吸わせ手際よく掃除をする。
そして、平日には着けない時計を手首に嵌め、外に出る。
つなぎを始め洗濯物をコインランドリーで洗い、古本屋で幸田文の「木」の文庫本を購入し、行きつけの小料理屋でレモンチューハイを呷る。女将(石川さゆり)は何だか、男に好意を持っているらしい気配である。
ー 男が、自由な生活を楽しんでいる事が良く分かるシーンの数々である。-
■男のルーティン生活の中で起こる小波
1.相方の若い男が気にしているアヤ(アオイヤマダ)にパティ・スミスのカセットを気に入られ、車内で流す。アヤはそのカセットテープをそっと、袋に落として去る。
その後、若い男からアヤの店に行くため金をせびられ、一緒に中古レコード屋に行く。若い男は、男の所持品である60年代ロックのカセットテープを店の男に見せると、高額金額を提示され驚くが、男はカセットテープは売らず(そりゃそーだ!)、若い男に金を貸してやるのである。
そして、車で家に帰る途中にガス欠になり、男はカセットテープを持ち、橋の上を走って行く。彼がそのカセットテープを、中古レコード屋で売ったシーンは描かれない。
ー 観る側に、解釈を委ねるシーンである。男がどのカセットを手にしたのかが、妙に気になる・・。-
2.ある日、男がアパートに戻ると階段に女子中学生位の女の子が座っている。男は”ニコか!大きくなったな。”と嬉しそうに言い、彼女を家の中に入れるのである。
ー 最初は、ニコが男の娘かと思っていたが、妹(麻生祐未)の娘である事が、後のシーンで分かる。
序でにニコという名は”The Velvet Underground” のファーストアルバム”The Velvet Underground and Nico"から取ったのだろうと勝手に推測する。-
ニコは男の妹であり彼女の母と何か揉めて家出したらしいが、男は何も聞かない。ニコは男の所有するパトリシア・ハイスミスの”11の物語”を読み耽り、男と一緒に銭湯に行ったり(男はコッソリ、彼女の母に公衆電話から電話している。)男の仕事にも付いてくる。
或る晩、彼女の母が運転手付きの高級車で彼女を迎えに来る。ニコは”11の物語”を未だ読み切って居ない。特に”掌編すっぽん”の主人公の少年は私だよ!”と多少抵抗するが、素直に車に乗る。
そして、男の妹は”お父さんがもう・・。逢いに行ってあげて。”と言うが男は答えずに、涙を流し妹を抱きしめるのである・・。
3.休みの日、行きつけの小料理屋の扉が開いていて、男が覗くと女将と見知らぬ男(三浦友和)が抱き合っている。
男は慌てて自転車を漕いで店を離れ、コンビニでハイボール三本と煙草を買い、夜の川沿いで独り呑んでいると、女将と抱き合っていた男が現れる。
そしてその男は自分は癌であり、女将の元夫だと言って男から煙草を貰い、咽びながらハイボールも一缶貰い(元夫は、最初は固辞するが。)二人で影踏みをして遊ぶのである。
ー 女将の元夫が男に頭を下げて言った言葉。
”アイツを宜しくお願いいたします。”男は、”いや、そんな関係ではないんです。”と答える。
役所広司と三浦友和という邦画の名優二人の演技が光るシーンである。-
<今作は、ラストシーンも素晴らしい。
男は早朝、朝日が差す中、ミニバンを仕事場に向けて運転している。
男の顔は、笑顔でありながら涙が目尻に湧き、徐々に上記の色々な小波を思い出したのか、泣き笑いの表情になって行くのである。
正に役所広司さんの畢生の演技である。
今作は、”人生の真なる豊かさとは何であるか。”を観る側に考えさせる作品でもあるのである。>
<2023年12月22日 劇場で鑑賞>
<2023年12月29日 別劇場で再鑑賞:レビューも少し追記する。>
■依って、勝手ではあるが、評点を4.5から5.0に変更させて頂きます。
<2023年12月31日
あるレビュアーさんから御指摘を受け、一部修正しました。有難い事です。>
人生とはありふれた尊い日々の積み重ねである
トイレの清掃員である平山(役所広司)は、ごくありふれた同じような日常を送っていますが、特徴的なのが寝ている時に必ず挿入される映像です。不思議な感覚になり癒されますね。
木洩れ日のようなサブリミナル効果に似ている映像の中には、物語の先の内容を暗示している物が含まれています。
後半に2つほど出来事が起こりますが、時間というものは、自分が支配している時間と他人に支配されている時間があることに気づきます。
ありふれた日常でも自分が支配している時間は、その一瞬一瞬が特別な時間であり、後になってかけがえのない時間であることを実感しました。
平山は観葉植物を育てているように人生はありふれた日常の積み重ねなのだと思います。
観終わった後、久しぶりに大きな衝撃を受けました。
豊かさってなんだろう?
トイレの清掃員をしている一人暮らしの初老の男の、単調で質素な毎日が淡々と描かれる。
しかし、男は、そうした生活に不満を抱いたり、悲嘆したりするどころか、満ち足りた幸せな人生を送っているように見える。
しかも、そうした、余計なものが削ぎ落とされたミニマルな生き方に、知らず知らずに憧れを感じるようになっている自分に気付かされたりする。
ここで、改めて、「豊かさってなんだろう?」、「幸せってなんだろう?」ということを考えさせられる。
それは、日常の些細な出来事にも感動でき、「世界は美しい」、「人生は楽しい」と思える心の持ちようなのだろう。
朝、家を出て空を見上げる時の主人公の表情や、昼、神社の境内で木漏れ日を写真に収める時の主人公の様子や、夜、馴染みの居酒屋でチューハイを引っ掛け、銭湯で湯船につかる時の主人公の姿を見るにつけ、そう実感できるのである。
それにしても、主人公は、これまでどのような人生を送ってきて、どうして今の仕事をしているのだろうか?
苗木を育て、カセットテープでオールディーズの音楽を聞き、フィルムカメラで木漏れ日を撮影し、寝る前に単行本の文学を嗜む主人公の姿からは、豊かな感性と高い知性の持ち主であることが伺い知れるし、ラストの彼の泣き笑いの表情からは、様々なことを経験し、積み重ねてきた人生の年輪を感じ取ることができる。
実は、彼は、事業に失敗した実業家だったり、妻子を事故で亡くした大学教授だったり、刑期を終えて出所してきたインテリ・ヤクザだったりしたのではないかと、色々と想像を膨らませことができ、そういう点では、余白を楽しめる映画ではある。
ただし、キャラクターの掘り下げという点では、彼の過去について、もう少しヒントがあってもよかったのではないかとも思ってしまった。
泣けた 地元が舞台なので満点
作品中、1960~70年代のロックや日本のフォークソングが流れる。
そのうちの1曲、68年、オーティス・レディングが歌った「ドック・オブ・ザ・ベイ」。
今から37年前、今と同じく「無職」だった僕が車に乗りながら聞いていた歌である。
25歳の無職だった僕、62歳の無職である僕。37年の年月――。
泣けた、泣けた、泣けた。
今も、昔も、そこにあるのは「PERFECT DAYS」なのだ。
今、そしてあの時も。あの場、この場に居た僕。そしてあなた、見たこともない、彼ら彼女ら。
すべてが生きていることが、PERFECT DAYSなのだ。
そう思い、そう感じると、涙が出てきてしようがなかった。
カンヌで主演・役所広司が最優秀男優賞を受けてから、特報、予告編として流れるシーンで彼が自転車に乗る、それが、隅田川にかかる人道橋「桜橋」なのだ。
ここは、僕が住む自宅マンションから900メートル、走って7分の場所にある。いつも、今朝も走って来た場所――だ。
東京の下町・押上はスカイツリーのおひざ元。そこに役所演じる主人公が生活する。
京島の銭湯に行き、業平のコインランドリーを使い、地下鉄浅草駅の地下商店街で一杯やる…。
それでいて、経ワゴンで高速を使って渋谷までトイレ掃除に行くというのは、現実にはない話だが、映画として見た場合、出てくる近代的で清潔な公衆トイレと崩れかかった下町のボロアパートやごちゃごちゃした街並みのギャップがよい。
物語に筋らしい筋はなく、役所が口にするセリフもほとんどない。
それでいて、漂うこの雰囲気はなんだ! 彼の表情、泣けたよ。
2023年後半、僕が見た映画はどれもいいものが多かったけれど、これがベストかも。
小津を敬愛するヴェンダースの作品は、見る人によっては退屈極まりないだろう。本作も、そう感じる人は多いかもしれないが、心にしみる作品なのである。
作品傾向が似ている感じの、アキ・カウリスマキの「枯れ葉」も見たが、あれは僕にとって退屈だった。★2つでレビューを書こうと思ったが、やめた。
退屈と感じる人も、そう感じない人もそれぞれ。
墨田区が舞台というのに、錦糸町の映画館で上映されないのが非常に残念。亀有まで行ってきたよ。
渋谷のアーティストデザイン公衆トイレのステルスマーケティング。
鑑賞のキーワード。ルー・リード。納戸のキャディバッグ。石川さゆり。木漏れ日。主人公が『平山』。パトリシア・ハイスミス。
小津安二郎をリスペクトするジム・ジャームッシュらしく、主人公を「平山」としているあたりで(小津の小市民映画の主人公は「平山」が定番)、そうとうな目配せしています。一番気になったのは「平山」がなぜ、この生活になったのか。という行間の読み取り。姪が家出して、妹が引き取りに来た時の会話で「父親との確執」が暗示される。さらに、住居の納戸にキャディバッグが置いてある(処分されていない)というカットで、かつてはゴルフをたしなんでいたという描かれ方をされている。「平山」が何故このウルトラシンプルなルーティンライフに至ったかを理解したいのだが、そういったパーツを繋げて想像するにしても、悩みますね。結論として、このシンプルライフを主人公が、最初から意図して始めたのか、それともリア充なプチブル生活を捨てて、世捨て人のように生きるように人生をリセットする事件の結果として始めたのか、という二つの解釈があるのですが、キャディバッグのカットで、後者であると断じます。
描かれている、凛とした、簡素な生活を淡々と描写しているのを見て「ああいう生活にあこがれる」という観客が多いでしょうが、僕は「ああなることを決断させられる現実の諦観するきっかけがあった」という主人公の<過去の悲劇>に思いをはせてしまいます。
ある日ではなく日々ですね
まさにパーフェクト。
さすがヴェンダース監督。最近見ないスタンダードサイズの映像の中で、おじさんが生活してるだけ。なんでもない日常を切り取っただけなのに、恐ろしく感情が同期される映画だった。私がおじさんだからというのもあるだろうけど、それだけでもないし、作風の好みや相性が良かっただけではないだろう。(と、思いたい)
話は、公衆トイレ掃除人の、変わり映えのしない日々が展開されるだけなのだが、いつのまにか引き込まれていた。
朝起きて、車に乗り好きな音楽を聴きながら仕事に行き、昼休憩と、帰り道、仕事終わりの銭湯や一杯飲み屋での、ちよっとした息抜き。夜は布団の上で好きな本を読んで、眠くなったら明かりを消して眠り、夢を見る。そしてまた朝を迎えて…。そんな彼のまさに完璧な日々。バタバタ仕事をしている我が身からは羨ましく思える、まさにパーフェクトな日々。
そんな平穏な日常に、周囲の人々から差し込まれるさざなみのような出来事。それらを温かく受け入れて、また平穏な日々に溶け込んませて行く。ルー・リードのPerfect dayが流れ、いつしかトイレの掃除人の人生に共感し、憧れすら抱いている自分に気付く。
もちろん、役所広司さんが素晴らしい。寡黙な男の設定なのだけど、それにしても最初の30分くらい一言も喋らない。おじさんが早朝に目覚め、布団を畳み、歯磨きや身支度をするだけの映像が淡々と流れる。普通なら、これ誰が見たいの…なのだが、さすがの役所広司さん。玄関を開け、空を見上げて深呼吸、自販機で缶コーヒー(もちろんBOSS)を買って、作業車へ乗り込む。(車はダイハツだったな)だいたいこのあたりまでが朝のルーチン。何度も繰り返されるのだが、それがなんか心地よい。詳細は控えるが、ラストも名シーンだと思う。
同じ役所広司さん主演で「素晴らしき世界」(西川美和監督)がある。あちらも社会復帰を目指して一人暮らしのおじさんの話。性格はほぼ真逆な足を洗ったヤクザの設定でしたが、良い映画でしたので、役所さんの演技を見比べてみるというのも面白いかも。
年の瀬に良い贈り物をいただいた。
海外から見た場合の作品であることに注意しないと変な見方になる…
今年427本目(合計1,077本目/今月(2023年12月度)28本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
表題に書いたのが全てを物語っているような気がして、大手のシネコンで放映されている割に極端にセリフが少なかったり展開が変だったり(一度しか出てこなかったり、ストーリーの筋と関係のないものが出てくるなど混乱させる)という、音響設備がぶっ壊れたんじゃないかというほどにセリフが少ない映画です。
結局のところ「海外から見た日本を描く」作品なので、インターネット、スマホ他で広がった「人と人との間隔」、あるいはコロナ事情によるそれ、あるいは、映画内で何度も描かれる多機能トイレほかを描くのか(多機能トイレ「自体」は海外にもあるのでしょうが、映画のように何度も出てくるというのは、建築物としてのそれに着目したものと思います。ただこの為に見方によっては何を述べたいのかわからない)、色々な見方があろうと思いますが、個人的には折衷的な見方でみました。
かつ、上記の「極端にセリフが少ない、何を言いたいかわからない」他が意味するところは、映画の最後の最後になってはじめて「海外から見た日本を描く作品」である点であり、このことはなかなか最初ではわかりづらいので、途中で脱落する方も多数出るんじゃないか…という気がします(実際、3割くらいの方が途中で抜けていた)。
個人的に気になった点としては、やはり以下のような点があります。
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(減点0.3/(日本において)多機能トイレの抱える問題に触れていない)
これだけ多機能トイレを舞台(?)にした映画であるのに、日本においてよく言われるこの問題、つまり、健常者(ここでは、身体障がい等があっても意味もなく占有する類型も含む。以下同じ)の方の「多機能トイレの占有」や「家と化する」問題(この問題は一部、ホームレス問題(福祉行政)と絡む)、あるいは「想定されていない使われ方をする」(そこで焼肉をやったりといった極端な類型があった)といった問題が「日本には」存在することは事実で、映画内ではこれらの行為は描写されていませんが、これだけ多機能トイレを描写するのなら、その点は当然監督の方も日本サイドとのやり取りでこの論点を知っていたと思われるため、この点にはエンディングロールでも触れておいて欲しかったです。
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なお、上記のように「成り立ちが特殊」な作品なので、作品とは無関係な人物や描写(すなわち、ノイズ的描写)が他の映画と比べて多いのですが、謎解きものでもないですし、「そういう作品」と割り切るしかないです。
※ このことは実は「映画好き」ほど混乱させる要素が強く、作品内では途中、音楽カセットテープのお店に行くシーンで、ルーリードのテープの写真が出てくるところがあるのですが、某作品…というか、「初代ベイビーわるきゅーれ」を彷彿とさせる部分(主人公のまひろが作内で何度か着ているTシャツの柄がそれ)など、「ネタ映画なのか」と思ったりと混乱度合いはそこそこあります(まぁ、これもマニアなんでしょうが…)。
視点とは発見だ
見事に何も起きない日常を描き、感動させてくれた。
その作劇の秘密は視点だと思う。些細なことが絶妙なドラマとなって日々が綴られる。そこに人生の豊かさを感じる事ができる。
透明トイレのやりとり。いいかげんな若者。大の大人のくだらない影踏み。
ラストの主人公の表情が全ての要素を昇華していく。
まさにPERFECT DAYSだった。
面白みなどかけらも無し。役所広司だからこその作品。
いつもと違うシネマサイズにこの映画が普段と違う…って感じさせます。
流石すぎるなと。
無口の中に思いを伝える演技。
あくまでも自然です。
日本人みんなが彼のようにあれればどんなに幸せ?
少なくとも監督には理想的な日本人なんだろうかなと。
コンビニのトイレが使えない都内では公衆トイレはほんと助かります。
清掃管理してくださっている方には感謝しかない。
偶然にもお会いいた時には「ありがとう」「ご苦労様です」の一言は日本人なら言うよね?
ましてや『清掃中』の看板倒すなんてありえません。
完璧な選曲に酔い、味わい深い佳作
ジム・ジャームッシュの佳作「パターソン」2016年を否応なしに想起する。何でもない日常を淡々と描く。「パターソン」でもそうであったように、本作でも音が極めて効果を発揮する。竹箒で早朝掃くガサガサ音を皮切りに、ダイハツ(嗚呼)の軽のエンジン音、終始首都高を走る車の音。生活の生の息吹がひたひたと伝わってくる。思えばドイツのヴィム・ヴェンダースとアメリカのジム・ジャームッシュとはその名前の韻からして混同し易く(少なくとも私は)、制作スタンスも指向も何やら共通点が重なる。ともに既に70代、実際のところ過去の華々しいカルト扱いの輝きを未だ背負っての新作でしょうが、本作の静謐から立ち上る肯定感は深い味わいを残す。
主人公の名前が「平山」とあるとおり、小津安二郎ファンであるヴェンダースにとって変形の東京物語の様相となった。都なのか区なのか民間会社なのかまるで不明ですが、都心の公衆トイレを定期的に清掃する仕事をしている中年と言うより初老のルーティンを密着で描く。この平穏にどんな波風がドラマとして起きようなんて、観客からして思っていないはず。何にも起きないけれど多少の避けがたい事象で、平山のスタンスをクッキリと形作ってゆく。
その関わる人々がまた豪華で柄本以外はほとんどチョイ役ですが、印象を残す。柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり(なんと唄ってくれる!)、三浦友和、田中泯、甲本雅裕、松居大悟、研ナオコ、モロ師岡、あがた森魚、安藤玉恵などが、画面の中で息づく。それぞれのエピソードに挟まれるように、モノクロの平山の追憶が漠然とインサートされる。決して平山の過去を暗示しようなんて端から意図はない。
最初の妄想シーンで示されるのが「影」の文字、以降は漠とした木漏れ日にオーバーラップ映像で雰囲気だけの提示が続く。しかしいよいよのラスト近くで大トリのように登場する三浦友和との出会いの時に「影が重なると濃くなるのか?」の問いに対し、いい大人2人で影踏み遊びをやってのけるシーンが興味深い。「影が重なったらより濃くなってくれなきゃ」と吐露する平山がそこにおり、本作中最もと言うより唯一自分の言葉として吐く。一転して、新たな一日が始まり車を運転するが、これまでずっと助手席側からのカメラ映像だったものが、ラストのみ真正面から運転する平山を長廻しで捉える。笑ったと思えば軽く涙ぐんだりの、さり気ない演技の変化が絶妙で、悲観より肯定感で締めくくる。
それにしても今時カセットテープで、しかも曲によっては中古でも1本1万円で売れるご時世とは驚きました。なによりそのカセットから流れる曲が振るっている!世代的に近いこともあり、「THE HOUSE OF THE RISING SUN」が唐突に流れたら血流が逆走するかのようでした。「THE DOCK OF THE BAY」、「SLEEPY CITY」、Lou Reedの「PERFECT DAY」、「FEELING GOOD」などなど、よくぞの選曲に涙涙です。邦画ですと超有名曲の使用許諾に二の足を踏む場合が多く、流石のドイツとの共同制作の賜物でしょう。
当然にドイツ人から見た東京が視点ゆえに、終始画面のセンターに鎮座するスカイツリーをはじめ、首都高の複雑な曲線を好んで捉え、肝心のトイレも最先端のオシャレなものばかりで、古びたトイレがまるで出てこない辺りは少々複雑ですが。もし病気になったらの懸念も解消はされない。念のため毎朝の缶コーヒーは見えないように手にしてますが、明らかにサントリーのBOSSで役所広司的には安心しました。
唯一彼の妹(麻生祐未)が運転手付きの高級車に乗っており、「本当にトイレの掃除をしているの?」と差別意識を滲ませるシーン。平山のかつての地位を忍ばせるが、深追いはしない、そんなことは実にどうでもよく「今」の充実の静謐が小津安二郎に繋がるのです。
『おじさんが便所掃除してるだけ』
アベンジャーズ映画を「世界を救うだけ」と言わないように、おじさんだって日々いろいろな出来事を経験して喜んだり悲しんだりするし、便所掃除だってぐっと近寄ってみれば知らなかったいろいろなことに気づく。
我々がついひとくくりに「だけ」と軽視しがちな事も、こんなに細かい要素から成り立っていて面白いんだという事を教えてくれる。
役所広司の演技に支えられている部分も大きい。映画の前半彼はほぼ無言だが、たしかな演技力によっておじさんの人となりが表現されている。所作はどことなく上品で、整った部屋の様子などを見ても分かるが貧すれど鈍していない。これは中盤で理由が示唆されるが、はっきりと伝えず視聴者の想像に任せる形になっている。
エンディングで彼が泣いていた理由は何だったのだろう。朝日が眩しかっただけかもしれないし、出会った人々のいろいろな出来事に対して自分の日常があまりに平坦で虚しくなったのかもしれない。
終わったあと気持ちが良い映画だった。
まさに、─イズム
日々の記録を淡々と─、まさしくどこぞのあの監督の思想を反映させたかのような作品。あまりにも平坦で、もしかしたら、つまらん!と一刀両断されるかも・・・そういう意見もまた納得してしまうのですが・・・
光と影の表現とかスチールとか、個人的にドンピシャな表現があまたあったので相当引き込まれました。小津映画も大好きなので─
確かに、東京の公衆トイレって最近新調されているなぁとは感じていましたが、あんな種類があるなんて─。移りゆく東京、変わらない東京、過去に住んでいたアパート、いまエントランスから見えるスカイツリー、程度が違えど自分とリンクするものばかりで非常に心に響きました。この風景を日本人ではなく外国人が撮ったことに少しガッカリ・・・でもそれがヴェンダースであるということに歓喜。色々と味わい深い作品です。
役所さんは最高なんですが、もう少し、彼だけに頼るのではなく、話自体にストーリー性を与えてくれればもっと小津的感動を味わえたのかなぁと生意気な気持ちも生まれちゃいましたが、そんな自分勝手な欲望なんて関係なく、文句なく素晴らしい作品です。
缶コーヒーはBOSS!
主人公と同じようにスカイツリー近くの隅田川近辺に住み首都高に乗って東京タワーを見ながら港区近辺とかいろいろ通っていた時期があってとても懐かしい風景でしたが、まったく違って見えました。何度か使わせてもらったトイレもいくつか出てきて感慨深く鑑賞しておりました。光や公園の木漏れ日はとても美しく車のカセットテープで聞く素晴らしい名曲の数々が素晴らしいです。当然のことながら役所広司さんは最高ですし、ヴィム・ヴェンダース監督も素晴らしい。役所さんがカンヌ映国際画祭で主演男優賞をとった素晴らしい作品ですので多くの方に見てもらいたいです。
足る、を知る。
東京という情報の多い場所で、日々の
生活の中にある幸せや、ちょっとした人との
コミュニケーションの温かさを、とても豊かに表現している作品。
役所広司さん演じる平山はトイレの清掃員として
丁寧にきちんと仕事をこなしていきます。
公衆トイレという事もあって、同僚のタカシ(柄本時生)からは「どうせ汚れるんだから」なんて言われるけど自分の仕事を実直に全うしていく姿は清々しいです。
木漏れ日、が随所に出てきます。
陽の光の使い方がとても美しいです。
平山が空を見上げる表情は言葉なくても
幸せだな〜と語っているようで、幸せホルモンのセロトニンがバンバン出ているようでした。
そして今既にある生活の中の幸せや大切なことを
教えてくれます。
スマホに目を落とすだけでなく、
空を見上げたいものです。
平山のシンプルライフ
長く生きてれば色々物やしがらみが増えてゆく。断ち切るのは難しいんですよ。
彼の生活は有る意味憧れのシンプルライフ。カセットの6070年代音楽で止まってるのは個人的には共感できる。同年代なので。
薄々背景は分かるが納得できるほどの説明はない。
達観してるのか? 兄弟なら一言言いたくなるだろうけど、幸せそうでは有る。
雑事は避けられないけど人の暮らしは平穏な繰り返しが一番。
毎朝の仕事前の笑顔はちょっと嫌だったが
最後の顔芸は圧巻だった。
商業映画にはまねできない
78歳のヴィム・ヴェンダースが東京のトイレ清掃員の「完璧な日々」を描いたものすごく小さな世界のものすごく卑近な物語である。たいした事件が起こることもない淡々とした日々を主人公がコレクションしている洋楽カセットの曲にのせて124分見せられるのだが、これが驚くほど映画の魅力にあふれており役所広司の超はまり役というか普通に朝起きて布団をたたんで歯磨きして・・というそのまんまをドキュメントしたようなほとんどセリフもない演技でカンヌ男優賞を獲った(海外の方には字幕を追わなくて済む分演技が分かりやすいのかも知れない)。まず見始めて思うのは西川美和「すばらしき世界」のその後を描いたのではないか?ということ。しかし安アパートで自分で炊いたご飯を食べる喜びはタイトルにもなっているル・ーリードの「Perfect Day」(すばらしき日)であってどちらかというと「特別な一日」で、すぐにそんな「素晴らしき世界」なんて嘘っぱちであることが分かる。「PERFECT DAYS」は真逆で、特別なことは何もなくただただルーティーンが維持されていくことの心地よさを提示する。私の世界はあなたの世界とは違う姉の住む世界とも違い交わることは無い。発展しそうな事件が起こるふりを振るだけ振っておいて肩透かしをくらわす。ホームレスの田中泯。公園で出会うランチタイムのOL。三目並べゲーム。最大の事件たる家出してきた姪っ子にしてもあっけなく収束し、夜ごとに観る夢にも全く意味は無い。ドラマのない映画の傑作が生まれた。銭湯と湯上りのチューハイ、週に一冊の文庫本だけで人生は十分に楽しいのだ。
たまにウトウトする。鑑賞後、とても満ち足りた気持ちになる。【追記】長井短さんが長井短さんぽくって良かった。
たまにウトウトしたけど、鑑賞後とても満ち足りた気持ちになる。
平山の日常は平凡だが人生は満ち足りて充実してる。仕事は公共トイレの巡回そうじ。趣味は読書、音楽鑑賞(洋楽)、カメラ(木もれ日)。酒とタバコはたしなむ程度。一人暮しでパートナーはいない。
仕事の移動中に車で洋楽のカセットを聞き、休憩中に木もれ日の美しさを写真に撮る。仕事帰りに一杯やって、家で文庫を読んで寝る。
毎日こんな感じの平山の日常が、2時間何度も繰り返される。
休日の定番は、洗濯、写真の受け取りと依頼、古本屋で100円の文庫を一冊買う、行きつけの飲み屋に行く。
エンタメ性が高い大きな事件や事故は起きないが、木もれ日のささやき程度のざわめきは起こる。
同僚のタカシが急に辞めたのでそのカバーを1日だけしたり、タカシの彼女が平山のホホにキスしたり、行きつけのバーのママが知らない男と抱き合ってたり、家出した姪を泊めたり。
TOHOシネマズ日比谷で、10/24(火)~10/30(月)の1週間、特別先行上映。
最終日に2回鑑賞。 満員に近かった。いつも観客がすごく少ない地元周辺の映画館なので両隣に人がいるだけで疲れた。
【追記】12/22(金)再鑑賞
淡々とした平山の日常生活を見てるだけなのに、なぜか心が満たされる。ヤッパシ途中で少しうとうとした。改めて平山がていねいに仕事をしていると思った。
仕事中にトイレで泣いていた迷子のママを探したり、知らない誰かと○✕のやり取りしたり、いつものベンチで昼を食べてると最近同じOL(死語?あるいは差別的?)が隣のベンチにいることに気付いたり、木の若葉を持ち帰ったり、その他もろもろホント些細なことを通して平山の輪郭が見えてくる。
長井短さんが長井短さんぽくって良かった。僕はいつも長井タンさんと言ってる。
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