「朝日のあたる家」PERFECT DAYS ストレンジラヴさんの映画レビュー(感想・評価)
朝日のあたる家
「何も変わんないなんて、そんなわけないですよ」
舞台は東京。スカイツリーを仰ぐ古びたアパートに住むトイレ清掃員・平山(演:役所広司)の1日は決まっている。夜も白んでいない朝、近所のおばちゃんが道を掃除する音で目を覚ます。布団をたたみ、歯を磨く。口髭を整えてから顎髭を剃る。観葉植物に水をやり、つなぎを着る。玄関に並べた鍵や腕時計を身につける。アパートに朝日があたり、ドアを開けて外に出たら駐車場の自販機でBOSSの缶コーヒーを買う。車に乗ったら、途上で聴くカセットテープを選ぶ。昼休み、近くの神社でサンドイッチと牛乳を飲む。境内の木々から木漏れ日がさす。平山はいつも携帯しているカメラで木漏れ日を撮る。担当エリアの公衆トイレの清掃を終えると家に戻り、自転車を漕いで銭湯に向かう。湯上がり後に駅の大衆食堂で夕飯をひとり食べる。シフトがある日は毎日この繰り返しで例外はない。大都会の真っ只中、忙しなく行き交う人々は平山の姿に目もくれない。完全にいないもの扱いだ。身内でさえ、平山がトイレ清掃員であることをあまり快く思っていないきらいがある。だが平山は別段気にする様子もない。都会に忘れ去られるほど都市に溶け込んだ男の目は、一見何も変わっていないように映る風景のほんのわずかな変化を確かに切り取っていた。公衆トイレで日々書き足される9マスの⚪︎×ゲーム、場所を移したホームレス、境内の木の根元に芽生えた新芽...そのわずかな変化に平山は生命の充足をおぼえる。
役所広司に心底惚れた。言うまでもなく、現代日本映画界を引っ張ってきた旗頭だ。その役所広司がここまでオーラを消せるのか。劇中124分、平山は必要最低限の言葉を発するのみでほぼ喋らない。喋る必要がないからごくごくわずかな表情の変化を見せるのみだ。恐らく平山は本来ならばトイレの清掃員ではなくホワイトカラーとして生きるはずだったであろう描写が繰り返し登場するが、平山の過去に何があったかはほとんど語られず、観る側としては想像するほかない。言葉に頼らずに観る側に伝えるという芝居は、ある意味映像作品の原点に立ち返ったと言っていい。そしてホームレス役の田中泯も要所要所で印象的な姿を見せる。確かな技に裏打ちされた言葉に出ない自信を垣間見た。
社会人になってから今日まで変わらずに思うことがある。社会で最も恐懼すべきは社長でも、重役でも、株主でもなく清掃員だ。お偉いさんを敵に回したところで、最悪組織を辞めればいい。だが清掃員を蔑ろにした人間に生きる場所はない。常々そう思う。このろくでもない、すばらしい世界は目に映らない誰かによって支えられている。
今日も平山のルーティンは変わらない。静かな男の眼差しには、今日も朝日があたっていた。