枯れ葉のレビュー・感想・評価
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Syntynyt suruun ja puettu pettymyksin 悲しみにまみれ失意を纏う?
『ナナカマドの秋』で話が始まる。
『ソプラノダネッ。レコードでも作れよ』と主人公はカラオケ男に話す。
『シューベルト』の『セレナーデ』
が良かったのかなぁ?
酔いつぶれた主人公に会う女性主人公。
Tchaikovsky: Symphony No. 6がバックに流れる。
『男はみんなブタよ。』
『違うわ。ブタは賢くてやさしい。』
『言えてる。ブタに乾杯ね。』
『Syntynyt suruun ja puettu
pettymyksin』
“悲しみに生まれ、失望を身にまとう”
『Maustetytöt』が良かった。この姉妹ディオ♥ハモってる。凄い。
この女性はボロボロの野良犬と、この主人公を同一視している。
すれ違いドラマとメロドラマと大団円。しかも、ウクライナの戦争。
そして、日本人好みの映画ばかり。
ここまで、凝縮されちまうと、演出する者の考えが丸見え。
さて、それを映像の魔術と見るか見ないか。なのだが。
このウマシカ男をロシアにたとえているのかなぁ?
しかし、最後は『モダン・タイムス』をリスペクトしつつ、苦しみは、まだまだ、続くつう事だなぁと思った。
追記 魔術はあった。最初の場面に出てくるカレンダーが2024年の7月以降のカレンダーゆえにこの出来事は未来の出来事だと言う事だと思うが。男がアル中を克服するにしても、時間はかかる。なんか時間が合わない。
今日は2024年7月4日アメリカ独立記念日。
追追記 このカレンダーよく見ると、7月4日が日曜日つまり、2024年のカレンダーじゃないと分かる。調べてみると、1976年7月以降のカレンダーになる。つまり、アメリカ独立200周年の年。日本は昭和51年。この年生まれた子供は就職氷河期。さて、さて、読み好きか?
エキゾチックで可愛いラブストーリー
フィンランドの映画ということで、それだけでもなかなか楽しい。
暮らしぶりや感性の違いやらの日本との違いが観ているとわかるので面白くて。ゴミの捨て方の違いなんて、ダイレクトにかなり気になるポイント😂
ストーリーは、もっと渋く暗い内容かと思っていたら、なんのとことはない、見終わってみれば素朴で心が温まる、単純だけれど可愛らしい内容の映画だった。
最後の方、ここというときにトラムに飛ばされてしまうところは韓流の『冬のソナタ』のノリを思い出した。まぁ…あまり深く考えずに単純に楽しみたい作品だと思う。
ちょっと異国のもので疲れずに癒されたい人にお勧めできる。若い人が恋の成就に真剣になるところは万国共通。
なかなか洒落た、センスの良さを感じる映画でもあった。さまざまなジャンルの音楽がとても楽しく、映画館がストーリーのネックに据えられているところが粋だった。社会批判、世知辛さ、厳しさを、嫌でも感じさせられる片や、小さな幸せを育もうとする素朴さや明るさが浮き彫りになり素敵なことに思えてくる。
レトロ
地味にジワジワ来る映画
月に8回ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好き。
なので専門的過ぎないライトな紹介を心掛けています。
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鑑賞から随分時間が経ってるので簡単に。
地味なルックなのだけど
鑑賞しているうちにジワジワ、可笑しみが湧いてくる映画。
映画中盤、男性が女性の自宅に訪ねてくると言うので
女性主人公は食器やカトラリーをホームセンターで買ってきて
食事は楽しく進んだのだけど、その後
男性の発言のちょっとした齟齬に幻滅して
男が帰った後、買ってきた食器やカトラリーを
そのままゴミ箱に突っ込んでしまう!
いや〜〜、セリフが少ないのに、妙に可笑しい〜〜
また、時々ラジオから流れるウクライナ戦争のニュースと
映画の中で映される映画の演目やカフェで流れる流行歌が
時代的には考えれば全く、関連が無いのですが、
なんか不思議な世界観を醸し出していて
全体ルックは、ふた昔前のヨーロッパの小国の話かな〜と思わせて
実は低賃金労働者の苦しい暮らしや
精神的に不器用な男女の交流と言う現代的な話だったりして
なかなかに奥が深いです。
ラジオのニュースと音楽のチカラ
心理描写と場面転換は歌(音楽)で、
アキ・カウリスマキ監督は64歳で、年老いる年齢ではないですね。
6年前には引退を宣言。
2017年の最後になる筈の映画『希望のかなた』はとても好きな映画
でした。
移民問題を扱った映画です。
長くなりますが、2018年7月に書いた覚書を引用させてもらいます。
当時シリア内戦によりシリア難民がヨーロッパ諸国に
多数押し寄せる世界情勢で、
フィンランド政府は押し寄せる多数のシリア難民に苦慮していた。
難民青年クーリドに老人は優しく寝床と仕事を与える。
そしてこの映画には愛らしいアキ監督の愛犬が登場している。
生き別れの妹を探すクーリドに苦難は続くのだが、
微かに希望を感じさせるラストは本作のラストとも繋がる。
ここで特筆したいのは、流行らない老人のレストランが、
日本風寿司レストランに変わること。
ハッピ、ハチマキ、日本酒、味噌汁、おまけに招き猫まで登場。
アキ監督の日本好きが偲ばれるシーン続出。
好感を持ちました。
フィンランドといえば、荻上直子監督の『かもめ食堂』が大人気だが、
この食堂ではアンサの食べる【シナモンロール】がメニューに
追加される。
アニメオタクの大学生の“トンミ・ヒルトネン“が、豚身昼斗念と
小林聡美と片桐はいりが影で呼ぶのだ。
何故アキ•カウリスマキは一度興味を失った映画制作の現場に
戻ってきたのか?
ひと昔前の日本の『君の名は』みたいなラブストーリー。
ひとえに何回も挿入されるラジオ放送。
ロシアのウクライナ侵攻のニュース。
これが聞かせたくて映画の撮影をしたのではないのだろうか?
古色蒼然としたストーリーに音楽がアクセントを付けリードしていく。
英語のロックンロールに始まり、一瞬聴こえるグリーグの組曲
「ペールギュント」や「竹田子守唄」そしてチャイコフスキーの「悲愴」
しかし特筆すべきは姉妹のシンセとギターデュオの“マウテテュトット“の
エレクトロポップ。
“目に見えない1000の錘(おもり)につぶされそう“
“自分の墓まで辿りつけるのか“
“私は囚人、永遠に“
“墓場すらフェンスだらけ“
題名は「悲しみを身にまとい、失望に身をまかせ」だ。
可愛い美人姉妹の恐ろしいほどの諦観にたじろぐ。
フィンランドの若者の心はこんなにも荒廃しているのか?
核戦争後の世界のようだ。
映像表現より一曲の歌の破壊力。
中年男女の無愛想でしかも無表情に求め合う【愛】は、
可愛い犬を連れた強い女と、それに従う松葉杖の男が
幸せそうに歩いて、
ラストで終わる。
【生き方が不器用な男女の恋の行方を、アキ・カウリスマキ監督ならではの独特のタッチで描いた作品。「希望のかなた」のプロモーション中に引退宣言をした監督が新作を製作してくれた事が嬉しき作品でもある。】
<Caution!内容に触れています。>
ー フィンランドの名匠、アキ・カウリスマキ監督が描く孤独な男女のラブストーリー。-
■賞味期限切れの食品を持ち帰ろうとして仕事を失ったアンサ(アルマ・ポウスティ)と、酒を呑みながら仕事をしたために鉄工所を馘首されながらもどうにか工事現場で働いているホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)。
ある夜、2人はカラオケバーで出会い、互いの名前も知らないまま惹かれあう。
だが、ホラッパはアンサから貰った電話番号を記した紙を無くし、更には漸くアンサの部屋で夕食を摂るも酒の飲み過ぎで関係は不安定になる。
故に、ホラッパは断酒し、アンサに会いに行こうとするもトラムに撥ねられる。
◆感想
・冒頭から、アンサの家のラジオからはロシアによるウクライナに対する非道な行為の状況が流される。”マリウポリの病院が爆撃された・・、”と。
そして、今作ではロシアによるウクライナ進攻のニュースがアンサの家のラジオから度々流れる。
ー アキ・カウリスマキ監督の現代の世界状況を憂慮した、反戦思想が如実に出ているシーンである。-
・ホラッパがアンサを誘って映画を観るシーン。二人が見ているのはジム・ジャームッシュ監督の「デッド・ドント・ダイ」である。
ー アキ・カウリスマキ監督の「レニングラード・ゴー・アメリカ」にはジム・ジャームッシュ監督が出演していた事を思い出す。親交のある監督の作品をさり気無く挿入するところが粋である。-
・因みにホラッパとアンサと言う名前も、劇中では中盤以降しか出て来ない。故に前半は名は分からないが、男がカラオケ場で女を見初めた事が徐々に分かって来る展開が、嬉しい。
■ホラッパもアンサも、貧しい。これはアキ・カウリスマキ監督の”敗者三部作”でも描かれているように、監督の視線はあくまで弱者に優しいのである。
■今作で新鮮なのは、劇中にエレクトロポップを演奏するガールズ・バンドが出て来ることだろう。ワンシーンだけであるが。ご存じのように北欧はエレクトロポップが盛んであるが、アキ・カウリスマキ監督作品としては、珍しい。
<アンサがホラッパと共にカラオケ屋に行った”カラオケ王”からホラッパが何故にアンサの家に来なかったかを聞いて、アンサはホラッパが入院している病院へ行き、意識不明の彼に雑誌を読んだりしてあげるのである。
そして、目を開けたホラッパは”俺は死んだのか。君と結婚届けを出す夢を見ていた。”と言うのである。
今作は、アキ・カウリスマキ監督ならではの、ノスタルジックな風合の中、時折描かれるユーモアに溢れている。
何より、貧しさに負けない哀愁漂う骨太のキャラクター、アンサとホラッパの姿が印象的な作品である。>
ラジオから流れる音声から、監督の強い想いを感じ取りたい一作
ヘルシンキの片隅でひっそり生きるアンサ(アルマ・ポウスティ)とホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)の、溌剌とはほど遠いけど、お互いの細くてもろい絆を懸命につなごうとする物語。
なのですが、アンサとホラッパが耳を傾けるラジオから流れる音声は、ロシアによるウクライナ侵攻の状況を伝えるニュースです。この音声は、それぞれの場所にいる二人のつながりを暗示するだけでなく、遠く離れた日本の観客をも結びつけます。本作は決してカウリスマキ監督が作り上げた架空のヘルシンキを舞台にしているわけではなく、明確に「今、現在」の世界を描いています。なぜカウリスマキ監督がラジオから流れる音声として「戦争」を選んだのか、そこに引退宣言を撤回してまでも本作を取り上げた監督の強い意志を感じました。
アンサもホラッパも、苦しい生活の中で屈託を抱えて生きており、それが彼らの表情の乏しさと、「諦観」を発散し続ける所作として現れています。二人は世界になんの希望も見出していないようなのですが、それでも二人は偶然に結びついた縁を何とか紡いでいこうと、それぞれのやり方で努力を重ねていきます。
争いがなくなるどころかますます激しくなる世界において、良いところも悪いところも知ったうえでそれでも人の「えにし」の可能性を信じる。カウリスマキ監督は本作を通じて、巨大な破壊の中ではあまりにも儚くはあっても、人が人を信じる気持ちを持つ限り、まだそこに希望はある、ということを実感させてくれました。
まあまあだ
『レニングラード・カウボーイズ』に出オチ以上の面白さを感じられず、『マッチ工場の少女』も暗くて好きでなく、今回もやたらと評判がいいけど、きっと好きでないだろうと思いつつも見てみたら、やっぱり暗くてつらい。コメディセンスが高く評価されている。短いし特に退屈もしなかったけど、高い評価を見るとそこまでか?と思う。
彼女がゾンビ映画を面白がるところは好きだ。廃棄の食べ物を横領してクビになると同僚が同時に辞職するところもいい。貧困層のつらい現実を描いている。ちょっとぐらい飲みながら仕事したっていいではないかと真面目に思う。
パラノイドってブラックサバスの?
それぞれ独りで生きる中年であろう男女の恋愛物語。
ラブストーリーってことで観なくても…と思っていたけれど時間潰しに今更観賞。
スーパーで働く女が賞味期限切れの廃棄するパンを持ち帰ろうとしてクビになり、働き始めた飲食店のオーナーが…という流れに、土建の現場で働く男が仕事中に飲酒してクビになり、飲みに行った店のオーナーが…と繋がって行く。
かなり色々と端折った様な見せ方で2人の中をみせていくし、それでいてそんな姿をみせられても?と、もしや2人共一目惚れだったのかと思わせる結論ありきの様な展開で、シンプルなのは良いけれど、シンプル過ぎてこれと言って感情移入する様なところはなかったかな。
携帯やネットカフェはあるし、ラジオから流れるニュースはウクライナ侵攻だけど、暮らしぶりやインテリアが日本だったら40〜50年ぐらい前の頃の様な感じで、そっちの方が気になった。
よく分かりませんが・・
毎日飲みたいお味噌汁みたい
ラジオからウクライナのニュースが聞こえる中、それでも誰かの日常は淡々と続いていくリアルさ。
戦争も、仕事での理不尽なことも、同じ街ですれ違ってばかりで会えない誰かのことも、全部一緒くたに日々は進む。
(比較するの安易な気はするけど、カウリスマキ監督のテイスト、星野源の歌う日常とちょっと近い気がする)
今時スマホもなくガラケー番号のメモ無くして会えない状況、中々珍しいですが、待ち続けていた映画館の前に溜まった煙草の吸い殻がいとおしくって。
ふんだんに出て来る古い映画(ポスター含め)や懐かしい音楽や、これぞ!な感じの無表情で口数が少ない人々と照明の特徴的な当て方、素敵でした。
やっと観られた!うれしい!という気持ちと共に、すごーく地味だけど余計なものを使わずにお出汁を取ったお味噌汁みたいで、エンドロールの"枯れ葉"を聴きながらじわじわーっと心身に染みました。
映画館の暗闇とスクリーンの光は人間を癒し救うんだよな、と。
時代錯誤にアナログな恋模様
季節が巡っても、時が流れてもきっと変わることのないカウリスマキ流スレ違いロマコメ。作中ラジオから聞こえる音で伝えられるロシアによるウクライナ侵攻の情勢。そして、電話番号や電話帳などポケベル時代さながらにアナログですれ違う2人(けど作中見るのは『デッド・ドント・ダイ』)。相変わらず失業者や肉体労働者など貧しい人びとに目を向けるカウリスマキ調にデッドパンする中で収まりの良い画、構図の勉強に。ジェームズ・スチュワート似のアル中が、好きな人のために変わろうとする自分。人との関わりに何気ない幸せ、きっとこうやって誰かと他の誰かが知り合って家族や特別な関係になっていく。機械を極限まで介さずにこの不器用さや時間のかかるさまもまた、人が人である由縁とでもいうかなんとも素敵。今そこにいることが何よりも確かで大事。人生の中でかけがえのないもの、愛しい瞬間を真空パックするように、いついつまでも普遍的。やさしさに包まれて、しっかりと温度(とクセ)を感じる映画の魔法。
ぎこちないから、愛しい
予想よりはあっさりしていましたが
「浮き雲」と「ルアーブル」がわたしの中でのトップ2なので、思いの外、あっさりとした印象でしたが、別に不満があるわけではなく、カウリスマキ監督の一貫した『普通の人たちの生活と愛』(勝手にそう解釈しているだけですが)を久々に観せて頂きました。
例えば、雑誌とかチラシとかスクショみたいたものとかで、劇中のどこかのワンカットを見たとして、監督はあのカウリスマキだ! と認識させる人はこの方しかいないのではないかと思います。唯一無二というのでしょうか、構図とか照明とか美術とか役者の顔とか、まあ絶対にわかりますよね。
普通の人の視線を絶対に外しませんから、映画の中のフィンランドはいつも同じです。娯楽、食べ物です酒、家、トラム、街中、暗さ、服装、映画館。わたしにはとても魅力的に映ります。ちなみに、リッチな゙フィンランドってどんななんですかね?
やっぱり、人間に必要なものは、愛ですね。それは、パートナーです。ひとりで痩せ我慢は辛いです。孤独とは牢獄です。
枯葉の時
それは旬を過ぎた物事をさすかのような
または輝きの成れの果てかの如く
散りゆく命の一歩手前
朽ちゆくだけの乾いた絨毯
どこか哀愁と背中合わせの季語、枯葉。
but
誰しも希望や喜びに溢れた若葉の頃があるように、
ある種の諦観や、固定概念を纏う頃に訪れる枯葉の季節を、等しく喜びと共に迎え入れたい。
枯葉としての目で、耳で鼻で、肌でその季節を感じ、味わい尽くしたい。
どこか鮮色の抜けた佇まいかも知れない、その目が映し出す新たな世界と正面から対峙し、真っさらな心持ちで、その季節を楽しみたい。
辿り着いた先に優劣はなく、地続き且つ新しい現在(いま)の自分が在る。
過ぎたことを悔やむことも、まだ見ぬ未来を憂うことも120%無意味。
どうあれ、
落ち葉となった枯葉は分解され、廻りまわって、新しい葉を作る材料となる。
また土の上に降り積もった落ち葉は直射日光を防ぎ土を乾燥から守る、土の中で暮らす土壌微生物にとって快適な環境を作り出す。
落ち葉の存在は、キノコやカビなどの菌類、ミミズなどの小さな土壌動物が暮らしやすい環境を作り出す。
どう生きても経験は蓄積され、経験は次の命へと繋がっていく。
枯葉の効用と、枯葉の紅葉、等しく尊い。
映像の美しさがズバ抜けてる
映像の美しさがズバ抜けてる。
とくにアンサの部屋、狭いけどセンス抜群の色合いと小物の配置。めちゃくちゃ好きです。自分の部屋、あんな風に装飾したい!※念願の映画部屋を手にしたので装飾欲が😂
ストーリーは…昔のメロドラマっ感じであんまりハマらず😅電話番号書いた紙を風で飛ばされて無くしちゃう、連絡取れないから別れた場所に何日も待ってみる…ベタ展開についていけず!
ほかにも何個か、こりゃー反応に困るな、って展開があった。
自分、恋愛もの苦手か、微妙だなーと思いつつも、最後まで飽きずに観れたのは前述の通り、映像の美しさが圧倒的だったから。
どのシーンを切り取っても素敵な画になる。アンナの部屋の他、カラオケのシーンや小さな映画館周辺も鮮やかだった。
見て良かった。文化の違いも楽しめた。
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