墓泥棒と失われた女神のレビュー・感想・評価
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【”幻想を探す。”今作は墓に隠された財宝を見つける”幻想”に憑りつかれた墓泥棒達の物語であり、ダウジング能力を持つイギリス男の喪失と再生の物語である。】
ー アリーチェ・ロルバケス監督は「幸福なラザロ」を鑑賞して瞠目した監督である。そして、今作もどこかファンタジックでノスタルジックな作品であった。-
■英国人のアーサー(ジョシュ・オコーナー)は、地下に眠る古代エルトリア人の墓を木の枝で見つけるダウジングの能力を持っており、墓泥棒仲間から一目置かれている。
そして、彼は刑務所から出所した後、行方知れずのべニアミーナの事が忘れられず、彼女の母フローラ夫人(イザベラ・ロッセリーニ)の邸宅を訪ねる。
・・という粗筋だが、序盤は詳しくは語られないのでやや混乱するが、身を任せて鑑賞する。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・徐々に、英国人のアーサーが刑務所から出所しても浮かない顔である理由がぼんやりと分かって来る。
いづれにしても、何処かノスタルジックな雰囲気が漂う。
・アーサーは、掘立小屋の様な所に住みながら、二股に別れた木の枝を使ってダウンサイジング能力により古代エルトリア人の墓を見つけ、残された葬送品を掘り出し財宝販売で富豪になっているスパルタコ(アルバ・ロルヴァケル)に買って貰い日々を過ごすが、どの墓も暴かれたモノばかりで大した金額にはならない。
ー 子供の頃に読んだ「ツタンカーメン」の物語のカーター博士をふと思い出す。が、アーサーとその仲間は、カーター博士のように学術のために墓を掘っているのではない。-
・そして、徐々に彼が行方不明になったべニアミーナに思いを馳せている事が分かる。警察と鼬ごっこをしながら、墓を探すアーサー達。
序でに、フローラ夫人の元で下働きする”イタリア”と、アーサーとの関係が最初は良くは分からないが、”イタリア”が実は子供を二人密かに育てている事も分かって来る。
■ある晩、アーサー達は未盗掘の墓に出会い、その墓の中に会ったビーナス像の首を持ち帰る。だが、警察に通報されそのビーナス像はスパルタコの手にわたり、彼女は陽光降り注ぐ海の上のクルーザーの中でその像をオークションにかけるのだが、そこにアーサー達がやって来て、スパルタコの前でその首を海に投げ込んでしまう。何とも、寓話的だなあ。
<そして、アーサー達は再び墓を探し始め、墓を見つけるのだが最初に入ったアーサーは土砂崩れにより真っ暗になった墓の中を這い進むと、そこにスルスルと赤い紐が降りて来て陽光が差し込む穴を見上げると、アーサーとべニアミーナが楽しそうに糸を降ろしているのである。
今作は、ノスタルジックで神話性を漂わせた詩情あふれる作品なのである。
ラストのシーンの解釈は色々有るよなあ、と思いながら劇場を後にした作品でもある。>
<2024年9月1日 刈谷日劇にて観賞>
古代の地層のように幾重にも被さる寓意にうずもれる
1980年代のイタリア・トスカーナが舞台の作品。
観光遺産を複数抱え、幾度となく映画の舞台となった(ロマンチック・ストーリーが多いが、タルコフスキー監督の『ノスタルジア』なんてのも)トスカーナは、監督アリーチェ・ロルヴァケルの故郷でもある。
でも、どうして80年代?
それはさて置き、この作品はイタリア映画の伝統を引き継ぎながら、現実と非現実のあわいを彷徨う主人公とともに、意味深長で謎めいたラストへと、鑑賞する者を誘なってくれる。
主人公・アーサーの仲間が奇抜な装いで街に繰り出して騒ぐシーンは、多くの人が指摘するようにフェリーニの監督作品を彷彿とさせるし、建物自体が遺跡のような館に一族とともにしがみ付くフローラ夫人は、まるでヴィスコンティの『山猫』のワンシーン。
だが、村を出て海岸に降り着くと待ち受ける、煙突やクレーンがそびえ立つ工場群は、この作品がネオ・レアリズモのDNAをも引き継いでいることを否応なく知らしめる。
工場の登場シーンを挟んであらためて見るトスカーナの風景は、もはやフェリーニ、ヴィスコンティの映像芸術の世界ではなく、F.ロージ監督の『エボリ(原題「キリストはエボリにとどまりぬ」)』の寒村のよう。
生業に着くことを厭い、墓荒らしで日銭を稼ぐ若者たちが棲みつくこの村もまた、神から見捨てられた土地といえるが、この地に舞い戻ってくるアーサーは見た目はキリストっぽいが、『エボリ』でのレーヴィのような啓蒙の救世主とはならない。
『映画で見つめる世界のいま』での藤原帰一先生の解説によれば、この映画の原型はギリシャ神話のオルフェウスの話なのだそうだが、それ以外にも寓意や宗教的なモチーフが幾重にも織り込まれているようにも感じる。
イギリス人の主人公アーサーを演じるのは、新鋭ジョシュ・オコナーで、彼自身も英国出身。アーサーは特殊な感覚で古代エトルリアの墓を探り当てる。
イギリスと古代の美術品との関係を考えれば、やはり大英博物館に思いが至るが、収蔵品の多くを植民地支配の時代に海外から掻き集めたせいで、今では略奪博物館とか、泥棒博物館なんて呼ばれることも。何のために主人公をイギリス人にしたのか、つい深読みしたくなる。
フローラ夫人の世話係として登場するイタリアと呼ばれる女性も、アーサー同様、異邦人。
シングルマザーの彼女が抱える子供が二人とも実子なら、どう見ても父親は別。
アーサーらの墓荒らしを非難してやめさせようとするイタリアは、この作品中、唯一の常識人だが、カトリックの旧い倫理観に許容されずにフローラ邸を逐われたあと、廃線脇の見捨てられた駅舎に同じ境遇の家族を集め、小さなユートピアを築こうとする。
アーサーを墓泥棒と非難しながら、救いの手を差し伸べるイタリアこそ、現実世界の女神なのに、冥界の恋人を求めてアーサーは彼女に背を向ける。
やがて迎えるラストシーンと、アーサーの運命はちょっと複雑。
観る者によって、印象や解釈は大きく別れるだろう。
単純に、アーサーが生還できたか否かや、ハッピーエンドかバッドエンドかで、観る人それぞれに意見がある筈。
閉じ込められた穴の中で、わずかに洩れる光に導かれ、天井から垂れ下がる赤い糸を手繰ると、地上でアーサーを待ち受けていたのは、恋人ベニアミーナ。
このシーンで二人の生存を確信する人は多くないかも知れないが、彼らの生死にかかわらず、ハッピーエンドと捉えたい人もいるだろう。
だが、自分がどうしても気になるのは別な点。
金蔓になる女神の頭部を海中に捨て、墓泥棒仲間から愛想を尽かされたアーサーが、新たに接触するグループに付いていくと、古代の金貨を見つけたと証言する若者が現れる。
彼の言葉はどこかたどたどしく、表情は固い。そして、グループのメンバーに「墓を発見した者が最初に入るべき」と促され、うかつに穴に下りてしまったことで、アーサーの運命は決する。
アーサーが穴に閉じ込められたのは、事故か、それとも故意なのか。
盗掘品の売買を巡って対峙するスパルタコの一味をアーサーの仲間は過小評価しているが、相手は重機を使って埋蔵品を掘り出し、客船にセレブを集めて美術品を密売する豊富な資金力もあれば、平気で警察にもなりすます大がかりな裏組織。
逆鱗に触れれば報復は当然で、アーサー以外の仲間もただでは済まされないだろう。
舞台となった1980年代のイタリアは、「鉛の時代」と呼ばれる暴力が横行する不幸な時代。
東西冷戦の対立がそもそもの起因といわれる世相を暗喩するように、巨大な工場群は経済格差やいびつな発展の影を落とし、貧困のために、犯罪に手を染める者も。
恋人を失い、傷心を抱え、仲間に求められるまま墓荒らしを続けた挙げ句、生き埋めにされるアーサーの最期は本来なら悲劇。
だが、監督は暗闇に囚われた彼に、様々な解釈が可能なラストシーンを用意する。
それは、単にファンタジーとしてのフィナーレなのか、墓泥棒という背徳を、命で贖ったアーサーにのみ与えられた宥しなのか、それとも不幸な時代を経験したすべての人へ捧げる癒しなのか─。
この作品を観るきっかけは、前述の「映画で見つめる世界のいま」(NHK「キャッチ!世界のトップニュース」の番組内、月イチコーナー)で取り上げられていたから。
監督や他の作品の知識はまったくなかったが、先に投稿された方の多くが絶賛されていた『幸福なラザロ』は、機会があれば、ぜひ観ようと思う。
それと、もうひとつ。
作中に何度か登場するコンロ付きの小型ガスボンベは、なんか便利そう。
今の日本でも手に入るのかな?
彼女のもとへ
主人公アーサーと彼女との仲睦まじいシーンから
始まりますが、どうやら彼女は亡くなっているらしい
ことが劇中でわかります。
だからか、アーサーはきったない身なりをしていて、
基本的に不機嫌な感じなんですね。
世捨て人かな?と思うくらいに。
でも、イタリアという女性といい感じになったり、
墓泥棒がバレて嫌われたり、再開してまたいい感じに
なったり、またそこから逃げたりと、
まあ、落ち着かないんですよね。
このあたりも世捨て人感があります。
アーサーは墓泥棒として遺跡を発見する能力があるとか
凄いやつでありながら、盗掘品を売り捌く
スパルタコと対峙するあたり、
なかなか面白かったです。
女神像の首を海に投げ込むのも気持ち良かったです。
そしてラストは落盤事故にてきっとアーサーは亡くなる
のですが、そこで彼女が出てきて、彼にとっては
きっと良い人生の締め方だったのでしょうね。
なんとも不思議な映画でした。
吉村作治先生が観たら、羨ましがるに違いない特殊能力
イタリアのトスカーナ地方。
特殊能力を持った考古学愛好家のアーサー。
今回は残念ながら、ジョシュ・オコナーのダビデ像のアレを大きくしたような裸体は拝めませんでした。
ジョシュ・オコナー急に老けた???
ちょっと臭ってくるようなヨレヨレのジョシュ・オコナーでしたが、相変わらずカワイイ。
彼にとって世俗はまったく意味はなく、幻想に出てくる死んだ恋人の姿を追うように漠然と生きている。ただそれだけ。生ける屍。欲もなく、世捨てびとの役。似合いますね。
こんなふうにいつまでも愛されている美しい彼女(イレ・ヤラ・ヴィアネッロ)は幸せですね。
一度も荒らされてない紀元前の遺産がバンバン発掘される。仲間が女神様の首をチョンパして持ち帰ろうとすると、考古学愛なのか美意識のためなのか、パニックに陥ってしまう。
イタリアという名前のシングルマザーの住込みのお手伝いさんが彼とは対照的。
彼女に惹かれそうになりながらも、またもや悪い連中に利用されて、古い墓に幽閉されてしまう。一本の赤い糸の先には微笑むイレ・ヤラ・ヴィアネッロが。
死んだな····彼女のもとへ旅立ったな····と思ったら、夢オチ???
悪い美術商役のアルバ・ロルバケル もキレイだった。
しかし、なにをして刑務所に容れられていたのか?文化遺産損壊および密売の罪か? 懲りないアーサー君。
吉村作治先生が観たら、羨ましがるに違いない特殊能力。
キメラ 連想と幻想
遺物発掘を探し当てられる不思議な能力
のアーサー。一度は刑務所に入ったが
また再び日銭を稼ぐ為に仲間と始める。
これから映画が始まりますよと言う感覚を
ビシバシ入れてくるアリーチェ・ロルヴァケル
監督。イタリアの青い空、綺麗な日差しと光
古い建築物、乗り物を上手に映像化する手腕。
上下反映も使い、死と生の曖昧さを不思議な
形で表現している。あの水溜まりは死者との
繋がりの窓口。
喜劇と悲劇を絶妙に織り混ぜてくる。
凄い。
母親は見つけてくれるとアーサーを信じていたし。ずっと見つけられてない彼女ベニアミーナ
に会えて良かったね。
幻想という不思議な魔法にかけられた
素敵な映画でした。
古代浪漫の虜
墓泥棒っていうよりかは考古学者的な立場なのかなあと思いつつ観ていた。
泥棒って言う割には、ダウンジングの知識を活かし、金属がどこに眠っているかしっかり見極め行動に移している。考古学の知識を活かした泥棒を生業としているならばアーサーは泥棒を職業にしているパターンになる。
そんなアーサーが、キメラの首を切断するシーンでは断固反対。金になることはわかっていながらも、アーサーはキメラに虜になったのだろう。
仲間割れを起こしながらも、キメラの首を取り戻そうとするアーサーの姿には泥棒ではなく考古学者としての姿に見えてきた。
貧しいバラック小屋に住み、生計を立てていくには宝を盗み売るしかない。
知識を増やしていくうちに宝に魅入られ、ついには泥棒であることすら忘れて保存すべき遺産だということに気付いたとき、改めて女神の価値がわかったアーサーが宝に一切の拘り等捨てたようにも思えたラストが非常に印象的だった。
80年代、イタリア・トスカーナの田舎町。 英国人考古学者のアーサー...
80年代、イタリア・トスカーナの田舎町。
英国人考古学者のアーサー(ジョシュ・オコナー)は、ダウジングにより地中の墓穴の位置をあて、中の埋葬品を仲間と共に売りさばいていた。
アーサーは死んだ恋人のことが忘れらず、彼女の母(イザベラ・ロッセリーニ)のもとを訪れたりしているのだが、亡くなった恋人の姉たちからは、かなり嫌われている様子。
亡き恋人の母は音楽教師をしており、いまはやや音痴なイタリアという名の女性(カロル・ドゥアルテ)の指導をしている。
盗掘仲間からも慕われたイタリアは、次第にアーサーに惹かれるが、アーサーは未だに亡き恋人のことが忘れられない。
そんなある日、アーサーたちは紀元前に繁栄し、いまは消滅してしまったとされる古代エトルリア人の遺跡を偶然掘り出すことに成功したのだが・・・
といった物語で、あらすじを書いても、とりとめがない感じがするが、そのとりとめのなさ、ぞろっぺえないい加減さが本作の魅力。
映像の画角も素材も自在に変化し、観ているこちらも幻惑させるのだが、それに乗れるか乗れないか。
案の定、途中、ちょっとダレてしまいました。
垢ぬけないが人好きのするイタリアのバイタリティに惹かれて、幻想(これが原題の意)に生きるアーサーが、現実世界に戻って来る地に足が着いた話かしらん、と思っていたら、最終的に幻想の世界に戻ってしまうのは、ロマンチックといえばロマンチックだけど、ちょっと腰砕けといえば腰砕けの拍子抜け。
悪くはないが、絶賛するところまでは至らず。
絵面に反してロマンチック!
墓泥棒(逃げ遅れ)で服役していた刑務所帰りのアーサー。何度も夢に見るのは亡くなった恋人ベニアミーナの姿です。
前半とてもスローペースでなかなか物語が動かず、一体どうなっていくのか!?と少しハラハラしました。
しかし、とある墓で女神を発掘してからは、凄い推進力でラストまで持っていかれて、実に不思議な映画だなぁと感心しました。
あまりに貧しいアーサーの暮らし。泥棒仲間たちも貧しく、埋葬品の買い手は欲深く、皆、金と欲に目がくらんでいるのですが、それはミスリードであって、本筋は純粋なラブストーリー。
埋葬品をダウジングによって見つけるアーサーは、後になって気づいたのですが、恋人の姿を探し求めていたのです。
現実世界で盗掘を戒めてくれた女性と、幸せになる可能性もありましたが、彼はやめられませんでした。
それは失った彼女の幻想を追い求めることがやめられなかったからなのです。
そっと出ていくアーサーに気づきながらも、黙って見送るイタリアの姿が、とても切ないです。
彼女にはアーサーに好きな女性がいること、自分はその代わりになれないことを、感じ取っていたのでしょう。
それまで、アーサーが盗掘する目的が、お金のためなのか、仲間との友情のためなのか、考古学的興味なのか、いまひとつはかりかねていたのですが、そうか…ベニアミーナを探していたのか!とはっきりわかりました。
なんてロマンチックなんだろうとキュンキュンしました。
また、墓を暴いて破壊していく男性たちに対して、コミュニティを作って生活を作り上げていく女性たちの姿も対比として描かれていたのが印象的でした。
最後、アーサーは土に埋もれてしまったのだろうと私は思っています。
しかし、夢の中の彼女と再会して、最高に幸せそうなアーサーの姿が見られ、ほろ苦いながらも、素敵なラストシーンでした。
アーサー役のジョシュ・オコナーがとにかく素晴らしいです。寂しげな表情、ヨレヨレのくたびれ具合、どういう経緯でイギリスから来たのかよくわからないという謎感、木の棒でダウジングしたり、突然卒倒したり、不思議すぎる人物なのですが、とても魅力的に演じていました。
最近では『チャレンジャーズ』でも好演されていたので、他の作品も見てみようと思います。
余談ですが、劇中歌で状況説明するのが面白く、どこかで聞いたことがある曲だなぁ…と気になっていました。
後で思い出してスッキリしたのですが、ハナ肇とクレイジーキャッツの『悲しきわがこころ』のサビでした(笑)
女神の首をそこに投げてどうするのかと、小一時間問い詰めたい
2024.7.25 字幕 アップリンク京都
2023年のイタリア&フランス&スイス合作の映画(131分、G)
墓泥棒一味が古代遺跡を発見する様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はアリーチェ・ロケバケル
原題は『La chimera』で「実現不可能な夢」という意味
物語の舞台は、1980年代のイタリア・トスカーナ地方
考古学愛好家のアーサー(ジョシュ・オコナー)は、盗んだ骨董品を美術商のスパルタコ(アルバ・ロケバレル)に売った罪で服役していたが、ようやく日の光のもとに釈放されることになった
彼には恋人のベニアミーナ(Yile Vara Vianello)がいたが、今は行方不明になってしまっていた
彼女の母フローラ(イザベラ・ロッセーニ)の元を訪れたアーサーは、そこで使用人として働いている彼女の弟子イタリア(カロル・ドゥアルテ)と出会う
彼女はフローラに内緒で娘コロンビーナ(ジュリア・ベッラ)と息子を育てていて、それがフローラの娘たちに見つかってしまった
彼女は家を追われ、路頭の身となって、近くの廃駅に身を隠すことになった
一方その頃、アーサーは住人からの依頼を受けて、墓の掘り起こしを行うことになった
そこで、かつての墓泥棒仲間のピッロ(ビンチェンツォ・ベモラート)、マリオ(Gian Piero Capretto)、ジェリー(Giuliano Mantovani)、ファビアーナ(Romana Fiorini)たちと行動をともにすることになった
映画は、アーサーが復活したことでスパルタコからの依頼も舞い込んで、墓泥棒を繰り返していく様子が描かれていく
そんな中でイタリアと親密になるものの、彼が墓泥棒と知ってショックを受ける
イタリアは副葬品は死者があの世に持っていくものであり、誰かの目を楽しませるような美術品ではないと断じる
その後、その言葉に引っ掛かりを持ち続けたアーサーは、エルトリア時代の女神像を見つけても、心ここにあらずとなっていた
だが、仲間は持ち出しやすいように女神の首を切り離してしまい、さらにそこに警察が来たことで、発掘は中断してしまうのである
映画は、わかりやすい物語であるものの、そこまで心を突き動かすこともなかった
副葬品を掘り起こすということ自体が文化的に考えられないので、それを今さら立ち返ったことで何が起こるというのだろうか
また女神の首を海に放り投げるのだが、そこじゃねえだろう感が凄い
元の場所に戻すように尽力するとか、そのために再度警察に厄介になって禊を落とすということもできると思うが、そういった方向にも話は進まない
ラストは亡き恋人の副葬品に自分がなるという感じになっていて、それで良いのかは何とも言えない
いずれにせよ、墓荒らしで得た美術品を好んで買い漁る金持ちもあれだが、その界隈がぜんぶエルトリアの呪いにでも罹ればすっきりするのにと思ってしまった
後半になって、冒頭の列車の客は実は死人とわかったりするのだが、このあたりもうーんという感じで、副葬品に手を出すと死者と対話ができるとか、そういう設定なのかなと思ってしまった
そもそも、アーサーが墓泥棒を生業にしている理由とか動機というものがよくわからず、儲かるからしているという感じにも思えない
影がありそうな過去も、恋人が死んでしまったことを受け入れられないというもので止まっているので、何とも取り留めのない物語だったように思えた
人生も一時的
自分の知見が狭いせいか、よく分からなかった。
吟遊詩人の歌とダイジェストを被せる演出は上手い。
しかし、それ以前にも結構な尺でダイジェストが入っており、序盤は本当にダイジェスト祭り。
それでいてやってることは、盗掘して、騒いで、警察に疑われたり追われたりの繰り返しばかり。
合間にフローラ邸を訪れたりイタリアと親交を深めたりするが、正直退屈です。
スパルタコと揉めた際に、イタリアの言葉に感化されたアーサーが仲間を裏切る流れは分かる。
でも、「盗掘してたなんて、最低」で別れたきりだったイタリアが、帰ってきたアーサーを普通に受け入れたのは何故?
それなのにまた別のチームの盗掘に加わる理由は?
登場人物の気持ちがまったく理解できません。
主人公は恋人だったベニアミーナが忘れられないとのことだが、夢に見るだけでそれがあまり伝わらない。
むしろあっさりイタリアに惹かれてるように見えた。
ベニアミーナが既に亡くなっているような台詞もあるが、アーサーがどう捉えてるのかも不明。
盗掘仲間もフローラの娘たちも、画面がうるさいだけであんなに人数がいる必要性を感じません。
モブを増やさずメインをちゃんと描いてほしい。
画面演出で面白いところがいくつかあったのに、その使い方がややしつこかったのも残念。
終盤のアーサーとイタリアの手話に字幕つけないのも不親切。(サスガに覚えてませんよ…)
最後は死によってベニアミーナと再会した?
そうだとしても全体のストーリーとの繋がりがみえず、やっぱり自分には難しかったです。
邦題が疑問?!
予備知識全くなしに観に行ったのですが、物語世界を理解するのに相当時間が掛かってしまいました。題名の通り主人公が古代のお墓を盗掘し、遺体とともに埋められた副葬品を盗んで売りさばく”墓泥棒”の一味であることは徐々に分かってきましたが、そもそもそんな貴重なお宝が、実際にそこかしこに埋まっているものなのか、それとも物語世界独自の設定なのか、映画にとってはどうでもいいこととは言え、その辺りの疑問が終始頭の片隅に存在したままお話は進んで行きました。
鑑賞後チラシを確認すると、1980年代のイタリア・トスカーナ地方のお話のようで、確かに出て来る車はいずれもクラシックな感じだった訳ですが、半世紀ほど前とは言え、”墓泥棒”が本当に存在したんだろうかという疑問が、いまだに氷解してません。仮に本当にそうしたことがあったのだとすれば、それはそれで凄い話だなというところではありますが。
さらに中々理解できなかったのが、主人公・アーサーの立ち位置。イギリス人らしいけど墓泥棒の一味に加わっている理由は何なのか?物語が進んで行くと、彼が”ダウジング”の名手であることが分かり、なるほどその腕を買われて一味に入っていることが理解出来ました。それにしても両手に棒切れを持ち、それが反応するとそこにお宝が埋まっているという”ダウジング”。てっきり”ツチノコ”を見つけるためのものだと思っていたらさにあらず、古代ギリシアやローマ時代からそれに類するものがあったらしいというから、伝統ある手法のようです。そしてアーサーは本当に墓に埋まったお宝を探し当ててしまうという展開を観るに至り、ようやく本作の姿が分かってきたところでした。
原題にもある”キメラ”の彫像を掘り当てたアーサー。ところがキメラの顔がかつての恋人に似ていることから、最終的にキメラの首を海に捨ててしまう彼は仲間から追放される。その後別の一味に加わったものの、次に探し当てた墓の洞窟が倒壊し、彼はあの世に行ってしまう。そして探していたキメラ似の恋人と再会を果たすという、非常に幻想的な展開となって物語は終わりましたが、やはり終始呑み込めないままのお話ではありました。
イタリアオペラが流れたりして、非常に華やかな一面もありましたが、内容的には夏の日の白昼夢を観ているような気がする作品ではありました。
いずれにしても、このしっくりこない感じは、邦題に由来するのではないかという結論に達したところです。原題をそのまま使い、単純に”キメラ 墓泥棒と失われた女神”とした方が良かったように思うのですが・・・
そんな訳で、本作の評価は★3.5とします。
〝失われた〟が故に得られること
よかった。
(見方によるけど)〈人生〉という感じがした。
ラストになるにつれ、監督のやりたい事が明確になってくる映画だった。
けれども、その途中で映画を観ることを投げ出すようなことも無かった。
主人公の名前がアーサーということはイギリス人(?)で、話しかけてイタリア語を教えてくれようとするイタリア(そのまま)という女性は歌を習っている…。(きっと色々知っていると見方が深く広くなるんだと思う)
象徴のような女性が主人公に心を開くにつれ、物語が進行する過程は、今思えばヴェルコールの「海の沈黙」ような形式にも思える。
後半になるにつれ、不思議な世界観はそのままに、更なる不思議に突入していった。内田百聞の「冥途」のようなことになっていった。
ネタバレで書いてゆくが、つまるところ、主人公のアーサーは墓泥棒を続けたが為に、天罰が落ちることになる。
死者の魂へ捧げられていた埋葬品を勝手に生前(?)荒らして売った罪による罰だ。
〝あの世〟に繋がる場所を探し当て続けたアーサーは、やがて自分がその身のままにも〝あの世〟とも〝この世〟ともつかない〝現世のような冥途の場所〟で彷徨うこととなる。ただ分かっていることは、墓泥棒をした罰が待ち受けていることである。
ネタバレとは書いたものの、ラストのラストは是非観て欲しいと思う。どう感じるかは一人一人の観客の感じ方がすべてとも思う。
本作を観た限り、自分はテリー・ギリアムの「Dr.パルナサスの鏡」を少し思い起こした。テイストはかなり違うものの、どこか作風が似ているようにも思った。ギリアムがSFやファンタジーを駆使して世界観を構築するならば、今作の監督、アリーチェ・ロルヴァケルはキリスト教と寓話を折り混ぜて世界観を作り出しているように感じた。テンポは違うものの、詩的なところはどこかタルコフスキーも思わせる。ただギリアムと違うのは、ラストに皮肉を置くでもなく、受け止め方を観客に委ねているところがあった。久しぶりに作家らしい若手映画監督の作品を観た気がした。
ラストをどう受け止めるだろう。
愛を手に入れたのか、死を手に入れたのか。
或いはどっにも手に入れたか、又はどっちも失ったのだろうか。
邦題が「墓泥棒と失われた女神」としたところには、アドベンチャーものかとも思えて肩透かしを受ける人もいるかもしれないが、たしかに〝失われた〟という言葉に含まれる考えは深くも感じる。
〝失われた〟が故に得られることもある…。
そう伝えられたような気がした。
枝ダウジング。
1980年代、不思議な力を使い埋葬された墓から遺品を盗んでは売って日銭を稼ぐアーサーと仲間達の話。
出所後、列車から降り待ち構えてた仲間に捕まり、表向きは動物病院、裏では盗品の買い手スパルタコを絡み…、ある日の夜、海のある墓地で動悸、息切れでその場で倒れこんだアーサーだったがそこに埋まってたのは…。
枝の形は「人」の字と書けば分かりやすいだろうか、そのハラいの部分を左右持って中心部分がクルリと回ったら何か埋まってるって、それを後ろから見てる仲間達も含め「小学生」かと脳内ツッコミ、その遠目からの描写が妙に面白くて。
とりあえず観てて分からなかったのが希少価値の高い女神像発見し、偽警察来た為、脛ぶつけながらも逃げ列車の中…、冒頭の列車で出会った人達から「あれ(盗品)知らないかと」魘され、列車降りるから…年月経ち、イタリアの二人の子供もデカくなってるし…。
それから動悸、息切れ(救心常備しよう)で穴の中に閉じ込められ、光が見え赤い糸たどったら女性に出会い抱きしめ合って終わり、この世界観が分からなくもないけど分からない。
買い手スパルタコも小綺麗で金持ってますなお高い感じだったけれど、アーサー達と変わらないですよね。本作観てこういう話かと理解したが疑問だけが残った(笑)
聞こえるのは死者の声なのか、遺された物たちのささやきなのか
ネタバレ無しで語るのが難しい、と言うよりネタバレありきで観終わった人ととことん話したくなる。
まずはネタバレ無しで…
公開されてるオルタナティブポスターの雰囲気に惹かれた人なら映画の内容にもきっと惹かれるはず。この映画の魅力が全部凝縮されてる。
そのポスターいいなって感じたら、劇中の演出とかストーリー展開も好きになれると思う。
ちょっと不思議なストーリーなんだけど、ちゃんと筋が通ってて、ミニシアター系にありがちな難解さは無かった。
ここから先はネタバレになるから下げて書いときます。
「死がふたりを分かつまで」ではなく
「死がふたりを引き合わせるまで」
この過程が美しすぎる
主人公アーサーの想い人は既に死者
出所して戻ってから新たに出合った女性と結ばれるかな?と一瞬思わせてから、最後は恋人の下へ。
完全趣味な考察で
劇中、アーサーの存在自体がこの世とあの世の狭間にいるような感じだった。
だから死者が埋葬されている場所が分かる、だって自分も片足を突っ込んでいるから。
オルフェウスの神話をベースにしてるってことだから、死んでしまった恋人への未練から自分も彼岸に近い存在になってしまったのだろう
ベニアミーナへの未練を断ち切って、イタリアと結ばれていたら、アーサーはきっと彼岸に行くことは無かったはず
でも、アーサーはベニアミーナを選んだ、そして、完全に彼岸に両足を付いてしまった。
死によって一度離れた2人が死によって再び巡り合うとても美しいラブ・ストーリー。見方によってはバッドエンド、でも私はハッピーエンドだと思う。
劇中、2人を結ぶのは赤い糸
試写後のアフタートークでは、監督は日本の運命の赤い糸の概念を採用したとの話が聞けたのも良かった
配給元はビターエンド
時系列が前後することや夢の中と思われるシーンもしばしば挿入されること等も相まって、やや難解な展開の見ごたえある作品となっている。
主人公の過去や現状を歌で説明するシーンや、ダウジングが成功するシーンで画面の上下が入れ替わるなど、おしゃれな表現がいくつも組み込まれている。
終盤、価値観が合わない仕事仲間との悪縁が切れ、恋人と新しい生活を送ると思いきや、主人公は再び墓泥棒に戻ってしまう。配給元の社名通り、ビターな終わり方になっている。
星はいつも三つです。
ハリーポッターみたいなタイトルですが。
A.ロルヴァケルのように現実と幻想を自由に行き来する作風。
カンヌ映画祭とかヨーロッパが好きそうな作風です。
1980年代のイタリア・トスカーナの貧村。なにやらコンビナートみたいな巨大な工事現場が林立しているすぐ隣には、ローマ帝国よりずっと古いエトルリアの墓地群の遺跡がある、というところ。
こういうところは掘れば何かが出てくるらしく、墓泥棒たちがあちこちを掘り返しては副葬品の土器やら金属器やらを売りさばいていたそうです。
主人公はイギリス人で地中に埋蔵されているものをみつけるダウジングの能力の持ち主。地元の墓泥棒のグループで小金を稼いでいます。
昔のトスカーナの貧村の暮ら
しぶりや、欲が深いくせにけっこうお間抜けな墓泥棒たちの活動が綴られていきます。
面白いのですが、これらのスケッチからさて、どんなふうに展開するのかな、と思っていましたが映画の三分の二くらいを過ぎたところで「ああ、そうか」と腑に落ちました。
「豊かな生活とは」を描いた映画です。
「伏線の回収」という表現は私が割と嫌いな、というか辟易とする表現なのですが、本作品では廃駅や赤い糸が、穏やかで充足感に満ちた映画世界に大きな役割を果たしています。
映画を見るときにはネットはもちろん、新聞雑誌の映画評や公式HPも見ないようにしています。なんか、いろいろ撮り方が変わるなあ……と思っていたら、公式HPによるとカメラは35mmと16mmとあとスペシャルな16mmと三台を使い分けていたそうです。もっと注意深く見ればよかった。
また冒頭の客車の場面に使われる朗々としたファンファーレ、モンテヴェルディ作曲『オルフェオ』の序曲なのですが、これもあとから「ああ……オルフェオといえば冥界行きだ……この映画のモチーフではないか……」と気づいたのでした。
こういう読み解きを楽しませてくれるところもヨーロッパ的。
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