劇場公開日 2024年5月24日

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関心領域のレビュー・感想・評価

全566件中、21~40件目を表示

3.5今までにないタイプの映画

2025年7月19日
PCから投稿

この映画を事前知識なしで見る人はほとんどいないと思いますが、この映画は説明0の状態で始まり、最後まではっきりとした説明がないまま終わります。
なので本当に事前知識0で見ると面白くないのではないでしょうか?
最低限「アウシュビッツ強制収容所の隣で暮らす一家の日常」という知識は必要です。
通常の映画は目に映るものを楽しむ・耳で聞こえるものを楽しむということが基本ですが、本作では「目に見えない塀の向こうを想像する」「聞こえてくる音声からそれが何の音か想像する」という通常の映画とは全く違う楽しみ方をする映画です。

正直娯楽作品としては楽しみにくい作品ですが、考えさせられる作品としてはめちゃくちゃ素晴らしい映画だと思います。

「関心領域」という邦題も素晴らしいですね。「あなたは塀の向こうに関心がありますか?」という問いかけにも思えます。

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みる

3.0無関心であることの恐ろしさを容赦なく暴(あば)き出す

2025年7月14日
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鑑賞方法:VOD

<映画のことば>
「現実を受け入れて、ここを離れよう。」
「嫌よ。あなた一人で行けばいいわ。
あなたは、オラニエンブルクで仕事を。私はここに残って、子供たちを育てる。今までどおりに、アウシュビッツでね。」
「まさか君が来ないなんて。思いもしなかったよ。」
「あれが、私たちの家なのよ。」

世にも恐ろしい虐殺行為が白昼に堂々と行われていたというアウシュビッツというその土地柄…壁一つ隔てた隣では、ユダヤ人に対して歴史に残る大虐殺が行われている、その土地柄で、無邪気にも(?)住まいに固執する、ヘス収容所長の妻・ヘートヴィヒの言動が、評論子にはむしろ不気味にも思われました。

自宅の、ほんの隣では世界史に残るような大量虐殺が行われているというのに…(絶句)。

しかも、ヘス家に集う彼・彼女たちは、ヘス家から塀ひとつを隔てた、すぐ隣では何が…どんなことが行われているかは、知らないわけではなかったようにも見受けられます。
そのことは、家政婦から嫌がらせをされたと思い込んだヘートヴィヒが家政婦(おそらくは送られてきたユダヤ人の中の一人)に向かって「夫に頼んでお前を灰にして、あちこちに撒き散らしてやるから」と悪態をついていたことからも明らかだと、評論子は思います。

無関心でいることの「本当の恐ろしさ」は、ここに極まったとも言うべきでしょう。

本作を観終わって、まず真っ先に評論子の脳裏に浮かんだのは、ドイツの神学者で、反ナチス活動家としても知られたマルティン・ニーメラー(1892-1984)の次の言葉でした。

「ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。/彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。/彼らが労働組合員らを連れ去ったとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。/彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。

人は、自らの「関心領域」の外側で行われていることには、まったくを以て無頓着であるという箴言としては、本作の標題は、まさに「そのものズバリ」というべきだとも思います。

そして、そのようなストーリーをドラマ仕立てや劇映画タッチで描くのではなく、ドキュメンタリータッチで、ただ淡々と事態の推移を描いていた点も、構成としては、高く評価できる…否、むしろドキュメンタリータッチで淡々と描かれているからこそ、無関心でいることの本当の恐ろしさが、容赦なく暴き出されていたとも思われます。

本作は、評論子が入っている映画サークルが、毎年選定している年間ベスト作品として、2024年の公開作品として選ばれていた作品になります。

地方都市に住まう評論子にはなかなか鑑賞の機会がありませんでしたが、ようやっと宅配レンタルで観ることができました。

年間ベストに相応しい、重厚な作品で、充分に佳作としての評価に値する一本でもあったとら評論子も思います。

(追記)
先程は「人は、自らの『関心領域』の外側で行われていることには、まったくを以て無頓着である」と書きましたが、これはもちろん、自分の関心領域外で行われていることは知らない(無関心)ということで書いたのですけれども。

しかし、他面では、ヘートヴィヒは「何が行われているか」は知ったうえで、その「知っていること」を意図して関心領域の外へ押し出しているとしたら、それは、まったくの「関心領域」外よりも、数十倍、いや数百倍も空恐ろしいことと思います。
本作のタイトルには、実は、そのダブルミーニング(?)も隠されているのでしょうか。

(追記)
音だけ聞こえてで、映像がないシーンから始まるという本作の構成も、作品の組立てとして、秀逸だったと、評論子は思います。

音がするので、上映が始まっていることはわかるのですが、「絵が出ないということは上映機器(DVDデッキ)の不具合だろうか」と、観ている方を不安にさせる手法は、作品全体に漂う不気味さを、いやが上にも盛り上げる演出として、当たっていたのではないかと、評論子は思います。

(追記)
作中で言及されているヘンゼルとグレーテルの寓話…パン焼き窯でグレーテルを焼こうとした魔女は、ガス室で殺害したユダヤ人の遺体を焼
却炉で焼却したドイツ軍の暗喩だったと、評論子は受け取りました。

(追記)
本作に登場する人々の「関心領域の狭さ」は、取りも直さず彼・彼女らの「心の闇」ともいえると、評論子も思います。

そして、当時のナチスの「エリート意識」「独善さ」「近視眼さ」ということは、別作品『ヒトラーのための虐殺会議』にも描かれていたとおりで、彼らの心にはそういう「闇」が根深く巣くっていたことには疑いがありません。

的確なレビューでそのことを再認識させて下さったレビュアーNOBUさんに感謝するとともに、末筆ですが、ハンドルネームを記してお礼に代えたいと思います。

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talkie

4.0淡々と

2025年7月12日
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悲しい

怖い

不調和音が不気味さと
残虐さを醸し出して怖い映画だった。

ダンケルクを見たときのような

直接的ではなく感じさせるもの。

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悠々同盟

3.5関心

2025年7月5日
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鑑賞方法:VOD
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ジャーニー

4.5人間、自身の利益には目ざといが

2025年6月29日
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鑑賞方法:VOD

怖い

知的

斬新

アウシュビッツものというよりも、人間の不思議が先立つ。
同じものを見ても抱く感想が異なるように、残虐の極みを躊躇なく合理的に処理し、行われていても理想郷とのたまう。
だから自らの身体の変調の深刻さもスルーなのだろう、たぶん。

けれどこれはアウシュビッツに限らず、世界のどこかの地域と地域としても置き換えられそうだし、実際、無関心と無視、搾取していることも多い。
人は自身の利益には目ざとく関心、執着を持つが、その向こう側にまで想像を巡らせる事は苦手だ。巡らせる事で自分が利益を失うならなおさらあえて目をつむる。だからして、うしろめたさを思い起こさせる1本でもあった。

何となく向こう側がすけているのに、気づいているのに自分可愛さにスルーしてしまう。
昨今のそれが巨悪なのかも。

ネガのような加工がされたシーンが印象的。一番野真実描写なのに非現実的感が脳みそバグらせる。

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N.river

5.0愛の反対語は無関心です (マザー・テレサ)

2025年6月29日
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鑑賞方法:VOD

隣の家のおじいさんが室内で倒れていて、救急車で運ばれた。去年の夏だ。

40℃の猛暑でも、「電気代はつけっぱなしでも月2000円で済むから大丈夫なんですよ」と、どんなに言ってもエアコンをつけなかった生保受給者だった。

あれほど市役所や包括支援センターに出向いて、あの暮らしぶりと現場のゴミ屋敷の有り様を見に来るようにと訴えたのに。

で、「搬送先ほかは個人情報なのでお教え出来ません」と福祉課で突っぱねられてしまった。そうでしょうね。はい、そうでしょうとも。

隣は何をする人ぞ。
人も職員もこんなにいっぱいいても「関心領域」とはこんなものなのだ。

・・・・・・・・・・・・・

「アウシュヴィッツ絶滅収容所」の塀の隣にはエリート所長の官舎があった事は「縞模様のパジャマの少年」でも描写されていたし、現にその邸宅は今でもそのまま保存されていて見学コースになっているらしい。

5月8日はドイツの無条件降伏の日。
ドイツ・ヴァイツゼッカー大統領の1985年のその日の演説
「荒野の40年」を読み返してみたいと思う。
「過去に目を閉じる者は現在においても目の見えない者になる」
「若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでほしい。われわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい...」と敗戦の記念日に大統領は呼びかけた。
塀を乗り越えようと語りかけたのだ。

・・

そのドイツには「つまづきの石」というプロジェクトがある。
歩道にわざと邪魔な凸凹を付けて、あれは通行人の足を止めさせるわけで。
銘板には
【○年○月○日、ここに住んでいた なにがしは、ドイツ軍に連行され○○収容所で殺された】と刻んであるのだと。
つまづきの石は「バリアフリー化に逆行する」“突起”であるし、「素通りと忘却を阻止する」棘トゲ だ。
目を止めて、その小さな「塀」を乗り越えるために通行人は何かをしなければならない。
よけるか。躓いて転ぶか。立ち止まるか。またぐか。しゃがむか・・

無言だが、忘却を妨げる「つまづきの石」。
ドイツ人にとっての、我が身を貫く痛みのプロジェクトだと思う。

「壁」は、
本人次第なのだ。
広くも狭くも好きに出来る。
高くも低くもあなた次第だ。
目をつぶれば壁は簡単にそこに立つのだ。

・・

「はて?私の『隣人』とは誰のことでしょうか?」
ユダヤ教の指導者が自分を弁護しようとして質問したエピソードは
ルカによる福音書10章25節から37節に。

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きりん

0.5みんな無関心

2025年6月18日
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鑑賞方法:VOD

最後まで観るのがだるかった。自分もこの映画には無関心

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ゆうき

3.0実話ベースということが1番の恐怖

2025年6月16日
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ただただ不穏

子どもたちが遊んでる壁一つ隣で
人が焼かれた煙がもくもく…

妻や子どもたちは知ってるのか知らないのか分からないけど、住み続けたいと気に入ってる様子…

実話ベースということが1番の恐怖
黒歴史にもほどがある

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ジュディス

3.0何も起きない

2025年6月1日
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知的

何も起きない!いや起きてるけど。
淡々と狂った日常を見せられている!
ずっとうすら不愉快!
でも胸糞ってほどでもなくこれが無関心

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ぎょうざ

3.5想像が広がる

2025年5月25日
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静かに語りかけてくる
想像が広がる

深く考えること、それによって見えてくること
新しい視点からの考えを得られる

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🌞

0.5退屈極まりない作品。 ユダヤ人たちが過酷な目に遭っているのはあくま...

2025年5月18日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

退屈極まりない作品。
ユダヤ人たちが過酷な目に遭っているのはあくまで塀の中の出来事。
たとえ隣であっても塀の外のドイツ人一家は優雅な生活を送っている。
優雅な生活を延々と見せられても・・・・。

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省二

2.5ねむい!

2025年5月2日
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鑑賞方法:VOD

タイトルの意味は後でわかったけど見終わった段階では分からなかった。まあそれは良いが、大変興味深い趣向で撮られた映画だと思い、実際対比の映像なんかも素晴らしいものは感じた。が、映画としてみた時に「間」の使い方がとにかく眠気を誘う。気づいたら瞬間的に意識が飛んでいる。これは自分が悪いが個人的にはとても見るのに疲れたし苦手だった。最後に転換もあるのかと期待したがそういうやつじゃなかったし。

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マルボロマン

3.5無関心の罪

2025年4月27日
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鑑賞方法:VOD
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@R3X

3.5映画というより…

2025年4月14日
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鑑賞方法:VOD

悲しい

映画を観ているというより、アウシュビッツの隣に住むドイツ将校の生活を覗き見ているような感覚。
そのため、隣から聞こえてくる兵士の声や銃声、囚われたユダヤ人を燃やす焼却炉の音などの説明は一切ない。
隣から聞こえてくる悲惨な音を一切無視し(無視というより、聞こえていないかもしれない)、自分たちの恵まれた生活を享受するドイツ人家族たち。
観ているこっちは終始胸がつまる思いに。
ラストに、アウシュビッツ平和博物館の清掃シーンが映るが、とんでもない遺品の量に更に胸が苦しくなった。

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nayuta

4.0新しいかたちの反戦映画

2025年4月13日
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この映画はアウシュヴィッツ強制収容所の隣に住む兵隊とその家族の生活の様子を覗き見ている形式で描かれている。大きな展開があるわけではないが、生活の中に銃声、怒号、叫び声、何かしらの黒煙と不穏な景色、音が同時に描かれている中、登場人物誰一人も関心を示さない。
日本人が真夏に鳴くうるさい蝉に対して「こいつら求婚頑張っていてすごいなぁ」と関心を示さないように彼らにとっても日常の一部なのだろう。
この家族を外から見ている形で描くことで我々視聴者は登場人物たちとは違い、関心領域外で行われている悲惨な状況を感じ、戦争の愚かさを知ることができる素晴らしい映画だと思った。

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冬タコ

5.0一人ひとりが自分の関心領域をどこに持つかが問われている

2025年4月8日
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鑑賞方法:映画館

映画冒頭では真っ暗な中で不調和音が響き、しばらくすると明るい水辺での楽しそうな家族のピクニックの場面に切り替わる。ルドルフ・ヘスとその妻ヘートヴィヒは自然豊かな郊外の一軒家で子どもたちと平和で幸せな生活を営んでいた。どこにでもいそうなドイツ人一家が普通の家庭と何か違うところがあるとすれば、彼らの家の塀を一枚を隔てた所にはアウシュビッツ強制収容所があり、ルドルフがそこの所長だということだけだ。

無知と無関心は異なる。本当に何も知らなければ無知だが、知っているにも関わらず、関心を向けない、或いはあたかも無いかのように振る舞うのは無関心である。ルドルフは職務として隣で何が行われているのか当然知り尽くしている(というより、指示をしている)のだが、ヘートヴィヒや子どもたちは無邪気に隣で何が起きているのか何も知らないかのように振る舞ってはいる。しかし、その言動をよく見ていると確実にわかっていることが理解できる。

人間は見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞いていたいと思うものであり、嫌なことから目を背けている限りは幸せでいられる。しかし、目を背けられた場所には「幸せ」とは対極な状況に置かれた人々がいる。それは第二次大戦の頃だけの話ではなく、いま現在でも全国各地で、そして世界各地で起きていること。

一人ひとりが自分の関心領域をどこに持つかが問われていることを突きつける作品だ。

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Tofu

3.5悪の凡庸性

2025年4月7日
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津次郎

5.0無関心の壁

2025年4月6日
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鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

怖い

難しい

私は何方の領域と共存できるのだろうか。終始心が揺れ動き、諦めから生きる本能としてまやかしの幸せを享受し、気が狂うまで関心の領域を外すのか。
途轍もなく恐ろしい映画で、恐ろしく興味深い映画。
二度の鑑賞はしたくはない、素晴らしい映画です。

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シシム

3.0音楽が歪み感を増幅

2025年4月5日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

怖い

難しい

評判になっていたので視聴。
映像はいたって普通の場面に、歪んだ音楽が入り込むと、こんなに不快で違和感を表現出来るものなのか。
はっきりと言葉や映像で表現しない分、気持ち悪い違和感が増幅されて、インパクトあり。

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ぽん

0.5なぜ今、

2025年4月3日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

なぜこの時に、反ナチス親ユダヤ的映画が作られ、評価されなければならないのか。イスラエルによる現在進行中の人類史上最凶の蛮行、アウシュビッツを凌駕するジェノサイドに、一分たりとも免罪符を与えられることが有ってはならない。絶対に。

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