関心領域のレビュー・感想・評価
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他人事ではないです
ナチスによるユダヤ人虐殺の象徴といえるアウシュビッツ収容所のすぐ隣で、所長一家が裕福で平和な家族団らんの生活をしていたというのを、音や気配で感じさせる秀逸な演出が話題なので観に行きました。
観る前は、「大勢の人々がこんなにひどい目に遭っているのに無関心だなんて、なんて恐ろしい、冷酷非道な奴らだ!」と怒りや恐怖を感じるのではないかと思っていました。
でも、わりと最初の方から、これは現在、平和を享受して呑気に映画を観ている私たちに対する断罪のメッセージも込められているのではないかと、重苦しい気持ちになりました。
戦争・紛争で直接の暴力・虐殺にさらされている人々に対してはもちろんですが、貧困や差別その他の理不尽に苦しむ人々に対しても、平和で便利な生活を送る自分は構造的な悪の側にいるのではなかろうか、と感じました。非常にしんどいです。
ではどうすればいいのか、までは俄かには思いつきませんが、他人の苦しみを想像できない人は、この所長一家と同じだよ!ということなのでしょう。
呑気に気楽に暮らす人は、一度みてみるといいと思いますが、感じやすく傷つきやすい人には危険な作品です。極度に落ち込むことがないよう、気の合う人と一緒にみて頭を切り替えられるようにしておくことをおすすめします。
罪悪感も背徳感も持ち合わせていない、わが世の春を謳歌するヘス一家の日常を画いた作品です。
月曜日のお昼なのに、結構お客さん入ってました。自分の予想よりもこの映画に関心を持っている人が多いようです。
だけど、こんな重い映画にも関わらず、ある若いカップルがでっかいポップコーンをにこやかに食べてました。
観る映画間違えたんじゃないか?あぶ刑事と
無関心の恐ろしさ
アウシュビッツ収容所の真横で暮らす所長の家族を描いた作品。メッセージ性だけはずば抜けてた。メッセージ性と音で感じる作品かなと。
見てて思ったのが無関心の恐ろしさってこう言う事で私たちも世界で戦争やってても無関心だから普通にご飯を食べ冗談言って笑って遊んでって見てる私たちの事でもあるんだなと突きつけられた感じがしました。
真横の収容所からいろんな音が聞こえる中そこは一切見せず音だけで想像させカメラも定点カメラでスイッチングのみで撮るという斬新だったけどストーリー性ゼロだからなんせつまんないという。
家の真横に収容所がありいろんな音がしてる中(今射殺されたな、燃やされてるな、なんかされてるなぁ) 嫁はよく平気で暮らせてるなって思って見てるけどつまんないんだよ。
とか言いつつもザンドラ・ヒュラーの演技は相変わらず自然すぎて化け物(褒め言葉)でしたね🫶
想像力
この映画想像力のある人が観れば面白いと
おもいますが
想像力が無い人が観るとたぶんなんじゃこりゃ
になると思います
私はその中間かな まあまあかな
何回か観れば登場人物の行動とか分かってくると
思います
印象に残った所 夜のシーンで女の子がりんご
外に置いてる所をサーモグラフィー撮ってる
シーン 気持ち悪いけど これも深い意味が
あるだよな
まぁインパクトのある映画だったな
また動画配信されたらじっくり観てみようと
思います。
ネタバレしても問題なし。完璧に予習していくべき映画
普通の映画好きな私にとっては
全く理解できない映画でした
しかしながら
周りの人の映画評を読んでいくうちに
なるほどなあ…
と思うことが多々ありました
本映画
各国の映画賞を受賞してますが
その撮り方、演出が画期的みたいです
反面
ストーリーはほとんどありません
よって
予習を完璧にしてから鑑賞することを
強くオススメします
ドキュメンタリーの撮り方で描かれた矛盾した現実生活
Glazer監督は、厳粛なドキュメンタリーのスタイルで、アウシュビッツ強制収容所に隣接するルRudolf Höss一家の物語を淡々と語りました。
銃声、叫び声、壁の向こう側に立ち上る焼却炉の煙、窓越しに感じられる火光に染まる赤い空。Rudolf Höss一家と彼らと共に生活する人々は、壁の向こう側で何が起こっているかを知っているだろう。
この映画は情報量が非常に多く、一つの文章に感想をまとめることは非常に難しいと感じましたが、私の人生で一番印象に残る映画と言っても過言ではないです。
全く派手さや虚飾を排した表現はありません。
反戦とは何か?Glazer監督は感情を抜かしてドキュメンタリーのスタイル課題を観客に打ち出しました。
2ヶ月前、「ガーディアン」がRudolf Hössの娘Brigitteへのインタビュー記事を発表しました。インタビュー終了後まもなく、Brigitteは亡くなりました。
記事の中で、記者はBrigitteに「お父さんはどんな人だったと思いますか」と尋ねました。
Brigitteは「良い父で良い夫だと思います。同時に非常に責任感のある人でもありましたが、いつも落ち込んでいるようでした」と答えました。
記者が続けて「でも彼は多くの人々を虐殺しましたよ」と質問し続き、Brigitteは「分かっていますが、彼には上司がいて、命令に従わなければならなかった」と小さな声で答えていました。
年老いて弱ったBrigitteを前に、記者はしばらく無言で。
映画の中のRudolf Hössも同じく矛盾している人間でした。
良い父親であり、動物に対しても同情心を持っていますが、一方ではユダヤ人をより効率的に大量処理する方法について議論していました。
映画の終わりで、Rudolf Hössの吐き気は生理的にこの行為に抵抗しているように見えますが、彼の脳はナチスドイツにとって「正しい」とされる命令を実行し、それが「責任ある」行動であると自己洗脳しているようでしょう。
「I am therefore glad that I was able to record her testimony on the record for the sake of history, for the sake of anyone who wants to understand how human beings are capable of carrying out such an atrocity, for anyone who wants to stop such things from happening again。」これはこの記事の最後の言葉であり、映画「関心領域」が社会のため貢献できたことだと思います。
利益の前で、第三者の視点からシンプルなカメラワークで描かれた人間の複雑性が明らかになり、この映画が私にもたらした考えはいままでなのものです。
無関心の共犯性
凄まじい映画でした。
日常の一場面が切り取られつながれている、暴力表現や過度な性表現の皆無な映画です。
だけど、凄まじいくおぞましい暴力性に満ちている。吐き気を催す様な性の存在がある。
「音」の存在感や、カットの画面構成、全体の場面構成、どれも秀逸です。
無関心であること無知であることの、大罪への共犯性について強く感じさせられました。
は博物館となった現在の元アウシュビッツ収容所とさりげなく接続させる映像が秀逸。「関心領域」は現代にもあったということでしょう。
イギリスの作家マーティン・エイミスの同名小説を、「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」で映画ファンを唸らせた英国の鬼才ジョナサン・グレイザー監督が映画化され、今年のアカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した作品です。
ナチスの罪悪を題材とした映画は毎年何本も作られ、次々と新しい視点が示されてきました。「関心領域」もその一本ですが、ここで描かれるのはユダヤ人虐殺に関わらなかった人たちです。だからこそ、この作品は現代の私たちと直結し、今まさに起きていることとして迫ってきます。
タイトルの「The Zone of Interest(関心領域)」は、第2次世界大戦中、ナチス親衛隊がポーランド・オシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む40平方キロメートルの地域を表現するために使った言葉で、映画の中では強制収容所と壁一枚隔てた屋敷に住む収容所の所長とその家族の平和な日々の生活が描かれます。
●ストーリー
舞台は第二次世界大戦中。映画は水辺にピクニックに来た一家の姿から始まります。両親と子どもたち、平穏で平凡などこにでもある風景です。
しかし、次第に不穏な空気が漂い始めます。実は一家はアウシュビッツ収容所の隣に住んでいて、父親のルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)は初代収容所長だったのです。壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、気配から着実に伝わってきます。
ところで一家がこの家に住んで数年。当初は単なる荒れ地だった今の場所に、妻のヘートビヒ(サントラ・ヒュラー)は自身の趣味で庭を造園し、屋内も居心地よく整えて理想の家を作り上げいていました。ところが夫のヘスの収容所長の実績が評価されて、本部への栄転の話が舞い込んできます。しかし、そんな名誉にもヘートビヒはせっかく育んだ家から動きたくはありません。行くなら家族を置いてひとりで行けと迫るのです。
ヘートビヒにしてみれば、今の家は17歳の時の夢が実現したものだったのです。なのでこの暮らし、この場所を立ち去ることなどなんてあり得なかったのでした。ルドルフは板挟みになって頭を抱えます。結局彼女の望みは、叶えられ、美しい屋敷に留まりますが、時は、まさに1945年。彼女の関心領域を守る壁が壊される日はすぐそこに迫っていました。
●解説
冒頭、スクリーンはしばらく真っ暗闇のままで、不快な音だけが響きます。最後まで耳をそばだてて見てほしいという監督からの宣言なのでしょうか。どこか不穏な思いを掻き立てる音楽が流れる黒画面が終わると、一転して緑したたる木々に囲まれた川縁で水浴を楽しむ人たちが映ります。その中から、何人もの子どもを連れた一家が帰ってくるのが、本作の主人公、ルドルフ・ヘスが暮らすアウシュビッツのお洒落な邸宅です。
と、こう書くと退屈なホームドラマのようですが、そこがこの映画の恐ろしいところです。登場人物の誰も、すぐ隣の収容所のことを口にしないのです。画面にも、収容所内部は一切映りません。それでも、庭先の鉄条網付きの高い塀越しに見える煙突からは煙が吐き出され、銃声や悲鳴らしき音がしょっちゅう聞こえてくるのです。家にはユダヤ人が下働きとして雇われ、ヘートビヒは友人だちと、収容したユダヤ人から強奪した毛皮のコートや宝石の品定めをしていたのです。誰もが塀の向こうの出来事を知りながら、完全に無視しているのでした。
邸宅は、見事に手入れされた庭園に囲まれていますが、その壁の向こうには、灰色の建物が並び、煙突から煙が立ちのぼっています。この地名から、誰もが、そこが収容所であることを知ることでしょうが、その中が映されることはありません。収容所の関係者が、所長のルドルフに、一度に400~500は処理出来ると説明する場面があるが、その対象がユダヤ人であるということはおろか、「人」という言葉すら使いません。数だけなのでした。
ナチスが「関心領域」と呼んだこの地に、子どもの養育と庭造りに夢中な妻のヘートヴィヒにとっては、塀の向こうは、関心領域外でした。
ここで注目すべきは、緑豊かな庭園と広大な屋敷で暮らすヘスの一家、夫婦に5人の子どもと何人もの女中たちを捉えるカメラの位置なのです。それは、常に一定の距離をおいて、彼らを映しだしていました。寄りそうのでもなければ、突き放すのでもなく、幸せに暮らす隣人の日常を坦々と傍観する眼差しというべきでしょうか。
ナチズムは時代が生んだ狂信思想ですが、ヘスは祖国と家族を愛する一人の軍人だった。妻の顔色も出世も気になります。生活に疲れ、妻以外の女性や子供、動物に癒やしを求めるのです。何げないシーンを積み重ねることで、ホロコースト (ユダヤ人大虐殺)が普通の人間による犯罪だった事実を突きつけます。
本人の手記を読むと、映画の人物像そのままで興味深かったです。罪の意識はさほど感じられず、処刑を目前にこんな心境を明かすのです。「家族のためにもっと時間をたくさんとらなかったのを、ひどく悔やんでいる」(ルドルフ・ヘス『アウシュヴィッツ収容所』)
残虐行為とおののきは幸せな日常の延長線上にありました。権力への盲目的な服従や、事なかれ主義といったヘス的な風潮は今も存在します。だからこそ「一体なぜ」と問い続けなければならないのです。
ところで映画に登場するポーランド人の少女は、グレイザー監督が調査中に出会ったアレクサンドリアという女性にインスパイアされているそうです。12歳の頃にポーランドの抵抗運動員だった彼女は飢餓に苦しむ囚人のためにリンゴを置くため収容所まで自転車で通っていました。映画と同様に彼女は囚人が書いた音楽を発見したのです。その囚人はユゼフ・ウラーと名付けられ、戦争を生き延びました。アレクサンドリアはグレイザーとは90歳の時に面会し、その後まもなく亡くなった。映画で使われている自転車も女優が来ている衣裳も彼女のものなのです。
●感想
ナチスがどんなに非人道的だったかという映画は無数にありますが、「関心領域」はナチス以外の市井の人々に目を向けます。そしてその視線の先には、現在の私たちがいるのです。異様さに慣れ、無関心でいることに罪はないのか。周りを見回してみよと促すのです。
壁がなくなり、世界中の情報が飛び交う現代では、誰もが世界で起こっていることに関心を向けます。しかし、本当にそうなのでしょうか?情報の渦の中で、人は、見えない壁を作って外の世界を遮断しているのではないでしょうか。本作は、そのことを問いかけていると思います。
観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か? 壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか?平和に暮らす家族と彼らにはどんな違いがあるのか?そして、あなたと彼らの違いは…!
ところで、グレイザー監督は博物館となった現在の元アウシュビッツ収容所とさりげなく接続させます。
物語は終盤、昇進でアウシュビッツを離れていたヘスの復職が決まります。辞令はさらなる殺戮の序章となりますが、場面は一転現代へ。
館内で清掃する職員の横で、展示品の焼却炉や遺品の山が無言で語りかけてきます。わたしが気になったのは、黙々と清掃する作業員には、これらの衝撃的な展示物に接していながら、一切関心を示さないということです。「関心領域」は現代にもあったということでしょう。監督がこの作品を現代と地続きの物語として描いていることが伝わってくるシーンでした。
場面は再度戦中に転換し、ヘスはふと背後を振り返ります。後に裁かれる「歴史の目」に気づいたのかもしれません。嘔吐するルドルフの姿が、人間はどこまで知らないふりをすることができるのか、その先に何が待っているのかを問いかけいるのだと感じました。
●最後に撮影面で
周辺を縁取ることで内部をイメージさせる戦略が見事です。引いた構図で、緑あふれる庭と、そこで戯れるヘス家の人々を描かれます。
撮影監督は、ウカシュ・ジャル。40代前半で米アカデミー最優秀撮影賞候補2回に輝いた、ポーランド映画界では頭一つ抜けた逸材です。自然に見える映像は実は技巧でいっぱいでした。特異な世界を、広角レンズの違和感を使い見せていくのです。画がきれいな分、やりきれなさが残りました。
たとえば、ヘートビヒが執着する花壇の庭も、塀の向こうの重苦しさは消せません。背景にはいつも灰色の塀と有刺鉄線が見え隠れし、その奥で収容所の棟が頭をのぞかせています。さらに昼夜、季節に関係なく2種類の煙も見えるのです。死者の焼却施設と、ユダヤ人を移送する列車のものでしょうか。時折聞こえる罵声や悲鳴も子供の遊び声にかき消されていくのでした。
またたとえばルドルフが執務室で新しい焼却炉を売り込まれる場面は、わざと空間を作る不思議な画作りなのでした。
賞を獲らなければならない作品。
賞を取ったことに意味のある作品。賞を獲ってなければ、日本公開は無かったんじゃないかと思う。
これは作ったこと自体に意味があって、これを観た審査員が賞を挙げなければならなかった作品でしょう。
演出が際立っていて、抑揚を抑えた中に狂気を含ませる事は、さぞかし大変だったろう。
子供達が弄ぶ歯や、二度とやるなよと呟く次男、馬への愛情を見せるルドルフ、そっと逃げ出す母親、過剰に幸せを演出するイライラした妻、塀の横でキスをする者たち、自由に駆け回る犬。
幾つものホラーに見える日常は、私たちの今を嘲笑ってるようでもあり、戒めてるようでもある。
今でも、世界中で理不尽な思いに泣き叫ぶ人はいて、私たちはそれを尻目に平和を唱え、生活している。では、どーすれば良いのか。
それを各が考えて、自分の幸せだけでは無い、先ずは、関心を寄せて、領域を広げることから始める心がけをして欲しいと。そして、差し伸べられる手があるなら、差し出して欲しいと、この映画は願ってるように感じた。
無関心の中でやる非常な行為は、必ず我が身に降りかかる。心を蝕んでいく。
養老孟司さんのバカの壁をまた、読む事から。発心いまここから。
エンタメとしての映画なら星は付かない、付けれない。
映像と音楽は素晴らしかったけどストーリーがイマヒトツって感じの作品。 本年度ベスト級。
アカデミー音響賞は納得!
それ以外の受賞が疑問。
そして評価が高いのにも疑問(笑)
自分だけ取り残された感じ。
何が良いのかさっぱり解らなかった。
本作のテーマで多くの賞が受賞出来た感じだった。
音楽(音響)は良かった!
でも、たまに雑音みたいな演出はなんだったのか?
左右対象の美しい構図の映像が印象に残る。
でもそのシーンに何の意味があったのか?
単なる美しい映像を撮したかったのか?
左右非対称の構図も散見。
これは天国と地獄を表現した感じに思えたのは考え過ぎなのか?
謎に包まれた感じ(笑)
ドイツの収容所に隣接した家に住む収容所の所長、ルドルフをメインにしたストーリー。
豪華な家は軍の寮かと思ったら買い家だったのね(笑)
特別幸せな家族と言う訳でも無かった感じだけど住人が多過ぎ。
誰が誰なのかさっぱり解らない(笑)
犬にかまう人が誰一人いない(笑)
収容所から聞こえる銃声や悲鳴が聞こえるけど収容所の中の映像は殆ど無し。
観客に中で何が起きているのか想像させる感じ。
ルドルフと妻はそんなに仲が良い感じもしなかった。
特別、何か起こる事もなくあっさりと上映終了に疑問だけが残った感じ。
ラストで、ある施設の映像で収容所で起きた事を連想させられるシーンには考えさせられた。
新しい焼却炉の提案内容がエグい事を思い出すシーンだった。
現時点で考察サイトで復習する気もありません( ´∀`)
ユダヤ人ホロコーストの新しい見方
数年前のレビューに書いたが、ナチスドイツによるユダヤ人ホロコースト映画について、ユダヤ人側からその悲劇を描くよりも、ドイツ人側からの目で見たユダヤ人虐殺の映画が制作されるべき時代になったと書いた。この映画はその回答の一つだ。
見たくない現実は無視する。うすうすは感じているだろうが、意識から排除しようとする。
それは日本人でも同じことをするだろう。韓国併合や中国への侵略など西洋諸国からの開放を大儀にあげて、大東亜戦争を正当化した。ドイツ人だけが悪者ではない。
静かな恐怖
映像ではとても抽象的にかつ象徴的に描いているが、聴覚的に訴えているのが多々あるので、迂闊にものなんか食べられない。他の観客もそう思ったみたい。な~んかクワイエットプレイス状態。激しい銃撃戦なくとも、充分に恐怖は伝わった。じわじわと考えさせられる…
これは
全部を把握することはできなかった。
リンゴ少女がわからないところもあり救いなのか他に目的ありか?
ヒトラーとナチス、第二次大戦とユダヤ人。
世界を地獄に巻き込む出来事を
初めて知るきっかけになる人は入りやすい映画かと
悲惨な光景を覚悟して観るより。
アウシュビッツ強制収容所の今を映すことでメッセージ性を強く受け留めて現代でもあり得ることだと伝わりました。
人間って恐ろしい
関心と無関心は紙一重
関心と無関心は表裏一体
人間って恐ろしい
結局自分のことしか考えていない
塀を挟んだ向こう側では大量虐殺が行われているのに
綺麗な花を観賞したり子どもを自由に遊ばせたり
でも多かれ少なかれ自分もわざと無関心を装っているときがあるのかも
そんなことを突きつけられたような気がしました
ずっと流れる重低音。
さすが音響賞。暗転続きのオープニングもびっくりだが延々続く重低音が不穏でしかない。収容所の隣が夢のマイホームと思うなんて如何に時代が狂っていたかよくわかる。重低音だけでなくピストルや汽笛の音、煙突の白煙、普通の暮らしとの対比が強烈でリアルで正に戦時のホラー。
境界線は無い
アウシュビッツ収容所と壁を隔てた家に住む所長家族の生活をハネケを彷彿させる映像で描写し、その背後の収容所で何が行われているかの想像を喚起させる「音」がかすかに不穏に鳴り続ける。そして、終盤のヘス所長の姿がこの作品のテーマを伝える”私たちがいつあちら側に行ってもおかしくない”傑作。
音とさりげない映像で想像できる大犯罪
説明が少ないので、ある程度基礎知識が必要と聞いていたが、主人公が親衛隊の制服を着ており、豪邸に隣接する壁の向こうからは絶えず銃声や悲鳴が聞こえて煙突からはモクモクと煙が立ち上り、しばらくするとアウシュビッツの単語も出てくるので、ナチス強制収容所所長の家族の映画ということは、まあ誰でも分かると思う。
所長の名前があのルドルフ・ヘスというから、架空の人物かと思ったら、たまたま同名で実在の人物だったとは知らんかった。実際、かなり綿密な調査に基づいて制作されたらしいです。
劇中に出てくる「カナダ」の意味がわからなかったが、ユダヤ人から強奪した物品をドイツ人に配布すべく仕分けしていた部隊名がカナダと呼ばれていたのも見終わってから知った。
引きの映像で家族の暮らしぶりや官僚的な仕事ぶりを淡々と描きつつ、当然のように強奪品を品定めしたり、焼却した遺灰を肥料にしたり、たまにゲっとする描写が放り込まれる。
しかし、直接描写はなくて、不気味な音響とちょっとした映像でほのめかされるので、大音量の映画館で体感してほしいですね。
観客の関心領域
私見ですが、少し前に見た『悪は存在しない』も同じで、本作もある意味“実験映画”だと思いました。
では、何を実験したのか?という事ですが、本作の時代から80年以上経過した今の時代の人々が、本作に対してどのような反応(関心)を示すのかという事が、作り手にとってはまず第一の関心事であったように思えます。
そしてまた自論ですが、実験映画というのは鑑賞後に観客が、面白い面白くないとか、共感したしないとか、感動したしないとか、それらの感想は作り手にとってはあまり重要ではなく、提供した映像に対して興味(関心)を持てたか持てなかったのかが一番重要な関心事の様な気がします。
本作のタイトルの“関心領域”の意味が最初分らなくて、タイトルと予告を見た限りは物語の主人公(家族)に対しての言葉だと思い込んで見始めたのですが、あの一家が収容所の所長の家族であるのだから一番の当事者であって、当事者対してに関心が有る無しなどの問いかけなど無意味だし、冷静に考えると彼等に使うべき表現である筈がないのです。
そして鑑賞者の色々なレビューを読んでも、彼ら一家の善悪に対する関心だと解釈している人が多くいるのに驚きました。だとしたらこのタイトル自体が観客を完全にミスリードしている様にも思えます。
そして、あの定点(防犯)カメラの様なズームアップもなく彼ら家族を覗き見ている(若しくは神視点)映像は、まさに観客に対しての“関心領域”を測る為の視点なのだと捉えることで私は本作を理解しました。
なので、レビューで単純に本作をつまらないとか退屈だとか意味分らんなどいう発言を、冷静に統計的に関心度を眺めている人がいるのだろうと思います。
本作の場合、既に審判が下された歴史的な出来事であっても、ある側面だけを見せられると事の善悪など忘れてしまい、もっと目の前にある家族の日常の出来事だけに目を奪われてしまい、それぞれの(観客の)個人的関心領域でしかこの作品を捉えられず、収容所との壁と同様に80年という時の壁が本質を見えなくするという事を、観客の反応で確かめられていた様な気がする。
あと細かな疑問は省き、何点か特に意味が分からなかった部分を箇条書きにしておくと
・ヘンゼルとグレーテルの話とその時のネガ映像部分の寓意的な意味
・主人公の母親の失踪の意味
・ラストの主人公の嘔吐の意味
想像力が試される
実在の人物、ルドルフ・フェルディナント・ヘスを描いたお話
描かれるのは裕福で幸福な家庭
広い家、広い庭、使用人も庭師も何人もいる何不自由のない暮らし
一家を支える父は部下たちからも誕生日を祝われるほど慕われ、
家にいる間でも電話で仕事をこなし、上司からも信頼の厚い真面目で勤勉で優秀な男
予期せぬ昇進で転任となり、今いる家を離れたくない妻との少々の口論を経て単身赴任をすることになり……という、まぁ現代にも通じるようなよくある家庭のお話
問題は、その豪邸からたったの壁一枚挟んだだけのお隣こそが、かのアウシュビッツ収容所であり、
ルドルフの立場がそこの所長であるという、
たったそれだけでもあり、それこそが世紀の大問題であるという事
本作中では、アウシュビッツの中での惨状については直接的には全く描かれない
それでも、その隣で幸福な生活を送っている家族の光景に重なって聞こえてくる声、銃声、何かを運んでくる汽車の煙、煙突から登る煙、川に流されてくるもの……
そしてラスト、ちょっと唐突に出てくる現在のアウシュビッツの様子と、そこに収蔵された山のような靴、カバン、義足や補助具、写真たち……
それらが何であるか、それを想像することが出来る観客は途轍もない空恐ろしさに見舞われる
出来ない観客にとっては正直ただただ退屈な一つの家族の起伏のない生活が描かれるだけ……という落差
徹頭徹尾、試されているのは観客が持つ予備知識と想像力。そういう映画です
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