PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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主役 役所広司
青緑の世界
冒頭から感じるのは撮影や色が素晴らしいということ。実際そうではないだろうけど、なんだか全体的に青緑色のフィルターが掛かっている様に感じた。
几帳面で無口な平山が淡々と朝のルーティンをこなす姿がとても自然で良い。トイレ清掃の動きもかなりの手際の良さを見ることができて、平山の人物像の描写にリアリティを感じられる。
音楽を聴いて、写真を撮って、少しのお酒を飲んで、読書をする。という日常の繰り返しはインパクトは無いものの映像の美しさと自然な所作が良くて、見ることができる。
そんな淡々と繰り返す日常に小さな出来事が彼の日常を彩る。そのどれもが、嬉しいことでもあれば辛いことでもある。
迷子の子供を助けるが、母親に無碍にされる。でも子供が手を振ってくれた。
無責任な同僚に振り回されて、泣く泣くカセットを売ることになるが、美女からキスされる。
その同僚にも彼を慕う友人との素晴らしい関係性があった。
家出した姪っ子がやってきて、慕ってくれるが母親(妹)からは暗に軽蔑されている。(家族関係が気になる。あの涙はなんだ。)
同僚が辞めてシフトが自分に降り掛かったが、新しくきた人は真面目そうだ。
好意を寄せていたスナックのママに実は恋人がいた。と思ったが、別れた元夫だった。でもその人は病に犯されていた。。
ルーティンの中で、見ている側もだんだん退屈になってきたな。というところで、これらが差し込まれるのと、冒頭のように美しい景色が入るので、脱落せずに見れた。
また、個人的に好きだったのは、昼休憩の時に隣のベンチに座っているOLや公園のホームレスなど、何度か顔を合わせただけで、会釈するだけの、とても薄くだけど関係性が築かれていくところ。なんだかとても嬉しくなった。
あと、ニコ(姪)との生活のシーンもとても良かった。彼女が登場したお陰で、ルーティンが華やかになって、平山が無口で生真面目な性格というだけでない人間的な魅力を見ることができた。
このシークエンスによってラストの友山(三浦氏)との重なった影論争でも違和感無く、平山の言葉が響くのである。「何にも変わらないなんて、そんなわけない」だったか。またいつものルーティンに戻る生活だが、そんな人生だって必ず何かが変わっているはずである。
気になった点は、1日が終わる毎に挟まる夢?の情景がしつこいと感じてしまったこと。毎回10秒程度、不穏なよく分からない映像を見せられ、しんどかった。別に主人公が夢に何か影響を受けているわけでもなく、毎度見せられる意味が分からなかった。
明らかにママの歌が上手すぎる。当然本気は出してない感じだし、あくまで歌の上手い女性を演じているのは分かるが、表現力といいプロが溢れ出ている。
上映時間が120分あるが、作風と繰り返す日常に、さらに長さを感じる。
上映が終わって、客が席を立ってゾロゾロと出て行く時、自分も含め、自然と譲り合いが起きたように思えたのがなんだか良かった。
脱目的の自由な時間が流れる
<ただその日を過ごす>
ただその日を過ごす、という生き方に憧れます。
それは、未来でも、過去でもなく、現在を生きるということなのでしょう。
未来に目標や目的を定めて時間を使うのに慣れてしまっている私には難しいことですが、そこに生き方のヒントが隠されていると感じます。
そこでは、どのように時間が使われているのか想像できません。
受動的で変化が少ない日常なのか。そこに喜びはあるのか。
そもそも変化は訪れるのか。そこで生きている実感は得られるのか。。
<時間は使わない、時間が流れる>
PERFECT DAYSは、そんな生き方を描いています。
トイレ清掃員の平山は、神社の杜の掃き掃除の音で目覚め、歯を磨き、缶コーヒーを買い、仕事に行き、薄い布団のなかで文庫本を閉じて眠りに落ちる、といった決まったルーティーンの日常を過ごしています。
しかし、判を押したような決まった日常かというと、そうではありません。
そこには微かな変化がみられます。
仕事の同僚の彼女が尋ねてきたり、同僚が辞めたり、突然姪が尋ねてきて同居生活が始まったり、行きつけスナックのママの元旦那と出会ったり。
変化は、必ず自分をとりまく周り(他人)からもたらされます。
もし周りから影響されなければ、平山は変わらない日常を過ごし続けるでしょう。
自らが自分の時間の使い方を変えることはありません。
しかし、変化は次々ともたらされます。そして平山はその変化をそのまま受け入れていきます。
そこでは、平山が能動的に時間を使うというより、揺れ動く時間が平山の身体に流れている、といった表現の方が当てはまりがよいでしょう。
流れる時間をそのまま受け入れる。そのことで、かえって過去の縛りや未来の目的から解放されて自由になる。そして、生きている実感が得られる。
現在を生きるとは、そんな時間のあり方なのだと感じさせてくれます。
<別設定で観てみたい>
ところで、この映画をまったく別の設定で観たかった、と密かに思うのは私だけでしょうか。
一つは、トイレです。
平山がトイレ掃除の仕事に出かけるのは、THE TOKYO TOILET プロジェクトで著名な建築家やクリエイターが改修した渋谷区内にある新しくクールな公共トイレです。もしこれが、まだ各所に残る汚い不潔な公共便所だったら、我々はこの映画をどのように見るのでしょうか。
同じことは、役者・役所広司にもいえます。
流れる時間をただただ受け入れる平山役にしては、役所広司は生きる力が外向きに溢れすぎているように思えます。(さらに同じことは田中泯にも。)
もし廃人を演じられるような役者、あるいは役者以外の人物が平山を演じたとしたら、この映画はどんな印象になるのでしょうか。
ヴィム・ヴェンダースによる東京映像詩
今の私には合わなかったですね
説明不要の名作
違うと思うなぁ……
役所さんの演技を堪能しました。
見終わって数日、なかなか言語化できないのですが、気になったところ。
・見上げる人。他のコメントにありましたが、スマホを見ていては目に入らない風景を見ている
・モノクロの写真。就寝後の夢もモノクロ。その意味。
・どうやらトイレ掃除が「心底好き」というわけでもない
・トイレ掃除だけでなく、自宅からトイレをつなぐ道路の風景や移動時間が同じくらいの重みで描かれている
・もちろん休日も
コメントに「平凡な幸せ」だの「日常の大切さを知る」だのといった文句が並んでいますけど、
そういう安易な理解や定義づけを拒否している人に思えましたけどね。
姪を前にそうした話をしていましたよね。
人はそれぞれ、同じ世界に住んでいるようで、実は違う世界を生きていると。
つまり、個人の世界は重なることがない。
影踏みのシーン。
科学的には、人間二人が重なったからといって影が濃くなるわけはない。
モノクロ写真の木々の葉の重なりとは違うのだから。
しかし、「濃くなりましたよ」という主人公は、本当は決して重ならない個人の世界が重なる瞬間をあの時だけは信じたいと思ったか、余命の少ない人への彼なりの優しさか、
いずれにせよ、あり得ない瞬間を待ち続けてここまで来た人なのかもしれない。
個人でいることは牢獄だが、それを受け入れ、諦めて生きている人だから、他人が安易に考える「幸福」に見えるのでは……。
最後の顔アップにした長いシーンの表情の変化(笑っているようにも泣いているようにも見える)は観客の安易な理解を遠ざけるものとしてあるように思いました。
※PROコメンテーターのうち二人が「寝落ちする」と書いてますが、寝落ちするシーンなんてありましたっけ?
いつも本を寝床の脇に置いてから横になっていると思いましたが。
R65指定にしてください
ひとことReview!
変わらない日常が、人によっては劇的に変化しているように見える。見方次第で良くも悪くもなるのかな。普通に生きているだけでも「パーフェクト・デイ」になるのか。そんな平山の生き方に、特にキツい過去を経験した人にとっては、本当に救われる。物凄く余韻が残る大傑作。本編に出てきた「サントリー角ハイボール」を、「響」や「山崎」などの高級品をストレートでじっくり味わうくらいな感じかな。
役所広司の笑顔が素晴らしい
東京でトイレ清掃員の平山は毎日同じことの繰り返しをしているようにみえたが、常に新鮮な小さな喜びを見つけ充実した日々を過ごしていた。昔から聴き続けているカセットテープの音楽と、古本屋で購入した文庫本を読むことが楽しみで、小さなフィルムカメラを持ち歩き、木々の写真を撮っていた。そんなある日、妹の娘が家出してきて、家に泊めてあげることになり・・・てな話。
東京には芸術作品のような変わったトイレがたくさん有るんだなぁ、って観てた。
THE TOKYO TOILET プロジェクト、と言うらしいがなかなか興味深かった。マジックミラーのようなカギを掛けると中が見えなくなるトイレは初めて映像で観た。
平山役の役所広司の幸せそうな笑顔が素晴らしかった。レコードもそうだが、今作に出てきた、カセットテープ、フィルムカメラ、古本、などのアナログが最近人気なのかな、なんて思った。
姪役の中野有紗も透明感が有って良かった。
田中泯は何をやってたのかわからなかったし、柄本時生はあんなちゃらんぽらんな仕事で大丈夫なのか、なんて思った。
特に起承転結は無いが、こんなほのぼのとした作品も悪くないとは思った。
変わらぬ日々の中にも幸せは転がっている。
スカイツリーを眺めながら車で公共トイレの巡回清掃を行う無口で真面目な平山の日々のルーティーン。でも同じ毎日の繰り返しのようで実は小さな変化があちこちで起こっている。自分では気付いていなくても私達の日常もきっとそうなのだろう。
この作品の秀逸なところは少ないセリフでも充分な説得力があるところ。ほんの少しのやり取りで平山の過去まで見えてくる。そして何より平山がそこそここの日常を楽しんでいるところ。ドラマチックなことが起こらなくても人生は人生だと言わんばかりに。
スカイツリーと木造アパートに公衆トイレ。このギャップも日本らしくて良い。実は私も清掃の仕事をしていて、変な隙間にゴミ詰められてるのがめっちゃあるあるだった。皆さんゴミはゴミ箱にお願いしますね。
このろくでもない素晴らしき世界
この街に住いする者から見れば、まるで自分が認知されたような錯覚を抱く。この男とは違うが地味に役割を全うすることは誰とてさほどの違いはないだろう。帰り道で、すれ違う人に愛情を覚えて、ハイタッチしたくなる。
映画館でこそ観るべき映画がある。この単調な日々を家で見れば、寝るかスマホを弄りたくなる。黙ってよく噛めば味も出る。この男のように、刺激を浴びるよりも過ぎゆく世界を愛すればいい。
道路を掃く音に目覚める。便所掃除と通ずる清らかな営み。草木に水をやり、ルーティンをこなす。朝食は取らずBOSSを飲む。宇宙人はいないが、この映画に通ずる。じゃらじゃらと鍵をつける。ペーパーホルダーに鍵がある。しかし家の鍵はかけたように見えない。
スカイツリーがよく出てくる。トイレプロジェクトもそうだが、現代的なモチーフのようである。対照的な浅草、古本、カセット、銭湯、この男。
様々なキャストがこの男と交錯する。いずれも味わい深い。耳触らせる柄本、影を踏む三浦、謎のOL、歌うんかい石川、風呂場で興味深々爺。個人的に白眉だったシーンは妹麻生祐未。何があったのかは知らんが全てを赦す抱擁。セリフはほとんどないが、じーんと伝わる。こちらが赦された気持ちになる。
ラストショットに熱くなる。前から撮ればそんな顔をしていたのか。時折り見せる笑顔に助けられた映画であるが、これはスタンディングオベーションだ。
平山さん、もっていくよな~。
繰り返す日常。まさにこれぞ「ルーティーン」な行動の平山(役所)のそれは、兎に角丁寧の極みで隠しきれない品があり、すべての行動に嘘や欺瞞を一切感じません。そして女性はしっかりそういうところ見抜くんですね。平山さん、世代関係なくしっかりモテてます。で、周りの男たちもそれを認めざるを得ません。平山さん、もっていくよな~。
かく言う私は全くもってモテませんが、年齢を経てようやくミニマルな生活に対する理解や憧れを感じますし、またルーティーンを取り入れることによる「余計な変化による刺激に対する自己防衛」は、意図することなくとも選択している自分に気づきます。それでも、結局のところ同じ毎日なんてないし、社会に出ていれば他人との関わりによって避けられないストレスがあります。歳を取ると、それほど「社交性」に対する重要性より生き易さの方を選びがちですが、それを完全に避けることはできません。でも、それでも日常は微妙な変化をもって繰り返し、時折感じる新鮮さや充実感に喜びや感謝を感じる、そんな当たり前だけど自覚しているわけでないことを描いてくれたこの作品に激しく共感出来て、観ていてとても心地のいい作品だと思います。
また、個人的には知っている「土地カン」も大きいですね。平山の仕事エリアである渋谷・代々木方面は何となく「あそこかな」と判るレベルですが、生活エリアである向島・浅草周辺は雰囲気も含めて知っている地域でもあり、観ていて入り込みやすいのは大きく影響しているかもしれません。
なんなら普通過ぎて退屈に感じそうなのに、平山と言うキャラクターを味わい深く演じる役所さんの演技を見れば、カンヌで男優賞を受賞する意味が解りすぎるほどで思わず感謝すら感じます。普通の人生で劇的なことは殆どありませんが、それでも日常は「常」で片づけることが出来ないほど変化があり、平山のルーティーンがそれを気づかせてくれる面白みがある作品です。隠し切れない傑作。
深い
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