PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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永遠を思わせる作品
キルケゴールの『反復』を想起せしめる見事な映像詩だ。現代に生きる我々は生の倦怠を抱いている、刻一刻と過ぎ行く時の中で幾度も死を経験するがごとき倦怠だ。しかし、「平山さん」はかかる生の倦怠を抱かない、なぜであるか?彼は刹那に刻印されたるところの永遠を生きているからだ。彼は我々とは異なる時間を生きている。瞬間は永遠のアトムにして時間の断片に非ず、とはキルケゴールが「不安の概念」において記した言葉であるが、役所広司演じる平山は「永遠の戯画なる瞬間」、即ち「永遠の現在」を生きる。それは刹那にして過ぎ行くもの、もはや二度とは訪れぬ永遠のアトムである。彼は幾度も新しき生に甦るのだ。
「今を生きよう」と思った。ああ!何と素晴らしい映画!平山さんのように生きられたならば、一刻一刹那に刻印されたる永遠に触れ得たならば!
何度でも、何度でも繰り返し味わいたい作品です。まだ、ご覧になっていない方に是非ともお薦めしたい。ヴィムヴェンダースと役所広司、奇跡のタッグだ!
東京に天使が降りた。
完璧過ぎ!!!もしも”役所広司”が、トイレ清掃員だったら?
auマンデー『PERFECT DAYS』
日本俳優界の至宝・役所広司さんが、カンヌ国際映画祭で、最優秀男優賞受賞って事で注目の作品!
事前情報で、シネコンの一番大きいシアターよりミニシアター系の作風ってのは分かってましたし・・・
本来なら1時間くらいが適度な尺じゃないの!?退屈で寝落ちするかもって不安もありながら鑑賞
マーベルのWhat If...?じゃないですが、もしも”役所広司”が、トイレ清掃員だったら?
役所さんの所作だけで、画面から言葉が伝わって来る凄さに脱帽です!!!
雰囲気や情景は数年前の『すばらしき世界』と似た感じですが、2023年ながら平山の日常は敢えて昭和で止まってる。。。
無口なトイレ清掃員・平山の朝起きて仕事して休憩しながら趣味楽しんで、また仕事して風呂入って飯食って寝る繰り返し・・・
スカイツリーのすぐ近くに、まだあんな場所あるんですね。
家賃や駐車場代ナンボなんやろ!?鍵閉めな行く大丈夫なのか!?元は御曹司か!?と気になる気になるww
で、出勤時に車で聴くカセットテープから流れる曲のチョイスが最高♫
姪っ子とのエピソードも良かったですが、石川さゆりをあの役で起用するのは反則!!
外国人監督ですよねこの作品の監督さん@@!
他にも台詞もなく、画面に小さくしか映らない有名人を見つけるのも面白いかも^^!
ただ日本のトイレが諸外国より綺麗って言っても、もう少し汚れているのを綺麗にする描写があって良かったかも・・・
どのトイレも有名百貨店のトイレレベルで、綺麗なところを更に綺麗にするって感じが、リアルなのかと言われればリアルじゃない気はした。
いやいやそんな事気にせず、俳優・役所広司を観る作品って事でオススメです!
で、平山の愛車がダイハツ・・・今回のダイハツ社のやらかした事の残念さに拍車がかかる。
タイトルなし(ネタバレ)
スカイツリーがみえる老朽アパートで独り暮らす初老の平山(役所広司)。
早朝に起床し、若いころから好きな音楽のテープを聴きながら軽自動車で渋谷区内の公衆トイレの清掃に向かう。
時折相棒になる若いタカシ(柄本時生)は軽佻な雰囲気。
清掃もおざなりで平山としては「いまどきの若い者は・・・」といった気持ちがないわけではないが、割り切っているのかそれほど気にもならない。
仕事が終われば、自転車に乗り換えて銭湯の一番風呂に入り、浅草の古い地下街のなじみの一杯飲み屋で酎ハイと一品で食事を済ます。
判で押したような毎日・・・
といったところからはじまる物語で、平山の暮らす老朽アパートのつくりが面白い。
メゾネット式で、入口を入って左に台所、階段下に物置代わりの小部屋、二階に四畳半と六畳。
四畳半のちゃぶ台の上には、いくつもの小さな鉢が並び、若木が育っている。
六畳間には、ちょっとした引き出し箪笥と、窓際にカセットテープがビッシリ並んだ低い棚とその横に古本が詰まった書棚がある限り。
生活臭さがないのだが、銭湯のため風呂なし、コインランドリー利用で洗濯機なし、すべて外食なので冷蔵庫も調理器具もなし、かろうじて湯沸かし用の茶瓶がある限り。
そぎ落とした生活で、一見、禅的生活にも見えるのだが、日々ではなく、もう少し期間を広げて見てみると、そうでないこともわかる。
昼の休憩は木々が茂る神社のベンチで牛乳とパンを食べ、頭上の木漏れ日をオートフォーカスの安手のフィルムカメラに収める。
1日に3枚ほど撮って、1週間経てば24枚撮りのフィルムは終わり、なじみのカメラ屋で現像を依頼し、新しいフィルムに交換、前に現像依頼した写真を受け取る。
出来上がった写真はモノクロ。
選別して、出来の悪い写真は破って捨て、気に入ったものは海苔か煎餅が入っていたブリキ缶にフィルムと一緒に収め、ひと月経てばブリキ缶を四畳半の押し入れに仕舞い込む。
週末もうひとつの行動は、自転車で浅草まで行き、なじみの古書店で1冊100円の本を買う。
今週買ったのは幸田文『木』。
その足でなじみの女将のいる小料理屋に行く。
日々の一杯飲み屋に比べると相当な贅沢。
コインランドリーで洗濯して日ごろの垢を落とすのだけれど、選別したとはいえプリントした写真やフィルムは溜まる。
読み終えた本も溜まる。
溜まった本は、本棚からはみ出し、平積み状態になっている。
そう、モノは知らぬ間に増えている。
削いでも削いでも増えていく。
人は、どうだ。
かつての平山は、かなりの資産家の息子だったことが中盤わかる。
父親と反りがあわなく、出奔したのだろう。
人との付き合いは絶つように生きてきた。
銭湯での常連との会釈、一杯飲み屋の大将との無言の挨拶(なにせ、何も言わずとも、決まった酒と一皿が出てくる)、神社の住職への会釈。
ま、そんなところだ。
だが、絶ったようにみえて絶えているわけない。
実家の事業を引き継いだ(と思しき)妹の娘、つまり姪が家出して平山を頼って来る。
頼るといっても、ちょっとした、はじめての家出。
少しばかりの非日常。
平山にとっても姪との短い暮らしは非日常。
日々に埋もれていた(気づかなかった、気づこうとしなかった)日常の中の変化。
時折の相棒タカシは急に去っていった。
タカシの担当分も清掃をして、へとへとになった平山に一時的とはいえ新しいパートナーが来る。
なじみの小料理屋の女将の素性も偶然知った。
行き場がなくなって親水公園、橋の下で辞めていたタバコを久しぶりに吸っていたときに、女将の別れた元夫(三浦友和)と偶然一緒になり、教えてくれたのだ。
そのとき元夫が言う、「彼女をよろしくお願いします」と。
そんな気など毛頭ないが、「よろしくお願いします」と言われるのはまんざら悪い気もしない。
姪も頼って来てくれたのだ。
仕事の一時的相棒も、よろしくしますと言ったような。
これまでと同じように清掃に向かう平山の車中、「Perfect day, Perfect Life...」とカセットテープから歌が流れる・・・
足るを知って、余計なものはそぎ落としたつもりだったが、まだ足らないと思っている心がどこかにある。
それを、カセットや文庫本や写真のフィルムが象徴している。
これで十分と感じた人との繋がりは、自分が思っていたものよりも太かった。
日々は変化し、変化に気づいているようで気づいていない。
変化に気づけるくらいが、程よい暮らしということだな。
気づいているか、オレ?
<追記>
反復と往復で描かれる、ヴィム・ヴェンダース監督お得意のロードムービー。
これぐらい、ささやかなロードムービーがいいです。
ちょっとお花を摘みに、聖地巡りしたい。
ここにきて自分がほぼ役所広司である
可能性がでてきた。
観終わった後
わたしって役所広司だったんだ…
というのが一番に出て来た感想。
役所広司、世界に
まだまだいるんじゃないだろうか。
いろんなひとの感想を読むと
淡々としてみえたりもするようで、
そうなのか。と思った。
わたしの目にはそう映らなかったから
すごく興味深い。
もっと劇的な毎日を送っているひとは
それはそれでとっても良いことである。
外側の容器が違うだけだから
役所広司が幸せであることもわかったし、
わたしもこんな風にみえてるのかな〜
やっぱり幸せだよな〜
なんて嬉しくなったりもした。勝手に。
当たり前だけど
同じ日は一日たりともなくて、
腹が立つこともあれば思わずほころぶ瞬間もあって
全てが合わさってパーフェクトになる。
パーフェクトにしようとすること自体が
パーフェクトなのだと思う。
何を思ってパーフェクトとするかは
もちろん個人の自由。
つまんないな〜
映画としてどうなの〜
と思うことももちろん自由だし、
自分の考えを持っていることがパーフェクト!
ただひとつ言うならば
わたしのまわりの好きな人は
好きな映画だな。って言ってくれたら
すごく嬉しくてラストショットの
顔になっちゃうよってこと!
あと長井短の表情天才すぎ。
キャスティングがパーフェクトガイズ。
いつもの日常…いま…を生きる
ボロアパートへの郷愁
離婚経験ある人なら共感出来ると思える映画
小津安二郎作品より山田洋次作品に近い
平山の名はヴェンダース監督の敬愛する小津安二郎監督作品の笠智衆氏の役名に由来しているという情報は事前に得ていた。ただし、当然のことながら、小津監督作品とはテンポが異なるように思われた。
柄本時生氏演じるタカシとアオイヤマダ氏演じるアヤと一緒に車に乗って移動するようになったところは、山田洋次監督作品の『幸せの黄色いハンカチ』を思い出したが、そう長くは続かなかった。
次に、中野有紗氏演じる姪のニコが家出してきて転がり込み、麻生祐未氏演じる妹との久し振りの再会を懐かしむようになり、そういう展開も、何かありがちに感じた。
石川さゆり氏演じるスナックのママが歌ってくれるのは良かった。三浦友和氏演じる元夫との関係や遊びも面白い。
そうした身内や女性との関係の面白さは、「フーテンの寅さん」シリーズにもありがちで、やはり山田洋次監督の世界に近いのではないかと思った。
最初の方は、車に乗せてもらって仕事に行っているのかと思ったら、自分で運転してアパートから出かけていた。行きつけの飲み屋に行くときには自転車で行っていたけれど、それも飲酒運転だから止めてほしいものだ。
カセットテープも、曲によっては高額買取の対象になるものがあることがわかった。
エンドロールの最後に木洩れ日の映像と説明がある。
東京・渋谷区17カ所の公共トイレを、世界的な建築家やクリエイターが...
いろんな生き方があるけど、これはひとつの理想の生き方
いつもの日常を充分と感じつつ口角を上げて過ごす。目の前のことをきちんと果たす。そして、出会った人にやさしくする。ひとつひとつのことは誰でもできそうなことだし、安アパートに住むレベルなら誰でも手が届くこと。でも、主人公平山のような生き方はなかなかできない。その意味でPERFECT DAYSというタイトルは、なるほどと思った。
今は禅の修行僧のような生活をしているけど、そこに至る人生にはいろいろことがあり、悲しいこともあったのだろうという深みも感じた。平山の妹を抱きしめた後の涙や、エンディングの涙目は胸に迫って来る。涙の理由をあえて説明しないで、観客の想像に任せているので、深みが出ている気がする。
場面場面でスカイツリーが写される。お金や評判を気にする普通の生き方を象徴しているのだろうと思った。平山のすぐ隣にもそういう世界があるけど、平山はそっちには行かない。同僚のタカシのような、目の前のことをきちんとやらずに欲求はあるという人がいても、そっちに流されない。缶コーヒーやカエデの若木などの小さな幸せを楽しむ。「こっちは誰でもできますよ」「目の前の普通ことを充分と思うこと」ということなのかもしれない。
男優賞の役所広司はもちろんだけど、姪のニコ役の中野有紗、タカシの交際相手役のアオイヤマダ、タカシ役の柄本時生らも良かった。
海外映画の気がしない
人間くさくて、たどたどしくて、愛さずにいられない
クリスマスに役所広司に逢いに行く…⭐︎
カンヌの主演男優賞をとってから、いつ公開されるかと楽しみにしていた作品をようやく鑑賞。
おそらく台東区あたりのオンボロアパートからトイレ掃除に向かう役所広司演じる平山の
「パーフェクト」と言えるルーティンの日々を淡々と描いていく。
冒頭、出勤のシーン。
(玄関?)ドアから出て、まず空を見上げる。
そして、これまたボロっちい自販機で缶コーヒー(やはりBOSS(笑))を買って軽自動車に乗り込んで
最初の聞くカセットテープ(カーステレオがカセット式)が、アニマルズの「朝日のあたる家」!
東京の夜明けと相まって渋い。
ここですっかり映画の中。
全編に渡って洋楽が流れるが(日本の曲も一曲あり)、知らない曲でも何だか引き込まれてしまう。
毎日のルーティンの中の何気ないエピソード。
銭湯、浅草の一杯飲み屋、石川さゆりがママのスナック。
(石川さゆりが日本語で「朝日のあたる家」を熱唱するのは笑ってしまった)
そんな全てに丁寧に向き合っているような平山が愛おしく感じる。
大きい動きがなく2時間余りの映画なので、隣の女性はオヤスミされていた。
しかし、やはり映像が美しく 空と木々の木漏れ日が何度も描かれて
それに見入ってしまった。
ラストシーン、仕事に向かう平山が車の中で何か込み上げて来るものに本当に
本当に悲しいような、それ以上に幸せそうな泣き笑いの表情にこの映画の
全てがあるように思う。
…で、この作品がパルムドールではなく、主演男優賞なんだと改めて感じた。
幸せとは何かを問いかける、アートのような映画
決してセリフが多いわけではない中、日常に溢れる幸せを研ぎ澄まして、感じさせてくれる映画。
役所さんが出てるから見ようと思ったが、役所さんだからこそ完成した映画でもあったと思う。
何も喋らずとも、主人公の感情がわかる。何故か貧相な暮らしをしてるように見えない不思議。日々の暮らしが乱れることが不満。そして、何よりイケおじ。お金がなくても幸せ。
こんな生活を憧れてしまう。
東京というギラついた街の中で、質素な生活を噛み締めている描写をみて、こんな暮らし方もありだよなと新しい発見。
結論ありきでなく、謎を残すような感じも良かった。
また、みたくなる作品。
・なぜ、あの家での一人暮らしが始まったのか?
・妹に言われた言葉の意味は?どういう家族だったのか。
・あのスナックに通うようになった理由
・若者はテープの音楽に何故憧れるのか。軽トラのエンジンを切るときの「ピピピィ」という音が何故心地いいのか(現代へのメッセージ)
spotifyをお店?と聞く言葉からさえも、音楽の価値だったり、メッセージ性を感じる。
映画のもう終わりか、という感情は否定的なものでなく、この心地よい生活をまだ見ていたいという肯定的な感情だった。でもそれは、自分自身の生活から見出すものなのかも。
思わず、帰りにはハイボールを買ってしまった。
人は完璧な歯車になる冪だ
名匠ビム・ベンダース監督作品を、まだ見た事が無かったので、本作を鑑賞しました。
主人公は下町(浅草)に住み、都会(渋谷)で仕事をする。
よって、映画から醸し出す空気に"ハイカラな渋谷区の住宅地"はなく、あくまで浅草だ。
その浅草に住む主人公の部屋にあるのは、沢山の 本とカセットテープ
彼は"かってのインテリ人間"だったようだが、イレギュラを避ける生活の中で、まるで機械人間の様に
ルーチン化した 穏やかな日々 をおくり
姪が来たとき以外は、部屋に鍵を閉めない程 不用心な事さえ、ルーチン化してしまったようだ。
それは、"空き巣に入られる"といった イレギュラな事さえ ないものとして、生活ルーチンは組立られている。
即ち、几帳面すぎたり、繊細だから、ルーチン化したのではないということ。
彼の日課のひとつは 公園に行って、ファインダーを観ずに、アバウトに"木漏れ日"の写真を撮る。
アナログカメラだからこそ、とうぜん失敗も成功もある。
だが、その失敗を、微妙に改善する事が、唯一の”許された変化”であり、「失敗もしたけど、気付いた時に、微妙に改善した」ていう完璧なルーチンの中で 出来事である。
そして、当たり前に蓄積された カイゼンの結果は捨てずに証拠として、保管する。
これは彼の 日常生活の記憶・記憶の確認であり、日々見る夢も同じであろう。
主人公は まったく 人との関わり合いが嫌いなのかと言うと、そうでもない。
週に1度 洗濯をした帰りに、スナックに立ち寄り、話をする事を日課とし、
姪が訪ねてきた時も、スナックママの前夫と面した時も 表情豊かに、歓迎した。
彼が無口なのは「会話の内容ルーチンがない」からだ。
無駄な会話は不要と言う事。
実妹の「まさか、本当にトイレ掃除しているの?」と言うセリフから、
おそらく、主人公は かって"真逆な生活"をしていたのかもしれない。
その"きっかけ"を、垣間見れるヒントが映画中にあれば、主人公をもう少し 掘り下げる事ができて、映画に深みが出たのだと思う。
でも、主人公は 裕福な会社経営者 ではなく、「すばらしき世界(2021)」の前生活のように、
自分で何かを 自由に、能動的に起こす ラッセル車のような 生き方 をしていたのだと僕は推測する。
かって社会は"機械の様に生きる"ことを揶揄したが、AIに 人間のポジションを奪われつつある現代では
社会の中で けして「代えがたい人間・歯車・社会の部品」として、完全な形に成る事こそ
社会から"必ず必要とされている人間"なのだと、主人公は悟り
主人公は孤高の人として、懸命に働き続けたのだと僕は演繹(えんえき)する。
この映画を 観ている最中「おくりびと(2008)」の方が、
日本人が創った故に、"日本人の職人気質"=孤高の人 が観れると想った。
トイレコレクション
浅草の飲み屋良かったなぁ…、あれは通うわ。あ、めっちゃヴィム・ヴェンダース映画でした。俳優役所広司を観に来た先輩方からは"聞こえる欠伸"が連発されてましたね。ホントに勘弁して頂きたい(その割にマナーは有り難い感じだった)。
無口に対する違和感(映画の場面の為にしか見えなかった)と当然な飲酒自転車を除けば、50オーバー(バツなし)独り身としては結構シンクロするところもあり、印象的な映像共々楽しむことが出来ました。「普通」を切り取る目的(目的なので普通ではない)なので、其々のエピソードや結末に消化不良な方はいらっしゃるかもしれませんが、変に説教臭くないので「これから辿り着くかも知れない場所」としては、良い映画だったんじゃないかなと思います。欠伸しながらノンビリみましょ♪
追記:トレイン・スポッティング世代としては平山さんのあの部屋の紫外線ライト…ヤバくね?って思いましたね笑(隠喩としてはロックストックトゥー・スモーキング・バレルズのアレですが)
そういった意味でもいわゆる"邦画"ではないんでしょうね。
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