関心領域のレビュー・感想・評価
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言わんとすることは分かる。
壁一枚を隔てた日常と地獄。
かつての非道を描き、現代を生きる我々に問いたいのだろう。
言いたい事はよく分かる。
だが、なんだろうこの胸糞悪さは。
確かに過去の現実としてのナチスの非道はあったし、人類として忘れてはいけないのはよくわかる。
とはいえ、いつまでもナチスナチスうるせーよ!
私はナチス関係者の末裔ではないし、信奉するものでもない。
彼らの行動の結果は悲惨であり糾弾され、人類は2度と行うべきではない所業だ。
そこで、ふと西の方に目を向ける。
今、虐殺はしないまでも民族浄化、民族弾圧が行われている現実があるのでは?
そちらに目を向けず斜に構えて、人類のかつての非道を皮肉るような、そんな姿勢が気に入らない。
躍進し続けるA24スタジオ。
独特の映像美と演出、そして心にざっくりくる作品の数々。
Civil Warまでは良かったが、なんだろう。
ここの作品群に通底する達観したかのような視点での皮肉がだんだん胸糞悪く感じる。
観ればみるほど嫌いになるスタジオだ。
「退屈だ」と感じることが自らの無関心さを突き付ける、なんとも残酷な映画よ
お世辞にも面白いとは言えない映画だが、むしろその「面白くない」「退屈だ」と感じるところにこそ、この映画のスゴさがあるように思う。
というのも、本作には映像の手がかりとなる説明というものが一切なく、カメラもほとんどが固定のロングショットであるため、一定の視点や感情をもって観ることが最初から排除されている。それはおそらく徹底したリアリティーでもって再現したアウシュビッツ横のヘス一家の暮らしを音と映像だけで「観客に体感させる」ことに主眼が置かれているからだろう(実際にいつどのような音がどの音量で聞こえたか、収容所からの音だけで600ページの台本があるらしい)。そら、面白い話になろうはずがない。
が、しかし私たちはホームドラマのように描かれた彼らの恵まれた暮らしの中に、いくつものおぞましい事実を見つける。収容所のユダヤ人から収奪した毛皮を鏡の前で着飾る妻、金歯で遊ぶ子どもたち、そして塀の向こうからは終始、女・子どもの悲鳴や焼却炉の稼働音が聞こえ続ける。「えー、マジか~」「無関心すぎやろ~」と令和に生きる日本人の私は声を上げたくなるが、本当にそうですか?ヘス一家とあなたは何が違うんですか?と、この映画は問うている。
少なくとも本作で描かれる所長のヘスは、仕事熱心で謹厳実直、部下にも慕われ、家庭にあっては子煩悩な良きパパであり、妻とは将来の夢を語り合って結ばれたごく普通の夫婦である(すべて事実らしい)。職業がアウシュビッツの所長であること以外、何らの価値観の相違も見い出せないのだ。産業革命以降の現代社会では職業が人間の唯一の存在形式であり、つまりは巨大な経済的メカニズムの中の歯車としてしか人間が存在しえないことを鑑みれば、自分がもしヘスだったら、ヘス家の住人だったら、違う行動がとれたのか。その答えは、相当に怪しい。
いや、わざわざヘス一家に自分を重ね合わせる必要もないのかもしれない。なぜなら今だって、自分が享受する平和の壁の向こうにはガザやウクライナがあり、もっと言えば7億人もの人間が飢餓線上にあるのだから。そのことを私たちは十分すぎるほど、よく知っている。知っていながら、その事実や悲鳴や誰かの断末魔をヘス一家と同様、都合よくノイズキャンセルしながら生きているのではあるまいか。少なくとも壁の向こうの圧倒的な理不尽により命を落としていく人間から見れば、ヘスも私も大差ない、職務に忠実で無責任な、ただの職業人間に過ぎない。
劇中では、唯一、赤外線カメラで描かれる少女が登場する。これも説明がなく、見るからに怪しく不自然な動きをするので、一瞬、泥棒か何かか?と見まがうが、飢餓で苦しむユダヤ人のために夜間ひそかにリンゴやジャガイモを彼らが見つけやすいように隠している姿らしい。人知れず、リスクを冒しながらも、自らの良心にもとづいて行動する最も人間らしいその少女が、あるいは本来の人間らしさというものが、この社会では赤外線をかざした熱画像でしか見えない(しかも不自然な行為として映る)というのは、なんとも皮肉で、痛烈なメッセージである。
企画・プロットが全ての映画
アマプラで鑑賞。公開当時、映画館で観なかったのには明確な理由がある。それは、話題作として作品の概要を繰り返し聞く内に、すっかり観た気になったから。もっと正確に言えば、「アウシュヴィッツの強制収容所で行われている事を知ってても、その隣で何食わぬ顔で日常生活を行うドイツ人が居た」というコンセプトを知った時点で、本作のメッセージの90%を受け取れた気がしたから。
実際、アマプラで鑑賞しても予想通りだった。本作の正しい見方は、舞台がアウシュヴィッツと知らずに観始めて、「ユダヤ女から宝石を取った」という台詞でもしかしてと思い、中盤でアウシュヴィッツと明言された処で、やはりねと確信するべきなんだと思う。TV等でアウシュヴィッツが舞台と宣伝しまくった時点で、本作を観ても残り10%を確認するぐらいの価値しかないと、本作への「関心」が奪われてしまった。
それでも本作の実験精神は素晴らしい。ただ、説明をナレーションベースにした30分弱のドキュメンタリーでも、同等のメッセージは十分伝わる気もする。
どんな時代と背景があっても、必ず残る良心
世界史に残る大事件
それを題材にした作品
それ故、知識を必要とすると同時に当時の価値観との対比を考慮せざるを得ず、評価そのものは非常に難しい。
ドイツ国民が今でも抱えている集団意識
それは、自分たちの血に流れる「あのこと」への慚愧の念
そしてまたこのような作品によって、「そのこと」を掘り返さえるのだ。
それに加えてこの作品は、単に当時の日常が描かれている点が悩ましい気がする。
さらにそこに足された「象徴」
その意味するのは解らないではないが、現実と非現実的という壁が理解を難しくさせている。
2度差し込まれた暗視スコープ的映像
少女が土手にリンゴを産める行為
少女が舟にリンゴを入れ、スコップ置き場にもリンゴをばらまくシーン
その際少女はケースを拾うが、おそらくその中にあったのが「太陽の光」という代名の歌詞だろう。
これはユダヤ人の希望 届かなくても持つべき希望を象徴している。
当然少女がばらまいたリンゴは希望の象徴で、彼らに届いてほしい願い。
逆に、そんなことは物理的にはできない。
そして、
少女はヘスの家の使用人のマルタ
彼女は危険を冒してまでユダヤ人に一縷の望みを届けている。
そこに差し込まれるのがヘスが娘を寝かしつけるために語るお話。
この対比
タイトルには、生きる上での関心ごとがドイツ人とユダヤ人とでは全く領域が異なることを示しているようだ。
ヘスの妻はそこが楽園だと考える。
夫の転勤でその場所を離れることを断固拒否するほどだ。
息子たちは男だからか、自分たちの住む場所に違和感を持ってはいない。
しかし娘たちは日々不眠症となっているのがわかる。
それは、
ずっと聞こえ続ける銃声と怒号 悲鳴のような声によって影響されているのだろう。
妻へディの母がやってきたがある日突然去っていった。
彼女の置手紙は明らかにされていないが、見た目には楽園に見えても絶え間なく聞こえてくる地獄の叫び声に精神状態がおかしくなると思ったからだろう。
娘へディの関心ごとが裕福な生活であるのと同時に、絶えず聞こえてくる怒号に無関心でいられることが、母にはどうしてもできなかったのだろう。
ヘスは最後に最新式のガス室の構想を思いつく。
深夜 妻へ電話する
階段を下りる時に吐いたのは、彼にも愛する家族がいることで自分たちが何をしているのかを頭の隅で出来ている理解と両親の呵責、または罪悪感の様なものがわずかでもあったからだろう。
それが、
現代 アウシュビッツ強制収容所が資料館となり、そこを掃除する日常の画に切り替わる。
当時誰もが思ってもいなかったことなのだろう。
掃除する彼らに笑顔はない。
ドイツ人全体の贖罪感が漂っている。
たった一人暗い階段を下りていくヘス。
それは紛れもなく地獄へと続いている階段だったのだろう。
独特な澄んだ映像と音響 言葉にならない
第96回アカデミー賞5部門ノミネートで国際長編映画賞・音響賞受賞ということで当初より興味深い作品ではあったが、あまりに重いテーマにて劇場に行く勇気が湧かず結局VODにて鑑賞。
オープニングからかなり独特。いきなり放送事故かと見紛うほど長い真っ暗画面。そして少しずつ音が聞こえてくるのだが、なんだか不安も募る。この時点でざわざわしながらも五感が研ぎ澄まされてきて、鑑賞準備が整ってくるような不思議な感覚。
そして全体を通して独特な澄んだ映像と音響が本作の不穏な空気に拍車をかける。本年度のアカデミー賞音響賞受賞は文句無しという感じ。
とても綺麗なのにとても怖い。とてもピュアなのにとてもダーティー。劇場で観たかったようなVODでうまく緩和できて助かったような。
良い作品だとは思うのだが、いずれにしてもこんな歴史はノーモアだ。言葉にならない。
平和に生きていると
…と言う感じがしました
壁を隔てて地獄と天国のような
天国に住んでいる人たちには
地獄が見えない
隣から銃声の音やわめき声などは
時おりというか毎日聞こえてくるのに
まったく関心を示さない
特に妻のヘスは
夫よりもいまの暮らしが
大切であの家からはどんな事が
あっても離れないだろうなと思った
ほぼこちら側の日常を描いて
あちら側のアウシュビッツ
は銃声の音や人の叫び声
で煙突から白い煙が立ち上がる
以外は収容所中の映像はない
想像するのみ
はたして
その映像を見ている私たちは…
ロシア、ウクライナの戦争にしても
戦争が始まった三年前といまの状況は
戦争が続いているにも関わらず
メディアが取り扱われなくなって
"関心"が薄れてしまう
現状を知らない見ない事もあり
いつしか"対岸の火事"しつつある
関心から抜け落ちていく
映画としてはどうなのか
叫び声といつも通りの生活。
無関心…
家の隣はアウシュビッツ収容所。収容所の中のシーンは一切ないが、銃声や叫び声、泣き声、不穏な音が鳴り響き、死体を焼いたであろう煙が煙突から出ている。柵を隔てたこちら側はプール付き庭の大豪邸。庭には花が咲き誇り、誰もが憧れる幸せがそこにある。まるで天国と地獄。地獄の近くで平然と暮らせるのが恐ろしい。しかし、これは現代のウクライナやパレスチナの惨状をメディアで知りつつも、遠い国の話と無関心な我々に批判することはできないだろうと思える作品だった。
無関心なのは一家だけなのか
アマプラ配信始まったので早速視聴。淡々と過ぎていくので注意を払って観ないと何にも気付かず終わる。音響の良い状態で観ないとこの映画の意義は半減しちゃう。ちゃんと映画館で集中して観るべきだったな。
何気ない日常にチラ見えする狂気に胸糞悪くなる。そういえば劇中にちらっと出てきたアイヒマンも至って普通の官僚的な人間だったような。嬉々として荷物扱いして焼却炉の性能の良さを語ってたけど実際の収容所の焼却炉を作ったのはパン窯を作るメーカーだったっけ。会話に出てきたシーメンスやほかの企業が収容所近くにできたのも労働力目あてだからか。人間とは抗えない強大な力と大義名分があれば非人道的なこともできてしまう生き物なのだろうか。吐き気がするけどこの一家だけが特別に醜悪なわけじゃないように思う。
最後に挟み込まれた現代パートが衝撃だった。今は博物館になっている収容所を淡々と清掃する職員。さらにその博物館を物珍しさで"観光"する私たちは正しい人間なのか。ウクライナやガザ、ミャンマー、その他紛争地域のことをテレビやネットを通して知っているのに無関心でいるなら、壁一枚向こうのことを知ってて無関心だったこの一家と何も変わらないよと言われた気がする。
構図の清潔さ。ごくありふれた日常生活。
全編とても落ち着いた色調で整然と進んでいく。緑と白。描かれているのはある家庭の話。真面目で家族を愛する優しい父親、家庭のことにしか頭がいかない母親。お手伝いさんがいる裕福で円満な生活が淡々と1ショット1ショット調和が取れた規則正しい構図で紡がれていく。ここはアウシュビッツの隣で、父親は収監所の将校。隣の敷地で何十人ものユダヤ人が日々殺されていく。どういう気持ちで観ればいいかとても悩ましいが、言えることは映画の登場人物たちは異常ではなく、私たちと地続きのごく普通の価値観を持つ真っ当な人間だということ。みんな真面目に「ユダヤ人は人間じゃない」と思って真面目な仕事として人を殺してるのだ。
私たちは目撃した
集中力が必要
想像力を発揮するということ
映らないが確かにそこにある何か
音響賞は伊達じゃない
アウシュビッツ強制収容所の所長ルドルフ・ヘス家族の日常を描く物語。
アカデミー賞国際長編映画賞・音響賞を受賞した佳作。
物語は、本当に日常生活を中心に淡々と描きます。豊かな自然、暖かい家族、ヘスの妻が拘る理想の生活・・・ただ、その生活の描きながら合間々々に銃声や悲鳴、怒声が漏れ聞こえてきて、その音との対比が人間の残酷さと不気味さを際立たせます。
映画としての面白みには欠けますが、映画としての完成度の高い作品だと思います。
私的評価は、4にしました。
凄すぎる映画体験
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