関心領域のレビュー・感想・評価
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ある一時点のための105分。
舞台がアウシュビッツ、ナチスドイツのユダヤ人強制収容所が舞台とあれば、かなり重い映画化かも…と覚悟を決めて観に行った。 延々と、ドイツ家庭のホームドラマを観せられる。 人間の情報収集は、視覚が8割だそうで、「まあ、ドイツ人の看守も、自宅に帰ればただの人なんだな…」と半ば退屈しながら、ぼんやりと観ていた。 何度か、違和感を感じた。 何だろうと自分の中を探ると、それは、音だった。 聴覚からの情報を認識し、その音の出所を理解する。 そして、「関心領域」というタイトルと結びついた瞬間。 ぞわりと鳥肌が立つ。 …そうか、この映画は、この一瞬のための作品なのだ。 分かりやすいホラーより、よほど怖いわ。 仕事なら、ガス室の作動ボタンを押すことも、ルーティンになるのだろうか。 帰り道、そんなことを自問した。 ドイツ人の看守にとって、アウシュビッツ収容所にいるユダヤ人は、生身の人間ではなかったのかもしれない。 単なるモノのように扱い、ただ処理していたのかもしれない。 30年ほど前に、ひとりでドイツ・ミュンヘン郊外のユダヤ人強制収容所を見学した。 人体実験などのいくつかのパネル写真をクリアに思い出し、人間の多面性に改めて身震いした。
灰にして撒いてやる
公開から日が経っていたが、まだ自分の関心領域にあったのでやっとこさ鑑賞。鳥の声などが聞こえるだけのオープニングタイトルのブラックアウトから音に興味をひかせる演出と、フィックスを多用した監視カメラっぽい、のぞき見ふうな映像が特徴的。 アウシュビッツ収容所と隣合わせの生活で、娘は毎夜寝付けない、母親はいたたまれず帰る、ナチ高官の夫でさえ嘔くほどに調子が悪くなったりするというのに、猫背気味にのしのし歩く近ごろ大人気のザンドラ・ヒュラー、自分の幸せな暮らしにしか興味のない、その恐るべき無関心BBAっぷりに震えた。最終盤の夥しい数の靴を見せられるとアウシュビッツを訪問しなければならない気分になるし、マルティン・ニーメラーの詩も頭に浮かんでくる。 赤々と燃える空や黒くたなびく煙突の煙、銃声や人の叫び声、エンドロールも気持ちを不安にさせる音楽が流れ、常に不穏さが伝わってくるものの、惜しむらくは映画では「におい」が感じられないこと。100万人を焼き殺した臭気が漂ってきたらリバースせずにはいられないと思う…。
自分の関心領域
自分は直接手を下していないから当事者では無いと思ってしまうが、この映画はそれを否定する。 映画内では収容所の隣に住む家族は、発砲音や人々の悲鳴、怒号をまるでBGMかのように聞き流している。 聞き流しながらも、1番下の男の子が収容所から聞こえてくるセリフを発する辺り、頭の中では流し聞きしていたBGMが記憶されてしまい、教育に問題が生じているとも考えられる。 まるでそれらを当たり前のようにしているのが洗脳の結果であり、1度当たり前を脱したルドルフはその異常さに気づいて吐いたのでは無いのだろうか。 収容所を保存した現代の博物館が映し出され、その後ルドルフと私たちが目が合った時、ルドルフと私たちが壁を越えて繋がってしまった瞬間なのではないだろうか。 ルドルフが私たちを見つめた時、この映画を見ている私達もまた当事者であるということを示唆しているように見える。過去だからと見逃すことは出来ない。 これは子孫に責任を転換しているのではなく、また同じような事象が現れた時のための映画なのではないだろうか。
不快感ばかり
ユダヤ人への残虐行為が行われている場所から塀一枚のこちら側、優雅な生活を送っている家族の日常をただただ見せられます。しかも銃声や叫び声がBGM。 隣で行われていることに無関心でいれば自分達の生活は守られる、この家族にも不快感だしBGMも常に不快。 でも目を逸らせないんです。 自分もきっと、この時代でこの状況なら同じように生きていたかもしれません。(でも夫の地位や権力を自分の物だと勘違いしている奥様は1番嫌い!) 戦争は人の心をなくしちゃう、だから理不尽な事を平然とやってのける、最近のニュースにまで思いを馳せて、途中から何が正義なのか分からなくなりました。 ところで、ずっーと泣いている末っ子の赤ちゃん、夢遊病みたいに廊下にいる娘、不穏な空気から何かを感じとってるのか?敗戦国となった彼らのその後も気になります。 そういえば、エンドロールが怖かったです。しばらく耳にハウリングのように残ってました。
これはつまらない
話題になっていたのでずっと気になっていましたが、ようやく鑑賞出来ました。 期待しすぎたかな? あまりのつまらなさに90数分が苦行でした。 製作者は何を批判したかったのでしょう? 収容所の横の屋敷で平穏に暮らすあの家族? 私があの環境下に置かれたら、彼らのように愉快に楽しく暮らせる自信ありますよ💪💪💪 彼らに自省を求めるのは酷ではないでしょうか。 問題の真因は別なところにあるように感じました。 音楽、音響、録音はとても素晴らしい。 あえて引きで撮り続けるカメラも秀逸。 映像としてはとても良くできていただけにそもそもの製作者の着眼点に全く共感出来なかったのが何とも残念😢
関心領域は何ですか
妻に誘われ久しぶりに映画館に足を運びましたがアカデミー賞候補になったので題名は知ってはいたものの訳のわからない映画を見て寝てしまうんだろうなと思ってました 予想通り始まった途端に何もない画面に訳のわからない音だけ、やっぱり訳のわからない映画だと思いながら数分後に鳥のさえずりがら川で遊ぶ家族の場面、そして家に帰宅するどこにでもある昔の風景 それからは他の方のレビューにある様なストーリーで、なんと最後まで眠ることはなく見続け、理解できることは少なかったものの目をしかめながらのエンディングロールでした。 しかし各場面を思い返してみると、自分の関心事以外は気にならない、それどころか自分の関心事を保つためには他のことはどうでもいいという人間の性とも言えるべき事を思い知らされるものであったんだなと感じたのです。 戦争という大事でなくても、人が死ぬということについては自分が関心ある人以外はニュースで報じられてもあまり気にならないものですよね。ましてや自分の生活に直接関係のない、例えば世の中を良くすることなんかにはほとんどの人が無関心であり気にもならないことなのでしょう。 ナチスドイツがしたこととは比較にはならないものの、今の世の中、特に政治で起きていることは酷いものです。 それはどれもこれも全て国民と言われる人の関心領域ではないので起きている、起き続けているのだと再認識しました。それはまさに投票率に表れているし、理不尽さがあってもなんの社会的制裁も受けない、誰かたちを見ればわかります。 1人の大人として自分が生きている社会に起こっていること何にでも関心を持つこと、怒ること、それについて意見を持つことの大切さをしみじみと思いました。 もう人生も終盤になってきた私ですが今一度、関心領域を広げてみようと思いました。 私にとっては政治は関心領域なのですけれどね。 あなたも是非政治を関心領域にして下さい。 最後に誘ってくれた妻に感謝です。
どうしてこんなにヒットしてるの?
レビューをまったく読まずに観に行った。 なんていうか、作品の特性上、単館上映するようなタイプの映画だけど、公開から1ヶ月くらい経つというのに、新宿ピカデリーの大きめのスクリーンでの上映でほぼ満席。 ドキュメンタリーではないけど、そんなタッチで、特に説明とかなく淡々とした映像と“音”で描かれてる。 観る側の想像力、関心領域によってもこの作品の解釈ってかわってくるのかな? 久しぶりに難しい作品を観ました。
…変わらんだろ??
かのアウシュヴィッツ収容所の真横に、ナチス高官とその家族が暮らす豪邸が。壁一枚向こうの惨劇をよそに、それに無関心に暮らす人々の恐ろしさを描いた作品。 中々に独特な作品ですね。 銃声や悲鳴もちょくちょく響くものの、それを意に介せず化粧をする奥さん、遊ぶ子供たち…観ているこちらはこの違和感に戦慄を覚える‼…ハズなのだが。。 大部分は、正直退屈な印象。直接的に見せないとは言え、恐ろしい収容所との対比を強調する為か、描かれる日常に惹き込まれるものはない。 …しかし、静かながら最後は強烈‼そうですね、ヘス家の住人の利己的さにイライラをさせられていましたつもりが。。 その視線に、ホレ結局おまえらも一緒だろ?と訴えかけられているような気がしましたね。 よくよく考えたら、このテの作品をみる度知ったようなうっすいレビューを書いている自分や、そもそも本作を途中まで退屈だと思って観ていたことこそが関心領域の外にいたのかなと。 考えさせられる難しい作品だった。 …ここからはワタクシ事ですが、本作を観て思い出したことが1つ。 一人暮らし用の小さなマンションに住んで長いのですが、どうも下の階から夜中の12時頃になると、壁を蹴ったようなドシンドシンという音が響いてくるんですよね(もう何年も)。 ワタクシは寝る時間がもっと遅いのと、上に住んでいるっているのもあって「今日も響いてるな~」くらいにしか思ってなかったのですが、前回の家賃更新手続きの際に、ついでに管理会社に話してみたんですが、何となく取り合ってもらえなく。まぁ、別にワタクシもついでに話してみた程度だったんで良いんですが。 …そう思うと、ワタクシ含め無関心領域な人って結構多いのかな~なんて思ったりしました。最近は落ち着いてきたので引っ越したのかな? さて、自分語りが過ぎましたね。とにもかくにも、色々と自らを振り返るきっかけになりそうです。
恐怖を封じ込めたような、おそろしい映画
こわい。恐怖を封じ込めたような、おそろしい映画です。 そこに封じ込められた恐怖は、ふさいでもふさいでも、じわじわと我々のこころの中に侵入してくるのだった。 とくにオープニングとエンディングでは、ぼくが昔カンボジア、プノンペンのトゥールスレン収容所跡やキリングフィールドを訪れたときの感覚がよみがえってきました。トゥールスレン収容所跡では、ポルポトによって虐殺された無辜の民の怨念のようなものが壁一面に染み付いているような気がした。そこには、なんともいえない不気味で生々しい陰惨な空気が漂っていた。霊感の強い人なら、心身に変調をきたすんじゃないかと思うほどでした。また、キリングフィールドの施設内には、殺害された人々の頭骨が積み重ねられ、彼ら・彼女たちが生前着用していた衣服や眼鏡などが多数展示されていました。ぼくは山積みにされた頭骨よりも、それらの遺品のほうに強いリアリティーを感じ、恐怖したのでした。 そう、そのような恐怖を生むのは、まさに人間の想像力なんですね。人間は想像する生き物だから。 本作も、そういった人間の「想像力」を最大限に、巧みに利用して作っているなと感じました。 塀の向こうから悲鳴や銃声が聞こえ、黒煙があがる。 実際に殺戮の場面を見せることなく、いわば「描かずにして描く」。塀を隔てた“こちら”と“あちら”を対比させて、人間の残虐性を表現していく。 こういうコンセプトはわりと思い浮かびやすいのかもしれないけれど、作品全体にわたって、異様な緊張感を持って、えもいわれぬ不気味さを描き切っているのは見事だと思いました。 また、本作は、劇映画というより、現代アートのような作品だなという感想も抱きました。 とくにストーリーらしいストーリーはなく、収容所の所長とその家族の生活を淡々と描いている。 この作品の一番の特徴は、人物のクローズアップがほとんどない(まったくない?)ことではないでしょうか。 カメラは一定の距離を保って人物をとらえている。まるでテーブルに置かれた静物を撮影するように醒めた目で。 登場人物の感情や主観性といったものをできるだけ排除したこのような手法が、一般的な劇映画と一線を画する要因となっているのでしょう。 それから、撮影レンズの効果によるものなのか、映像の微妙な空間の歪みが遠近感を異質なものにしていて、本作に描かれた世界の不穏さを強調しているようでした。また、夜間のシーンの特殊撮影や、時折挿入される幻想的なイメージも非常に効果的だった。 映画『関心領域』は、我々鑑賞者に、考えたり理解することよりも、まず「感じる」ことを強いてくる。 そのようにして、人間の冷酷さや残虐さを強烈に感じさせる作品でした。 そして、ポップコーン片手に虐殺の映画を眺める私たち……。
邦題と原題に差異がない事に安心
個人:4.0 ホロコーストを対比で描く。 光が強ければより深い闇が現れる。直接的な描写ではなく、外側の輪郭を描く事で、内側のディテールを描く。芯に迫るものがある。 邦題と原題に差異がない事に安心し、その意味に触れたく鑑賞する。ストーリーとテーマが、関心というタイトルを受け止め、本作はホロコーストを人類史として、後世に残す役割を果たしていると感じた。 音へのこだわりも凄まじく、まさに関心という感覚を直訳するような演出だ。 パルムドールらしい、いい作品だった。
洗練されてはいるが
アウシュビッツ収容所に隣接するドイツ人家族の日常生活を描く視点が斬新。 しかし収容所の様子は一切映されない。しかし絶えない煙、悲鳴、銃声、犬の鳴き声がその日常生活の中に自然音のように溶け込み、主婦はこの素晴らしい生活を手放したくないの一心。収容所では何が起きているのか間違いなく知っているが、関心は微塵もない。 しかし夫である収容所所長は、この先さらなるユダヤ人虐殺をしなければならない事で嘔吐が止まらない。 ユダヤ人虐殺を忘れてはならない強烈なテーマを打ち出したが、映画としの面白みはあるが、ドラマを廃したことで感動がない。 映画鑑賞IQが高い人向けのインテリ映画を目指すならこれで良いが、テーマ的に多くの人に観てもらいたかったので、もうちょっとあざとい人間ドラマを入れても良かったと思う。
あの家族のその後は
アウシュビッツの近所に住む家族、くらいの事前情報で鑑賞。 最初音だけの黒い画面で放送事故みたいな不安な感じから、白、赤、また黒と不穏な画面が合間合間に入り、真隣でかつナチス将校の家族だったのね、というところは少し思ってたのと違った。 幕間のヘンゼルとグレーテルや、おそらく現代のアウシュビッツとか、うっすら感じることはいろいろあったけど、自分には難しかった。 いまガザで行われていること、ユダヤの人たちはどう捉えているのかな。
前情報無しで観たかった
アカデミー賞をはじめ各賞レースで話題になり、色々事前情報を見聞きしてしまったけれど、できれば何も知らずフラットに観たかった。 アウシュビッツ収容所の隣で暮らす、裕福な一家の平凡な日常。子どもたちは遊び、夫婦が談笑し、仕事や学校に行く。休日は家族団欒。 本当に大したことは起きない。 だけど、ずーっと背景にある音。昼も夜も絶えず聞こえてくる音。でも我慢できないような騒音ではなく、ちょっと遠くの出来事の音。 それが絶妙で、無視することもできるというのも共感出来てしまう。 そんな状況・場所で普通に暮らせる?と思っていたけど、暮らせてしまいそうだと思ってしまったのが恐ろしかった。
怖い
冷ややかな恐怖。 ラストの現代で、背景で何が起こっていたかが、グロテスクなくらいに突きつけられる。音が怖い。 ユダヤ人から奪ったものを、当たり前のように身につける。 もの以下の扱い、殺処分。 あってはならない。 人が人を殺す権利はない。 こんなに耳をすましながら映画を観ることはなかなかない。見て見ぬふりどころではない 人間は自分の罪悪感に気づかせないために意識すらも消す。 洗脳された人たちのよう。 後半息子か弟(かな?子供)を閉じ込め遊んでる様に ゾッとした。こんな環境に育っていると きっとまた同じようなことをしようとする大人が育つのではないかと思えて。 壁の向こうは海の向こう。 音と淡々とした幸せそうな書き割りのような家庭でこの恐怖を感じさせるとはすごい切り口だった。
アウシュビッツ強制収容所の真横で幸せに過ごすドイツ人一家の物語。家...
アウシュビッツ強制収容所の真横で幸せに過ごすドイツ人一家の物語。家の真横でユダヤに対しての粛清が行われているにも関わらず、ドイツ人一家は無関心で自分を取り巻く平穏な日常にしか興味のない人たち。すごく暗くて、すごく怖い。
新たな角度で迫る反戦映画
まさにタイトルを地でいく映画でした。 隣にあるアウシュビッツ収容所で恐ろしい出来事が日々起きているにも関わらず、まるでその存在すら知らないのが如く、(所長)家族の優雅な暮らしが淡々と描かれていきます。定点観測的なカメラワークでまるでその家族の様子を覗き見しているような感覚に陥ります。 でも、時々、収容所の様子が映像ではなく、間接的に「音」を通じて観客に聞こえてきます。でもそこに住む人々は気づいている様子はありません。そもそも「無関心」といった方が近いのかな?そのギャップに恐怖を感じていきます。 途中で妻のお母さんが訪ねてきますが、夜の焼却炉をみて、そして、それに無関心で熟睡できる娘をみて、突然いなくなります。翌朝、おそらくお母さんの置き手紙になにかしらアウシュビッツのことが書かれていたと思いますが、それをそっと捨てた?しまいました。ちょっと怖かった、、。 とにかくなにも起こらないが、終始なにかが起きるような不気味な感じで物語は静かに進んでいきます。 そしてラストシーン。 所長の内面が唯一垣間見れる階段を降りていく場面。突然、現代のアウシュビッツ収容所の場面とシンクロします。このシンクロさせたシーンの意図はなんだったのか?その他、敢えて間を与えて我々の想像力を試す工夫がいくつかあります。この映画の良心的な存在、りんごを隠す少女のアニメのシーンも印象的で、監督の巧みな演出で最後まで飽きることなく観賞出来ました。 昨年個人的ナンバー1映画だった「pefect days」を破ってアカデミー外国語作品賞を獲ったときいて観たが、インパクト考えると妥当な選択かな、と。ありとあらゆる手法で出尽くし感があった戦争モノに新たな角度を付けて反戦映画を作った監督に拍手👏 怪作也。
「軍用靴で表現」
今年133本目。 軍用靴を洗う所が印象に。 ドイツ人は当時履いていましたがそこで戦時中なんだと表現、素晴らしい。 アウシュビッツの女王。 日本に住んでいるのが恵まれていると思う気持ちも大切。 そこで行われた事は撮らず、叫び声などで表す。 隣の人間は関心を持っていたのかそこが関心領域のタイトルですが、最後のシーンで苦しんでいたんだと。
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