「生活と労働、そして音楽は生きる悦び。」PERFECT DAYS YOKOさんの映画レビュー(感想・評価)
生活と労働、そして音楽は生きる悦び。
「何を幸せと感じるか?それはとても個人的なこと」そうヴェンダース監督、そして平山さんから教えられたような気持ちです。
主人公の平山さんは、親が期待したエリートの道から外れたようだ。道を外れた平山さんは、ひとつひとつ自分の胸に確かめながら、生活と労働を形づくってきた。仕事に欠かせないのは、現場への行き帰り、車の中で好きな音楽を聴くこと。 複雑な組織の人間関係から離れ、ひとり黙々と打ち込める仕事は、平山さんに合っている。汚れたトイレがきれいになれば、達成感もきっとある。嫌なことがあっても、木漏れ陽を見上げれば気持ちが晴れることにも、平山さんは気づいた。
生活の場は下町にある古い風呂なしアパート。家賃、4万ほどだろうか? 夜明けとともに目覚め、身支度し、自販機で飲み物を買って仕事へ出かける。仕事の帰りに銭湯で汗を流し、居酒屋で一杯かたむけながら、お腹を満たす。趣味は、自然に芽吹いた木の苗を持ち帰り、育てること。ぐっときた瞬間の写真を撮り、紙焼きした写真をストックすること。憧れのママがいるスナックでときどきお酒を飲み、ママの歌に触れること。古本屋で買った本を、寝る前に読むこと。
そんな繰り返しの日々を泡立たせるのは、いつも人間。木漏れ陽がそうであるように、毎日も二度とない瞬間の連続。過去を悔いたり、未来を憂うことなく、平山さんは、今ここにある瞬間を味わっている。時には動揺することもあるけれど、いつだって音楽が救ってくれる。
胸に迫るラストシーン。ニーナ・シモンの歌を聴きながら運転する平山さんは、何を見ていただろう? 家族の期待に応えられなかった過去だろうか。蘇った記憶に揺さぶられながらも、心の底から「これでいい」と、平山さんは感じているようだった。
映画館で席に座る前、まわりを見渡したら、初老の方が多かった。わたし自身も、その部類に入る。わたしは主婦で、パートで介護の仕事をしている。このところお金や時間、昔はあった体力さへも減ったと感じる。仕事も生活も「これでいいのか?」と思うことがある。知人の立派な仕事や生活、贅沢な趣味を垣間見ると、落ち込んでしまうこともある。お世辞にも、人間関係の舵取りが上手とは言えない。それなのに、増えすぎたモノや人間関係に、手を焼いている。
けれどこの映画を見て、平山さんに通じる幸せの片鱗が、わたしの暮らしにも散りばめられていることに気づいた。微笑みたくなるような気持ちは感じていたけれど、それが幸せそのものとは認められなかった。
早朝、仕事現場へ自転車で向かい、途中の神社で青空や木々を見上げ、澄んだ水に触れること。高齢の利用者さんと、他愛もないお喋りをしながら笑うこと。若い利用者さんと一緒に童謡を歌う楽しみ。便秘気味の利用者さんが、しっかりウンチしてくれた時の安堵感。
キッチンで音楽を流しながら食器を洗ったり、ベランダの植物を世話すること。洗濯物がパリパリに乾いた時の、お日様の匂い。ごはんや煮物が冬の日差しを浴びて、白い湯気を立ち昇らせている風景。
映画は、平山さんの幸せな日常を映すけれど、平山さん自身は幸せを語らない。人にわかってもらおうとしない。「それでいいの?」と問われても、口ごもるばかり。自分の胸が正直に、それを幸せと感じていればいいのだ。自分なりの労働や生活の幸せの片鱗を、平山さんはこつこつ拾い集めた。そして心から満たされている。
2024年の始まりは、痛ましい災害のニュースに溢れた。沈んだ気持ちの時、この映画に出会い、自然と心が開いた。この映画に対する批判もあるようだ。それもわかる。社会が混乱に陥った時、犠牲を強いられるのは、人々の日常だ。平山さんのささやかな幸せは、いとも簡単にかき消されてしまうだろう。だからこそ、守らなくてはならない。人々の生活に影響を与える立場の人こそ見てほしい。壊さないでほしい。
平山さんという存在が、わたしの心に刻まれたこと。素晴らしい贈り物です。