「迷信と支配」エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命 だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
迷信と支配
エドガルドに洗礼を与えた使用人(アンナ?)の言葉が時々イタリア語じゃなかったが、カッコついてたし、あれは何語だったんかな?
モルターラ家でのお祈りは、ヘブライ語よね?聞き分けられへんけど。
カトリック教会でのお祈りは、ラテン語よね?聞き分けられへんけど。
イタリアにドイツ語圏とかフランス語圏もあるけど、そのどちらでもなかったような…
方言かな?
カトリックもユダヤ教も結構迷信あるんやなぁと思った。ベッドに帽子を置くと不吉とか。忘れたけどモルターラ家でもなんか迷信信じてたような。
そんでやっぱ神が一緒やからアーメンっていうのもおんなじ。ユダヤ教でもアーメンてゆうの知らんかった。
頭に被るちっさい帽子も似てるし。
思考が苦手な人に、〇〇じゃなければ地獄に落ちる的な恐怖を植え付け、〇〇してれば救われるという優越感を植え付ける。しかも死後に救われる。
そう信じ畏れさせるのは、支配のため。
権力を振るうため。なんて醜い所業でしょう。
わたしはそのように受け取りました。
支配ってそんなに楽しいのかなぁ。美味しいのかなぁ。気持ちいいのかなぁ。権威を翳すのも楽しくなさそうなのに、なんでそんなことしてんのかなぁ。本当に神の意思?神って道理の通らないことさせるの?
死後に救われることを喜ぶ意味がわからないけど、死への恐れがつけ込まれるのかなぁ。生活が苦しいってのもあるよね。あまりに辛い現世を生きるために、死んだら救われると考えるのは、わからなくはない。
死んだら肛門緩んで便が漏れる肉の塊になるんや。地獄も天国も浄土もないと思う。
無宗教だと自認してるけど、仏教・神道ミックスの倫理観を植えつけられてるし、思考が苦手で信心深い(迷信深い)親と親戚に育てられてるし、多少の洗脳はされてるけどね。
セム系一神教の異教徒への蔑み・傲慢は、誠に見苦しい。
音楽がオペラやバレエの音楽のようで、迫力があった。1850年台はまだイタリア統一されてへんのかとか、世界史の資料集見直したくなった。
エドガルドは今っぽくいえば重ーいストックホルムシンドロームよね?教皇の遺骸を運ぶ道中で襲われた時、雰囲気にのまれて襲撃者に同調してしまうところが、恐ろしかった。
彼はとにかく周りの空気に合わせることで、生きてきたから、それしかできない。それが恐ろしかった。
子どもらが学んでいる教義?も、飛躍がすごいな、道理が通ってない…と思った。
観て損はないんだけど、私はちょっと飽きたかな。