関心領域のレビュー・感想・評価
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256 そんなに見つめないでよ
オープニングの画面でいきなり睡魔が。
レビューを見てあーそういう意味ね。
人間の業が出まくりなのは笑った。
だって大きな家の方がいいもん。
プールに滑り台でっせ。
転勤?!イヤよ、あんただけ行って、
あんたは好きだけど。
オカン凄い家でしょう。え?実家に帰った?
なんで?
まあ、拙は人間ってそんなもの。
同調圧力って跳ね返せない、とも思っているので
作品としては素晴らしいと思うも
人間的にはなかなか改善改革は困難なんだよねー
とどこか冷める。
A24作品なのでどこまで攻めるかと興味が
あったがなかなかなものであるのは事実。
監督のジョナサン・グレイザー
「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」でも我々の
認識を一歩ずらす演出で
本作も一筋縄ではいかない様子。
70点
2024年8月13日 京都シネマ
今の世界中に繋がる無関心という恐怖
この作品は、音とアウシュヴィッツ収容所の隣で暮らすごく普通の家族を通じて、無関心という事が本当に恐ろしい事を訴えています。
ヘートヴィヒがベッドに隠しているコートを自分の物と思い込み、着こなしてかつ、ポケットに入っていた口紅を塗る場面、ルドルフ司令官とその子供が川でレジャーを楽しむ内に沈んでいた処刑された人の骨が当たり、あわてて家に戻り、シャワーを浴びる様子、赤ちゃんが泣き叫び、誰も止めず、隣接する収容所の環境に耐えきれず、実の母親がいきなり出ていく所、銃声、怒鳴り声、悲鳴が最初から最後まで途切れる事なく響いている状況、仕事と家庭で起きている軋轢、命懸けでりんごを置いて行く姿、塀の外でまかれる人骨の灰、最後に出てくるアウシュヴィッツ収容所記念館のおびただしい受刑者の遺品、ガス室、司令官が吐き気をする所等...阿鼻叫喚です。
紛争、格差、気候変動等ポリクライシス=複合危機が世界中でリアルになっている中、この映画「関心領域」は無関心がいかに自分自身の生活へ跳ね返り、リスクを背負う事への警告を訴えています。
私にもあるヘスとの共通性
8/15が今年もやつて来る。毎年、この時期には戦争とヒトとの、戦争と国家との、戦争と民族との関係性を考える機会として来た。昨日、山口市で「関心領域」という映画を見た。
映画を見に行き途中で寝てしまった事や途中で退出した事はあったけど、昨日は途中退席し、しかし意を決して再び戻り続きを見た。そうした体験は初めてだった。
退席した直接的な理由は緊張感のあまり尿意を催し、それが最大尿意に達したからだけど、一度外の空気を吸わずにはいられなくなったからだ。
映画はアウシュビッツの所長を務めたルドルフ・ヘス家族の日常を綴ったものだ。壁を隔てた向こう側には生存率10%と言われるユダヤ人等絶滅収容所がある。壁のこちら側ではヘス所長家族らが一見すると優雅で贅沢な日常を送っている。映画Schindler's Listとは違い、ユダヤ人に対する虐殺の直接なシーンは一切ない。しかし煙突から上がる炎、川に流れてくる白い灰、それを浴びた子どもたちが不浄なものを拭うように風呂場でゴシゴシと擦られる場面、何度も何度も出てくる汽笛、射殺音、ユダヤ達の悲鳴とむせび泣く様な声、そうした音の通低音として鉛を流したような音。こうした環境でも正気を保つていた様に描かれていたのは妻のイルセ・ヘスだ。女は強し。
私は2017の夏にアウシュビッツ、第二アウシュビッツと言われるビルケナウ、チェコのテレジン収容所を訪れている。アウシュビッツでは日本人の公式ガイド員の中谷剛さんに案内してもらった。同じコースの英語のツアーにも参加した。行くにあたっては事前に何冊もの関連書籍を読み、DVDを見た。だからこの映画中のユダヤ人虐殺の場面が直接的に分かるというか感じられてしまうのだ。
私が退席した理由と再び鑑賞した理由はこの映画の映像と音が現地で見てしまったものを呼び起こし、でも最後までやはり見ないといけないと判断したからだと思っていた。
映画の後、アフターアワーカフェが行われ、話さずにはいられない私は参加した。話すとまた2017年に見たアウシュビッツを思い出す。映画のラストでは現実のアウシュビッツ博物館を清掃作業するシーン、その後にヘスが階段で吐き気を催しゲロを吐こうとするシーンが連続してた。カフェ参加者はあれはヘスのゲロを片付ける事の示唆ではないかとか、いやいや清掃員の日常はアウシュビッツで死体処理やその後の灰と骨の搬出をさせられたユダヤ人達の姿ではないかとか、清掃員にとって展示品は日常の光景で無関心になるのは当たり前だとか、そんな話が出てた。私はNIVEAの缶が展示してあった事を思い出した。
映画はヘスが螺旋階段を降りていくシーンでほぼ終わった印象がある。ヘスは自分がやってる事、この先待ち受けている事を理解しいたのだと思う。しかし私は何故、退席したのか、何故あそこまで緊張して映画を観たのか、今ひとつ合点がいかなかった。
山口からの帰りに私はセローのバイクで高速を走った。90km以上のスピードでトンネルを走ると、高周波帯の風切音となる。それは正に先程見た映画で聞いた人の悲鳴や慟哭だ。酷似した音だった。セローの様なバイクで高速を走ると風圧をまともに受けハンドル操作を誤ると死ぬ。しかしトンネル内はオレンジの光に照らされ他の情報がなく、正にゾーンに入っていた。一点だけ見つめて危機感は薄れ、狂気染みる。
アフターアワーカフェで私が話したことは壁の存在、壁を隔てた向こう側は想像でしか補えないことだ。情報は遮断され、加工されて、こちら側に都合の良いものしか届かないシステムとなっている。
私を震撼させたもの、私に緊張感を強いたものの正体は私の中にもあるヘス長官と共通する都合の悪いものは見ない様にする事や自己の保全を第一に考える脳機能、私の中にもある他者への残虐性なのではないかと思った。そう思えたのは高速道で体感したあのゾーン感覚だ。
関心領域をThe areaとは言わず、The zoneとタイトルしたのは、ゾーンに入れば他者への関心などなくなるからだ。それは私だけでなく、ヘスと同様、全人類のDNAに深く刻み込まれている人の属性なんだと私は思っている。シンドイ映画だった。
知らない現実もある。
いままでアウシュビッツの収容所の悲惨さしか知らなかったが、そこに勤務している側の生活もあったという現実。
しかも、となりに住んでしまうということ。
時には川に流れてきた骨を見て、子供を洗っていた場面で、毒殺した毒が川の水にながれているのかと思ったり。
妻は現実よりも、自由とお金のある生活を望み、遊びにきた母親はとなりの残酷さに耐えきれずに帰ってしまう。
子供たちもそれぞれ。
林檎をおいてまわったのはヘスの娘だと主人はいうのだけど、そうだったのか…?
いままで考えたこともなかった映画に触れて、私は良かったと思う。
現代と当時の狭間で人の関心を描く
終始、隣の収容所で行われていることは全く映さず、音(人の叫び声など)や煙だけでその情景を映し出す。
その中で、将校夫婦に起きる出来事だけを映し出し、夫婦の問題を描いているように物語は展開するが、後半、将校がふと現代のアウシュビッツの状況に気付くかのような描写が描かれる。
将校は現代の状況に気付きそうでいながら、また自身の日常に戻っていく。
第二次大戦下と現代の狭間で、人が関心を持つということの重要性を訴えているように感じた。
余談だが、仕事仲間の人にこの映画の話をしたところ、リンゴを地面に置いてくる少女の描写などわからないことが多く、パンフレットで真相を知ったようで、もっと説明描写が必要だったのではという感想だった。
確かに、私もリンゴの少女の描写は分かりづらかった。
侵攻した軍は非人道的行為に走ってしまうものなのだろうか(追記)
8月6日(火)
夏風邪で3週間映画館に行けず、観賞予定が大幅に狂った。やっと第96回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞、音響賞の5部門にノミネートされ、国際長編映画賞と音響賞の2部門を受賞した「関心領域」をTOHOシネマズシャンテで。
ナチス親衛隊がポーランド・オシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む40平方キロメートルの地域を表現するために使った言葉が「The Zone of Interest(関心領域)」だそうだ。
「The Zone of Interest」タイトルが映し出されて1分か、それ以上そのままで、その後黒味の画面が続く。映写トラブルかと思う位だ。だんだんと音量が上がって来る。
家族ののどかな川辺でのピクニック風景から映画は始まる。収容所の司令官ヘスの家族である。
しかし、映画の中盤で同じ川へカヌーで子連れで出かけた時、川上から濁った水が流れて来るとヘスは流れの中で人骨を手にする。濁り水の量はどんどん増えて来る。
川上で焼却灰でも処理しただろう事が容易に類推出来る。ヘスは慌てて子供を家に連れ帰り風呂で子供達の体を使用人達にゴシゴシ洗わせる。
ヘスの妻ヘートヴィヒ(ザンドラ・ヒュラー)は、庭に温室を作り、花壇にはバラやダリヤ数々の花が咲き乱れ、滑り台付きのプールもある。私が設計したのよ、と訪ねて来た母親にこれらを紹介する姿の誇らしい事。
母親も素晴らしい家だと思っていたが、絶える事無く立ち上る煙、焼却炉の燃焼音、夜空に煙突から吹き出す炎(当然匂いもするのだろう)、これらを観て、感じて、母親は翌朝置き手紙を残して去ってしまう。
暗視カメラで表現されるユダヤ人作業者にリンゴを差し入れる少女は実在したらしい。
「奴らは何をしていた?」「リンゴの奪い合いです」アウシュビッツでは腐った野菜や肉で作った水分が多いスープしか提供されていなかったそうだから奪い合いにもなるのだろう、少女の善意も死に繋がるのか。
ヘスが転属になる事を告げるとヘートヴィヒは怒りまくる。自分と子供達は、ここにどうしても残るから、あなたは単身で行って。使用人達にも当たりまくる。
ラスト、転属先からアウシュビッツに戻る事になったヘスは嘔吐する。その時、廊下の先に彼が見た物は・・。
現代のアウシュビッツの博物館の清掃風景と展示品が映し出される。焼却炉の中をはき掃除する清掃員、通路に掃除機を掛ける清掃員。ガラスの拭き掃除をする清掃員。ガラスの向こうには、おびただしい数の収容されていたユダヤ人がはいていたであろう靴、靴、靴。山積みの無数のボロ靴が展示されている。
暗闇の階段を降りて行くヘスの姿で映画は終わる。ヘスがダークサイドの闇に消えたように見えた。
本作の舞台となったアウシュビッツ第3強制収容所は1942年10月に開所され、1945年1月にソ連軍により解放された。
劇中でも「一度に500人、7時間で焼却出来ます」という台詞があった。アウシュビッツ収容所全部の被害者は100万人を超えるという。
観るのが遅くなったために「ONE LIFE」を先に見る事になった。ロンドンへ行く列車に乗れなかった子供達の中には、あの煙をはいてアウシュビッツに来る列車に乗せられた子供達もいたのだろう。
アウシュビッツの博物館には行った事が無いが、中国で南京大虐殺記念館(南京大虐殺の追悼施設)には行った事がある。日中戦争で1937年の南京侵攻時に日本軍に虐殺された中国人の遺骨が土中に層をなす程大量に発見されて(「関心領域」の靴の山のように)遺骨の山がこんなにも層をなす程あったのですよと展示されていた。侵攻した日本軍は2万人をレイプし、20万人の軍人と市民を殺害したと言われている。(一説には30万人)
当時南京にいたデンマーク人シンドバーグは、ユダヤ人を救ったシンドラーのように中国人を日本軍から救ったと掲出されていた(その後、施設は拡張されて私が行った頃の倍の広さになったようだ)。
ロシアも、ドイツも、日本も、侵攻した軍は非人道的行為に走ってしまうものなのだろうか。今日も世界のどこかで人間同士が血を流しあっているのだ。ため息が出てしまう。
今日は広島に原爆が投下された日だった。
追記:
カメラはFIXして動かない事が多いが、ヘスやヘートヴィヒが邸内を移動するとき等それと相反して、えらく細かくカットが割って有る。また、昼間の庭園や屋外のシーンは抜けが良く明るい画になっているが、夜間や夜の室内等は暗めの画作りになっている。雪が降った庭などは、春~夏の明るかった庭とは一変した庭の風景になっていた。監督が何を意図したかは良く判らない。
この映画に負けて「PERFECT DAYS」がアカデミー賞国際長編映画賞を取れなかったのは残念だ。
嫁
サラリーマンの鬱
音響のすばらしさは他のレビューで語られていると思うので、ここではお仕事映画として徹底して主人公の鬱に焦点を置いた映画であった点を強調したい。
毎日人を殺して、効率的な始末の仕方を考え、肉の焼けた臭いを嗅いで鬱にならないでいられるだろうか?
作中漂ういたたまれなさの原因は、収容所に対する登場人物たちの白々しさもさることながら、誰も主人公のヘスの精神状態に対するケアがないことにも起因する。
妻は生活のことにしか、子供と犬は自分の不快にしか、部下や上司は第3帝国のことにしか興味がない。ここが地獄であると自覚し、ここを離れたいと思い、それを言葉にしているのは主人公だけである。
しかし、その言葉は最愛の妻に届かない。小川の前で妻に単身赴任を勧められ、性欲を自分の手で処理する主人公の精神状態は、おそらく世界中の勤め人がいつもどこかで感じているものだろう。なんという孤独だ。
ドライな映像は客観的にも主人公を突き放す。製作者と登場人物、両方からここまで疎外される主人公はそういない。いやな気分にさせる映画として本年度No1になりそうだ。
すんません、今回は毒を吐きます。嫌われたって構いません。
A24作品は時間の許す限り見るようにしていて、アカデミー賞でも何部門も受賞したと聞いていたので相当期待していたこの作品!
一言で言うと、「 この難解な映画を理解する俺って格好いい!」 と自負する村上龍の小説に出てくる南青山でパスタ食いながらヘミングウェイのウンチクたれながら、その後にセックスしまくる鼻持ちならない映画ソムリエ連中のプライドをくすぐる為に作られたとしか思えない映画でした。まぁー、高尚ですこと!
同じ村上なら、村上龍読めよ?「5分後の世界」とか面白いぞ?村上春樹みたいなウンチクは無いけど含蓄はあるぞ?
映像は少し遠巻きに撮影して、ユダヤ人をガス室送りにしてから金品や衣服を巻き上げているとか、遺体の歯で遊んでいるとか、臭わせ台詞を入れつつ、人殺しに無自覚になってしまったナチスの家族の日常をゆるく描きつつナチス批判をしているのだが、ゆるくてゆるくて退屈でしょうがない。
こんな楽な撮影で済ませやがって、もっとカメラワークも仕事しろよ?
ハローワークの職員に仕事を紹介してもらう時、ハロワの職員が求人票をバーコードリーダーでピっとして、企業に電話するだけの楽な単純作業で給料貰っているのと同じくらい許せない。( 若干、私怨が入っております)
みんな、冷静になって考えてみようよ。これが無名監督でアカデミー賞ブランドがなかった状態で見てみたら「 つまんねー!」って思いませんか?
ナチス映画って名作が沢山あるのに、この程度の作品が高く評価されるってのは納得いかん!
あー、毒吐いてスッキリした!てな訳で、この作品見なくていいよー。
聴覚を刺激し、想像力を掻き立てる
ゴミ処理場
次から次にユダヤ人を処理していく、まるでゴミ処理場で働く感覚になるのかもしれない。
国からの指示、合法、誰も止めるものもなく、優雅な暮らしが約束される。ほとんどの人がそれに甘んじてしまうのではないか。
奥様はユダヤ人が残した金品に喜び、仕事に従事している旦那様を単身赴任させて、優雅な暮らしを選ぶ。
南京陥落で好景気に浮かれ、朝鮮戦争での好景気でも浮かれていた日本人。それも殺戮が行われていたおかげです。メリケンに原爆2種類実験的に落とされ、爆心地はまさに阿鼻叫喚、関心領域と同じです。にも関わらず金を落としてくれる米兵になびく。原子力発電稼働、街が潤えばOK。豚や牛も餌をくれるとなつく。売られて肉になりますが。もはや道徳や良心やへったくれもない。儲かれば何でもありということだ。
ヒトラーは何故ユダヤ人を600万人も処理したのか。国の為にも自分の為にももっと有効活用できたはず。戦争の前線に送りこんだり、武器製造に従事させたり、ソ連に負けなかったかもしれない。ヒトラーは若い頃、オーストリアで貧しかった。まわりには裕福なユダヤ人がいたらしい。ユダヤ人は金融や商売がうまく、石油王のロックフェラー、モルガン証券もユダヤ人。ユダヤ人に対する劣等感、妬みがあったのかもしれない。おまけにヒトラーの素性は明らかではなく、ヒトラーの父は祖父の妾(ユダヤ人?)の子で、実はヒトラーにユダヤ人の血が入っているかもしれないという。真相は明らかではない。ユダヤ人の血が入っているという怖れから、ユダヤ人虐殺に走ってしまったのかもしれない。僕もヒトラー同様、おまわりを全て虐殺したいと思っている。
昔から自転車に乗ってるだけで止められる。登録ナンバーを確認させてと。何もしていない善良な国民を平気で泥棒扱いする。仕事だからと何の罪の意識もない。戦前の特高警察は治安維持法とかで思想犯を拷問し、病死したと死体で返してきたりした。作家の小林多喜二がそうだった。ナチスドイツと同じようなものだ。僕の友達はひき逃げされ、首を骨折しました。ひき逃げ犯は捕まりません。おまわりは全く役立たずです。無理やり自白させて冤罪、横領、猥褻行為、隠蔽、癒着、個人情報垂れ流し、何でもあれ。まさに税金泥棒。
ユダヤ人は今後ドイツ人を虐殺する事はないのだろうか。
ヒトラーや僕が虐殺したいという思いを抱かないような社会しなければならない。幸せランキング1位のフィンランドに習ってはと思う。互いに支え合う社会が根付いていて、税金は高いが教育や公共サービスの充実、それほどの収入の格差もなく、仕事もプライベートも大切に、自然との共存。
ジョナサン・グレイザー監督はどう考えてるのか。何かそれらしきものを描いてほしかった。少女がりんごを配ったりしたところが救いだったのか。白黒にして夢のような感じがした。あくまで現実を淡々と描きたかったのか。旦那様は嘔吐していたが潜在的にやはりおかしくなっているのだろう。奥様はどうかわからないが、子供達も異常になっている。ドイツ敗戦、結局この家族は離散し、旦那様はアウシュビッツで絞首刑になっよう。ろくでもない奴は、たいがいろくな死に方をしない。ヒトラー、東條英機、安倍晋三しかり、おまわりもそうだろうな。
ラストの音楽は奥様の人間性同様不快でならなかった。
遠くの銃声は軽い音に聞こえる
眠くなる
林檎の少女
上映期間に間に合った!
知られている事実をこの視点で…
人間のおぞましさの追及でした
林檎の少女が誰なのか気になり調べたら解説動画で、アレクサンドラというポーランドの少女(家政婦として働いてた?)、ヘス邸が実際のアレクサンドラの家であったこと、あの缶の中にピアノで奏でた曲の楽譜が入っていた(映画では何が写っているのかわからなかった)という実話であることを知って、鑑賞後新たに感銘を受けている
あのお母さんの行動が一番通常の人っぽかったですね
ちゃんとした映像作品だった、、
音!
視覚は目を閉じるだけで簡単に遮断できるが、音はなかなかそうはいかない。2時間ずっと、発電所のような運動会の喧騒のような、さまざまな「音」が混ざり合ったものが聞こえていて、人によっては体調を崩すのではないかと思うほどだった。映画が始まって最初の3分間は、映像がなく音だけが流れていた。
この作品では、虐げられる側は一度も映されない。ずっと「加害者」の日常生活だけが描かれている。そして、アウシュビッツを題材とした作品でありながら、一度も壁の中には入らない。
カメラワークは、特徴的な演出はなく、観察者の視点に近い。所長の妻が使用人の女性に対して「わざとやってるの?」「あんたも灰にするからね!」などと焼却炉行きを仄めかすようなヒステリックな言葉を投げかける場面でも、カメラは本人達の表情に向かうことなく、同じ画角のまま映し続けている。まるで盗撮映像のようだ。
2時間の上映時間の中で、一度だけ「音」がエスカレートしていく場面がある。その夜、何かの事情で「処理件数」を大幅に増やさなければならなかったのだろう。煙突から上がる煙は噴き上がる炎に変わり、夜空を照らし、カーテンの隙間から部屋の中にちらちらと光が差し込む。そして、その「音」の正体が明らかになる。それは、地獄そのものだった。
娘夫婦の成功を祝うために泊まりで訪問していた老いた母親は、その夜のストレスに耐えきれず、翌朝、誰にも声をかけずに荷物をまとめて出て行った。
この異常な環境下でも、所長一家は幸せそうに暮らしている。しかし、子どもたちにはどこか病んだ雰囲気がある。小さな娘は夢遊病のように夜中に無意識で廊下に座り込んでいるし、兄は弟を温室に閉じ込めていじめている。小さな弟は、壁の向こうから聞こえる音に耳を傾けながら、人形ごっこをしながら「次からはもうやるんじゃないぞ!」と監視人のような言葉を口にする。飼い犬はいつもそわそわしていて、赤ちゃんはずっとけたたましく泣き続けている。
この映画は「戦争と平和」をテーマにしたものではなく、ブラック企業における成功や、普通の会社でも程度問題で起こりうる話だ。「慣れなきゃね」という積み重ねが、アウシュビッツに通じるものがあるという内容だ。
自分たちは民族浄化のために、歴史上誰も成し得なかった「偉業」に取り組んでいる、という自己認識が描かれている。
この「音」は、当時の収容所で実際に聞こえていた音を可能な限り正確に再現したものらしい。生々しい音を隠すためにカモフラージュとして使用された音も多く、例えばエンジン音のようなものを出し続ける作業を担当する収容者もいたらしい。
パーティー疲れで調子を崩した所長の嘔吐が収まったところで映画が終わったが、地獄の底の釜から噴き上がり続けるようなエンドロールの変則的な音楽が悪魔的でずっと気持ち悪く、今度は観ている側が吐きそうになる。
途中、女の子が塹壕横の盛り土のような場所に次々とリンゴなどを埋めていく場面がある。最初は何かをイメージした映像かと思ったが、2回目ではさらに具体的な映像となり、遠くから自転車でやってきて、その作業をしている様子が描かれる。現場には大量のスコップが置かれており、収容者がそこで作業をするのだろう。そこにリンゴがあったら、常に空腹の収容者はこっそり食べるはずだ。唯一、救いを感じる場面だった。
並行して映される所長が子どもを寝かしつけるために読み上げるヘンゼルとグレーテルの一節には「魔女をかまどに押し込んで殺した」とあり、この女の子も捕まって殺されてしまうのではないかとハラハラしたが、それはなかった。ちなみにヘンゼルとグレーテルは現代ではマイルドな童話になっているが、当時はまあまあグロテスクだったらしい。
この女の子は所長一家とは無関係だが、印象的な存在だった。
女の子は現場で缶を拾う。その缶の中にはお菓子ではなく、紙のようなものが入っている。翌日、そのグシャグシャになった楽譜を広げ、ピアノでメロディをなぞる場面があるが、このグシャグシャの楽譜が缶の中に入っていたものだと思われる。字幕で詩が流れるが、おそらく収容者が書いた詩だろう。それも缶の中に入っていたのかどうかは分からない。
この女の子の行動も、収容者が現場に置いた楽譜も、実話だという。最近になって、この二人がテレビの企画か何かで実際に会ったらしい。なかなかの奇跡だ。
大阪の都島にある拘置所を取り囲むように、立派な高層マンションが建ち並んでいる。家賃が安いのか気になる。
アメリカのリッチランド高校の校章には原爆のキノコ雲の絵が描かれている。この町は核兵器の開発で栄えた。戦争を終わらせた大きな力として、市民は原爆を誇りに感じている。
沖縄の基地周辺に住む人々も、基地がもたらした生活や文化に感謝している人が多い。そういえば、厚木周辺もそんな感じだったのを覚えている。とても立派な市民公園の真上を、戦闘機が爆音を立てて何度もかすめていく。
また、原発のある町にも多額の補助金が出ており、市民の生活は豊かになっている。
あるいは、こういうこともあるだろう。システム開発の会社に就職して、与えられた仕事がアダルトサイトのメンテナンス。生理的に合わないなと思いつつ、給料がいいから働く。
アウシュビッツの所長職も、待遇はいいし、当時としては最新技術を駆使したそれなりの仕事だ。民族浄化という使命も背負っていて、むしろそれなりにやりがいを感じる仕事でもあった。
でもそれは「時代が変われば価値観も変わる」といったことではなくて、バイアスに翻弄された面は大きいだろうけど、絶対的な感覚は誰しもあるはずだと思う。程度問題ではあるが、時代がどういう方向に向かっているのか、常に注意深くいたい。実際は、30年くらい前と比べると、かなりまずい状況になっているようには感じる。もちろん、よくなった状況もあるが。
ひさしぶりの金返せ
全く新しい視点で描くホロコースト
人民を大量虐殺して自国を欲しいままにしていた為政者はスターリンやポル・ポト等もいたが、ユダヤ人という人種・民族をターゲットに集団的殺害(ホロコースト)を行い、さらに障がい者や同性愛者までも排除したヒトラーは鬼畜の度合いが比類なく高いと言える。
そして、そのヒトラーを熱狂的に支持し崇拝し、その思想に洗脳されていた当時のほとんどのドイツ人はヒトラーが示した考えなのだから(自分はユダヤ人でなくドイツ人なのだし)、ユダヤ人がどうなろうと知ったことはない(何処かに連れ去られ強制労働又は虐殺されようと)。のだったと思う。
だとしても、アウシュビッツ内の施設で虐殺するユダヤ人をいかに効率的に焼却するかを業者や部下と話し合う司令官のヘスも、壁の向こうが施設であろうとも自らが作りあげた理想の家に執着しヘスを単身赴任させるヘスの妻(ザンドラ・ヒュラー、落下の解剖学に続きさすがの演技)も、無邪気に遊ぶ子供たち(全く何も知らない訳ないだろうに)も、やっぱり皆んな、ダメだよー神経がおかしくなっているよ!突然家から立ち去った母親のみがまともな神経なんだよ〜
戦後、日本と同じ敗戦国ながら、ベルリンの壁崩壊を経て急速に復興しGDPも3位になったドイツ。ナチスがヒトラーがどれだけの間違いを犯したのかを発信し続けるなか、このような視点で新たな映像を提供してくれた。
明らかに日本より反省度合いは高いし、映像文化の水準も高い。見習うべきである、。
全499件中、61~80件目を表示