「全てをもった人のPERFECT DAYS」PERFECT DAYS abokado0329さんの映画レビュー(感想・評価)
全てをもった人のPERFECT DAYS
ヴィム・ヴェンダース監督作品。
30年後の自分をみているような感じだったな…全然ありえる。
ただ「こんなふうに生きていけたなら」と思うぐらいがちょうどよくて、実際にそう生きたら「完璧」なんて思えない。トイレは汚いし、ずっとはいられない。「木漏れ日」に美しさなんて感じない。ヴィム・ヴェンダースが日本を美しいと感じることと同じだと思う。遠い異国を旅行するぐらいが一番美しく感じるんですよ。現にヴェンダースは日本で暮らしてはいない。だからリアリズムではなく、全てをもった(have it all)人の憧憬やノスタルジーとしての「Perfect days」とみるほうがいいと思う。ただ本作が、オリエンタリズムな眼差しで「美しさ」を撮ったとも言いづらいから全否定するのが難しい。「ニホン凄い論」とは全く違う、ヴェンダースの眼差しで現れる「美しさ」。けれどそれもまた別様のオリエンタリズムのような気もするし…いいとは思うんですね…。ただやはり、質素を楽しめるのは富裕者だけだと思うし、「こんなふうに生きろ」と言うなら便所掃除を仕事にしてからいってくれ。
生活に根ざした清貧さを主題にした映画は、何だか批判できない構造に陥っている。
清貧さを理想化し過ぎているとか社会構造に目を向けていないと批判すると、反論が起こる。「お前は清貧さの尊さに気づいてないし、鈍感であれるほど裕福で映画という『芸術』を何も分かっていない禄でもない奴だ」と。〈あなた〉と清貧さの距離の遠さの反論。真っ当のように思える。これが批判できない構造だ。けれど実はそのように反論する人ほど清貧さから最も距離の遠い人だ。だからこそ貧しい者が貧しいままで階級上昇ができず、それ故、貧しいことを美化しようとする富裕者の傲慢さがとても鼻につくのだ。
本作の出資者や宣伝者は、「こんなふうに生きているの?」。そんな疑問の答えは、渋谷のスクランブル交差点に節度もなくでかでかと広告を出している時点でお察しである。そしてこういった態度は「俗にいうつまらない邦画一般」にも言えることだと思う。
人生は何も解決しない。分かり合える家族をもつことはできないし、世界をひっくり返す仕事もできない。だからかりそめの他者と親しくなって貧しいけれど清い生活の美しさを噛み締めればいいのだ。そんな未来のないノスタルジーを抱えるのは、私が78歳のおじいちゃんになってからでよくて、今は未来のあるノスタルジーを信念に生きていたいです。