二つの季節しかない村のレビュー・感想・評価
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感動や衝撃とは一味違う不可解な人間模様に引き込まれる
かつてヌリ・ビルゲ・ジェイランの映画に魅了されてトルコを旅した経験のある筆者にとって、今回の新作はアナトリア東部の村に広がる雪景色にどっぷり身を浸しつつ、そこに立ち現れるクセの強い嫌なキャラクターに絶えず心をかき乱される3時間18分だった。面白いもので、その嫌なやつぶりが定着すると、徐々に自分の中の印象が「彼が」ではなく「人間ってやつは」に変わる。どんな場所でも、状況でも不満タラタラ。こんな人はどこにでもいるし、ある意味、私の内部にも確実に彼は存在する。そんな普遍的な写し鏡のようにすら思える状況がそこには刻まれ、主人公の身勝手さが上書きされるたび、対比的に壮絶な過去を持つヒロインの、後ろ向きではない生き様が際立っていく。決して感動や衝撃といったカタルシスではなく、それとは別次元のなんとも不思議で不可解な心模様に連れ込まれる異色作。後半でふと差し挟まれるちょっと思いがけない描写も楽しみたい。
厳しくも美しい大自然に対比させられた主人公の卑小さに魂が震える
映画のあちこちにアンバランスな二項対立が散りばめられている。自然と人間、教師と生徒、男と女、管理・監督する側とされる側、理想と現実、善と悪、個人と集団、若さと老い、夢と挫折感。そうした対立する要素が複雑にからみ合い、ストーリーに緊張感と推進力をもたらしている。
トルコの名匠と称されるヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の直近3作品は、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作「雪の轍」、「読まれなかった小説」、そしてこの「二つの季節しかない村」と、いずれも3時間超の重厚なヒューマンドラマ。主要人物らによる現実的な話題や問題についての対話や論争から、「人間とは何か」「生きるとはどういうことか」といった哲学的・観念的なテーマが浮かび上がってくるのも共通点で、大長編の文芸作品を読み進めるのにも似た鑑賞体験と言える。
主人公の中年男性教師サメットは、自尊心が強くて村人を見下したようなところがあり、卑しくてずるい部分もある。ジェイラン監督は屈折したインテリの嫌なところをこれでもかと徹底して描き、観客の多くはサメットを好きになれないはずだが、隠しているつもりの自分の醜い内面を見透かされたようで、精神の深いところ、あるいは魂が震えているのではないかという気さえしてくる。本質的に近しい部分がいやおうなしに共振してしまうというか。
本編の約2時間半過ぎ、サメットとヌライの長い対話のあとで、構築された映画の世界を崩すような意表を突く演出がある。さまざまな解釈が可能な仕掛けだが、映画世界の虚構を見せることによって、自分から見えている世界に絶対的な真理はない(見えない裏側がある)ということ、言い換えるなら“主観の世界の相対性”を象徴しているではないかと個人的には感じた。
人間の本質を抉り出す会話劇
主人公サメットが人間の本質を代表として表現している気がしました。
サメットは先生にも関わらず、人格者ではないし、生徒を差別的な言葉で罵倒するし、
お気に入りの生徒にはチヤホヤしつつ、裏切られたと思ったら復讐する。
また、同居人ケナンとひとりの女性ヌライをめぐって策を巡らすも、
マウント取りたい気持ちが優先され自爆。
マウント取りたい気持ちが勝るのは、
ヌライとの会話シーン(ここは一番の見どころではないかと)でも明らかなんです。
まあなんとも人間のイヤなところをたくさん持ち合わせている人物像だなぁと思いましたね。
すごく興醒めしたのは、ヌライと事にあたる前の展開で、
映画のスタジオ(セット)にいきなり出ちゃうところ。そしてお手洗いで薬を飲む(強精剤でしょうかね)シーン。
これって、わざわざ撮影の裏側を見せる必要があったのか甚だ疑問だし、私は興醒めでした。
これはすごく余計なシーンだったように思います。集中していた糸がプツっと切れました。
でも、ヌライの義足着脱シーンは美しかったです。
ラスト近くの宣材シーン、女生徒ゼヴィムの雪景色をバックにアップシーンとなるところは、眼福でした。
あ、そうそう、主人公サメットは、この女生徒セヴィムを気にかけていたものの(裏切られたと思って酷い仕打ちをしますが)
最後の会話シーンで、セヴィムは難しいことは全然考えていなくて、というよりサメットのことなど気にもとめていない
純粋な学生だということがわかり、サメットの暴走が哀れに感じましたね。
サメットは小難しくてめんどくさいやつですが、こんな人いるよね〜と率直に思った次第です。
その哀れさを痛烈に描いた作品でもあるかなと思います。
いやぁ、198分、頑張りました(時折意識が飛びましたが・・・)。
トルコ東部の、雪深い村の中。 小学校の先生や生徒たち、村のご近所さ...
トルコ東部の、雪深い村の中。
小学校の先生や生徒たち、村のご近所さん。
長い期間を雪に閉ざされて、行動半径も範囲が限定的になりがちな。
感じ方次第で、受け入れて楽しもうという人もいたり
または、閉塞や孤独を感じて、出て行きたいと言い続ける人もいたり。
景色といい人々といい、おらの郷里(日本の東北の豪雪地帯)に近い感じがします。
特に、普段みている世界の範囲の、狭さ/広さ。
良い悪いではなく、
冬は、限られた、その範囲を謳歌しよう、という人もいますし
外にあこがれる人もいますし。
慕われる先生、気に入られる生徒、もいれば
その逆もいたり。
慕われている人が、人格者とは限らなかったり。
崇高な志を持つ人が、別の事情で色眼鏡で見られていたりも。
見かた次第で、他人の印象はどうとでも変わるんだねと
気づきの場面も多数でした。
人々の会話が凄く多い映画、
意見がぶつかるのは普段当たり前にあり、それでも、険悪になることはあまりなく。
セリフの多さには、(いち鑑賞者として)体力をかなり持っていかれました。
ポスターのシーンのための映画
どこの国でも先生は大変だなあ。
と思うと同時に、あんな人に先生になって欲しくない。というか、人として一切関わりたくない。
いい気持ちのする映画ではなかったが、あのポスターのシーン(だけ?)はとてもよかった。
あっと驚く演出があった。
不勉強ですいません、トルコって雪降るのね。
始まる直前に3時間!!と気付いた。
しかしそれほど長くは感じなかったよ。
田舎の教育問題、教員制度、コンプライアンス、ハラスメント的な話かと思ったらそれはどうやら表面的な事象でテーマはもう少し深い所にありそうだ。
並行して進む義足の教師と友人との三角関係とか、人との繋がり、関係の不確実さを二つの方向から描いてるって事かな?知らんけど。
トルコの田舎教師も大変だ。コンプライアンスに関しては日本なんかより進んでいるかも知れない。
ほぼトラップかよ案件、しかし力関係がはっきりしてる教師と生徒、男と女の世界だから昨今慎重にならないといけない訳だよ!という教訓として観た。
でまあ後半の方にある例の表現、するっと滑り込ませて上手い事やりやがってと思ったけど、何かの効果があったのかは疑問。「関心領域」の赤外線カメラと同じなくてもいんじゃね?という感想だった。
赤外線カメラより演劇的表現かな。
長尺だけど、個人的には良かったです❕小学校の先生三人(男2 女1)...
長尺だけど、個人的には良かったです❕小学校の先生三人(男2 女1)を中心に巻き起こる、恋愛 嫉妬 親子関係 障害者問題等々見所はかなりあった 主人公の男性教師は、ぺドフィリアちっくでありながら、足が無い大人の女性にもバイアグラ?を飲んでまで… 連帯感を嫌う孤独な自由主義者は、正に私の分身のようでもあった(共感できることが結構あった) あ、私はぺドフィリアではないけどね
有る意味一匹狼🐺的な主人公(男一人)と連帯感を感じたい二人に最後にはなってしまった 人生色々 自分の思ったとおりに生きたいな〰️
冬を乗り切るため嫌な男がしゃべり続ける198分
僻地の雪国で美術を教える男性教師が主人公。田舎の学校での教育に閉塞感を覚えているが、大人びた美少女を心のよりどころにしており、少女にお土産として鏡をこっそり渡したりする。ところが持ち物検査で少女の鏡やラブレターが見つかってしまい、それを機に2人の仲は破綻する。
ここまでは、「田舎の子どもと教師の美しくもはかない交流」に見えなくもない。だが、ここから先は主人公がエゴのままに暴走。教育委員会のようなところに叱られた怒りを当の少女に授業中にぶつけてみたり。別の女性教師と自分の友人との仲を取り持つのだが、2人が仲良くなると間に入って女性教師を寝取ったり。
こんな主人公をどこか嫌いになれないのは、ストーリーではなく、しんしんと雪が降る中で続けられる「おしゃべり」がこの映画の主役だからだろう。不自由な冬の生活のなかで退屈を紛らわせるためか、寒さを和らげるためか、登場人物たちは実によくしゃべる。
その会話は全然かみ合わず、この映画で議論される中身に決着がつくことはない。むしろ、しゃべり続けることでどうにか人はつながっていけるのだ。その意味では、人間嫌いのくせにどんな会話にも絡んでいく男性教師こそ、この村の精神を体現しているといえる。
雪が解け夏がやってくると、任期が終えて男性教師は村を去る。男性教師は長いモノローグで映画を締めくくる。驚いたことに、「教師として美少女に手を差し伸べたのに裏切られた」と嘆いてみせるのだ(あなたの悪人ぶりはとっくに明らかになったのに、まだそれを言いますか!)。
そして長い雪の季節には善悪の基準も曖昧になる、などと真理を突く言葉も吐き出される。確かに、切り取りようによってはこの映画も教師の孤独、子どもへの愛情、真剣な恋を描いているのかもしれない。ただ、こんなふうに言葉で言わなければ余韻が残る作品だっただろう。最後までしゃべり続ける教師の手前勝手さに拍手したくなった。
世界がもし二つの季節しかない村だったら
トルコアナトリア地方の僻地の村。その広大な大地は一面雪に覆われ建物や草木などの風景だけでなく人の心まで覆いつくしてしまうかのよう。
そこに赴任させられた美術教師のサメット。彼は都会のイスタンブールへの転勤を希望しすでに四年の月日が経過していた。
インテリである彼はこの地をゴミ溜めと忌み嫌い住民の人々を見下していた。部下に対して横柄な態度をとる軍警察の人間に嫌悪感を覚えながら自身も生徒たちに対して同様の態度をとってしまう。
ある日生徒から告発されたことから彼の日常に変化が訪れる。執拗に告発した生徒の名前を聞き出そうとするサメット。それが自分が目をかけていた女生徒セヴィムとわかると彼は困惑と怒りから自分を抑えられず彼女に露骨なパワハラをしてしまう。
告発の原因が同僚で同居人の友人ケナウにあると聞くと、腹いせに自分が彼に交際を勧めたはずのヌライと関係を持ち彼を傷つけようとする。
サメットを友人として信頼していたヌライの気持ちも考えずに涙する彼女と無理やり関係を持つサメット。
人間としてのありとあらゆる嫌な面をさらけ出すこの主人公。しかしヌライの家から突然彼が映画スタジオらしき場所に移動するシーンが。
彼に嫌悪感を抱いていた観客は突然冷や水を浴びせられる。このメタ構造は何を表してるのだろうか。これはすべて芝居である、このサメットという男の狭量さ、傲慢さ、利己的な考えを目の当たりにしてあなたたちは何を思うのかと本作は見る者に問いかけてるように思える。
自分の置かれた状況に不満を言うだけで、自分では何も行動しない。この雪深い村から出て都会に行けば何かが変わるのか。クズな自分はどこへ行こうともクズのままなのでは。人生において世界の中心は常に自分であり自分が変わらない限り世界は変わらない。どこで生きるかではなくどう生きるかが大切ではないのか。
テロで足を失ったヌライは自分の境遇に愚痴をこぼすことはない。自分の信じる通りに生きてきたからだ。障害を持つ身になろうがけして後悔はしない。
ヌライの家での息詰まる二人の討論、自分の生きるこの世界のために自分の信じるもののために行動することが大切だという彼女に対し、なにものにも縛られずに自由でいたいというサメット。なんとも分が悪い。確かに彼の気持ちもわかるが彼が言う自由は何もせずに得られるものではない。誰もが自由に生きられる世界は理想だが、今の世界はそうなってはいない。自由を求めるには代償が必要だ。
インテリ気取りで政治を批判するが自分は何も行動に移さない。ヌライの言葉は実に耳が痛かった。
二つしか季節がない村。長い冬を耐え抜きようやく冬の終わりを告げられ芽吹いた草花はとたんに強い夏の日差しに照り付けられ青々とした葉をつける間もなく萎れてしまう。雪深い村から解放されたサメットが都会に行ったところで彼が芽吹くことはけしてないのだろう。
今年も日本では10月になっても最高気温が30度の真夏日が続いた。年々秋と春の間隔が短くなっている気がする。気がするのではなく現にそうなっている。
地球規模の環境破壊、終わらない地域紛争、経済格差による貧困、いずれは世界を取り巻く混沌も解消されて春が訪れるはず。そう信じて何もせずにいると春の訪れは永遠に来ることもなく世界は二つの季節しかない村となってしまうのだろうか。
セヴィムに希望を託すサメット。現代社会に生きる大人たちが抱く無力感、そして次の世代を担う者たちへの期待を込めた物語なんだろうか。あるいは温暖化による環境破壊で大人たちのツケを払わされるグレタ氏などの若き活動家たちに責任を委ねて何もせずただ春を待ちわびるだけの私を含む大人たちの姿を皮肉った作品なんだろうか。
このアナトリアの広大な大地で日々些末なことに振り回されるだけの主人公と同じく多くの人間がその生涯を終えていく。人間がいかにちっぽけな存在であるかを思い知らされる作品。
ちなみにトルコの人はあんなに紅茶を飲んで結石とか大丈夫なんだろうか。
カメラを止めろよ💢
2023年制作のトルコ映画
トルコ語の原題は全然わからないが、英題は Dry Grasses だから枯れ草
アナトリア地方の田舎(僻地)の学校に赴任して4年余りの美術教師のサメット(中年男性)。絵は描かないのに能書きは長い。独身。イスタンブールにいたが、都落ちしたのを悔いながら、不満タラタラの饒舌しゃべりすぎ男。
女子児童にちょっかい出して問題となった小学校教諭の話かと思って鑑賞スタート。
地元出身のケナンという同僚男性教師(社会科担当)と同じ職員宿舎で同居。とても仲良し風だがゲイではない。
隣町(ずっと都会)の学校に勤める政治信条的に同志のヌライというテロリストに襲われ、実の兄と自分の右足を失った義足の美人女性英語教師と合う。
真面目な映画だなぁ。
トルコの教師も大変だね。政府の監視の厳しいクルド人の子供が多い地に赴任して来て、校内でも民族問題が山積しているんだなぁと思いながら観てました。
恥ずかしいぐらい女子依怙贔屓バレバレだった担任(市川先生)を思い出しました。
しか〜し、
おいおい、セットかよ!
なんか錠剤飲んだな。バイ◯グラみたいなヤツか?
女優さんに失礼だろ!
サメット、枯れてんじゃないよ。
見栄はるなよ!
というワタシも義足の女優さんお目当てで、198分にチャレンジ。
パラリンピック走り幅跳びの中西麻耶選手はかっこよかったですねぇ。
義足を外す瞬間がいいんですよ😎
トルコリラのことを考えると、小学校教諭が義足や自動車(日本製)を手に入れるのは大変。
親日国のトルコ。
🎤飛んでイスタンブール
🎵恨まないのがルール
みたいな話だったような。
トルコにもこんなヤツいるんだと妙にホッとしました。
なんなんですかねこの映画。
かなり恥ずかしい。
眉毛の太い女の子セヴィムちゃんはとってもクールでステキでした👀
予告編の 「は·る·は·こ·な·い」 にまんまと引っかかりました。
たしかに、こんな男に春は来ない。
邦題はピントはずれ。
今年は温暖化で日本も2つの季節しかない国になりそう。
なんか、嫌な感じの男の人の話だった ライト消しに行って変な所に迷い...
なんか、嫌な感じの男の人の話だった
ライト消しに行って変な所に迷い込むシーン、
いきなりだったので、
気づかないうちに寝落ちしてたのかと思った
考えさせられる映画。一度観ただけでは理解出来ない。
予告編を見て、鑑賞したくなった。
パンフレットやシナリオを読まないと私には理解出来ない映画だった。3時間超えの上映時間なので、2回目の鑑賞は躊躇してしまう。
人間とは何か?
生きるとは何か?
世の中の不条理・理不尽にどう対処したらいいのか?
観る人に問う映画だ。
トルコが舞台でも主軸は普遍的な人生そのもの
主人公サメットは教師だからか思い込みも激しいが、この中年男の小さな心は誰しも自分や周辺に似た者を想像できる普遍的なものである。サメットとヌライの酔いながらの議論は、体制順応主義者と理想主義者のモデル的な対論でもあるが、もっと地べたの人生への諦観と希望の往復もある。クルドやテロの暗示にあるように選挙独裁の権威主義体制下にあるトルコでの対話であることを考えると、サメットの考えもただ平凡陳腐と切り捨てることもできない。トルコ映画には西欧映画にない社会のしがらみがしつこく描かれているものが多く、ちょっとアジア臭いところもある。
24-109
雪に覆われた長い冬と、
わずかな夏しかないトルコ東部の村。
大自然に比べ、
人間の暮らしや思考は実にちっぽけ。
いくら教養があり慕われている男といえど、
その姿は実に小さい。
猜疑心、虚栄心、嘘、噂、
どれもこれも取るに足らない存在のはず。
これらに飲み込まれる男が実にちっぽけ。
歴史は擦り切れた希望なんだろうか❓
65~70点ぐらい。釈然としなかったけど…
あらすじ読まずに、タイトルとポスターと、巨匠が作った映画って事、是枝監督が絶賛した事、それだけの情報で観ました。
真っ白な雪景色の中に止まる1台の車、どこへ向かうのか雪の中を歩き始める男…
このオープニングで引き込まれました。
ポスターの女の子が主役かと思ったら、この男性サメットが主役です。
とにかく、トルコ東部の自然が美しくて、それが強く印象に残ります。
この美しい村自体も、この映画の主役でしょう。
この村の住人や自然を写した写真が差し込まれる演出、激しい議論のあと入る斬新な演出、も良かった。
最後が意味深で、もしやサメットは…と思ったんだけど、ネットで調べてみると、やっぱ同じ事を思った方が他にもいました。
観たあと釈然とせずモヤモヤして消化不良、妄想だったのか?とか、とんでもない事まで考えてしまったけど、いろいろ調べてるうちに概ね理解できました。
198分の長尺ですが、体感では実際の時間ほど長く感じなかったです。
それどころか、もう1回観たい(笑)
この映画でヌライという女性を演じた事で、2023年のカンヌ国際映画祭で最優秀女優賞を獲得したメルヴェ・ディズダルが良いです。
その年の最優秀男優賞は『PERFECT DAYS』の役所広司さんですが、その縁でツーショットの写真も存在し、この2人は交流があるらしいです。
春と秋の無い村では、感情も簡単に、白日の元に晒されてしまうのかもしれません
2024.10.15 字幕 アップリンク京都
2023年のトルコ&フランス&ドイツ合作の映画(198分、G)
都会への転任を希望する教師がトラブルに巻き込まれる様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はヌリ・ビルゲ・ジェイラン
原題は『Kuru Otlar Üste』、英題は『About Dry Grasses』でともに「乾いた草について」という意味
物語の舞台は、トルコ東部アナトリア地域にあるインジェス村
イスタンブールへの転任を希望する美術教師のサメット(デニズ・ジェリオウル)は、休暇を終えて村に戻ってきた
新学期の始まりを控えていた彼は、ルームメイトで同僚のケナン(ムサブ・エキチ)や友人の獣医ヴァヒト(ユクセル・アクス)、落伍者と揶揄される友人フェイヤズ(ミニュン・ジャン・ジンドルク)らと再会を果たし、他愛のない話を咲かせていた
彼が受け持つクラスには、成績優秀なセヴィム(エジェ・バージ)がいて、彼は土産物のコンパクトミラーを上げたりと、どことなく優遇をしていた
セヴィムもそれをわかっていて、自分や友人たちのささやかな願いを伝えたりしていた
ある日、友人の紹介で隣町の教師ヌライ(メルべ・ディズタル)と会うことになったサメットは、彼女と形式的な会話を進める
彼女はマンアラで起きたテロによって足を切断するハメになっていて、活動家としての側面もあった
サメットは、ヌライとケナンと合うと思い、仲介人となって二人の仲を取り持とうと考え始める
サメットの思惑通りに二人は意気投合し、車の運転を教えたりする仲へとなっていった
物語は、ある手荷物検査の日に、セヴィムが隠し持っていたラブレターが見つかるところから動き出す
その手紙に興味を示したサメットは「自分が返す」と言って副校長のサイメ(エルフ・ウルセ)から取り戻す
そして、その手紙を読んだサメットは、取り返しにきたセヴィムに「破り捨てて手元にはない」と嘘をついた
セヴィムはサメットが返そうとしないことを受け、友人のアイリン(ビルセン・スルメ)とともに「告発」を行うことになったのである
映画は、この告発を巡って対立するサメットとセヴィムを描き、べキル校長(オヌル・ベルク・アルスランオウル)や学部長(ユンドルム・ギュジュク)、教育カウンセラーのアタカン(フェルハト・アクグン)に指導を受ける様子が描かれていく
告発はサメットだけではなく、ケナンも含まれていたが、告発に立ち会った同僚のトルガ(エルデム・シェンオジャク)はサメットよりもケナンが狙われて、その煽りを受けているのではないかと言い出す
その言葉によって、サメットはケナンへの嫌疑を起こし、ヌライとの関係の進展に対して、横槍を入れ始めるのである
映画は、198分という長丁場の作品だが、意外なほどに体感時間は長くない
ミュージカルで傘増しした某人気映画の方が長く感じたくらいで、130分程度かなと思わせるぐらいだった
極端な長回しがあるわけでもなく、基本的には会話劇であるものの、その内容が濃くて面白いので、つい見入ってしまうという感覚になっていた
物語の中盤で「いきなりメタ構造になる」という遊びがあるのだが、その意図はパンフレットの監督のインタビューに書かれていたが、若干釈然としないところもあったように思う
いずれにせよ、生理的な抵抗は避けようがないので、持ち込む飲み物には気を使う必要があるが、私が鑑賞した回では多くの高齢者の中で席を立ったのは3人くらいしかいなかった
個人的にも後半は戦うことになったが、そのあたりに不安のある人は、出入り口に近い席を取る方が良いと思う
映画は、自分のことしか見ていない主人公が遭遇する出来事に苛まれていくのだが、完全に一人相撲になっていて、醜悪な本性が露見させていくだけだったりする
パンフレットのイラスト付き寸評が言い得て妙という感じだったので、興味のある方は購入しても良いのではないだろうか
ちなみに手紙の中身は描かれないが、サメットの会話の中に登場する「8年生のエミルハン(ポラット・セーヴァー)」だと思われる
おそらくは彼から貰ったラブレターで、私的なノートは交換日記か何かだったのかな、と思った
トルコに潜在する暗い影を垣間見た
2014年に「雪の轍」でパルムドールを取ったトルコのヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の新作。これもまた傑作だった。
観る前の予想に反してクズな男を3時間以上観続けることに。
冬が長く雪深いトルコ東部の村。
ここに赴任して4年たった美術教師サメット。
自己中でプライドが高く、何もない村を忌み嫌い、自分が行うハラスメントに自覚がなく、女性に対しても同僚に対しても誠意がなかった。不誠実だった。
そう、観る誰もが呆れかえる最低のクソ野郎だった。
サメットが出会った美しい義足の英語教師ヌライがこの作品を特別なものにした。
テロの爆発に巻き込まれ右足を切断したヌライ。以前は活発な活動を行なっていたようだが。
終盤のサメットとヌライが繰り広げる人生論のやり取り、そしてその後の展開は凄いとしか言いようがない。
サメットを最低のクズだと断定したヌライ。しかし義足を外してサミットを受け入れるヌライ。もはやサミットはただの肉棒でしかなかった。
う〜〜ん、これは凄い構図だった。
激しく感動した。
2023年のカンヌでヌライ役のメルベ・ディズダルがトルコ人として初めて女優賞を受賞したとのこと。彼女、圧倒的だった。
主人公を好きになれない
主人公は、周囲の人々の浅はかに常に苛立っている、自身が見込んだ相手に自分の思想を押し付けようとする、同居人でもある同僚のことをやや軽く扱うなど、傲慢さを強調した描かれ方をしている。
主人公と同僚の女性教師が議論をするシーンは名言の宝庫だと思うが、咀嚼するべき名言が早口で応酬されるため、消化不良で心に残りにくい。
風景の美しさには見ごたえを感じるものの、3時間という長すぎる上映時間の間、傲慢な主人公を見続けることに対する苦痛と、自分自身が無意識に主人公と似た言動を取っていないかと不安を感じた。このような不安を感じさせることが製作者の狙いだったのだろうか。
全29件中、1~20件目を表示