「19世紀半ば、ボローニャのユダヤ家庭にキリスト教徒が押し入り、7歳...」エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
19世紀半ば、ボローニャのユダヤ家庭にキリスト教徒が押し入り、7歳...
クリックして本文を読む
19世紀半ば、ボローニャのユダヤ家庭にキリスト教徒が押し入り、7歳になる息子エドガルドを無理やり連れ去ってしまう。
彼らの主張は、エドガルドはキリスト教の洗礼を受けたキリスト教徒であり、キリスト教徒はキリスト教徒以外に育てられてはならない、というもの。
エドガルドの両親は洗礼など受けていないと主張するも受け入れられず、かつて働いていたキリスト教徒の家政婦が、エドガルドが病気になった際に簡便な方式での洗礼を授けたことが判明する。
一方、エドガルドはローマにある寄宿の神学校で学び、着実にキリスト教徒としての信条を身に着けていく・・・
といった物語で、イタリアの近現代史を描き続けるマルコ・ベロッキオ監督ならでは映画。
ここで描こうとしているのは、宗教の理不尽さだけではなく、旧弊な宗教観から脱却する現代イタリアの入口のようなものなのだが、後者の方はあまりうまくいっていない。
人民の蜂起や暴動、戦争の様子が、エキストラ不足なのかもしれないが、うねるほどまではいっていない。
その分、エドガルドがキリスト教徒の神父になるまでの過程は丹念に描かれており、父母の死にも立ち会えなくなってしまうまでの様子は痛々しい。
直截は描かれていないが、枢機卿との間で、精神的なつながり以外のものがあったようにも感じられ、そこいらあたりも胸がえぐられる。
キリスト教徒でもユダヤ教徒でもない身としては、両方とも理不尽に感じるのだけれど、それらを信じていて、その中にいる者にとっては、理不尽さや矛盾を感じていないのだろう。
そのあたりが、いちばん恐ろしい。
コメントする