「素敵に見えるルーティン→抜け出せない生活の繰り返し?」PERFECT DAYS 助六さんの映画レビュー(感想・評価)
素敵に見えるルーティン→抜け出せない生活の繰り返し?
・平山が眠りについた後に表現される深層心理シーンに目👁がサブリミナル的に現れているのに気がついた(多分) 。何を表しているのだろう?実際の目だったり枝が目に見えるような仕掛けだったりブルブルした目玉っぽい何かだったり。
『人からどう見られているか、人をどう見ているか、何を見ているか』かな?(※他人の目を通して世界がどのように見えるか、らしい)
迷子の子供と繋いだ手を母親に拭かれた事のチクッと感。自分は汚いと見られているのか。
「こんな所に住んでるのね、本当にトイレ掃除の仕事してるの?」自分は憐れ?
「金がなきゃ恋もできないのか」憐れに思いお金を渡す。人を憐れに見る?
公園で見かけたホームレスへは微笑ましく見てた平山だが、終盤の駅前で踊っていたホームレスを見かけた時はどういう感情を抱いたのだろうか?後ろの車からクラクションを鳴らされる程に何とも言えない表情で見入ってしまう平山。心配?憐れみ?社会からの孤立?自分はそのホームレスをどう見ているのか?自分も同じ?
その後ラストまでの顔アップ そのうち涙目になる平山。涙の訳が答えられません
(追記:公園では微笑ましく見えたけど、駅前の人混み、つまり社会に混ざったらとたんに異色な存在に見えたのだろうか)
・父と確執があるみたいだけどそれがハッキリわからなかった。平山の影(陰)の要素は?トイレ掃除をどう考えてる?やりがいのある仕事?選べなかったからやってる仕事?ボロアパートではあるけど仕事はあるし銭湯も飲食店もスナックへも行けるし休日も満喫できてるし、どの辺が影なのだろうか。
貧困格差 障害 ルーティンを阻害される煩わしさ いきつけの店が混んでて端の席に座り店主ともあまり話せない
・面白トイレ紹介かと思いきやアーティストがデザインしたプロジェクトだった事を後で知る。(エキセントリックなトイレだなぁ...と思った)
・おじさんがキャッキャして影踏みする 陽の当たらない部分=影=人が抱えてる陰など踏んでしまえ
・挿入歌たちのよさ 挿入歌の歌詞にもひょっとしたら正解があるのかも 後で調べたい
・カセットテープ⇄Spotify 新旧
・光と影の揺らぎ 陽が当たらない部分=影=社会の影部分 ホームレス 弱者 孤立
・重なった影が濃くならないなんて(社会の影部分の弱者が重なっても弱者は弱者のまま)そんな馬鹿な話はないでしょう 平山の望み 懇願
・駅改札の客層キラキラ感⇄ガード下のゴミゴミ感
・早朝の竹箒の音 良さ⇄騒音迷惑 どっちと見るか
・それぞれ違う世界に生きている
・平日は腕時計はいらない
・ゴミをトイレに放置する人間は滅ぶべき
↑これは自分の意見
色々もう少し理解したい
サブタイトルや綺麗な情景と良い音楽と時々みせる笑みで、悲壮感のなさを感じてしまい、穏やかで充実したステキな生活のルーティンに思えてしまったが、後から考えたら ”抜け出せない生活の繰り返し”ではなかろうか?と思えてきた。
美しい映画と思いきや、「万引き家族」や「誰も知らない」や「パラサイト 半地下の家族」のような社会からはみ出てしまった陽の当たらない人々の話だったかも?と思うのは違う⁇
プロジェクトの一環らしいそもそもの豪華トイレも そんなのに金かけてて大丈夫?みたいな皮肉になってしまってないか⁇
こんにちは。
あのルーティンは平山さんが自分らしく生きるためのもので、抜け出さないためにしている基本なんだろうなと私は思いました。
父と疎遠にしてまで、自分の求める生き方を選んだ彼の本望なのでしょう。