関心領域のレビュー・感想・評価
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嫁
収容所所長の一家は、
ユダヤ系民族の大量虐殺が行われている真横で
愉快に暮らしている。
否応なく生活に染み入ってくる、
その音や、その匂いや、その明かり。
極限状態と隣り合わせにある
快適な暮らしの中で、
徐々に何かが蝕まれていく一家...。
でも嫁いできた嫁は超元気なお話。
サラリーマンの鬱
音響のすばらしさは他のレビューで語られていると思うので、ここではお仕事映画として徹底して主人公の鬱に焦点を置いた映画であった点を強調したい。
毎日人を殺して、効率的な始末の仕方を考え、肉の焼けた臭いを嗅いで鬱にならないでいられるだろうか?
作中漂ういたたまれなさの原因は、収容所に対する登場人物たちの白々しさもさることながら、誰も主人公のヘスの精神状態に対するケアがないことにも起因する。
妻は生活のことにしか、子供と犬は自分の不快にしか、部下や上司は第3帝国のことにしか興味がない。ここが地獄であると自覚し、ここを離れたいと思い、それを言葉にしているのは主人公だけである。
しかし、その言葉は最愛の妻に届かない。小川の前で妻に単身赴任を勧められ、性欲を自分の手で処理する主人公の精神状態は、おそらく世界中の勤め人がいつもどこかで感じているものだろう。なんという孤独だ。
ドライな映像は客観的にも主人公を突き放す。製作者と登場人物、両方からここまで疎外される主人公はそういない。いやな気分にさせる映画として本年度No1になりそうだ。
聴覚を刺激し、想像力を掻き立てる
この映画にストーリーはほぼ無い。
何気ない家族の日常を描いており、時たま家族内のいざこざが描かれているが、壁の向こうで起きていることを常に想像させられているので、家族内の出来事があまりにもどうでもいいことにしか映らない。次第に家庭内の雰囲気がヒリヒリしていくように感じるが、それが壁の向こうで起きていることに影響されているとは思えない。
かなり豪勢で贅沢な日常生活を送っている彼らと、テレビの向こうで起きている戦争を見ながら「ああ、大変だね」と呟いている我々にさほど大差はない気がする。
無関心は罪である、と改めて認識させられる。
遠くの銃声は軽い音に聞こえる
事前にどのような映画なのかしっかり調べて、なんならネタバレ感想も読んでから挑みました。
ショッキングなシーンが少しでもあると怖いので…
とある特殊な撮り方をしているシーンだけ難解でした。後から解説を読んで納得。
心から万人に勧めたい作品とはいえませんが、少なくとも私は有意義な映画体験でした。
眠くなる
興味深いストーリーではあったけど映画として面白くない、眠くなる
直接的な暴力描写を使わずに音で隣で起きてる事を伝える手法は面白いし独特の間も良い
でもアウシュビッツで起きた事に付いての正しい知識もないからイマイチしっくりこない
きっとそれは私が「無関心」だから
ちゃんとした映像作品だった、、
関心領域
怖くない、が、何だろう?
音とか?
意外に平凡な演出とも、、、。
ですが、結局最後まで、
真黒なスクリーンをずっと眺めていた気分にさせられる作品。
長い始まりと自分史上最高にかっこいいエンドロール。
既に、最終章を序章に刷り込まれて観てしまう現代人のステレオタイプには、、、
オァウフィビダァゼェン。
無関心には主語なんて、、、、存在しない、、、事を教えてくれた。
ひさしぶりの金返せ
予告も見た上できっと最終的には何か仕掛けてくることを期待して鑑賞に至ったけれど、まさかここまで響かなかくてビックリ。悲惨さを音だけで感じとれる人は戦場にでも行ったコトあるんでしょうか😅
予備知識なく見たら、え、アウシュビッツってアノ? え、じゃあこの音は銃声💦とか衝撃を受けれたのかしら。
これくらいなら美術館で15分くらいの実験映像でいくない?
戦争が当たり前の時代に生まれていたとしたら…
今に生きてるから《絶対に反戦》と思いますよ。けど世が世なら…戦時中を生きてたら…自分だって気づくかわからないです。人として《理性》持ててるかわからない。国の思想、時代の思想に流されてるはず。とても怖い。人間て愚かな生き物。戦争に限らず《優勢保護法》とかさ、時代で人を不幸にしてきた事って沢山ある。ただただ亡くなっていった方に御祈りを捧げます。
靴の上から足を掻く
これを想像力というのだろうか。
物事を小難しく描く、というのはインテリの皆さんの好みなのか。
オッと思ったのは、現在のアウシュビッツの描写くらいか。
マニアックとも違う、変な難解さと周到な思わせぶりに、眉間にしわが寄った。
私にはその面白さが分かりませんでした。
無関心を超越している無感覚な人間達が恐ろしい
作り手が見る者に挑んでくるきわめて挑戦的な映画である。冒頭真っ黒な画面と音が約二分間続く。まるで見る者を暗黒面に誘うようにだ。ユダヤ人が毒ガスで殺されるアウシュビッツ収容所の壁一枚隔てて瀟洒な豪邸でアウシュビッツ収容所の所長家族が暮らしている。
その家には死にゆくあるいは死んだユダヤ人の衣服や食料が持ち込まれ、衣服を身体に纏い豪華な食事を楽しんでいる。このシーンを見ているだけで何か得体の知れない身の毛がよだつ感覚に襲われ恐怖すら感じた。
その要因の一つ目は、ユダヤ人を「人間」と思っていなことだ。軍人たちはユダヤ人を「荷」と呼ぶし主婦達はユダヤ人は抹殺されて当然な民族と思っていることだ。家族や仲間は、完全にナチスのユダヤ人排斥のプロパガンダに骨の髄まで染み込んでいることだ。
要因の二つ目は、ユダヤ人を一切映さない撮影技法だ。映像にはしないが、この家はアウシュビッツ収容所のすぐ隣である。ユダヤ人の叫び声やパンパンと響く銃声が聞こえているはずだ。加えて隣では、人間を焼却して炎が見えるし映画では感じられないがかなりの臭いもするはずだ。しかしここで暮らす家族は何も感じていない。もはや無感覚に
なっているのだ。無関心を超越した無感覚さが恐ろしいのだ。
映像であえて映さない毒ガス室に送られユダヤ人の恐怖や落胆、死を見る者は想像する。それは、映画中盤に画面を真っ赤にしたことによって血流の断絶を想起させるからだ。たった壁一枚隔てて死にゆく者と豪華な生活を送る者の対極を作り手は見せつける。広い庭、温室、色とりどりの花々、滑り台付きのプール、豪華なベッド、部屋の内装を自慢する妻の感覚が恐ろしい。「自分がどこに住んでいるのか」を気にしない無感覚が恐ろしいのだ。
幼い娘が見る夢、モノクロで暗いトーンである。それが一瞬カラーに変わるのは何故か。ピアノを弾き歌うのは誰なのか。ラストシーンも再度真っ黒な画面で覆い重低音の腹の底に響く音楽が流れる。作り手は見る者に挑んでいるのだ。「この家族の未来はわかっているな」と。
#13 理想の棲家は
アウシュビッツは収容されている人たちにとっては地獄のような場所でも、司令官の妻からすれば理想の夢のような棲家だったんだ。
関心領域というか、私には中で起きていることに全く興味がない家族は無関心領域に生きてるようにみえた。
あのリンゴを夜中に運ぶ少女と妻の母が突然家を出て行った理由がわからなかった。
置き手紙には何が書いてあったんだろう?
計算された設定、ラストが見事
最初これで終わり?とも思ったのですが、エンディングの曲を聴いているうちに現代に通じるすごく意味のあるラストだったと感じるようになりました。
去年、同じ映画館で「pearl」を見て大満足だったのですが、同じ配給会社A24とは知らなかった。
思わずパンフレットを買いましたが、作中ちょっとわからなかった描写の解説があり、こちらも満足。パンフレット内で紹介されているこのご時世に対する監督のコメントにも気骨を感じました。関心領域というタイトルの妙にも唸らされます。
もしお財布に余裕があったら、パンフレットを買うのがおすすめです。
ある一時点のための105分。
舞台がアウシュビッツ、ナチスドイツのユダヤ人強制収容所が舞台とあれば、かなり重い映画化かも…と覚悟を決めて観に行った。
延々と、ドイツ家庭のホームドラマを観せられる。
人間の情報収集は、視覚が8割だそうで、「まあ、ドイツ人の看守も、自宅に帰ればただの人なんだな…」と半ば退屈しながら、ぼんやりと観ていた。
何度か、違和感を感じた。
何だろうと自分の中を探ると、それは、音だった。
聴覚からの情報を認識し、その音の出所を理解する。
そして、「関心領域」というタイトルと結びついた瞬間。
ぞわりと鳥肌が立つ。
…そうか、この映画は、この一瞬のための作品なのだ。
分かりやすいホラーより、よほど怖いわ。
仕事なら、ガス室の作動ボタンを押すことも、ルーティンになるのだろうか。
帰り道、そんなことを自問した。
ドイツ人の看守にとって、アウシュビッツ収容所にいるユダヤ人は、生身の人間ではなかったのかもしれない。
単なるモノのように扱い、ただ処理していたのかもしれない。
30年ほど前に、ひとりでドイツ・ミュンヘン郊外のユダヤ人強制収容所を見学した。
人体実験などのいくつかのパネル写真をクリアに思い出し、人間の多面性に改めて身震いした。
灰にして撒いてやる
公開から日が経っていたが、まだ自分の関心領域にあったのでやっとこさ鑑賞。鳥の声などが聞こえるだけのオープニングタイトルのブラックアウトから音に興味をひかせる演出と、フィックスを多用した監視カメラっぽい、のぞき見ふうな映像が特徴的。
アウシュビッツ収容所と隣合わせの生活で、娘は毎夜寝付けない、母親はいたたまれず帰る、ナチ高官の夫でさえ嘔くほどに調子が悪くなったりするというのに、猫背気味にのしのし歩く近ごろ大人気のザンドラ・ヒュラー、自分の幸せな暮らしにしか興味のない、その恐るべき無関心BBAっぷりに震えた。最終盤の夥しい数の靴を見せられるとアウシュビッツを訪問しなければならない気分になるし、マルティン・ニーメラーの詩も頭に浮かんでくる。
赤々と燃える空や黒くたなびく煙突の煙、銃声や人の叫び声、エンドロールも気持ちを不安にさせる音楽が流れ、常に不穏さが伝わってくるものの、惜しむらくは映画では「におい」が感じられないこと。100万人を焼き殺した臭気が漂ってきたらリバースせずにはいられないと思う…。
自分の関心領域
自分は直接手を下していないから当事者では無いと思ってしまうが、この映画はそれを否定する。
映画内では収容所の隣に住む家族は、発砲音や人々の悲鳴、怒号をまるでBGMかのように聞き流している。
聞き流しながらも、1番下の男の子が収容所から聞こえてくるセリフを発する辺り、頭の中では流し聞きしていたBGMが記憶されてしまい、教育に問題が生じているとも考えられる。
まるでそれらを当たり前のようにしているのが洗脳の結果であり、1度当たり前を脱したルドルフはその異常さに気づいて吐いたのでは無いのだろうか。
収容所を保存した現代の博物館が映し出され、その後ルドルフと私たちが目が合った時、ルドルフと私たちが壁を越えて繋がってしまった瞬間なのではないだろうか。
ルドルフが私たちを見つめた時、この映画を見ている私達もまた当事者であるということを示唆しているように見える。過去だからと見逃すことは出来ない。
これは子孫に責任を転換しているのではなく、また同じような事象が現れた時のための映画なのではないだろうか。
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