「PERFECT DAYS は言葉以外で語る物語だった」PERFECT DAYS 稲浦悠馬 いなうらゆうまさんの映画レビュー(感想・評価)
PERFECT DAYS は言葉以外で語る物語だった
「日本・ドイツ合作の映画」という紹介文を見て、完全には日本向けじゃなくて楽しめないかと思って見送っていた。
だが世間で絶賛されていたので見に行った。
結果、ちゃんと日本映画だったし、良い作品だった。
自分の場合、人が絶賛しているほど逆に自分は絶賛したくなくなるので、何も事前知識なしに観たかったとは思った。しかし他の人のレビューなしには映画館に足を運ばなかっただろう。
日常の風景
この映画は男の日常の風景から始まる。最初はセリフは全くない。
冒頭にまったくセリフを入れずにひたすら日常を映し出す映画は案外多い気がする。なので「またこの手法か」と思ったのだが、この映画は無口のレベルが違う。
なんと冒頭10分ぐらい全くセリフがないのだ。
だが途中でこう気づく。男が一言も言葉を言わないのには理由がある。言葉を喋れない障害を持っているのだと。この映画はそういうテーマの作品なのだと。
結果的にはそうではなく、ただ本当に無口なだけだったのだが。
言葉 VS 言葉でないもの
映画の中にはとにかく言葉先行のものがある。言葉の理屈が幅を利かせており、言葉の背景として映像があるかのような作品だ。
だがこの映画の「言葉以外で語る」というやり方は対照的だ。
日本ドイツ合作だという背景もあってこの構成になったのだろうか。
自分の好みとしては、映画の言葉は最小限の方が好きだし、説明的ではない映画の方が優れていると思う。
PERFECT DAYS
一体何がパーフェクトなのか?
主人公の男は清掃員の仕事をしており、トイレをひたすら掃除するのが役目だ。
毎日同じ繰り返しで生きている。同じコーヒーを飲み、同じ居酒屋に行って同じメニューを頼み、同じ銭湯に行って体を洗う。その繰り返しなのだ。
だがありふれた日常の繰り返しの中にこそ「完全」はある。それは自分が生きている世界を愛するということなのだ。
自分の心がけ一つで、この世界に生きているという奇跡を見逃さずに味わえるのではないか。この映画はそう思わせてくれる。