関心領域のレビュー・感想・評価
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コンセプトがすべてのような映画
という意味では予告編がいちばん面白かったと言っちゃってもいいのかもしれない。後はどれだけ「それの隣り」というのを体感できるか、というか、体感する側の換気力が問われるというか。ある意味後半、まるで博物館そのものになってくるというか。そういう面白みは確かにある。
そんな中で個人的にはたいして面白く思わなかった(笑)というのがホンネ。やっぱり中で動いてる連中が面白くなくては面白くないんだよな〜
というのとは別に、おそらく日本軍の指揮官もこの形式で描けばもっととんでもないものができると思う
やはり中途半端という感は否めず
多くのナチス関連映画を見てきて、まだこういう新しいアプローチがあるかと感心はしたが、意図は分かるものの、映画としてはやはり中途半端という感は否めなかった。幸せな壁のこちら側にも壁の向こうの何かしら物々しい雰囲気はかすかに伝わってくるものの、それもこの独特の設定のもとでのサイドエフェクトのように作為的に感じてしまう。最終のシメも、それで済むの、と思ってしまう。
何回観たら解るようになるのだろう
ナチス親衛隊の社会に居るヘスの家族にしてみれば夫は組織の中枢へと出世すべく無理をしてでもチャンスを掴もうとするだろうし、妻は自らが作って来た夢に描いた暮らしを既得権として守ろうとするだろう。
アウシュビッツ強制収容所群
「The Zone of Interest(関心領域)」
は、彼らにしてみれば職場に過ぎず、そこでの生産性をより求めるし、効果を上げ、成果を残そうとする。
だから連続して大量に焼却出来る施設をも計画する。単身赴任もいとまず、吐くほどのストレスとプレッシャーに苛まれようとも組織を登りつめていく。
母親がこんな所には居られないと黙って帰ってしまっても妻はそんな事は覚悟の上で暮らしている。子供達はナチスの思想で育って行く。
世界が違えば当たり前な事とも言えるのではないだろうか。
音響賞受賞は納得です。こんな音響効果の方法があるとは驚きました。なにしろ映画を観ているのに音だけが流れてスクリーンに何も映らないのだから。そうして映画の世界に誘われるのです。
さて全編においてヘス一家の暮らしが描かれて行く訳だけども
「そのシーンが何をしているのか?」
が解らない。妻の行動、思い、子供達の行い、遊び、川で起きたこと。
「何? 解らない 何?」
何回観たら解るようになるのだろうか?
だけども問題は今日の雨傘が無い
主人公はアウシュビッツ所長のルドルフ・ヘス。ヒトラーの側近だった人もルドルフ・ヘス。ただし、前者はルドルフ・フェルディナント・ヘス(Höß )で、後者はルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘス( Heß )と、名字のスペルも違いますが。
この作品、井上陽水の初期の代表作「傘がない」の冒頭を思い出しました。「だけども問題は今日の雨傘がない」ようするに、所長の嫁(落下の解剖学のザンドラ・ヒュラー)にとっては、アウシュビッツでなにがあろうと、また夫が出世して赴任先が変わろうと、自分自身が現在お気に入りのこの生活環境を終わらせたくないってことなんですね。
アウシュビッツ収容所と壁一枚隔てた場所で、昼夜収容者の悲鳴が聞こえたり、死体を焼却する白煙があがるような環境にあっても彼女にとっては「関心領域」には無いということです。
ナチス・ドイツが悪だとか、そういうことはこの映画では関係なく、所長は自分の任務を忠実に守り、また家族も守るという家長としての役割を果たしているに過ぎません。
我々はこのドラマの終焉(ドイツの敗戦)を知り、この所長も敗戦後ニュルンベルク裁判にて戦犯として極刑を受けることを知っているわけで、そういう意味では「あわれ」を感じました。
社会構造を坦々とした日常的な視点で描き、感覚が麻痺してくる
特徴的なのは、監視カメラのようなカメラワーク。
人物の移動に伴って視点がコロコロ変わるのは、ゲームのバイオハザードを想起させられ、映画であることを忘れさせる。
塀の向こうの音が聞こえてくる一方で、赤子の泣き声にかきけされ観客も最初よりは次第に気にしなくなってくる。
なにより印象的なのが、
家庭と職場でのやりとりが、日本のサラリーマンのそれとほぼ同じであることである。
アウシュビッツの司令官でも中間管理職の境遇と、プレッシャーと、家庭と、愛人と。
ユダヤ人迫害においてタスクが細分化されることで、当事者意識が薄れるというのはある話だが、それがより公私という面でも顕著に描かれている。
しかし、その坦々さだけで終わらせない、ところどころにある、衝撃とも不快ともいえる演出。忘れるな、と言わんばかりのメッセージである。
歴史と人間社会を考えさせられる100分あまりであった。
好きにはなれませんが、すごい作品だと思います
音がとにかく不穏であり、虐殺の場面は一切描かずに恐ろしさを表現していることに、感服しました。
映画館で見ることにより、身に迫る恐怖を感るので、劇場での鑑賞を強くおすすめしたいです。
決して楽しい気持ちにはなれませんし、好きにもなれませんが、いい作品でした。
そして、厳しい現実であっても知ることが大切だと感じました。
壁1枚挟んでっていうのは流石にないと思うけど
真っ暗な画像と不穏な音響から始まりただならぬ雰囲気を感じさせつつ、家族の楽しそうなレジャーの映像が映り、ああこの映画は終始こんな感じで話が進んで行くんだなと思わせる。
田舎での子育てや生活しやすそうな環境に大満足の奥さんは塀の向こうでは日がな銃声や叫び声がうっすらと聞こえるが、赤ちゃんや犬の鳴き声と同じくらいにしか感じていない。
大規模な焼却が始まり(義理の?)母親は耐えられなくなり家を出るが、塀の向こうで起こっている事への関心がなく、旦那の浮気にも気づかない鈍感力が際立ち、家政婦に悪態をつくこの滑稽な奥さんの姿を観客にはナ◯ス幹部の家族の象徴の様に思わせる製作側のやり口には嫌悪感しかなかった。
近年のエンタメに昇華させないドイツの過去の所業を題材にした映画は話題性や賞狙いとしか感じられず、個人的には大の苦手なので評価は遠慮させていただく。
※個人の見解ですごめんなさい。
不協和音
途中はさまれる真っ黒なシーン、真っ赤なシーン、真っ白なシーン。その全てが不協和音で彩られ、心穏やかではいられなくなる。耳を覆いたくなるほどに。
監督は、登場人物に自分を重ねて欲しいと言う。この一見幸せそうな一家の生活に、違和感を感じ取れということか。自分も気づかぬうちに加害者になっているのではないか、と。
ヘス家の人々は、度々聞こえる悲鳴や銃声、人肉が燃える炎や煙を気にすることなく、日々を暮らす。
無視していても、気にしなくても、それは、いつか自分に返ってくるのではないだろうか。そう感じさせる映画だった。
より酷くなる直前までを聴く
アウシュヴィッツ強制収容所隣の所長宅
満ち足りた家庭から壁一枚を隔てた、ただ大勢を殺す為の工場から、絶え間なく金属音と断末魔が響いて、四六時中煙突から黒い炎がたちのぼる
初代所長のルドルフ・フェルディナント・ヘスが飛ばされそうになって、より高い生産性、つまりガス室を提案するまでの話、だからエンドロール後も殺戮はつづく
怖い怖い怖い怖い
自分が当事者だったらはたして異論を吐けたか
「音」がすごい
観るより「音」で感じる作品
途中途中何も映らなくてただ居心地悪い音だけの時間、この作品にすごく効果的だったと思います
この居心地悪い音が終始続きます
塀の向こう側の様子を観る事はなく、ひたすら音で感じる塀の向こう側
だけど塀のこちら側で暮らす人達はごく普通
それどころか「理想の家」という主人公の妻
広い庭に咲き乱れるきれいなお花、野菜も植え、プールまであって、確かに理想の家だけど、あそこまで無関心になれるのか
川のせせらぎや鳥のさえずりなどの心地良い音と地鳴りのような「塀の向こう側」を感じさせる居心地悪い音
音をこんなに効果的に使った作品はこれが一番かもと思いました
エンドクレジットに流れる音楽もとっても居心地悪くて、早く終われーっとずっと思ってました
作品としては良いものだと思うけど、私には合わなかったので☆2です
『過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる』
一家の豊かな生活という表面だけ観れば、淡々として退屈に映るかもしれない。その実、衣食住や家族との時間、楽団の意味などが壁の向こうとの対比になっている。
ヴァイツゼッカーの演説から39年。映画を通して今一度知り、学び、伝えなければならない。
淡々としてて苦手だが考えさせられる
毎年何本も作られるナチス映画。あの手この手で作る制作側のアイデアにいつも驚かされるが、本作も結構な衝撃だった。アウシュヴィッツ強制収容所の外側で幸せに暮らすナチスの家族を描いた物語。
壁の向こうで行われていたユダヤ人の虐殺は全く描かれない。あくまで収容所の所長家族の日々を淡々と描く。収容所の中で何が行われているのかは、壁の上から見える煙や聞こえてくる声と音でしか感じることができない。このおぞましさ。壁で隔たれた向こう側で何が行われているのかを想像したらあんなに幸せそうに生活はできない(個人的にはそう思う)。あの家族は収容所のことを知らないでいるのかと思っていたが、ちゃんと理解していることが後半示される。夫の権力を傘に怒鳴り散らす妻の態度もかなりおぞましかった。ちゃんと知ってんのか。そりゃそうだろうけど。気持ち悪い。
それなりに小さな出来事は起こるし、夫婦のお互いの不貞を匂わせるシーンもあったり(夫のはほぼ決定的だけど)。他にも些細なことであの環境の異常性がわかるシーンもあった。そう、スクリーンからは伝わらない匂いの問題だ。だからこそあそこにとどまりたいと考えることの異常性が際立つんだよな。また収容所の所長として、いかにユダヤ人を「効率的に」殺して灰にしていくのかを検討するシーンも印象的だった。「ヒトラーのための虐殺会議」に通じるビジネス感覚だ。
でも、全体に映画としてどうだったかというと微妙な感想になってしまう。淡々すぎるから。個人的にはあまり得意ではない部類の映画ってこと。リアリティ・ショーを見せられている気分になる。事実に基づくとこういう描き方になるのも仕方ないか。面白かったとは言えないが、かなり考えさせられた映画だった。点数は本来2くらいだが、考えさせられた点を踏まえて3にしておく。
私の関心領域からも外れていたかも。
回数を重ねて何度も観たら印象変わるのかな?初見では『ま、そーなるよね』としか思えなかった。)
人間の適応能力って凄まじいから、自己防衛本能が働いて実際にアノ場所に住んでいたら自然と耳に届く音届かない音が取捨選択されて普通の暮らしを送っていてもなんら不思議ではない。平たく言うと『いちいちあちら側の音に心を痛めていたら自分の身が持たない』。だからぽっと出のお母さんはアジャスト機能がまだ上手く働かず、荷物まとめて退散しちゃったのね。それもまた納得。
大人の都合であの場所で生活することを余儀なくされる子供達は善とか悪とか素養を身に付けている過程でのあの特異な環境はダメだろーなー。全部スポンジのように吸収しちゃうもん。
脳みその自己防衛本能の働きにより『関心領域』が変わるというか閾値が高まることで、第三者から見ていたら違和感を感じるような光景でも、当人にしてみたらただの日常。そう考えたらただの日常風景をひたすら観させられていたこの映画に対して『ま、そーなるよね』しか感じられなかった私は何かが壊れ始めたのかな……。
以下、箇条書き
●ザンドラさん演じるヘートヴィヒに夫が転勤を打ち明けた時の妻のアタオカ行動がヤバし。
●最初と最後の音の重なり合いが印象的。あの音のどの部分を脳が取り込むのかは人によって聞こえ方が違うはず。それこそ『関心領域』によるんだろーなー。
※当たり前のことですが、ホロコーストを容認しているわけでは決してないです。
※結構静かに展開されるので食べ物食べる音には注意が必要な映画。
時代の狂気が認知を歪めたのか、認知を歪めないと正気を保てないのか?
収容所から聞こえる人の叫び声と銃声に表情も変えず笑ったり、怒ったり、遊んだり日常生活を送るヘス一家。それは、収容所から発する音を単なる環境音として脳が処理してしまっている。
音に関しては、距離と反響を計算した上で再現したらしいが、何度も聞いているうちに慣れてしまう自分に気がついて恐ろしい。
無関心を通り越して、現状を当たり前として優雅な生活を送るヘス夫人。使用人の女の子を叱りつけるのに「ガス室送り」の言葉まで発する始末。ザンドラ・ヒュラーの冷徹演技が、時代の狂気を見事に再現している。
民族浄化が回り回って、現在進行形で行われている今こそ、忌まわしき過去を振り返えなければならないのだろう。
リンゴに隠された真実
ユダヤ系英国人である監督ジョナサン・グレイザーは、本作によるオスカー受賞スピーチの中でこう語った。「過去において誰が何をしたかではなく、むしろ私たちが今何をしているかに目を向けようという意図でこの映画を作りました。。人間性の喪失が最悪の事態に陥るものであること、それがこの映画を通して私たちが描こうとしたものです。ユダヤ人であること、そしてホロコーストの体験は、ハイジャックされてしまいました、多くの罪のない人々を巻き込む紛争を引き起こした占領によって。私たちは、今、それに反論するユダヤ人としてここに立っています。イスラエルでの10月7日の犠牲者であれ、進行中のガザ攻撃の犠牲者であれ、彼らはすべて、この人間性喪失の犠牲者です。私たちは、どうそれに向き合えばよいのでしょうか」
アカデミーのユダヤ人関係者から“反ユダヤ主義”との大批判を受けたらしいのである。アウシュヴィッツ収容所の司令官としてユダヤ人110万人を死に追いやった実在の人物ルドルフ・ヘスの家族が主人公。注目のドイツ人女優ザンドラ・ヒュラーはヘスの奥さん役で登場している。高い壁を隔てたお屋敷でなに不自由ない生活を送っているが、お隣の収容所からはユダヤ人たちの阿鼻叫喚が聞こえてくるし、収容者を毎日収容所に運んでくる汽車ぽっぽの煙だけが印象的に映し出されている。
リアリティ番組の隠しカメラを意識したというフレームワーク、収容者のために作業場にこっそりリンゴを埋めてあげる善行少女のシークエンスだけがなぜかネガ(白黒反転のモノクロ画像)で撮られている。ミカ・レヴィが担当したインストルメンタルも観客の不安をかきたてるには十分な効果を発揮しているが、何かが物足りない。実はナチス親衛隊だったギュンター・グラス原作の『ブリキの太鼓』に捧げられたオマージュも、あなたのハートにはさほど刺さらないであろう。
ガザや🇺🇦における民族紛争の影に隠れた“資源争奪”の真相を、グレイザーは多分ご存知なのだろう。知っていながらハッキリと突っ込んではいないもどかしさを、思わず感じてしまう1本なのだ。🇷🇺の🇺🇦侵攻の原因も、元はといえば🇩🇪と🇷🇺を直接海底でつなげたノードストローム2建設により、天然ガス利権から外された🇺🇦の逆恨みといわれている。そしてその🇷🇺の🇺🇦侵攻により、突如としてガザ近海における天然ガス油田開発封鎖を解いた🇮🇱の利権参入狙いの真実を、グレイザーは知っていながら敢えてネガで映し出した“リンゴ”の中に隠したのではないだろうか。
2つとも、環境への影響が少ない天然ガスを是が非でも欲しい🇩🇪やEUのために、どこの国がその利権に絡むのかをめぐって起きた戦争になのである。因みに先日ヘリ墜落によって大統領が亡くなった🇮🇷にも天然ガスが豊富に埋蔵されていることを、この機会に皆さん頭にいれておいた方がよいだろう。要するに、現代における戦争はすべて巨大マネーを生む資源争奪によって起こっているのであり、民族的対立はその隠れ蓑に利用される場合がほとんどなのである。
あえてグレイザーは、本作においてナチス親衛隊によるユダヤ人虐殺の模様を全く描かない演出法をとっている。ハンナ・アーレントが指摘した“悪の凡庸”よりもさらに醜悪な理由で、現在戦争を繰り広げているハゲタカたちの真の狙いはどこにあるのか。無報酬で働かせることができる労働力確保が目的だった時代は遠い昔に過ぎ去り、地中に埋まった“リンゴ=天然ガス”をどこが堀りあてEUに貢つぐのかで争っているのである。門外漢である我々日本人は、ルス一家のようにただ無関心でいるしかないのかもしれない。
壁の向こう側
壁を一枚隔てた二つの世界。壁のこちら側ではごく普通の家族の営みが、そして壁の向こう側では恐ろしいことが行われている。
アウシュビッツ収容所所長のルドルフ・ヘスの家族が暮らす立派な邸宅には広い庭があり、ヘスの妻が手塩にかけた植物が植えられている。温室やプールまでが備えられ、休日には多くの子供たちで賑わう。
子煩悩であり、善き夫でもあるヘス。休日には近くの川でピクニックや乗馬、釣りやボートを楽しむ理想的な家庭の姿。
そんなヘスの一家が暮らす家の壁一枚隔てた向こう側では常に銃声のような音が鳴り響いている。そして遠くの煙突からは定期的に黒い煙が立ち上っている。しかし彼ら一家はそれらの光景に特に関心ないようである。むしろ慣れっこになっており、気にもならないようだ。ヘスの幼い息子などは時折聞こえてくる何かを罵倒する声の口真似をしたりしている。
ただ、娘は敏感に何かを感じ取っているのだろうか、寝付けないそんな娘にヘスは本を読んで聞かせる。
ヘスの邸宅には食料などの物資が定期的に届けられる。中には肌着などの衣類や高価な毛皮のコートまで。肥料となる灰も常に事欠かないため庭の花々も色とりどりに咲き誇っている。これこそがヘスの妻が理想とする暮らし、何不自由のない豊かな暮らしがそこにはあった。何かを犠牲にして。
そんな時、ヘスに移動の命令が下りる。彼の所長としての功績が認められての昇進だった。しかし妻の気持ちを汲んだ彼は家族を残し単身赴任する。離れ離れになってしまう家族。遠く離れた勤務地からヘスは家族を思う。
大きな計画が実行に移される時が来たとき後任の所長には手に余るため、ヘスが所長を復任することとなった。家族はまた同じ屋根の下で暮らせるようになり、作品はそこで終わる。
大きな計画とはヨーロッパ中のユダヤ人を絶滅収容所に送る計画だった。
たった壁一枚の隔たり、その向こう側で行われていることに関心を持たない人々の姿。これはまさに今の社会を象徴しているのだろうか。
内戦や貧困から逃れ助けを求める難民、紛争が続く中東で繰り返される虐殺にどれだけの人が関心を寄せているだろうか。日々の生活に追われてそんな余裕もないのが私を含めて実際のところではないだろうか。
いま現在もウクライナやパレスチナでは日々虐殺が行われている。確かに日本に住む我々にとっては壁一枚というには距離があり遠い国での出来事とも思える。しかしそこでの出来事が日々テレビやSNSによってタイムリーに情報が得られるという点では壁一枚向こう側の出来事とも言える。
それら情報を手にして、その悲惨な現地の映像を目の当たりにして心を痛める。しかし次の瞬間には自分の明日の仕事のことや、生活のことを考えている。壁の向こう側の出来事への関心は長くは続かない。結局できることは限られてしまう。アクティブな人なら抗議活動などしたりするのだろうが、私は所詮募金止まりだ。
その点、世界中でZ世代の若者たちが声を上げてることには実に頭が下がる。彼らはロシアやイスラエルに対して抗議の声を上げている。
ナチスのホロコーストはもはや過去の歴史上の出来事だが、ウクライナやパレスチナはまさに今起きている進行形のホロコーストだ。ナチスの時代、声をあげれなかったからこそ、今声を上げなければという使命感のような思いがあってのことだろう。
もし無関心のままだったら、結末はアウシュビッツビルケナウ博物館のような光景が待っている。おびただしい数の靴や衣服がそこには展示されている。
本作のラストでは現在のビルケナウ博物館がフラッシュバックされる。そして嘔吐するヘスの姿。自分たちの行っている行為が、無関心でいることがどれほど恐ろしいことなのか本作は自覚しろと訴える。
ただ淡々とヘスの家族の日常を描いただけの作品。壁の向こう側で行われている虐殺はけして描かない。監督は観客の想像に委ねる。だからこそ本作は恐ろしい。視覚でとらえてしまうと想像の余地は狭まる、見せないことであえて観客に想像させる。想像は膨らみ、想像すればするほど怖くなる。想像が作り出した残酷な光景が頭からこびりついて離れなくなる。もはや無関心ではいられなくなる。そんな効果を監督は狙ったのだとしたら本作は大成功だといえるだろう。観客の関心を最大限高めた作品だった。ただ、関心がわかない人にとってはつまらない映画だと思う。
実は本作はヘスの家族以外にもう一つの家族が描かれている。レジスタンスの少女の家族だ。彼女は夜ごと強制労働の現場に足を運びリンゴを忍ばせる。そんな彼女にユダヤ人はメッセージを託す。曲にカモフラージュしたメッセージを。
サーモグラフィーで描かれる彼女の姿は冷酷なナチスとは対照的にぬくもりを感じさせるものであり、本作で唯一の救いとなるものだった。
本作を見て「ヒトラーのための虐殺会議」を思い出した。本作はあの作品と似ている。同じホロコーストを扱っていながら一切虐殺のシーンは描かれない。あの作品は会議出席者たちが淡々とユダヤ人をいかに効率的に虐殺できるかを議論する作品だった。そこには自分たちがいかに残虐な行為を計画しているか自覚してる人間は一人もいなかった。
人類史上、虐殺はホロコーストに限らずいつの時代でもいたるところで行われてきた。十字軍の遠征、広島長崎、クメールルージュ等々。
なぜ人はこうも残酷になれるのか。なぜ人が人に対してかようにも残酷になれるのか。先述のようにこれはナチに限らない。歴史上人は残虐であり続けた。しかし一方でそのような残虐なことができる人間たちも家に帰れば優しい父であったり、親孝行の息子だったりする。本作のヘスもそうだ。善き父であり善き夫なのだ。そんな人がなぜこうも残虐になれるのか。
彼らが日ごろから残虐行為を繰り返す野蛮人なら安心できたが、彼らは我々と同じごく普通の人間だ。そんなごく普通の人間がなぜこのような虐殺行為をできるのか。
それは思考を停止させているからだろう、残虐を残虐とは思わないからだ。牛を殺して食べることを残虐だと考える人間がいないように、ユダヤ人を人間と考えなければ自分たちの行為を残虐だと思うこともない。思考を停止することで人は優しいままでいくらでも残虐になれるとは「福田村事件」の森達也監督の言葉だ。
優しい父、優しい夫のままで、彼らはなんの躊躇もなくおびただしい数のユダヤ人をガス室に送れる。彼らが残虐なのではなく単に思考停止しているだけ。ならば誰もが思考停止すればどんな残虐な行為も行えるのだろう。
私自身戦場に送られれば思考停止して相手を平気で殺せるようになるかもしれない。だからこそ戦争はけしてしてはいけないのだとつくづく思う。戦争が思考停止を生み、思考停止が戦争を生むのだ。
箇条書きで書く (徐々にネタバレっぽくなる、警告有り) ・本物の家...
箇条書きで書く
(徐々にネタバレっぽくなる、警告有り)
・本物の家を使って実在の人物ルドルフ・フェルナンド・ヘス(1901〜1947年)とその家族を隠しカメラ風に撮る。
・所長ルドルフは子供の様な声だが奥さんの声は違う。
・鑑賞中「このまま不穏な背景音の中で奥さんの庭自慢で終わったらどうしようか?」と不安になってた。
・カンヌ国際映画祭でグランプリ、アカデミーで国際長編映画賞と音響賞を受賞。
・アカデミー賞の国際長編映画賞受賞の瞬間ザンドラ・ヒュラーが泣いてたのは「あの場所」での撮影がドイツ人として辛かったのだろうか?
・劇中出てくる「カナダ」とは強制終了所のガス室で死亡したユダヤ人の荷物の格納倉庫の事。
↓ネタバレ
・母親に「地元の人よ」と言ってた使用人に「主人に焼いてもらって灰にして撒く」で実はユダヤ人だと気づいた。
・家に残りたい妻の為に所長がアウシュビッツで引き受けた事と、当時の苦悩が後のルドルフの手記に語られてたのか?
・ものすごい煙で凄まじい匂いがしてたのだろう。気づいて耐えれない人が酒の力でも駄目で逃げ出す。
・果物を渡せないので工夫するシーンが『アトランティス』(2019年 ウクライナ映画)とシンクロした。
・今現在進行中の戦争に関心を持ってもらいたいのは間違いない。
・最近映画館で観た、もっとも眠たくなったオープニングだった。この前の『悪は存在しない』よりも。
音や蒸気機関車の水蒸気からリアルに想像が出来るのは『シンドラーのリスト』、『戦場のピアニスト』等のおかげでもある。
沢山あるホロコースト映画やドラマ、本に携われば携わってる方ほど想い描くシーンが出てくるだろう。当事者のユダヤ人の気持ちは計り知れない。
前衛的なアウシュビッツもの
「観たことを一生忘れないだろう」
「どんなホラー映画よりも恐ろしい」
って文句が、無機質で不気味な音楽と共に、映画館でガンガン流れてましたが、ハードル上げすぎ(笑)
ホラー映画じゃない(笑)
ほとんど恐くない(笑)
演出も前衛的で、設定も前衛的。
新しい視点、新しい切り口、のアウシュビッツもの。
65~70点ぐらい。
最後は意味深で、考察不可避。
1回観ただけじゃ、なかなか理解できません(笑)
さあ、もう1回観ますか♪
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