PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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2度目の鑑賞後の思い・・・あなたの生き方は?と問われれば答えは「No」
先ずは1回目の鑑賞後のレビュー
perfectDaysという映画を私なりに読み取ってみて・・・素直に感動はできなかった。
どうしてフォークナー?どうしてルーリード?どうしてアート作品然としたトイレ?
日常の一瞬に見いだせる美や人生のささやかな喜び、そのメイン素材にこれら小道具がどうにも微妙に作用している気がします。
フォークナー?京都の大学で出来の悪い英文学専攻の学生だった自分にとって、ジョイス、ナボコフ、ピンチョンとならんでunreadable(解読不能)な作家の代表だったフォークナー。「野生の棕櫚」?読みましたよ、もちろん翻訳文庫本で。(原書で読むほど頭も時間もなかったです。あ、ついでに金もね)
そういうことですか。事件らしい事件も起こらない、主人公の淡々とした日常描写が連なるこの映画、実は「野生の棕櫚」で並行して描かれた2つの物語を平山という一人の人物の物語に再構築したものなのか。
モノクロームの映像から伝わってくる不穏な感じはハリーとシャーロットの物語とリンクし、平山の凄惨な過去を想起させる。
そして、現在の平山の淡々とルーティンをこなす日々の描写。それはまさに過去を償う囚人の生活。冒頭のHouse of the Rising Sunは足にball and chainの囚人の歌であり、Lou ReedのPerfect Dayも執拗に過去の行いの清算をリフレインして終わる曲。家出した姪っ子をかくまい数日を共にして、結局母親に引き渡すエピソードは、「野生の棕櫚」のもう一人の主人公である囚人が、洪水から妊婦を助ける物語と重なり・・。テレビもスマホもない部屋は囚人が暮らす監獄の部屋のイメージ。けれど、本と音楽に守られた平山にとって、その部屋は監獄でもあるけれど唯一の安寧を得られる温室でもある。
「野生の棕櫚」の囚人が、一旦得られそうになった自由を捨て、あえて監獄に戻ったように、平山もまた壁のない監獄(温室)での生活をこれからも続けていく。平山がラストシーンで流した涙、それは凄惨な過去を「別の世界」でのことと切り離し、今の新しい世界での生活にようやく平安を見いだせた喜びから流した涙のように見えました。
・・・とまあ、フォークナーの作品やら劇中に平山がかける音楽やら、あれこれ周到に配置された仕掛けをひっくるめて、Perfect Daysという映画を読み解いてみて・・・
でもやっぱり素直に感動はできなかった。
だってね、フォークナーとルーリードで武装した役所広司の「ただものでない感」。人生のささやかな、本当の喜び、豊かさ、美しさ・・・それが、選ばれた特別な人種のものになってしまう感じ。既にピカピカに見えるトイレを更に磨き上げる平山は、引退した美学部教授が骨董の青磁を愛でているようにも見えてしまう。
現代アートのようなトイレ?60年代70年代を想起させる文学作品や音楽を取り上げるなら、まさにその時代全盛を誇った(?)落書きだらけのトイレをなぜ登場させない?人々の欲望や哀しみ、得体のしれない熱情が書きつけられたトイレの落書きがなぜ映し出されない?私の暮らす街には今だそんな落書きだらけの公衆トイレがありますよ、東京にだってまだあるんでしょ?
写真現像屋の親父・・・柴田元幸氏ですよね。東大名誉教授、米文学研究者にしてMason &Dixonなど多くの英米文学作品の翻訳家。ここで彼を写真屋の親父に起用する理由って?
フォークナーのパスティーシュとしてのサイン?
そんなこんなで、皆さんそれなりに感動できる映画にしております、でも隠し味が本当に判る人にはもっと、ね・・・
というのが鼻についてどうしても感動できなかった。何より、歴史のひずみや世の中の矛盾が多くの人々の血を流させている現代の事象を己の「関心領域」の外に置き、監獄=温室に引きこもっている主人公のその閉塞性にどうしてももどかしさを感じてしまった。
社会から孤立したうらぶれた老掃除夫が、トイレの落書きに書きなぐられた様々な言葉に自分の過去を重ねながら、それを消していく行為を通して少しずつ世の中に、未来に向きあう自分を取り戻していく、そんな物語なら感動できたかも、なんて思ってしまう自分はつくづくひねくれ者なのかな・・・
あ、平山さん、あなたにぴったりの曲、I Am A Rock なんてどう?
そして2回目の鑑賞後の今の思い・・・
もし、ヴェンダース監督が、この映画を通して私たちそれぞれに、「で、平山のperfect daysは、あなたの生き方としてあり?」と問うているなら、答えはやっぱりNoです。
「世の中には繋がっているようで繋がっていない、別の世界がある」という平山さんの言葉、それの言い換えに過ぎないのだけどやっぱり私は「世の中は繋がっていないようで繋がっている世界でできている」と、特にニコ、あなたのような若い人に言いたい。「変わらないはずがない」と平山さんが言う「変わる」とは「過去と現在の分断」ではなく「過去と現在、そして未来を繋ぐ」意味にとらえたい。テレビや新聞を通して見る世の中の様々な出来事はどうしても自分の関心領域を侵食し、それ故に心をざわつかせたりオロオロしたり・・・そのくせ、大した行動に出れるわけでもなく(せいぜいやや顔をうつむき加減にしながら、反核や反戦のデモに恐る恐る参加したり、ほんのわずかな小銭を募金箱に入れたり・・・)。選びたい候補者がいないなどと言いながら選挙会場に足を運ぶけど、それは要するに選ぶ明確なビジョンを自分自身が持ち合わせていないことに他ならないわけで・・・
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の中の一節、
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
だけを実践するような私の日々です・・・やれやれ。
そんな私には、平山さんのような生き方はできない。「今は今、今度は今度」と言い切れず、「今に引きずる過去は、そのまま未来に繋がっていく」し、木漏れ日の美しさは、スナップショットに切り取った一瞬だけでなく、むしろ時の流れの中、光や色の移ろいの中に見出したい。(まあ、さすがに部屋はもう少し整頓したいですけど・・・あ、作りかけのガンプラのパーツどこいった?)
私自身の生き方を見つめ直した上で、あえてこの映画の評価を2度目の鑑賞後は★一つに下げます。
皆さんはどうなのかしら・・・
解釈難しくても楽しい世界
安っぽく役所さんの人生を振り返らないので解釈は色々だと思います。わたしは、エンディングのアップの長回しで、笑っているようにも、泣いているようにも、疲れているようにも、充実しているようにも、明日が楽しみだと言ってるようにも、いかようにも取れる役所さんの顔がすべてのような気がしました。
少なくても平山はこれまでの人生をしっかり咀嚼して、今の今を生きていると思いました。つまりは充実しているということです。キャッチコピーの通りです。憧れます。
映画はとても面白かったです。田舎の映画館にあんなに客がいるとは思いませんでした。どうでもいいことを考えながら観ていたので備忘録としていくつか書いておきます。
同じ場面をセリフ少なくして何度も何度も繰り返す演出、かなり前ですが小林政広監督の「愛の予感」を思い出しました。
あちこちにキャスティングの面白さがありました。日本人監督ならこうはならないかなと。石川さゆりさんは驚きました。川崎ゆり子さん出てたんですね。解説読むまでわかりませんでした。イメージ変わりましたね。
浅草の地下街、桜橋、隅田川など、わたしは18から24まであの辺りに住んでいたので懐かしく、ただ実際の平山の移動にはいくらか無理あるなと思いました。
三浦友和さんでやや無理やりまとめたような気もしましたが「わからないこと、世の中にはまだまだたくさんあるよ。でも終わりだ」にはグッときました。
大都会の片隅、木漏れ日の中で織成すひと時~ 人の出会いと温もりを感じた!
監督:ヴィム・ヴェンダース作品
彼の作品は『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』『ミリオンダラー・ホテル』とかで有名なのかな。どの作品も心地よくて一度は目を閉じて寝るかも~www。
今日は「PERFECT DAYS」を観に行ったぞ。
こう言う作風は本当にいつ見ても彼らしいなぁの一言。
主人公 平山、THE TOKYO TOILETの寡黙な清掃作業員:(役:役所広司さん)。
初っ端から都会の公衆トイレ清掃ってヤツをこれでもか~って位見せてくれる。
ちょっとこのシーンは長いかなと思う。人物像を現わすには必要かもだけども。
清掃車内にかかる懐かしの洋楽がメッチャ心地いいなぁ。そう思って聴きいった方も多いだろう。車の停止やドアの開閉で突如寸断されるメロディに、もっと聴きたいなときっと思う事でしょう。
今時見かけないわ~カーステ。音楽アルバムカセット持ってるけどテープ延び延びやで。
絶対SDとかだと思うけどな、やっぱテープのアナログ音質が受けるのかな。
カメラも同じくでデジカメ多い中、銀塩写真て・・・今時現像店が分かんねぇ。
裏ブタ開けてパトロ-ネからのフィルム供給音、懐かしいナ。
音楽も写真もその時代の味ってやつがそこで現わされていると思う。
トイレ清掃中に見かけた3マス並べ?の落書きメモ回し。
相手は?良く見かけるベンチに腰掛けのOLさんなのかな。それとも女子高生?。メモのやり取りが続いていくって事や、カセット音楽を気に入ってくれた彼女や、樹木の根の元で見つけた新しい植物や、遠くで軽く挨拶してくれるお坊さんなど、木漏れ日の中で覗く彼の周囲の人々の心がほんのりと温かい。そう感じます。
叔父さんと慕い突如やってくる家出の姪。念のため妹に連絡して迎えに来させるが、相手は凄い裕福そう。この対比表現が生む見えない境目がこの作品のテーマなのかと感じます。
TT兄弟じゃないけどw(“T”多い)-THE TOKYO TOILET-この清掃作業着は誇れるものではないの?だからこの作品があるんでしょう?そう思うんだな。
誰かが汚れた後を綺麗にする、だから明日が(次が)ある!そう思うんだよネ。
残念な所を一点あげるなら、多分 平山は真面目で独身だけど、居酒屋の女将(役:石川さゆりさん)に好意があった様なんだな。最終的に勘違いだったけども抱きついてた元夫との姿を見て 急にその場から去って、あんなにタバコに酒に急に溺れるかね?あれは有り得んよと思う。
その後 気にして追いかけてきた元夫が まさかの初対面に病名告白。かつ元女房をヨロシクと言うのだ。展開流れが今まで各駅停車でのんびりと旅してた気分だったのに、最後きて急に新幹線に乗って最終目的地に着いた~って感じしたわ。それとラストカットの運転席の場面で真っ直ぐ走っている車なのにハンドルに手を掛けて回しすぎだよと思うw(細かく見ててゴメン)。そこがとっても残念!
「君の名は。」かと思うぐらいとても綺麗な都会の朝焼けシーン。その街中をゆっくりと清掃車がカセット音楽を奏でながら 今日に、明日に ほんのりと温かい心に満たされた彼が走って行く~。
興味ある方は 是非劇場へどうぞ!
成熟かおとぎ話か
『PERFECT DAYS』成熟した社会のおとぎ話でしょうか。ヴィム・ベンダースの一つの提案、年寄りはこの映画を見ると自分の今後はこれでいいやと思うのですが、若い人には物足りないでしょうね。消費は美徳という時代を経験して到達した生活ですから。
高度成長期、バブルそして崩壊
高度成長期、バブル期を通り過ぎて行き着いたところでしょうか。
主人公は、映画では50代の独身のように思われ。
東京の下町の風呂なしアパートに住み。
公園のトイレ清掃で生計を立てている。
これといってお金のかかる趣味があるわけではなく。
室内には、丁寧に育てている観葉植物。
仕事の後は、銭湯でさっぱりして、浅草あたりの安酒屋で一杯。
自宅に戻り、おもに部屋では読書。
まるで、現代の仙人の趣。
年齢からして、日本経済が、イケイケのころも知っているはず。
「24時間戦えますか」なんて時代もありましたね。
自分にとって大切なものとは
そう、この主人公にとっては。
このささやかな生活で、十分幸福なんだと。
人それぞれ器というものがあって。
この主人公は、幸福の器がこの映画の大きさなんだと。
人間ある程度年齢が行けば、ある程度見えててくるのですが。
幸福と感じる器の大きさが、そんなに大きくないほうが、人間をやれるよなと。
この映画を見てるとそう感じさせます。
ヴィム・ヴェンダースの結論でもあるかのようです。
人間一人生きてゆくのには、そんなにお金はかからない。
お金のかけ方にもよりますが。
この主人公のように、幸福感の器はそんなに大きくなく。
そして、お金がなくても創造的に生活できる工夫ができればですが。
ヴィム・ベンダースは、「お金がなくても、幸せになれるよ」と言っているかのようです。
東京の下町とトイレ掃除
ヴィム・ベンダースはこの2つを選択したようです。
東京下町の風景が、なにか刺さるものがあったのでしょうね。
ただ、これはあくまで映画でのお話。
いわゆる、下町幻想でしょうか。
実際には、下町は、首都圏以外から流入した新住民の街。
かつての人情などあるわけもなく。
意外と、殺伐としていて住みにくいところなんですが。
あと公園のトイレ掃除ですよね。
最新のオシャレな公衆トイレしか出てきませんが。
確かに、日本の公衆トイレはかなりキレイになりました。
だけど、この主人公の作業するようなキレイなところばかりでないのが現実。
特に、駅のトイレの掃除などは、かなり心が折れる場面に遭遇するのですが。
このあたりが、現代のおとぎ話でしょうか。
ほぼストレスフリーな生活
主人公のように、収入は少ないが。
人と多く交わることもなく、自分のペースで仕事ができて。
贅沢をしなければ、自らが満足できる生活を送れる。
そんな生き方を提案してるんだろうな。
まあ、それも悪くないけど。
やはり、年寄りになればそうならざる負えないと思うのです。
それでいて、昭和の活気を知っている者にとっては。
あの消費は美徳とまでは言いませんが。
あのエネルギッシュな時代が懐かしいのも事実。
さあ、あなたはどんな人生を送りますか。
すべては、アナタ次第です。
木漏れ日ライフ🍃
東京には、こんなに珍しい公衆トイレがあるのだなあ、と感心しながら観ました。
こんなにおもしろくて、清潔なら、ぜひ入りたいです。
平山は、無口で社交的ではないけれど、言うべきことはきちんと言うし、人を惹きつける魅力もあります。
平山が仕事を終えて食べに行く、行きつけのお店も美味しそうだし、古書店も、住んでいる家も、味があり、全部おしゃれに見えました。
一見、誰にでも送れそうだけれど、かなりハイレベルな生活だと思います。
出てくる女の人の顔の系統が似ていると思いました。
監督の好みなのかな?
前の席の方が長身だったようで、背もたれの上に全部の頭があり、画面中央の下半分近くが見えず、苦しかったです🥲
背の高い方は、できましたら、少し体をずらしていただけるとありがたいです🙇
あっという間に
新しい邦画の一歩を刻んだ名作
こんどはこんど、いまはいま
太宰治の『人間失格』は「ただ、一さいは過ぎて行きます」という言葉で終わるけれども、その《過ぎていく一切》に光を当て愛おしむこと、その大切さに気づかせてくれるような作品であった。
トイレ清掃の仕事をしている平山氏(演:役所広司)の日常を追った作品、と、言ってしまえばそれだけの映画なのに、エンドロールが流れた後の、感動の深さ。
ドキュメンタリータッチの映像はちょっと是枝裕和監督っぽいかも知れない。作品のテイストは『海街diary』に似ていると思った。だから『海街…』で寝ちゃう人は観ない方がいい(笑)。
観る前は、役所広司主演でちょっと似たようなシチュエーションの作品『すばらしき世界』(2020年)に似た内容かと思っていた。しかしこの『PERFECT…』は想像を超えていた。
平山氏の部屋にはテレビもパソコンもスマホもない。新聞も購読していなさそう。車の中でラジオも聞かない。唯一の情報機器が会社支給らしいガラケー。
音楽はもっぱら古いカセットテープだ。Spotifyなんぞもちろん知らない。写真が趣味だが、持っているのはフィルムカメラだ。彼の身の回りにあるのは皆《失われゆくもの》たちだ。
しかし、そんな彼の暮らしは、何故「美しい」のだろうか。
映画館を出たあと、世界が少し変わって見える。そんな作品に、すごく久しぶりに出会えた。
【蛇足】
①脇役に「タカシ」という名前を安直につけるのはやめてほしい
②平山氏はなぜ寝るときカーテンを閉めないのだろう。
→朝の明るさで目覚めたいから?
③パンフレット売り切れだった、残念!
④カセットテープ巻き戻す場面で笑った。
⑤本を読みながら寝落ちするのは私も。
でもあんなに目覚めはよくない。夜中に一回目が覚めるし。
⑥銭湯の場面。役所広司の身体は年相応に衰えているみたい。
胸まわりの筋肉が落ちていて、意外とみすぼらしい。これも演出か?
⑦あれは研ナオコだったのね!
⑧昼休みとか同じ時間に同じ場所で同じ人に会うのは、あるある。
でも親しくなるわけではない。
⑨幸田文の『木』は持ってたけど数年前にブックオフに売った。
映画の醍醐味…
カンヌ受賞という前評判はあったものの、できる限り心をピュアにして、鑑賞した感想を書き出してみる。
前半は役所広司という「大俳優」が演じているのに、まるでドキュメンタリーを観ているような錯覚を覚えた。
朝目覚め、身支度を整え、小さな器に植えた楓の世話を終えると、車に乗り込み、淡々とトイレ清掃に向き合い、仕事後の銭湯、飲み屋、そして簡素な部屋で眠りにつくまでの読書で一日を終える。
そしてまた新しい朝を迎え…
ただこの繰り返しである日常に、ほんの小さな、些細な出来事が交わることで、人としての尊厳や他者への思い、そして「自分が自分である」という存在を直接的な言葉でなく、スクリーンに投影される主人公の表情や、まるで絵画のような色鮮やかで多彩な景色(風景)から、心が満ち足りるほど感じることができた。
正にこれが映画の醍醐味であり、映画の素晴らしさであることを、改めて思い知ることが出来た作品であった。
この作品のもう一つの見どころは、その映像美であると思う。「綺麗」という言葉では表現できないほどの感動を覚え、それはふと立ち寄った美術館で、立ちすくむくらい見入ってしまう絵画に出会ったようである。
久しぶりに「映画の醍醐味」を感じる作品に出会えたことに感謝。
sense of distance
何気ない日常の(優しい)耳障りで
目を覚まし、修行僧の様に蒲団を畳み、
リズミカルな歯磨き・何時もの身支度
そして 一日の扉を開ける。
その後も 淡々とルーティンを重ね、
生活の為の労務により
綺麗なトイレを様々な人に仕上げ、
僅かな時の隙間で好きな曲を聴き、
木漏れ日に心を預け、一日を構成していく。
時に 人と対峙しても その距離感は保ち続け、
たとえ親族により過去に浮遊しかけても
フェードアウトで明日に続ける。
カンヌ受賞関連TVで 久しぶりにルーリードの歌声を聴いて 観たいと思った。
結果、数十年前の東京での心地良い『繋がり』
の断片と 懐かしいワードの数々が舞い上がった
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足るを知る
じんわり何もなくない
役所広司さんがGOOD
是非見て下さい。
是非見て下さい。多分今の自分の年齢だからこそより一層心に沁みる一遍です。過去1年で観た映画のベストに入る映画です。自分にとっては毎日の暮らしの中での空、木々たち自然というものを感じる事を忘れていました。ともすればスマホにばかり目が行き電車からでも景色さえ逃していた。主人公の平山がそんな自然を体中で感じながら、平凡な日常をなんと楽し気に生きていっているのだろうかと。仕事を一生懸命やった後の昼食時のサンドイッチの本当においしそうな事、夕食時の1杯が格別な事どこを切り取っても幸せにしか見えない。その平山をいろんな人が通り過ぎていく。そこでは現実に戻される。現実は何故皆勝手なんだろう。いろんな思いがこみ上げてくる一遍になっています。お時間あれば是非劇場で多分こういう映画は終わるの早そうですからお早目にお出かけ下さい。
美しいが、危うい
政治とか経済とか世界情勢とか社会とかと一切隔絶した、一種の晴耕雨読の隠遁生活を描いた作品。
出来事は主人公平山の周りを通り過ぎていく。
平山氏は清掃会社に所属しているので、会社への業務日報なり、定時連絡なり、給与の振り込みなりがあるはずだが、そこも描かれない。
平山氏の実家は裕福な資産家のようだが、資産には興味がないらしく、妹から実家に戻るように提案されても、拒否する。
家族も財産も捨てた、一種の仙人みたいな生活である。
会社員人生とか長いと、煩わしさから解放されたこういう生活に憧れる気持ちがわからないでもない。美しいとも感じる。
でも、交差点で不注意なドライバーが信号無視して突っ込でくるもらい事故だって、現実にはあるわけじゃないか。そう思ってしまう。
小津安二郎を敬愛するのであればカメラはパンを一切しないでほしかったな。
主人公平山の幸せを、映画を通じて共有できる良作
主人公平山の日常を描く作品なので、ともすれば退屈になりがちなテーマだと思うが、全くそんなことは無かった。
昼休みに神社で写真を撮る、仕事終わりに銭湯へ行く、飲み屋で一杯やる、寝る前の読書といった平凡な日常に彼は幸せを見出している。その幸せを、映画を通じて共有できるのが面白い。
贅沢をする=幸せでは無い。彼は決して裕福な暮らしをしているとは言えないが、身の丈に合った幸せを噛み締めながら生きている。幸せは、日常のささいな出来事に見出すものだというのを教えてくれる映画。
平山はとても寡黙で、作中でもほとんど話さない。人が周りに居てもただ笑顔でいるだけのことが多い。それでも職場の後輩や飲み屋の女将といった、彼の周囲にいる人々と、不思議と心地よい関係を築けている。人間関係の構築には、必ずしも社交的である必要は無く、ただ楽しそうにその場に居るだけで十分だということが分かる。
映画の中で彼の周りの人間が、仕事を辞めたり癌が発覚する等、様々な出来事が起こるが、そういった生活の変化が、一人一人の人生があることを感じられてしみじみとした。
人生や幸せについて考えることのできて、劇場で観れてとても良かった。
平山を初めとする登場人物は何者なのか気になってしょうがない
「変わらないわけないじゃないですか」
ルーティンと思える日常も、細部は少しずつ異なり、人は少しずつ変わっていく、そんなことをじんわり伝えてくれる映画でした。
トイレ清掃員ということで、もっと目を覆いたくなるカットがあるかなとか、淡々と進む映画のため、どこかで平山がひどい目に遭うんじゃないかとびくびくしながら見たのですが杞憂で、ほぼ起承転結のない映画でした。最後の平山の表情の変化など、どう解釈すればいいのかまだよく分からず、評価が難しいですが、役所広司の演技は確かに素晴らしかったです。
平山は何者なのか、その他の登場人物(例えば、アヤや、昼に公園で出会うOL)の細部も気になって仕方がない。
小津安二郎作品を見たことがないのですが、小津作品を見た外国人が描いた現代日本なのかな?とも思われ、小津作品を見てみようと思います。
繋がっていなくても、重なり合って生きている
この映画を言葉で表現するのは難しい。表現しきれない何かがある。敢えて言うなら・・・
都会の片隅で生きる一人の善き人の日常を、美しく、純粋に切り取って見せる。ただそれだけなのに、人生とは何か、幸福とは何かについて考えさせられる、ような作品。という感じだろうか。
※キャスティングと音楽の選曲のセンスが凄い!サントラ欲しい。
※年末年始に1回ずつ鑑賞。2024年4月堪らず3回目鑑賞。
■1回目(2023年末)
福山雅治がラジオで「奇跡の映画」と紹介していたのを聞き、年の締めとして映画館へふらっと行って観た。カンヌで役所広司が主演男優賞をとったトイレ清掃員の映画、という事前知識しかない状態での鑑賞。
主人公の平山は、毎日決まった時間に起き、布団を畳み、髭を剃り、歯を磨き、植物に水をやり、空を見上げ、缶コーヒーBOSSを買い、車に乗ってトイレ掃除の仕事に向かう。仕事場では一切の無駄口をたたかず、ムダのない動きでトイレをきれいに磨き上げ、帰宅したら銭湯で一番風呂、浅草地下街で晩酌、読書して床に就く。まるで修行僧のように寡黙にルーティンをこなす日々。
前半は、余計な演出も台詞も音もなく、ゆるい流れで特に大きなイベントも発生しないので、色々と想像を巡らしながら観ることになる(研ナオコにはすぐ気がついたw)。
中盤を過ぎて、「今度は今度、今は今」という言葉を聞いたとき「脚下照顧」という禅語が思い浮かぶ。ああ、やはりこれは、外国人監督が理想の日本人像(令和の東京という俗世に生きる禅僧)を描いた話なのかな・・美しい映像と抜群のセンスの選曲のオシャレなアート映画なのかな・・・と見続けていると・・・
妹と姪との別れのシーンで号泣する平山に壮絶な過去が垣間見え。
ラストシーンで流れる「Feeling Good」に合わせて悲しみ、後悔、喜びといった色々な感情がない交ぜになって泣く役所広司を観て、自分も内側からこみ上げてくるものが・・・
何か凄いものを観た!という感じで呆然としてしばらく動けなかった。
恥ずかしながら、Wim Wenders監督も、「PERFECT DAY」や「Feeling Good」の歌詞もよく知らずに観た1回目。一旦映画館を出た後、戻ってパンフレットを購入。40代中盤まで生きてきて、映画のパンフを購入したのはこれが2作品目。
映画の余韻に浸りながら年を越した。
■2回目(2024年始)
あの場面の台詞の意味は何だったのか?あの映像の意味は?平山の過去に何があった?色々考えながら、これはもう一度観なければ、と年始に再び映画館へ。
1回目は観ているようで観ていなかったこと、気づかなかったことに色々と気づく。
平山は、微笑む。自分を取り巻く人々、街並み、木々に。そして光と影を愛する。トイレの壁に映る木々の影、木漏れ日の下で踊るホームレスを観て幸せそうな笑みを浮かべる。
と思いきや、同僚が突然やめて怒りの感情をむき出しにする。
不意にキスされた後、銭湯でニヤけて湯につかる。
ヤケ酒も飲む。吸えないたばこも吸う。でも、最後は微笑みながら帰宅する。
彼は禅僧なんかじゃない。生身の人間だ。
禅僧のようなルーティン生活をしているのは、つらい過去や孤独に飲み込まれるのを防ぐためではないか?
リズム。一定のリズムを刻み続けるように生きることで今に集中できる(音楽やダンスのように)。そんなことが頭をよぎる。
最後のシーン。「Feeling Good」の歌詞の意味をわかってから観た2度目。役所広司の演技は、顔面だけで平山のこれまでの人生、そして今、これからを表現しているように思えて、泣いてしまった。
■3回目(2024年4月)
3回目の鑑賞で、東京スカイツリーを見上げる構図、複数階層になった首都高を見下ろす構図が何度も出てくることに気づいた。これは平山の視点ではない。Wenders監督の視点だ。監督は、愛する今の東京の街と平山(役所広司)の日常をたった16日という短期間で、瞬間冷凍のように記録し、封印したのだ!この映画は、もう二度と同じように撮れない「奇跡の映画」なのだということを思い知らされた。そして、ラストシーンの朝日の光は、平山のPERFECTな日々がこれからも続くことを示す、人生賛歌の光なのだと私は感じ取った。
■繋がっていなくても、重なり合って生きている
「この世界は、繋がっているように見えて、繋がっていない世界がいくつもある」と言う平山に対して、ニコは「私はどちら側の世界にいるの?(おじさん側の世界って言って欲しい)」と聞く。平山は答えない。
最初、自分(平山)が住む世界は、多くの人が住む世界と違うという意味だと思ったが、回を重ねて観ると、それは多分違うと思った。今、生きている一人一人が、繋がっているように見えて、他人と繋がっていない世界を生きている(みんな孤独)という意味ではないか。でも、影踏みで平山が言った「重なって濃くなる」という言葉から、繋がっていなくても、ときどき重なり合うことで、人と人は関わり合い、生きているんだ、という人生観を平山が持っていると私は思う。
観る人によって、いろんな解釈ができる映画。
そして、孤独を抱えながらも、毎日を新しい気持ちで、生きようと思える映画。
朝、空を見上げるのがしばらく習慣になりそう。
PERFECT HIRAYAMA!
なんとなく内容の予測ができた上での鑑賞だったが、思った以上に淡々んと進んだ話。
終始、素敵な平山さんだった。
役所広司の平山演技・魅力によって成り立った映画と言っても過言ではない。無言のまま、一人芝居みたいに。
立派で、優しくて力強かった...極日常的な表情がここまでこの「公共トイレ宣伝映画」を劇映画にしたことに驚いて、、、感動した。
素敵な平山さんだった。
ヴィム・ヴェンダースが尊敬する小津から借りた名字。日本(東京)への愛が込められた名付け、愛が込められたローアングル、日本的なショットの数々....こんな空ショットで埋め尽くされ、「禅」を感じさせる映画だからこそ、役所広司の演技を最大限に引き立てたと思う。目が、平山さんから離れなかった。
(ロードムービーのように繰り返される日常から長〜い人生を感じさせるのも、また監督ならではのプレゼントかも。
素敵な平山さんだった。
現代のひらやまさんには家族がいなかった。小津のどの映画の登場人物とも違い、一人で生きている。けど、彼は決して不幸ではない。自力で生きていて他人には寛大で思いやりがあり、自分には素直で可愛かった。
こんな素敵な人間になりたかった。(なりましょう)
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