PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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完璧な一日はきっとどこまでも小さな光が見えるそんな日
この前予約した日を勘違いしてしまって行けなかったので今日は間違えずに行ってきましたw
ヴィム・ヴェンダース作品をロードショー期間中に映画館で見るのは初。
前評判なども気にしつつ映画館に入る。
ドキドキしながら映画が始まる。
冒頭数分でなんだかわからない気持ちになり泣き出してしまった。
この気分は一体なんなんでしょう?
主人公が住んでいる場所が家の近所という事もあったかもしれないです。
そういった親近感にホロッときたのかもしれません。
でもそれだけじゃない。音楽が好きな音楽だったということもあるかもしれない。それもあるでしょう。けれど、本当にそれだけじゃない。あそこにいる役所広司さんのいる部屋。あれはうちの部屋なんじゃないかと錯覚させるような。あの車に乗った自分が本当は自分なんじゃないかと思ってしまうような錯覚を与えるようなそんな寡黙な主人公に寄ったカメラワーク。映画全体を決めるその景色の佇まい。
本当に完璧でした。
オープニングだけでご飯が100杯くらい食べられそうです。
この映画はストーリーとしては何もない映画です。
ネタバレということもないでしょう。
おじいさんがトイレの清掃を毎日やっているというだけの映画です。
ただ、主人公のおじいちゃんの所作をずっと丁寧に見るだけの映画です。
そのためにこの映画は存在していると言っていい。
そんなやついるかよ。って思うかもしれないけれど、世の中にはいるんだよ。
ちゃんとこういうおじいちゃんいるんだよ。
そんなことを思いました。
この映画で色んな人が色んなことを考えるでしょう。
本当にいい映画です。ありがとうございました。
他人は違う世界の住人
平日、休日問わず、ルーティン通りの生活を送る主人公。傍から見ると単調な生活に見えるものの、主人公は生活の中の何気ない変化に気づき、それを楽しむようにして生きている。
作中前半はこのことを説明するためか展開に大きな変化はない。作中後半に、主人公を取り巻く人物達にそれぞれ変化が起こり、主人公のルーティンもその影響を受けていく。
作中のセリフにあるように、本作は、人はそれぞれ違う世界に住んでいる前提でつくられている。影を重なると重なった部分が濃くなるように、それぞれの世界が交錯することによって互いに影響を与えていく。また、木漏日が同じ模様にならないように、交錯する世界の組み合わせや比率も常に変化する。
主人公は一見すると自分の世界を確立して揺るがないように見える。しかし、終盤の車を運転する主人公の表情が長時間写し出されるシーンでは、主人公も他の世界から影響を受けていることが描かれているように感じた。
清掃員の日常
知足按分
平山の寡黙
平山が意識的にコミュニケーションを拒絶しているわけではないでしょう。
トイレの中で迷子の子供を見つけた時に、「どうした?」と声をかけます。手を引いて出ると子供の母親は清掃員の姿に子供が繋いでいた手を拭き、一言の礼も言わずに立ち去ります。コミュニケーションを拒絶しているのは平山ではなく、明らかに清掃員を見下した母親の方です。子供は平山に手を振り、平山も子供に手を振ります。二人の間には言葉を交さなくてもコミュニケーションが成立しています。
無駄口を叩いて仕事がおろそかなタカシに対して質問には答えませんが、仕事をしている時は「やれば出来るじやないか」と平山から声をかけます。
サンドウィッチを食べる時、隣で食べているOLに対して平山の眼は笑っています。OLから挨拶されれば、平山は返すと思います。拒絶する目つきではありません。お互いに恥ずかしいので言葉は交わしませんが、拒絶している訳ではありません。
宮司に対しても眼で断ってから新芽を持ち帰ります。暗黙の了解があります。
平山が言葉を発していなくても、コミュニケーションを拒絶している訳ではありません。
あくまで私の考えで、映画を観て感じる事はそれぞれなので自由ですけど。
カミさんが「PERFECT DAYS」を観たいと言うので一緒に日比谷シヤンテへ。私は暮れに観ているので2回目。
❢2回目で気付いた事❢
◯隣の部屋の植物育成用のランプは夜中も仕事で出かける時も点けたまま。
◯アパートの前の自販機は100円自販機。平山はコイン1枚しか入れない。
◯自販機は上段がペプシやCCレモンで、下段がBOSS。一番左がコーヒーで次がカフェオレ(缶の色)。ダイハツの運転席のカップホルダーに入れる時に見える缶の色がカフェオレの色。いつもカフェオレ買っている(ように見える)。平山の生活パターンからもいつも同じ缶。
◯猫を抱いている研ナオコの出番は1秒弱!?
◯姪のニコが乗っている自転車はどうした?
(TVでスカイツリー周辺には自転車のレンタル店が多いと言う情報有り。借りたか)
◯いつも缶を1つしか買わない平山が、思い直したように2つ目を買う。代わりにシフトに入った佐藤(安藤玉恵)に渡すためか?(渡すカットは無いが、自分で飲むカットもない)
◯銭湯が3時に開場なら平山は銭湯に1時間以上いる。相撲を観ている(取組は阿武咲)。
◯平山が酒とピースを買うのはLAWSON。
◯平山の見るモノクロの夢(?)はその日の出来事。
❢気付いた訳ではなく、1回目の後で知った事❢
◯パトリシア・ハイスミス「11の物語」ビクターは母親を殺す。(ニコのセリフに「私、このままじやビクターになっちゃうよ」)
◯パトリシア・ハイスミスは「太陽がいっぱい」の原作者。
◯平山が乗っているダイハツ・ハイゼットカーゴは2004年まで純正オーディオにカセットデッキ搭載。
彼が毎日買う缶コーヒーは微糖なのか無糖なのか?
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ヴェンダースが日本映画として残したかった世界は、木造アパート 布団と畳 箒の音 カセットテープ 文庫本 写真フイルム 缶コーヒー 銭湯 ガード下の飲み屋などアナログなアイテムに囲まれて毎日を繰り返す…昭和を生きた僕らには懐かしくも楽しい世界
でも彼の前の未来は閉ざされているし人生は繰り返さない
ラスト近くの長いアップが苦めのヴェンダース作品
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個人的には三浦友和がよかったです
結局わからないまま終わるんだよなという彼のつぶやきが一番の名場面かも
神は細部に宿る、という生き方
私たちにとって「完璧な日」とは?職場で昇進する、恋が成就する、欲しかった物が手に入る…それは大抵、何か特別なことが起こった単体の「一日」として想像されるだろう。しかしこの映画のタイトルは違う。PERFECT DAYS、それは複数形の「完璧な日々」を意味している。
トイレ清掃員の平山の生活は、一見単調でつまらない。毎日同じ場所で同じ業務をひとり繰り返し、低給独身ゆえの慎ましい生活を送るだけ。そんな彼に憐れみの目を向ける人も少なくない。
しかし、彼の目を通した世界は変化と刺激に溢れている。車で流すレコード、公園の四季模様、街中の人間模様、毎晩のお供の小説、そうした些細なことに彼は心を注いでいるから。映画の最後、「木漏れ日」という日本語特有の表現が紹介される。太陽から木の葉を通して地面に映し出される光と影は、絶え間ないダンスを続け、二度と同じ文様を見せることはない。世界とは、実はそれほどまでに贅沢で底知れないものだ。しかし、私たちはいつしかそれから目を背け、数字とスクリーンを凝視するだけになってしまっていたのではないか。
作中では様々なヒューマンドラマが差し挟まるものの、どれも曖昧に流されていく。起承転結もなければ、伏線と思われたものが回収されることもない。しかし、実際人生で遭遇する物事なんて大抵はよく分からないまま過ぎ去っていくものだ。そんなところも含めて、革新的なほどに「平凡」を極めた内容の映画だった。
役所広司が可愛い
「すばらしき世界」へのアンチテーゼ
タイトル通り、完璧な日々を描いた映画
正方形に切り取られた美しい東京の風景。
カセットテープから流れる選りすぐりの音楽。
規則正しく繰り返され、
ささやかなようで、金銭的な価値を越えた、ある種の贅沢な楽しみで満たされた生活。
主人公によって見い出され、毎日磨き上げられた選りすぐりの大切な宝物たちを見せてもらうだけでも、価値のある映画だと思う。
主人公の楽しみのひとつ、自分で撮ったフィルムカメラから定期的に現像される写真の紙焼き。
全部を残すのかと思ったら、
気に入ったものは残し、気に入らないものは破っていた。
一見穏やかそうな主人公だが、気に入らない写真は破り捨ててしまうように、厳しい審美眼で、自分にとっての必要なものを選びとってきていることを垣間見て、
自分が心地よく生きていくには、自分にとっての本当に必要なものを選んで、そうでないものは捨てる覚悟がいるのだと言われている気がした。
映画のラスト、朝の出勤中の車中で流した音楽に涙する主人公。休みの日でもない、帰りの夕暮れ時でもない、いまから仕事に向かっている最中に涙を流す感受性を持ち合わせている。彼にとって仕事はその程度のものである。
その領域に達している主人公は神々しいほどに完璧である。
いまはいま
人生に達成すべきゴールや意味を見い出そうとしなくても、毎日少しずつ違う日常を実直に生き、新しい朝を迎えることを喜ぶ。そんな主人公の姿を輝かしく描いている。
主人公の日々と同様に、映画自体もエピソードを反復し重ね合わせながら、そのずれを「こもれび」と形容する。大きな山や谷はなくても、小さな起伏がストーリーになっている(できれば冬の日も見たかった)。
音楽と共に流れるように東京を切り取る車のシーン、躍動する自転車のシーンの繰り返しが、ストイックな仕事ぶりとの対比で心地よく感じた。あと銭湯!
役所広司は本当に実在感がすごい。カンヌでもっと世界に知られていほしい。
一人の生き方を追体験できる作品
現代版の晴耕雨読的生き方
ゴマンと転がる知り得ぬ物語へ
一番のドラマであろう主人公の背景に何があり、
今ここに至っているのか、が描かれることなく物語は進む。
主人公の過去を切り離すことと、
訪れる毎朝と、その度にリセットされたように繰り返される日々は、
過去も未来も関係ない「今ここ」の大切さ、尊さを印象付けているように感じられてならなかった。
むしろそうして収斂することで、ある意味閉じることで、
研ぎ澄まされる感覚の豊かさと、だからこそ「豊かさが完璧な日々」に思い馳せる。
ゆえに主人公に訪れる些細だろうと見逃せない様々な出来事はなんとも美しい。
それは言葉を交わさぬ人との間で起ころうと、
毎日、顔を合わせる間柄で起ころうと、
突然、初めて向き合うことになったとしても。
こんな感覚野のレンズから世界をのぞけるのは、子供の頃だけ?
(知性がたりないから同じにはならないけれど)
対峙したときの主人公のありようを見て、想像せずにおれない過去はなお深く重みを増し、
しかし何ら具体的に解き明かされることがないなら、
何もわからないままおわってゆくんだなぁ、と呟いたクライマックスの三浦さんの台詞がひどく染みた。
そのとおり、描かれることのない主人公の過去のように、日の目を見る事のないトイレ掃除のように、主人公の毎日に彩りを与えるささやかな出来事も、
同時多発と世の中でゴマンと起きているに違いないが、そのほとんどは知らぬ間に、知られぬままに過ぎ去って行く物事だ。そして自身もまた他者から見ればその一つに過ぎない。
けれど、だから、今ここにしかない、わたしだけの日々を生きることができる。
寂しくもだからこそ力強い、強さの向こうから沸き起こる、見えざる希望にじわじわやられた1本だった。
劇中歌がまたよい!
歌詞は絶対に物語と連動していると思えたので、和訳の字幕があった方がよかったのでは。などと振り返りもする。
あと、ところどころ大笑いしてしまったのだが、わたしだけか?
たとえばラスト、川べりでどちらもむせまくるくだり、とか。
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