関心領域のレビュー・感想・評価
全111件中、101~111件目を表示
壁1枚挟んでっていうのは流石にないと思うけど
真っ暗な画像と不穏な音響から始まりただならぬ雰囲気を感じさせつつ、家族の楽しそうなレジャーの映像が映り、ああこの映画は終始こんな感じで話が進んで行くんだなと思わせる。
田舎での子育てや生活しやすそうな環境に大満足の奥さんは塀の向こうでは日がな銃声や叫び声がうっすらと聞こえるが、赤ちゃんや犬の鳴き声と同じくらいにしか感じていない。
大規模な焼却が始まり(義理の?)母親は耐えられなくなり家を出るが、塀の向こうで起こっている事への関心がなく、旦那の浮気にも気づかない鈍感力が際立ち、家政婦に悪態をつくこの滑稽な奥さんの姿を観客にはナ◯ス幹部の家族の象徴の様に思わせる製作側のやり口には嫌悪感しかなかった。
近年のエンタメに昇華させないドイツの過去の所業を題材にした映画は話題性や賞狙いとしか感じられず、個人的には大の苦手なので評価は遠慮させていただく。
※個人の見解ですごめんなさい。
壁の向こう側
壁を一枚隔てた二つの世界。壁のこちら側ではごく普通の家族の営みが、そして壁の向こう側では恐ろしいことが行われている。
アウシュビッツ収容所所長のルドルフ・ヘスの家族が暮らす立派な邸宅には広い庭があり、ヘスの妻が手塩にかけた植物が植えられている。温室やプールまでが備えられ、休日には多くの子供たちで賑わう。
子煩悩であり、善き夫でもあるヘス。休日には近くの川でピクニックや乗馬、釣りやボートを楽しむ理想的な家庭の姿。
そんなヘスの一家が暮らす家の壁一枚隔てた向こう側では常に銃声のような音が鳴り響いている。そして遠くの煙突からは定期的に黒い煙が立ち上っている。しかし彼ら一家はそれらの光景に特に関心ないようである。むしろ慣れっこになっており、気にもならないようだ。ヘスの幼い息子などは時折聞こえてくる何かを罵倒する声の口真似をしたりしている。
ただ、娘は敏感に何かを感じ取っているのだろうか、寝付けないそんな娘にヘスは本を読んで聞かせる。
ヘスの邸宅には食料などの物資が定期的に届けられる。中には肌着などの衣類や高価な毛皮のコートまで。肥料となる灰も常に事欠かないため庭の花々も色とりどりに咲き誇っている。これこそがヘスの妻が理想とする暮らし、何不自由のない豊かな暮らしがそこにはあった。何かを犠牲にして。
そんな時、ヘスに移動の命令が下りる。彼の所長としての功績が認められての昇進だった。しかし妻の気持ちを汲んだ彼は家族を残し単身赴任する。離れ離れになってしまう家族。遠く離れた勤務地からヘスは家族を思う。
大きな計画が実行に移される時が来たとき後任の所長には手に余るため、ヘスが所長を復任することとなった。家族はまた同じ屋根の下で暮らせるようになり、作品はそこで終わる。
大きな計画とはヨーロッパ中のユダヤ人を絶滅収容所に送る計画だった。
たった壁一枚の隔たり、その向こう側で行われていることに関心を持たない人々の姿。これはまさに今の社会を象徴しているのだろうか。
内戦や貧困から逃れ助けを求める難民、紛争が続く中東で繰り返される虐殺にどれだけの人が関心を寄せているだろうか。日々の生活に追われてそんな余裕もないのが私を含めて実際のところではないだろうか。
いま現在もウクライナやパレスチナでは日々虐殺が行われている。確かに日本に住む我々にとっては壁一枚というには距離があり遠い国での出来事とも思える。しかしそこでの出来事が日々テレビやSNSによってタイムリーに情報が得られるという点では壁一枚向こう側の出来事とも言える。
それら情報を手にして、その悲惨な現地の映像を目の当たりにして心を痛める。しかし次の瞬間には自分の明日の仕事のことや、生活のことを考えている。壁の向こう側の出来事への関心は長くは続かない。結局できることは限られてしまう。アクティブな人なら抗議活動などしたりするのだろうが、私は所詮募金止まりだ。
その点、世界中でZ世代の若者たちが声を上げてることには実に頭が下がる。彼らはロシアやイスラエルに対して抗議の声を上げている。
ナチスのホロコーストはもはや過去の歴史上の出来事だが、ウクライナやパレスチナはまさに今起きている進行形のホロコーストだ。ナチスの時代、声をあげれなかったからこそ、今声を上げなければという使命感のような思いがあってのことだろう。
もし無関心のままだったら、結末はアウシュビッツビルケナウ博物館のような光景が待っている。おびただしい数の靴や衣服がそこには展示されている。
本作のラストでは現在のビルケナウ博物館がフラッシュバックされる。そして嘔吐するヘスの姿。自分たちの行っている行為が、無関心でいることがどれほど恐ろしいことなのか本作は自覚しろと訴える。
ただ淡々とヘスの家族の日常を描いただけの作品。壁の向こう側で行われている虐殺はけして描かない。監督は観客の想像に委ねる。だからこそ本作は恐ろしい。視覚でとらえてしまうと想像の余地は狭まる、見せないことであえて観客に想像させる。想像は膨らみ、想像すればするほど怖くなる。想像が作り出した残酷な光景が頭からこびりついて離れなくなる。もはや無関心ではいられなくなる。そんな効果を監督は狙ったのだとしたら本作は大成功だといえるだろう。観客の関心を最大限高めた作品だった。ただ、関心がわかない人にとってはつまらない映画だと思う。
実は本作はヘスの家族以外にもう一つの家族が描かれている。レジスタンスの少女の家族だ。彼女は夜ごと強制労働の現場に足を運びリンゴを忍ばせる。そんな彼女にユダヤ人はメッセージを託す。曲にカモフラージュしたメッセージを。
サーモグラフィーで描かれる彼女の姿は冷酷なナチスとは対照的にぬくもりを感じさせるものであり、本作で唯一の救いとなるものだった。
本作を見て「ヒトラーのための虐殺会議」を思い出した。本作はあの作品と似ている。同じホロコーストを扱っていながら一切虐殺のシーンは描かれない。あの作品は会議出席者たちが淡々とユダヤ人をいかに効率的に虐殺できるかを議論する作品だった。そこには自分たちがいかに残虐な行為を計画しているか自覚してる人間は一人もいなかった。
人類史上、虐殺はホロコーストに限らずいつの時代でもいたるところで行われてきた。十字軍の遠征、広島長崎、クメールルージュ等々。
なぜ人はこうも残酷になれるのか。なぜ人が人に対してかようにも残酷になれるのか。先述のようにこれはナチに限らない。歴史上人は残虐であり続けた。しかし一方でそのような残虐なことができる人間たちも家に帰れば優しい父であったり、親孝行の息子だったりする。本作のヘスもそうだ。善き父であり善き夫なのだ。そんな人がなぜこうも残虐になれるのか。
彼らが日ごろから残虐行為を繰り返す野蛮人なら安心できたが、彼らは我々と同じごく普通の人間だ。そんなごく普通の人間がなぜこのような虐殺行為をできるのか。
それは思考を停止させているからだろう、残虐を残虐とは思わないからだ。牛を殺して食べることを残虐だと考える人間がいないように、ユダヤ人を人間と考えなければ自分たちの行為を残虐だと思うこともない。思考を停止することで人は優しいままでいくらでも残虐になれるとは「福田村事件」の森達也監督の言葉だ。
優しい父、優しい夫のままで、彼らはなんの躊躇もなくおびただしい数のユダヤ人をガス室に送れる。彼らが残虐なのではなく単に思考停止しているだけ。ならば誰もが思考停止すればどんな残虐な行為も行えるのだろう。
私自身戦場に送られれば思考停止して相手を平気で殺せるようになるかもしれない。だからこそ戦争はけしてしてはいけないのだとつくづく思う。戦争が思考停止を生み、思考停止が戦争を生むのだ。
タイトルなし(ネタバレ)
箇条書きで書く
(徐々にネタバレっぽくなる、警告有り)
・本物の家を使って実在の人物ルドルフ・フェルナンド・ヘス(1901〜1947年)とその家族を隠しカメラ風に撮る。
・所長ルドルフは子供の様な声だが奥さんの声は違う。
・鑑賞中「このまま不穏な背景音の中で奥さんの庭自慢で終わったらどうしようか?」と不安になってた。
・カンヌ国際映画祭でグランプリ、アカデミーで国際長編映画賞と音響賞を受賞。
・アカデミー賞の国際長編映画賞受賞の瞬間ザンドラ・ヒュラーが泣いてたのは「あの場所」での撮影がドイツ人として辛かったのだろうか?
・劇中出てくる「カナダ」とは強制終了所のガス室で死亡したユダヤ人の荷物の格納倉庫の事。
↓ネタバレ
・母親に「地元の人よ」と言ってた使用人に「主人に焼いてもらって灰にして撒く」で実はユダヤ人だと気づいた。
・家に残りたい妻の為に所長がアウシュビッツで引き受けた事と、当時の苦悩が後のルドルフの手記に語られてたのか?
・ものすごい煙で凄まじい匂いがしてたのだろう。気づいて耐えれない人が酒の力でも駄目で逃げ出す。
・果物を渡せないので工夫するシーンが『アトランティス』(2019年 ウクライナ映画)とシンクロした。
・今現在進行中の戦争に関心を持ってもらいたいのは間違いない。
・最近映画館で観た、もっとも眠たくなったオープニングだった。この前の『悪は存在しない』よりも。
音や蒸気機関車の水蒸気からリアルに想像が出来るのは『シンドラーのリスト』、『戦場のピアニスト』等のおかげでもある。
沢山あるホロコースト映画やドラマ、本に携われば携わってる方ほど想い描くシーンが出てくるだろう。当事者のユダヤ人の気持ちは計り知れない。
「愛の反対は無関心」とはまさに正鵠
米アカデミー賞にノミネートされた時から
大注目の作品でした。
よく手入れされた美しい庭を持つドイツ人の邸宅は
アウシュビッツ収容所の隣に位置していた。
時折り、銃声の様な音や悲鳴、怒号が聞こえて来る環境。
それにも増して、一日中、ブオ〜〜と言う様な重低音が
何となく家の中でも聞こえて来ている。
時折、空を覆うアウシュビッツからの煙。
川遊びに興じていてもいつの間にかアウシュビッツから
乳白色の汚泥が流れて来る。
そんな環境で、無垢な子供たちは少しずつ何かが蝕まれて行くのに
この家の女主人は、自分が丹精込めた家や庭から離れるのが嫌で
夫が人事異動でアウシュビッツを離れる話をすると
「あなただけ単身赴任すれば〜〜」などとつれない返事。
なんか現代にも通じるよね〜〜。
隣がアウシュビッツ!全くお構い無し!
そんな事、私の知った事じゃない!
その無関心な状態こそが「関心領域」
重い話と覚悟して観に行ったが
そんなにエゲツナイ描写は無い。
でも、ちょっと想像力を働かせれば〜〜〜
映画館で、逃げられない状況でぜひご覧ください。
で、月に8回ほど映画館で映画を観る
中途半端な映画好きとしては
想像力を総動員して観ると
恐ろしい話だと言うのは良くわかる。
映画の中盤、不機嫌な女主人が召使の女性に八つ当たりする。
例えば時代劇とかで女主人叱られて「今晩は晩飯抜きだよ」
と言われても、命までは取らないのだけど
この「関心領域」の家の中で
よく、その言葉が言えるよね!みたいな〜
この家の隣には何があるのか
確実に解っていて、この女主人はノウノウと暮らしている。
コ〜〜〜〜ワ!!
もちろん、解っていないとは思っていないが
この女主人が解っていても、その頭の中には
「人の命」のことなど、かけらも入っていない事を
改めて突き付けて来る。
翻って現実を生きる私。
この世界の理不尽な出来事を知るたびに
自分の懐と相談しながらのささやかにリンゴを置くしか
手を差し伸べられない小さな自分。
この手の映画は、世界を気にして目を向ける人は
何も言われなくとも観に行くのだろうけど
全く関心の無い人にとってはまさに「無関領域」の外!
「愛の反対は無関心である。」 これは
マザー・テレサの言葉といわれている。
どんなに良くできた映画であろうとも、
全く関心の無い人にいかに届けるのか?
結局その課題が残ってしまうんだよね〜〜
因みに今、ウクライナを攻めるロシア。
パレスチナを殲滅しようとするイスラエル。
チベットを凌辱し、台湾をロックオンする中国。
ロヒンギャを良しとしないミャンマー。
また、国レベルでは無くとも女性や子供が
搾取や暴力に怯えて生きている地域が
今、どれほどあるのだろうか〜〜。
みんな助かって欲しいと祈るだけでも
地球が0.0001ミリでも動くと信じたい。
そこは「幸福」や「夢」を掴むとこかあ?
そういう大前提でのボタンの掛け違いがあるから「幸せの団欒」が「不気味」で仕方がない。そんな中、妻の母は多少「心」があったのかも。
仕事というか工場にでも行くように出かけていく主人公一家の父親。子どもたちも何かを見ないようにしてるとか我慢してるとかじゃない。それが当たり前になってるんだよね。
本当にこれが収容所の隣でなければ、平凡なファミリーの日常なんだけどなあ。
BGMがほとんどないのは映画としての効果はある。それはエンドロールも含めて。
ラストらへんの清掃の場面。あそこだけ現代なんだよね。それも何かのメタファーになってるのかもだけど、考えるのが少し怖い。父親病気なの?でもそれを考察するのが怖い。
強烈なインパクトを与えた問題作という点では★5であるのは間違いない。収容所内をまったく見せないのに気になって仕方がないというのも制作側の手腕だよね。
誰でも言いそうな感想は言いたくないな。多分そんなちゃちなものではないと思うんで
愛の反対
得体の知れない反響と、ほんの些細な家族の営みの描写が怖い。
時間が飛んで「施設」を清掃する人々を追っているところが印象的。
それら管理していく人しかり、この作品しかり、こうして歴史は
継承されていくのでしょうか。
自分にもどこか身につまされるところがあった。
暗澹たる気持ちしか残らない映画
私の住む街に小学校と動物保護センターが隣同士に並んで建っている場所がある。
その、保護センターでは犬や猫など動物の殺処分も行っている。
大多数の子供(隣の学校に通う小学生)はそのことを知らされていないだろうが、授業を受けている時や友達と遊んでいる時に、子供たちのすぐ近くで、動物たちの命が奪われているという事実がある。
もちろん、動物の命と人の命を同列に論じることは正しくないのだろうし、哲学的な小難しい話になってしまうのだが、その子供たちは(子供たちが事実を知れば、ショックを受けることがわかっている大人たちを含めて)『無知のヴェール』に守られてるから、普通の生活をおくれるんだよね。
ただ、これは自分たちの生活圏内で起こっていることでも、日本から遠く離れたウクライナやイスラエルで起こっていることでも同じこと。
人や動物を不幸から救いだすことより、自分たちの平穏な暮らしを優先してしまうのが人間だからね。
自分の私財や命を投げうってでも人や動物を助けようとする人をヒーロー扱いするのはそういうことだよね。
さて、前置きが長くなってしまったが、映画の話。
第二次世界大戦のさなか、ユダヤ人の大量虐殺が行われているドイツの非日常の中の日常を描いた映画。
アウシュビッツでユダヤ人が大勢殺されているのに、その近くで幸せそうに暮らす家族の様子を描いたお話。
第二次世界大戦から約80年。
こうした事実(アウシュビッツなどでのユダヤ人大量虐殺)を文字でしか知らない人も多いだろうから、映像に起こすことは一定の意味はあるんだろうが、目新しさが皆無のため、ある程度の年齢の人たちには、擦られまくった題材を繰り返しているだけにしか思えないかもしれない。
まぁ、ドイツは戦争に負けて、侵攻して来たソビエト軍などに(一般人も含めて)めちゃくちゃにされるからな。
因果応報というか、結果的に『ホロコーストは自分たちとは関係ない』では済まされなかったんだよね。
個人的にはそこまで描いてワンセットではないかと感じた。
普段は優しいお父さんが平然と捕虜移送の話をするシーンやラストの殺されたユダヤ人たちの履いていただろう、大量の靴には多少、ゾッとさせられるところもあったが、ドイツ人たちが殺したとされているユダヤ人の数はあんなものじゃないからね。
ちょっとリアルには感じられなかったな。
映画自体はとても地味で、ハッキリ言って退屈。
まぁ、題材が題材だけに仕方の無いところはあるにしても、映画はエンターテインメントだからね。
観客はお金を支払って楽しむために映画館に行くもの。
観客を楽しませることを放棄して、自分(監督)の撮りたい内容を一方的に押し付けるのは自己満足映画としか言いようがない。
淡々と事実だけを流して、解釈は観客に丸投げってスタイルもどうかと思う。
難しい題材だけに下手に監督の主観を入れれば、確実に否定的な意見が出るだろうからな。そこから逃げた感もある。
観ていてまったく楽しくないし、暗澹たる気持ちを抱えて映画館を出ることになるだけ。
個人的には誰かにおすすめすることは120%有り得ないほど、何がしたいのかわからない映画だった。
ただ家族の幸せを守りたい一心。
冒頭は素晴らしいと思いました。常に、呻き声や叫び声、銃声、怒号、狂気の旋律の上で、ただ家族の幸せだけを夢見た市井の家族の姿が映し出されます。最後までその方針を貫いて欲しかった。また、主人公の母や、息子は薄々勘づいていく描写もあり、決して無関心を強調している映画ではないとも感じました。後半からは監督が変わったかのように、よくあるシーンが続きます。そして最終的に、真実より勝るものはないわけで、それら遺物を映し出すのは、映画表現として、放棄に近いものを感じ、憤りを覚えました。エンディングロールも、シュニトケを二番煎じしたような楽曲でさらにがっかり。申し訳ありませんが、おすすめ出来ません。
まさか観終わった後に震えがくるとは!
ドキュメンタリーのように淡々と話が進んでいくのですが、なぜか映画にどんどん没頭していくようで、一度も集中力が途切れることはありませんでした。この映画で普通の健康状態の人間なら寝ることはないと思います。
最後の場面で、ルドルフは2回程吐き気をもよおす場面が撮し出されます。ルドルフに何か異変を感じ、只事でないと感じました。
その後に写し出されるアウシュヴィッツ強制収容所のような施設に無数の靴に何かを感じました。
無関心で当たり前のようにホロコーストをしている恐怖とルドルフに起きた異変の恐怖に、なぜか鑑賞後震えがきました。やはり、映画の出来が良いからだと思います。
関心とは何だろう
映像と音がとてもかみ合わず心がざわつきました。
奥さんの理想の生活を手に入れたと話すのが一番怖かった。
はたから見ていると、何の犠牲の上で成り立っている生活なのかが
想像できるだけにとても怖かった。
非常に心に残る作品。
無関心家族。
アウシュヴィッツ収容所施設の塀一枚隣に住む家族の話。
収容所から聞こえる罵声や悲鳴が聞こえるなか、収容所の所長でもあるルドルフ家族の日常を描く。
本作の予告で目にした恐怖、ホラー的な要素は正直感じなかったけど、収容所の隣で何も気にせずに普通に暮らしてる事、慣れてしまってるって事が恐怖!?って事なのかな。
この手の作品、歴史好き、アウシュヴィッツ収容所に詳しい方には刺さるのかもだけど、私には本作の良さは分からなかった。
ラストの転属先の長い暗い廊下で見た「そうじをしてる女性達の光景」は未來が見えた的な?あえて恐怖、ホラーを感じたのは使用されたBGMと何かを唱えてるようなエンドロールだけだった。
あとセピア色に変わって、夜の闇で果物持った彼女は何してたの?
全111件中、101~111件目を表示