「夢とうつつを行き来する男の悲哀」墓泥棒と失われた女神 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
夢とうつつを行き来する男の悲哀
原題は「La chimera」。キメラである。ギリシャ神話に出てくる異種同体の怪物。そしてそこからの連想で幻想とか夢のことも指すらしい。だからこの映画は幻想に取り憑かれた男の話である。
墓泥棒の罪で刑務所に入っていた英国人のアーサー(イタリア語でアルチュール)。トスカーナに戻ってきたのは恋人ベニアミーナが忘れられないから。でも母親の家に行っても彼女はいない、どこに行ったのかも定かでない。アーサーはそのうち元の墓泥棒の一味とつるみ、また墓泥棒に手を染めることとなる。
アーサーはダウジングロッドを使ったりするが、これはやや格好つけであって、ほんとに大物の埋蔵品があるときは身体に直接、反応があるらしい。これは才能というよりも地下と何か呼吸が合っているような感じであまりよいことではない。古今東西、地上は生者、地下は死者の領分であって、お互い関わらないことになっている。地下を感じることができるということは、地下に執着されているということでもあるから。現に終盤、アーサーが死者たちに副葬品を返すように詰め寄られるシーンもある。
アーサーは、古代エトルリアの遺跡をみつけ、仲間たちとそこから女神像を取り出す。これは「キュビレー」。大地の母である。ベニアミーナの不在を埋める存在としてアーサーにとってはベニアミーナその人でもあるらしい。一方、親しくなるイタリアは、ベニアミーナの母の元で働いていたときから二人の子どもを育て、屋敷を去ったのちは廃駅で子どもたちを育てる。(誰の子どもなのかは分からない)その名前から言っても、地下のキュビレーと対比される、現代イタリアの母性の象徴である。
つまり、アーサーは地上と地下を行ったり来たりしながら、地上と地下の女神を愛し愛されるいささか難しい立場の人なのである。
最後、アーサーは地下の洞窟に閉じ込められる。でも地上から赤い糸が垂らされ、その先は「何故か」地上にベニアミーナがいる。糸は途中で切れるが、地上と地下は逆転し、アーサーはベニアミーナとともに「何故か」地上で抱き合う。
実に奇怪な夢想である。でも淡々としながら豊潤なイメージをもち、複雑な構造でありながらシンプルな物語でもある。墓暴きの際に聞こえる雷鳴や、鳩の鳴き声、といった禍々しいサインが印象的である一方で、ギターとトライアングルによる寿ぎうたもある。
重層的としか言いようがない、実に見ごたえのある作品だった。