「この映画は推理ドラマではなく、裁判映画である。」落下の解剖学 YAS!さんの映画レビュー(感想・評価)
この映画は推理ドラマではなく、裁判映画である。
パルムドールを受賞したので、鑑賞しました。
芸能人・政治家・ビジネスマン・創作者で成功する為には、女性であっても
「男性的な 考え方(脳) と 生き方 をしないと、成功しない」とつくずく思い知らされました。
最後の少年の記憶は、あくまで記憶であって、物証性は無く、実裁判では参考程度のもでしかなく、証拠能力はない。
しかし その発言が、すべてを解決させる唯一の決定打になった事は明らかである。
僕らが画面で観た光景は、
少年の頭の中ではなく、裁判官が想像した光景なので、
少年が1年間迷った末に"選んだ結末"であり、
裁判官の温情の後ろ盾に成った最大であり、唯一のモノだったと思う。
推理映画なら、大どんでん返し結末 なのだが、裁判映画故、"温情結果"で結んだ。
検事は、裁判の被告である女性作家を遮及しなければならない立場でありながら、
最初から グウタラな自国生まれの男性作家を軽視しているとしかおもえない挙動が多々あり、
自4につながりそうに誘導しがちな言動は。。。裁判映画として、作為的な行動なのか?
1人の脚本家が相対する心情を1つの脚本の中で書き込んだ矛盾から生まれたモノなのか?
脚本家の技量の為なのか?
これが、創作ではなく、事実を元にした映画なら、議事録に書かれている冪 発言は、
事実の言葉を"そのまま"引用したのでしょう。
そこらへんが、フィクション映画故の限界。
僕は裁判結果とは真逆な真相があったと、断定しています。
この映画を観たら。。。何か 似たような映画は思い出せないが、、、
「12人の優しい日本人」が頭に浮かんだ。
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