PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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生き続けていないといけない
「Perfect Days」を昨日見ました。物語は年上の男性を中心に、普通で平凡、そして貧乏な生活を描いています。主人公は微笑みながらも、瞳に涙をためています。楽しいのか悲しいのか、よくわからない感情が漂います。映画館では左右から小さな泣き声が聞こえましたが、自分はあまり悲しさを感じませんでした。しかし、今日は頭の中に、この映画のストーリーがずっと残っています。一人のところが、自分が満足の生活を生き続けていないといけないと感じました。
人生は顔に出る
ストーリーは地味、登場人物の所作も日本人には照れ臭い。しかし映像は美しく、「ささやかな幸せを噛み締めて生きる日本人の日常」を見る眼差しはあたたかい。
何より大画面で見る役所広司の顔!
人生は顔に出る。自分もそうありたい。
トイレだから、ではなく描き方がくさい
一時間で終わる夜ドラマだったら許容できる題材か、と思えてならない。主人公をその程度、と軽く見ているのではない。作品として、2時間使ってるけれども、一時間でよくないか?そういう意味。トイレ清掃の男の生活を描きながら東京の様々なトイレを紹介している。後半に入れ込まれた思わせぶりに素性を想像させるシーンなど、不要。そのシーンのせいで、まともな世界(どんな世界だ?)とトイレ清掃生活をオルタナティブ扱いしてしまった。まったくもって、思い出すとどうにもならない鼻持ちならなさが鼻につくのだが、高評価が多いのはみなさんわりと幸せなのかな。しかも、ラストシーンのニーナ・シモン。これで終わったらちょっと怒りが湧くかも? と思って見ていたら終わってしまい、私は悲しかった。ニーナ・シモン使うなら「I put a spell on you」を絶妙に使ったヴィトンのCMほうがはるかにセンスが新しいと感じただけに。。。あーやだやだ。見なけりゃよかった。いや、姪っ子とチャリンコのランデブーシーンとか、行きつけスナックママの元夫との影踏みなど、とてもいい。いいところはたくさんあった。が全体としては、期待したぶん反動で評価、低いです。あと、この映画を支持してしまう人の多さ!!政治・生活が良くならない理由がわかりました。
映画の魔法
はじめから見始めたものが積み重なっていって、
最後の役所広司の表情にやはりやられてしまった。
観る人それぞれが自分だけの思いを巡らす、自分だけの思いを爆発させることが出来る。
こんなことは映画にしか出来ない。
加瀬亮は映画による魔法に魅せられて、この一部になりたいなんて言ってた気がする。
はじめから終わりまで、まさに魔法だ。
人として生きて来れて良かったかなって思えた。
自分の老後の人生に
一人の老後の人生があるならばこんな風に穏やかに過ごしたい。日常のルーティンをこなすことだけで充実と幸せを感じられる生活。そのためには健康は大事、それと多少の貯えと年金。大切なものを教わりました。それにしても公衆トイレが立派過ぎて公衆トイレ巡りがしたくなりました、してる人きっといますよね、これ観て。カセットから流れる洋楽がまた良かったです。
音楽を聴くように映画を感性で見つめて楽しむ映像随筆
小津映画を信奉するドイツの巨匠ヴィム・ヴェンダース監督が、東京に住むある一人の中年男性の日常を終始静謐なタッチで綴った映像随筆。その主人公平山さんを演じたのが、今の日本映画界では名実共に最高の名優である役所広司です。この小津タッチのドイツ人監督と役者役所広司の貴重な出会いが、これまでの日本映画にない独特な感性によって、観る者に想像力を掻き立てさせ、“観て感じる”映画の本質を味わわせる逸品を作り上げました。
(と言いながら、ヴェンダース作品を真面に鑑賞するのは今回が初めて、それに役所広司の演技も映画では初期の「タンポポ」「Shall we ダンス?」そして「それでもボクはやってない」でしか観ていない)
何故このふたりのめぐり合わせが出来たのかと調べると、[THE TOKYO TOILET]プロジェクトという渋谷区の公共トイレの刷新と宣伝を兼ねた短編映画制作が切っ掛けという意外なものでした。しかも、それをヴェンダース監督に依頼したことが驚きであるし、快く引き受けたことにも更にビックリと、題材を想うと言わざるを得ません。偏に小津監督と日本的情緒を愛する故のヴェンダース監督の日本愛と思います。更に「Shall we ダンス?」の演技を高く評価していたヴェンダース監督が役所広司を信頼し、この映画の演出をしたことは、作品を観れば分かります。特にラストカットを平山さんの表情だけで捉えたエンディングの演出です。役所広司の素晴らしい演技で締めくくったヴェンダース監督の、平山さんと言う日本人への敬愛の念があって生まれたラストシーンでした。
しかし、この映画は平山さんの過去について何も説明がありません。トイレの清掃作業員の仕事を丁寧に黙々とこなす現在の僅か数日のルーティンが描かれているだけで、幾人かの登場人物が絡んできても平山さんの過去は深掘りされません。僅かに田舎から姪が家出して来て質素なアパートに転がり込んで日常が変化しても、謎は深まるだけです。母親が運転手付きの高級車で迎えに現れて、平山さんとはかけ離れた裕福な生活をしていることが分かる程度の説明シーンでした。確かに生活に困って今の仕事をしているようには見えないし、暗い過去を抱えている様にも見えない。毎日が単純かも知れないが、自分にとって最小限必要なもの、好きで愛しているものに囲まれて、充実した日常に満足している。それが洋楽を昔のカセットテープで聴くこと、安い文庫本で小説を読むこと、小さな木を愛でること、仕事が終わった後の銭湯と独り居酒屋で飲むお酒を楽しみに生きている。まるで俗世間から逃避したようでいて、仕事は多くの人が出入りするトイレ掃除という公共の場所で、人と関わることが嫌ではないが、余計なことは言いたくない。ただ誰からも仕事を褒められることが無くても、完璧に奇麗にすることに誇りと自信をもって取り組んでいる。こんな平山さんが東京にいるだろう。
ヴェンダース監督のこの視点は、今多くの外国人が東京を訪れて感じるカルチャーショックと同じです。それは日本人の誠実さと街の奇麗さにあります。誠実さは、他人との距離を保ちつつ迷惑を掛けずお互いに尊重すること。街の綺麗さは、ゴミ箱がないのにゴミが落ちていないことと、公共トイレまで綺麗なトイレが無料で利用できること。そして日本語の難しさと美しさ。この映画で扱われる(木漏れ日)という言葉を外国語に訳すと単語が幾つも必要となり、その表現の言葉の多様性に驚くといいます。そして、この木漏れ日と枝葉の影を昔のフィルムカメラでファインダーを覗かずシャッターを切る平山さん唯一の贅沢でオタク的趣味が凄い。出来上がった写真を一瞬にして判別し、気に入らないものを即座に破り捨てる。押し入れの中には何年も撮り貯めたものが整理され保管されています。このこだわりの深さ。
この映画の楽しみ方で私が追いつけないのが、車中で流れる洋楽の選曲の意味合いでした。流石に「朝日のあたる家」は知っていても、その他が分からない。そして昔のカセットテープが高額で取引されることにも驚きました。LPレコードが蒐集家に根強く人気があることは承知していましたが、古くなれば伸びきってしまうテープが今も価値があるのかと。デジタル録音の解析度の高いクールな音とは違って、アナログ録音の温かみのある音楽はクラシック音楽に限らず良いものがあるのですね。この音楽が平山さんの心の内を反映させているのではと、聴き入り魅了されましたが、深くは理解できませんでした。
外国の監督から見えた東京の中の日本的な美しさと、余計なものを削ぎ落した平山さんという日本人の日常から想像した人生の生き甲斐を表現したユニークな映画でした。ルーティンの繰り返しのような日常にある変化を、まるで音楽の流れのように描いた映像の詩的な表現は、観る人の想像に委ねた面白さです。音楽同様、感性で観る映像詩でした。撮影フランツ・ラスティグの映像が素晴らしい。自転車の影を撮ったアングルからティルトアップしたショットがいい。
『禅』
この映画を鑑賞して真っ先に思い出したのは、禅宗のご住職から教えを受けた『感応道交』『日日是好日』でした。特に『日日是好日』はこの作品で非常に丁寧に表現されているなぁと感じました。
ご住職曰く『日日是好日』とは「人生は一期一会清濁併せ呑む気持ちで生きていかなくてはならない」というものでした。
平山も毎日同じルーティンで生活をしており非常にシンプル(後述)である。
一見すると素敵な生活にみえる。
平山の行く所は、いつも同じ場所であり、銭湯、クリーニング屋、一杯飲み屋、カメラ屋、居酒屋などである。どの店でも常連客なのだがそれぞれとの関係は希薄であるように見受けられる。
しかし快適そうに見える独り暮らしでもどこか人恋しさがあるようだ。
女の子に突然キスされて動揺したり、姪の訪問で驚きつつも受け入れたり、妹にハグしたり…
清掃員の相方が急に辞めると言い出した時もシフトがどうとかよりも、寂しさがあったのではないかなぁと思いました。ホームレスの人との関係もそう。
やはり人間は世の中から目をそむけては、生きていけないし皆それがわかっています。
今作の役所広司さんは言葉で発する台詞は少なかったものの、表情や行動で感情を表現しておられたので、とても心地よく鑑賞させていただきました。
最後に私見ですが、『シンプル』という言葉は簡易なものの積み重ねによるものではなくて、膨大な量の問題を山積みにしてそこからそぎおとして凝縮した後に生み出されるものだと思います。
劇中の平山も大きな問題から今の生活を手にしたのだと思いました。
何気ない生活って楽しいんだ
トイレ掃除を職業とする一人のおじさん、平山のなんてことのない日常を描いた作品。大きな事件に巻き込まれたり、ドラマチックな状況に平山が巻き込まれて何かをするか、というとそうではなく、ただただ生活をじっくり見るという作品だ。
そう聞くと全く面白くなさそうに聞こえるかもしれない。実際平山の生活は、毎日同じようでルーティンのように見える。それでもなんだか面白い、という感想にさせるのがこの映画だ。
注目すべき点の一つは「音」だろう。カセットテープがキーになっている(教養がなくて私はほとんど知らなかった)一方で、生活のシーンではほぼBGMがない。BGMの代わりに彩り豊かな生活音が心地よい。平山が目を覚ませる竹箒で掃く音、霧吹きで植物に水をやる音、髭剃り、ハサミ、歯磨き、自販機のコーヒーが出る音、トイレを掃除する音、カメラのフィルムを出し入れする音、やかんを置く音や救急車の音などもアクセントになっていた。
もう一つは「表情」だ。平山はほとんど声を出すことがない。その代わりに豊かな表情を見せる。いろいろな種類の笑いを見せる。困った顔や怒った顔、泣きそうな顔も見せる。(役所広司の表情を見ているとトムハンクスの表情豊かな演技を思い出した。) ニーナ・シモンのFeeling GoodがBGMに流れるラストの平山の表情は圧巻だ。
終盤に説明的に出てくる木漏れ日がこの映画の、いや私たちの生活のメタファーになっていると思う。一見いつも同じような一つのものに見えても、その一瞬一瞬で違う木漏れ日なのだ。
大人になって落ち着いた私たちの生活も、毎日同じようにみえることもある、でもそれは実は一つ一つ違っているのだ。一つ一つの人とのやりとりや、細かな変化、それは十分面白く楽しいものなのだ。
何でも無いようなことが…
役所広司が賞を取ったとのことで、拝見(個人的には佐藤浩市も好きなんですけど…)
まず、東京のトイレ🚻のデザインや見た目に唖然 大阪では考えられない…流石に若者が憧れるだけあるな〰️と思う反面、こんなトイレ🚻ばかりな訳なイヤンと突っ込みなくなったのは僕だけかな?
最後まで分かりにくい内容ではあったが、役所広司は良いところのボンボンだったが、長男といった重圧に負けて今があるのだと思う 介護状況になった父とも会えない(会いたくない)くらいのトラウマを抱えながらも、生きていくことに自分ながらの楽しみ(○❌や影踏みは見ていてほのぼの)を見出だしながら、世間とも付き合って向き合って生きている環境を羨ましくも思えた
昨日八代亜紀が亡くなり、石川さゆりが出ていたことにも…
最後の涙は何を思っての涙だったのか…父を思って?人と人との繋がりの大切さを感じて?考えてみよ😌
きっと役所広司が演じた役はAA型だと思う😏
丁寧な生活
私が将来したい生活そのまんまだったな
ただこれは男がやってるから感じられる渋さであり、女(オバサン)がこれをやると哀愁漂って閉まってしょうがない。
これ最後の涙って習慣的な生活に満足だと思わせながら日々は変わりゆき人間関係においての悲しみやトイレ掃除という職業、孤独な人生が結局は本人も嫌気がさしていて爆発したってことなの?
結局人を満たせるのは他人だな
225 映画の作り方においてあらためて感嘆
ドイツの名匠ビム・ベンダース って方は
全く存じ上げなかったのですが
コメント映像を見るに
あー監督というのはここまで考えて映画を撮っているのか、と
敬意を表します。
監督が考えていた主人公の過去だけでも充分映画になると思うが
まずは毎日変わらない日常である2日間の出来事を
上映1時間かけて映し出す。アングルもほぼ同じ。
3日目からは少しアングルに変化をつけているが
これだけ同じ出来事が続くも全く眠気を感じさせないのは
どういうこっちゃ!?
終盤ノイズが入り流れが壊れるのかな?と思わせて
実はそれもかなわない。
もちろん役所広司の演技力あっての展開なのだが
演技力の範疇を超えていますな。
リアルではなくナチュラル。
アクターズスクールの教えを具現化する。
これだけ人間を映し出すといつもなら涙腺を刺激するのですが
そんなこともなく、しかし爽やかだった、と。
今日一日普段通りに生きることが出来てありがとう、と。
これは記憶に残りますわ
80点
ユナイテッドシネマ大津
劇中に流れる60年代の米音楽ってほとんど知らないんだよな~
我々が知っている70~80年代の音楽も
若い子が聞けば新鮮だと思います。
あー音楽もブリッジしかなかったですね。
本当に役所広司だけでもたした感があります。
にしても柄本時生 クズ男冴えてますわ。
表情で紡ぐ物語
久しぶりの「余韻を味わう映画」でした。
内容については他のレビュアーの方々が触れていらっしゃるので割愛しますが、台詞があると逆に違和感を感じてしまう程の画力に満ちた映画です。
主人公の「平山」はじめ、登場人物の繊細な表情で物語は進んでいきます。
その表情に対して何を思うかは観る者次第。
観客それぞれのバックボーンで異なるストーリーが生まれる映画だと感じました。
ラスト、ニーナ・シモンの「FEELING GOOD」が流れますが、そこにはタイトルにあるようなハッピーさは微塵も感じられません。
平山の日々の喜びの背景には、複雑に入り混じった怒りや恨みがあるのだと思います。
そのような感情のうねりを的確に表現したベストな選曲でした。
もちろん、他の挿入歌も素晴らしかったのですが、その中でもひとつ抜けていた気がします。
平山の表情とも相まって。
人々の記憶に永遠に留まり続けるであろうこの作品を、世に送り出していただいたスタッフ・キャストの皆さんに、感謝の念しかありません。
平凡な日常の幸せ
ヴィム・ヴェンダース監督で役所広司がカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞受賞ということで観たいと思っていた映画、本日鑑賞して参りました。
役所広司演じる平山のトイレ清掃員としての日常が淡々と描かれているのですが、なんだかとても心地良い映画でした。
早朝、近所の掃き掃除の音で目覚め、ふとんをたたみ、歯を磨き、ひげをそり、自販機でコーヒーを買って車に乗り込み仕事場である公園のトイレに向かう。車内ではお気に入りのカセットテープを聞く。平山のルーティーンである。
トイレをきれいにするために一生懸命働き、昼は木漏れ日の見えるお気に入りの木の側でサンドイッチを頬張り、仕事が終わると銭湯で汗を流し、馴染みの店で晩酌を楽しみ、寝る前に文庫本を読む。
趣味といえば、フィルムカメラで写真を撮ること、実生苗を持ち帰って育てること、古本屋で文庫本を買うこと。
すごく質素な生活に見えるが平山にはそれで十分なのである。Perfectな日々だ。
音楽はカセットテープで聞く、本は古本、カメラはフィルムカメラ、携帯はガラケー、まるで時代から取り残されたかのようだが、平山には十分満足なのだ。
空を見上げたり、トイレの壁に揺れる影を見たり、木漏れ日を見つめる平山の表情から幸せを感じて生きていることが伝わってくる。
決して人間嫌いという訳ではなく、ただ無口でシャイな部分があるだけで、今を満足して生きている姿に、現代人が忘れかけている大切なものを映画は示唆しているように思える。
ルーティーンの中には日々細かな変化も多々存在する。出来の悪い同僚の若者に振り回されたり、突然裕福な家の姪っ子が家出して転がりこんできたり。密かに想いを寄せるママが男と抱き合っているのを目撃したり。
でも平山にとっては小さな事だ。多少感情は動いても慌てふためいたりせず、まるで真理を悟ったかのような達観した生きざまで一日を終える。
欲というものが平山から感じられない。それは、今生きている生活の中に喜びを見出だして十分幸せに生きているからに他ならない。そんな平山の姿がまぶしかった。
石川さゆりさんもいい仕事をしてましたね。
今年2本目の映画鑑賞でしたが新年早々良い作品に出会えました。
自分と対極にある生活のリアリティ
今時珍しいくらいアナログな暮らしだが、日々完結していて羨ましい。
自分も独り身だったらと思うと、身につまされる。
こんな感情のボラティリティの大きさに耐えられるだろうか。
平凡な日常の繰り返しこそ美しい人生の瞬間がある
美しい。とにかく人生は、生きている事は、貴重で美しいと感じさせてくれる作品だった。
毎日の単調な生活の繰り返しは、決して単調ではなく、木漏れ日のように一つとして同じ瞬間はないのだという事。誰しもが誰かに必要とされているのだという事。優しい。とにかく優しい。
人生を生きる中で、傷ついた事、喜んだこと、全ては今を生きる上で、愛しい記憶の集積だということ。
時には深い悲しみに襲われたとしても、全ては夜明けの朝日につながっている。劇中の音楽が絶妙。
やっぱり1970年代の音楽などの全ての芸術は脈々と今につながっているんだなぁ。偉大なる70年代。
ギクシャクした現代よりはるかに視野が広いし深い。
劇場音声トラブルがあったけど
立川髙島屋シネマで鑑賞。お昼の回が機材トラブルでまさかの中止となり、時間をつぶして15:40の回を観ました。主人公の平山(役所広司)は公衆トイレの清掃を生業としています。質素なルーティンの中で、というよりこのルーティンこそが彼の最も望んだもので、時折空を、もしくは木漏れ日を見上げる眼差しは恍惚にさえ映る。同じことの繰り返しが倍音のように果てしなく広がって、観るものを引き付ける。わずかだけど確かに繋がっている人とのやり取りが、お互いを支えて、人生を豊かにする。
ただ彼は聖人ではない。途中、突然辞めた同僚の穴を埋める為、疲れ、苛立ち、怒りを吐きだしたりします。個人的には、あのエピソードに同じ肉体労働者としてグッと親近感を覚えました。また、今の格差社会の底辺で暮らすものの危うさも垣間見せている。ちょっとしたことで、今の生活が崩れ落ち『ダニエル・ブレイク』に、なるかもしれないということも感じさせてくれた気がします。
中盤から後半にかけて15分くらいだろうか、突然音が消えた。劇場の音声トラブルだったのだが、もう私たち観客は、いつもの移動中に平山のカセットから流れているであろう最高な音楽、居酒屋のおやじのセリフ等もすべて想像できるので、ほとんど違和感がなく、逆にこの方が良いのではとさえ思えた。唯一偶然の上映回を共有している観客皆と、一体感があったような気さえしたのは私だけであろうか。
ルー・リードの曲が由来であろうが、本映画の題名が「シンプル・ライフ」ではなく「パーフェクト・デイズ」という、慈しみと有限さを併せ持っているというのが何とも良くて、パーフェクトだなぁと。ふと何度も思い返す映画の一つとなりました。
裕福な人生を捨てた男の物語
感想をまとめるのが難しく、日常のささやかな積み重ねに感動したとしか言えないので、平山さんの背景について考察します。
読書好きなところや人生に対して孤独な哲学を持っているところからかなりのインテリであり、また60-70年代のロックが好みなところから若い頃はそれなりに人生を謳歌していたことことが読み取れます。
しかし、作中で平山さんの背景に迫るシーンは何といっても妹との対面のシーンでしょう。
妹が持ってきた平山さんの好物である菓子折りは手提げ袋まで専用のしっかりとしたもので、乗ってきた車を運転しているのは旦那かと思いきや運転手です。(スタッフロールにkeiko's driverとありました)
このことから、平山さんはかなりの裕福な出であることがわかります。
直前のシーンでニコに対して「世界は繋がっているようで繋がっていない世界がある」「(妹の)世界と自分の世界は違う」と言っていますが、老人ホームにいる認知症の父親に対するやり取りから見ても、裕福な世界(父親と妹の世界)を拒絶して今の暮らしをしているということです。
つまり、なるべくしてなった人生ではなく、選択した上での人生ということになります。
裕福な世界を捨てた平山さんの世界は何を大切にしているのでしょうか?
作中の最後に木漏れ日についての解説がありましたが、その解説に沿うと、平山さんはおそらく日常の中の"良い"と思える瞬間を大切にしているのでしょう。
散歩をしている人には分かると思いますが、毎日同じ道を通っていても花が咲いていたり鳥が飛んでいたり、魚が群れで泳いでいたりと、たとえ街の道でも結構違いがあるものです。
作品を見返すと木漏れ日を見て微笑むシーンや、ほぼ毎日撮っている友達の木の写真、トイレを使う人達への満足げな笑みなど、同じように見えて違う風景を平山さんは見ているのかもしれません。
そう考えると毎日を惰性で生きているのではなく、常に瞬間を捉えながら生きているとも言えるのではないかと思います。
久々に頭からジーンとなる、本当に良い作品でした。
余談ですが、おそらく平山さんの居住地は江東区の亀戸ですね。作中に箒がけされている神社で亀戸七福神という旗がありモロバレですが、スカイツリーのあの距離感は墨田区民もしくは江東区民には馴染み深い大きさでした。
平山さんの退勤後のルーティンは亀戸から近場の銭湯に向かい、桜橋を通り抜けて浅草のアーケード街で飲んで帰るというもので、自転車で20-30分くらいかければ可能です。
亀戸からなら駒形橋を使って浅草まで行けば近いような気もしますが、映画的な都合を無視すると、平山さんが桜橋からの風景が好きということでしょうか。
隅田川沿いに住んでいればお気に入りの橋は出来るものなので、自転車の行き帰りも楽しみの一部と捉えれば生活圏内といえます。
退勤後はなんだか見慣れた風景ばかりで、この銭湯、絶対に浸かったことある…!と1人感動していたのは内緒です。
人の幸せは人それぞれ
しずかな映画ですが、投入感があります。
・役所さんの時折発する哲学が心に響きます。
・東京のトイレおしゃれ、羨ましいです。(ユニクロ柳井さん凄い!!)
・幸せにもいろいろな形があるんだなと感じます。
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