PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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今後はトイレをきれいに使おうと思いました
多感だった20-21歳の頃に観たヴィム・ヴェンダース監督の「ベルリン・天使の詩」は本当に良い映画でした。2番館で1回600~800円で何度も観た記憶があります。同じ映画を映画館で3回以上観たのは、生涯一度きりの経験です。僕の生涯ベスト5の3番目の映画です。とはいえ今回の映画は、事前情報では、きっと退屈な内容だろうな、名監督も年を取るとけっこう駄目になるだろうし、と予想しました。でもやっぱり観ないわけにはいかない、と思ってみてきました。
役所広司は確かにさすがです。毎日自販機で購入した缶コーヒーを飲みますが、BOSSではないようです。自販機の中からジョーンズはでてきません。トイレ清掃の仕事はたしかに大変そうですが、噂に聞く、有名デザイナーが手掛けた素敵なトイレなので、ぜひ入ってみたいです。そしてきれいに用を足したいと思いました。
役所さんは仕事のあと、通常3時に開業するであろう銭湯の一番風呂に入れていますし、居酒屋で晩酌したり、なじみのスナックにたまに行って石川さゆりの生歌を聴いたり、今話題のダイハツの軽自動車と自転車を保有していますし、コインランドリーで洗濯もしていますし、独り身ですが結構充実した生活をおくっています。ただ、この年頃は通常何らかの病気をするので、淡々とした日常を送れるとすれば、それはもはやファンタジーです。朝食を摂っていないのも身体に悪いです。なので絶対数年でこのような生活は破綻するはずです。そもそも、もっともっとつらいことがたくさん降りかかるのがリアルな日常です。小津安二郎好きのヴィム・ヴェンダース監督が理想化した美しい日本人の暮らしの一種のポエムなのでしょう、おそらく。なので、何かのメッセージが込められれいる、という印象は受けません。
音楽のセンスはさすがヴィム・ヴェンダース監督です。(たぶんAnimalsの)The House of Rising Sunが役所さんが車内でカセットでかかるのがぐっと来ます。スナックママの石川さゆりさんが同歌を日本語で歌う場面(ギターを弾く酔客はあがた森魚さん?)はかなり痺れました。
三浦友和さんがタバコでむせる場面では、若い頃、CABIN85のコマーシャルで「俺のキャビン」とかっこよくタバコを吹かしていた友和さんも禁煙してたのね、と思いました。
役所さんが住む古い2階建てアパートが僕が幼少期に住んだ田舎の官舎とほぼ同じ間取りで(石炭窯の風呂はありましたが)、同じように2階に布団を敷いて寝ながら漫画や単行本を読んで、AIWAのカセットレコーダーで音楽を聴いていまたし、近所の温泉銭湯に泥だらけになった僕はよく小銭を握りしめて入りに行きました。そう考えると、古びたアパートという演出も、当の日本人には昭和50年代前半の懐かしい光景でしかない、とも感じました。
ゆれて、重なる
とても静かで、穏やかで、笑いもあったりして
でもずっと、何か不穏なものが現れそうで もしかして既に、取り返しのつかないことが起きてしまっているのでは とスクリーンから目が離せず。
すべてを見届けた後は、名前のついたいかなる感情もわかず。
そのまま珍しく本屋に向かおうと、映画館を出て歩きだすと、ゆらりゆらり自分の中で何かが動き
どういうわけか!目から何かがこぼれた。
その時、さっきまで観ていたのは本物の映画だったのだと悟った。
そこに映っていたのは、今にも消え去りそうな、もしくはすでに失われているものばかりだ。
もし渋谷で本作を観て、帰り道に振り向いたとしてもそこには違う街があるだろう。
男たちが自分らで弦を張って、良くわからないケンカばっかりしながら鳴らした音とか
なんかもう、はかなくてせつない。
ひとがご飯を食べて、1300グラムの脳を動かして考えた物語を、ひとが演じ、ひとが撮る。そういう映画ばかりが観られるのも、実はあと10年ぐらいではと思っている。
だから本作もバービーもバビロンも、観ていてヒリヒリするし、たまらなく愛おしい。
2時間自分を預けると、ずっと残る何かがもらえる(こともある)不思議な場所だね、映画館。
人生を楽しむ極意を学ぶ
いつからか邦画NO.1男優という確信が揺るがない役所広司のカンヌで男優賞受賞作品であるので絶対観たいと思っていた。 公開初日に観賞。
【物語】
初老の男平山(役所広司)は浅草の安アパートにひとりで暮らし、公園の公衆トイレの清掃員として生計を立てている。
平山の日々の生活を描いて行く。
【感想】
平山の送る日々を淡々と映し出して行く。
特別なことは何ひとつ起きない。ストーリーは無いに等しい。
しかも台詞も極少。平山は直接仕事現場であるトイレに向かい、仕事仲間はタカシ(柄本時生)一人のみ、独り暮らし、生活範囲は限られているから接する人はごくわずか、しかも平山は超無口だから。
こう書くと「なんと退屈そうな映画」になってしまうのだが、それが全く退屈しないところが凄い!!
映像から訴えかけて来るものが十分にある。
この傑作の一番の貢献者はやはり役所広司だろう。
役所の顔をアップで映すシーンが多いのだが、台詞ではなく僅かな表情の変化で平山の感情を余すことなく表現している。観る度に役所の力量には感服してしまう。 邦画界では今現在に留まらず過去に遡ってもNO.1の役者ではないか。 今作でカンヌ最優秀男優賞を受賞し、日本だけでなく世界に冠たる役者として認められたことは凄く納得。
そして、こんな映画を作れるWim Wenders監督にも感服。欧州映画っぽい静かな作風の中で、こんなにも飽きさせない映像・演出・編集・音楽・・・、に脱帽。
まさに総合芸術作品だ。
で、何が良かったかをもう少し書いてみる。
本作はそんな作風なので、大感動があるわけでも無いし、感じ取るものは人それぞれだと思う。以下はあくまで俺が感じ取ったこと。
平山という男、経済的底辺にあり、プライベートでも家族も居ない孤独な生活。今風に言えば“負け組”の男だ。
が、傍から見れば負け組でも、本人は全然負けたとか思っていないというのが、この作品で描かれた平山だ。 その平山の生き様に俺は感銘を受け、生きる勇気を貰えた。
まず平山は自分の境遇に愚痴を言わない。「社会が悪い」とか、「会社が悪い」とか、「同僚が悪い」、あるいは「俺は運が悪い」とかも一切無い。凡人はすぐ他人の性にしたくなるのだが。 口にしないだけでなく、そういう思考は無いようだ。 それが観ていて何より気持ちが良い。
仕事に対しては決して手を抜かない。「この仕事に誇りを持っている」とも少し違うよう思う。もらった仕事は誰が見ていなくても目一杯やるという生きる上での姿勢だろうか。 さらに自分が恵まれた境遇ではないのに、他人に優しい。 すごく優しい。
そして何より良いのは、日々を楽しんでいる。もちろん、贅沢はできないが、自分の経済力の中で存分に楽しんでいる。
対比される人間として仕事仲間のタカシの存在がある。タカシは「今の世の中どうなってる」とか「金さえあれば」とかばかり言っているし、仕事なんて文句言われない程度にやっておけば良いと思っている。 この対比で平山の生き方が際立つのだけれど、程度の差はあれどタカシの方が“普通”に近いのではないかと思う。気付かないうちについついそういう思考になりがちだという意味で。 例えばお金はいくら有っても、自分よりさらに持っている人が身近にいれば、「彼ぐらいお金があれば、XXXできるのに」と羨んでしまうものだ。
平山が幸せと思っているかどうかは分からないが、生きていることを楽しんでいることは確かだ。他人と比べて悲嘆することや他人を羨むことをしないからだと思う。そうすれば、人は皆自分の境遇の中で生きる楽しみを見つけることができ、さらには他人に優しくすることも出来るのだと教えられた。
また、もう1つ本作に深みを与えているのは、全く語られない平山の過去だ。若い頃からずっとトイレ掃除をしていたようには思えない。姪・妹の登場で過去がかすかに仄めかされる。 若い頃に何かあって、今に至っているのだろうということだけ感じさせるが、それ以上描かれることなく、観客の想像に託される。
俺は、仕事も家族も思い通りに行かずに、大きな悲しみも、人知れぬ悔しさも味わって来た過去が平山にはあると想像した。平山はそれでも人を恨むことも、過去を悔み続けることなくしっかり前を向いて歩いている。
余白だらけの本作を観て感じることは人によって千差万別だと思うが、俺は平山のような心持で生きられたら、残りの人生10倍楽しめると思う。生活を楽しむ極意が平山の生き方の中にあると思うのだ。
“Perfect Days”観終わるとこのタイトルがとてもしっくり来る。
2024年俺的お気に入り作品ランキング 第2位(劇場鑑賞94作品中)
【オマケ情報】
平山の仕事現場となる公衆トイレはどれもスタイリッシュ。海外の人が観たら、「日本て、どの公衆トイレもこんなにが素敵なの?」と勘違いさせます(笑)
現代アート公衆トイレ図鑑的な楽しみも出来ます。
ヴェンダース監督や役所さんの
話を聞いてないのですが、平山をアップデートしたのか? 現代の東京に生きる平山にしたのか? が興味あります。台詞を削ったのが、カンヌ受賞には大きかった、口ひげも笠智衆そのものだったし。音楽も抑えてほぼカーステの音だったのも効果的。
ただ、どうしても外国人の見た日本人の美意識? みたいなものからは抜け出せないようでした。
ニコの佇まいがイイ、ほうきの掃く音だけでよく毎朝起きられるなぁ。
日常の可笑しさをすくう
繰り返される日常の中にある、可笑しさを優しくすくいとったような作品。
公開二日目で評価が高いから期待して観にいったら序盤、中盤とずっと退屈。
特に物語的展開もなく、繰り返される平山(役所広司)の日常がただそこにある。ちょっとした日常のくすぐりや可笑しさが描かれていて、所々劇場にくすくすと笑いが生まれるのが堪らなく良かった。
最後まで何も起きないし、何も変わらないけど、なんで最後のシーンであんなに感動が生まれるのか分からない。今まで観た映画の中で、全く知らない新しい感動が最後押し寄せてきた。
なんと形容すればいいか分からないが可笑し泣きした。
多分この映画が退屈なのも、つまらないのも自分たちの日常を振り返ると必然なのかも。
そして笑いが生まれる映画館が本当に良かった。この映画は映画館で見るべき。
パンフレット読んでも、レビュー読んでも「トイレの清掃員」であるという要素が大きく取り上げられていて、周りに少し疎まれながら丁寧に綺麗にする日本人の美徳みたいな事が書かれているし、
外国人の監督もそういうコンセプトでこの映画を撮ったのかもしれないが、映画のキャッチーな要素としては興味深いけど、
平山にとってトイレ清掃員というのは何も平山である事の重大な結果でなく、その過程に過ぎないと思う。
だからこそトイレ清掃員だからというカテゴリーで平山を見てそこに美しさを見つけるのは違和感がある。
平山の寡黙で人よりずっと物事を考えてる様に見えて実は物凄く純粋だったり、誰にでもある日常の可笑しだったりこそが、この映画の大切な部分だと思う。
木漏れ日
ヴィム・ヴェンダースによるTOKYOとTOTO(いや違うけどw)についての抒情詩。
知ってる東京だったりどこか懐かしい東京だったりの景色を、ヴェンダース選曲のBGMとともに観ているだけで泣きたいような気持ちになってくるが、平山は敢えて淡々と暮らしているように見える。
劇中で平山がいうとおり、「この世界にはいろいろな世界が含まれていて、それらが繋がっているようでいて、本当は繋がっていない」のかもしれない。
平山の世界は妹とニコの世界ともママの世界とも、タカシの世界もアヤの世界とは、繋がっているようでいて繋がっていない… でも思いも掛けないところで思いも掛けない人の世界と繋がっていたり…
最後に解説される「こもれび」のように、繋がっているようで繋がっていない世界の、重なって影が濃くなったり薄くなったりする様がこの世界なんだ、とただ淡々と繰り返されるような平山の生活が、それを物語る。
そうしたありようを描くのに、ふだん不可視化(透明人間化)されやすい清掃員というのはとても分かりやすいのかもしれない。
毎日淡々と繰り返しもうこれ以上の変化を望んですらいないような平山の感情もこの年になると分からなくはないけれど、それでもやはり心動かされることというのはあるのだな、と思う。
伝わらないかもしれないけど、褒めています。なんだかよく分からない部分に沁みてしまった…
懐かしいテイストのヨーロッパ映画のよう
こういう映画は久しぶりに観た。現在日本で上映される外国映画は、ほぼハリウッドの娯楽大作だけになってしまっているが、私の若い頃にはフランス映画やイタリア映画も普通に上映されていた。低予算で作られて、それほど大きな見せ場もないが、全編に詩情があふれ、どのシーンにも極めて繊細な注意が払われ、いつまでも心のどこかに残しておきたいような映画である。ドイツ人監督のヴィム・ヴェンダースは、「ベルリン・天使の詩」でカンヌの監督賞に輝いた名監督で、その手腕は流石という他はなかった。この映画は観る人を試すと思う。脂の乗った魚しか美味いと思えない人には、フグの美味しさが決して分からないようにである。
まず画面のアスペクト比がアナログテレビと同じ 4:3 というのに面食らった。横長の画面を見慣れた者には窮屈に感じられるのだが、監督の真意は外への広がりより中への没頭を重要視した結果であろう。台詞は極端に少なく、説明的なものはほとんどない。共演者が投げかける私的な質問もスルーするので、主人公の生い立ちや履歴を示す手がかりがないままに映画は進行する。その味わいは、まるでドキュメンタリー映画のようである。
トイレの掃除を生業とする主人公は、家にテレビもなく、スマホも持っておらず、朝は近所の老婦人が道路で箒がけする音で目覚め、布団を畳むとすぐに歯を磨き、朝食は摂らず、毎日熱心な仕事ぶりを見せ、昼はコンビニのサンドイッチを公園や神社で食べ、大木の写真を撮り、時には新芽を持ち帰り、部屋で育てている。帰宅後は銭湯で汗を流し、決まった店で安い酒で晩酌して、布団に入ってからは古書店で 100円で買った文庫本を読んで寝落ちする。ほぼ毎日同じことを繰り返して暮らしている。映画中、このルーティンを省略せずに丁寧に描くことで物凄いリアリティを生み出している。
同じことを繰り返して壮大な世界を見せるという手法は、ベートーヴェンやブルックナーの交響曲の作り方にも通じるもので、彼らの繰り返すフレーズは実は全く同じではなく、少しずつ変化している。その変化を聴き分ける能力のある者だけが、自分の呼吸を音楽のテンポに次第に同期させて曲の世界と一体感を感じることができるのだが、この映画の本質も似たようなものではないかと思う。
映画の中で、時々モノクロの映像が挟まれ、それがどうやら主人公の睡眠中に見ている夢らしいのだが、具象に乏しく、時系列も定かでない。まるで「2001 年宇宙の旅」で木星付近のモノリスを追跡したボウマン船長が見せられた幻影よりも謎なのだが、全編を見終えるとその正体が示され、彼はそれを眺めるだけで満たされた人生を送っているらしいと気付かされて、禅問答の答えが閃いたような感動が得られる。実によく出来ている。
役所広司をはじめ、俳優陣は台詞が極端に少なく、非常に抑えた演技が要求されており、大袈裟な身振りも大声も出す機会が奪われているので、所作や表情で内面を見せなくてはならない。演技の難易度は非常に高く、映画だからこそできる技で、劇場での演劇などでは不可能である。そうした監督の要求に見事に応えたからこその主演男優賞なのであろう。
音楽は主人公が勤務で使っている車の中で聴くカセットテープがほとんどであり、「朝日の当たる家」や、映画のタイトルにもなっている「Perfect Days」など、1960〜70 年代の曲ばかりである。「朝日の当たる家」など聴くのは何十年ぶりだろうという感慨に打たれた。劇中ではあの有名歌手の歌唱でも聴くことができて、望外の喜びだった。
俳優陣は馴染みの顔が多かったが、ほとんどはワンシーンのみの出演で、使い方が贅沢の極みだった。田中泯が台詞のないホームレス役だったのにも驚いたが、公園で野良猫を抱いてるだけの研ナオコ、挨拶だけの同業者が安藤玉恵で、芹澤興人に至っては、トイレに駆け込むだけの役というのには笑ってしまった。
映画で主張したいことの反対の人物も登場させる必要があるというのは映画の定石であるが、その役回りが当てられたのが三浦友和である。自殺企図のようなもっと悲痛な例を持って来なかったのも、監督の価値観なのであろう。この二人が川縁の夜景を背景に語り合うシーンは、周囲の光がピントが外れてただの丸い輝点と化し、まるでフェルメールの絵のように美しかった。
終わる寸前の役所広司の表情が全てであると思う。彼の出自や経歴は知らなくとも、映画を見ていれば人柄は分かる。その人が夕陽を見ながらほのかに涙ぐむ気持ちも、映画を見続けた人には痛いほど分かるのである。
(映像5+脚本5+役者5+音楽4+演出5)×4= 96 点。
人生の選択
自分の仕事のこと、趣味のこと、地域や行きつけのお店のこと、人生にはいろいろな選択肢があって、それをどう選択して人生を豊かにするのは自分次第であると考えさせられました。
目覚まし時計や携帯のアラームに頼らなくても、朝早い仕事にちゃんと間に合う時間に起きることが出来るのは心身ともに健康である証。
お父さんとの関係も気になりますね。
仕事を選択するうえで、家族の理解を得ることは難しかったと思いますが、トイレの清掃員の仕事に誇りを持っていたことはひしひしと感じました。
いい映画を観ることが出来て感謝しています。
役所広司のすごさ
役所広司の力量を見せつけられた。おそらく上映時間の半分以上は台詞がない。日々少しずつ変化のあるルーティンが映し出されるだけなのに、平山の一挙手一投足、表情から目が離せず飽きさせない。
なぜ平山が公衆トイレの清掃員という職業に就いたのか。なぜ1人なのか。はっきりしたバックグラウンドは最後までわからない。だけど家出してきたニコを迎えにきた平山の妹とのやりとり、ハグ、感情を抑えられず肩を震わせて平山が泣くシーン。私まで訳もわからず号泣。
説明がなくとも表情だけで心を揺さぶる説得力はラストシーンでも発揮される。
変わりないように見える毎日も、平山が愛でる木漏れ日のようにまったく同じ日はなく、些細な発見で人生って彩られていくのかもしれない。
やめたタバコをまた、、、
ヴィムベンダースの映画は何本か観てきた中で、一番好きな映画だった。俺も歳を取ったのかな?
流石のベンダース、ゴジラ-1.0のような説明セリフは一切なし。
それゆえに、観た人それぞれ経験してきた人生によって、十人十色の映画なんだろうなと思う。
平山の過去を想像してみた。
彼は、その仕草や佇まいから、とても仕事の出来る人、几帳面で、どうすれば効率よく仕事ができるかをいつも考え、実行する人。
父が興した会社をいずれは継ぐことを自分も考えていたのだろう。
だが、父とのとても大きな確執によって、修復不可能なほどの、平山自身の考え方をも変えてしまう経験をして、家を出た。
妹との束の間の抱擁は謝罪のように思えた。
好意を寄せるママさんの元夫が抱き合うところを目撃して、やけ酒とばかりに酒とタバコ、とても愛おしかった。
最後のシーン、音楽聴きながら、思わず泣いてしまいそうになる感じ、とても好きなシーンでした。
「素晴らしき世界」といい、この映画といい、役所広司の深さ、優しさ、強さを感じた、いい映画だった。
彼の人生に幸あれ
東京の一部の公衆トイレが、外観、内装、先進のシステムなどなど・・・著名なデザイナーさんが設計したものがあるという噂は存じ上げておりました。
今作はそれらを毎日綺麗に清掃する仕事をしている(役所広司さん演じる)平山の日々の平凡な仕事や生活のルーティンにフォーカスを当てた内容となっています。
無論、現代の話なのですが平山は築50年はいってそうな木造二階建て風呂無しオンボロアパートに一人暮らし。その殺風景な部屋にはたぶん冷蔵庫もTVもない代わりに無数のカセットテープとラジカセ、そして100円の古本の文庫本、そこらで取ってきた樹木の鉢植え?などなど・・・懐かしの昭和にタイムスリップした錯覚に陥ります。いや、私、昭和40年代の生まれですが、私の幼少期でさえもう少し生活感のある文化的な生活をしていた記憶がございます(笑)。
そんな中、彼が淡々とする仕事は、嫌な仕事を「しぶしぶこなす」なんてことは微塵も感じさせず、まるでそれが天職とも言うべき緻密さ丁寧さがありかつスピーディ。トイレ掃除の職人技をご覧あれっ・・・てくらい様式美さえ感じる手際の良さで、トイレと一緒に薄汚れた私の心も洗われるようでした(笑)。
また、繰り返される日々は平凡でも毎日、同じ場所で眺めフィルム写真に収める木漏れ日の様に同じものなんてひとつもなく、受け取り方によってもそれは様々に形を変えていくというのが、適切に、明確に表現されていたと思いました。
平山みたいに正しいこと、無欲な生活を繰り返したからといって必ずしも報われる訳はないし、逆に事態が悪くなることさえあるのが人生です。が、彼が時折り表情に表す微笑には強く共感し、彼の人生に幸あれと願わざるを得ません。
なかなか良い映画でした。
孤独を選んだパーフェクトデイズ
ビムベンダース監督作品
「パリ、テキサス」や「ベルリン・天使の詩」は見たはずだがストーリーを全く覚えていない。
今度見てみよう。
なんか音楽がかかるとノリノリで見てる人がいたww
きっと60代以上くらいが、どはまりする音楽なんだと思う。
でも、東京のトイレを紹介する映画です。
パターン化されたパーフェクトヒューマン?
なんかいろいろ考えちゃうね
理解するのに時間かかるかも。
趣味は何ですか?
音楽、読書、写真、酒、孤独です
繋がっているようで繋がっていない、
これから日本が抱える孤独イシュー
どんな生き方をするのか人それぞれ。
木漏れ日が好きなのは花でも日向でも光でもないからなのか。
振り返るとただのトイレ映画がジワジワくる。
退屈な映画だと思ってたけど、
退屈な清掃員と思っていたけど、
日常の些細な事やルーチンで楽しんでるようにも見える。
そんな退屈な映画をここまで感じさせてくれる役所さんの演技が素晴らしいと思います。
カンヌ映画祭男優賞おめでとうございます
この作品の監督がドイツ人だとは誰も信じないだろう。
西洋人にありがちな、おかしな日本観が一つもない。
主人公の平山は毎日毎日同じことを繰り返し、
自分が出来ることを精一杯こなし生きている。
私には平山が大谷翔平に見えた。
違うのは世界的有名人と名もなき市井の人と言うこと。
メジャーリーガーとトイレ掃除人。
社会的評価は天と地ほども違うが、
自分の仕事に真摯に取り組む姿勢は同じ。
平山の中に理想の日本人像を見たような気がします。
あえて言うなら10/10点かな
脚本5/5
演出5/5
撮影5/5
編集5/5
音響・音楽4/5
良かった所
良い所しかないですが、睡眠中の夢のモノクロのモンタージュが宮川一夫氏がキャメラ回したかの様な出来です。無法松の一生、思い出しました。
トリフォニーの大人はわかってくれないのエッフェル塔のようにスカイツリーを忍ばせるのも良かったです。きっとスカイツリーはこの映画の為に建設されたのです(笑)
地味に良かった点
シネコンで単館系の作品見れるのいいですね。
後、車で音楽聞くの楽しいのなんなんですかね?久々にカセットテープで音楽聞きたいです。
日々好日
渋谷区の公衆トイレ清掃員として働く『平山(役所広司)』の日常は
判で押したよう。
目覚まし時計に頼らず、
陽の明かりと近所の老婆の竹箒の音で目覚め
身だしなみを整えユニフォームに着替え
アパート前の自動販売機で缶コーヒーを買い車に乗り込む。
車の中ではお気に入りの曲をカセットテープで再生。
スカイツリーを眩しく見やる。
現場に着けば持ち場の掃除を卒なくこなし、
決まった神社の境内でサンドイッチと牛乳の昼食。
時としてトイレの利用者や、
同じ場所・時間で交差する人々との微かな交流はあるものの、
互いに深入りすることはない。
業務が終われば地元の銭湯でひとっ風呂。
馴染みの居酒屋で軽く呑み食いし、
就寝前には読書も欠かさない。
仕事が休みの日は溜まった洗濯でコインランドリーに。
古本屋で本を買い、撮った写真の現像にカメラ屋へ。
その日の〆は歌の巧いママが居るスナック。
五~六年も通うそこのママには
ほのかな恋心を抱いたりもする。
そしてまた明日からは仕事の日々が始まる。
『平山』は五十を過ぎ、妻も子もいない。
驚くほど寡黙で同僚とも必要な会話以外はせず、
自身の素性を語ることもなし。
仕事ぶりは至極丁寧。
清掃用具を自分で工夫し造ることも。
とは言え、若い女の子にチュッとされれば嬉しい。
その日は一日上機嫌だ。
そんなルーチンを乱す出来事が。
しかし日々の行動が変わっても
怒るよりも、どちらかと言えば楽しんでいるよう。
が、それが図らずも主人公の過去をあぶり出し、
万感のラストシーンへと繋がる。
彼の行動原理は
『宮澤賢治』の〔雨ニモマケズ〕を思わせる。
そして、下町然とした地域での人々のかかわりは、
水魚の交わりのよう。
こうした純日本らしい風俗を
外国人の『ヴィム・ヴェンダース』が描き出したことに
先ずは驚く。
取り立てての事件が起きるわけではない。
日々は淡々と過ぎて行き、
また明日も、昨日と同じような一日になるだろう。
それでも、それを善しとして、
楽しむ心構えが『平山』にはできている。
最近とみに増えて来た
ハイカラなトイレ群の背景はこうなっていたのね、との
清新な発見。
勿論、それを支えるソーシャルワーカーの人たちにも
思いは及び、
(今でもそうだが)この先は、あだやおろそかには使えない。
そうしたことに気づかせてくれた監督の視線の細やかさにも
改めて感嘆する。
ずっとこのままじゃだめなのかな 何も変わらないなんて、そんな馬鹿なことあってたまるか
映画の中で「何も起きない」ことを願うなんて、未だかつて無い体験だった。
そして、何も起きないことへの感動を味わえたことも、初めてだった。
日本は渋谷のど真ん中で粗いCGでドンパチするんじゃなくて、もっとこんな映画を作ったら良いのに。これこそ本当に日本で作る意味のある、日本らしい映画だと思った。
冒頭5分程の映像でもう良い映画だと分かった。一つひとつのカット。カメラのズーム。そして編集。その全てが洗練されていて、ドキュメンタリーのような劇映画なのではなく、本当に洗練された劇映画はドキュメンタリーになり得るのだと思えた。そしてそんな風に思わせてくれたのはやはり、カンヌで最優秀主演男優賞を取った役所広司さんの名演もあったからだろう。
「パリ、テキサス」を思わせるようなセリフの少なさで、本当にこの主人公平山は何も語らない。なのにココというタイミングで意味ありげなことを言う。それがこの映画の全てのようにも思えて、何も語らない平山という男の背負うものを考えられずにもいられなくなる。そして語らない平山の人格を、いくつのもの登場人物達があぶりだしていく。後輩のタカシや、その彼女、姪っ子、踊るホームレス(これは田中泯さんの最も正しい有効活用かもしれない笑)妹、行きつけの居酒屋のママ、ママの元夫……平山はこの人物たちと何か深く会話を交わす訳ではない。しかしその交流を見ていると、何故か平山のことを思わずにはいられなくなる。それは役所広司さんという役者の過ごさでもあるだろうし、あまりにも隙がない、無駄がないヴェンダース監督の演出によるものなのだろう。
ラストの長回し、本当に凄かった。
これが映画だよなあ…と強く思わされ、さらに何か、込み上げてくるものが確かにあって、でもそれが何か分からなかったのはまだ自分が人生経験が足りないからだろうかと思った。
いつか、こんな風に生きていけたらと思った。
「こんなふうに生きていけたら」というキャッチコピーも、この平山のように生きていけたら…という意味ではなく、平山が「こんなふうに生きていけたら」と思っているという意味なのかもしれない。それはクライマックスで流れるニーナ・シモンの歌の歌詞のような、はたまた彼が読んでいる幸田文のエッセイのような、そしてエンドロール後に現れる木漏れ日のような、そんなふうに平山は生きていきたいと思っていた。そしてそれが叶っているかどうかは観客に委ねられているのかもしれない。
手を伸ばせる範囲の中での丁寧な暮らし方
セリフもほとんどなく淡々と描かれる平山の日常を眺めながら、自分の心も次第に整っていくような気持ちがした。それは、平山が、流行り廃りとは無縁に、自分が手を伸ばせる範囲の中で、丁寧に暮らしを重ねているシンプルさへの憧れとも言える。
冒頭は、カセットテープのカーオーディオとETCのアンバランスさの違和感が拭えずにいたのだが、中盤で、平山が意図的にカセットテープを選択して生活しているのだと気付かされてから、ぐっと惹きつけられた。
全編を通して、とってつけたような説明台詞が一切なく、平山の過去も、平山の家族の状況も、あくまで想像の範囲でしか観客に提示されない。けれど、そこがいい。不必要なものには触れないというのは、まさしく平山の生き方そのものだからだ。
三浦友和演じる小料理屋のママの元夫とのやりとりの部分が出色。自分自身も人生を振り返る時期になり、2人の言葉がじーんと沁みてきた。
この映画を観た人と色々な面から語り合いたくなる一本だと思う。
全852件中、761~780件目を表示