関心領域のレビュー・感想・評価
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胸に迫る音響。ずしりずしりと響く。流石アカデミー賞音響賞!
ホラーの様にすごく恐かったです。グロいシーンが無いのに恐い。
戦争というものの本質を突いているというか…。平気になってしまうことが恐い。
音響、流石にアカデミー賞を取る筈です。素晴らしかったです。
600頁に及ぶ音響の為だけの脚本を元に構築された音響見事でした。シーンシーンに見事にマッチしてグイグイ心に迫ってくる。映画館で観て本当に良かったと思いました。
グロいシーンは全く無いのにちゃんと反戦映画として訴えかけてくる。世界のあちこちで戦争が起きててもいつの間にか無関心になって当たり前になってしまっている我々へのメッセージを受け取りました。
人間の醜さ
セカンドオピニオンを
こわい
「ナチスの残虐行為の断罪」ではない
この映画の核心にあるテーマは、我々の「関心領域」と「無関心領域」の対比だ。舞台となるアウシュヴィッツ収容所の隣にある豪邸は、実際には家族にとって壮絶な現実から切り離された場所だ。ヘートヴィヒと彼女の家族は、ナチス体制によって与えられた豪華な生活に浸りながら、収容所での恐怖や苦しみを「関心領域」として扱っていない。この態度は、現代における私たちの無関心にも通じるものがある。
この映画は、単にナチスの残虐行為やその恩恵に浴した人々を断罪するものではなく、我々の「無関心」を批判している。戦争や人道的危機、気候変動といった地球規模の問題に対して、私たちは知識を持っていても、それが日常生活に直接影響を与えない限り、行動を起こすことは少ない。この「無関心領域」の存在が、映画を通して浮き彫りにされ、我々の社会的・倫理的責任を問いかけている。
「ホロコーストを知っている」ことが重要ではなく、我々が自身の「無関心」を直視し、世界の問題に対する意識を持ち行動することの必要性を訴えている。そのように思えてならない。
全文はブログ「地政学への知性」でご覧ください。
現在の関心領域
アウシュヴィッツの絶滅収容所から塀一枚隔てた豪奢な家で穏やかに暮らすルドルフ・ヘス所長一家の日常を淡々と描いた皮肉で恐ろしいホーム・ドラマです。収容所で起きている事は全く描かれず、収容者の姿すら殆ど見られません。ただ、塀の向こうに見える煙突からは止むことなく煙が立ち上り、銃声や人の悲鳴と思える「音」が微かに聞こえるだけなのです。家に集まるドイツ婦人らは、収容ユダヤ人から巻き上げたドレスや宝飾の品定めに余念がありません。
収容者の中から選んだのであろうユダヤ人家政婦に対し「夫があなたを灰にして辺りに撒き散らすから」と冷静に言ってのける夫人の穏やかな暮らしの直ぐ隣で進んでいる現実に対する想像力を観る者は試されます。安易な手持ちカメラは用いず、構図を決めた固定カメラの映像が冷ややかな美しさを湛えます。2月頃、本作の上映情報が出た時、「『関心領域』なんて日本語として座りの悪いタイトルだなぁ」と思ったのですが、今となってみればこれ以上にない選択に思えます。
本作を観ていると、文字通りの塀で閉鎖され「天井のない監獄」と称されるガザで進行中の現実を嫌でも連想するのですが、現ドイツ政府は完全にイスラエル側に立ち、パレスチナ問題を塀の向こうの「関心領域外」としている事を一体どうとらえたらよいのでしょう。
この映画を観て重い心を引きずったまま市の図書館に寄ったところ、本作の主人公のひとりでもあるルドルフ・ヘスが書き残した『アウシュヴィッツ収容所』を見つけました。彼が戦後に本を書いていたなんて知らなかったので、早速読み始めました。でも、「なぜ彼は?」を知ろうとしても、アイヒマンの場合と同様に凡庸な答えしか得られないのだろうな。
終始作中に蔓延する不快感こそ無関心の罰
作中で描かれるのは、ナチス幹部の一族の華麗なる生活である。ホロコーストの惨劇は少しも描かれない。それでいて、ホロコーストの悲劇を、ナチスの罪を、民主主義の欠陥を、なんと克明に描いた作品であろうか。
終始感じる不快感の正体は音だ。ヘス一族の何ら変哲のない生活の中に、人の咽び泣く音、無機質な機械音、不穏な爆発音が止めどなく流れ同化しているのだ。
不快である。不穏である。充満しているのだ。
かのホロコーストの惨劇の最中、当時の人々は、ヒトラーに手を掲げ忠誠を叫んでいた人々は、どんな気持ちだったのか。積極的にナチスを指示し、ユダヤ人に蔑みの視線を向けていたのか。当時最も洗礼された民主主義の体系を持っていたドイツでなぜ史上最悪の指導者が誕生したのか。
無関心である。このことはポピュリズムが蔓延する現代に間違いなく通づる教訓を与えてくれるはずだ。
終始背筋が凍るばかりだった。映画館で見るべき映画とはこう言うものではないだろうか。
何も起こらないのにずっと緊張を強いられる
知っていることの責任
256 そんなに見つめないでよ
オープニングの画面でいきなり睡魔が。
レビューを見てあーそういう意味ね。
人間の業が出まくりなのは笑った。
だって大きな家の方がいいもん。
プールに滑り台でっせ。
転勤?!イヤよ、あんただけ行って、
あんたは好きだけど。
オカン凄い家でしょう。え?実家に帰った?
なんで?
まあ、拙は人間ってそんなもの。
同調圧力って跳ね返せない、とも思っているので
作品としては素晴らしいと思うも
人間的にはなかなか改善改革は困難なんだよねー
とどこか冷める。
A24作品なのでどこまで攻めるかと興味が
あったがなかなかなものであるのは事実。
監督のジョナサン・グレイザー
「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」でも我々の
認識を一歩ずらす演出で
本作も一筋縄ではいかない様子。
70点
2024年8月13日 京都シネマ
今の世界中に繋がる無関心という恐怖
この作品は、音とアウシュヴィッツ収容所の隣で暮らすごく普通の家族を通じて、無関心という事が本当に恐ろしい事を訴えています。
ヘートヴィヒがベッドに隠しているコートを自分の物と思い込み、着こなしてかつ、ポケットに入っていた口紅を塗る場面、ルドルフ司令官とその子供が川でレジャーを楽しむ内に沈んでいた処刑された人の骨が当たり、あわてて家に戻り、シャワーを浴びる様子、赤ちゃんが泣き叫び、誰も止めず、隣接する収容所の環境に耐えきれず、実の母親がいきなり出ていく所、銃声、怒鳴り声、悲鳴が最初から最後まで途切れる事なく響いている状況、仕事と家庭で起きている軋轢、命懸けでりんごを置いて行く姿、塀の外でまかれる人骨の灰、最後に出てくるアウシュヴィッツ収容所記念館のおびただしい受刑者の遺品、ガス室、司令官が吐き気をする所等...阿鼻叫喚です。
紛争、格差、気候変動等ポリクライシス=複合危機が世界中でリアルになっている中、この映画「関心領域」は無関心がいかに自分自身の生活へ跳ね返り、リスクを背負う事への警告を訴えています。
私にもあるヘスとの共通性
8/15が今年もやつて来る。毎年、この時期には戦争とヒトとの、戦争と国家との、戦争と民族との関係性を考える機会として来た。昨日、山口市で「関心領域」という映画を見た。
映画を見に行き途中で寝てしまった事や途中で退出した事はあったけど、昨日は途中退席し、しかし意を決して再び戻り続きを見た。そうした体験は初めてだった。
退席した直接的な理由は緊張感のあまり尿意を催し、それが最大尿意に達したからだけど、一度外の空気を吸わずにはいられなくなったからだ。
映画はアウシュビッツの所長を務めたルドルフ・ヘス家族の日常を綴ったものだ。壁を隔てた向こう側には生存率10%と言われるユダヤ人等絶滅収容所がある。壁のこちら側ではヘス所長家族らが一見すると優雅で贅沢な日常を送っている。映画Schindler's Listとは違い、ユダヤ人に対する虐殺の直接なシーンは一切ない。しかし煙突から上がる炎、川に流れてくる白い灰、それを浴びた子どもたちが不浄なものを拭うように風呂場でゴシゴシと擦られる場面、何度も何度も出てくる汽笛、射殺音、ユダヤ達の悲鳴とむせび泣く様な声、そうした音の通低音として鉛を流したような音。こうした環境でも正気を保つていた様に描かれていたのは妻のイルセ・ヘスだ。女は強し。
私は2017の夏にアウシュビッツ、第二アウシュビッツと言われるビルケナウ、チェコのテレジン収容所を訪れている。アウシュビッツでは日本人の公式ガイド員の中谷剛さんに案内してもらった。同じコースの英語のツアーにも参加した。行くにあたっては事前に何冊もの関連書籍を読み、DVDを見た。だからこの映画中のユダヤ人虐殺の場面が直接的に分かるというか感じられてしまうのだ。
私が退席した理由と再び鑑賞した理由はこの映画の映像と音が現地で見てしまったものを呼び起こし、でも最後までやはり見ないといけないと判断したからだと思っていた。
映画の後、アフターアワーカフェが行われ、話さずにはいられない私は参加した。話すとまた2017年に見たアウシュビッツを思い出す。映画のラストでは現実のアウシュビッツ博物館を清掃作業するシーン、その後にヘスが階段で吐き気を催しゲロを吐こうとするシーンが連続してた。カフェ参加者はあれはヘスのゲロを片付ける事の示唆ではないかとか、いやいや清掃員の日常はアウシュビッツで死体処理やその後の灰と骨の搬出をさせられたユダヤ人達の姿ではないかとか、清掃員にとって展示品は日常の光景で無関心になるのは当たり前だとか、そんな話が出てた。私はNIVEAの缶が展示してあった事を思い出した。
映画はヘスが螺旋階段を降りていくシーンでほぼ終わった印象がある。ヘスは自分がやってる事、この先待ち受けている事を理解しいたのだと思う。しかし私は何故、退席したのか、何故あそこまで緊張して映画を観たのか、今ひとつ合点がいかなかった。
山口からの帰りに私はセローのバイクで高速を走った。90km以上のスピードでトンネルを走ると、高周波帯の風切音となる。それは正に先程見た映画で聞いた人の悲鳴や慟哭だ。酷似した音だった。セローの様なバイクで高速を走ると風圧をまともに受けハンドル操作を誤ると死ぬ。しかしトンネル内はオレンジの光に照らされ他の情報がなく、正にゾーンに入っていた。一点だけ見つめて危機感は薄れ、狂気染みる。
アフターアワーカフェで私が話したことは壁の存在、壁を隔てた向こう側は想像でしか補えないことだ。情報は遮断され、加工されて、こちら側に都合の良いものしか届かないシステムとなっている。
私を震撼させたもの、私に緊張感を強いたものの正体は私の中にもあるヘス長官と共通する都合の悪いものは見ない様にする事や自己の保全を第一に考える脳機能、私の中にもある他者への残虐性なのではないかと思った。そう思えたのは高速道で体感したあのゾーン感覚だ。
関心領域をThe areaとは言わず、The zoneとタイトルしたのは、ゾーンに入れば他者への関心などなくなるからだ。それは私だけでなく、ヘスと同様、全人類のDNAに深く刻み込まれている人の属性なんだと私は思っている。シンドイ映画だった。
嫁
サラリーマンの鬱
音響のすばらしさは他のレビューで語られていると思うので、ここではお仕事映画として徹底して主人公の鬱に焦点を置いた映画であった点を強調したい。
毎日人を殺して、効率的な始末の仕方を考え、肉の焼けた臭いを嗅いで鬱にならないでいられるだろうか?
作中漂ういたたまれなさの原因は、収容所に対する登場人物たちの白々しさもさることながら、誰も主人公のヘスの精神状態に対するケアがないことにも起因する。
妻は生活のことにしか、子供と犬は自分の不快にしか、部下や上司は第3帝国のことにしか興味がない。ここが地獄であると自覚し、ここを離れたいと思い、それを言葉にしているのは主人公だけである。
しかし、その言葉は最愛の妻に届かない。小川の前で妻に単身赴任を勧められ、性欲を自分の手で処理する主人公の精神状態は、おそらく世界中の勤め人がいつもどこかで感じているものだろう。なんという孤独だ。
ドライな映像は客観的にも主人公を突き放す。製作者と登場人物、両方からここまで疎外される主人公はそういない。いやな気分にさせる映画として本年度No1になりそうだ。
聴覚を刺激し、想像力を掻き立てる
遠くの銃声は軽い音に聞こえる
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