関心領域のレビュー・感想・評価
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鳴り止まない音 The never-ending sound
街中にいると
静かと感じていても、
実は、様々な音が混じった、
ゴォーっという音が聞こえている。
それは意識しなければ、変化に乏しすぎて
通常は聞こえない、意識に上らないようになる。
ただ耳を澄ますと、
車のクラクションだったり、
鉄橋を渡る列車の音が混じっている。
この映画が始まってから、
美しい風景の裏で、
ずっと鳴り止まない、ゴォーっという
何かの稼動音が聞こえていた。
あるシーン以後、
その背後の音は、音量を増し、
強弱に乏しくなった。
そこで何の稼動音なのか分かってしまう。
そして、またあるシーンの後、
その不愉快とも感じる低周波の音に混じって
人の悲鳴と、乾いた銃声が混じるようになる。
一体なんの音をサンプリングしたのかは知らないが、
個人的には湿度を含んだ、不愉快な低周波。
ラスト近くに挿入される、
同じ施設の現代の音の
軽く乾いた感じとは対照的だ。
とにかく終始、
音が耳から離れなかった。
When you’re in the city, even if it feels quiet, you can actually hear a continuous whooshing sound mixed with various other noises. If you don't pay attention, it's too monotonous to normally hear and doesn't reach your consciousness.
However, if you listen closely, you can hear car horns or the sound of a train crossing a bridge mixed in.
Since this movie started, behind the beautiful scenery, there has been an incessant whooshing sound of something operating.
After a certain scene, that background sound increases in volume and becomes monotonous. That’s when you realize what the operational sound is.
Then, after another scene, mixed with the unpleasant low-frequency sound, you begin to hear human screams and dry gunshots.
I don’t know what sound they sampled, but personally, it was an unpleasant low-frequency sound that felt humid.
Near the end, a modern sound from the same facility, which felt light and dry, is inserted, contrasting sharply.
Throughout the movie, the sound never left my ears.
読み取る意気込みを持って鑑賞を
怖いよ
無関心は是か非か
予告から、これは押さえておくべき作品だと感じ、公開2日目の朝イチで鑑賞してきました。硬派な作品ですが、客入りは悪くなく、注目度の高さがうかがえます。
ストーリーは、第2次世界大戦中、ナチスが管理していたポーランドのアウシュビッツ強制収容所と壁一枚隔てた屋敷に住む、収容所の所長ルドルフ・ヘスと家族の平凡な日々を描くというもの。それ以上でも以下でもないというところが、本作の本質でもあるように思います。
まずは開幕、タイトルが長く映し出されてフェードアウトしたあと、今度は何も映されない時間がさらに長く続きます。しかし、その背景には音声があり、観客はじっと聞き耳を立てながら、その様子を想像することになります。このチャレンジングな開幕こそが、本作を鑑賞するための必須スタイルであることに後々気づかされます。
その後、描かれるのは、ヘス一家の穏やかな日々。アウシュビッツ強制収容所に隣接した家に暮らしながら、収容所内の出来事に全く無関心で暮らす家族の姿が淡々と描かれます。その無関心ぶりがあまりにも自然であることの不自然さが、観る者に居心地の悪い違和感を覚えさせます。
豪華な家、贅沢な食事、高価な衣服、広い庭には菜園とプール…、でも塀の向こうから聞こえてくる銃声や叫び声。自分たちの豊かな暮らしが、無数の犠牲の上に成り立っていることを知らないはずはないのに、ヘス一家はあえてそこに触れません。何か起きそうで起きない日常の中で、唯一の転機とも言える夫の配置転換による転勤の際も、妻は今の豊かで贅沢な暮らしが手放せず、夫を単身赴任させます。自分たちの暮らしが数多のユダヤ人の命を奪うための施設のおかげで得られていることに、毛の先ほどの罪悪感も覚えていない姿が、これもまた淡々と描かれます。
一方、この家に遊びに来た母親は、壁の向こうから聞こえる音や声に耐えかねて、そっと家を出て行きます。この家では、人間らしい正常の神経では暮らせないのでしょう。ヘス一家は皆、自身の心を守るために無意識に耳を塞ぎ、口を閉ざして、そこに触れないようにしているのかもしれません。しかし、所長として働くルドルフはそうはいきません。終盤、施設内で嘔吐する彼の姿は、限界に達した心の悲痛なサインのように見え、本当に痛々しいです。
映像的には、収容所内の様子をあえて描かないので、やや退屈に映ってしまうかもしれません。しかし、そのぶん壁の向こうから聞こえる音声に耳をそば立たせ、おぞましい想像をかき立てられることになります。また、家族の無関心ぶりへの違和感をいたずらに煽らないことで、人間の本質的な醜さを突きつけているようにも感じます。
終盤で、現代シーンが描かれますが、ここで描かれるのも、展示室を黙々と清掃する職員の姿のみです。展示物に目もくれずに清掃する職員も、無関心の象徴として描いているのかもしれません。そして、本作を退屈と感じている観客にそれを当てはめているのではないかと気づいて、ゾッとしました。今だに世界のあちこちで起きている紛争に、“あなたは関心をもっていますか”と問われているようで、返す言葉もありません。
キャストはクリスティアン・フリーデル、サンドラ・ヒュラーで、平静を装いながらも心が蝕まれていく夫と妻をそれぞれの立場で好演しています。
そのまんま
この作品のメッセージ性は至極真っ当だとは思った。テーマがテーマなだけにそこに議論の余地はない。
まずそこは大前提。
なんですがって事で…
自分はタイトルと映画館での予告編で大体どんな作品かはわかっていて観に来ていたが、メッセージ性は置いといて1つの作品としては以上でも以下でもないって印象を持った。
タイトルが出て邦題はそのままの同じ意味。
映像は美しく、そこに暮らす一家はそこそこ幸せな様でいても、それは上辺だけであって何処かギクシャクした人間関係。
映画が始まってから最後まで鳴り響く工場の稼働音。
時折、怒鳴ったり叫び声や銃声の様な音も聞こえ不穏さを煽る。
嫌な雰囲気から段々と嫌な事が起こり始める。
陰影が反転した映像で労働者にこっそり食べものを忍ばす女の子、お伽話、歌。
奥様の二面性が少しづつエグ味が増す。
川を流れてくるアレ、美しいガーデニングの肥料になるアレとか。働き詰めの旦那は"見せてる"とこでは家族を大切にしてる人の親だけど、やはりやる事はやってるとか。"見せない"から少しづつ見せていって、観客の想像がつく程度の描写に留めてる。
でもハッキリ言って個人的にはわかり易過ぎた。
これは無関心とかではなく、全員が知ってて見ない様にしてるが正しいと思う。
そんなだから特に身体が悪い訳でも無いのに心が嘘をつけなくてえずいてしまう。
離ればなれになった家族がまた元に戻れるかも知れない…そんな物語上の"興味"の誘導に流されそうになると、突然、現代の絵が入る。
忘れてんじゃねーよ!
って。
それはわかるけど、自分の印象としてはメッセージ性は置いといて作品の作りとして意地の悪い演出だと思った。また予告編から想像するものを超えてくる様な事は特になかった。エンタメじゃねんだよ!って事なのかも知れないが…いや見た人に関心を持たせる為かも知れない。
演出が空回りしているようナ......
年頭のアカデミー賞候補で興味があったので鑑賞しました。
ユダヤ人迫害の反戦映画ですが、迫害される側の映像はなく音だけで今までにない演出でした。
しかし演出の意図は理解できますが、何となく映画全体が空回りしているような感じを受けました。作品に対する感想や意見は鑑賞者にゆだねていると感じましたがもう少し着地に落とし所があったのではないでしょうか?
役者さんですが、やはりサンドラ・ヒュラーさんの妻役が印象に残っています。2019年の作品で「希望の灯り」で知りました。何となくクールな所がケイト・ブランシェットさんと重なります。私的には前作の「落下の解剖学」の方がこの役者さんの良いところが出ている様な気がしました。
ニワカには辛すぎる平凡な日常
壁のこちら側にいるのは私達だ。壁の向こう側にいるのも私達だ。
ルドルフ・フェルディナント・ヘスは結局、終戦までアウシュビッツ収容所長の任にあった。1947年、絞首刑。(ナチ副総統のルドルフ・ヘスとは別人。そちらは長生きした)家族がどうなったかわからないが生きながらえたとしても日陰の人生だったろう。
もちろんこの映画はヘス一家を糾弾するものではない。彼らの映像は多くは長距離もしくは中距離のカメラで撮影されアップのシーンはほとんどない。妻のヘートヴィヒは上昇志向が強く、またサンドラ・ヒュラーが憎々しく演じているのでやや負の感情移入をしてしまうが、壁のこちら側が彼らである必要はない。個人の人格は関係ないのである。収容所長なんて中間管理職だから生産性が低ければすぐクビを切られる(現にヘスの後任者はすぐ更迭されヘスが再任することとなった)だから誰でも同じだったという一般性を持たせるためにそのような撮影方法、演出をしているのである。
壁の向こう側は、一方的に虐殺される人生。
壁のこちら側は、殺すことと死体を処理する効率をもとめられ、殺した成績によって出世と豊かな生活を与えられる人生。殺される側への思いは全くない。
この見事なまでの非対称性が人間の歴史でありひょっとしたら本質なんですよと本作は静かに語る。
なんて不気味な…こんな表現は赦されますか
煙突からもくもくと流れ出る黒い煙、どこからともなく聞こえる小さな呻き声と悲鳴、不協和音。そして壁のこちら側にはドイツの幸せそうな家族が。可愛い子供たち、手入れされた庭には綺麗な花が咲き乱れ、小さなプールまである。そんな収容所の所長の邸宅には友達も集まり、楽しそうな語らいと笑顔。壁の中の人たちから没収した服やら装飾品やらの品定めまで行われる。お気に入りを手に入れようと物色する妻やその友人たちの楽し気な様子。彼女にとって、ここは絵に描いたような幸せを実現する夢の邸宅なのだ。壁の向こうで何が行われているのか、少なくとも彼女は詳しいことは知らないんだと僕は思っていた。
収容所の所長のいかに効率良く塀の中の人たちを処分していくのかという同僚と交わされる仕事の話と、それが認められて収納所の所長という立場から栄転することになるという自慢話がなされる。そして妻は何もかも知っているのだということがわかるにつれ、この映画の不気味さ、恐ろしさは最高潮に達する。この妻はこの壁の隣の邸宅を心の底から気に入っていて夫の栄転と共に出ていかなくては行けないという事態に酷く動揺し、挙げ句にそれを拒否してしまう。夢の邸宅に彼女はしがみつく。夫の仕事での有能さが認められたのか、妻の願いは叶えられる。夫は単身赴任となり、妻の幸せは続行する。
最後に、映像には、壁の向こう側で処分された人たちの夥しい数の靴の山が写し出される。そしてどこからともなく聞こえてくる不気味な不協和音でこの映画は終わる。
冒頭から凝ってます!不気味すぎて固まってしまいました。 これは収容...
どう評価すれば良いのか
境界
確実に寝ます
ドイツ第二次大戦中のまあまあ偉い将校家庭の生活をそのままずっと見せられます。鉄砲の音?とか微妙な叫び声?とかは時折聞こえますけど、そこからユダヤ人が虐殺されてる横で、よくもまあのうのうと暮らせるなと怒りやら恐怖を感じるって、どんだけ感情豊かなのよと思う。普通の人は寝ます。それがこの映画の怖さであることを、最後あたり、アウシュビッツ資料館を淡々と掃除するおばさん達の映像が挟まれるところで気付かされます。自分自身がもつ慣れの愚かさや怖さ。クレジット中流れる音楽、これ、人の叫び声のサンプリングだけで作られてます?映画見て寝るとこまで計算されてるという稀有な作品。見るべし。
長い余韻
どう思えばいいのか、を問う
とにかく徹底して強制収容所の隣の家に住む家族の話。
ただ、BGMが人の悲鳴・銃声・叫び声・人を焼く音。効果音はあるけど音楽は無く、ひたすら人が死んでいく声や音が響き渡る。
起こっているのは「基本的に」ホームドラマです。両親がいて子供がいて、お父さんが転勤になってお母さんがそれに反発する、子供とお父さんがボートで遊ぶ、とか。ただ、その夫婦喧嘩に出てくるのがヒトラーとかヒムラーとかナチスの人間の名前ですが。
異常な環境にあって人がまともでいられるはずはなく、お手伝いさんはアル中だしおばあちゃんは荷物を持って逃げ出します。そして、あのラスト。
どこまでも観る人間の想像力を試す映画です。登場人物から一歩引いたカメラワークは「撮っている」というより「観察している」という印象だった。監督のインタビューで事実を描写することに注力した、という言葉があったが事に納得した。確かに家族の話だけど家族の心情とか行動に寄った所が全くない。「こうだったけど、あなたはどう思う?」という投げかけ型の映画の極致だと思う。
あと、冒頭数分間が音だけで映像が真っ暗だったので映写事故か? と昔映画館でバイトしていた経験からハラハラしてしまった。個人的にはあの演出は「この映画は音にもメッセージがある」という意味だと解釈した。
隣のお客さんが開始早々に眠っていた。まあ、こういう姿も映画のメッセージの一つなのかな。
他人事と思えてしまう怖さ
予告編を観て、何となく「観なくてはいけない」という感じがして観賞。
【物語】
舞台は1945年のポーランド、アウシュビッツ。
ナチスドイツの強制収容所に隣接する住宅には所長を務めるルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)の家族が暮らしていた。妻のヘドウィグ(ザンドラ・ヒュラー)や子供達は収容所と壁を隔てたすぐ隣で物質的にも恵まれ、満ち足りた日常を送っているのだった。
【感想】
上述したあらすじがネタバレになってしまうような作品。
となりの家の生活が淡々と描かれるのみ。
予告編からある程度は想像できたが、思った以上にそれだけだった。あまりに淡々と描かれているので俺は正直退屈してしまった。加えて描いていることは重いから、気分は晴れない。さらに冒頭長い時間(恐らく1分くらい?)真っ黒なスクリーンに不快なおとだけが流れる、みたいな不穏さを煽る演出もあり、段々観続けることが苦痛になってしまった。
残念ながら、俺は期待したような“響き”をビンビン味わうことはできなかった。ただそれでも、何も感じなかったわけではないので少しだけ書いてみる。
予告編から想像していたことと違ったことが1つ。強制収容所のとなりで何食わぬ顔で暮らしていた家族はとなりで何が行われているか知らない人々なのだと思っていた。タイトルは知ろうともしない人の無関心さを問うているのかと。が、そうではなく収容所の所長の家族だった。と言うことは、子供はともかく、妻はとなりで何が行われているか、夫のミッションは何なのか聞いていたはず。 それで平然と暮らせるどころか、妻は引っ越すことを拒むほどそこでの暮らしに“幸せ”を感じているとは・・・
夫の所長もヒットラーの命令でしているとは言え、平気な顔をして妻子と接し、そこに葛藤等は見られない。ナチス関係者(幹部?)が所長宅を訪れて収容所施設改修計画の話をする場面もあるのだが、そこでも彼らに‟苦渋”は見られない。 あたかも工場設備の画期的改良を上司に提案をしているかのように、誇らしく、あるいは“喜々として”説明している。
人は他人の不幸にここまで無関心、他人事でいられるのか・・・
あるいは麻痺してしまっているのか。
ここまで行くと、ホラー以上に怖い。
ドキュメンタリーではなく、原作は小説らしいので、実際の所長家族がどう暮らしていたかは分からないが、現実がこれに近かったのなら本当に恐ろしい。所長家族が極悪人ということではなく、人間はある状況下に置かれればこうなれてしまうことが。
また、観終わって自分に残念に思ったことがひとつ。演出・表現を十分受け取るには、自分がこの強制収容所に関する知識が乏しいことだ。もちろんアウシュビッツを知らないわけではないが、知っているはここで多くのユダヤ人が殺されたという漠然とした事実のみ。所長家族の生活描写の背景には収容所から聞こえて来る音や、塀の向こうに立ち上る煙などが常に挿入されているのだが、強制収容所で何がどのような手段で行われたことをもっと詳細に、具体的に知っていたら、音や映像ひとつひとつがもっと胸に刺さり続け、退屈することは無かったのかも知れない。
鑑賞動機:音響賞9割、とてもイヤな話らしい1割
あらすじだけみると、そんな音響に特徴出せるような話に思えない。それにもかかわらずオスカー取ってるということは、よっぽど何かやらかしているのでは。ということで通常座らない劇場中心付近で『クワイアット・プレイス Day 1』の予告を見つつ、無音待機。
最初からそれ? 真っ黒な画面は誰か(死体とか)の視点かと身構えたが、「よーく聞いててね」ということなのね。
通常場面ではBGMはほぼ無いので、一家の団欒の裏であんな音こんな音がよく聞こえる。そしてそれがすでに環境音のようになっていて、むしろここにいたいとさえ思うようになっていること、その事が恐ろしい。母親は耐えられなくなって出ていった…ということか。
映像は、配置された固定カメラを切り替えるような場面が多い。基本的に一家の日常なのでのどか(おい)で単調にも思える。そんな日常風景として服(下着?)やブーツや歯やリンゴやお金や川の変色とか、意味がわかると怖いネタが大量に投入されてて、集中して観るほどダメージを受けるという。最後の現代場面の靴でダメ押しされる。
ああ、この人『落下の解剖学』の人だった。
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