関心領域のレビュー・感想・評価
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収容所の中を見せないことがかえって収容所を見せてくる
映画は幸せそうな家族の日常から始まる
だが、気づく
銃声、人の叫び声のようなものが聞こえ続けていることに
そうして、家族の日常に少しずつ入り込んでくるものにも気づく
妻が試着するのは奪われた毛皮のコート、ポケットに入っていたリップスティック
夫のブーツを洗った水の色
川に流れてくるもの
空に立ち昇る黒煙
列車が到着したとわかる煙が流れていく
観ている側は、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所だとわかっている
少なからず、映画などの映像や残された写真などを見ているからこそ、想像力が見えない壁の向こうの収容所の様子を浮かび上がらせてくる、聞こえている音ともに
すごい演出だ
もしも家族が、ユダヤ人や収監された人たちが、絶滅収容所と呼ばれたアウシュビッツ=ビルケナウで、どんな目にあっていたかを知らなかったとしても、少なくともある程度以上の年齢なら、あの距離で聞こえたはずの音や声、匂いで、その異様さに違和感を感じたはず
それでも、まるで何も起きてないように過ごせていることの恐怖
「ヒトラーのための虐殺会議」を観た時にも似たようなことを思ったけれど、なぜ?
理解できない
妻の母が途中でいなくなる
恐らく置き手紙と思われるものの中は見せない
それでも、前夜、赤い空に目を覚まし、窓辺で収容所を見ていた表情からして、うかがえる
そちらのリアクションの方が理解できる
それでも、妻は難しい顔で、しかし感情を一切出さずに、その手紙らしきものを火にくべてしまう
もしかすると、罪悪感や違和感、嫌悪感があるのかもしれない
けれどそれを認めたら、なにかが崩壊してしまう
だから、認めない、受け入れない、気づいてないふりをしているのかもしれない
途中、果物を置く女性が出てくる
最初は娘の夢なのかと思ったが、なにか違う
2度目に出てきた時、状況を理解する
そして、やはり、隣でなくても匂いがしていることが鼻をおさえて窓を閉める動きでわかる
この作品は、説明を一切しない
けれど、随所にヒントを出してくる、見せてくる
さらなる大量虐殺を前に、最後のヘスの吐き気、その後に映し出される現代のガス室、焼却炉、収容された人たちから奪ったカバン、靴、衣類、写真から、アウシュビッツ・ビルケナウ博物館だとわかる
そこを清掃する人々
正直、ガス室の掃除をひとりでやるのは気分の良い仕事ではないし、毎日残されたこれらのものと対峙するこの仕事、なかなかハードでは。と思ったが、同時に、これが日常の人たちがいるのだな、と。かつてのヘスたちのように
そこからヘスに戻る
まるでともに今の映像を見たかのように佇むヘス
だが、彼は再び歩き出し暗闇に消えていく
エンディングロールを見ながら、強烈ななにかが残ったことを感じる
そのなにかを考え始める
どうやって観るか
終始何か特別な事が起きる訳ではないので退屈と言われれば退屈な映画とも言える、多分家で観てたら寝落ちするだろうなぁとすら思った。
しかしこの映画の面白さは、教科書にすら載ってる事が現場ではまるで何も起こってない様に観せる事にあるのだと思う。
日常会話をしている後で壁の向こうから聞こえてくる叫びや銃声、煙突からモクモク、機関車からモクモクと煙も止むこともない。
観ている最中に自分自身がこの作品を退屈だと思ったとしたらそれは既に目の前の事象に関心が無くなっているという事なのだろうか…
映画館で是非体感して欲しい作品だと私は思う。
アウシュヴィッツ強制収容所の壁1枚先では優雅な生活が送られていた。...
音への恐怖
不気味
壁の向こうは地獄
今まで色々なナチ映画や、ドイツの歴史を一時期学んでいたことがあったから、ナチの非人道的な行為をあえて暴力的なシーンを排除し聞こえてくる音だけで痛ましい光景が広がっているというのは説明不要とも云える。
平和に暮らしているように見えるが、心は病んでいる。助けたい一心でリンゴや砂糖をこっそりと夜中に出てアウシュビッツに忍び込み受刑者に与えていたのだと察すると、見た辛さ故に無関心ではいられなかったのだろう。
映画に出てくるルドルフ・フェルディナント・ヘスはアウシュビッツ収容所の初代所長を務め、ナチ・ドイツの敗戦後、戦犯となったヘスはホロコーストの責任を問われ絞首刑に処されている。
ラストの今のアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館となった光景をヘスが思い浮かべながら階段を下りていくシーンだが、個人的にはこう思った。
ヘスはこれから待ち受ける運命が分かっていた。
空襲にも遭い、これ以上の犠牲を増やさないためにもドイツは降参するしかなかったのだが、負け戦になることを分かっていたので、未来のアウシュビッツ収容所はきっと…という感じで脳裏をよぎったのかもしれない。
特に映画館で観るべき映画
「Aleksandra Bystron-Kolodziejcz」をググると絵本のシーンの意味がわかります
2024.5.24 字幕 イオンシネマ京都桂川
2023年のアメリカ映画(105分、G)
原作はマーティン・エイミスの『The Zone of Interest』
アウシュヴィッツ=ビスケナウ強制収容所の隣に住むドイツ人一家を描いたヒューマンホラー
監督&脚本はジョナサン・グレイザー
原題は『The Zone of Interest』で「関心領域」という意味
物語の舞台は、1943年のポーランド・アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所近郊
そこには、SS親衛隊の司令官ルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)の一家が住んでいた
妻ヘートヴィヒ(サンドラ・ヒューラー)との間に5人の子どもを授かっているルドルフは、ポーランド人のメイドを複数人雇い、庭師も雇って、自分たちの住処を形作っていた
ある日、火葬装置の業者が彼の家を訪れ、そこで新型装置の説明を受ける
ルドルフは上官のビショフ大佐(Kaudiusz Kaufmann)にその性能の高さを進言し、これによって計画が押し進められることになった
ルドルフはこの功績を認められ、組織の配置転換の中で、昇進し転属することが決まる
だが、妻は動くことを拒み、「行くのなら1人で」とまで言ってしまう
そこで彼は収容所の総監であるリチャード・グリュックス(Rainer Haustein)に宛てた手紙を綴ることになったのである
映画は、強制収容所の隣に住んでいた一家の日常を切り取る内容になっていて、映画のタイトルコールが出た後に「じんわりとタイトルが侵食されて真っ黒になる」という演出がなされる
暗転してから約1分ほどの沈黙があり、そこから環境音が流れていく、という演出になっていて、その後も単色(黄色など)で埋め尽くされたシーンが登場する
また、劇中でルドルフが眠れない娘インゲ(Mele Ahrensmeier)に対して絵本を読み聞かせるシーンがあり、それは「ヘンゼルとグレーテル」だった
この絵本のイメージにて、グレーテルが道しるべとしてパンを落とすシーンがあるのだが、映画では「リンゴを作業場に埋める」という行動になっている
この時の少女を演じたのがJulia Polaczekなのだが、彼女はアレクサンドラ・ビストロン=コウォジェックの若年期として映画内に登場している
彼女は幼い頃にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の囚人たちに食べ物を届けた人物で、のちにレジスタンスに加入することになる女性だった
このイメージは「絵本を聴いているインゲの脳内イメージ」ということになるのだが、何も知らない子どもたちも、潜在意識の中で、この場所で起こっていることを理解し始めているように描かれていたと言えるのではないだろうか
物語の中盤には、ヘートヴィヒの母リンナ・ヘンゼル(Imogen Kogge)がやってくるのだが、彼女も情報としては知っていたが、1日中「何か」が聞こえる状況に耐えられずにあっさりと帰っていた
教育されている子どもたちが感じる違和感、道徳的なものを考えてしまうリンナたちの方が正常で、夫の転属で引越しすることを拒む妻は異常にも思えてしまう
それぞれが自分の心を守るための精神的な領域というものを持っているが、あの場所で正常でいられるのは、より強固な目的と役割を持っているルドルフと、彼以上にその場所を聖域化している妻だけなのかもしれません
いずれにせよ、音が大事な作品で、目の前で展開される様々な引用は馴染みが薄いので、その意味がわからないと単調のように思えてしまう
実際には多くの意味があって、特に子どもたちが過ごしていく中で違和感を感じていく過程であるとか、教育によってそれを超えていく状態であるとか、家族の中の年齢差と知能によって、状況に反応する違いがあるのはすごいことだと思う
外から見ている未来人は何が起こっているのか知っているのだが、既知と未知の間にいる家族たちにどのような影響が起こっているのかを観察することができれば、この映画の真の目的が理解できるのではないだろうか
想像力に訴えかける作品
前評判を聞いていたが
個人的に何故か過去作含めて、全般的にあまり相性の良くないA24の作品です。
アウシュビッツで起こっていたことというのは世界中の多くの人が知っていることとは思うが、今回の作品のようなのは珍しいかと思います。ナチス・ドイツ側にも様々な個々人のストーリーがあるのは当たり前ですが、なかなかそこにまで思い至りはしないかなと。そんな所長家族の生活に焦点を当てたのが今作かと。
基本的にあからさまなハデなこともグロいことも、スクリーン上で起こるわけではありませんが、何か機械が稼働しているような重低音や、発砲音と思しき破裂音、それに悲鳴や怒声が、あたかも環境音のように遠くで薄く流れ続けているのがジワジワと効いてきます。
この手のテーマの作品なので、正直見る人を選ぶでしょうが、細いところの確認のためにも、もう一度見に行ってみようかなという気持ちにはなりました。寝不足気味で見に行ったせいか、途中あまりに淡々と進行するので、一瞬意識が飛んだりもしてしまいましたが、目を開けた瞬間にスクリーンが一面真っ赤だったのは、一体何があってああなっていたのだろう。
コンセプトがすべてのような映画
やはり中途半端という感は否めず
何回観たら解るようになるのだろう
ナチス親衛隊の社会に居るヘスの家族にしてみれば夫は組織の中枢へと出世すべく無理をしてでもチャンスを掴もうとするだろうし、妻は自らが作って来た夢に描いた暮らしを既得権として守ろうとするだろう。
アウシュビッツ強制収容所群
「The Zone of Interest(関心領域)」
は、彼らにしてみれば職場に過ぎず、そこでの生産性をより求めるし、効果を上げ、成果を残そうとする。
だから連続して大量に焼却出来る施設をも計画する。単身赴任もいとまず、吐くほどのストレスとプレッシャーに苛まれようとも組織を登りつめていく。
母親がこんな所には居られないと黙って帰ってしまっても妻はそんな事は覚悟の上で暮らしている。子供達はナチスの思想で育って行く。
世界が違えば当たり前な事とも言えるのではないだろうか。
音響賞受賞は納得です。こんな音響効果の方法があるとは驚きました。なにしろ映画を観ているのに音だけが流れてスクリーンに何も映らないのだから。そうして映画の世界に誘われるのです。
さて全編においてヘス一家の暮らしが描かれて行く訳だけども
「そのシーンが何をしているのか?」
が解らない。妻の行動、思い、子供達の行い、遊び、川で起きたこと。
「何? 解らない 何?」
何回観たら解るようになるのだろうか?
だけども問題は今日の雨傘が無い
主人公はアウシュビッツ所長のルドルフ・ヘス。ヒトラーの側近だった人もルドルフ・ヘス。ただし、前者はルドルフ・フェルディナント・ヘス(Höß )で、後者はルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘス( Heß )と、名字のスペルも違いますが。
この作品、井上陽水の初期の代表作「傘がない」の冒頭を思い出しました。「だけども問題は今日の雨傘がない」ようするに、所長の嫁(落下の解剖学のザンドラ・ヒュラー)にとっては、アウシュビッツでなにがあろうと、また夫が出世して赴任先が変わろうと、自分自身が現在お気に入りのこの生活環境を終わらせたくないってことなんですね。
アウシュビッツ収容所と壁一枚隔てた場所で、昼夜収容者の悲鳴が聞こえたり、死体を焼却する白煙があがるような環境にあっても彼女にとっては「関心領域」には無いということです。
ナチス・ドイツが悪だとか、そういうことはこの映画では関係なく、所長は自分の任務を忠実に守り、また家族も守るという家長としての役割を果たしているに過ぎません。
我々はこのドラマの終焉(ドイツの敗戦)を知り、この所長も敗戦後ニュルンベルク裁判にて戦犯として極刑を受けることを知っているわけで、そういう意味では「あわれ」を感じました。
社会構造を坦々とした日常的な視点で描き、感覚が麻痺してくる
特徴的なのは、監視カメラのようなカメラワーク。
人物の移動に伴って視点がコロコロ変わるのは、ゲームのバイオハザードを想起させられ、映画であることを忘れさせる。
塀の向こうの音が聞こえてくる一方で、赤子の泣き声にかきけされ観客も最初よりは次第に気にしなくなってくる。
なにより印象的なのが、
家庭と職場でのやりとりが、日本のサラリーマンのそれとほぼ同じであることである。
アウシュビッツの司令官でも中間管理職の境遇と、プレッシャーと、家庭と、愛人と。
ユダヤ人迫害においてタスクが細分化されることで、当事者意識が薄れるというのはある話だが、それがより公私という面でも顕著に描かれている。
しかし、その坦々さだけで終わらせない、ところどころにある、衝撃とも不快ともいえる演出。忘れるな、と言わんばかりのメッセージである。
歴史と人間社会を考えさせられる100分あまりであった。
好きにはなれませんが、すごい作品だと思います
音がとにかく不穏であり、虐殺の場面は一切描かずに恐ろしさを表現していることに、感服しました。
映画館で見ることにより、身に迫る恐怖を感るので、劇場での鑑賞を強くおすすめしたいです。
決して楽しい気持ちにはなれませんし、好きにもなれませんが、いい作品でした。
そして、厳しい現実であっても知ることが大切だと感じました。
壁1枚挟んでっていうのは流石にないと思うけど
真っ暗な画像と不穏な音響から始まりただならぬ雰囲気を感じさせつつ、家族の楽しそうなレジャーの映像が映り、ああこの映画は終始こんな感じで話が進んで行くんだなと思わせる。
田舎での子育てや生活しやすそうな環境に大満足の奥さんは塀の向こうでは日がな銃声や叫び声がうっすらと聞こえるが、赤ちゃんや犬の鳴き声と同じくらいにしか感じていない。
大規模な焼却が始まり(義理の?)母親は耐えられなくなり家を出るが、塀の向こうで起こっている事への関心がなく、旦那の浮気にも気づかない鈍感力が際立ち、家政婦に悪態をつくこの滑稽な奥さんの姿を観客にはナ◯ス幹部の家族の象徴の様に思わせる製作側のやり口には嫌悪感しかなかった。
近年のエンタメに昇華させないドイツの過去の所業を題材にした映画は話題性や賞狙いとしか感じられず、個人的には大の苦手なので評価は遠慮させていただく。
※個人の見解ですごめんなさい。
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