関心領域のレビュー・感想・評価
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「サスペリア」の様式で撮った「この世界の片隅に」?ユダヤ人からの...
「サスペリア」の様式で撮った「この世界の片隅に」?ユダヤ人からの収奪物を平気で生活用品に転用する主婦の姿と、現在の強制収容所記念館で淡々と清掃業務に勤しむ女性職員たちの姿が対比されるのは、女性の生活力が銃後の戦争責任へと繋がる、見過ごされがちな暗部を鋭く抉ったもので、ミソジニー的描写と取るべきではない、のだろう。見て見ぬふりをしていても、画面外から煙や銃声、悲鳴のように罪のケガレが日常生活を浸食していく描写は秀逸で、怖ろしい。
分かったフリしてレビューするのも…
作品を観て、作り手が意図したことを自分がちゃんと受け止め切れている気がしない。
物知らずな私は、後から作品や歴史的事実に関する解説や考察などを見聞きして、疑問点を補完する。
それはそれで特有な映画体験ということにはなるんだろうし、それを踏まえて2度目3度目の観賞があればまた感慨も変わるんだろうけど、やはり劇場での満足感としては…。
とは言え、これがしっかり伝わらない自分は、作中この家で富を享受して生活を続けるあの奥さんと同じなのかも、とドキッとしていたりする。
今となっては、もちろん伝えたいことはわかる。
虐殺や迫害は、壁一枚を隔てた場所で、今現在も行われている。
我々は、また何も知らない顔をして、映画を観た後も同じ生活に戻っていく。
虐殺に荷担した者が、すべて平常な心情であったかは分からない。
ラストは『アクト・オブ・キリング』を思い出したし、「任務」である以上、背くワケにもいかないのもわかる。
そういう直接的な加害者ではなく、問題はいつも「傍観者もまた加害者」ということ。そして、その数の方が圧倒的に多いということ。
ユダヤ人に触れるのも嫌なクセに、収容された人々から奪った金品にたかり、躊躇なくその口紅をつけたりする厚顔。
24時間続く悲鳴や銃声、収容者を焼く音に囲まれても「ここにいたい」と願う人々。
観賞後、あらためて振り返って、いろいろな思いが去来する映画。
この映画の評価について言うと、意識が高く、知識のある、こういう映画の咀嚼の仕方をよく分かっている方々の評価の高さが先行してしまうと、私の様な人間は卑屈になってしまう。
「けっ。よく分からなくてすいませんね!」
もちろん前述のとおり、後から補完することでいろいろ腑に落ちることも多い。
でも、理解力や想像力に乏しい私の様なタイプが観て、その場で心を動かされるタイプの映画ではないのは、やはり残念だな。
※その割に、公開規模や回数とバランスの合わないコメントの数の多さ。
みんな何か感じてるのね。
私の様なのは少数派です。
安心して皆さん観てね。
こんな映画体験は初めてだった。
観る前にレビューをいくつか読んでしまい、
観なくても内容が判った気がして観に行くのを躊躇していた。
それでも気にかかって、「観なくて後悔するより観て後悔する方がよい」とのあるレビュアーさんの言葉を思い出して思い切って観に行った。
観なければ解らない映画だった。
これほど心を揺すぶられるとは思わなかった。
なんていう言葉で表したらいいのか、観ている間中、ずっと胸が押し潰されるというか、吐き気を我慢しているというか、苦しい。
非日常の中で進んでいく日常。
この上映時間を長いと感じるかどうか。これ以上続けば、映画の中の母親のように逃げ出したくなる。本当に吐いてしまう。心が壊れてしまう。そしてこの映画の家族のように慣れてしまうだろうか。
大なり小なり私たちは今もこの家族と同じことをして暮らしているのではないか。
この映画の監督は私たちに突きつけてくる。
音が、音楽が、エンドロールを観ながら震えた。
こんな映画体験は初めてだった。
しんどい
私は昨今の何でも台詞で説明する映画はつまらないと考えており、難解で分かりにくいと低評価レビューの多い映画でもわりかし平気な人間だが、この映画はやりすぎ。
虐殺が行われている隣で平然と生活する異常性を描こうという意図は理解するが、監督の自己満足のような退屈なロングショットに、常に不快な音がかぶさり、人物説明も状況説明もなさすぎて(説明台詞がないという意味ではなく、演出による説明すらない)誰が何をしているのかよく分からないシーンを延々と見せられる。
観客に深く考えさせることと、観客を不快にさせることは違うと思う。
わかりやすい悲劇的なストーリーに劇的な音楽で泣かせる安直な映画がいいとは思わないが、それでも最低限、観客に分からせる努力は必要ではないだろうか。
とにかく最後まで観るのがしんどかった。観に行く人は覚悟を。
事前解説とおり
アウシュビッツ収容所の職員さんと、そのご家族の模様。 住まいは収容...
Concern
アカデミー音響賞を取ったという事で注目していた今作。平日の夕方だったのでまだ空いていましたが、休日は大混雑になっていて、やっぱアカデミー賞の力はまだまだ健在だなーと思いながら劇場へIN。
んー合いませんでした。ドキュメンタリーに近い作りで、大きなアクションは起きず、淡々と収容所の隣に住んでいる家族の模様が流れるだけだったので、映画としての見どころはその模様を見守る事一択で、その面でも起承転結を好む自分とは相性が悪かったです。
冒頭の黒い画面から少しずつ音が鳴っていく演出。
映画館勤めというのもあって、事前にその情報は知っていたのであーここかとはなりましたが、初見であれを観たら映写トラブルなんじゃ?となってしまいそうで、いきなり観客に優しくないなーと思ってしまいました。
収容所の映像は何一つ無く、これもまた銃声だったり、呻き声だったりだけで、音だけでも現場の様子は掻き立てられるのに、それに対して全くを持って興味を示さず生活している一家に慄きっぱなしでした。
歴史的な面でもある程度の教養は必要な作品で、日本から見た収容所の知識は多少ありますが、現地の物事の勉強までは詳しくやってなかったのが悔やまれます。
アカデミーを取った通り、音響の不気味さは上映中一貫していて、心地よい音が何一つない振り切りっぷりには驚かされました。
エンドロールも呻き声が鳴り響いているようで、最初から最後までゾワゾワしっぱなしでした。
もう一回観るべきだよなとは思いつつも、楽しめなかった作品を勉強のために観るべきなのか…とモヤモヤしながら今日も安全に平和に過ごすのです。
鑑賞日 5/28
鑑賞時間 18:20〜20:15
座席 G-1
目をそむけず見るべきか、しかし体調が悪くなりそうな映画
こちらは勿論、壁の向こうに何があるのか、藪の向こうに何があるのか知っているので、この一家が信じられない思いでスクリーンを見ている。終始大量の煙、時に火柱さえ上がる光景に咳込みそうになる。川遊びの途中で大量の灰が流れてくる恐怖。
今更ナチスドイツ批判が目的で制作されたわけではないと思うが、無関心、利己主義の恐ろしさは表現されている。ただ世界のあちこちでは今もまだ戦争が続き、抑圧され国を捨てざるを得ない民族は多く、またそれにより難民や避難民となる人々への対応、また増えすぎた移民への対応に苦慮している国もある。隣人たちも同じ人間である、少なくともこの当たり前の事実をしっかり認識して、客観的に見られる理解力は保っていたいと、ぼんやりと考えた。無神経無関心、自分の愚かな正当化は避けなければならない、と胃の痛みを感じつつ、認識を新たにしたキツイ作品。
そして「落下の解剖学」同様本作でも堂々たる嫌な女を演じたサンドラ・ヒュラー、いつか彼女が、共感出来る女性を演じている作品が見たいかも。
決して好きだとは言えない傑作
スカーレット・ヨハンソンのフルヌードが鮮烈な印象を残した、しかしそれ以外は何も覚えていない「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」以来、8年ぶりとなるジョナサン・グレイザー監督作。
これは端正とも言える傑作だった。前作と違い忘れることができない作品になるのでは。
ナチス・ドイツによるホロコーストおよび強制労働により多くの犠牲者を出したアウシュヴィッツ強制収容所。
今作は収容所と壁ひとつ隔てた屋敷に住む所長のヘス中佐とその家族の暮らしをとらえた。まさに束の間の幸せ。
我々映画好きの多くは収容所の中の出来事を嫌というほど見てきたわけで、その音や臭いを思うと反吐が出る。
クリスティアン・フリーデルが命令に忠実で収容所の処理能力向上に努めるヘスを淡々と演じた。たくさんの人間の効率的な処分が求められた。
名演が続くサンドラ・ヒュラーがヘスの妻を演じた。最高の家にすべく尽力した。夫が転勤になっても家を明け渡すことはなかった。
そこを訪れた妻の母は早々に引きあげた。
まともな人間が住める場所ではなかった。
不穏な「音」が恐ろしい環境を表現した。
音響賞でオスカーを手にしたのは必然だった。
そう、これは決して好きだとは言えない傑作‼︎
未見の方は元気な時に観ることをお勧めする。
ちなみのにポーランドの南部にあった収容所は1945年の初頭にロシアにより解放され、ヘスは47年に処刑されている。
映像はすごいね
是非 映画館で。
修羅場を直接は映さない間接話法が流行りらしい。
以前「縞模様のパジャマの少年」という、本作品と同じような設定の映画...
以前「縞模様のパジャマの少年」という、本作品と同じような設定の映画があった。ドキュメンタリーの様な「関心領域」に比べ「縞模様・・」は、少年の目を通した物語として・かなりショッキングな映画として創られていた。どちらも・・制作意図は善意の映画ですが・・あまり人に勧められないかも・・。
「縞模様・・」の奥さんなど、家族はちょっと良心が残っていたが・・「関心領域」は、悪名高い、ルドルフ・ヘスと家族のお話なので・ほぼ真実で、あのような感じだったのでしょう・・。
当時、優雅な生活を送っていた、ドイツの支配層、ナチスドイツは・・自らの利益だけに興味が向けられ・・終日聴こえる、何かを焼く焼却炉の音、煙。何かを運んでくる汽車の汽笛、怒鳴り声とそれに伴う銃声・・叫び声・・。それらは、豊かな生活を支えてくれる要因と認識し甘んじていたのか? それとも、感覚が鈍ってしまったのか?元々、そういう残酷で鈍感な人間たちだったのか???
「関心領域」の描く世界。実は現代社会の暗示?
優雅に暮らす、一握りの資本家、お金持ち、政治家。一方、奴隷の如く働く、一般人、労働者(頭脳も肉体も)ての関係の様でもある。彼らの「関心領域」には、我々は入っていないのです♪
この結果から、今現在へ
美しい自然の中で和やかに暮らす家族、その暮らしが仲睦まじく明るく朗らかであればあるほど、塀の向こうとのギャップ、違和感や恐ろしさが際立つという、なんとも奇妙な感覚にさせられる構成でした。
強制収容所についての知識がある上での感覚だとは思いますが、冒頭から音を意識させられ、壁の向こうの不穏な音、不意に差しはさまれる不協和音などから、この和やかな暮らしが異様であることは強く意識させられます。
淡々と日常を捉える映像も、壁の向こうの煙や炎、夫婦の使用人に対する態度、子供たちへの影響など、違和感や不穏感がちりばめられています。
直接的な残酷な描写はありませんが、所長である父親がもたらす残酷な恐ろしい結果が示される場面は、やはり奇妙なインパクトがあり考えさせられます。
その結果は現実に今現在に繋がっている、今現在、その結果を忘れずに見つめ直し繰り返さないようにすべき、というメッセージかと感じました。
夜の少女は誰なのかなど分かりにくい部分もありましたが、淡々とした語り口や構成、映像や音楽などの演出も秀逸で、虐殺行為を非難する強い想いも伝わる、良い作品だと思います。
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