関心領域のレビュー・感想・評価
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スクリーンと対峙している間、ずっと不安・不快
冒頭のたスクリーンをただただ黒いスクリーンを見つめる時から不安感がスタートします。
その後の音楽・壁の向こうから聞こえる悲鳴、怒号、銃声。そして視界の上部に立ち上る煙、どれもこれもが怖くて、恐ろし過ぎて体全体に震えが走り、黒板にたてた爪が鳴らす音を耳にした時のように身がすくんでしまいました。
妻は夫に想いを吐露します「やっと手に入れた理想の生活、転属するならあなた独りで行けばいいじゃない」
本当に理想の生活なのでしょうか?子供たちの行動にはどこか正常(通常)な判断をつかさどる機能が一部欠落しているのではないか?と思わせる節がありました。
だからこそ訪ねてきた母親は環境に耐え切れず不調をきたし、突然姿を消してしまったのでしょう。
昨年観た「ヒトラーのための虐殺会議」にここから繋がっていくのですね。
人の命とはこんなに軽く扱われるものなのでしょうか?
でもこれは実際に文明や科学を掌に入れた人間が起こしたことなのですよね。
ガラス窓の向こうにうず高く積まれた靴たちの無念の叫びが聞こえてくるようでした。
今も世界のあちこちで起こされている悲劇、目を背けてはいけないと思わされる問題作でした。
「関心」も「領域」も無い、反応したら負けw
死に行く銃弾の音、発狂の声、叫び、遺骸を燃される煙。
ガーデニング・野菜栽培に励むヘスの妻。
咳き込む祖母・川を流れる毒・嘔吐するヘス、必要のない人は要らない。
ガスで殺された、死んだ人は他にもいる。
という物語だね。全く「関心」も「領域」も見つけることは出来なかった。
分かりづらく難解を装う映画が昨今の賞レースで取り上げられるが、クソみたいな審査の審美眼は要らないよw
「評価」は「関心」の「領域」に反応したら、負けだよw
無人という圧倒的なフィックス
アウシュビッツ収容所の隣で暮らすルドルフ・ヘス所長一家の日常を描く作品なのだが当時この一帯のことをナチ内部で隠語的にこう呼んでいたそうでそれが一家の塀の向こうに対する意識的な「無関心」あるいはドイツ国民の・・あるいは現代のわれわれ自身のに・・ぐさりと突き刺さる優れたタイトルとなった。まず冒頭の3分に及ぶ暗闇と音の問題。アカデミー「音響賞」を獲ったと、蛮行は描かずに音で表現したのだというのだけれど私にはあまりピンとこず小鳥さえずる川辺のピクニックにつなげるには1分で十分。映画を「観に」来た一般庶民にはやりすぎでしょでと思ってしまう(今年は「ファースト・カウ」に始まり「悪は存在しない」と似たような試練的導入が多くてまいる、流行りなの?)。それにしてもピクリとも動かないフィックスショットとシンメトリーの連続には恐れ入ったが鑑賞後に(無人固定カメラを複数台配置して遠隔で撮影)したと知って驚いたというか呆れた。SONYのデジカメをロケセット内にあちこち仕込んで監督もカメラマンもトレーラーの中にいてモニターしてるなんてテレビのバラエティー番組じゃあるまいし。どうりでみんながはしゃいでいる庭のプールで滑り台から滑り降りる少女を真逆からのショットに切り替えて奥に収容所の塀が見える「アクションつなぎ」があまりにも見事に決まっていることよ!メイキング動画を見て驚いたのは旦那の転勤が決まって奥さんと川辺で語り合うシーンでさえ複数のリモートカメラを使って撮っていたこと。そりゃあ微動だにしない安定のフィックスが撮れるわけだわ人間はどうしてもカメラワークしたくなるからカメラマンいない方が良いということか。後付けの感想で申し訳ないが無人の複数カメラの目を意識してサンドラ・ヒュラーが毛皮コートを着てポーズ取ったり、赤ちゃんを抱っこしてお花の名前を教えたりしていたのかと思うとあまりにも芝居があざとくてやるせない。嗚呼映画よどこへ行く?
私は賢者じゃなかったです。
とにかく雰囲気作りが上手い映画!
多分凄い名作で、映画館で鑑賞する価値あり!
でも後味が悪すぎる為、人に勧める気は全く起きません!
アウシュビッツも原爆も、恐ろしいことは思えばいつも、塀の向こうのことだった。
賢者は歴史で学ぶという。
それが本当なら、賢者って凄いんだな。
以下はコミュ障すぎて全文蛇足!
自分は、自分の言葉(人生?)に囚われているのだった。
いや、何をしようとそれは自分の言葉なので、どうしようもないけれども。
問題なのは、基本自分の言葉に対して無批判ということだ。
一時の悩みや思想に重ね合わせて映画を観るから、観終わってから次々と感想が変わっていってしまう。
一種の防衛本能といえば可愛らしくも見えるのだが。
書いては消し、書いては消しの繰り返しだ。
映画の内容がホロコーストと非常に重大であることで、自分の鑑賞方法が軽薄であることに気づいてしまって辛い。
映画や小説、勉強や現実は、頭の外に触れるものの筈なのに。
一時の悩みに関連して映画を観た自分自身が、関心領域というタイトルによって映し出されてしまったように思える。
そして結局、私の中にアウシュビッツは現れていなかったのだ。
こう言うと金閣寺みたいになってしまうな。
アウシュビッツは、"予想外にも"、遠い塀の、さらに遠い塀の向こうにあったのだった。
思えば原爆だって、原爆ドームに訪れたにも関わらず、私は知らないのかもしれない。
物事を考えているようで、それは驕りであり、実は考えていない。
それは最早、映画に登場した人物たちより劣る精神性なのかもしれない。
今回の映画で描かれたのは、現実を直視した、狡賢く、どこか空虚に生きる大人達の姿であったと、私はいま感じている。
そのように生きることは道徳的に間違いかもしれないが、自分はもはや非難できなくなってしまった。
この映画は、自分には早すぎた。
いや、分からない、自分が遅すぎるのかもしれない。
この映画の人物と対等に向き合えるように生きていきたい。
とにかく、自分の中に無いものは無いし、今の場合、語る術や、それ以前に観る術も持たないのだ。
この映画の存在を自分が忘却しないように願うばかりだ。
でも円盤を買いたくはないかな。
パッケージを見るたびに、劣等感と無力感に囚われるのは精神衛生上よくないし、第一そもそも気分が悪くなる映画だ。
なんて、また、いつもの日常に戻るのを自分は最優先する。
関心領域を観て、少しは日常に新たな気持ちで臨めるだろうか。
惨状を知っていれば知っているほど恐ろしさが増す
アウシュビッツの隣で暮らす、所長ルドルフ・ヘスの一家の日常を描く。
壁の向こうは映し出されないが、ユダヤ人の惨状を知れば知るほど想像して恐ろしさが増す。
寝付けない娘、落ち着かない息子、泣き止まない赤ん坊、耐えられずに出て行った義母。親族や子どもたちはその場所で行われていることの不穏さを敏感に感じ取っている様子がある。ルドルフもどことなく不安定な印象を受けるが、彼の妻だけは、得られた裕福な生活を楽しんでいる。
終盤に現代のアウシュビッツの様子に切り替わり、押収された収容者たちの持ち物や脱がされた大量の靴が映る。悲劇の象徴であるそれらは、今のガザ地区の惨状を知るとまた違った意味合いに見えてくる。
不穏な音楽がさらに恐ろしさを増加させている。
アウシュビッツ強制収容所で何が起きていたのか知識が必要。犠牲の上で...
アウシュビッツ強制収容所で何が起きていたのか知識が必要。犠牲の上でしか成り立っていないドイツ人家族の幸せそうな(幸せであると信じ込んでいる)日常の描写の隅々に、眉間にシワを寄せてしまう表現が多く混ざっている。
映画館で見るべき作品。家では見たくない。
素直に本心を言えばいい
何が重要かで関心の位相は変わる
関心領域は直訳ですが、原題は「重要な地域」というナチの東方支配プロジェクトと掛けてあるという評論を鑑賞後に読み、なるほどと感じました。
音だけという意味深な始まり方、アンダー・ザ・スキンのときも感じたけれど、この監督は耳からの情報にこだわりますね。音楽家もミカ・レヴィですから尚更。真っ黒な画面がむしろ多くを語りかけます。
以前ニュース映像で、ガザ市の壁近くに住む裕福なイスラエル人たちが、庭のデッキチェアに座ってパーティをしているシーンを見ました。ガザの町から立ち上る黒煙を花火のように眺めていました。ガザやウクライナは今の現実ですが、ホモ・サピエンスは依然として80年前と同じ位相でいるということが語られています。
私達は、自分にとって大事なものにしか関心を示さないし、現実から目をそらし、耳も覆う。その結果があの虐殺に結びついていくのであれば、ガザやウクライナの虐殺に対して何もしないことは、ヘスの家族と変わらないということになります。
暗視カメラの少女は、ネガとして提示するホモ・サピエンスへの期待でしょうか。最初の夜のシーンではなぜ堀った斜面にリンゴを埋めるのかわかりませんでした。幻想の鎮魂シーンかとも思いましたが、収容所の外で労働するユダヤ人のために、少しでも栄養補給になればと目立たない場所にリンゴを置いていたのですね。彼女の表情は気高く、美しい目をしていました。目をそらさずに、収容所の現実と自らの立場をとらえているのです。
日常と慣れ
辛抱が要る作品
アウシュビッツの惨劇をあえて直接映さず、音響と監視役の軍人宅の暮らし描写だけで表現するという、狙いとしては相当な離れ業を成功させてはいます。背景にたまにパンするだけの黒煙の不吉さといったら…
ただ、映像的にはめちゃくちゃ退屈。
起承転結みたいなものはほとんどないし、基本的に「引き」で撮ってるので誰が誰なのかも分かりにくい。ワンシーンワンシーン、あまり変化ない光景がやたら長いのも難。
正直終盤は眠くなってしまいました…
アウシュビッツの凄惨さの知識が元々ないと、音響と暮らしの描写だけでは具体的なことは分からないだろうし(その辺かなり不親切に作られてます)、しかし知識があったらあったで特別新鮮味はないような…
アイデアはすごいけど、それが満点に活かされてるかというとちょっと微妙な印象でした。
すごいことしてるなというのは分かるんだけど
全編吐き気が止まらない
素晴らしい恐怖でした
つまらないって言いにくいよね
題材が題材なだけに、つまらないとは言いにくい作品だと思う。特にネットではないリアルな世界では。
率直な感想は終始退屈。TOEICなどの英語長文問題の方がまだ内容としては面白いのではと言ったレベル。正直2000円払う価値はほとんどの人にない。迫力のあるシーンはゼロ。BGMもほぼゼロ。ハプニングシーンのないホームビデオを2時間見せられるイメージです。
怖いという感情を多くの人が抱いたようですが、正直あまりにも退屈すぎて、うとうとしてたのでその感情すら抱きませんでした。
だけど、僕がもし友人や同僚とこの映画を見て映画感を出た後に、難しいとカッコつけて言っても、中々つまらないとは言いにくいなと思った。ずるい映画
彼女、ワンピースを選んだの。だけど小さくて入らなかったわ。ダイエットするって。ふふふ。
この映画の題材がなんであるか知らずに観始める人はいないと思うが、もしそんな人がいたとしたら(そもそもそんな人はこの映画を選ばないだろうが)、どのあたりでこの現場がどこなのか気づき、その時どんな感想を持つのだろうか想像していた。衝撃を受けるだろうか。別に何とも思わないのだろうか。何の驚きも起きない人こそ、この中にでてくる連中と同じだ。関心領域。自分の関心の及ぶ範囲。それ以外は、無関心。裕福な家を隔てた高い壁の向こうから、奇妙な音や叫び声が聞こえてこようが無関心。容易く手に入る服や金歯や紙幣が、誰のもので、その誰がいまどうなっているのかも無関心。自分さえよければいい。(ちなみにルドルフにとっての無関心は妻とのSEXのようだ)。どんな物音もすでに日常的な生活音にすぎず、他人の犠牲は別の世界の出来事なのだ。すると人間は不思議なもので、その環境に慣れ、そこに定住したいと希望もし、その生活が子育てに最適だと勘違いもし、永遠にそこで暮らせると思い込んでしまう。ユダヤ人をあれほど毛嫌いするのに植物や動物は手厚く愛でる。なんだそれ、花が好きな人は優しいなんて言葉は嘘だって痛感した。戦争ごっこで遊ぶ子供だって、まるで看守のような言葉を使いだすし知らず知らずに残虐性を増していっている。せめてもの救いは、訪ねてきた母親がこの家庭環境の異常さに気づいてくれたことだ。できればその改善策を施してほしかったが、その無意味さを知ったからこその、翌朝の行動なのだろうと思う。
そして画面は突如現代にかわり、淡々と掃除をする資料館の職員たち。彼女たちにとっても、この悲惨な歴史も関心のないこと。毎日ここで働いているので慣れてしまってること。人は慣れる。まるで、この映画を観ている君たちも日常に慣れてしまっていないかい?世界中には今現在でも戦争、貧困、、、に苦しんでいる人がいるのにと言わんばかりに。だからその代わりになれとか、身を削って手を差し伸べろ、とは言わない。せめて、その現実を知る、そこだけでも人として守って生きていった方がいいと訴えかけられているように思えた。
単調
壁を挟んですぐ隣で何が行われているのか知っているから、それを気にせず図太く暮らすヘス一家(特に夫人)になんとも微妙な気持ちになるのだが、夫人役が『落下の解剖学』のサンドラ氏であったので、彼女のまた違った演技を堪能できたのは良かった。この家族の単調な日常を見せつけられながら、その裏で行われていることは音と知ってる知識で補完。ヘス一家の図太さ(2回目)に神経を疑いながら、泊まりにきたおばあちゃんみたいにノイローゼ寸前になる人を見てなぜか安心する。当時もりんごをこっそり置く娘のような人もいたのだろう。エンディングの音はまぁ狙ってんなーという感じで不快全開。
何か感じ取ろうと思えばいくらでもできるけど、無理にそうしなくても良い映画かな。
パレスチナの事がなかったら、そこまで話題になってたかなという印象。まぁ結びつけるのも微妙だが。
十分な教養と予習ないのでムリ、かなり退屈
はっきり言ってしまうと。 私の鑑賞中の関心は「当時の西洋中年女性の...
はっきり言ってしまうと。
私の鑑賞中の関心は「当時の西洋中年女性の肥満前なのに肥満後を予見させる足取り」に吸い寄せられてました。
モデルのウォーキングや女優の映像で見せる動きはまさに「見せるに値する」動きなのだなと。
この映画での妻であり母であり使用人対する雇い主であり訪問してきた母にとっての娘である女性を全くのプライバシー無しにその底の底まで「覗き見」したのがこの映画だと思うのです。
だから、この、不細工なほどの中年感あふれる肥満未満の歩き方が、説得力を持たせる。
塀の向こうだけではない。
子どもにも、夫にも、使用人にも、自分がどんな生活をしてるかってことにすら意識を向けない。望むのは「羨ましがられる私」。
身につまされたか?
彼女の生き様を人ごとに見えた私もまた、
いろんなものを見ないようにしてるのかも、しれないですね。
そして、戦中のドイツ軍本部の業務連絡が極めて整然としており、本人たちがいかにも優秀で知的で理性的な集団だと自負してる様が、「間違いは、その間違いが大きいほど渦中の人間には気づかれないのだな」も、思いました。
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