PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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無口な東京の男の日常
普通の人の普通の日常。余計な会話は要らない。
今度は、大阪の日々を撮ってほしい。
パリテキサスに続くの感動。
94席のスクリーンが満席。久しぶり。
新しい邦画の一歩を刻んだ名作
平山氏はアメリカのパターソンの市バス運転手のようであり、フランスのムッシュ・ユロのようでもあり、またイギリスの煙突掃除夫のバート氏のようでもありました。
しかしながら、東京という街で繰り広げられるかけがえのない日常を通して平山という男の生き様までをも描いた素敵な日本映画でした。すべてのシーンが愛おしく感じることのできる名画です。
こんどはこんど、いまはいま
太宰治の『人間失格』は「ただ、一さいは過ぎて行きます」という言葉で終わるけれども、その《過ぎていく一切》に光を当て愛おしむこと、その大切さに気づかせてくれるような作品であった。
トイレ清掃の仕事をしている平山氏(演:役所広司)の日常を追った作品、と、言ってしまえばそれだけの映画なのに、エンドロールが流れた後の、感動の深さ。
ドキュメンタリータッチの映像はちょっと是枝裕和監督っぽいかも知れない。作品のテイストは『海街diary』に似ていると思った。だから『海街…』で寝ちゃう人は観ない方がいい(笑)。
観る前は、役所広司主演でちょっと似たようなシチュエーションの作品『すばらしき世界』(2020年)に似た内容かと思っていた。しかしこの『PERFECT…』は想像を超えていた。
平山氏の部屋にはテレビもパソコンもスマホもない。新聞も購読していなさそう。車の中でラジオも聞かない。唯一の情報機器が会社支給らしいガラケー。
音楽はもっぱら古いカセットテープだ。Spotifyなんぞもちろん知らない。写真が趣味だが、持っているのはフィルムカメラだ。彼の身の回りにあるのは皆《失われゆくもの》たちだ。
しかし、そんな彼の暮らしは、何故「美しい」のだろうか。
映画館を出たあと、世界が少し変わって見える。そんな作品に、すごく久しぶりに出会えた。
【蛇足】
①脇役に「タカシ」という名前を安直につけるのはやめてほしい
②平山氏はなぜ寝るときカーテンを閉めないのだろう。
→朝の明るさで目覚めたいから?
③パンフレット売り切れだった、残念!
④カセットテープ巻き戻す場面で笑った。
⑤本を読みながら寝落ちするのは私も。
でもあんなに目覚めはよくない。夜中に一回目が覚めるし。
⑥銭湯の場面。役所広司の身体は年相応に衰えているみたい。
胸まわりの筋肉が落ちていて、意外とみすぼらしい。これも演出か?
⑦あれは研ナオコだったのね!
⑧昼休みとか同じ時間に同じ場所で同じ人に会うのは、あるある。
でも親しくなるわけではない。
⑨幸田文の『木』は持ってたけど数年前にブックオフに売った。
映画の醍醐味…
カンヌ受賞という前評判はあったものの、できる限り心をピュアにして、鑑賞した感想を書き出してみる。
前半は役所広司という「大俳優」が演じているのに、まるでドキュメンタリーを観ているような錯覚を覚えた。
朝目覚め、身支度を整え、小さな器に植えた楓の世話を終えると、車に乗り込み、淡々とトイレ清掃に向き合い、仕事後の銭湯、飲み屋、そして簡素な部屋で眠りにつくまでの読書で一日を終える。
そしてまた新しい朝を迎え…
ただこの繰り返しである日常に、ほんの小さな、些細な出来事が交わることで、人としての尊厳や他者への思い、そして「自分が自分である」という存在を直接的な言葉でなく、スクリーンに投影される主人公の表情や、まるで絵画のような色鮮やかで多彩な景色(風景)から、心が満ち足りるほど感じることができた。
正にこれが映画の醍醐味であり、映画の素晴らしさであることを、改めて思い知ることが出来た作品であった。
この作品のもう一つの見どころは、その映像美であると思う。「綺麗」という言葉では表現できないほどの感動を覚え、それはふと立ち寄った美術館で、立ちすくむくらい見入ってしまう絵画に出会ったようである。
久しぶりに「映画の醍醐味」を感じる作品に出会えたことに感謝。
sense of distance
何気ない日常の(優しい)耳障りで
目を覚まし、修行僧の様に蒲団を畳み、
リズミカルな歯磨き・何時もの身支度
そして 一日の扉を開ける。
その後も 淡々とルーティンを重ね、
生活の為の労務により
綺麗なトイレを様々な人に仕上げ、
僅かな時の隙間で好きな曲を聴き、
木漏れ日に心を預け、一日を構成していく。
時に 人と対峙しても その距離感は保ち続け、
たとえ親族により過去に浮遊しかけても
フェードアウトで明日に続ける。
カンヌ受賞関連TVで 久しぶりにルーリードの歌声を聴いて 観たいと思った。
結果、数十年前の東京での心地良い『繋がり』
の断片と 懐かしいワードの数々が舞い上がった
CISCO MARYJANE SAV NYLON100% 門
足るを知る
じんわり何もなくない
たしかに
好き嫌いは分かれるでしょうが
えっ?このまま2時間いくの?って
ある意味感動しながら
途中からは何も起きないで!って
思ってました(笑)
飽きずに見れたのは
役所さんの画力の強さゆえ
表情のひとつひとつに
内面を重ね合わせて
観ることが出来ました
こんなに一人の内面を
意識したことないし
何も無いからこそ
耳たぶのくだりや
木漏れ日見上げた微笑
妹さんを抱きしめる
ところにほっこりじんわり
できたなーと
いろいろあるけど
どんな人にも
平凡の中にも
生きる喜びの若芽は
芽吹いて重なり合って
いるんだなーと
いい読後感な映画でした
役所広司さんがGOOD
役所広司さん、最後までセリフ無し?
くらいに思った。
結果、ものすごく少なかったけど、演技力って凄い。
内容が日常的すぎて、すんなり入ってくる。
浅草から渋谷まで高速で行ったら、高速料金は会社で出してくれるのかな?とか、
ずいぶん、太っ腹な会社だな。とか、
どこの入口から乗るんだろう?とか、
渋谷に車置いて、銀座線で一本で行けるだろ?自分ならそうしたいな。とか、
そしたら、仕事帰りに浅草駅降りたら、そのまま地下街の行きつけの店で焼きそば食べられるよな。一杯も出来るよな。とか、(あの店、実際にあります)
渋谷のトイレ、全部行ってみたいな。とか。
そんなどうでも良い事を考えながら、見てました。
是非見て下さい。
是非見て下さい。多分今の自分の年齢だからこそより一層心に沁みる一遍です。過去1年で観た映画のベストに入る映画です。自分にとっては毎日の暮らしの中での空、木々たち自然というものを感じる事を忘れていました。ともすればスマホにばかり目が行き電車からでも景色さえ逃していた。主人公の平山がそんな自然を体中で感じながら、平凡な日常をなんと楽し気に生きていっているのだろうかと。仕事を一生懸命やった後の昼食時のサンドイッチの本当においしそうな事、夕食時の1杯が格別な事どこを切り取っても幸せにしか見えない。その平山をいろんな人が通り過ぎていく。そこでは現実に戻される。現実は何故皆勝手なんだろう。いろんな思いがこみ上げてくる一遍になっています。お時間あれば是非劇場で多分こういう映画は終わるの早そうですからお早目にお出かけ下さい。
美しいが、危うい
政治とか経済とか世界情勢とか社会とかと一切隔絶した、一種の晴耕雨読の隠遁生活を描いた作品。
出来事は主人公平山の周りを通り過ぎていく。
平山氏は清掃会社に所属しているので、会社への業務日報なり、定時連絡なり、給与の振り込みなりがあるはずだが、そこも描かれない。
平山氏の実家は裕福な資産家のようだが、資産には興味がないらしく、妹から実家に戻るように提案されても、拒否する。
家族も財産も捨てた、一種の仙人みたいな生活である。
会社員人生とか長いと、煩わしさから解放されたこういう生活に憧れる気持ちがわからないでもない。美しいとも感じる。
でも、交差点で不注意なドライバーが信号無視して突っ込でくるもらい事故だって、現実にはあるわけじゃないか。そう思ってしまう。
小津安二郎を敬愛するのであればカメラはパンを一切しないでほしかったな。
主人公平山の幸せを、映画を通じて共有できる良作
主人公平山の日常を描く作品なので、ともすれば退屈になりがちなテーマだと思うが、全くそんなことは無かった。
昼休みに神社で写真を撮る、仕事終わりに銭湯へ行く、飲み屋で一杯やる、寝る前の読書といった平凡な日常に彼は幸せを見出している。その幸せを、映画を通じて共有できるのが面白い。
贅沢をする=幸せでは無い。彼は決して裕福な暮らしをしているとは言えないが、身の丈に合った幸せを噛み締めながら生きている。幸せは、日常のささいな出来事に見出すものだというのを教えてくれる映画。
平山はとても寡黙で、作中でもほとんど話さない。人が周りに居てもただ笑顔でいるだけのことが多い。それでも職場の後輩や飲み屋の女将といった、彼の周囲にいる人々と、不思議と心地よい関係を築けている。人間関係の構築には、必ずしも社交的である必要は無く、ただ楽しそうにその場に居るだけで十分だということが分かる。
映画の中で彼の周りの人間が、仕事を辞めたり癌が発覚する等、様々な出来事が起こるが、そういった生活の変化が、一人一人の人生があることを感じられてしみじみとした。
人生や幸せについて考えることのできて、劇場で観れてとても良かった。
平山を初めとする登場人物は何者なのか気になってしょうがない
「変わらないわけないじゃないですか」
ルーティンと思える日常も、細部は少しずつ異なり、人は少しずつ変わっていく、そんなことをじんわり伝えてくれる映画でした。
トイレ清掃員ということで、もっと目を覆いたくなるカットがあるかなとか、淡々と進む映画のため、どこかで平山がひどい目に遭うんじゃないかとびくびくしながら見たのですが杞憂で、ほぼ起承転結のない映画でした。最後の平山の表情の変化など、どう解釈すればいいのかまだよく分からず、評価が難しいですが、役所広司の演技は確かに素晴らしかったです。
平山は何者なのか、その他の登場人物(例えば、アヤや、昼に公園で出会うOL)の細部も気になって仕方がない。
小津安二郎作品を見たことがないのですが、小津作品を見た外国人が描いた現代日本なのかな?とも思われ、小津作品を見てみようと思います。
繋がっていなくても、重なり合って生きている
この映画を言葉で表現するのは難しい。表現しきれない何かがある。敢えて言うなら・・・
都会の片隅で生きる一人の善き人の日常を、美しく、純粋に切り取って見せる。ただそれだけなのに、人生とは何か、幸福とは何かについて考えさせられる、ような作品。という感じだろうか。
※キャスティングと音楽の選曲のセンスが凄い!サントラ欲しい。
※年末年始に1回ずつ鑑賞。2024年4月堪らず3回目鑑賞。
■1回目(2023年末)
福山雅治がラジオで「奇跡の映画」と紹介していたのを聞き、年の締めとして映画館へふらっと行って観た。カンヌで役所広司が主演男優賞をとったトイレ清掃員の映画、という事前知識しかない状態での鑑賞。
主人公の平山は、毎日決まった時間に起き、布団を畳み、髭を剃り、歯を磨き、植物に水をやり、空を見上げ、缶コーヒーBOSSを買い、車に乗ってトイレ掃除の仕事に向かう。仕事場では一切の無駄口をたたかず、ムダのない動きでトイレをきれいに磨き上げ、帰宅したら銭湯で一番風呂、浅草地下街で晩酌、読書して床に就く。まるで修行僧のように寡黙にルーティンをこなす日々。
前半は、余計な演出も台詞も音もなく、ゆるい流れで特に大きなイベントも発生しないので、色々と想像を巡らしながら観ることになる(研ナオコにはすぐ気がついたw)。
中盤を過ぎて、「今度は今度、今は今」という言葉を聞いたとき「脚下照顧」という禅語が思い浮かぶ。ああ、やはりこれは、外国人監督が理想の日本人像(令和の東京という俗世に生きる禅僧)を描いた話なのかな・・美しい映像と抜群のセンスの選曲のオシャレなアート映画なのかな・・・と見続けていると・・・
妹と姪との別れのシーンで号泣する平山に壮絶な過去が垣間見え。
ラストシーンで流れる「Feeling Good」に合わせて悲しみ、後悔、喜びといった色々な感情がない交ぜになって泣く役所広司を観て、自分も内側からこみ上げてくるものが・・・
何か凄いものを観た!という感じで呆然としてしばらく動けなかった。
恥ずかしながら、Wim Wenders監督も、「PERFECT DAY」や「Feeling Good」の歌詞もよく知らずに観た1回目。一旦映画館を出た後、戻ってパンフレットを購入。40代中盤まで生きてきて、映画のパンフを購入したのはこれが2作品目。
映画の余韻に浸りながら年を越した。
■2回目(2024年始)
あの場面の台詞の意味は何だったのか?あの映像の意味は?平山の過去に何があった?色々考えながら、これはもう一度観なければ、と年始に再び映画館へ。
1回目は観ているようで観ていなかったこと、気づかなかったことに色々と気づく。
平山は、微笑む。自分を取り巻く人々、街並み、木々に。そして光と影を愛する。トイレの壁に映る木々の影、木漏れ日の下で踊るホームレスを観て幸せそうな笑みを浮かべる。
と思いきや、同僚が突然やめて怒りの感情をむき出しにする。
不意にキスされた後、銭湯でニヤけて湯につかる。
ヤケ酒も飲む。吸えないたばこも吸う。でも、最後は微笑みながら帰宅する。
彼は禅僧なんかじゃない。生身の人間だ。
禅僧のようなルーティン生活をしているのは、つらい過去や孤独に飲み込まれるのを防ぐためではないか?
リズム。一定のリズムを刻み続けるように生きることで今に集中できる(音楽やダンスのように)。そんなことが頭をよぎる。
最後のシーン。「Feeling Good」の歌詞の意味をわかってから観た2度目。役所広司の演技は、顔面だけで平山のこれまでの人生、そして今、これからを表現しているように思えて、泣いてしまった。
■3回目(2024年4月)
3回目の鑑賞で、東京スカイツリーを見上げる構図、複数階層になった首都高を見下ろす構図が何度も出てくることに気づいた。これは平山の視点ではない。Wenders監督の視点だ。監督は、愛する今の東京の街と平山(役所広司)の日常をたった16日という短期間で、瞬間冷凍のように記録し、封印したのだ!この映画は、もう二度と同じように撮れない「奇跡の映画」なのだということを思い知らされた。そして、ラストシーンの朝日の光は、平山のPERFECTな日々がこれからも続くことを示す、人生賛歌の光なのだと私は感じ取った。
■繋がっていなくても、重なり合って生きている
「この世界は、繋がっているように見えて、繋がっていない世界がいくつもある」と言う平山に対して、ニコは「私はどちら側の世界にいるの?(おじさん側の世界って言って欲しい)」と聞く。平山は答えない。
最初、自分(平山)が住む世界は、多くの人が住む世界と違うという意味だと思ったが、回を重ねて観ると、それは多分違うと思った。今、生きている一人一人が、繋がっているように見えて、他人と繋がっていない世界を生きている(みんな孤独)という意味ではないか。でも、影踏みで平山が言った「重なって濃くなる」という言葉から、繋がっていなくても、ときどき重なり合うことで、人と人は関わり合い、生きているんだ、という人生観を平山が持っていると私は思う。
観る人によって、いろんな解釈ができる映画。
そして、孤独を抱えながらも、毎日を新しい気持ちで、生きようと思える映画。
朝、空を見上げるのがしばらく習慣になりそう。
PERFECT HIRAYAMA!
なんとなく内容の予測ができた上での鑑賞だったが、思った以上に淡々んと進んだ話。
終始、素敵な平山さんだった。
役所広司の平山演技・魅力によって成り立った映画と言っても過言ではない。無言のまま、一人芝居みたいに。
立派で、優しくて力強かった...極日常的な表情がここまでこの「公共トイレ宣伝映画」を劇映画にしたことに驚いて、、、感動した。
素敵な平山さんだった。
ヴィム・ヴェンダースが尊敬する小津から借りた名字。日本(東京)への愛が込められた名付け、愛が込められたローアングル、日本的なショットの数々....こんな空ショットで埋め尽くされ、「禅」を感じさせる映画だからこそ、役所広司の演技を最大限に引き立てたと思う。目が、平山さんから離れなかった。
(ロードムービーのように繰り返される日常から長〜い人生を感じさせるのも、また監督ならではのプレゼントかも。
素敵な平山さんだった。
現代のひらやまさんには家族がいなかった。小津のどの映画の登場人物とも違い、一人で生きている。けど、彼は決して不幸ではない。自力で生きていて他人には寛大で思いやりがあり、自分には素直で可愛かった。
こんな素敵な人間になりたかった。(なりましょう)
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概ね良いかと思いますが…
絶対に日本人ではとれない感覚の映画かと
観る人の年齢や住んでいる環境、東京か田舎か
また人生観で評価は180度変わるかと思います。
わたしは自販機での飲み物を毎日買うシーン。
姪の女性がでてくるシーン、妹さんとの会話シーンは良いですね。
ただ、後半の三浦友和さんがでてる飲み屋から
橋での会話シーンは賛否がわかれるかと思いますね。
あそこから映画がかわりました。
私は、ない方が良かったかとも思いますが
どうでしょう?
ただ、絶対に見たほうがいい映画かと思いますね。
木漏れ日ムービー
物凄く大胆な脚本だと思いました。セリフはすごく少ないし、説明的なものも無い。
ただ淡々とトイレ清掃員の平山のルーティンや日常と些細な出来事(観るものにとっては)を映し出す。
いったい平山はどのような人生を歩んできたのか、観るものの想像に委ねられている。ただ、たくさんの細やかなヒントはあるので想像するのが面白いという映画。
こういう映画は集中できる映画館で鑑賞しないときっと面白くないのではないか。
けして金銭的には裕福な暮らしではない中で、木漏れ日のようなささやかな幸せや気づきを見つける平山を見事に演じている役所広司さん。カンヌ映画祭の男優賞は納得です。
<1/9追記>
鑑賞から二日たちますが、まだこの映画についてあ~だこ~だと考察している自分がいます。
こんなに引きずることができるこの作品はスゴい!
ということで☆4.5から、5.0に変更させていただきました。
ふと見上げてみよう
日々の小さなことに気づき、生きる糧にしていく
セクシー田中さんが浮かんだ方が私以外にもいて
シンパシー
他の方のレビューを見てなるほど、
確かに料理はせんのやな
「清貧」や「慎ましさ」という目で見ると
違和感があるのもわかるが、
料理シーンがあるとほっこりして
違う映画になってしまいそうだ
まあ前職での貯えなどがあるのでしょう
古いアパートには住んでみたかったとか
(棚とか植物用ライトにこだわりを感じる)
平穏が続くと急に人不足で帰りが遅くなる感じや、
1人用の家に人がいると活気づくけど窮屈でもある感じ
(窮屈は物理的に表現されていた)
あるあるだな〜と思い観ていました。
良く言えば静かな映画
特に事件が起きるわけでも、何かが解決するわけでも、だれかが成長するわけでも、伏線が回収されるわけでもない。
厳密にいえば事件が起きたり何かが解決したりだれかが成長しているのかもしれないが、観ている人間の想像力に委ねられる部分が大きい。
ここから何かが始まるのかな? と思わせておいて特に何も始まらなかったり、あとあと関係してくる人間かと思いきやその場限りの人物だったり、ルーティーン動画とか「かもめ食堂」を観たあとのような気分になった。
役所さんの演技をじっくり堪能したい人には良いかもしれない。
個人的な感想では役所さんはスマートでナイスダンディすぎるので、もっと苦み走った芝居のできる醜男で不器用そうな俳優ならもっとハマった気もする。
昭和の雰囲気がする主人公の住居や、淡々と過ぎていくささやかな日常を眺めるのは好きだが、映画館で観るほどではないかなと思ってしまった。
でも自宅のテレビで、大きなイベントのない映画を集中してみるのは難しい気もする。
役所広司で120分
トイレ清掃員の日常
“このまま変わらなければ良いのに”
“変わらないものなんてない”
同じ毎日の繰り返しの様でいて、そうでない
自分の毎日はどうだろうか?
このままただ死に向かい
生きているだけなのではと思う日もあるけれど
ほんの細やかな変化があって
他人から見たら興味深いものなのかも
時間
ラストシーンが秀逸だった。
人は喜怒哀楽を、いつも露わにして生きてはいない。何気ない日常にさざなみがたったとき、ちょっと笑ったり、ちょっと哀しんだり、ちょっと怒ったりするものなのかもしれない。それがないまぜになったりするのかも…。
誰もが何気ない日常を生きていて、そこにさざなみがたつ一瞬がある。その繰り返しなのかも知れない。そこに善や悪はなく、ただ時間が流れている。
「前」も「今」も「今度」も、その流れの中にある。
日常が永遠に続く訳ではない⁈
驚くような事件は何も起こらないのだが、とても心に沁みる作品。やっぱりコロナ禍を経験した後だからこそか? (作品の企画、キッカケは2018年だったようですが…)
役所さんが演じる、淡々とルーチンな日々を送る公衆トイレ清掃員の平山。朝イチの缶コーヒーとカーステのカセットで流すお気に入りの音楽で一日のスイッチを入れ、黙々と清掃作業をこなし、ランチ休憩の境内で木漏れ日を写真に収め、銭湯の一番風呂に感謝し、その後に寄る安居酒屋での一杯に至福の表情を滲ませる。そして、アパートで好きな本を読みながら、せんべい布団で寝落ちする毎日。
そんな日々の中の些細な幸せ。偶然発見したまるバツゲームにちゃめっ気を出し、ホームレスのダンスに感嘆し、木の芽を見つけて大事に持ち帰り慈しむ。
この毎日こそが、パーフェクトデイズだった⁈
ところが、小波のように、同僚の若者が絡んだ小さないざこざがあったり、裕福な実妹の娘が家出して安アパートに訪ねてきたり、休日(休日だけ、腕時計する)のルーチンではあるが平山にはハレの空間の小料理屋の女将と元夫の再会に出くわす、なんて事が起きて…
それらが、平山の日常、そして感情を大きく揺さぶった事を、ラストに役所さんの素晴らしい表情の変化だけで描く。本当に見事なシーンでした。
でも、平山はその後またパーフェクトデイズに帰って行くのでしょう。
女将が常連客のギターに合わせて歌う曲、運転中や休日のアパートでカセットから流れる楽曲がどれも素晴らしかった! あと、浅草やきそば福ちゃん、久々に行きたくなりました!
新年早々に良い作品に出会えて感謝です。
全852件中、421~440件目を表示