「無関心であることの恐ろしさを容赦なく暴(あば)き出す」関心領域 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
無関心であることの恐ろしさを容赦なく暴(あば)き出す
<映画のことば>
「現実を受け入れて、ここを離れよう。」
「嫌よ。あなた一人で行けばいいわ。
あなたは、オラニエンブルクで仕事を。私はここに残って、子供たちを育てる。今までどおりに、アウシュビッツでね。」
「まさか君が来ないなんて。思いもしなかったよ。」
「あれが、私たちの家なのよ。」
世にも恐ろしい虐殺行為が白昼に堂々と行われていたというアウシュビッツというその土地柄…壁一つ隔てた隣では、ユダヤ人に対して歴史に残る大虐殺が行われている、その土地柄で、無邪気にも(?)住まいに固執する、ヘス収容所長の妻・ヘートヴィヒの言動が、評論子にはむしろ不気味にも思われました。
自宅の、ほんの隣では世界史に残るような大量虐殺が行われているというのに…(絶句)。
しかも、ヘス家に集う彼・彼女たちは、ヘス家から塀ひとつを隔てた、すぐ隣では何が…どんなことが行われているかは、知らないわけではなかったようにも見受けられます。
そのことは、家政婦から嫌がらせをされたと思い込んだヘートヴィヒが家政婦(おそらくは送られてきたユダヤ人の中の一人)に向かって「夫に頼んでお前を灰にして、あちこちに撒き散らしてやるから」と悪態をついていたことからも明らかだと、評論子は思います。
無関心でいることの「本当の恐ろしさ」は、ここに極まったとも言うべきでしょう。
本作を観終わって、まず真っ先に評論子の脳裏に浮かんだのは、ドイツの神学者で、反ナチス活動家としても知られたマルティン・ニーメラー(1892-1984)の次の言葉でした。
「ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。/彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。/彼らが労働組合員らを連れ去ったとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。/彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。
人は、自らの「関心領域」の外側で行われていることには、まったくを以て無頓着であるという箴言としては、本作の標題は、まさに「そのものズバリ」というべきだとも思います。
そして、そのようなストーリーをドラマ仕立てや劇映画タッチで描くのではなく、ドキュメンタリータッチで、ただ淡々と事態の推移を描いていた点も、構成としては、高く評価できる…否、むしろドキュメンタリータッチで淡々と描かれているからこそ、無関心でいることの本当の恐ろしさが、容赦なく暴き出されていたとも思われます。
本作は、評論子が入っている映画サークルが、毎年選定している年間ベスト作品として、2024年の公開作品として選ばれていた作品になります。
地方都市に住まう評論子にはなかなか鑑賞の機会がありませんでしたが、ようやっと宅配レンタルで観ることができました。
年間ベストに相応しい、重厚な作品で、充分に佳作としての評価に値する一本でもあったとら評論子も思います。
(追記)
先程は「人は、自らの『関心領域』の外側で行われていることには、まったくを以て無頓着である」と書きましたが、これはもちろん、自分の関心領域外で行われていることは知らない(無関心)ということで書いたのですけれども。
しかし、他面では、ヘートヴィヒは「何が行われているか」は知ったうえで、その「知っていること」を意図して関心領域の外へ押し出しているとしたら、それは、まったくの「関心領域」外よりも、数十倍、いや数百倍も空恐ろしいことと思います。
本作のタイトルには、実は、そのダブルミーニング(?)も隠されているのでしょうか。
(追記)
音だけ聞こえてで、映像がないシーンから始まるという本作の構成も、作品の組立てとして、秀逸だったと、評論子は思います。
音がするので、上映が始まっていることはわかるのですが、「絵が出ないということは上映機器(DVDデッキ)の不具合だろうか」と、観ている方を不安にさせる手法は、作品全体に漂う不気味さを、いやが上にも盛り上げる演出として、当たっていたのではないかと、評論子は思います。
(追記)
作中で言及されているヘンゼルとグレーテルの寓話…パン焼き窯でグレーテルを焼こうとした魔女は、ガス室で殺害したユダヤ人の遺体を焼
却炉で焼却したドイツ軍の暗喩だったと、評論子は受け取りました。
(追記)
本作に登場する人々の「関心領域の狭さ」は、取りも直さず彼・彼女らの「心の闇」ともいえると、評論子も思います。
そして、当時のナチスの「エリート意識」「独善さ」「近視眼さ」ということは、別作品『ヒトラーのための虐殺会議』にも描かれていたとおりで、彼らの心にはそういう「闇」が根深く巣くっていたことには疑いがありません。
的確なレビューでそのことを再認識させて下さったレビュアーNOBUさんに感謝するとともに、末筆ですが、ハンドルネームを記してお礼に代えたいと思います。