関心領域のレビュー・感想・評価
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遠くの銃声は軽い音に聞こえる
事前にどのような映画なのかしっかり調べて、なんならネタバレ感想も読んでから挑みました。
ショッキングなシーンが少しでもあると怖いので…
とある特殊な撮り方をしているシーンだけ難解でした。後から解説を読んで納得。
心から万人に勧めたい作品とはいえませんが、少なくとも私は有意義な映画体験でした。
眠くなる
興味深いストーリーではあったけど映画として面白くない、眠くなる
直接的な暴力描写を使わずに音で隣で起きてる事を伝える手法は面白いし独特の間も良い
でもアウシュビッツで起きた事に付いての正しい知識もないからイマイチしっくりこない
きっとそれは私が「無関心」だから
林檎の少女
上映期間に間に合った!
知られている事実をこの視点で…
人間のおぞましさの追及でした
林檎の少女が誰なのか気になり調べたら解説動画で、アレクサンドラというポーランドの少女(家政婦として働いてた?)、ヘス邸が実際のアレクサンドラの家であったこと、あの缶の中にピアノで奏でた曲の楽譜が入っていた(映画では何が写っているのかわからなかった)という実話であることを知って、鑑賞後新たに感銘を受けている
あのお母さんの行動が一番通常の人っぽかったですね
ちゃんとした映像作品だった、、
関心領域
怖くない、が、何だろう?
音とか?
意外に平凡な演出とも、、、。
ですが、結局最後まで、
真黒なスクリーンをずっと眺めていた気分にさせられる作品。
長い始まりと自分史上最高にかっこいいエンドロール。
既に、最終章を序章に刷り込まれて観てしまう現代人のステレオタイプには、、、
オァウフィビダァゼェン。
無関心には主語なんて、、、、存在しない、、、事を教えてくれた。
音!
視覚は目を閉じるだけで簡単に遮断できるが、音はなかなかそうはいかない。2時間ずっと、発電所のような運動会の喧騒のような、さまざまな「音」が混ざり合ったものが聞こえていて、人によっては体調を崩すのではないかと思うほどだった。映画が始まって最初の3分間は、映像がなく音だけが流れていた。
この作品では、虐げられる側は一度も映されない。ずっと「加害者」の日常生活だけが描かれている。そして、アウシュビッツを題材とした作品でありながら、一度も壁の中には入らない。
カメラワークは、特徴的な演出はなく、観察者の視点に近い。所長の妻が使用人の女性に対して「わざとやってるの?」「あんたも灰にするからね!」などと焼却炉行きを仄めかすようなヒステリックな言葉を投げかける場面でも、カメラは本人達の表情に向かうことなく、同じ画角のまま映し続けている。まるで盗撮映像のようだ。
2時間の上映時間の中で、一度だけ「音」がエスカレートしていく場面がある。その夜、何かの事情で「処理件数」を大幅に増やさなければならなかったのだろう。煙突から上がる煙は噴き上がる炎に変わり、夜空を照らし、カーテンの隙間から部屋の中にちらちらと光が差し込む。そして、その「音」の正体が明らかになる。それは、地獄そのものだった。
娘夫婦の成功を祝うために泊まりで訪問していた老いた母親は、その夜のストレスに耐えきれず、翌朝、誰にも声をかけずに荷物をまとめて出て行った。
この異常な環境下でも、所長一家は幸せそうに暮らしている。しかし、子どもたちにはどこか病んだ雰囲気がある。小さな娘は夢遊病のように夜中に無意識で廊下に座り込んでいるし、兄は弟を温室に閉じ込めていじめている。小さな弟は、壁の向こうから聞こえる音に耳を傾けながら、人形ごっこをしながら「次からはもうやるんじゃないぞ!」と監視人のような言葉を口にする。飼い犬はいつもそわそわしていて、赤ちゃんはずっとけたたましく泣き続けている。
この映画は「戦争と平和」をテーマにしたものではなく、ブラック企業における成功や、普通の会社でも程度問題で起こりうる話だ。「慣れなきゃね」という積み重ねが、アウシュビッツに通じるものがあるという内容だ。
自分たちは民族浄化のために、歴史上誰も成し得なかった「偉業」に取り組んでいる、という自己認識が描かれている。
この「音」は、当時の収容所で実際に聞こえていた音を可能な限り正確に再現したものらしい。生々しい音を隠すためにカモフラージュとして使用された音も多く、例えばエンジン音のようなものを出し続ける作業を担当する収容者もいたらしい。
パーティー疲れで調子を崩した所長の嘔吐が収まったところで映画が終わったが、地獄の底の釜から噴き上がり続けるようなエンドロールの変則的な音楽が悪魔的でずっと気持ち悪く、今度は観ている側が吐きそうになる。
途中、女の子が塹壕横の盛り土のような場所に次々とリンゴなどを埋めていく場面がある。最初は何かをイメージした映像かと思ったが、2回目ではさらに具体的な映像となり、遠くから自転車でやってきて、その作業をしている様子が描かれる。現場には大量のスコップが置かれており、収容者がそこで作業をするのだろう。そこにリンゴがあったら、常に空腹の収容者はこっそり食べるはずだ。唯一、救いを感じる場面だった。
並行して映される所長が子どもを寝かしつけるために読み上げるヘンゼルとグレーテルの一節には「魔女をかまどに押し込んで殺した」とあり、この女の子も捕まって殺されてしまうのではないかとハラハラしたが、それはなかった。ちなみにヘンゼルとグレーテルは現代ではマイルドな童話になっているが、当時はまあまあグロテスクだったらしい。
この女の子は所長一家とは無関係だが、印象的な存在だった。
女の子は現場で缶を拾う。その缶の中にはお菓子ではなく、紙のようなものが入っている。翌日、そのグシャグシャになった楽譜を広げ、ピアノでメロディをなぞる場面があるが、このグシャグシャの楽譜が缶の中に入っていたものだと思われる。字幕で詩が流れるが、おそらく収容者が書いた詩だろう。それも缶の中に入っていたのかどうかは分からない。
この女の子の行動も、収容者が現場に置いた楽譜も、実話だという。最近になって、この二人がテレビの企画か何かで実際に会ったらしい。なかなかの奇跡だ。
大阪の都島にある拘置所を取り囲むように、立派な高層マンションが建ち並んでいる。家賃が安いのか気になる。
アメリカのリッチランド高校の校章には原爆のキノコ雲の絵が描かれている。この町は核兵器の開発で栄えた。戦争を終わらせた大きな力として、市民は原爆を誇りに感じている。
沖縄の基地周辺に住む人々も、基地がもたらした生活や文化に感謝している人が多い。そういえば、厚木周辺もそんな感じだったのを覚えている。とても立派な市民公園の真上を、戦闘機が爆音を立てて何度もかすめていく。
また、原発のある町にも多額の補助金が出ており、市民の生活は豊かになっている。
あるいは、こういうこともあるだろう。システム開発の会社に就職して、与えられた仕事がアダルトサイトのメンテナンス。生理的に合わないなと思いつつ、給料がいいから働く。
アウシュビッツの所長職も、待遇はいいし、当時としては最新技術を駆使したそれなりの仕事だ。民族浄化という使命も背負っていて、むしろそれなりにやりがいを感じる仕事でもあった。
でもそれは「時代が変われば価値観も変わる」といったことではなくて、バイアスに翻弄された面は大きいだろうけど、絶対的な感覚は誰しもあるはずだと思う。程度問題ではあるが、時代がどういう方向に向かっているのか、常に注意深くいたい。実際は、30年くらい前と比べると、かなりまずい状況になっているようには感じる。もちろん、よくなった状況もあるが。
ひさしぶりの金返せ
予告も見た上できっと最終的には何か仕掛けてくることを期待して鑑賞に至ったけれど、まさかここまで響かなかくてビックリ。悲惨さを音だけで感じとれる人は戦場にでも行ったコトあるんでしょうか😅
予備知識なく見たら、え、アウシュビッツってアノ? え、じゃあこの音は銃声💦とか衝撃を受けれたのかしら。
これくらいなら美術館で15分くらいの実験映像でいくない?
戦争が当たり前の時代に生まれていたとしたら…
今に生きてるから《絶対に反戦》と思いますよ。けど世が世なら…戦時中を生きてたら…自分だって気づくかわからないです。人として《理性》持ててるかわからない。国の思想、時代の思想に流されてるはず。とても怖い。人間て愚かな生き物。戦争に限らず《優勢保護法》とかさ、時代で人を不幸にしてきた事って沢山ある。ただただ亡くなっていった方に御祈りを捧げます。
思っていたより肩透かしだったが
前評判がすごかったので肩透かしな部分もありましたが、現代のドキュメンタリー作品のようなフィルターがかかってない(普通このように昔の時代の作品を撮る時は色調やフィルムっぽいニュアンスを演出すると思うのですが)ような鮮明な色・輪郭と徹底して感情移入を拒むカメラワークは興味深かったです
終盤挟み込まれる現代パートと過去パートの鮮明さが変わらず、異常と隣合わせの生活がまさに今行われているかのように映されていると感じました(全く血がある演出意図かもしれませんが…)
見て見ぬふり
アウシュヴィッツ強制収容所の隣で
優雅に暮らすルドルフ・へス家族。
残虐なシーンは皆無だが、銃声音、叫び、炎
煙、灰、ブーツに付着した血、視覚と音響で
残虐性をひしひしと感じさせる。
焼却炉の設計を淡々とする姿がおぞましい。
途中、妻の母親が来たが居なくなったのは
まともな人間だったのかもしれない。
普通の神経ではあの隣で生活出来ない。
不気味な音響効果には心が苦しくなり
不思議な呼吸になる。
見て見ぬふり、知らないふりを問われてる
を感じがして寒気がゾクッときた。
良かったら映画館で観て欲しい。
靴の上から足を掻く
これを想像力というのだろうか。
物事を小難しく描く、というのはインテリの皆さんの好みなのか。
オッと思ったのは、現在のアウシュビッツの描写くらいか。
マニアックとも違う、変な難解さと周到な思わせぶりに、眉間にしわが寄った。
私にはその面白さが分かりませんでした。
無関心を超越している無感覚な人間達が恐ろしい
作り手が見る者に挑んでくるきわめて挑戦的な映画である。冒頭真っ黒な画面と音が約二分間続く。まるで見る者を暗黒面に誘うようにだ。ユダヤ人が毒ガスで殺されるアウシュビッツ収容所の壁一枚隔てて瀟洒な豪邸でアウシュビッツ収容所の所長家族が暮らしている。
その家には死にゆくあるいは死んだユダヤ人の衣服や食料が持ち込まれ、衣服を身体に纏い豪華な食事を楽しんでいる。このシーンを見ているだけで何か得体の知れない身の毛がよだつ感覚に襲われ恐怖すら感じた。
その要因の一つ目は、ユダヤ人を「人間」と思っていなことだ。軍人たちはユダヤ人を「荷」と呼ぶし主婦達はユダヤ人は抹殺されて当然な民族と思っていることだ。家族や仲間は、完全にナチスのユダヤ人排斥のプロパガンダに骨の髄まで染み込んでいることだ。
要因の二つ目は、ユダヤ人を一切映さない撮影技法だ。映像にはしないが、この家はアウシュビッツ収容所のすぐ隣である。ユダヤ人の叫び声やパンパンと響く銃声が聞こえているはずだ。加えて隣では、人間を焼却して炎が見えるし映画では感じられないがかなりの臭いもするはずだ。しかしここで暮らす家族は何も感じていない。もはや無感覚に
なっているのだ。無関心を超越した無感覚さが恐ろしいのだ。
映像であえて映さない毒ガス室に送られユダヤ人の恐怖や落胆、死を見る者は想像する。それは、映画中盤に画面を真っ赤にしたことによって血流の断絶を想起させるからだ。たった壁一枚隔てて死にゆく者と豪華な生活を送る者の対極を作り手は見せつける。広い庭、温室、色とりどりの花々、滑り台付きのプール、豪華なベッド、部屋の内装を自慢する妻の感覚が恐ろしい。「自分がどこに住んでいるのか」を気にしない無感覚が恐ろしいのだ。
幼い娘が見る夢、モノクロで暗いトーンである。それが一瞬カラーに変わるのは何故か。ピアノを弾き歌うのは誰なのか。ラストシーンも再度真っ黒な画面で覆い重低音の腹の底に響く音楽が流れる。作り手は見る者に挑んでいるのだ。「この家族の未来はわかっているな」と。
#13 理想の棲家は
アウシュビッツは収容されている人たちにとっては地獄のような場所でも、司令官の妻からすれば理想の夢のような棲家だったんだ。
関心領域というか、私には中で起きていることに全く興味がない家族は無関心領域に生きてるようにみえた。
あのリンゴを夜中に運ぶ少女と妻の母が突然家を出て行った理由がわからなかった。
置き手紙には何が書いてあったんだろう?
計算された設定、ラストが見事
最初これで終わり?とも思ったのですが、エンディングの曲を聴いているうちに現代に通じるすごく意味のあるラストだったと感じるようになりました。
去年、同じ映画館で「pearl」を見て大満足だったのですが、同じ配給会社A24とは知らなかった。
思わずパンフレットを買いましたが、作中ちょっとわからなかった描写の解説があり、こちらも満足。パンフレット内で紹介されているこのご時世に対する監督のコメントにも気骨を感じました。関心領域というタイトルの妙にも唸らされます。
もしお財布に余裕があったら、パンフレットを買うのがおすすめです。
ある一時点のための105分。
舞台がアウシュビッツ、ナチスドイツのユダヤ人強制収容所が舞台とあれば、かなり重い映画化かも…と覚悟を決めて観に行った。
延々と、ドイツ家庭のホームドラマを観せられる。
人間の情報収集は、視覚が8割だそうで、「まあ、ドイツ人の看守も、自宅に帰ればただの人なんだな…」と半ば退屈しながら、ぼんやりと観ていた。
何度か、違和感を感じた。
何だろうと自分の中を探ると、それは、音だった。
聴覚からの情報を認識し、その音の出所を理解する。
そして、「関心領域」というタイトルと結びついた瞬間。
ぞわりと鳥肌が立つ。
…そうか、この映画は、この一瞬のための作品なのだ。
分かりやすいホラーより、よほど怖いわ。
仕事なら、ガス室の作動ボタンを押すことも、ルーティンになるのだろうか。
帰り道、そんなことを自問した。
ドイツ人の看守にとって、アウシュビッツ収容所にいるユダヤ人は、生身の人間ではなかったのかもしれない。
単なるモノのように扱い、ただ処理していたのかもしれない。
30年ほど前に、ひとりでドイツ・ミュンヘン郊外のユダヤ人強制収容所を見学した。
人体実験などのいくつかのパネル写真をクリアに思い出し、人間の多面性に改めて身震いした。
灰にして撒いてやる
公開から日が経っていたが、まだ自分の関心領域にあったのでやっとこさ鑑賞。鳥の声などが聞こえるだけのオープニングタイトルのブラックアウトから音に興味をひかせる演出と、フィックスを多用した監視カメラっぽい、のぞき見ふうな映像が特徴的。
アウシュビッツ収容所と隣合わせの生活で、娘は毎夜寝付けない、母親はいたたまれず帰る、ナチ高官の夫でさえ嘔くほどに調子が悪くなったりするというのに、猫背気味にのしのし歩く近ごろ大人気のザンドラ・ヒュラー、自分の幸せな暮らしにしか興味のない、その恐るべき無関心BBAっぷりに震えた。最終盤の夥しい数の靴を見せられるとアウシュビッツを訪問しなければならない気分になるし、マルティン・ニーメラーの詩も頭に浮かんでくる。
赤々と燃える空や黒くたなびく煙突の煙、銃声や人の叫び声、エンドロールも気持ちを不安にさせる音楽が流れ、常に不穏さが伝わってくるものの、惜しむらくは映画では「におい」が感じられないこと。100万人を焼き殺した臭気が漂ってきたらリバースせずにはいられないと思う…。
自分の関心領域
自分は直接手を下していないから当事者では無いと思ってしまうが、この映画はそれを否定する。
映画内では収容所の隣に住む家族は、発砲音や人々の悲鳴、怒号をまるでBGMかのように聞き流している。
聞き流しながらも、1番下の男の子が収容所から聞こえてくるセリフを発する辺り、頭の中では流し聞きしていたBGMが記憶されてしまい、教育に問題が生じているとも考えられる。
まるでそれらを当たり前のようにしているのが洗脳の結果であり、1度当たり前を脱したルドルフはその異常さに気づいて吐いたのでは無いのだろうか。
収容所を保存した現代の博物館が映し出され、その後ルドルフと私たちが目が合った時、ルドルフと私たちが壁を越えて繋がってしまった瞬間なのではないだろうか。
ルドルフが私たちを見つめた時、この映画を見ている私達もまた当事者であるということを示唆しているように見える。過去だからと見逃すことは出来ない。
これは子孫に責任を転換しているのではなく、また同じような事象が現れた時のための映画なのではないだろうか。
不快感ばかり
ユダヤ人への残虐行為が行われている場所から塀一枚のこちら側、優雅な生活を送っている家族の日常をただただ見せられます。しかも銃声や叫び声がBGM。
隣で行われていることに無関心でいれば自分達の生活は守られる、この家族にも不快感だしBGMも常に不快。
でも目を逸らせないんです。
自分もきっと、この時代でこの状況なら同じように生きていたかもしれません。(でも夫の地位や権力を自分の物だと勘違いしている奥様は1番嫌い!)
戦争は人の心をなくしちゃう、だから理不尽な事を平然とやってのける、最近のニュースにまで思いを馳せて、途中から何が正義なのか分からなくなりました。
ところで、ずっーと泣いている末っ子の赤ちゃん、夢遊病みたいに廊下にいる娘、不穏な空気から何かを感じとってるのか?敗戦国となった彼らのその後も気になります。
そういえば、エンドロールが怖かったです。しばらく耳にハウリングのように残ってました。
これはつまらない
話題になっていたのでずっと気になっていましたが、ようやく鑑賞出来ました。
期待しすぎたかな?
あまりのつまらなさに90数分が苦行でした。
製作者は何を批判したかったのでしょう?
収容所の横の屋敷で平穏に暮らすあの家族?
私があの環境下に置かれたら、彼らのように愉快に楽しく暮らせる自信ありますよ💪💪💪
彼らに自省を求めるのは酷ではないでしょうか。
問題の真因は別なところにあるように感じました。
音楽、音響、録音はとても素晴らしい。
あえて引きで撮り続けるカメラも秀逸。
映像としてはとても良くできていただけにそもそもの製作者の着眼点に全く共感出来なかったのが何とも残念😢
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