「 一人でも映画を観に行きたいと思うことはほとんどないが、この映画に...」PERFECT DAYS 晴兎さんの映画レビュー(感想・評価)
一人でも映画を観に行きたいと思うことはほとんどないが、この映画に...
一人でも映画を観に行きたいと思うことはほとんどないが、この映画には呼ばれた。まあ、刺さること刺さること。が、この映画の身もふたもない要約をするとなれば、「役所広司がひたすら便所掃除する話」となる。役所扮する「平山さん」の生活は実に単調だ。近所のばばあの掃き掃除の音で目を覚まし、歯を磨き、オンボロ自動販売機でBOSS買って車に乗り込んで出勤する。最近のアニメやゲームに慣れた身からは「あれ、これタイムリープもの?」と訝しむくらい、「ループ感」は強調されている。平山さんの住まいもたいそう古く、昭和が舞台の話だっけと一瞬思うが、通勤経路で毎朝目にするスカイツリーの存在で、現在のストーリーだとようやく確信できるという有様だ。しかしもう、この通勤経路の描写だけでなんか涙が出そうになるんだよな。昭和の面影濃厚な下町から、アーバンな美的センスが張り巡らされる首都高まで、人の暮らしの生々しい香りにむせかえるし、自分のあれこれの記憶も刺激されまくる。
あまりにシンプルな生活に、「この人はこれを体が動かなくなるまで本気で続けるつもりなのだろうか」と心配になるが、自分の暮らしとその違いはいかばかりなのかという疑いも徐々に浮上してきた。組織の中で「やらされ感」のある毎日を送っていると、平山さんの生活はある意味ひじょうに美しく映る。トイレの清掃に実直に取り組む平山さんを、仕事のパートナーであるクズ男・タカシは「どうせ汚れるんですよ」と揶揄する(柄本時生の演じる「足りないけど憎めないクズ」は素晴らしい)。
しかしながら平山さんは幸せそうだ。節目節目でハンドルを握る平山さんの顔面が大写しになるが、私はほぼそこに多幸感を読み取った。彼は間違いなくperfect daysを過ごしている。平山さんは決して変化のなさに安住しているわけではない。むしろ彼は、「全く同じ日が巡ってくるはずはない」という意味のことを作中で何度も口にしており、「ループ」を拒絶している。平山さんの暮らしぶりには富の蓄積の兆しは全く見えない。なのになぜ、この男はこんなに美しく微笑めるのか。
一つにそれは、こんな平山さんでも「与える」ことができていることだろう。クズ男・タカシに女と遊ぶ金を貸してやる。家出してきた姪っ子に豊かな時間といちご牛乳と本を提供してやる。交わることのない異世界に住まう妹を抱きすくめる。末期がんの男に、缶のハイボールを分け、影踏みを提案してやる。決して「持てる者」でないのに、なんと確かな恵みを与えていることか。
もう一つは、彼が音楽を愛し、読書に耽る人間だからなのだろう。彼が車のカセットデッキで聴く音楽も、寝る前に開く本も、トイレ清掃員という仕事の割に異様なハイセンスが覗く。部屋の本棚・カセット棚のラインナップは、それぞれの筋の人が見れば「ほほう」と唸るものだろう。突然変異的なインテリ労働者というのは現実世界にもそれなりに観測されるものだが、こんな平山さんの属性の所以は、ストーリー後半でほんのり説明される。
「人生を豊かにするのは金ではないですよ」とストレートにいってしまえば実につまらないところ、こうして具体的な人間の姿を通してメッセージできることが映像(:広義の文学)の強みということなのでしょう。
あと石川さゆりと田中泯の使い方がずるい。アヤちゃんもニコちゃんも可愛い。