「悪の凡庸性」関心領域 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
悪の凡庸性
スティーヴンスピルバーグがこの映画をほめて「特に悪の凡庸性について意識を高める上で多くの良い仕事をしている」と語ったそうです。
スピルバーグが使った「悪の凡庸性」とは哲学者で政治思想家のハンナアーレントが1963年に著した本『エルサレムのアイヒマン:悪の凡庸性についての報告』から引用されています。
本は世界的な知名を得ましたが、とりわけ副題に使われた「悪の凡庸性」がナチスを形容する際の常用フレーズになりました。
このフレーズは裁判におけるアイヒマンの態度に由来しています。
アイヒマンは罪悪感も憎しみも示さず、単に自分は職務を遂行しただけなので責任はない──と主張し、それを押し通しました。
つまり悪の凡庸性とは悪人がもっている無頓着さのことです。
この映画には、ナチスがユダヤ人をコロしたり痛めつけたりしているアウシュビッツのすぐとなりで、優雅なカントリーライフを過ごしているルドルフヘス所長とその妻たちが描かれています。
音や煙や匂いが生活環境へ漂ってはくるものの、かれらは収容所に対して無頓着に生きています。
言ってしまえば縞模様のパジャマの少年(2008)から子供の交流も酷使されるユダヤ人召使いの描写も切り取って優雅なカントリーライフを見せるだけの映画になっています。
悲惨なイメージを一切見せずに牧歌的なカントリーライフときれいな画面構成のみによってナチスの残酷さを浮かび上がらせる──という映画のもくろみは成功していますが、いったんこのレトリックを知ってしまうと、率直に言って、何も起こらない映画ではあります。
しかしレトリックに依存してしまった映画ではなく、じりじりと怖くなってきます。主役は撮影と音響と効果音だと思います。
『この映画は、ライカのレンズを装着したソニー製のヴェニスデジタルカメラで撮影された。グレイザーと撮影監督のŁukasz Żalは、最大10台のカメラを家の中とその周辺に埋め込み、同時に稼働させ続けた。』
『グレイザーとジザルは現代的な外観を目指し、アウシュヴィッツを美化することは望まなかった。その結果、実用的で自然な照明のみが使用された。自然光が得られないポーランド人の少女が登場する夜のシークエンスは、ポーランド軍が提供した赤外線カメラを使って撮影された。』
『グレイザー監督は、収容所内で起きている残虐行為を見せるのではなく、ただ聞かせたかった。そのため音響デザイナーのジョニー・バーンはアウシュヴィッツ関連の出来事、目撃者の証言、収容所の大きな地図などを含む600ページに及ぶ資料を作成し、音の距離や反響を適切に判断できるようにした。彼は撮影が始まる前に、製造機械、火葬場、炉、長靴、当時を正確に再現した銃声、人間の苦痛の音などを含む音響ライブラリを1年かけて構築した。当時アウシュヴィッツに新しく到着した人々の多くがフランス人だったためバーンは2022年にパリで起こった抗議デモや暴動から彼らの声を入手した。』
『イギリスのミュージシャン、ミカ・レヴィは2016年に早くもスコアの制作を開始し、その後グレイザーと編集者のポール・ワッツとともに1年間スタジオで過ごした。「あらゆる可能性を探り尽くした」とレヴィはSight and Soundのインタビューで語っており、チームは音楽が映画にどのように機能するかについてあらゆる可能性を探った。』
(wikipedea、The Zone of Interest (film)より)
印象的だったのは軍用熱カメラをつかったという野外撮影でした。
グレイザー監督は当時じっさいに囚人らに食べ物を届けていたポーランド人少女Aleksandra Bystroń-Kołodziejczyk(1927年7月26日~2016年9月16日)に取材し、アカデミー賞受賞スピーチで映画を彼女に捧げ「生前と同じように映画でも光り輝く少女」と表現したそうです。
16歳のときポーランド国内軍に所属していた彼女は飢えた囚人に果実を届けるため、自転車で収容所に通っていました。囚人らが作業する砂地にリンゴなどを隠し置いていく様子が色のない熱カメラで撮影されていました。それはすごく恐ろしいシーンでした。
嫌悪をあおるためルドルフヘスのかりあげはかなりの剃り上げになっていました。サンドラヒュラーが演じた夫人も、がにまたで大根足でがちがちの結髪で、醜く意地わるい女に描かれていました。
夫人の母親は、隣接する収容所で何が行われているのか察知して、そうそうに立ち去るのですから「悪の凡庸性」は知らなかった、で許容されることではありません。
飢えた囚人のために砂地にりんごをしのばせる少女と、わがままでよく眠るヘス夫人を対比させることで浮かび上がる「悪の凡庸性」とは、すなわち想像力があるかないか、誰かを思いやる気持ちがあるかないか──のことです。映画はそれを言っているのであり、スピルバーグが評価したのもそこでした。
ヘスは昇進しますが階段で嘔吐すると現代へリンクしてアウシュビッツの展示物がうつし出されます。ガス室、トロッコ、かばん、靴、義手義足、囚人服・・・。スタッフが開館前清掃にいそしんでいます。想像力があるかないか──が観衆に向けられてもいる映画だったと思います。
なお邦題はミニマリスト向けのエクステリア情報誌のようだと思いました。