関心領域のレビュー・感想・評価
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怖い!美麗映像と緻密かつ重厚なる音響世界
ベルイマンやポランスキー作品に通じるエレガントなひたひたと内側に水が浸透するような恐ろしさ。
とにかく庭園、建築、衣装、部屋、何から何まで贅沢な一級品。
でもじぶんはあそこには絶対住みたくない!
一晩でも逃げ出したくなります^_^
塀の向こうで何が起きているか知っているのは、
収容所で日がな働くこの一家のあるじと、
われわれ観客だけという!
阿鼻叫喚の声や銃音が、
毎日遠くから聴こえてくる、気味の悪さ。
奥さんは、こんな恵まれた暮らしを手放したくない。
転勤の話が出たら、あなたが単身赴任して!というばかり。
あそこの煙は、銃殺された、おびただしい数の遺体を焼却炉で焼いているからなのだ。
その空気を吸って野菜や木花や人間が生きている日常。
焼却炉を増設するに、設備の冷却や運営をどうするか、淡々と会議がすすめられたり。
見る前から宣伝で、塀の向こうを全く映さないとは聞いていて。
なおさら、その闇が非常に深く感じられましたね。
わかったらおもしろい
アウシュビッツの隣に住む家族の日常を撮った作品。
最初の感想は「題材や視点はいいが変」
どう解釈すればわからないシーンや撮影技法が見られて変だと思った。
ただ、のちに考察を見るとそのシーンの意味や撮影技法が使われた経緯がわかって納得がいった。
作品では終始、一家とアウシュビッツとの繋がりが音で現されていて、すごくリアルで新しい感覚だった。
絵的な話では、シーンのアングルにはもっとこだわってよかったと思った。このテイストだとミッドサマーのような美しくてシュールな絵作りをしてあるかと思ったが、その辺は曖昧というか中途半端だった。
作為的な感じを避けるためにセットのいろんなところにカメラを仕込んでなるべくリアルで客観的な絵作りをしたと解説で見たけど、その他の表現方法に作り込みを感じるので、アングルもしっかり作り込んだ方が作品にまとまりや重みがでる気がした。
普段わたしたちは、身の回りに起きている様々なことに無関心なポーズで生きている。
ニュースなどを見て心を痛めることはあるが、その数時間後には心の底から笑ったりしている。
動物を可愛いと思いながら、食事で出た肉を対して感謝もせずに食べる。
そんな自分がアウシュビッツに関わっていたとしたらどうしただろう。改めて考えるきっかけになった。
隣で何をしているのか
Amazon Prime Videoの配信を視聴。
小説の映画化で、当時を知る者の証言などを参考にしてリアルに再現したとのこと。
今作の登場人物は、家の塀の向こう側で何が起こっているのか ある程度は知っていたとしても、自分たちで築き上げた氣に入った日常が続くなら 一家の主の任務に干渉するメリットは無い。しかし、今の場所を手放すとなると話は違うというわけだ。
何してるのか わかりにくい サーモグラフィのシーンが 意味深であった。
第二次世界大戦が どういうものだったのか、また アウシュビッツ強制収容所で 何が行われていたのか については諸説ある。
数十年前の戦争時代に限らず、現在も 隣や見えないところで 誰が何をしているのか 無関心だったり、関心があっても触れないように していたりする。
時局を見る目が欲しい
NHKの『映像の世紀』でエヴァ・ブラウンが撮ったフィルムの映像を見た。アルプス地方の風光明媚な山荘で過ごすヒットラーと愛人、取り巻きの人たちの贅沢な暮らしぶりが映し出される。また、少し前に『縞模様のパジャマの少年』も見た。本映画とこの2本の共通点はすぐ近くで絶望の中で過ごす人が大勢いる中で、それを見ないようにするか全く関心がないかして過ごす時の権力者たちを描いていること。
『縞模様のパジャマの少年』は主人公に残酷なしっぺ返しが来る衝撃的な結末だが、この映画は淡々と時が流れていく。でも、何不自由なく贅沢な暮らしを満喫しながら、常に聞こえている不自然な音や声の数々が観ているこちら側にじわじわと不快感を感じさせて止まない。説明的な描写がほとんどないということも暖簾に腕押し的なストレスを感じさせて、映画はふっと終わってしまう。
後に残るのは混乱、困惑、不快感、恐怖、そして自らに真実を見極める能力があるだろうかという大いなる疑問。正解は分からない。
この演出からくる雰囲気を味わった事が…
と思ったら『アンダーザスキン』の監督だったのか
BGMは隣のアウシュビッツの焼き場のゴォーと炎が燃え続けている音のみだったり、冒頭から画面真っ暗が数分続いたので音声が出てなかったら、「機械トラブルか?」と思った位焦らされた。
アウシュビッツの隣に住む将校とその家族暮らしを見せつつ、その端々に強制収容所での虐殺方法語らせたりする。
「400から500の“荷”を焼きます」など、あってならない事が平然と話されている。
あの狂った時代を淡々と流していく。
大量虐殺を行っているその隣で送る日常…と自身の子どもに本を読んであげる姿が一致せず、不気味だ。
楽しげな川遊びも、いきなり増水したと思ったら、例の“荷”を
焼いた灰を流しており、子ども達を洗い流した後の浴槽に灰が混じっているのを妻が見て気味悪がっていたりする。
なのに夫が昇格して転属する話がでると、妻は夫に単身赴任を迫る。
阿鼻叫喚の地獄のとなりに住んでいるのに妻はここで子育てすると言う…。
アウシュビッツ女王等と言われていると話す妻がまた気持ち悪い
内側と外側
第二次世界大戦が行われている戦時中の話。
この映画の中では、残酷な虐殺のシーンなどは一切ないのだが音声だけを使ってその物事を恐怖をうまく伝えていた。
人が当たり前のように焼き殺されている中でも普通の暮らしをしている。
その家族は、塀の向こうで行わている行為がどれほどに酷い事というよりも自分たちの生活の方が大事だとそれほどまでに関心を向ける事がない。
自分が感じているものと内側と人から見られている外側も同じようなものかもしれないと感じました。
自分の関心の範囲でしか物事を捉えていないのだが、本質的に最も気にするべきは、外側と内側にある部分。
それは、自分と他人を尊敬しつつもお互いの持ちつ持たれずの関係性の中にあるような事とも言える。
歴史の中でも最もひどい虐殺が行われている中でこれだけ平凡な生活をしている事は、存在していただろう。
実際に今の生きている自分の生活も似たようなものかもれしれない。
世界という広い目線に立ってみれば、自分の問題なんてほんの些細な問題だけど、とても大きな問題のように扱っている。
もっと根本的な解決を見出す事の方が優先されるのに。
歴史の背景にある見えない部分を改めて感じる作品でした。
日常生活に隣接して地獄があることを知りながら観る映像
アウシュヴィッツ収容所に隣接する邸宅での収容所長の中流家族の生活を淡々と描いている。
ホロコーストの場面は一切出てこない。
一家にとっては平和な日常生活が繰り返されるのですが、常に、銃声、悲鳴、得体のしれない音(多分、ガス室を動かしている音とか、焼却炉を動かす音とか、分厚い鉄の扉の鈍い音とか)が、遠く近くから聴こえて来ている。
それでも家族は、全くその音を気にしていない(長女の夢遊病的な行動を除けば)。
例外的に、ドイツから転居してきた妻の母は、中盤に突然、帰国してしまうけれど。
日常生活に隣接して、地獄があることを知りながら観る映像は、恐ろしいと思いました。
時代の空気の再現性が優れている良い映画でした。
副流煙を吸い続けるかのような生活
全く残虐なシーンはない
日常の穏やかな生活の話
ただしそんな生活の中にも闇の部分も描かれている
アウシュビッツ収容所のトップである旦那の女遊び
その妻の使用人への横柄な態度
その子どもの乱暴なメンタル
もしかして収容所から聞こえてくる音や匂い、煙突からの煙などで、人として正しいことが忘れていくのかも
アウシュビッツ収容所の中で起きていることが全く分からない。
ただ、その側に住んでいれば、タバコで言う副流煙のように、その周辺にいることで知らぬ間に蝕まれていくものがあるのかもしれない
最後の音楽……………
戦争って僕のせいなのか?映画NO1
秀逸なタイトル
無関心である事の恐怖
無関心である事の恐怖を描いた作品
正直内容は説明にある、
収容所と壁一枚を隔てた屋敷で暮らす家族の日常
を描いているだけ
何も起こらない。
ただ日常的に銃声や悲鳴、罵倒する声が聞こえてくる
その事に何も気にせず暮らす人々
その無関心である事の恐怖
慣れる事への恐怖
それを第三者である観客に観せ、
如何にこの状況が異常であるかを知らしめるのが狙い
良作ではあるが他の人のように
何度も観て検証しようとまでは思わない
一度観れば十分かな?
人を選ぶ作品ではある。
この作品は音響がとても重要で、
普通のテレビで鑑賞しても、この作品の真価が分からない
俺は自宅に7.1chドルビーデジタルの音響システムが自宅にあるので
それで映画を観てるので、この恐怖を味わえた
特に導入部とラストの音楽の気味の悪い事!
ここだけでも怖いです!ホラーです(苦笑)
残念な劇場公開
この映画を見終わった後、ドルビーシネマで観たかったなぁと思いが込み上げました。
音と暗闇の表現ではドルビーに勝るものは無しなのですが残念ながら、この映画はドルビーシネマでは公開されませんでした。(配給会社系列の劇場の関係)
クリストファー・ノーランの新作がIMAXで観れないようなものでしょうか。
収容所の隣で住むナチス高官家族の話はBS海外ドキュメンタリーで観ました(かなりの秀作)それでも、この映画では説明不足な箇所が、いくつかありました。
収容所長夫人たちの会話で「カナダでユダヤ人から奪ったドレス」とありましたが、
あれっ,カナダでホロコーストあったかな・・・!?
後でradikoの荻生チキsession特集「ホロコーストはなぜ起きたのか?」で
田野教授によるとカナダとはユダヤ人からの略奪品を集めた倉庫の事を言うそうです。(2001年宇宙の旅じゃないんですからテロップの説明入れてください!)
噂のエンディングは怪奇大作戦第24話「狂気人間(欠番)」のエンディング並みの怖さでした・・・
見せ方はアニエス・ヴァルダの「幸福」と似ていますね。
家族のピクニックで始まり幸せそうな家庭ですが旦那さんには秘密があった・・・
男の身勝手さを客観的に描写して、ある意味怖い映画でした。
関心領域を観たシネコンでは、ほぼ満席でした。エンタメ映画以外での満席は珍しいですね。ある意味、今映画界でノっているA24の戦略にまんまとハマってしまった感がある。
カンヌとアカデミーで箔がつき、洗練されたチラシデザイン、間を持たせた公開までの期間中にメディアで話題にのぼり今現在、行われているウクライナとガザ戦争の影も意識させる作品でもあります。
映像だけでなく音にも注目の名作
アウシュヴィッツ強制収容所の隣に住んだナチスの将校一家と現在を描いた作品
強制収容所内や市民に主軸を置いた「戦場のピアニスト」のような作品は多々あるけれどこういう収容し虐殺にGOサインを出した側の人間を描いた作品で珍しいなと感じます。
子供とピクニックに行き、転勤(昇進?)のため妻とけんかする。
ファミリーものっぽい場面もある思う一方で、略奪した服や宝石について言い出しやはり恐ろしい人々なんだなと感じた。
内容もさることながらこの映画で印象深いのが音響
穏やかに暮らす将校一家の隣の収容所から銃声や断末魔が聞こえ地獄のような状況を直接的に描かず想像させたりいきなり”うめき声”のような音楽が流れる。
まるで当時、命を落としていった人たちの無念さが伝わってくるようだなと思った。
淡々と描かれる家族の平和の向こう側
「関心領域(The Zone of Interest)」とは、強制収容所を取り囲む40平方キロメートルの地域を表わすためにナチス親衛隊が使用した言葉らしいです。
映画自体、淡々と進みます。アウシュヴィッツ強制収容所に隣接する大邸宅に住む強制収容所所長の家族たちの優雅な暮らしの様子が映し出されますが、壁を越えたすぐ近くでは、ユダヤ人大量虐殺が行われているわけで、それを想像しないわけにはいかず、すごく気分が滅入りました。
実際の虐殺のシーンなどは一切なし。けれど、時々、聞こえてくる「音」は叫び声のようであり、銃音のようでもあり、間違いなく、隣には収容所があるわけです。ふと見ると、煙突から煙も上がっています。家族が暮らす家の庭の木々の緑が美しく花々も赤や黄色で鮮やか。プールもある十分な広さの立派な庭だけに、背中が寒くなるような恐怖があります。半ば過ぎ、胸がざわざわしてしまいました。
所長のヘス(クリスティアン・フリーデル)の妻を演じたのはサンドラ・ヒュラー。能面のような顔つきと、堂々と振る舞う姿が何とも恐ろしい。戦利品のごとく、ユダヤ人のものであろう衣類などを皆に分け与えるシーンや自ら豪華な毛皮を着て鏡をのぞく描写など、サンドラ・ヒュラーだからこそ、狂気の日常感を表せたのでしょう。
夜に少女が暗転して映し出されます。苦しむユダヤの人々にりんごなどの食物をこっそりと配っているようですが、せめて、これが唯一、救いの描写かなと思いました。
戦争の恐ろしさと同時に、人間の愚かさ、卑しさをも感じずにはいられませんでした。対岸の火事ということわざどおり、悲しいかな、人間にはそんな冷酷さや無関心があるのかもしれません。
と、書いているとちょっと滅入ってきましたが、遠くの戦争のことは他人事である自分もヘスの妻みたいな存在かもしれないと思い、映画の作り手に「どうなんだ」と問い掛けられているようにも感じます。
あの時代、あの場所、【異常】と【正常】の境界線は、どこにあったんだろうか。
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異常も、
日々続くと、
正常になる。
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映画を見ているとき、
映画「戦場のメリー・クリスマス」のサントラ広告のキャッチコピーを思い出した。
映画に映し出されているのは快適に作り上げられた理想の住居。
そこに住むヘスの幸せな家族。良きパパ、良きママ、良き子供たち。
ただし、暮らしのBGMはアウシュビッツから発せらる音、声、臭い。
非人道的な行為が“そば”にあることは明らかだった。
しかし、ヘスやヘスの家族たちが“それ”を非人道的と考えていたのか、どうか。
彼らだけではない。
当時のドイツ国民もいなくなったユダヤ人の家や部屋に引越し、
そこにあった家具、服、食器などの彼らの財産の一部をタダ同然で手に入れ、
豊かな暮らしを手に入れた。
「音、声、臭い」を直接的に見たり聞かなくても、
ユダヤ人たちに何か良くないことが起こっていることを知ってた。
いや、深く知ろうとはしなかった。考えること、想像することをしなかった。
当時の教会も対戦国である連合国も上層部の人たちは知っていた。
あの映画の奥に潜むさらなる不都合な真実を自分は感じた。
深く知ること、想像することの大切さを思った。
しかし、
あの時代、あの場所、【異常】と【正常】の境界線は、どこにあったんだろうか。
追記>
当時のドイツ国民を単純に機械的に批判するのは簡単なんだけどね。
第一次世界大戦後の賠償金のせいで
彼らを襲ったド貧困(例えば死んだ馬の死肉でさえ奪い合う全国民飢餓的な状況)、
ドイツのプライドと豊かさを取り戻そうというヒトラーの甘い誘惑と、
彼の言った通りに本当に暮らしが豊かになっていった事実など。
ある意味、まやかしだし代償もあったけど、人は豊かさを選ぶ。
あと、映画としてヘス個人とヘス嫁個人の肝がん方にもっと寄ってもよかったような。
「The Zone of Interest」つまり「奇妙な場所」
「使用人は地元の人よ」
地元の人も含めて「知らなかった」ではない。
この映画はそれを言っている。
この映画の奇妙な会話や出来事は全て複数の人間か存在している。つまり、全部、証言と言う事実に基づいている。それがよく分かる。
しかし、最後のヘスの放浪する所たけが一人。つまり、亡霊なのだ。そして、現代のアウシュヴィッツが写し出される。
2030年はナチスドイツ結成100年となる。
さて、大日本帝国は何をしたのだろうか?
3月10日は東京大空襲だが、その慰霊はすべきだが、大日本帝国は大東亜戦争で何をやったのだろうか?知らなかったじゃ済まないと思うが。
色々なジェノサイドで、犠牲になった方の
冥福を祈る。3月10日の東京大空襲の慰霊と一緒に。
余談だが、日本は戦後、そのカーティス・ルメイに勲章を授けている。
全く、寛大な民族だね。
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