PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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鑑賞動機:カンヌ7割、役所さん3割
2024年1本目。
何も起こらない変わらない日々のようでいて、全く同じ日常というわけでもなく、役所さんだから成立した映画の気がする。
『11の物語』にまんまと食いついてしまった。カタツムリのイメージが強かったけど、すっぽんもあったのか。ヴィクターみたいになるってもう脅迫ですよそれ。
いろんなとこに色んな人が出てたみたいで、イヌコさんは声ですぐわかったけど、えっ、写真屋の店主柴田元幸ってあの柴田元幸?!
良くぞ外国人監督が
こんな日本的映画撮れましたね。
ビム・ベンダースの日本愛(小津愛?)がヒシヒシと伝わって来ました。
主人公の背景なども間接的に色々と匂わせて上手いなあと思いました。
日本のトイレ文化が世界に広まって行くといいですね。
まさに「完璧な一日」、ヴィムヴェンダースの小津的日本。
いつもと同じように起きて歯を磨く
いつもと同じように缶コーヒーを買う
いつもと同じようにトイレ掃除する
いつもと同じように焼酎を飲んで帰る
ああ、なんて完璧な一日だろう、とルーリードが歌ってる
ヴィムヴェンダースは健在、
誰にも描けない日本人的感覚で私たち日本人に「何が完璧か」を教えてくれた
とにかく東京がすばらしくうつくしい街だと思わせてくれる光の描き方
役所広司の台詞の少なさと佇まいは「すばらしき世界」同様眼を取られる、彼の存在感は他の俳優とは一線を画しこの圧倒的「役」の人となり言葉少ない彼の気持ちを知りたいと思いながらその映画の時間を過ごす。
そう「ベルリン・天使の詩」では天使の視線で街を俯瞰し、
「パリテキサス」では日常を捨てたハリーディーンスタントンが荒野を彷徨い人としてロサンゼルスを傍観し、
この映画では役所広司が東京を。
ああ、「まさに完璧な一日」、
良い映画を観た。
ルーティン
仕事のある日(休日も?)のルーティンワークが丁寧に描かれる。
思い出したのは「おみおくりの作法」のジョン・メイ。もっと判で押したような1日だった気がするが。
寡黙な平山さんはほとんど喋らない。
同僚にも返事もしない。
でも挨拶はちゃんとするし、子供には優しく話しかける。
無口な人の役だが、話し出すといつもの役所広司さんが見え隠れ。
や、全く隠れてないよ。
平山さんの仕事はきれいなトイレの掃除なんだね。
入ってすぐに素手でゴミを拾っていたけど、あそこは軍手かゴム手じゃない?
トイレは新しくておしゃれだろうけど、ゴミは素手で拾えるほどきれいじゃない。
その手であちこち触るなんて…あ、自分は潔癖症でもなんでもないです。
住んでるのは古びたアパートだけど、駐車場付きなんだね〜。
駐車場付きの都内のアパート。
浅草なんて羨ましいな。
お風呂はなくても銭湯に通えて、外で呑んで休日はちょっと贅沢も出来て。
理想だな。
フルタイムだけど…やろうと思えば自分にも出来るんだろうか。
季節は、春くらいなんだろうか。
夜でも窓開けてたし。
パーフェクトな生活はエアコンがなくても快適じゃなくては。
役所広司さんはカッコいいし、好きだけど、現実味が無さすぎてなんとなく鼻についてしまったな。
もっと言ってしまうと、こうすれば貧しく見えるよね、というイメージを押し付けられてる感じ。
新年早々のせいか、普段はガラガラの大きいシアター、割と人が入ってた。
近所の映画館、チケット販売は対面式なんだけど「パーフェクト・ワールド1枚!」って大声で言って「パーフェクト・デイズですね」と冷静に返されてしまった…涙
(´∀`)なるほどね
この映画、日常を描いているから良いとか、普通の生活が幸せとかの批評が多いですね。私はちょっと違って、何気ない日常から物語が始まる予感やその物語の終わりを強く感じられる映画だなぁと思いました。その物語までを描こうとしないのがこの映画の面白いところで主人公の未来が自分なりに想像できるのが面白いんだろうと思います。
役所はいい演技ですよね。
それと帰って自分の部屋を片付けようと思ったのと、髭剃り買おうと思いました。
シャキッとしますよね、コレ見た後は。
人間臭くて好き
役所広司が好きで、鑑賞。
染み入るようなストーリー、癒やされるような鑑賞後の感覚。自分は結構好き。
この人本当人間臭い役が上手い。日本が誇る名優と自分は思う。
小欲知足という言葉がぴったりな今回の役所広司絶対無理だと思うけどいつか一緒に焼酎飲みたい。
欲にまみれた自分では到底無理だけど、真摯に謙虚に生きようと思えた正月になれました。
メッセージを頂いた気分で感謝。
日本が舞台の洋画の様
毎日キチッとしたルーティンで暮らしてるようで、人生色々。
生きてりゃ同じ日々なんて無く、自分にしか分からない、色んな経験をするものだ。
最後のアップシーンがその全てを表してるのは圧巻‼️
日々見慣れた日本が舞台で、日本を代表する役者さん、役所広司さん主演だが、外国の人が日本を見ると、こんな風に見えてるのか?と、ちょっと違った角度から、芸術的に見えるし、公衆トイレも色々あるもんで、外国の人が感動しそう。
日本人の表情も、外国の人が見ると、確かにこんな感じだなと。
たまに、日本人ならハグはしないだろ、とか音楽センスとか、画角アングル、道具の見せ方とか、外国チックさも感じる。
それがまたオシャレで、日本人には無い感覚で、洋画を見てるようでした。
色んな感想表現があるが、「嬉しかった」と言う感想は初めて。
自分を理解してくれたような、好きな映画はたくさんあるが、数少ない、大事な映画に出会いました。
映画は好きだか、監督さんとか俳優さんに詳しくはないが、ビム・ベンダースさんの作品を他にも見たくなりました。
日常生活のASMR
印象に残ったのは、日常生活の様々な音だ。
箒の擦過音、車のドアを閉める音、鳥のさえずり、缶コーヒーを開ける音など、それぞれが立っているように、個人的な感覚なのかもしれないが印象に残った。
もしかすると、ストーリーに衝撃的な事件が起きないぶん、そちらに気をとられたのかも知れない。
男はひとりではあるけれども、朝、空を見上げるその顔は孤独の陰を宿してはいない。あるがままの世界をあるがままに受け容れている。
ささやかな歓びや、悲しみ、戸惑いや腹立ちの感情を抱えながらも、くらべて得られる幸福とは違う場所で彼は生きている、木々の陽だまりのなかで。
観たあと、余韻に浸っていたくてエンドロールもすべて終わるまで座っていた。ほかの人達もほとんどそうしていた。
いい映画だった。
小津安二郎を追い続けたヴェンダース監督の、師に宛てた一つの回答ともいうべき一作
東京で清掃作業員として働く平山という年配男性(役所広司)の日常を追った本作は、前半は淡々と、しかし飽きさせない描写が、そして後半は平山の来歴にかかわってくるような、少し謎を含んだドラマが展開しつつ、やっぱり淡々とした語り口を保つという、ヴェンダース監督ならではの作品となっています。
市井に生きる様々な人と、無口でさりげないけど温かみを感じる交流を重ねる平山の姿は、ヴェンダース監督の代表作『ベルリン・天使の詩』(1987)の天使(ブルーノ・ガンツ)とどうしても重なってしまうんだけど、さらに言えば、東京を舞台にしているという点においても、本作は同監督が1983年の東京を撮影した『東京画』(1985)の影響を感じずにはいられません。
40年前の若きヴェンダースは、活気あふれる東京の風景を、いっぱいの好奇心と小津安二郎監督に対する憧れに素直にしたがって撮影していました(異様にパチンコに執着を見せる)。それからちょうど40年後に撮影した本作では、ヴェンダース監督は単に小津監督への敬意を表するだけでなく、尊敬する師の映像美学の中核をなす要素、そして日本の美意識の深奥とは何か、という問いにまで踏み込んでいます。
TOTOから依頼された短編映画の企画から、ここまでの作品に仕上げるあたり、さすがヴェンダース監督だと感心しないではいられません。
絡みそうでなかなか絡まない登場人物同士の表情と視線の交わりがほほえましく、作中にちりばめた平山の人生にかかわる謎は謎のままで残しておいたことも、良い鑑賞感をもたらします。
古い木造アパートの一室でデスクライトが灯っているだけなのに、無上の美しさを感じさせたり、心打たれるような影と光のゆらめきなど、映像の美しさは特筆したいところです。平山の選曲もすごいセンス。
日々の繰り返しとは何か
平山の1日が始まる、箒をはく音と目覚めのシーンの2回目以降から、日々の繰り返しとは喜びも悲しみも全てそのままに、何事も無かったように引き受けていくことだと感じた。言葉にすると当然のことではある。
その象徴がラストの平山の長いアップの表情だと思う。
あのシーンはこれまでの車内で音楽を聴くのと違い、唯一無二の音楽体験をしたという、この映画のテーマを表現しているが、私には実際の表情というより、象徴的に作られた表現に見えた。踊りと同じような。
人は他人に窺い知れない喜びや悲しみを心に秘めて日々の生活を送っている。
この映画はハリウッドの三幕構成ではなく、独立したエピソードの連作のようになっていて、エピソードごとの感情が、平山の夢のようなモノクロモンタージュや目覚めのシーンで一旦リセットされているように見える。その積み重ねが実際の日々の繰り返しを強く感じさせる。
日々の繰り返しは「儀式」だ。
仕事に向かう、飲み屋に向かう。そのため布団を上げ、身支度する。自販機で飲み物を調達する。
私と世界の意味を形として表している儀式なのだ。
この儀式は生活者として粛々と行われなければならない。
心の込められた儀式を通して私たちは奇跡を見ることができる。もし世界に意味が無いのなら、奇跡も無い。
木漏れ日に決して同じ形の無いことに感動することはないだろう。全ては虚無、偶然の産物だ。
生活の喜びや悲しみも無く、耐えられずに狂って死んでしまうか、あるいは大きな悲しみに遭った時、受け入れられず、立ち直れないだろう。
平山は彼の儀式を通して、奇跡を見ていたのだ。
それが監督の言う、商品ではないプロセス、経験なのかもしれない。
このような面白い映画を身近な浅草でとってもらえたことがとても嬉しい。
トイレ清掃の綺麗な面だけしか描かれていないという指摘があるが、私はそうは思わない。
同僚のセリフや周囲からの扱いの描かれ方だけで充分に思われる。そして、このストーリーをよく企画者が了承したと思う。この映画は偏見や差別も否定していない。
仮にそうした描写が無くても、私たちはトイレ清掃の大変さについて容易に想像がつくのではないか。
そうでなければ、どうして平山の苦しみに感情移入できるのだろう、あるいは彼の修行者のような笑みに感心できるだろう。
彼は言わば出家したシッダールタなのであって、ワーキングプアや独身を肯定するものではない。
コピーのこのように生きれたらという意味はこのように生きれないことを言っている。
ただ、ある一瞬とか、心持ちとしてそうあろうとすることは可能なのではないか。そういう道を示している。
もしこの映画に反物質主義の非現実的な欺瞞とかもやもやを感じるなら、それが私たちが精神と物質のある娑婆世界に生きている証なのだ。
そのような矛盾の中で目に見えない大切なものを求めて生きるのがこの世に生まれた修行なのである。
下町ジモティーの喜び
公開初日の鑑賞から既に二週間近く。年末年始に数本映画を観たけど、やはり本作の余韻が大きいので、あらためてレビューを書きます。
鑑賞前に見た予告編で「桜橋」やスカイツリーが出てくるので、渋谷のトイレプロジェクト絡みの話なのに何故?という疑問は映像を観始めて直ぐに氷解しました。常識的には毎日の首都高使っての車通勤は考えられないけど、ヴェンダース監督は下町と渋谷の対比で現代の東京を表現したかったのだね。
スカイツリーとの距離感や行きつけの銭湯「電気湯」が登場することから、平山さんの住所は墨田区押上3丁目近辺かと推測します(因みに私は2丁目)。帰宅後のルーティンとして電気湯の一番風呂に浸かり、桜橋を自転車で渡り、メトロ銀座線浅草駅改札横の焼きそば屋
でチューハイを嗜む日々。半径700㍍くらいの行動圏。休日のささやかな愉しみと云えば、古本屋での文庫本の仕込み(購入した本への女店主のひと言が至高)と裏観音辺りと思しきスナックでの一杯。さゆりママがリクエストで歌声を披露なんて・・そんな贅沢な店があったら誰でも行くわなぁ。ママに淡い恋心を抱く平山さんの前に元亭主(三浦友和)が突然現れ心ざわつくも、余命幾ばくも無い彼から「ママをよろしくお願いします」と云われ困惑。無心に二人で影踏みをするシーンには涙が出ました。
押上・向島・浅草界隈が随所に登場するので、錦糸町のシネコンでは終映後、ジモティー達は嬉しくなって拍手喝采でした。同じ下町周辺を山田洋次が『こんにちは、母さん』で撮っていたけど、余りに定型的で面白くなく、個人的にはドイツ人監督の感性の方がしっくり。
鑑賞した翌日だったか、NHK・BSで小津安二郎監督の遺作『秋刀魚の味』を偶然見たけど、ヴェンダース監督の行間ならぬ映像間を味わう楽しみとは、このことかと再認識しました。
同じ朝を迎えることが出来る幸せ
年末年始休みをダラダラしたくて、12月29日、休みの初日にこの映画を観ました。
初老の男の変わらない日常とほんの少しの変化を淡々と描く。
”何も始まらない、何も解決しない、何も説明しない“
なのにエンドロールのあと何故か幸せな気持ちになっていた。
映画とは関係ないが、今、私の頭の中で「ラジオ体操の歌」が流れている。
”新しい朝が来た、希望の朝だ“
子どもの頃、
“新しい朝が来た、昨日の朝だ”と
勘違いしていた。
私も還暦を過ぎた。平穏な日常、昨日と同じだが“新しい朝“を迎えられる幸せを時々想う。そういう年齢になったようだ。
この投稿は2024年1月3日。休みの最終日。
新年明けて、驚くことが続いたので更にそう感じているのかもしれない。
A new dawn, a new day, a new life
渋谷トイレプロジェクトの清掃員の日常を綴った作品。
錚々たる面々のデザイン性のある渋谷のトイレと訪れる渋谷の人々と、平山の住んでいる木造の築古アパートとスカイツリーの見える下町情緒溢れる街とそこに住まう地元のおじいちゃんおばあちゃん。東京という街の雑多性の表現がとても良いな。
ヴェンダース監督の東京の切り取り方、とても好きでした。銭湯やスカイツリー、首都高やスクランブル交差点、浅草、人力車、外国人監督だからこその、東京、そして日本に対する視点が分かりやすくも見入ってしまう都市の映像たち。普段見慣れている光景だからこそ、こうして映像で見ることで見える景色がまた変わってくる。東京という街で住んでいる自分だからこそ、この作品に出会えたことはとても貴重な鑑賞体験になった。
ことストーリーについては、トイレの清掃をするとりとめもない平山の日常を描いているだけ。同じような日常に見えて、そこには小さな変化が溢れている。朝家の扉を開けて見る空の色と外の空気。その日の気分によってかけるカセット。トイレの清掃中に出会う人々。昼ごはんを食べる公園の木の木漏れ日、、毎日規則正しくルーティンをこなしているからこそ、小さな変化を楽しむことができている。週末は洗濯をして、フィルムカメラを現像し、本屋さんに行って本を買い、スナックのママに会いに行く。これを毎回毎回繰り返す。
平山がニコに対して言っていた「世界は色んな世界がある。繋がっているようで繋がってない世界もある」。まさに環世界的考え方、平山は自分の世界をもっていて、その世界を楽しむことが出来ている。大好きなカセットを楽しみ、フィルムを楽しみ、読書を楽しみ。外の空気を感じ、木漏れ日と対話し、日常の小さな幸せを見つけ、感じる。
豊かさとは、幸せとは何か?みたいなことを感じさせられる。
平山から離れていったタカシや、ニコのお母さん。
「何でトイレ掃除なんてやってるの」見た目や金や世間体を気にして生きてく人々。
一方で平山に近づいてきたニコや、アヤ。
自分の好きなもの、好きなこと、世界の中での自分の世界を形づくりつつある人々。
この二項対立もじわじわ来る。小さくても、幸せを感じて噛み締めることができる人が豊かなのか、世間的には成功して見える人が豊かなのか。
そんな大切なことを、この穏やかな美しい映像の中で語りかけてくれた素敵な作品。
中でも印象に残ってるシーンは
ニコのお母さんとの別れ際の涙するシーン。
世界が繋がれないことの悲しさなのか、ニコをどうすることもできない悔しさなのか、父親を思い出したことによるものなのか。
そうは言っても、やっぱり世界は人との繋がりで出来ている。自分の中で幸せを見つけることができることは素晴らしいこと。それがあるからこそ、それを誰かと共有出来ること、一緒に涙できること、笑えることがより一層幸せなものに感じるんじゃないかな。
車の中でかかる70.80年代の音楽がとても良い、東京をまた違った景色に映してくれる。
役所広司の渋さと、
ニコ役の中野有紗がとっても良かったので今後に期待。
2024年一発目にして、とっても良い映画に出会えました。
普通のオッサン ファンタジー
昨年12月22日に配信された読売新聞オンラインの、柳井氏とヴェンダース監督の対談によると、ヴェンダース監督は、「平山さんは、今の私たちの世界が必要としているキャラクターだ」と前置きしながら、今作は『ファンタジー』であり、監督が寓話的、理想的に創造したファンタジーの平山に、役所広司という稀代の名優がリアリティを与えて実像化してくれたことに感銘しているようだ。
そもそもファンタジーなのだから、トイレにウンコやゲロが無いだとか、浅草から渋谷に首都高通勤はおかしいとか、ボロアパートがメゾネットで駐車場付きだとかいうリアリティの粗探しや、東京都・ユニクロ柳井・電通への下世話な非難・酷評はおかしいような…。
また、このレビューサイトに多く集まっている、今作を満点で高く評価し、ルーティン、ルーティン、清貧、清貧…と連呼し、感動、感涙しているレビュアーの方々は、おそらく今までの努力と運により人生全般が順調であり、家庭・人間関係も円満、老後まで経済的な心配も皆無で孤独とも無縁、自身の人生の最後まで、清掃や道路工事警備員のような仕事に就くことも、ボロアパートでの質素で定型的で慎ましい独居老人生活をすることなど全く実現性が無いから、フランダースの犬を観たような感情になるのであろうか?
私の感想はというと、平山に、現在から近い将来をリアルに自己投影でき、当たり前の日常として、穏やかにシンクロできた。
ここのレビュアーたちが『貧困層』『負け組』『底辺の仕事』『孤独』と呼ぶ生活をリアルに生きる還暦独身男である私の経験から言えば、平山のような暮らしの未経験者が思うほど孤独でもなく、自由でもなく、仕事の貴賤を考えるゆとりもない。経済事情から、なりふり構わず働かざるを得ず、家賃は安く生活用品は必然的ミニマルで、仕事と家事を一人で毎日きっちりこなすためには当たり前に定型的な生活となる。鍵や財布・免許証、腕時計などの生活基礎的なモノを忘れたり失くしたりしないよう、いつも決まった同じ場所に必ず置くのは当たり前。同じ時間に起床し、出勤前に最低限の身だしなみを整えて同じ時間に出勤し、缶コーヒーを飲み、天気の変化に少しばかり気分が変わり、変化のないルーティンワークを勤勉にこなし、同じ時間に同じ場所で昼食をし、いつもの景色の変化に季節を感じ、帰宅後は自炊、家事、入浴し、同じ時間に寝床に入り、少しばかり読書や考え事をしたら、疲れているから直ぐ寝入る。微睡の中で過去を思い出すような夢を見たりもする。たまの休日も、若い頃のような楽しみや趣味、友達付き合いも無くなる年齢で、家でゆっくり休養したい。過去の幸せや苦い体験を振り返ったり、たまに心が動揺するような人とのコミュニケーションがあると、なんとも言えない泣き笑いの感情と表情になることも当たり前で自然なこと。
そもそも還暦も過ぎた男が、一人で自立し、真面目に、他人にも自分にも優しく、慎ましく生きるということは、それだけで毎日かなり忙しく、身体が疲れているのである。そんな日々が、"Perfect" とは言えずとも、意外と"feeling good" なのだという自己肯定や達観を、ファンタジー平山と共有できる、心が穏やかになれる映画であった。
日本の多くの60代以上の男性は、平山と同じくこの世に大きな未練も絶望感やさしたる感傷や感動などの抑揚も、将来の夢や目標を持つ歳でもない。他人に積極的に話したいこともない。さりとて世捨て人や孤高でもない。今日健康に生きているから働き、働けて生きていることそのものがまあまあ幸せなのではないだろうか。恐れがあるとすれば、社会から必要とされなくなること、病気などで働けなくなり、自立した生活ができなくなることくらいしかない。
人生100年時代、年金問題、老後破産、孤独死…。そういう不安を少しでも持っている六十路男こそが観るべきファンタジーであり、生き方のひとつのロールモデルであり、いろいろあるが人生悪くないぞという、普通のオッサン讃歌としての佳作だと感じた。
本当に面白くない
付き合いで行きましたが、本当に内容のない映画でした。
何回も同じシーン、相当面白くなく忙しい時に無駄な時間、早く終わってって思いました。
沢山映画見ましたが、3本の指に入る駄作です。
良い評価しているのが、分からない。
本作が2024映画初めで良かった!!
明けましておめでとうございます。1/2、本日観てきました!
多くを語りません!笑
星も日和って4.5ですが、5です!
音楽に造詣が深ければ、尚、楽しめるんだろうなと思いました。
こんな清貧に生きていければ、人生豊かなんだろうなぁ…
ストーリー自体も、終盤に「!?」があり、時間を感じずあっという間にハッピーエンド。(?)
内容も深読み要素があり、映画を考えて観る方は大満足だと思います。
個人的には、佐藤浩市氏や光石研氏、松重豊氏などなど色々な名優で見てみたい…(もちろん役所さん最高!色々頭に残る名言がありますが、私は“今の積み重ね”が印象に残っています。※私の勝手な暗喩解釈です)
是非、映画好きの方はご観賞ください!!
エンドロール後が有りますのでご留意を!
評価は分かれるのでは。
平山のトイレ清掃の日常をただただ描くだけで、劇的な話はない。
それをつまらないと評価する人もいるだろうし、
ホントに言葉の少ない平山の表情を読み取りながら、裕福な家庭→父親の確執から一人で生きていくということを問う、という深い内容だと評価する人もいるだろう。
ただ、自分にはあまり響かなかったかな。
疑問点。
・父親との確執とはどんなものだったのか。トイレ掃除に至る大切なところだが描かれていない。
・途中何回も回想シーンのようなものがあったがそれは父親を思い出しているのか。
・影が濃くなるというのは何を意味しているのか。人生の深さ・重さなのか。
年の始まりに良い映画を観たいと思いませんか?
映画のタイトル「PERFECT DAYS」は、完璧な日々という意味でしょうか
それは決して華やかで特別な日々ではなく、ありふれた日常の中の、ささやかな幸せの積み重ねを指していると思いました
映画は、平山の人生を描くことで、私たちに「人生は完璧である必要はない」ということを教えてくれているようで、どんなに小さな幸せでも、それを大切にすることで、人は生きる意味を見出すことができるのかもしれません
私は、この映画を観て、日々の暮らしの中にある幸せを見つめ直すきっかけになりました
また、役所広司さんの演技も素晴らしく、寡黙な平山の生き様が胸に響きました
映画「PERFECT DAYS」は、人生の意味を問いかける、心に響く作品です
正月休みに観るおすすめの一作
ぜひ一度、観てみてください
なお、正月休みで駐車場は混雑です
車を停めるのに30分もかかりました
余裕を持って行きまっしょい!!!
perfectルーティン
かなりイケオジ清掃員はほぼ毎朝おばちゃんの掃き掃除の音で目が覚める。毎朝空を見上げる。たとえ天気が悪くても。そして、お決まりの缶コーヒーで仕事に出かける。そこが白いBOSSのカフェオレで良かった。別にコンビニで黒いボトルでも良いんだけれども。BOSSの文字を確認できたのが第一の収穫。仕事終わりに銭湯行って、行きつけの店で「お帰り」って言われて。この「お帰り」が堪らない。毎夜、本を読んで寝る。夢は記憶の整理。たいてい木漏れ日に包まれるのがオチだったような気がする。休日は全てを洗い流すようにコインランドリーとさゆりママの店へ。なぜさゆり?と思ったが、ギターに乗せたお歌でなるほど。♪ウィスキーがお好きでしょ ではなかったが。最近ブルースに傾倒気味の八代亜紀でも、元々R&Bのアッコさんでもあのシーンは成り立たなかったであろう。まさに配役の妙、である。主人公の平山小父貴のさゆりママへの仄かな思いの表しかたや金髪娘への照れかたとか、姪御さんへの着替えを見てはいけない接し方が中学少年みたいで良い。役所さんだから見ていられる。そうでなければ、寺田心くんが限界であろう。イケオジズの影踏みで泣けたな。ラストの運転中は朝日が眩しくてなのか、かけてる音楽に感動しているのか、泣いているのか笑っているのか。何とも言えない表情してたな。でも、全部なんだろな。
全899件中、541~560件目を表示