関心領域のレビュー・感想・評価
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悲鳴を無視して執着する、美しい生活。
人を生きたまま焼くような虐殺が進行する横で、ユダヤ人の悲鳴を積極的に無視し、ユダヤ人からの収奪で成り立つ美しい生活に執着する主人公の一家。
転勤を命じられても、そこでの「天国」のような暮らしに留まろうとする様子は、彼らが単に上からの命令に歯車として従っただけでは無く、積極的に悪に加担していたということを示す。
後半、さすがにこの異常さに慣れきることは出来ず、ヘートヴィヒ・ヘス以外の人物に歪みがでてきたのには、むしろ人間性を感じてホッとしたくらい、救いがなかった。
実証に基づいた悲鳴の聞こえ方をシミュレートした音響、節目になる悲鳴を取り入れた重すぎる音楽もすさまじかった。
他にも、悲鳴をないものとして、鳥の声をよく聞けという狩のシーンには怖気立つものがあった。
世界のあらゆる場所で起きている差別と収奪の普遍的な構造をあきらかにし、現在進行形で人を焼く虐殺が行われている、今現在のわたしたちに向けて作られている映画。
またそれはパレスチナやシリアやミャンマーなどでの虐殺に限らず、例えば外国人労働者からの収奪で生活を成り立たせながら、彼らの苦境には耳を貸さず、彼らを使い捨てるような法案を通そうとしてる、日本の現状をも突き刺している。
どこまでも洗練された画面と演出だが
事前に解説とレビューを見て補完しながら見た。往時とは思えない住環境と家族、エリート軍人であるが恐妻家というところで意外感があった。映像・演出・内容につき社会的にも評価の高い映画であろうことはわかったが、自分には今一つはまらなかった。最後の清掃シーンも洗練されているが、衝撃的なカットがあった。収容所も最後まできれいで、どこまでも婉曲的表現のところがすごかった。
アウシュビッツ収容所の職員さんと、そのご家族の模様。 住まいは収容...
Concern
アカデミー音響賞を取ったという事で注目していた今作。平日の夕方だったのでまだ空いていましたが、休日は大混雑になっていて、やっぱアカデミー賞の力はまだまだ健在だなーと思いながら劇場へIN。
んー合いませんでした。ドキュメンタリーに近い作りで、大きなアクションは起きず、淡々と収容所の隣に住んでいる家族の模様が流れるだけだったので、映画としての見どころはその模様を見守る事一択で、その面でも起承転結を好む自分とは相性が悪かったです。
冒頭の黒い画面から少しずつ音が鳴っていく演出。
映画館勤めというのもあって、事前にその情報は知っていたのであーここかとはなりましたが、初見であれを観たら映写トラブルなんじゃ?となってしまいそうで、いきなり観客に優しくないなーと思ってしまいました。
収容所の映像は何一つ無く、これもまた銃声だったり、呻き声だったりだけで、音だけでも現場の様子は掻き立てられるのに、それに対して全くを持って興味を示さず生活している一家に慄きっぱなしでした。
歴史的な面でもある程度の教養は必要な作品で、日本から見た収容所の知識は多少ありますが、現地の物事の勉強までは詳しくやってなかったのが悔やまれます。
アカデミーを取った通り、音響の不気味さは上映中一貫していて、心地よい音が何一つない振り切りっぷりには驚かされました。
エンドロールも呻き声が鳴り響いているようで、最初から最後までゾワゾワしっぱなしでした。
もう一回観るべきだよなとは思いつつも、楽しめなかった作品を勉強のために観るべきなのか…とモヤモヤしながら今日も安全に平和に過ごすのです。
鑑賞日 5/28
鑑賞時間 18:20〜20:15
座席 G-1
目をそむけず見るべきか、しかし体調が悪くなりそうな映画
こちらは勿論、壁の向こうに何があるのか、藪の向こうに何があるのか知っているので、この一家が信じられない思いでスクリーンを見ている。終始大量の煙、時に火柱さえ上がる光景に咳込みそうになる。川遊びの途中で大量の灰が流れてくる恐怖。
今更ナチスドイツ批判が目的で制作されたわけではないと思うが、無関心、利己主義の恐ろしさは表現されている。ただ世界のあちこちでは今もまだ戦争が続き、抑圧され国を捨てざるを得ない民族は多く、またそれにより難民や避難民となる人々への対応、また増えすぎた移民への対応に苦慮している国もある。隣人たちも同じ人間である、少なくともこの当たり前の事実をしっかり認識して、客観的に見られる理解力は保っていたいと、ぼんやりと考えた。無神経無関心、自分の愚かな正当化は避けなければならない、と胃の痛みを感じつつ、認識を新たにしたキツイ作品。
そして「落下の解剖学」同様本作でも堂々たる嫌な女を演じたサンドラ・ヒュラー、いつか彼女が、共感出来る女性を演じている作品が見たいかも。
決して好きだとは言えない傑作
スカーレット・ヨハンソンのフルヌードが鮮烈な印象を残した、しかしそれ以外は何も覚えていない「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」以来、8年ぶりとなるジョナサン・グレイザー監督作。
これは端正とも言える傑作だった。前作と違い忘れることができない作品になるのでは。
ナチス・ドイツによるホロコーストおよび強制労働により多くの犠牲者を出したアウシュヴィッツ強制収容所。
今作は収容所と壁ひとつ隔てた屋敷に住む所長のヘス中佐とその家族の暮らしをとらえた。まさに束の間の幸せ。
我々映画好きの多くは収容所の中の出来事を嫌というほど見てきたわけで、その音や臭いを思うと反吐が出る。
クリスティアン・フリーデルが命令に忠実で収容所の処理能力向上に努めるヘスを淡々と演じた。たくさんの人間の効率的な処分が求められた。
名演が続くサンドラ・ヒュラーがヘスの妻を演じた。最高の家にすべく尽力した。夫が転勤になっても家を明け渡すことはなかった。
そこを訪れた妻の母は早々に引きあげた。
まともな人間が住める場所ではなかった。
不穏な「音」が恐ろしい環境を表現した。
音響賞でオスカーを手にしたのは必然だった。
そう、これは決して好きだとは言えない傑作‼︎
未見の方は元気な時に観ることをお勧めする。
ちなみのにポーランドの南部にあった収容所は1945年の初頭にロシアにより解放され、ヘスは47年に処刑されている。
映像はすごいね
是非 映画館で。
修羅場を直接は映さない間接話法が流行りらしい。
これを理解できる感性はないようで。
まったく理解できませんでした。感性が鈍いのかな
見ていて眠かったし、終わったら何を食べようかなと気持ちが離れたり、シーンの意味を考えるので戻ったりを繰り返しました。
まぁ、カンヌ受賞作品って感じはしました。
芸術性が高くて自分がついていけてないだけの説もありそう。
音でビビらせるというか、そこから連想して、幸せな家庭風景とのコントラストを考えさせる?
もしかしてストーリーには意味がない?
オープニングの黒が長くて故障?劇場トラブル?と思ったところから、作品に入れず。
モノトーンの少女はどういう映像手法なんだろうかは気になりました。
少女がりんごを土に埋めてるのは何?
乗馬で草むらを歩くのは脱走探し?
川から急いで帰ってお風呂でゴシゴシしてるのは、流れてきたユダヤ人の灰を落とすため?
突然現代の博物館のシーンがあって、アレ何
司令部の階段で、いきなり吐いてるは、何の比喩?
分からないことだらけで、だからと言って何か心に残ったかと言うと何も残らなかった
以前「縞模様のパジャマの少年」という、本作品と同じような設定の映画...
以前「縞模様のパジャマの少年」という、本作品と同じような設定の映画があった。ドキュメンタリーの様な「関心領域」に比べ「縞模様・・」は、少年の目を通した物語として・かなりショッキングな映画として創られていた。どちらも・・制作意図は善意の映画ですが・・あまり人に勧められないかも・・。
「縞模様・・」の奥さんなど、家族はちょっと良心が残っていたが・・「関心領域」は、悪名高い、ルドルフ・ヘスと家族のお話なので・ほぼ真実で、あのような感じだったのでしょう・・。
当時、優雅な生活を送っていた、ドイツの支配層、ナチスドイツは・・自らの利益だけに興味が向けられ・・終日聴こえる、何かを焼く焼却炉の音、煙。何かを運んでくる汽車の汽笛、怒鳴り声とそれに伴う銃声・・叫び声・・。それらは、豊かな生活を支えてくれる要因と認識し甘んじていたのか? それとも、感覚が鈍ってしまったのか?元々、そういう残酷で鈍感な人間たちだったのか???
「関心領域」の描く世界。実は現代社会の暗示?
優雅に暮らす、一握りの資本家、お金持ち、政治家。一方、奴隷の如く働く、一般人、労働者(頭脳も肉体も)ての関係の様でもある。彼らの「関心領域」には、我々は入っていないのです♪
この結果から、今現在へ
美しい自然の中で和やかに暮らす家族、その暮らしが仲睦まじく明るく朗らかであればあるほど、塀の向こうとのギャップ、違和感や恐ろしさが際立つという、なんとも奇妙な感覚にさせられる構成でした。
強制収容所についての知識がある上での感覚だとは思いますが、冒頭から音を意識させられ、壁の向こうの不穏な音、不意に差しはさまれる不協和音などから、この和やかな暮らしが異様であることは強く意識させられます。
淡々と日常を捉える映像も、壁の向こうの煙や炎、夫婦の使用人に対する態度、子供たちへの影響など、違和感や不穏感がちりばめられています。
直接的な残酷な描写はありませんが、所長である父親がもたらす残酷な恐ろしい結果が示される場面は、やはり奇妙なインパクトがあり考えさせられます。
その結果は現実に今現在に繋がっている、今現在、その結果を忘れずに見つめ直し繰り返さないようにすべき、というメッセージかと感じました。
夜の少女は誰なのかなど分かりにくい部分もありましたが、淡々とした語り口や構成、映像や音楽などの演出も秀逸で、虐殺行為を非難する強い想いも伝わる、良い作品だと思います。
塀の外関心の外には収容所があり、虐殺が行われている
ホロコーストに、人間の無関心があったと感じる作品
1945年、ポーランドのアウシュピッツ強制収容所の隣で暮らす、収容所の所長であるヘス司令官の家族の日常を描き、収容所の中やユダヤ人を一切出すことなく、ホロコーストの恐ろしさを炙り出すという作品。
強制収容所から聞こえる叫び声や銃声、そして機械音や焼却炉から立ち上がる煙。それらを何ら気にせず、戦時においても優雅に暮らす司令官の家族やメイドたち。淡々と暮らすも、それぞれがある種の部分で破綻している。
収容所のことを一切気にしない家族の生活を通じて、人間の異常性をキャストそれぞれが生活の端々に漂わせながら、無関心とは何か、実際の収容所で起きていること、それらを観る者が読み取っていくという、かなりマニアックな展開。
ホロコーストの実態映像は一切なく、起承転結も特にないストーリー。受け止める側の感性がないと、全く伝わって来ないであろう、商業映画とは対局にあるような作品。
音を重視した造りで、映像を自然光のロングショット、固定カメラで撮影する手法。ユダヤ人の存在をスクリーンからも関心の外に置くことで、ホロコーストの異常性をじんわりと伝えてくるという珍しい類の映画。
家族それぞれが持つ異常性や暗視カメラのように描かれるシーンなど、観賞後にレビューすることで見えてくるものもあるが、倫理観の麻痺という中々理解が難しい問題作。
いつなんどきも思うのだがアウシュビッツの将校たちはその後どうなったのか、と。
二度とするなよ
ずっとずっと不協和音。この映画の場合、星の付け方が分からないです。
壁に隔たれて見えないだけで環境音があれってどうかしてる。子供たちに最適な環境であるわけがない。軍事的な異動に夫婦の心を揺り動かされてるシーンで呆れるのはすぐ近くで何が起きているか知っているから。この映画がにおいもしていたら本当に恐ろしいものになるところだった。
残虐な歴史を知っていると鑑賞中キツイです。効率的にどれだけ大量に殺戮するか真面目に議論したり構造を考えたりキツイ。
エンドロールで客席が段々ざわめくのが分かって、つまらないから離席っていう感じではなかった。上映後がすごく静かでした。
二度とするなよという子供のセリフが印象に残っています。
無関心人間の悪と滑稽さと儚さと、、、
大胆な単色画面と示唆的な音響から始まる冒頭から、ミーハー心に思った。配信のみの作品を対象にしない、スクリーンで観て価値のある「カンヌが好きそうな」映画だな、と。
「リメンバー アウシュビッツ」的なメッセージを斬新な切り口で描いた作品かと思って見始めたのだが、途中から「違うそうじゃない」と思えてきた。見たいものしか見ない、自分の幸せが他人の不幸と隣り合わせ(というかその犠牲の上で)で進行していることに対する
無頓着さ、狭い世界の幸せを永遠の楽園のように捉えて支配しようとする(この場合は偶々)専業主婦の愚かさ、、、これは人間の愚かさを描く一例なのだなと。
「2度とするなよ」と、一番下の男の子は独り言で呟いた。収容所の子どもを厳しく折檻する親ナチスの声を耳にして。その他にも、染まってない子どもたちの言動が救いだった。
それにしても、あの奥さんを演じていた女優さん、「落下の解剖学」の時とキャラは違えど、ホントにそんな人みたいに人をイラつかせる演技力というか圧の出し方が実に上手いなあと思った。
蛇足になりますが、もっとわかりやすく切なかった映画「縞模様のパジャマの少年」を思い出し、改めて胸が締め付けられた。
隣人領域
端的に言えば、105分の映像の形をした風刺画。
冒頭、機器の故障かと疑うほど映像が映らない。
中途にも長めの暗転が多様されるが、一度だけあった赤齣はどういう意図だったのだろう。
内容としては、ひたすらに(やや不快な)一家の日常。
その背景として、微かに怒号や銃声、悲鳴が漏れ聞こえてくる。
会話のほとんどにも、劇中で最も大きな転属という出来事それ自体にも、恐らく大した意味はない。
庭師の作業や掃除、身体を洗うカットなんかは塀の中のメタファーだろう。
(『虐殺』ではなく『剪定』や『洗浄』という感覚)
ヘートヴィヒの母が黙って帰ったのは、ヘス一家が慣れきった“日常”を耐えきれない“異常”と感じたからだろう。
…と、色々察するにしても、母の手紙の中身は一切明かさないなど、いちいち不親切。
屋敷の周辺というワンシチュエーションでいくかと思えば、終盤は司令部(?)にも場面が移る。
ここで“軍部”という直接的な描写をもってくるのは中途半端に思えた。
最後にルドルフが嘔吐するのだが、吐瀉物は落ちてない(どころか出てもない)のは何故?
モノクロの少女も理解できなかった。
“意味が分かると恐い話”的なものを想像してたのだが、自分は歴史や文化に対する教養が足りなさ過ぎた。
だが、それが備わっている人にこのような作品が必要なのか。
自分のような人間にこそ伝わるような、或いは調べる意欲をそそる内容であるべきではないのか。
メッセージ自体は粗筋で読めるし、ちょっと意識が高過ぎてターゲットが分からなかった。
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