劇場公開日 2023年12月15日

「引退を撤回してくれて、うれしい。」枯れ葉 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0引退を撤回してくれて、うれしい。

2024年1月13日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

この映画では、中年に差し掛かった魅力的な女性アンサ(アルマ・ポウスティ)と、アルコール依存症の金属工ホラッパ(ユッシ・バタネン)が出会い、これ以上ないほど不器用に仲を深めようとする。かなり古風な二人は、60-70年代から、ファッション、小物(タバコ)、家の室内(ポータブルラジオ(真空管)や固定電話)、工場の内景(工具など)、風俗(カラオケ(日本の初期のそれにそっくり)、ジュークボックス)、古い電車やバス停までを伴って、PC・携帯(あのノキアの小型の)からスマホに変遷している現代に(時空を超えて)移行し、我々の課題でもあるロシアのウクライナ侵攻に直面する。ちょうど、アキ・カウリスマキ監督の「ル・アーヴルの靴みがき(2011年製作)」と同じ。
二つの時代を繋げているのは、映画と音楽。映画としては、2019年のゾンビ映画「デッド・ドント・ダイ」を二人で古い映画館で見る。でも映画館の外には、軽蔑(63)や、デヴィット・リーンの「逢びき」のポスターが貼ってあり、観客は、ヌーヴェル・ヴァーグに言及する。音楽としては、地元フィンランドのややノスタルジックなデュオ(マウステテュトット)、表題のフランスの「枯れ葉」、ロシアのチャイコフスキー「交響曲第6番・悲愴」、オーストリア・シューベルトの「セレナーデ」、日本の「竹田の子守唄」(「赤い鳥」が歌った関西フォークの原点の一つ)など。いずれも背景にピッタリはまって、間然とするところがなかった。おそらくカウリスマキは、映画や音楽の背景にある感性(感情)は、二つの時代に共通していて、しかも国際的にも普遍的と言いたいのだろう。
もう一つ気になったこと、ホラッパは、いくらアルコール(ウオッカのストレート)を飲んでも、顔色一つ変えない(日本人との違い)。彼らは、アルコールの代謝活性が高い。では、何故、依存症になるのか。彼は、アルコールが体内にないと元気が出ず、仕事に打ち込んだり、人に会ったりもできない。ただアルコールに強いので、すぐ代謝してしまい、長く身体に残らない。だから、ウオッカをいつも持ち歩いているだけでなく、いろんなところにおいて、仕事を始める前も、仕事中も、いつも飲む。では、彼の身体は結局どうなるのだろう。高いアルコール濃度に晒され続けると、臓器の障害がおきて、やがて腫瘍をつくる。アンサの兄や父のように。しかも、それと前後して、アルコールによる脳の障害が起きる。これが本当のアル中。ヨーロッパの街頭には、たくさんいる。
アンサの部屋での二人の食事は、質素だけれど、本当に好ましかった。ホラッパは、隣人にジャケットをもらって着込み、花束を買って訪ねる。アンサは、食事の材料と共に、一人分のお皿と、カトラリーも買った。食事では、スパークリング・ワインを食前酒に、アスパラガスの前菜と肉料理。彼は、アルコールが足りず、当然のように隠し持っていたボトルに口を付ける。それを見たアンサは兄と父のことを告げて、ホラッパを拒絶し、買ったばかりのお皿もお払い箱に。ホラッパが依存症を克服するためには、アンサによる強い拒絶が必要だったのだ。
カウリスマキは、ノスタルジーに浸っているわけではなく、過去から現在を見ている。シベリウスの「フィンランディア」の国が、ロシアの侵攻を許せるはずもない。しかし、過去から現在を見ることは、彼が貧しい労働者階級の出身だからできたのだろう。きっと、現在から未来も見えるのだと思うから、次の映画も作って欲しい。その根底には、昔も今も共通し、国をも超えた感性の流れがある。私たちはホラッパと違ってアルコールに弱く、従って手ひどい拒絶に会うこともないが、この映画から学ぶこともまた多かった。

詠み人知らず