枯れ葉(2023)のレビュー・感想・評価
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自分には合わなかった感じの作品。 本年度ベスト級。
評価も高いし集客も多目。
本作の監督の作品ははじめて観たけど全く自分に合わず。
というか素直過ぎるストーリーに満足度は低め。
生意気なレビューで申し訳ありませんm(._.)m
良作を彷彿とさせる美しい映像は素晴らしかった。
捻りの無いストーリーに感動も共感も無し。
コメディ映画の認識で鑑賞するも、そんな雰囲気も無かった。
お酒を飲みながら仕事をする男。
理不尽な理由でスーパーを外国され仕事を転々とする女。
こんな2人のラブストーリー。
なんの捻りも無いストーリーはストレスフリーなんだけど、何だか物足りない(笑)
だけど映像は一級品って感じ。
映像や音で何が起こるのかが解りやすい親切設計。
かなり古くさい映像なんだけど、ラジオから流れるウクライナ情勢のニュースが不思議な感じ。
本作の監督の事を詳しく調べたくなった。
ラストシーン。
歩く速度がちょっと早くね?
と思ってしまいました( ´∀`)
人生のハーフタイムぐらいの男女、 いちど出会って惹かれるものの、な...
上着を貸してくれ。大事な会合があるんだ。
アル中男とレジ打ち女性のラブストーリー
労働者でも恋愛したっていいじゃない!
ヘルシンキの片隅でひっそり労働の日々を過ごす男女。少し昔の日本なら、絶望自動車工場やヨイトマケの唄の世界。昔ユーミンが「商業学校に通っているような人には聴いてほしくないない」と言ったとか言ってないとか、、、とにかくそんな一見絶望的な世界の片隅に歌と恋愛という素晴らしい花を添えるのがカウリスマキの極上の技。この世は絶望的だけど絶望する必要はない、なぜなら人生はドラマのように素晴らしいという優しいメッセージにあふれています。
個人的には主人公と友人のやり取り「なぜ酒を飲む?憂鬱だから。なぜ憂鬱なの?酒を飲むから」は身につまされます。あと挿入歌のスパイス・ガールズの曲がこの映画にピッタリはまっていて素敵です。
何度でも観る価値がある映画だと思います。
温もりを求める二人の姿
必要最小限の言葉のやり取りで紡がれる中年低所得者同士のパートナー探しの展開は、どことなく大戦前ヨーロッパ不況時代を描いた、欧州の諸作品を思い出す。
あと、白黒時代の日本映画っぽくもあり。
新しいけど懐かしい作品に仕上がっていました。
フィンランドだと、ロシアのウクライナ侵攻のニュースは我が事のような関心で、庶民にもラジオで状況を伝えられるのだな、と。
そこから時代の怖さ・寂しさを感じさせられ、だからこそ酒に逃げたり、誰かの温もりを追ったりするんだなとも思わされました。
現実のアル中はどんなに更生したふりをしても、すぐにアルコールに手を出すから、物語のキャラであっても嫌悪感を最初に覚えるのだけれど。
この作品はそういうリアリティよりも、精神性に軸足があったように感じたので、案外嫌じゃなかった。
傑作とまではいわないが、かなりの佳作でした。
何も足さない、何も引かない。良質な短編小説のような美しいロマンス映画
昨年(2023年)は小津安二郎の生誕120年、没後60年にあたる。この年に小津好きを公言するヴィム・ヴェンダースとアキ・カウリスマキの新作が公開されたのも何かの縁だろう。もちろんスタイルは異なる。ヴェンダースがコマーシャルベースにのった世間受けする企画モノを撮るのに対して、アキは小津よりもっと小津らしく市井の生活を題材として切り取って作劇化する。小津は自分の価値観、美的感覚に拘った作品を一貫して作ったが、アキは社会問題なども適当に折り混ぜながら人間ドラマを精緻に作り込む。本作でもロシアのウクライナ侵攻のニュースがラジオから何度も流れ時代を反映させているが描かれるのはややトウのたった男女のオールドファッションでシンプルなボーイ・ミーツ・ガールである。でも脚本も演出も徹底的に磨き込まれ無駄の部分はまったくない。主演のアルマ・ポウステイによるとアキは20日で脚本を書き20人のクルーで20日で撮影を終えたそうだ。シンプルの極みである。アルマはまたインタビューで「何も足さない」演技を心がけたと言っている。笠智衆が小津に「何もするな」と言われたという逸話を思い出した。もちろん主演の2人は監督の狙いを十分に表現するミニマムながら素晴らしい演技である。棒読みでかつ無表情で冗談を言うから妙に面白みがあるところは毎度のカウリスマキ節というところか。
画面は単純だけど印象的な色彩が乗っている。例えばアンサのコートの水色。
絵やセリフ、音楽が相乗して全体としては良質な短編小説のような印象がある。シーンが変わるたびにページをめくるような効果。そして我々はこの美しいロマンスをあたかも小説を読むように味わうことができるのである。
落ちて踏みつけられてるというよりは、枯れても枝にしがみついている感じがする
2024.1.3 字幕 京都シネマ
2023年のフィンランド&ドイツ合作の映画(81分、G)
理不尽な理由で解雇された女性とアル中の板金工の邂逅とすれ違いを描いた恋愛映画
監督&脚本はアキ・カウリスマキ
原題は『Kuollet Lehdet』で「枯れ葉」、英題は『Fallen Leaves』で「落ち葉」という意味
物語の舞台は、フィンランドのヘルシンキ
スーパーで働くアンサ(アルマ・ポウスティ)は、廃棄食品をホームレスにあげたり、自身で持ち帰っていることに目をつけられていた
警備員から店長に報告が上がり解雇となったアンサだったが、その方針に意を唱える友人のリーサ(ヌップ・コイブ)も一緒にやめることになった
一方その頃、板金工場で働くホラッパ(ユッシ・バタネン)は、アル中に悩まされ、仕事中にも隠し持っている酒を浴びていた
ホラッパは同僚でカラオケ好きのフオタリ(ヤンネ・フーティアイネン)に強引に誘われたカラオケパブにて、アンサと出会う
その時は会話すら交わさなかった二人だったが、偶然の再会を機に、映画館に行ったりするようになる
だが、アンサから渡された電話番号のメモを失くし、それによって関係は中断してしまった
ホラッパは彼女と行った映画館の前で出待ちをするようになり、アンサは夥しい数の吸い殻を見て、彼がここで待っていることを知る
そして、ようやく再会を果たした二人は、今度はアンサの家で食事をしようと約束を取り付けることになった
映画は、パッと見では時代を感じさせるものの、劇中で流れるラジオの内容は「まさに今」という感じで、ウクライナ戦争の余波を受けていることがわかる
二人の年齢ははっきりしないが、印象的には30歳前後で、身を固めてもおかしくない年のように思える
ホラッパはフオタリに「昨日、結婚するところだった」というように、彼の中にはその後が頭の中に入っている
だが、アンサは「アル中とは結婚できない」ときっぱりと言い放ってしまう
物語の動きはさほどなく、二人がいかにしてすれ違うかをコミカルに描いていく
だが、後半のトラム(路面電車)に轢かれるあたりから急展開を迎え、ホラッパは生死の境目を彷徨い始める
フオタリを見つけてホラッパに辿り着くアンサだったが、彼の枕元で何をするのかと思えば、クロスワードパズルを解き始めたりする
そうして奇跡は起こり、という内容になっていた
映画は、すれ違いの妙を描き、ほんわかとした雰囲気の背景は大ごとになっている感じで、戦争で景気が悪いのか、元々悪いのかはなんとも言えない感じになっていた
現代劇だが古さを感じる内容になっていて、ラジオの音声を変えれば1980年代にも見えてくるから不思議である
原題のタイトルは「枯れ葉」だが、英題では「落ち葉」になっていて、このニュアンスの違いは結構大きいと思う
普通の人生から「落ちてしまった」のか、普通の人生に「枯れてもしがみついているのか」という違いがあり、本編を見た感じでは「しがみついている」ように思える
なので、印象的には「枯れ葉」のイメージがあるのだが、「枯れ葉」を英語にすると「Dead Leaves」「Dry Leaves」になってしまうので、これまたイメージとは異なってしまう
個人的なイメージでは、なんとか仕事に就こうとしているし、アル中を直そうとしているので、「枯れているけどまだ木にしがみついている葉」という印象がある
枯れた葉はいずれ朽ちて落ちてしまうと思うが、その時まで懸命に生きていこうとしている
また、二人は「隣あっている落ちそうな枯れ葉」というイメージがあって、ともに落ちてしまっても、朽ち果てるまでは添い遂げていけるのではないだろうか
いずれにせよ、枯れている原因が本人たちよりも国の情勢や政治にあるようにも見えるので、それを暗に批判しているのかなと思う
フィンランドのNATO加盟が4月で、本作の本国公開は12月
なので、NATO加盟後に公開されているが、それだけでは変わらない国内情勢というものがあるのだろう
そんな中でも健気に生きる人々がいて、普通の生活から降りざるを得なくても何とか風雪を凌いで生きている
それを考えると、ラストで起きた奇跡は神様からのギフトなのだろうか
いつの時代にも抗えない時代の波というものがあるので、そんな中でも太陽を浴び続けようとする姿は微笑ましく思えるのではないだろうか
昭和枯れ葉スキー
中年男女のラブストーリー
どこか差し込まれている人たちの日常的な沈鬱さというものは、言葉では...
24-004
こうして2匹の野良はやり手女に引き取られた。
男なんて豚以下と知った賢明なアンサはブレることなく、
男以上の勤務に精励し、独り生活の向上を楽しんでいた。
それは日常的にウクライナの悲報がラヂオから報道され、
フィンランド化ではロシアの執拗な侵略を防げない。
この恐怖の宣伝に対応した決死行動と同じことになのだろうことを予感させた。
そんな中、トラム事故で意識不明となったアル中ホラッパの断酒継続と野良保護活動がそれだ。
ラストは、退院する二人の身なりも新たとなり、
アンサが大黒柱とした家族の後ろ姿に2匹が纏わり付き、微笑ましく街路並木は枯れ葉が舞っていた。
それにしても、
冷徹なアンサの顔が微細に微笑む度に細やかな幸福を感じ、
北欧女の可愛いさと強さに豚と化した男の負けを感じる。
難解な作品ですね。
(о´∀`о)
枯れ葉
フィンランドの名匠アキ・カウリスマキが5年ぶりにメガホンをとり、
孤独を抱えながら生きる男女が、かけがえのないパートナーを見つけようとする姿を描いたラブストーリー。
カウリスマキ監督による「パラダイスの夕暮れ」「真夜中の虹」「マッチ工場の少女」の労働者3部作に連なる4作目で、
厳しい生活の中でも生きる喜びと誇りを失わずにいる労働者たちの日常をまっすぐに映し出す。
フィンランドの首都ヘルシンキ。
理不尽な理由で失業したアンサと、酒に溺れながらも工事現場で働くホラッパは、カラオケバーで出会い、
互いの名前も知らないままひかれ合う。
しかし不運な偶然と過酷な現実が、2人をささやかな幸福から遠ざけてしまう。
「TOVE トーベ」のアルマ・ポウスティがアンサ、「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場」のユッシ・バタネンがホラッパを演じ、
「街のあかり」のヤンネ・フーティアイネン、「希望のかなた」のヌップ・コイブが共演。
2023年・第76回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。
( ̄∇ ̄)
愛がなくても生きていける、でも…
変わらないことのスゴさ
まぁ真面目にツッコむと、あの男があれで酒やめるとは思えないし、
絶対また飲むし(断酒会行ったとかうそつくし)、彼女は犬と一緒に泣くハメになるのは目に見えてるんだけど、カウリスマキが描きたいのがそこじゃないのは明白で。
でも似たような彼の映画では「ラヴィ・ド・ボエーム」のほうが好きかなあ。
あの映画の最後に日本語で「ゆきのふるまちを」が流れてきたけど、
今回最初にラジオから流れてくる歌は、同じ人??(…だった!)
他にも、前の映画の主役(希望のかなた、街のあかり)を同僚として出してくるから、「えーこんな老けたん??」と年月の経過をめちゃくちゃ感じた。
ハリウッド俳優がずっと同じ見た目でいることのほうが実は異常なんだろうけど。
(老けない不思議)
カウリスマキ映画でしかフィンランドを知らないから、あんな退屈な、何もないところに絶対行きたくない!と思って数十年。彼の描くフィンランドは、初期のころから全然変わってなくて、今回スマホみたいなものは出てきたけど、他は80年代で止まったような街並みだし、スーパーの商品棚は欠品だらけだし、こんだけフィンランドの街を魅力的に描かないことで彼の映画が魅力的になっていることの不思議。
それは登場人物たちも同じで、ハリウッドに行けそうな魅力的なキャストは皆無だけど(街のあかりの人は行けたかも)、気の滅入るような人しか出てこないし、絶対に仲良くはなりたくないけど(運気を吸われそう)、それでもなぜか愛おしい目で見てしまう自分がいる。
自分の中の「だめ」「ダサい」を凝縮したものを見せてくれてるのかもしれない。
ずっとそんな映画ばっかり。変わらないでいるってスゴイと思います。
ハノイ・ロックスしか知らんのだが
じゅわいよくちゅーるマキではなくカウリスマキで、ミカではなくてアキのほうである。前作・希望のかなたの寿司レストランからすでに6年も経っていたとは(今回も寿司モチーフあり)。今作は大人の恋バナとはいえ、すれ違いの末の再会直前に事故で意識不明だとか、話の展開はジャパニーズラブコメと変わらなかったりするのだが、それがカウリスマキだとこんなにおかし味と滋味あふれる作品になるのが驚きである。
労働者問題はもちろんのことロシア・ウクライナ戦争への憤りも明確に表明しつつ、相変わらずみんな無口なわりに音楽が語っていたり、目が疲れない色彩設計かつ服の色で感情表現していたり、ほとんどの場面が淡々としていながら観ていて飽きることがなかった(そもそも81分しかないし)。
平均年齢高めのカラオケバーで歌うマウステテュトットという日本語的に発音しにくい姉妹ポップ・デュオのインタビュー映像を観たら、フィンランド人はリアルに温度低めな感じで、本当にメタル大国なのか疑いたくなった。
ラストシーンは定番かも。静かで穏やかな恋。すれ違いがあってヤキモキする。
◆時系列無視してのっけからラストシーンの話。恋愛ドラマの最後の場面で、まあそれまで色々あったけど、結局ハッピーエンドで2人が後ろ姿で去っていくってのは定番かもしれない。僕も含めて観客の多くが、どこかで見たことが有るような場面だとか、むかし見たあの映画のオマージュまたはパクリだなんて思ったのではなかろうか。犬の名前がチャップリンだからチャップリン映画でもあったような気がした。ちなみに悲恋だと1人で後ろ姿で去っていくのが有ったような無かったような。
あと、ハッピーエンドなのにエンドロールで流れる「枯れ葉」ってたしか失恋の歌だった気がするが、歌詞の日本語字幕ちゃんと見てなかったのでよく分からないが。
◆静かで穏やかな恋、とはいえ2人はドキドキワクワク盛り上がってる。ここで言う ” 静かで穏やか ”というのは、ハリウッド映画やフランス・イタリア映画と比べてという意味だ。ハリウッド・フランス・イタリア映画、或いは日本のトレンディドラマに毒されてるのかもしれない。
例えばカラオケバーでの最初の出会いの場面。ハリウッド映画だと、「ハイ、わたしアンサ、ハイ僕はホラッパ」なんて感じで、見てる僕は、 「いきなりナンパかよ!」 とか思うわけだが、アンサとホラッパは何となく意識してチラ見して目があう程度だ。 これはこれで逆に「おまえら中高生か!」とか思うわけだが、実際は日本も欧米もこちらのほうが実状に近いかもしれない。
ところが、そんなに親しくなったとも思えないのに、いきなり一人住まいの女子が男子を自宅にご招待。ここで僕は40過ぎたアンサ(アルマ・ポウスティさん)に「パパはお前をそんな娘に育てた覚えはない」とか突っ込んだ。女は食器とワインを、男は花なんか買って2人ともルンルンウキウキ気分。
そしてこれがフランス・イタリア映画なら食事後、2人は確実にベッドインだ。なんなら濃厚なセックスシーンがあって、オッパイ出るわボカシは出るわで朝を迎える。ところが、食後2人はソファに座ってなんかぎこちない。しかも間がヒト1人分ある。ここで僕は再び、「おまえら中高生か?何で家にお呼ばれしたんだ !」と突っ込むわけである。
それから口喧嘩も特にハリウッド映画に比べて静かだ。アンサ「アル中はゴメンよ」、ホラッパ「指図はゴメンだ」とか言い合うが、少し口調が強いだけで大声で怒鳴り合うわけではない。ハリウッド映画では、ケンカの場面が大声でうるさくて、耳をふさいで字幕だけ読んでることがあるから余計に静かだと想ったのかもしれない。
◆ラブコメも含めて恋愛ドラマと言ったら ”すれ違い” である。僕も古今東西の恋愛物に精通してるわけではないが、これがない恋愛物なんてないんじゃないか? ドラマの中の2人は知らないのに見てるほうは分かってるから「あーもう違うのに何でこうなっちゃうんだ」とかヤキモキする。
考えてみると、知り合いでもない、しかもフィクションの2人のスレ違いに勝手にヤキモキして悶えてるなんてアホな話だが、まあヤキモキが面白くって見てるのだから良しとする。
今回は「ああ、本命じゃないやつと何で寝ちゃうかな、ホントにもう」ってのがない分だけ助かっている。
最初にホラッパが電話のメモを失くしてスレ違う。だから2度目のメモは財布にしまいチャック付きのポッケにしまいしっかり閉める。これでスレ違うこともなく万全かと思ったら最後にトラム事故だ。見てたときは「あー何てこったい。何でこーなる」と思ったが、今考えると「恋愛スレ違い物で事故・病気って定番じゃね?事故るって当然じゃん」とか思ったりもする。フムフムよくぞ(?)事故った。見てるときは事故が定番なんてことは思いもよらず、消えた男、悲しむ女ってことでこっちも意気消沈。
話は前後するが、男が以前2人で見た映画館前で、女が現れはしないかと何時間も待つが諦めて去ったあと、女が現れてタバコの吸い殻を見つける場面。 今まで様々なドラマで何度同じような場面を見てきたんだろうと思うぐらい定番だがヤッパシ面白い。「あー、もう少しで会えたのにー」と知らない他人に思うわけである。
◆印象に残ったセリフに場面
・アンサが女友達とソーダを飲む場面でのセリフ。多少違うかもだが。
「男なんて同じ型の鋳型、ブタと同じ」
「違う、ブタは賢くて優しい」
「ブタに乾杯」
ちなみにソーダの色は赤と青で、とてもきれいで印象に残った。
・何の場面か忘れた
「家でゴロゴロしてるが、理由もなく出かけない」
・ホラッパが上着を友達に借りる場面
「上着を貸してくれ、大事な会合がある」
「女か、お前でいいとはな」
女だと察するのと、おちょくるのがいい。
◆時々出る歌が2人の心情を歌っているところが良いと思った。
◆2人で最初に見る映画がゾンビ映画なのが笑えた。最初はコメディとかロマンチックなのが良くねとは思うが、実際に有りそうな気がする。
このゾンビ映画、作品名は忘れたがアダム・ドライバーが出てるやつで何年か前にやっていた。監督は「パターソン」の監督。こちらも監督名忘れたが有名な人。
全194件中、121~140件目を表示















