「過去と現在を繋ぐ物語」墓泥棒と失われた女神 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
過去と現在を繋ぐ物語
最初は、あまりに歩みが遅く、さぞかし観ている皆さんは、眠くなったことでしょう。
イタリアのアリーチェ・ロルヴァケル監督は、過去(地下:墓の中)と現在(地上:現世)の二つの世界をつなぐ物語を構築しようとしています。メインは、あくまでトスカーナ地方の古代エトルリア人の遺跡(主にお墓の埋葬品)ですが、後半になって、主人公英国人のアーサーの操るY字形の木の枝(ダウジング)(中世的な概念)を介して、とんでもないものに出くわします。墓あらし(トンバローリ)自体が中世的な概念と思います。
それ以外にも、二つの世界をつなぐものが出てきます。
一本の赤い糸(かつての恋人と主人公で墓泥棒の中心となるアーサーを結びます)(まるで日本の歌謡曲みたい)
トロバトーレ(生と死、聖と俗をつなぐ吟遊詩人)が、歌で物語を進行させます。
公現祭の馬鹿騒ぎ。羽目を外して、過去と現代が交錯します。フランス北部だったら、ガレット・デ・ロワだから、むしろイースターのパレードに相当するのでしょう。
列車(最初に出てきて主人公を紹介し、最後に夜行列車が出て、人々の思いを伝えます)
タイトルは、やはり「ラ・キメラ」の方がよかったのでは。キメラは「異質な二つのものの合成」つまり、過去と現在を結んでいる主人公そのもの、あるいは彼がダウジングから得る独特の感覚を指すのだと思います。本来、キメラは女性名詞ですが、「幻想」あるいは「幻覚」と呼ぶことは許容されるでしょう。この映画では、イタリア語(と手話)英語の他、ポルトガル語とほんの少しのフランス語が聞こえてきて、異質なものの融合が感じられ、監督の目指しているものも、女性を中心にした共同社会と思われます。
私にとって、一番心に残ったのは「探しものをしてるんですが、ご存じないかな?」という列車の車掌の言葉でした。井上陽水の「夢の中へ」が思い出されます。