「音がする」関心領域 ordinalさんの映画レビュー(感想・評価)
音がする
収容され虐げられて働かされ殺されていく(いった)人々の存在を示しつつ、壁(ガラス)の外の家族(清掃スタッフ)の活動を関心の有無を問わず客観的に提示する。それにより鑑賞者に壁の内と外の情緒を想像させ外から内への個々人の関心の持ち方を描く、という主題と手法が終始一貫したストーリー性の少ないシンプルな作品である。
現在の世に通ずる他人への無関心を問題提起しているのかと思いきや、意外にも大量虐殺に賛同的な母や叫び声と機械音と灰に我慢ならず家を去る祖母、カーテンの外の騒ぎが気になりつつも見ないように自制し監禁や銃殺を真似て遊ぶ子どもたちなど、人々の関心は高いように思われた。
ところが慣れれば私生活の中で四六時中気にしているわけにもいかず、穏やかで幸せな時間を過ごしたり塀の向こう側とは比べ物にならないほど些細なことに怒ったりと、家族は一見いたって普通の豊かな暮らしを送っているのである。それどころか、焼かれていくユダヤ人から剥いだ衣服や物品を貰って分け合い「“カナダ”で」なんて笑いながら自分のものにしていく思考が驚きである。その部分が、まさに個人の命や人生、生活感に対する無関心を顕著にしている。
しかしながら、人は皆思想は自由であり、どのような関心を持とうが、あるいは持つまいが現代の価値観では画中に登場する壁の外の人々の思想を強要することはできない。だからあくまでも本作は事実を映す(作品自体が虚構である話は置いておいて)映像に踏みとどまり客観性の内に個々人の関心領域を曝すことで、かえって無関心を良くないものとするメッセージ性を強めているのではないだろうか。
壁の外からユダヤ人を密かに応援する人々の行動をモノクロのサーモグラフィーで表す場面や、外の庭で赤ん坊が見ている赤い花から内の失われた人々の血を想起させる場面など、精神や生命といったモチーフにより外と内を繋ぐ暗示的な描写も挿入されているように感じられる。
ある人は誕生日を祝われ歳を更新し、その背後である人々は恐怖と共に灰にされていくという何とも残酷な構図...叫び声が聞こえるのも悲惨だが、聴きにいってしまっている自分がいるのもまた事実だった。