「自分たちにも突きつけられる恐怖。我々はいつまで無関心でいられるのだろうか。」関心領域 夢見る電気羊さんの映画レビュー(感想・評価)
自分たちにも突きつけられる恐怖。我々はいつまで無関心でいられるのだろうか。
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アウシュビッツの間近に住んでいた所長とその家族の話
アウシュビッツで何が行われていたかを知っていれば、明らかに異様な生活ではあるのは見る前からわかるが、実際に見ていくと知らなくても変なことには次第に気づいていく。
聞こえるか聞こえないかわからないような音がどこかしらから常にしている。人の叫び声、これは怒ってる声なのか泣き叫ぶ声なのか、よく分からないが何か聞こえる。時々、銃声音もしていたり、よく分からない音も聞こえる。
夜になると煙突から燃え盛る炎が見える。その炎は明らかに人を焼却する炎である。他に燃やすものなどないのだから。
また子供が遊んでいるのは誰かの金歯だったり、川からは灰が流れてくる。
一見日常に見えて、明らかに異常である。訪問してきた奥さんの母親はその異常さと、そこに何の疑問も抱かない娘に恐怖していなくなってしまうほどだ。
所長やその妻、そして子供たちも異常な状態が普通なので、何も気にしないし、何の音にも関心を抱かなくなっているのだ。全ては自分たちのことが大事であって、塀の中のことは関心の外にある。まさに、自分たちの楽園の中は関心領域で、その外は無関心の世界である。
これは、見ている側にも突きつけられている問題でもある。世界にはたくさんの問題をはらんでいる。そこに関心を向けるか向けないか。自分の関心領域だけで生きている僕らと、アウシュビッツの所長はかなり地続きと思えてならない。そこが一番の恐怖である。
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