二つの季節しかない村のレビュー・感想・評価
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自然と写真は美しかったよ
閉鎖的になりやすい地方の何もなさな途切れない自然風景、そこから早く脱出したい分かりやすい位クソ!な教師の勘違い行動が招く騒動や長回しな対話に一瞬?な光景に心理描写と、サスペンスを期待したがなく198分は長かった。
ここ!な見どころは勿論上記以外で複数あるし鑑賞後影響受けて紅茶飲んだりしも(飲み過ぎな位出てくる)
何だろうな、半分好きではないのだろうが記憶に残るんだろうな。
正しさを揺さぶられて
2023年。ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督。トルコ東部の寒村に小学校教師として赴任している主人公は退屈な日々を過ごしている。組織批判、田舎批判を繰り広げながら具体的な行動は起こさずひたすら転勤を待つ日々。そんな中、目をかけていた少女から告発されてあやうく失職する目に遭ったり、ルームメイトのなかのよい男性教師とともに近くの女性教師とつるんで出歩くようになって関係が変化したり。「どう生きるべきか」を喧嘩腰で議論し合う人々と、その中心で信じていた正しさを揺さぶられる知識人である主人公の苦悩を描いている。
トルコやイランの映画を見ていると感じる「なんかわかる」感じがこの作品にもある。非西欧圏で生きる知識人の葛藤の感覚。しかし、それとは別に、子供または女性によって自らの正当性の感覚を問い直されていく姿も描かれている。理想と現実のギャップに苦しんでいればいいのではなく、そのギャップ自体が男の身勝手な妄想だろうと突き付けられる。突き付けられるけれどもそれはもうどうしようもない。最後に主人公はこの閉塞的な田舎から転勤していくのだが、反省して生まれ変わったり、希望を見出したりということはなく、ただただ季節が移り変わっていくだけだ。
途中で挿入される現地の風景とそこに暮らしていると思われる人々の写真が異様に生々しい。
どんなに擦り切れた希望でもないよりあった方がいい
真っ白でどこまでも続く雪に覆われた平らな大地。そこを歩く人間も鉄塔もオモチャみたいにとても小さい。こんな自然の中では人間も人間が作ったものもあまりに小さいので無意味なものに見える。それが、職員室であろうと教室であろうと人間の群れの中に入り込んだ途端にどこにでもある世界が繰り広げられる。傲慢、噂話、贔屓、嫉妬、見栄、憧れ、信頼、家庭の問題、貧富、「都市と農村」の構図。
主人公のサメットは利己的で独りよがりで人の話を自分の都合のいいようにとり、ずるくて自分が一番偉いと思って他人を見下す男、そして突然大声で怒鳴り物を投げつける、一番嫌いなタイプだ。でもその人間性のどれかは自分の中にもあるかも知れないと思い始めると今度は自分の心がざわつき不穏な気持ちに襲われる。
映画の冒頭や中頃に流れるのはヴェルディのオペラ「ラ・トラヴィアータ」、ヴィオレッタが一人悲しく絶望の中で歌うアリアのピアノ曲だ。そのメロディーはヌライの美しさ、賢さ、悲しさ、夢、苦しみそのものだった。ヌライとサメットのやりとりは行動する理想論者と言葉だけの現実肯定かつ逃避者のあれかこれか議論。迫力はあったが感情や心が伴っていなかった。「擦り切れた希望」の一言で討論は終わり欠けていたエモーショナルな側面を迎える。冬と夏しかない大地があれかこれかという思考形式を作っている訳ではないだろう。世界中がそうなっているのだから。
サメットがスマホやカメラで撮影したという設定の写真映像は、映画映像よりずっと多くを語り豊穣で逞しい人間を映し出していたことに皮肉を感じた。ヌライの家の場面でいきなり映画セットが置かれたスタジオ空間にサメットが入りまた映画空間に戻り入り込むシーンは面白かった。これは嘘と虚の世界なんだよ、と観客の嫌悪感や感情移入を拒み落ち着かせてくれるための効果なんだろうか。だからか、若い聡明なサヴィムの未来には希望があるようにと素直に祈ることができた。
素晴らしい映像
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