「話す言葉数は少なかったけれど、表情はとても芳醇だった」PERFECT DAYS 八べえさんの映画レビュー(感想・評価)
話す言葉数は少なかったけれど、表情はとても芳醇だった
ヴィム・ヴェンダーズ監督の作品は「パリ・テキサス」に続いて2作品目。
カンヌ金獅子賞受賞作の「パリ・テキサス」の日本公開は1985年だから、僕は19歳、予備校生の頃になる。背伸びをして見た「パリ・テキサス」は、さっぱり良さがわからなかったけれど、ほぼ40年経って見たこの映画は染み入るように伝わってくる映画だった。
役所広司は、この映画でカンヌ最優秀男優賞を受賞した。彼が演じた「平山」という男は確かに存在する、実在する人物のような存在感があった。平山の生い立ちやどうして一人暮らしをしているのか、なぜ今の仕事をしているのか、などはほとんど描かれないまま、彼の日常は存在するように感じた。
私が、平山ともしすれ違うとしたら、どんなシチュエーションなのかわからないけれど、不思議な魅力を漂わせる人物として、気づくことができる大人でありたいなあと思った。
映画は平山の日常を描く。何気ない。朝から始まるルーティーンに基づいた1日を。道を掃く音で目覚め、歯磨きし、BOSSのカフェオレを買い、50年前のロックをカセットから流しながら仕事場へ向かう。
まるで変わらないように映る日々。
もちろん、まるで変わらないわけでもなく、登場人物たちが平山の日常に、「客」として現れていく。変わらない日常のパーツの時もあれば、日常の1日1日をユニークなものとして彩る光源として登場する。
映画のエンドクレジットで紹介される言葉「木漏れ日」。この言葉が日本ならではのユニークなイメージを表現する言葉とは知らなかったが、その言葉の説明として「ほんの一瞬存在する」。一瞬一瞬の光が連なる「木漏れ日」。
平山はその一瞬一瞬の光の連なりを愛していた。
平凡な木々のゆらめきの中にその一瞬の美しさを見つけ、楽しみ、愛した。
彼は同様の美しさを彼の平凡な、変わらない、ルーティーンのような生活の中にきらめく一瞬一瞬の美しさを見つけ、楽しみ、愛しているように感じた。
平山はとても幸せそうに見えた。
持ち物は少なかったけれど、足りないものはなく。
話す言葉数は少なかったけれど、表情はとても芳醇だった。
いい映画だと思った。
40年も経つのだから。
こういった大人の映画も味わるようになったのかもしれないと思った。
さて、一人暮らしの平山の日常だが、ふと思ったことがあった。
彼は料理をしない。
朝食はBOSSのカフェオレ、昼食はサンドイッチとパック牛乳。
夕食は千ベロだろうか。つまみと酎ハイ?(泡がなかったから水割りかな?)
外食というか、自炊ではない。
上手にやりくりをしようとすれば、自炊しないのかなと思いつつ。
そういえば、カップ麺で済ました夕食があったっけ。
共感ありがとうございます。
平山の食生活は考察されておられる通りなんでしょう。千べろには気づきませんでしたが、ご飯や麺を頼んでる様子無かったですしね。元気な内はいいですが、体ヤバそうな感じがしますね。