枯れ葉のレビュー・感想・評価
全187件中、121~140件目を表示
何も足さない、何も引かない。良質な短編小説のような美しいロマンス映画
昨年(2023年)は小津安二郎の生誕120年、没後60年にあたる。この年に小津好きを公言するヴィム・ヴェンダースとアキ・カウリスマキの新作が公開されたのも何かの縁だろう。もちろんスタイルは異なる。ヴェンダースがコマーシャルベースにのった世間受けする企画モノを撮るのに対して、アキは小津よりもっと小津らしく市井の生活を題材として切り取って作劇化する。小津は自分の価値観、美的感覚に拘った作品を一貫して作ったが、アキは社会問題なども適当に折り混ぜながら人間ドラマを精緻に作り込む。本作でもロシアのウクライナ侵攻のニュースがラジオから何度も流れ時代を反映させているが描かれるのはややトウのたった男女のオールドファッションでシンプルなボーイ・ミーツ・ガールである。でも脚本も演出も徹底的に磨き込まれ無駄の部分はまったくない。主演のアルマ・ポウステイによるとアキは20日で脚本を書き20人のクルーで20日で撮影を終えたそうだ。シンプルの極みである。アルマはまたインタビューで「何も足さない」演技を心がけたと言っている。笠智衆が小津に「何もするな」と言われたという逸話を思い出した。もちろん主演の2人は監督の狙いを十分に表現するミニマムながら素晴らしい演技である。棒読みでかつ無表情で冗談を言うから妙に面白みがあるところは毎度のカウリスマキ節というところか。
画面は単純だけど印象的な色彩が乗っている。例えばアンサのコートの水色。
絵やセリフ、音楽が相乗して全体としては良質な短編小説のような印象がある。シーンが変わるたびにページをめくるような効果。そして我々はこの美しいロマンスをあたかも小説を読むように味わうことができるのである。
落ちて踏みつけられてるというよりは、枯れても枝にしがみついている感じがする
2024.1.3 字幕 京都シネマ
2023年のフィンランド&ドイツ合作の映画(81分、G)
理不尽な理由で解雇された女性とアル中の板金工の邂逅とすれ違いを描いた恋愛映画
監督&脚本はアキ・カウリスマキ
原題は『Kuollet Lehdet』で「枯れ葉」、英題は『Fallen Leaves』で「落ち葉」という意味
物語の舞台は、フィンランドのヘルシンキ
スーパーで働くアンサ(アルマ・ポウスティ)は、廃棄食品をホームレスにあげたり、自身で持ち帰っていることに目をつけられていた
警備員から店長に報告が上がり解雇となったアンサだったが、その方針に意を唱える友人のリーサ(ヌップ・コイブ)も一緒にやめることになった
一方その頃、板金工場で働くホラッパ(ユッシ・バタネン)は、アル中に悩まされ、仕事中にも隠し持っている酒を浴びていた
ホラッパは同僚でカラオケ好きのフオタリ(ヤンネ・フーティアイネン)に強引に誘われたカラオケパブにて、アンサと出会う
その時は会話すら交わさなかった二人だったが、偶然の再会を機に、映画館に行ったりするようになる
だが、アンサから渡された電話番号のメモを失くし、それによって関係は中断してしまった
ホラッパは彼女と行った映画館の前で出待ちをするようになり、アンサは夥しい数の吸い殻を見て、彼がここで待っていることを知る
そして、ようやく再会を果たした二人は、今度はアンサの家で食事をしようと約束を取り付けることになった
映画は、パッと見では時代を感じさせるものの、劇中で流れるラジオの内容は「まさに今」という感じで、ウクライナ戦争の余波を受けていることがわかる
二人の年齢ははっきりしないが、印象的には30歳前後で、身を固めてもおかしくない年のように思える
ホラッパはフオタリに「昨日、結婚するところだった」というように、彼の中にはその後が頭の中に入っている
だが、アンサは「アル中とは結婚できない」ときっぱりと言い放ってしまう
物語の動きはさほどなく、二人がいかにしてすれ違うかをコミカルに描いていく
だが、後半のトラム(路面電車)に轢かれるあたりから急展開を迎え、ホラッパは生死の境目を彷徨い始める
フオタリを見つけてホラッパに辿り着くアンサだったが、彼の枕元で何をするのかと思えば、クロスワードパズルを解き始めたりする
そうして奇跡は起こり、という内容になっていた
映画は、すれ違いの妙を描き、ほんわかとした雰囲気の背景は大ごとになっている感じで、戦争で景気が悪いのか、元々悪いのかはなんとも言えない感じになっていた
現代劇だが古さを感じる内容になっていて、ラジオの音声を変えれば1980年代にも見えてくるから不思議である
原題のタイトルは「枯れ葉」だが、英題では「落ち葉」になっていて、このニュアンスの違いは結構大きいと思う
普通の人生から「落ちてしまった」のか、普通の人生に「枯れてもしがみついているのか」という違いがあり、本編を見た感じでは「しがみついている」ように思える
なので、印象的には「枯れ葉」のイメージがあるのだが、「枯れ葉」を英語にすると「Dead Leaves」「Dry Leaves」になってしまうので、これまたイメージとは異なってしまう
個人的なイメージでは、なんとか仕事に就こうとしているし、アル中を直そうとしているので、「枯れているけどまだ木にしがみついている葉」という印象がある
枯れた葉はいずれ朽ちて落ちてしまうと思うが、その時まで懸命に生きていこうとしている
また、二人は「隣あっている落ちそうな枯れ葉」というイメージがあって、ともに落ちてしまっても、朽ち果てるまでは添い遂げていけるのではないだろうか
いずれにせよ、枯れている原因が本人たちよりも国の情勢や政治にあるようにも見えるので、それを暗に批判しているのかなと思う
フィンランドのNATO加盟が4月で、本作の本国公開は12月
なので、NATO加盟後に公開されているが、それだけでは変わらない国内情勢というものがあるのだろう
そんな中でも健気に生きる人々がいて、普通の生活から降りざるを得なくても何とか風雪を凌いで生きている
それを考えると、ラストで起きた奇跡は神様からのギフトなのだろうか
いつの時代にも抗えない時代の波というものがあるので、そんな中でも太陽を浴び続けようとする姿は微笑ましく思えるのではないだろうか
昭和枯れ葉スキー
中年男女のラブストーリー
どこか差し込まれている人たちの日常的な沈鬱さというものは、言葉では...
24-004
こうして2匹の野良はやり手女に引き取られた。
男なんて豚以下と知った賢明なアンサはブレることなく、
男以上の勤務に精励し、独り生活の向上を楽しんでいた。
それは日常的にウクライナの悲報がラヂオから報道され、
フィンランド化ではロシアの執拗な侵略を防げない。
この恐怖の宣伝に対応した決死行動と同じことになのだろうことを予感させた。
そんな中、トラム事故で意識不明となったアル中ホラッパの断酒継続と野良保護活動がそれだ。
ラストは、退院する二人の身なりも新たとなり、
アンサが大黒柱とした家族の後ろ姿に2匹が纏わり付き、微笑ましく街路並木は枯れ葉が舞っていた。
それにしても、
冷徹なアンサの顔が微細に微笑む度に細やかな幸福を感じ、
北欧女の可愛いさと強さに豚と化した男の負けを感じる。
難解な作品ですね。
(о´∀`о)
枯れ葉
フィンランドの名匠アキ・カウリスマキが5年ぶりにメガホンをとり、
孤独を抱えながら生きる男女が、かけがえのないパートナーを見つけようとする姿を描いたラブストーリー。
カウリスマキ監督による「パラダイスの夕暮れ」「真夜中の虹」「マッチ工場の少女」の労働者3部作に連なる4作目で、
厳しい生活の中でも生きる喜びと誇りを失わずにいる労働者たちの日常をまっすぐに映し出す。
フィンランドの首都ヘルシンキ。
理不尽な理由で失業したアンサと、酒に溺れながらも工事現場で働くホラッパは、カラオケバーで出会い、
互いの名前も知らないままひかれ合う。
しかし不運な偶然と過酷な現実が、2人をささやかな幸福から遠ざけてしまう。
「TOVE トーベ」のアルマ・ポウスティがアンサ、「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場」のユッシ・バタネンがホラッパを演じ、
「街のあかり」のヤンネ・フーティアイネン、「希望のかなた」のヌップ・コイブが共演。
2023年・第76回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。
( ̄∇ ̄)
愛がなくても生きていける、でも…
変わらないことのスゴさ
まぁ真面目にツッコむと、あの男があれで酒やめるとは思えないし、
絶対また飲むし(断酒会行ったとかうそつくし)、彼女は犬と一緒に泣くハメになるのは目に見えてるんだけど、カウリスマキが描きたいのがそこじゃないのは明白で。
でも似たような彼の映画では「ラヴィ・ド・ボエーム」のほうが好きかなあ。
あの映画の最後に日本語で「ゆきのふるまちを」が流れてきたけど、
今回最初にラジオから流れてくる歌は、同じ人??(…だった!)
他にも、前の映画の主役(希望のかなた、街のあかり)を同僚として出してくるから、「えーこんな老けたん??」と年月の経過をめちゃくちゃ感じた。
ハリウッド俳優がずっと同じ見た目でいることのほうが実は異常なんだろうけど。
(老けない不思議)
カウリスマキ映画でしかフィンランドを知らないから、あんな退屈な、何もないところに絶対行きたくない!と思って数十年。彼の描くフィンランドは、初期のころから全然変わってなくて、今回スマホみたいなものは出てきたけど、他は80年代で止まったような街並みだし、スーパーの商品棚は欠品だらけだし、こんだけフィンランドの街を魅力的に描かないことで彼の映画が魅力的になっていることの不思議。
それは登場人物たちも同じで、ハリウッドに行けそうな魅力的なキャストは皆無だけど(街のあかりの人は行けたかも)、気の滅入るような人しか出てこないし、絶対に仲良くはなりたくないけど(運気を吸われそう)、それでもなぜか愛おしい目で見てしまう自分がいる。
自分の中の「だめ」「ダサい」を凝縮したものを見せてくれてるのかもしれない。
ずっとそんな映画ばっかり。変わらないでいるってスゴイと思います。
ハノイ・ロックスしか知らんのだが
じゅわいよくちゅーるマキではなくカウリスマキで、ミカではなくてアキのほうである。前作・希望のかなたの寿司レストランからすでに6年も経っていたとは(今回も寿司モチーフあり)。今作は大人の恋バナとはいえ、すれ違いの末の再会直前に事故で意識不明だとか、話の展開はジャパニーズラブコメと変わらなかったりするのだが、それがカウリスマキだとこんなにおかし味と滋味あふれる作品になるのが驚きである。
労働者問題はもちろんのことロシア・ウクライナ戦争への憤りも明確に表明しつつ、相変わらずみんな無口なわりに音楽が語っていたり、目が疲れない色彩設計かつ服の色で感情表現していたり、ほとんどの場面が淡々としていながら観ていて飽きることがなかった(そもそも81分しかないし)。
平均年齢高めのカラオケバーで歌うマウステテュトットという日本語的に発音しにくい姉妹ポップ・デュオのインタビュー映像を観たら、フィンランド人はリアルに温度低めな感じで、本当にメタル大国なのか疑いたくなった。
ラストシーンは定番かも。静かで穏やかな恋。すれ違いがあってヤキモキする。
◆時系列無視してのっけからラストシーンの話。恋愛ドラマの最後の場面で、まあそれまで色々あったけど、結局ハッピーエンドで2人が後ろ姿で去っていくってのは定番かもしれない。僕も含めて観客の多くが、どこかで見たことが有るような場面だとか、むかし見たあの映画のオマージュまたはパクリだなんて思ったのではなかろうか。犬の名前がチャップリンだからチャップリン映画でもあったような気がした。ちなみに悲恋だと1人で後ろ姿で去っていくのが有ったような無かったような。
あと、ハッピーエンドなのにエンドロールで流れる「枯れ葉」ってたしか失恋の歌だった気がするが、歌詞の日本語字幕ちゃんと見てなかったのでよく分からないが。
◆静かで穏やかな恋、とはいえ2人はドキドキワクワク盛り上がってる。ここで言う ” 静かで穏やか ”というのは、ハリウッド映画やフランス・イタリア映画と比べてという意味だ。ハリウッド・フランス・イタリア映画、或いは日本のトレンディドラマに毒されてるのかもしれない。
例えばカラオケバーでの最初の出会いの場面。ハリウッド映画だと、「ハイ、わたしアンサ、ハイ僕はホラッパ」なんて感じで、見てる僕は、 「いきなりナンパかよ!」 とか思うわけだが、アンサとホラッパは何となく意識してチラ見して目があう程度だ。 これはこれで逆に「おまえら中高生か!」とか思うわけだが、実際は日本も欧米もこちらのほうが実状に近いかもしれない。
ところが、そんなに親しくなったとも思えないのに、いきなり一人住まいの女子が男子を自宅にご招待。ここで僕は40過ぎたアンサ(アルマ・ポウスティさん)に「パパはお前をそんな娘に育てた覚えはない」とか突っ込んだ。女は食器とワインを、男は花なんか買って2人ともルンルンウキウキ気分。
そしてこれがフランス・イタリア映画なら食事後、2人は確実にベッドインだ。なんなら濃厚なセックスシーンがあって、オッパイ出るわボカシは出るわで朝を迎える。ところが、食後2人はソファに座ってなんかぎこちない。しかも間がヒト1人分ある。ここで僕は再び、「おまえら中高生か?何で家にお呼ばれしたんだ !」と突っ込むわけである。
それから口喧嘩も特にハリウッド映画に比べて静かだ。アンサ「アル中はゴメンよ」、ホラッパ「指図はゴメンだ」とか言い合うが、少し口調が強いだけで大声で怒鳴り合うわけではない。ハリウッド映画では、ケンカの場面が大声でうるさくて、耳をふさいで字幕だけ読んでることがあるから余計に静かだと想ったのかもしれない。
◆ラブコメも含めて恋愛ドラマと言ったら ”すれ違い” である。僕も古今東西の恋愛物に精通してるわけではないが、これがない恋愛物なんてないんじゃないか? ドラマの中の2人は知らないのに見てるほうは分かってるから「あーもう違うのに何でこうなっちゃうんだ」とかヤキモキする。
考えてみると、知り合いでもない、しかもフィクションの2人のスレ違いに勝手にヤキモキして悶えてるなんてアホな話だが、まあヤキモキが面白くって見てるのだから良しとする。
今回は「ああ、本命じゃないやつと何で寝ちゃうかな、ホントにもう」ってのがない分だけ助かっている。
最初にホラッパが電話のメモを失くしてスレ違う。だから2度目のメモは財布にしまいチャック付きのポッケにしまいしっかり閉める。これでスレ違うこともなく万全かと思ったら最後にトラム事故だ。見てたときは「あー何てこったい。何でこーなる」と思ったが、今考えると「恋愛スレ違い物で事故・病気って定番じゃね?事故るって当然じゃん」とか思ったりもする。フムフムよくぞ(?)事故った。見てるときは事故が定番なんてことは思いもよらず、消えた男、悲しむ女ってことでこっちも意気消沈。
話は前後するが、男が以前2人で見た映画館前で、女が現れはしないかと何時間も待つが諦めて去ったあと、女が現れてタバコの吸い殻を見つける場面。 今まで様々なドラマで何度同じような場面を見てきたんだろうと思うぐらい定番だがヤッパシ面白い。「あー、もう少しで会えたのにー」と知らない他人に思うわけである。
◆印象に残ったセリフに場面
・アンサが女友達とソーダを飲む場面でのセリフ。多少違うかもだが。
「男なんて同じ型の鋳型、ブタと同じ」
「違う、ブタは賢くて優しい」
「ブタに乾杯」
ちなみにソーダの色は赤と青で、とてもきれいで印象に残った。
・何の場面か忘れた
「家でゴロゴロしてるが、理由もなく出かけない」
・ホラッパが上着を友達に借りる場面
「上着を貸してくれ、大事な会合がある」
「女か、お前でいいとはな」
女だと察するのと、おちょくるのがいい。
◆時々出る歌が2人の心情を歌っているところが良いと思った。
◆2人で最初に見る映画がゾンビ映画なのが笑えた。最初はコメディとかロマンチックなのが良くねとは思うが、実際に有りそうな気がする。
このゾンビ映画、作品名は忘れたがアダム・ドライバーが出てるやつで何年か前にやっていた。監督は「パターソン」の監督。こちらも監督名忘れたが有名な人。
枯葉舞い散る北欧人情劇場
知ってるけど観たことない映画や監督さんの作品シリーズの本年トリは、フィンランドの巨匠アキ・カウリスマキです。人生に疲れた何の変哲もない中年男女のラブストーリーで、よくこの内容で映画を作ったと感心しました。ドラマティックな盛り上がりもなく、主人たちの過去や感情すらも排し、徹底的に余分なものを削ぎ落としたシンプル過ぎるセリフなのに、シーンのあちこちから監督の主人公たちへの暖かい眼差しが感じられ、画面から眼を離せませんでした。また、あちこちに監督の映画趣味が見られるのも楽しかったです。衣装や小道具がブルーや赤などの原色使いが初期のゴダールっぽいと思ったら、映画館のポスターが『気狂いピエロ』だったり、かかっている映画がジャームッシュの『デッドマン・ドント・ダイ』だったり、これらの監督作品にどこか通じるものがあります。役者さん達は馴染みのない人ばかりだけど、そこがいいのかも。
"会えない時間"が愛(相) 育てるのさ ♪
映画の舞台となるフィンランドは、「ムーミンの国」「国民幸福度が世界1位」「国民ひとりGDPが世界1位」「貧富差が少ない」という良いイメージばかりだが、
社会からの恩恵を受けられない貧困労働者のふたりが 本作の主人公なのだが
2人が生活する社会環境にも、現代の富の象徴である"物資的裕福さ"は存在せず、
スマートフォンも普及しておらず、誰も持っていない。
パソコンも高価な為に、昔ながらのPCバンに行くしかない。
楽しみは、映画鑑賞と、40年前には日本にもあった KARAOKEバー店
これだけだと、40年以上前の日本と同じだが
TVも大した番組はないのだろう。
唯一、時代感がある 1局しかない「ラジオ」から毎回流れてくるのは、
国民が期待する音楽ではなく"ロシア・ウクライナ戦争"の暗いニュースばかり
ラジオから聞こえる内容で、この映画の舞台が2023年なのがやっと判る。
こんな気晴らしがない社会では、労働者が腐るのも無理はなく、寒さが厳しい北欧州なので、自殺率が高い。
希望がない社会を映す映画に、子供は登場しなかった。
とうぜん 子どもの為のモノもない。
映画のラストに流れるのは、有名なシャンソン「枯葉」
雰囲気がある とても良い歌だ。
しかし、映画を観終わって、どうも この歌のイメージと映画から感じたものに差異があり、
帰宅後に、調べてみたが、「枯葉」の歌は、映画「夜の門(Les Portes de la Nuit)」の中で使われた曲であり
歌詞の内容は。。。。。ちょっと この映画とはかけ離れている。
フランス語が判らないフィンランド人監督は、主題曲の"表面的心地よさ"だけから、この曲を選び
この映画の題名にしたのかもしれないが、
この映画は、何かを"きちんと問題定義"されたわけでもなく、単に ふたりの貧困者が、日々の生活に追われて、自分に与えられた選択肢もなく
成るようになった 悲惨さを魅せているだけで、この映画から生み出されるものはない。
役者は、自然な演技をしており、映画の中では、日常から、さりげなく切り取ったようなシーンが続く。
撮影は ちょっと低めの固定カメラが中心で、動きはなく、欧州独特の撮影だった。
ストーリー的には、キスシーンもベットシーンもない 典型的な昔ながらの恋愛映画
古典的恋愛映画では「主役男性は、不器用でシャイ もしくは 不良」「お相手となる女性主役は、お嬢様」なのだが、
本作の主演男女とも ルールを守れない身勝手で ちょっと腐った 何も努力をしない貧困者
そんな、貧困者に対して、神様は甘くはなく、恋愛の手助けはしてくれない。
すべての者から,見放されて、取り残された 映画後の"ふたりの人生"は、ろくでもない事が予想され、映画が80分で終わった事に鑑賞者は救われた。
この映画の 続きがあり、映画に残りの20分間があったら、
2人の顛末は さぞかし悲しい展開に成っていたと思われます。
昔ながらの、男女のすれ違い映画なら「めぐり逢い(1957)」を観たくなりました。
竹田の子守唄
落ち着いてみることはできるおすすめ枠。&2023年の映画の振り返り(その2)
今年441本目(合計1,091本目/今月(2023年12月度)42本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
大阪市では今日から公開という変わったスケジュールでした。
それにしてもこの超硬派な内容、シアタス心斎橋(イオンシネマ系列)で扱っているようなんですけど、意味あるんでしょうか…(普通は無難なアニメが多い)。
ということで、硬派な映画がみたいならシネリーブルということでそちらに。
まず映画の描写内で「驚くほど」時期を推測できるところが少ない、というところがあります。もっとも多くの方が書かれている通り、ロシアのウクライナ侵攻や、スマホを使っているシーン(1か所だけでしたっけ?)があることから、2023~ということはわかりますが、こうしたシーンが出る割に、舞台はフィンランドですが「反戦とも何とも述べていない」という映画です(「戦争」の話はラジオかテレビかで言っているシーンでしか出ない)。
見ていて「落ち着く」映画ではあるのですが(人を不愉快にするような描写はまるで出てこない)、一方で「この映画の「枯れ葉」が何を意味するのか」という点まで考えると答えが出なかったりします(調べた方もいらっしゃる模様。どうもそれで正しいことを確認。他の方の投稿確認のこと)。こういった事情があるので「木の話なのか」「葉っぱの話なのか」というのは全然違うし、まして「人にたとえて」「年老いた老婆などをこのように表したもの」でもありません(主人公は多少年を取られていると思いますが、それで老婆というなら全員老婆になってしまう)。
こういった点があいまって「映画として見る分にはいろいろ考えさせられる部分は多いが、何が枯れ葉なのだろう?」という点がわからず結構混乱しそうです(しかもフィンランド映画であり字幕などは丁寧ではあるものの、妙にこなれない日本語が出てきてわからない部分も出てくる)。こうした点がやや厳しいかなぁ…といったところです。
よく私はフランス映画について「余韻を残すタイプ」だと書きますが(そうでないものもあるけれど)、これに近い形です。言語こそフィンランド映画ですが、限りなくその「典型的な」フランス映画という部分に結構似ているなといった印象です。
採点にあたってはとくに差し引く要素はないので(ただ、何度か見るのが想定されていると思います)、フルスコアです。
-----------------------------------------------------------
(減点なし/参考/2023年の映画の事情)
2021年、2022年とコロナ事情で映画館が全部閉まったり、20時ルールや「1つ座りルール」ができたりとしたこの数年間ですが、やっと平常に戻りつつあるのが2023年の5月の5類移行の後で、2024年はそれが本格的に「1年」あるのでそれが試される年なのだろうと思います。
そんな中でも「ベスト3」については前のポストで書きましたが、ほか気になった映画をいくつか紹介。
「君は放課後インソムニア」 → 石川県を舞台にする高校生の恋愛と天文ネタ。ただし映画では天文に関することは少な目(原作アニメのほうではどんどん出てくる)。ここは評価が分かれそう。
「 ルー、パリで生まれた猫」 → 実話ものではないですが、実質的に実話ものといっても差し支えがない作品。登場人物も数名と猫「だけ」で(エンディングロールもあっさり)、「子供が猫を飼うということはどのような道徳的責任が求められるのか」「親は子に対してどのような命の大切さを教えるのか」といった論点があります(フランス映画)。
-----------------------------------------------------------
ヘルシンキの{ボーイ・ミーツ・ガール}
フィンランドの首都ヘルシンキで
スーパーの店員として暮らす『アンサ(アルマ・ポウスティ)』は
期限切れで廃棄すべき商品をくすねたことが原因で失業。
そして同時期に、工事現場で働く『ホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)』とカラオケバーで出合い、
二人は互いに一目惚れ。
しかし『ホラッパ』はアル中。
職務中の飲酒がバレ、次から次へと転職を繰り返すさ中。
共に厳しい現実に直面する二人の恋の行方は・・・・と、
プロットだけを追えば典型的な{ボーイ・ミーツ・ガール}。
しかし、主人公の二人の年齢はどう見ても四十歳近くで
立派なおばさんとおじさん。
それでも、しっとりとした{ラブストリー}を成立させてしまう、
監督・脚本の『アキ・カウリスマキ』の手腕には敬服。
81分尺の小品。
ため、科白を切り詰め説明を省略し、
シーンを巧みに繋ぐことで極上の短編に仕上げる。
あまりにそっけなさ過ぎて、
言葉による説明過多の直近の邦画に慣れてしまうと
かなりの物足りなさを感じてしまうのでは。
が、背景も含め淡々とした描写が独特の雰囲気を醸す。
二人の現状を判らせる、冒頭のシークエンスはとりわけ見事。
ほんの短い時間で労働者が体よく使われている社会の状況と、
空虚な生活を見せ、
これで鑑賞者は一気に感情移入。
また、本編の舞台は現代。
ラジオから流れるロシアのウクライナ侵攻に関するニュースの
日本での報道内容とは随分と異なることの驚き
(陸で国境を接する国の論評は違う)。
意図的に病院を攻撃するのは、社会の混乱を目論むロシアの常套手段である、
などを聞けば更に厭世的な気分になろうというもの。
そこに1960~80年代の音楽もたっぷり盛り込み
(中には〔竹田の子守歌〕もあり)、
最後にはタイトル通りの〔枯葉〕に持っていく巧さ。
人生の秋に近くなって咲いた恋でも、
まだまだ先の幸せを期待させるとの。
そしておそらく
監督が偏愛するであろう映画の数々が
ポスターに仮託し貼られている。
〔若者のすべて/Rocco e i suoi fratelli(1960年)〕
〔気狂いピエロ/Pierrot Le Fou(1965年〕は印象にも残るが
初めてのデートで観る映画が
『ジム・ジャームッシュ』の〔デッド・ドント・ダイ(2019年)〕
なのには笑ったが。
ひょんなことから『アンサ』が飼うことになった犬の名前が
『チャップリン』なのも、
「放浪紳士」は最後は概ね、
背中を向けて去るのを想起させもする。
古き良き時代の映画へのオマージュも
随所に感じるところ。
本作もよりドラマチックな要素を付加すれば
十分にそうした作品群と近似する。
登場する映画館の名前が「Ritz」なのは
皮肉な名称にも思えるが。
アンサのウィンクがかわいい
パーフェクトじゃない日々
全187件中、121~140件目を表示