PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
全1000件中、781~800件目を表示
妙に共感してしまった 60代です
生きていくのに少しの笑みがあればそれはそれで幸せなのかもしれない、特別な何かは必要ない。他人とも少しの関わりでよく、だからといって拒否してるわけでもない。
最後のシーンで、色々な感情が浮かんで来て泣いてるような笑っているような、さすがは役所広司さんだと感心しました。
追加で書きたいことが、一階で寝てる時、周りの荷物に大きなカバンがあったような、海外に留学とか仕事で行っていたのかな、だからトイレの使い方を英語で聞かれてもすぐに答えていたのかな、それからあの部屋で布団を毎日畳む様子を見ると、なにか罪を犯して刑務所に入ってたと思いました、そう考えると実家にも帰れず、妹にも迷惑かけていて申し訳ない気持ちもあってハグしたのも何となくわかります。
それから掃除をするとき、手袋をつけたり外したりすると手間なので、トイレ周りのゴミを素手で拾ったりするのはリアルだなとも思いました。
混ざらないこと
みせられる平山スタイルは繰り返しのようでいて繰り返しではない。自分の一日を振り返ってみれば、動詞のくくりにしてみれば起きる食べる働く寝るなど、ひらやまとかわらない。そこにカセットテープからの音と流れてゆく景色があれば、そこはお気に入りの映画のなかにいるよう。
自分発信であろうと他人発信であろうと、光と陰のようなかかわりは木漏れ日のように揺らぎを生んでいる。埋もれているゆらぎはそこだけをきりとればぼけていたり、ぼんやりしていたり、きらきらしていたりする。
ハンでおしたようなひらやまの日々はつまらなく映る場合もあるかもしれないけれど、ちがうフィルターをとおしてみたら、これほど美しく静謐で完全な日々はないように映るだろう。
咳をしてもひとり、の全部を観たような気がした。
最後の三分間凄かった。
政治家さんに観て欲しい
WWの円熟
言いたいことはわかるが、曖昧にして誤魔化してる気がする
幸せとは
こうした緩急が少ない映画は始めて見た。ある中年の日常的なルーティンの繰り返し、少しの変化はあるが大事件が起こるわけでもなく、すぐ隣で、または日々の自分自身の日常生活と大きくは変わらない。主人公の過去や今どうしてこういう生活に至ったのかは一切明かされない。でも兄弟と久々の再会には涙しながら抱擁する姿から、それなりの複雑な過去が想像される。極めて毎日同じことの繰り返しなのに、小さなこだわりの?または自然な所作の繰り返しなのに主人公は微笑みをたたえながら日々生活している。幸せってことはこうした日常の何気ない事の積み重ね何だよと作者は伝えたかったのだろうか?エンドに主人公がほほ笑みながら涙を流すシーンは幸せを噛み締めている意味なのか?長いようであっという間の鑑賞であった。
逆輸入されて味わいを増す、これは小粋だ!
アナログに囲まれ浮かび上がる生活の美しさ
この映画の画面サイズは4:3の昔のアナログテレビサイズになってます。
フィルム写真のように切り取られた美しさを狙ったのか。アナログの世界感を強調したかったのか。
寡黙な平山(役所広司)の触れるものは、仕事で使うガラケー以外徹底してアナログで統一されていて、アパートにはテレビも電子レンジも洗濯機も見当たらない。ミニマリストでさえ最低持つパソコンも当然ありません。
棚にあるたくさんの本、オリンパスのフィルムカメラ、カセット、ラジカセ、電気スタンド、布団、植木鉢、歯ブラシ、電気シェーバー。
最小限のアナログたち。しかし平山は充足しているように見えます。
アナログなものは自由を含んでいる。デジタルのような窮屈さがない。
東京の公衆トイレをカセットテープの音楽とともに清掃して回り、銭湯に行き、駅地下の酒場で夕食をとるというルーティンを僧侶のように繰り返し生活する。その生活をまるでドキュメンタリーのように淡々と見せます。
役所広司演じる平山の所作があまりに無駄なく、何十年もそのように生活してきんだろうと思わせ、私は平山の動作一つ一つに目を奪われ続けました。
あのような平山の生活を美しいと思えるか否か、この映画を評価する分水嶺はそこにある気がします。
ヴェンダース監督は彼の生活に恋したと語っています。
私も平山とその生活が大好きです。
素敵に見えるルーティン→抜け出せない生活の繰り返し?
・平山が眠りについた後に表現される深層心理シーンに目👁がサブリミナル的に現れているのに気がついた(多分) 。何を表しているのだろう?実際の目だったり枝が目に見えるような仕掛けだったりブルブルした目玉っぽい何かだったり。
『人からどう見られているか、人をどう見ているか、何を見ているか』かな?(※他人の目を通して世界がどのように見えるか、らしい)
迷子の子供と繋いだ手を母親に拭かれた事のチクッと感。自分は汚いと見られているのか。
「こんな所に住んでるのね、本当にトイレ掃除の仕事してるの?」自分は憐れ?
「金がなきゃ恋もできないのか」憐れに思いお金を渡す。人を憐れに見る?
公園で見かけたホームレスへは微笑ましく見てた平山だが、終盤の駅前で踊っていたホームレスを見かけた時はどういう感情を抱いたのだろうか?後ろの車からクラクションを鳴らされる程に何とも言えない表情で見入ってしまう平山。心配?憐れみ?社会からの孤立?自分はそのホームレスをどう見ているのか?自分も同じ?
その後ラストまでの顔アップ そのうち涙目になる平山。涙の訳が答えられません
(追記:公園では微笑ましく見えたけど、駅前の人混み、つまり社会に混ざったらとたんに異色な存在に見えたのだろうか)
・父と確執があるみたいだけどそれがハッキリわからなかった。平山の影(陰)の要素は?トイレ掃除をどう考えてる?やりがいのある仕事?選べなかったからやってる仕事?ボロアパートではあるけど仕事はあるし銭湯も飲食店もスナックへも行けるし休日も満喫できてるし、どの辺が影なのだろうか。
貧困格差 障害 ルーティンを阻害される煩わしさ いきつけの店が混んでて端の席に座り店主ともあまり話せない
・面白トイレ紹介かと思いきやアーティストがデザインしたプロジェクトだった事を後で知る。(エキセントリックなトイレだなぁ...と思った)
・おじさんがキャッキャして影踏みする 陽の当たらない部分=影=人が抱えてる陰など踏んでしまえ
・挿入歌たちのよさ 挿入歌の歌詞にもひょっとしたら正解があるのかも 後で調べたい
・カセットテープ⇄Spotify 新旧
・光と影の揺らぎ 陽が当たらない部分=影=社会の影部分 ホームレス 弱者 孤立
・重なった影が濃くならないなんて(社会の影部分の弱者が重なっても弱者は弱者のまま)そんな馬鹿な話はないでしょう 平山の望み 懇願
・駅改札の客層キラキラ感⇄ガード下のゴミゴミ感
・早朝の竹箒の音 良さ⇄騒音迷惑 どっちと見るか
・それぞれ違う世界に生きている
・平日は腕時計はいらない
・ゴミをトイレに放置する人間は滅ぶべき
↑これは自分の意見
色々もう少し理解したい
サブタイトルや綺麗な情景と良い音楽と時々みせる笑みで、悲壮感のなさを感じてしまい、穏やかで充実したステキな生活のルーティンに思えてしまったが、後から考えたら ”抜け出せない生活の繰り返し”ではなかろうか?と思えてきた。
美しい映画と思いきや、「万引き家族」や「誰も知らない」や「パラサイト 半地下の家族」のような社会からはみ出てしまった陽の当たらない人々の話だったかも?と思うのは違う⁇
プロジェクトの一環らしいそもそもの豪華トイレも そんなのに金かけてて大丈夫?みたいな皮肉になってしまってないか⁇
極上の日常
底辺にいるおじさんの繰り返す日常の中にも揺らぎがあり、そこに光があって素晴らしい、みたいなテーマはキレイごとっぽいし、どの世代の女性にもてる主人公の生活に現実感はないし、時々出てくる哲学的セリフもなんだか鼻につく。
ただ、これをヴェンダースが監督し、役所広司が主人公である事で極上の作品になっている。
異邦人ヴェンダースが切り取る不思議な味わいのある東京の日常風景の中で役所広司という圧倒的な存在感を味わうだけで十分贅沢なのに、そこに石川さゆりや三浦友和を合わせてくるとか贅沢すぎる。
3つ星シェフが作る高級食材をトッピングした薄味の立ち食いそばみたいな感じ。
そんな映画のラストシーンには繰り返す日常に特別な物語はなくても喜びや悲しみが重なった圧倒的な光があるという事を思い出させてくれる説得力があった。
可もなく不可もない淡々とした作品
東京国際映画祭で話題になった作品が、いよいよ公開し観ることが
できた。第一印象は賛否も分かれ、可もなく不可もない作品に見えた。
いい点と悪い点もはっきりしている。
いい点は役所広司の演技と音楽、本の使い方。役所広司の演技はさすが。
また、この作品のポイントである役所広司が演じる平山の楽しみであるカセットテープの
音楽、本が作品にピンポイントで響いてくる。
弱みは退屈感と単調感。作品そのものはよくてもどこか退屈感が強すぎる。
観る人によっては退屈に思う場面もあるだろう。
前半は不安だったが、後半はしっかりストーリーになっている。
PERFECTDAYはストーリーとしては見事。ただ、退屈感と単調なのは気になった。
まさにPerfect Days
大都会での田舎暮らし的美しさ
大都会東京って、案外自然が豊か〜❤️🩹
で、必要なものだけでの生き方に興味❤️🩹
パーフェクトデイズというタイトルで、完全な日々って?と思いながら鑑賞
必要な音楽・ものだけに囲まれ、思いのままに行動できて、スカイツリーをいつでも見れて、そして何より完璧を超えた木漏れ日、自然があって
そりゃー、ニヤニヤだよ〜❤️🩹
日常を噛み締める、優しい微笑み
一般人のドキュメンタリーのようで、日常に心揺さぶるような出来事はそう起きないけど、何故か退屈ではなかった。大きな緩急のない中、役所さん演じる主人公の表情を見ているのが微笑ましい。
寡黙で日常生活と仕事を丁寧にこなし、小さな幸せを嚙みしめ、自然の木々と人を愛している主人公をとても愛しく思った。
裕福で恋人や家族や友人に囲まれ楽しく過ごしていれば皆幸せと定義するのは、とんだ勘違いでしょう。主人公の生き様もきっと幸せのかたちだから。
本当の豊かさとは
期待を裏切らない素晴らしい映画だった。
役所広司演じるのは、大都会東京の片隅で、トイレ清掃員として暮らす無口な男。毎朝夜明け前に目覚める規則正しい生活。お気に入りの音楽をカセットテープで聴きながら車を走らせ、キビキビ仕事をこなした後は、銭湯で汗を流し、行きつけの地下街の飲み屋で晩酌をし、文庫本を読みながら眠りにつく。ただその繰り返し。小さな苗木を育てること、お昼休憩のときに木漏れ日の写真を撮ることをささやかな楽しみとして、生活を送っている。
日々の小さな喜びや感動を大事にするその姿は、いわゆる孤独とは無縁のように見え、心の豊かさとはこういうことなんだろうと感じさせてくれる。
自分一人で完結しそのサイクルの中で安定した、正に完璧な毎日だ。
その一方で、他者との関わりが、その「完璧さ」に波風を立てることがある。不確実性が生み出すストレス、心のザワツキ、消せない過去の記憶、憧れや愛情、喜びと悲しみ。
生きていく上でそれらを避けては通れないこと、個人の世界から一歩踏み出して、人とつながりを持つことの重要性を示唆しているのかなと思った。
毎日眠るときに、夢が映像化されるのが印象的だ。白黒の残像、記憶の断片。良い目覚めもあればそうでない日もある。こうやって1日1日リセットをしながら、日々の営みを繰り返していく。決して表には出さないけど、心の奥底に積み重なり、今もなお背負い続けているものがあるんだろう。
単調な映画なんだけど、驚くほど感情が揺さぶられた。
願わくば、こういう大人になりたい。
ほんの一瞬の笑顔
そもそも、「PERFECT DAYS」という曲を知らなかった。他の60年代ポップスは結構聴いてきたのに、この曲は完全にノーマーク。歌っているルー・リードという歌手も初めて知った。それどころか、主人公の清掃員がカセットテープで流すコレクションを一曲も知らないという事実。
自分の思い出と交錯できない事実が結構ハンディキャップで、主人公に今一つ感情移入が
できない。
ところが、清掃員演じる役所広司の圧巻の演技で、いともたやすくマイナスがプラスに転じる。
来る日も来る日も、公衆トイレ、銭湯、コインランドリー、写真屋(趣味のカメラのフイルム入替)、行きつけの飲み屋の繰返し。飲むものはいつもレモンサワー、ランチはいつもコンビニのサンドイッチ。
変わり映えもなく、一点の狂いもない毎日。なのに愚痴なし、しかめっ面なし、でもきちんと笑顔あり。
これは、フェイスブックやインスタで、自分の日常はドラマチックと常にアップする輩たちに向けた、完全なるアンチテーゼなのか?。見せる必要もない自分の日常をイイネで飾り立てた輩たちに向けた強烈なメッセージなのか?
いや、おそらくそんなたいそうなものではないような気がする。よく言われる幸せの在り処とも違う気がする。
人は生きてる限り生活し続けるってことかな。働いて食べて寝て、笑顔は絶やさなくてもいいから、笑顔になれる一瞬があればいい。そんなとこかな。
もしかしたら、日本人監督が描くともっとメッセージ性が浮き出るのかもしれない。だが、そこはヴィム・ベンダース。そうは問屋を下さないはず。
と思いきや、「すばらしき世界」とはまた一味違う、役所広司の一瞬の笑顔がそこにはあった。
ほんの一瞬の笑顔が、ダイヤモンドに見えた。
おっさん理想の日々
平山の日常の所作を繰り返すショットが誠に映画的で、さすがにベンダースは上手いと今さらながら唸る。
なぜか主人公は「底辺の仕事をする貧乏な老人」であるという勘違いをよく目にするが、そんなことはない。裕福な家庭に育つも親と絶縁し、まともな仕事でそこそこ稼ぎ結構浪費家でもある50代後半くらいの設定。
寡黙ではあるものの表情は豊かで趣味は豊富。女の子にチューされればにやけるし、バイトがバックレたらプンスカ怒る。惚れた女性(石川さゆり)の前ではめちゃくちゃ饒舌だし、初対面の男(三浦友和)に積極的に絡んでいったりもする。
寡黙だがよく笑う主人公。これを役所広司はアンミカの「白は200色あんねん」を地で行くように、繊細に笑いの機微を表現する。本当に素晴らしい演技。
平山が車内のカセットデッキで聴く音楽はいかにもベンダース。金延幸子「青い魚」がかかったのは嬉しい驚き。同僚の友達の女の子がパティ・スミスを好きになるのはありきたりなシーケンスかもしれないが、オッサン的には何か嬉しい。カセットを鉛筆でクルクル回したり、フィルムを現像したり、毎日居酒屋で一杯だけ飲んだり、おっさんが落ち着くショットは数多い。
とにかく、多くのおっさんにとっては理想的な日常が描かれたファンタジックな映画。公共トイレを掃除しているだけで社会問題をテーマにしていると思い込む諸兄はご注意を。
あと、役所広司と三浦友和の絡みは最高ですね。今撮ってくれてよかった。
絵になる役所広司と存在感が凄いトイレたち
役所さんは朝起きて毎日ルーティンを淡々とこなし、仕事に行って帰って来たらまたルーティンをこなして寝るだけ。なのにずっと観ていられます。
恐らく様々な挫折を繰り返した末に、あるいは深く傷ついて全てを捨ててトイレ清掃員になった平山。俗世間のしがらみとは一線を画す生き方は格好よく見えます。
余計なものは持たず、他人とも必要以上に関わらずに暮らしていても、さざ波のようにちょっとした変化は起こります。それを静かに傍観する平山。でも世間を完全に見捨てたわけではない彼の眼差しは温かいです。
監督は以前日本に滞在した事があるのでしょうか。居酒屋や銭湯の雰囲気がとても良かったです。ただ多分想像で作り上げたであろう部分はちょっと違うかなとも思いました。平山のような人物、というか年配の男がハグとか影踏みとか「今はいまー」「今度はこんどー」とかやらないですから。
あと、欧米ではホワイトカラーは決して清掃員などやらないのでしょうが、日本では、リタイアした人がやるのは珍しくないので、そこはもしかしたら誤解があるのかも、と思いました。
公共トイレの清掃員を生業としている中年男性の平山。 平山の毎日はだ...
公共トイレの清掃員を生業としている中年男性の平山。
平山の毎日はだいたいがパターン化されているが、それでも毎朝、新しい気持ちで生活を営んでいる。
人によっては、取るに足りない人生に思うだろうし、トイレの清掃員という仕事は社会の底辺の仕事と思う人も居るだろう。
全く世界を意に介さず、独自の世界を形成する平山の生き様に、少し重なる部分があって、少ない台詞や少ない他人との関わりが愛おしくて、ラストに流れる『Feeling Good』で泣きそうになった。
私も業種は違うが、低所得なエッセンシャルワークに就いている。
たとえコロナで世界が激震していても、仕事を休めず社会で働いていたが、今だに、同じ仕事を、どこかで誰かと繋がることもあろうと思いながら続けている。
私も平山の言う、沢山の世界の1つなんだ…と思ったら、まるで人生を肯定されているようで、嬉しいことも辛いことも起こるけど、それでもこれからも生きることを続けていこうと思えました。
こんな、センスの良い、素敵な作品を世に送り出してくれたヴィム・ヴェンダース監督に感謝します。
全1000件中、781~800件目を表示